2006年06月25日

ワールドカップ

fb3d0831.JPG知らない人はいないと思うが、今ドイツで行われているサッカーのワールドカップの真っ最中である。特にイギリス人の多いこの島では連日、夜更かしの続いている人がかなり多い。
先日、スェーデンとイギリスの試合では(ピピにはスェーデン人も圧倒的に多い!)大変な騒ぎであった。
余談であるが、イギリス人はサッカーのことを「フットボール」という。日本人に、「サッカー」という人が多いのはどうしてだろう。アメリカからの影響だろうか。「ベースボール」を野球というのだからサッカーの日本名があってもよさそうである。

この期間、どのバーでもスクリーンを設置していて、観戦できるようになっている。そして、とても興味深いのが、いろいろな国籍の人がいる点である。ドイツ人ももちろんいる。「国に帰って見れそうなものなのに」というと、「スタジアムはいっぱいで、入れたとしても微かに選手がみれるくらいでしょ?ここで、みんなで観戦してるほうが面白いよ、スクリーンも大きいし」との事であった。
観戦しながら、対戦国出身同士、お互いに「We`ll kick your ass!!」と冗談を言い合って見れるのもまた醍醐味である。こんなチャンスはそうそうあるものではないのではないか?

マネージャーのニールも生粋のイングリッシュガイである。「お願いがあるんだけど…」と昨日私のところにやってきて、「明日イギリスチームがプレイするから午後休んでいい??」との事であった(笑)。

しかし、それがこの島ではまかり通っている(笑)。昨日、(ドイツ対スウェーデンの日)夜の10時前に家に帰っていたら、ドイツ人の友達に「え、本気で家に帰ってるの?具合悪いの?」と、心配されてしまった。そうだよなあ。お祭りの時には何はともあれ、騒いでおくべきである。でないと、病気と勘違いされてしまう(笑)。
  

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2006年06月22日

雨季の風物詩

801fd1f8.JPGタイ、アンダマン海側は、今雨季である。スコールのような、または梅雨のような雨がしばし続く、少々うっとうしい季節である。ちょうどこの6月は季節風の向きが大きく変わることもあってダイバーにとってはあまりありがたくないといえる。

昨日の夜も大雨だった。閉店後も家に帰るのが億劫になるほどのダイナミックな降り方であった。私たちスタッフは、しばしお店に残り様子を見ることにした。そのとき、キャプテンとキャプテンの息子(3〜4歳)が雨の中に飛び出した。急に何をするのかと思ったのだが彼は子供の服を脱がせ、軒下に滴り落ちる雨で彼にシャンプーをし始めた。息子のほうは嬌声を上げて、シャンプーが終わってもあたりを走り回っていた。その光景がとてもほほえましく、かわいらしかった。裸になって雨の中を走り回るなんて、どんなに気持ちが良いことだろう!(年齢的に私はもう無理だけど…笑)

ロンドン出身の友達とのスモールトーク。
「僕はロンドン出身だから、雨にはもう慣れてるよ。降らないと今度はシャワーもできないし、特に島だと大変なことになるからね。前向きに前向きに。」
そのとおりである。特に今ワールドカップの最中で、夜更かしが続いているイギリス人には雨だとかあまり関係ないのかもしれない(笑)。

いずれまたハイシーズンがやってきて忙しい日々が続くのだから、読書や友達と会う時間を今の内にのんびり楽しんでおこうと思う。
  
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2006年06月14日

TSUNAMI 6

9c0f694a.JPG何時間たったのだろうか、あたりが薄暗くなり始めた。空がブルーとピンクに染まり、流れるように広がった雲が美しかった。とてもとても大きな夕焼けだった。一日のうちで夕暮れは私の一番好きな時間のひとつである。日本で見るのとは違う、空をさえぎるものがない広大なイリュージョンである。このような状況でありながら、空を見上げてわたしは「きれいだなあ」と思った。普段仕事でお店の中にいて夕焼けなどに目を凝らす時間がなかったためだろう。もったいないことである。

