バッハ父子のトリオ・ソナタ集

バッハ父子のトリオ・ソナタ集
ニコレ(オーレル)
日本コロムビア
2005-12-21



フルートの名手オーレル・ニコレとオーボエの名手ハインツ・ホリガーが通奏低音と一緒にヨハン・ゼバスティアン及びその次男カール・フィリップ・エマヌエルのバッハ父子のトリオ・ソナタを演奏したもの。豪華な競演であるし、この二人ならいい演奏は間違いないだろうと期待する。

J. S. バッハの一曲目ニ短調BWV1036は実際は他の作曲家が書いたんじゃないかと言われて、実際J. S. バッハらしくない展開をする曲なんだが、これはこれで聞いていて面白かった。たとえば第2楽章最後で通奏低音部がソロになって終わるところとか。

二曲目ト短調BWV1029はヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・チェンバロのソナタをフルートとオーボエを旋律楽器として編成し直したもの。ガンバのために書かれているが、その前にこのような原曲があったのではないかと推測されているようだ。

次のトリオ楽章ヘ長調BWV1040は約一分半の短い一楽章。カンタータ第208番のアリアから作られたようだ。その後さらにカンタータ第68番へと転用された。

後半はC. P. E. 作品。ニ長調のWq. 151とイ短調Wq. 148それぞれ、C. P. E. だけれどそこまでエキセントリックな曲調ではなく、比較的落ち着いて品のある楽曲であった。後者の第3楽章は動きが激しくて面白い。いわゆる多感様式が出ている。なお、C. P. E. の指定ではフルートとヴァイオリンを旋律楽器に使用することになっており、ここではヴァイオリン声部をオーボエが担当している。

真っ白なものは汚したくなる




最近、多分バッハと同じくらいの頻度で聞いている欅坂46のアルバム。初めて「不協和音」を聞いた時は、これは私のことを歌っているんじゃないかと思うくらいで、その内容に感動したね。本当に、僕は嫌だ!と思うことがたくさんあって……

ただ、アルバムに関しては購入をしばらく控えていた。収録曲をそれぞれの一部ではあれ全曲視聴してみて、シングル曲以外はいまいち力の入らない棒読みのような歌い方が多いものだったから、どうなのかなと思っていたのだ。

が、気に入っている曲もあって、とくに今泉佑唯(以下ずみこ)ソロの「夏の花は向日葵だけじゃない」が聞かせる歌なので、今回はType-Bを購入。欅のレギュラー番組で放送された幕張メッセでのライブ公演でサプライズ復帰してこの曲を歌って会場が騒然となった感動場面はよかった。ずみこの歌い方は聞きごたえがあって泣ける。題名の歌詞、名言だな。余談だが、この曲の雰囲気、若干西野カナっぽい気もする。

ただ、その他やはり全体的にはもうちょっと力というか声量がほしいなという印象。特別うまく歌ってくれと思っているわけじゃないが、力がきちんと入っていない歌い方なのが気になる。

悲しみよこんにちは

悲しみよこんにちは (新潮文庫)
フランソワーズ サガン
新潮社
1955-06-25



昔、サガンが人気を博した時代があったようで、サガンの小説は色々翻訳が出ている。作者が18歳の時のデビュー作がこれで、多分一番有名。主人公はセシルという名の少女。父親が女たらしでどうしようもなく、アンヌとエルザという二人の対照的な愛人が登場し、セシルとの友情やら軋轢やらが描かれる。あまり深い話じゃないというか、描かれるエピソードを通して登場人物が或は読者が何かを悟るでもない内容。登場人物の中では年長者で、精神年齢もそれなりのアンヌの描き方は段々味も出てくるのだが、あっけない結末をつけられてしまう。

深みのある話ではないが、ここに瑞々しい青春期の家族や恋愛に対する思いが示されているといえばそういうところはあるかもしれない。

訳文がかなり直訳調なのが気になった。無生物主語をそのまま主語として訳すような文章が多いし、「あなたがたには少しいらいらさせられるわ」なんて表現が出てくると、受け身の訳文にしなくてもいいんじゃないか、と思うが。

