ピーチガール

私はあまり映画を見なくて、映画館もあまり行かないのだが……

この前「アナザースカイ」で山本美月様がドイツを紹介しているのを見た時、以前出演されていた実写映画の「黒執事」の映像が流れ、これはかっこいいと思ったのであった。



そして、折しも渇ききった心を潤したいところ、大層胸キュンな映画が美月様主演で上映されると知って、この度見たのが「ピーチガール」であった。



私もそろそろいい年の男なので、最初は嗚呼、いかにも少女マンガっぽいノリがこっぱずかしいなあと思いつつ見ていたのだが、結構凝った話であり、次第に馴染んできて、面白く最後まで見た。主人公ももの友人さえが犯罪レベルで非常に恐ろしい策略を次々と巡らせ、一難去ってまた一難、二難、三難、と続く。このさえの企みはあまりにも悪辣であった。やり過ぎじゃないかというくらい。

さて、ほぼ山本美月様目当てな感じで見に行ったのだったが、そう、少女マンガの主な読者層を考えれば、見る者をときめかせるのは主人公よりも、主人公を魅了する男子達である。きゅんきゅんする対象は主人公ではなく、主として対照的な二人の男子であろうから、魅力的に描かれているのは後者なのだ。そういえばそういう原理であることに、後から気づかされたのだった。それはそれでいいのだけれど。

それで、初めはいかにもチャラい感じのカイリが実は凄くいいやつで頑張っていて、嗚呼、これはとても魅力的な人物造形だなと思った。結局、この映画の中では彼が一番魅力的に描かれている人物なんじゃないのか、と個人的には思ったのであった。上映中、彼の努力によってももが救われるシーンが出てくる度に「よくやった!よくやってくれた!」と思った。

面白く見ました。

抒情文芸 第141号―季刊総合文芸誌 前線インタビュー=川上未映子




読んだ。この頃はまだ震災間もない頃だったんだな。

The Stolen Girl and Other Stories: Seven Psychoanalytical Tales




読み終わった。5年前にイギリスのフロイト博物館に行った際、その近くに精神分析専門書店があって、そこで購入したもの。読みかけたまま積読になっていたものをまた再開して読了。

副題に「精神分析的物語」とあるが、症例報告に似た短編集。ただ、序文でこれは症例報告ではないと書かれている。著者はフランス生まれの精神分析家。セラピストの元に問題を抱えたクライアントがやってきて、その後うまく立ち直るまでの話が7つ収録されている。症例報告であれば、たとえばフロイトの著作のように患者の抱えている問題、その背景、環境が述べられ、その原因を理論的に考察する流れになるが、この物語ではそれほど詳しく理論的な説明が与えられるわけではない。むしろ、そこはある意味小説的とでもいうのか、セラピストの目を通して出会いから経過を観察しているうちに、やがてカウンセリングが終わって別れを迎えるまでがシンプルに語られる。

あくまで小説として読むべきなのかもしれない。ただ、小説としてどこまで楽しめるかというと、それは中途半端な楽しみになるように思う。また、精神分析のケース・スタディーとして読もうとすると、全然理論の紹介や理論的な分析が出てこないので、それを期待すれば不満が残るかもしれない。

個々のクライアントの立ち直り方が、割と偶然によるところが大きい。セラピストとの面談をしているうちに、親しい人間の身に何かあったり、仕事上の転機が訪れたりして、それがきっかけで回復に向かうことが多く、セラピストはその間何かしているのかというと、ただ話を聞いて整理しているだけのような印象が強いのだが、果してこれがどれだけクライアントに積極的効果を及ぼしているのか、なんだか私にはしっくりこなかった。

それと、どうも私には文章が読みにくかった。主語と述語動詞が揃った文ではない、断片的な句が頻繁に登場するのが本書の文体的特徴。単語の使い方とかもいまいちよくわからないところが時々あった。私の語学力の問題かもしれないが。