いつもMoskitoボートを止める湾内のブイラインに止められているはずのディンギーボート(荷物や乗客をメインの船まで運ぶ小さいボート)がなくなっていた。盗まれたのか、流されてしまったのだろう。キャプテンはがっくりしているようだった、彼には奥さんと3,4歳の娘がおり、心配で仕方なかったに違いない。そのうちに彼はどこからともなく壊れたディンギーボートを調達してきた。島に上陸する、と言うのである。「私もついて行きたい!」と思った。でも島は大変な状況で、死体があたりに散乱し無残な光景だと言う。パスポートやその他の荷物の確認だったらしないほうがいい、と言うことだった。でも私は私の荷物や住んでいたバンガローの事なんかを気にしていたわけではまったくなかった。まず彼氏が無事かどうか、せめて生きていることだけでも確認したかったのだ。しかしながら、誰もがそう思っていたに違いない。私が行けばボートに残ったお客さんは誰が管理するのか、そう思って踏みとどまった。結局、キャプテンと二人のボートクルー、ミヤコさん、スェーデン人インストラクターのエフ、そしてスェーデン人のお客様のジェイだけが上陸を試みることとなった。ジェイは家族でピピに旅行に来ており、妹と彼女のミミはダイバーでボートにいたが、お母さんはひとり島のホテルに滞在していたのである。
  
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Back to Thailand

4fbb789e.JPG そして、タイに帰ってきた。飛行機を降りたと同時にむっとした熱気が押し寄せてきて、これぞタイ!という感じである。しかもバンコクはタイの王様のためのホリデーということで通常以上に人が多く、町の中心部の渋滞も尋常ではなかった。

空港について、まずパスポートコントロールのカウンターへと向かう。そして、窓口の人にパスポートを渡す。受け取るときに、ありがとう、というそのときに、一瞬であるが、はっとした。それは、係員の人が、私にパスポートを渡すとき「ありがとう」と言い返してくれ、そして、にこっと笑ってくれたのだ。これぞまさしくタイである。このために、こんなに長くタイに住めているのかもしれないと思う。
日本滞在中は気がつかなかったことだが、タイの人は目が会うとにこっと笑ってくれる人が多い。もちろん、観光地化されているところなどは、みんなツーリストに飽き飽きしていて、むすっとしていることもあるが、たいていはしてくれる。表情のない日本から来ると、本当に、「Welcome!」といわれているようで、ほっとする。

しかしながら、そのタイの素晴らしさ、人々の寛容さや、国の美しさや、文化の多様さ、奥深さも、ずっとタイにいて、すっかり忘れていた。こうして、日本に帰って一時的に離れることがなければ気がつかなかったかもしれない。近いものほど見えない、というのはきっと本当だろう。またフレッシュな気持ちで、生活を始めることができそうである。
  
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2006年06月13日

TV 放映と公民館でのイベント

広島テレビの「テレビ宣言!」という番組に出た。先日撮影したものが、ローカルニュースのような感じで放送された。まったく、実にうまく編集されていた(笑)。自分がTVに出るのを見る、というのはとても変な感じがした(もちろんだけど)。私が持っていた資料や写真であるにもかかわらず、TVを通してみると別のもののように見えた。自分自身まで、別の人のように見えた。

TV 放映後、レストランでご飯を食べていると、「TV見たよ」といってくれる人がいたりして、びっくりした。また、BLOGの方にコメントを入れてくださる方々もいた。TVの威力を思い知ったと同時に、こうしてわざわざメールをしてくださった方に感謝をしている。

公民館でしたイベント(アンダマン交流会と題されていた・笑)のことも放送されたが、このとき、実は誰も人がこなかったらどうしよう、とわたしも広島TVのかたもひやひやしていた(笑)。
公民館のクラスルームで、写真の展示とTSUNAMI,タイに関する本の紹介、そしてTSUNAMIで私が得たものについて話した。このときは、小学生くらいの方から大人まで、本当に幅広い年齢層で、小さい子には少々難しかっただろうと思うが、熱心に耳を傾けてくれていて嬉しかったし、なにより無事に終わってほっとした(笑)。
開催のための準備は、書道はおばあちゃん、チラシはお姉ちゃん、会場の予約はお母さん、器材を運び込むのはお父さん、と一家総出であった。
わたしも事前までばたばたしていてその日になってもまだ写真の準備を大急ぎでしていて、何を話すか、原稿もできていなかった。私らしいと言える(笑)。
しかし、あまり焦ってなかった。と、いうのも、私の中での考え、感想は変わっていないからだ。そのとき経験したことが今の私の骨や肉となっている。そのイベントの中でも何度も言ったが、たくさんのものを失ったけど、それ以上といえるものを得てもいるのだ。

後日、実際ピピで救助作業を行った海上保安部の方とお話する機会があった。災害が起こると現地へ行って作業をするなどというのは大変な仕事だなあと思った。私は一回で十分である(笑)。しかし、ぜひ今のピピを見ていただきたかったので、写真を送っておいた。きっとびっくりされると思う。
実際、まだ日本人のツーリストを前ほど見かけない。このイベントを通して、一人でも多くの方がホリデーをタイで過ごしてくださるようになればいいな、と思う。そして、ピピがこうして人の手だけで復興できたように、どんなに困難な状況にあっても、希望を持ち続けていこうと理解をしてくださる方が増えるといいな、と思う。
  
