2019年01月

いかにせん、野崎社長の意に反して、関東のマスコミが
この件を報道したのだ。

この報道を受けて、週刊誌「週刊文春」、ジャーナリスト、作家が、詳しく取材したいと申し出があった。

私は、3者とも、平等に、取材に応じた。

週刊文春



作家

ジャーナリスト

それぞれの取材結果を
次の項で、お話したいと思う。

(つづく)



2001年3月9日、検察審査会の不起訴不当の議決を受けて、マスコミは、翌日の新聞に掲載した。

2001年3月10日

朝日新聞
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毎日新聞
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神戸新聞
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デイリースポーツ
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サンケイスポーツ

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名古屋タイムズ

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日刊スポーツ
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スポーツ報知
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◾️
このマスコミ報道から、私の自宅に、テレビ局が取材に来ることになったがテレビ局は、関東のテレビ局ばかりで、関西のテレビ局は一社も取材に来なかった。

当時は、取材の慌ただしさで気づかなかったが、後で考えると、2日前に社長に就任した野崎氏が、関西のマスコミに取材報道しないように、手を回したのではないかと思う。

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まぁ、社長としては、当然の措置ですね。

このことで、阪神タイガースのイメージダウンになり、株主総会で追及されることになったりすると、ご自身のクビが飛ぶかもしれませんものー。

もみ消すしか、ご自身の生きる道がないと思われたのでしょう。

(つづく)






「ダメ虎を変えた!」(朝日新聞出版)の著者で知られる、元阪神タイガース球団社長、野崎勝義氏は、1996年、阪神タイガースに球団常務として出向され、2001年から2004年まで球団社長を務めた方である。

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(参考)



野崎氏が社長職を務めた2001年から2004年までの間、野崎氏にとって、色々なことを処理しなければならなかったことは、著書を読めば理解できる。

著書には書かれていないが、1998年にスカウト活動の最中に、不審死を遂げた渡辺省三の他殺説をもみ消す活動にも一苦労あったようだ。

平成の締めくくりとして、一苦労を証拠資料から、鑑みたい。

因みに、当事件は、2006年2月から、内偵捜査が始まっている。




2001年3月8日ー社長就任
野崎氏は、2001年3月8日に阪神タイガースの球団社長に就任した。

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(スポーツニッポン)

2001年3月9日ーもみ消し問題発生

社長就任の翌日である2001年3月9日、1998年8月31日、スカウト活動中に不審死を遂げ、「自殺」として警察に処理された渡辺省三の件で、検察審査会が「不起訴不当」の議決を発表した。

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(つづく)


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