それでも85頁の小著なので、集中して読めば時間のかかる本ではない。途中で積読したから5年かかったけれど。

待たな終末―高橋睦郎歌集

待たな終末―高橋睦郎歌集
高橋睦郎
短歌研究社
2014-10



以前『短歌研究』誌で本書が紹介されているのを読んで気になって購入、興味深く読んだ。私好みな作風が多く含まれていた。

12の章に分かれており、それぞれ『短歌研究』などの短歌誌を初出とするもの。気が付いたところを少し述べておく。

冒頭の章「歌さやぎ立つ」は父母への不信感が非常に強く、その中には残酷に子を殺す兎を読んだ歌もあった。その不信感がどこから来るのかを説明する体験として読めたのが「われには言葉」という章で、幼くして親を失ったトラウマが色濃く歌われている。そのように繋げて読むことがどこまで妥当なのかはわからないが、父母への呪詛をなぜここまで、という疑問が後者によって少し納得したのであった。

本書全体的に作者の非常に深い教養が滲み出ていて、衒学的でもあるのだが、西洋古典文学や歴史への造詣がスケールの大きな世界観を作り上げている。先の二つの章の間にある「時ぞ來迎ふ」など、人類史的規模の世界の中で歌っている。そして、中には私が前から考えていたことと近いことを詠み込んだものもあって、驚くこと幾たびかあった。

大学生の頃から私も短歌は詠んでいるが、所詮趣味程度のもので、大した何かを成し遂げるわけでもなく、またこの歌人のような語彙力も持ち合わせていないのだが、それでも「宙ただよへり」のような章の作品は、私が以前新人賞に応募した際の作品テーマに近いものがあって、僭越ながら、歌に詠む対象として興味・関心に類縁性があるのかもしれない、と思ったのであった。

自分自身と共有できる興味が多く、また気付くところ豊富で、面白く読んだ。

Concerti Da Camera V4

Concerti Da Camera V4
Vivaldi
Elektra / Wea
1993-03-09



イル・ジャルディーノ・アルモニコによるヴィヴァルディの室内協奏曲集第4弾。

様々な楽器の組み合わせによる協奏曲で、多彩な音色の組み合わせが面白い。ソロ楽器対オーケストラというはっきりした典型的独奏協奏曲ではないが、色々な楽器が一緒になってもシンフォニアのようになるのではなく、トゥッティとコンチェルティーノの対比があって展開していく協奏曲だ。

収録されているのは以下の曲。

協奏曲ヘ長調RV99
 リコーダー、オーボエ、ヴァイオリン、ファゴットと通奏低音という組み合わせ。

協奏曲イ短調RV108
 リコーダーと二つのヴァイオリンと通奏低音。

ソナタハ短調RV53
 オーボエソナタ。

協奏曲ト短調RV105
 リコーダー、オーボエ、ヴァイオリン、ファゴットと通奏低音。

協奏曲ニ長調RV92
 リコーダー、ヴァイオリンとチェロ

協奏曲ト短調RV107
 リコーダー、オーボエ、ヴァイオリン、ファゴットと通奏低音。

中の解説に書いてあったが、ヨーロッパの中でイタリアは古楽器による演奏はドイツやイギリスなどと比べて元々盛んではなかったらしく、イル・ジャルディーノ・アルモニコは先駆的らしい。にしても、この楽団の演奏は他のオリジナル楽器による団体と演奏の激しさが格段に違って、結構独特なものを感じる。リュートの弾き方がフォーク歌手が激しくかき鳴らすギターのようだったり、古楽器のファゴットは低音をビリビリ響かせ、最後の収録作品の最終楽章で物凄い速さのトレモロを奏でるところとか、もの凄い。