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2006年06月11日

カルチャーショック

e77e8bdf.JPG2週間の滞在の予定が、事情があって延びつつある。帰ってきてからと言うもの、当然ながら日本語だけで会話をし、会うのは日本人だけ、という生活である。
その中で、自分が微妙な違和感を覚えていることに気づいた。みんな余り個性がないのである。島ではわたしはたいてい、お店のTシャツにサーフショーツにビーチサンダル、という恰好であまり気にならないのだけど、ここにいるとそれが狂ってくるようである。何か、ちゃんとした恰好をしないといけない、または買い物をしないと、という気分に不思議となってくるのである。
にもかかわらず、どのお店にも似たようなスタイルの洋服が並び、「今年のスタイル」というのが手にとるように伝わってくるようである。

個人の差はあるけれども、海外で出会った日本人はなにかしら「骨」のようなものがあった気がする。自分が何がすきか何がしたいか良く知っている、正直に言って内容重視の人々であった。

日本に帰ってきてからというもの、それが逆転したようで、戸惑っている。
特にピピは何度も書いているように、多国籍で、もちろん見た目もぜんぜん違う。ブロンドのひとも、背の高い人も青い目も黒い眼もいて、本当に十人十色なのである。なので、正直ここまで、みんながコピーのように見える場所は病的に感じてしまう。
そういえば、学校がそうだったよなあ、と思う。みんなが同じように塾へ行ったり、大学を目指したりして、個性を主張することが硬く禁じられている、という雰囲気があった(少なくとも私たちのころは)。

それにふと気がついて、また島スタイルに戻ってしまった。面倒くさいというのもあるが、ここで自分が変わってしまう方が逆に恥ずかしい気がした。文化の浸透力の恐ろしさを見た気がする(笑)
  
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Like a movie star?!

5b6eda9f.JPG 今回の帰国、そしてこれまでの(不真面目ともいえる・笑)ピピの復興作業についてTVによる撮影を受けることとなった。午後の2時間に渡るローカルニュースの番組と、深夜に放送される広島版「情熱大陸」のような番組を作れるかもしれないから、と言うことであった。今までは雑誌やガイドブックなど電話、Emailでの取材が多かったのに対し、このような感じで取材を受けたことはなく、もちろん私にここまでフォーカスをされたことがなく、私にとっても自分の考えをまとめる良い機会となった。

撮影に先立って、TV局の方とのミーティングがあった。
「どうしてTSUNAMI後日本に帰らなかったのか?」
「復興しているときはどういう気持ちで、またはどういうことを考えていたか?」
「これからピピを離れて別のところでまたインストラクターとして仕事をするかもしれないということだけど、それはどうして?」
など、これまであまり深く考えてこなかったが、考えるべきであった部分に対し指摘を受け、TV番組をつくる(ニュース番組の部分は10分足らずであったにもかかわらず)、と言う作業の細かさや鋭さに感心すると同時に、この約2年間を自分のなかで反芻することとなった。
それが、放送されるほどの価値があるかどうかはわからないけれども、正直に言ってわたしは、自分がしたいようにしてきた、と言う気がした。復興作業も単純に放っておけなかった、または自分の精神衛生上において現実と向き合う必要があった、と判断したからだし、復興の最中は日々少しずつきれいになっていく島を見ていられることが嬉しい、またはクリーニング作業の後のみんなで飲むビールがおいしかったこと(笑)。なにより私の周りにいる人たちに私は恵まれていた。決して島のために、とかタイの人々に恩返し、という気持ちではなかった。

今後、島を離れる可能性については、一箇所にこだわっていることが今の私にとっての成長につながるとは思わないからだ。ピピは大好きで、これから行くところがピピより好きになれるかどうかはわからないけれども、挑戦する価値は十分にある、と思っている。

そうか、それがTSUNAMIで学んだことだったのかも…と思った。人はみんな死んでいくのである。何でも見てやろう、したいことは何でもしてやろう、楽しんでいこう、と今は強く思う。

こういう機会がなければ、これらの自分の裏側にあるような質問に対して深くは考えなかったかもしれない。よいフィードバックになった。撮影もとても楽しかった(ピピにも来てくださるといいな、と思う・笑)。毎日したいとは思わないけど(笑)。
  
