2019年03月

ジャーナリストによる

「薬物」というキーワードが出たのは、

2003年の終わりころであるが、

私が「薬物」ー覚醒剤

のキーワードを

検察(神戸地検)に

話したのは、

1999年だった。

今から20年前のことである。
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(この本には、そのことは書いていない。)


このように、
私は、3人のジャーナリストらに取材を受け、
各々が記事にしたというわけだ。

その間、別のジャーナリストが
月刊「サイゾー」(2003年11月号)に、
タイガースの危ない話として、
次のような記事を書いている。

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「阪神は以前から、暴力団対策を専門としてきた警察OBを顧問に据えるなど、選手に近寄る暴力団関係者の存在に頭を悩ませていた。
過去には有名投手の薬物使用疑惑や、主力打者による暴力団幹部名義の高級車使用問題が表に出そうになったこともある。

渡辺さんは、そういった事件の処理に当たることもあったという噂があり、なんらかのトラブルに巻き込まれた可能性も完全には否定できない」

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「薬物」のキーワードが出てきたのは、この記事が初めてであった。


ジャーナリストは、

一年後に、

「タイガースの闇」という本を

上梓した。

その際、著者名は、自身の名前を伏せて、私の名前にした。

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作家は、約3年の取材を重ねた上、

2004年初め、小説宝石に
「誰かが殺した」という
タイトルで、
ノンフィクション小説として
発表した。

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週刊文春
2001年3月22日号

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阪神スカウト自殺 再捜査
長女が検察に訴えた「犯人像」


私ども家族には、父が自殺する理由が全く思い当たりませんでした。

警察には何度も再捜査をお願いしたのですが、聞き入れてもらえなかった。

そこで私は現場近くでビラをまき、改めて目撃者を募ったんです。

その甲斐あって名乗り出てくれた方は、驚くべき証言をしたのです。

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阪神タイガースの元名投手で、スカウトとして活躍していた渡辺省三氏(享年65)が、神戸市内の路上で即死状態で発見されたのは、平成10年8月31日。

管轄の生田警察署は、最寄りのビルから落下したものと判断。屋上に争った形跡がないことなどから、自殺と断定し、捜査を終えた。

だが、長女の直子さん(43)ら遺族は、何者かによって事件に巻き込まれたのではないか、という疑いを抱く。

2カ月後の小誌10月22日号に
「父、渡辺省三は自殺ではありません!」と題する手記を寄せている。

あらゆる手を尽くして事件の見直しを訴えた結果、今月9日までに神戸検察審査会は、「捜査は不十分で再捜査が必要で、不起訴処分は不当と議決した。

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父が亡くなった翌年の2月から、現場周辺で、当日と同じ毎月曜日、同じ時刻にビラを配りました。

6月になってようやく、父が飛び降りたとされるビルの関係者Aさんが、興味深い情報を提供してくれました。

この方は、父が亡くなった直後にビルのエレベーターに乗っており、途中の階から身長約180センチ、年齢45、6歳ぐらいの男性が、大層慌てた様子で乗り込んできたのを覚えていました。

Aさんによれば、驚くべきことに、この男性は阪神タイガースの元選手に似ていた。Aさんが、事件後10ヵ月も経ってから名乗りをあげてくれたのは、5月の阪神戦のテレビ中継に映っていた球団関係者が、目撃した人物とソックリだったことが、大きな理由の一つなんです。後日改めて、該当する元選手の写真を見せたところ、「間違いない」とAさんは、断言しました。

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この証言などを元に、直子さんは、平成11年7月9日、神戸地方検察庁に事件として告発するが、同年12月24日、不起訴処分となる。

翌年3月31日、今度は神戸検察審査会に不起訴処分不服申立書を提出。直子さんが望みを捨てなかったのは、独自に調査する過程で、数々の謎に直面していたからである。

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私は、審査会に申立書を提出した日に、それまで経営していたエステ関係の店を閉じ、調査に全てを賭けました。その結果、次のような不審な点に気付かされたのです。

1、現場に身元を確認できる遺留品が残されていなかったこともあり、当日の夕刻まで警察から家族に連絡がなかった。にもかかわらず、ある阪神球団関係者(Aさんの証言とは別人物)は、かなり早い段階で知っていた節がある。

警察が球団にだけ、身元確認をし、遺族に確認をしない、というのは極めて不自然。

2、父の死亡推定時刻は、午後1時15分ごろだが、携帯電話には、当日の2時25分に発信記録が残っている。

現場検証に立ち会った刑事は、父の電話を使って「(身元確認のため)方々に電話した」と言っている。

警察が亡くなった人間の電話を使って連絡をする、というのは考えにくいし、発信記録は、死後1件しかなく、辻褄が合わない。

3、複数の目撃証言では、父は紺色のジャケットを着ていて、身体の右側を下に向けた形で倒れていた、という。だが、警察の現場写真では、ジャケットは着ておらず、仰向けになっている。

4、現場の担当刑事は、「血のついた金銭価値のないものは、現場で身内に渡した」と主張している。しかし、身内は誰も現場に行っていない(病院で遺体と対面した)し、自殺かどうか不明な時点で、現場で遺留品を返すことはあり得ないはず。

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省三氏は、ビルの下の歩道を越え、7.5メートル離れた車道に倒れていた。ビルの屋上には、1メートル10センチの柵があり、その外側には1メートル程度しかスペースがない。

直子さんは、そんな場所から、60代半ばの人間が8メートル近くも飛べるのか、疑問に感じ、神戸大学に実験を依頼している。

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神戸大学の実験の結果では、父は、秒速2.66メートル(時速9.6キロメートル)で飛び出し、脚が下の状態で着地した可能性が高い、という結論が出ました。

元東京都監察医務院長・上野正彦先生は、「常識的に考えれば、ただ落ちるだけならば、建物からせいぜい1メートル以内が落下地点でなければならない」「仮に加速をつけて建物を蹴り込み落下しても、せいぜい3メートル以内の着地と推定されると説明された上で、

「7.5メートルの地点に落下しているということは、何名かの人間が人の手と足を持ち、ブランコのように反動をつけなければ飛ばない位置であろう」と結論を下されました。

つまり、自力でこれだけの距離を跳ぶのは、かなり難しい状況なのです。私はこの報告が、今回の決定が下された大きな決め手となったのではないか、と思っています。

再捜査は、嬉しいことですが、これは父の死の真相が解明される序章に過ぎません。本当の闘いが、今ようやく始まったんだと思っています。

(以上、週刊文春記事転載)












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