でも、なんか読んじゃった。

インディアスの破壊についての簡潔な報告




この前著作を紹介したセプールベダと対立して論争したラス・カサスの本。最初はなんてひどいことをと思いつつ読み進めていたのだが、段々書かれている拷問が酷過ぎて頁を繰るのが辛くなるほどであった。正直、気分のいいものではないのだ。

訳者による解説が充実していて、この本が政治的に利用されてしまったこととか、ヨーロッパの他の言語に訳されて広まった際のことなど、受容の歴史的な経緯が興味深く書かれている。

横浜合唱協会日独ジョイントコンサート

10月13日、横浜みなとみらいホール・大ホールで標記の演奏会が行われた。横浜合唱協会と交流のあるドイツのアマチュア演奏家団体であるアミチムジケ・ライプツィヒ(合唱&オーケストラ)が来日し、今回の公演が実現した。

全体は三部構成、横浜合唱協会によるバッハ、シュッツ、メンデルスゾーンのモテットや詩編などのプログラムが第一部、次いでアミチムジケ・ライプツィヒはブルックナー、メンデルスゾーン、ヴァイスマン、レーガーといった19世紀以降のモテットや詩編などを歌い、第三部でバッハのマニフィカトを合同で披露となった。

アミチムジケはアマチュア団体とはいえ、その多くは聖トーマス教会合唱団やメンデルスゾーン音楽院で音楽教育を受けた人が多いとのことで、レベルは高く、また結構若いメンバーが多いという印象であった。

いい音楽にはとりわけ涙腺の弱くなっている私は、一曲目のバッハのモテット「来たれ、イエスよ、来たれ」BWV229が始まって数秒で泣けてきた。この曲が一番泣ける曲だった。冒頭から曲の切実な雰囲気が確定し、繰り返される "Komm, Jesu, komm" というイエスへの心からの呼びかけが胸を打った。疲れ果てた「私」にとって生きる道が「重過ぎる(zu schwer!)」と歌われるところなど、特にその悲痛な叫びが各声部一体となって泣かせる。

バッハより約百年前の世代のシュッツの曲は普段あまり聞かないのだが、今回の演奏で雰囲気がよくわかった。そうだ、この感じか、と。

バロック・古典派を好んで聞くのに比して、ロマン派以降の音楽は一部を除いてそれほど頻繁には聞かないので、今回は特にブルックナー、ヴァイスマン、レーガーの合唱曲を知る機会となった。近代的、現代的な宗教楽曲の手法を味わった。

バッハのマニフィカトは好きだけれども、改めてこの音型にこの歌詞は歌いにくい組み合わせのように思った。特に冒頭の合唱の素早く細かな十六分音符に合わせてそれぞれの声部が「マアアアアアアアアアニーフィカート」と歌って重ねるところ。しかし、これを上手に歌いこなしてその間をトランペットが縫って進み出て、息の長い旋律とトリルを重ねて壮大に仕上がると、本当にバッハの緻密な作曲に感嘆する。

アンコールは同マニフィカトのグローリアが改めて演奏された。

久しぶりに演奏会行ったな。やっぱりバッハはいい。

第二のデモクラテス――戦争の正当原因についての対話




16世紀スペインのユマニスト、セプールベダによって書かれたスペインのインディオ征服戦争是認論。残酷な征服戦争に反対するレオポルドと、この戦争の正当性を論じるデモクラテスによる対話篇で書かれている。デモクラテスの理論は、率直にインディオに対して残酷なことをしていいというものではないものの、キリスト教布教の必要性から、やむを得ず征服戦争に至ってもそれは正当だという。その中で何か非道なことが起こっても、それによって征服戦争の正当性は否定されず、むしろインディオの野蛮な宗教や風習をそのままにしておくことは自然法に反し、その方がさらに問題なのだ、と説く。

レオポルドがそこにいくら疑問を投げかけても、デモクラテスの主張は変わらず、聖書や神学者たちの著作から引用しつつ、自説の正当性を譲らない。カトリックにおけるキリスト教の神の絶対的正しさの前にインディオの宗教が認められていないのだが、その際自然法という言葉を使ってこれを普遍的な基準による判断であるとして繰り返し説明する。