C. P. E. バッハ:6つのシンフォニア

Symphony Hamburg 1-6
C.P.E. Bach
Capriccio
1992-11-12



カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの6つのシンフォニアWQ 182のCD。Edition Carl Philipp Emanuel Bachというシリーズの第2弾にあたる。スヴィーテン男爵の依頼で作曲されたものらしいが、存命中は出版もされず私的に演奏されたようで、全然知られないままだったらしい。

曲調はいかにもC. P. E. バッハらしく情緒不安定にコロコロメロディが飛躍的に展開し続けて激しく面白かった。

ハイドン、テレジア・ミサ、聖ニコライ・ミサ

MISSA SANCTI NICOLAI
J. HAYDN
DGGAR
1999-07-01



ハイドンのテレジア・ミサと聖ニコライ・ミサを面白く聞いた。前者の名前はウィーンの宮廷礼拝堂で奏されてから付いたのではないかと推測されている。後者はパトロンのニコラウス・エスターハージーから付けられたのではないだろうか、とのこと。

特に前者はハイドンの活力みなぎる力強い曲調で、トランペットとティンパニが華やかに加わっている。後者の方はその点抑えめだけれど、元気があってよい。最後のアニュス・デイはしっとりしているけれども。

ハイドンはこれだけ華やかで力強くて、モーツァルトよりも激しく情熱的で、聞いていて面白いところがたくさんあるのに、それでも一般にモーツァルトほど親しまれないのは、結局のところメロディがモーツァルト程印象に残らないからなんだろうかね。口ずさみやすい印象的なメロディという点になると、全体的にモーツァルトに軍配が上がるのかもしれない。けれども、ハイドンは好きなんだが。

からかい上手の高木さん 5




読んだ。以前よりずっと好きで読んでいる。

主人公の西片は同級生の高木さんにいつもからかわれるばかりで、逆にからかってやろうと考えても全てその考えはことごとく読まれて失敗するのだが、今回は最後にこの流れを変えてしまう。からかおうと考えるのではなく、不意にこぼした一言が高木さんの胸のうちを少し乱すのだ。計算しても読まれてしまうが、高木さんの予測不可能な範疇の、計算に基づかない発言が西片から発せられることで、どうやらこれからこの作品に新たな流れが始まろうとしているかのようであり、また新たなるときめきと悶絶を予期させる。

ちょっといっぱい! (1)




読んだ。高校生が居酒屋でバイトすること自体はどうなのかな、と思うところはあるが、高校進学のために一人暮らしをしている主人公、宮原もみじが温かい仲間に支えられて得意な料理をふるまい、お客さんも本人も笑顔になる温かい話である。

美味しそうな料理を作っていて評判もよく、店の雰囲気も安らげるいい感じで、嗚呼、美味しいお酒と料理を食べに行きたいものだ、という気分になる。

主人公の祖母の話や、何やら寂しい事情を抱えている同じ学校の友人との関係とか、今後どうなっていくのか、諸々期待させる。

秋田妹! えびなちゃん 1





『干物妹! うまるちゃん』のスピンオフ作品。秋田から一人東京の高校に行くため、戸惑いながらも上京して暮らし始める海老名菜々の心温まる話だった。秋田のローカルネタ(ババヘラ・アイス、アベックトーストなど)やほんわかしたギャグを随所に交え、日常的ではあるがしかし、先に上京した兄を探すという大きな目的に向かって展開していく。

登場人物たちのローカルな常識が東京に来た時に通じない時に見せる反応が愛らしく面白い。そういう楽しみ方は都会的な感覚に浸り過ぎているからかもしれないけれど、実際この世代の秋田県民はどう思うのか、聞いてみたくはある。

最近、各地の方言に興味があって、ともすればどんくさいとか田舎臭いとか隠すべきものと見られてしまうこともあるが、語彙もイントネーションも私は聞いていて楽しい。意味が通じないレベルになってしまうと、確かに困る場面は出てくるけれども。

そういえば、最近好きな『くまみこ』もちょっと系統的に近い要素があるな。
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