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2006年06月04日

社会科の先生

eeb965a0.jpg私の高校のときの担任の先生は社会科の先生であった。まだ、担任を持ち始めたばかりで若かった先生には問題児(笑)であったわたしを受け持つのはかなり根気のいる作業だったと思う。
今回、TSUNAMI復興関連のイベント依頼のこともあって、学校を訪ねてみた。10年くらい経っているにもかかわらず、先生たちはあまり変わっておられなかった。自分が変わっている分とても変な感じがした(笑)。

それまでは考えもしなかったが、このBLOGのタイトルをみた先生が「あ、アンダマン海ね…」といったときに、社会科の先生であったことを思い出した。アンダマン、ときいてすぐに地図が頭に浮かんでくる、という人は出会った中では始めてであった。

よく考えてみると、社会科が一番使える学科だったのではないか、と思う。少なくとも、私にとっては、一番興味のある学科だったし、今も一番使う。高校英語や、代数幾何やら、ウニの産卵やら古文は今になっては何も覚えていない(あまり熱心に勉強してなかったけど…)特に高校英語は実践の場ではまったく使い物にならない(笑。先生ごめんなさい)。

特にピピのように多国籍の環境にいると、各国ともに独自の世界史の価値観があってとても面白い。日本史について聞かれ、多少焦ることがあった(笑)。こっそり本を買って調べたりした。遠い国の出来事であったことが、急に現実味を持って身近に感じられるようになった。

しかしながら、先生は一度も日本国外に出たことがないそうである。それでもこれだけ興味が持てるんだからすごい。
  
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帰国の目的

541f249b.JPG私の前職はあの、大手企業のBEAMSの社員であった。私が働いていたときは、店の雰囲気もあると思うが、
「店員がつんつんしている」「対応が悪い」「店内が込み合いすぎている」
など、辛口のコメントが多かったものの、じつは私がかかわったどのお店のスタッフも面白く、興味深い人たちであった。特に、私がTSUNAMIにあったときもすぐに募金をしてくれて、個人的に送ってくださる方までいた。本当に感謝している。

そして、今回元広島店のメンバーで会おう!ということになった。実は私が働いていたころの人たちはほとんどが退職をしていたが(笑)、みんなあまり変わらず、私が色も黒くなり、逞しくもなり(笑)一番変貌を(年をとったと言うことではなくて・笑)遂げていたようであった。

面白かった!ほんとうに、おなかが痙攣を起こすかと思うほど笑って、時間があっという間であった。昔のBEAMS話から最近の歯医者の事情、または結婚式の模様まで、ありとあらゆる話題で、会話は尽きることがなく(女8人だったからか?)帰国して一番楽しい時間をすごした。

これがなければ、帰国する意味がないよなあ、と思う。日本食も、文化も私にはあまり魅力がない。それでも、このメンバーが集まってくれる限り、一年に一回くらいはつい帰ってきてしまうのだろうなあ、と思う。恐るべしである。
  
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Holiday in Japan

836714a4.JPG 日本に一時帰国をすることにした。ちょうど、ハイシーズンも終わり、と言う季節の変わり目であるし、日本でしたいこともあったので、帰ることにしたのだ。
バンコクで数日過ごした後、一路関西国際空港へ。炎天下の(平均温度34度)のタイから来ると早朝の日本はとても肌寒く感じられた。ほぼ一年ぶりの日本。当然だけど、周りには日本人ばかり…。ピピ、タイにいると、環境が常に多国籍なので、日本語しか話せない(通じない)、日本人しかいない(外国人のかたもおられるが、たまにしかであわない。韓国人、中国人のかたもおられるのだろうけど、見た目では判断できない)、という環境は少々カルチャーショックであった。

空港からまっすぐに友達が経営している大阪市内のCaféに向かう。なんだか、誰かに会いたい!という気分だったのだ。こういうとき、喫茶店をしている友達がいるというのはいいなあ、と思う。日本にいたころからちょっと寂しいときすぐに会いにいけるし、こういう風に前もって連絡しなくても、朝から開いている、ほっとする存在である。

私がお店についたときはちょうど8時くらいで、開店準備をしているところだったが、無理に(!?)押し入り、コーヒーまで飲んでしまった(笑)。みんな、突然の出来事にびっくりしていたけど、やっぱり、帰国で一番嬉しいのは友達に会えることだよなあと実感した。

大阪駅で地下鉄に乗ったときには、ちょうど通勤ラッシュであったこともあり、愕然としてしまった。車が2台くらいしか走っていないような島から来たのである。私がどういう気持ちだったか想像していただけると思う。以前はそれを使って自分も通勤していたはずなのに、「あー、もうここは私の場所ではないのだなあ…」日本には二度と住まないだろうな、と強く意識した瞬間であった(笑)。
  
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