結局は何が何でもキリスト教が正しいという理屈であるため、どうしても不本意な気分にはなる。ただ、当時のスペインではこのような主張ばかりが説かれていたのではなく、征服戦争への反対の声は強く、有名なのはラス・カサスによる反対。セプールベダはラス・カサスの主張への反論を込めてもいる。世に戦争の脅威がある限り、そしてその正当性や不当性を巡って疑問が湧く限り、この本を読む意義はあろうと思う。

C.P.E. バッハ:鍵盤協奏曲全集 VOl.12




ハンガリーの演奏家たちによるC. P. E. バッハの鍵盤協奏曲集の12枚目。タンジェント・ピアノを使用している。内容は以下の通り。

協奏曲ヘ長調 H. 454 (W. 38)
ソナチナニ長調 H. 456 (W. 102)
協奏曲ハ長調 H. 423 (W. 20)

いかにもC. P. E. 的な唐突な展開の曲はハ長調の協奏曲なのだが、解説によると1760年代以降に作曲されたものかどうかで特徴がかなり異なるようだ。この曲は1746年の曲で、他の2曲は60年代。60年代からは落ち着いて均整の取れたスタイルになる。落着きの無さが独特のC. P. E. らしくて面白いのでもあるが。

ヘ長調の方は第2楽章がモーツァルト風な感じがした。ソナチナは 楽器編成は協奏曲と同じだが、ソロと合奏の掛け合いがなく、鍵盤楽器のオブリガートがついたオーケストラ曲という雰囲気。

グレート・ギャツビー

グレート・ギャツビー (新潮文庫)
フィツジェラルド
新潮社
1989-05-20



有名なアメリカ文学作品、フィツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、金持ちの若者たちがパーティーやら恋愛やらでしばらく話を繰り広げるのだが、それがこの話の最初の三分の二ぐらいを占める。そんな豪奢な生活の描写が続いて何が面白いのかそんな虚飾が、と思ってしまったのだが、まさにその豪華な生活と表裏一体の虚しさが最後の三分の一で畳みかけるように描かれている。そこにくるまでは、正直あんまり好みではないなと思いつつ読んでいたのだが、それがあっての最後の虚しさである。派手な生活とそれを追いかけることへの省察が、アメリカ西部と東部の対比や、「失われた世代」の精神性の問題と関り合って示され、じわじわと切なくなる結末であった。

ハイドン 弦楽四重奏曲作品20、1-3

String Quartets Op 20 1-3
Haydn
Naxos
1994-02-15



ハイドンの弦楽四重奏曲というと、たとえば「ひばり」のように非常に華やかで、名人芸的な華麗なパッセージを駆使した楽曲というイメージがあるのだが、作品20を聞くと、昔はそうでもなかったのかな、と思う。モーツァルトの弦楽四重奏曲も派手な展開があまりないけれど、それに近い雰囲気だった。

このCDはコダーイ・カルテットによる作品20の1から3までが収められている。

第1番変ホ長調
第2番ハ長調
第3番ト短調

Vivaldi Concerti da Camera 2

Concerti Da Camera 2
Vivaldi
Elektra / Wea
1993-03-09



イル・ジャルディーノ・アルモニコによるヴィヴァルディの室内協奏曲集第2集。リコーダー、オーボエ、ファゴットのみの編成によるRV103のような小規模の協奏曲も含まれる。3本の楽器しかないなら三重奏曲の編成ともいえるのだが、ヴィヴァルディのいう協奏曲(concerto)は必ずしもソロ楽器と別個のオーケストラがあるわけではなく、この3つの楽器でリトルネロ形式を展開していく。だから、合奏によって繰り返される主題と、その合間のソロ楽器の対照は、これによって表現されるのだ。そこに協奏曲らしい響きがある。

このシリーズのCDは全部で4枚あるのだが、第2集にはトリオ・ソナタの「ラ・フォリア」も収録されていて、これも印象的。激しく叩きつけるような音を鳴らして変奏する部分もあって、衝撃的な演奏。
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