MAGNA HISTORIA

The Life and Opinions of Ando Rei 安藤麗の生活と意見

シューベルト:歌曲集(冬の旅)
プレガルディエン(クリストフ)
ワーナーミュージック・ジャパン
2004-01-21



クリストフ・プレガルディエンのテノールとアンドレアス・シュタイアーのフォルテピアノでシューベルトの「冬の旅」を聞いた。

冷たい冬の風景を描き出しつつ、その中を孤独に歩む人間の憂鬱な姿が歌われる歌曲集。24曲からなる「冬の旅」だが、ほとんどが悲しい歌。風見鶏を見れば嘲われているかのようで、春の花を見たと思えば夢に過ぎず、自分あての手紙なんてあるはずないのに郵便馬車に動機が高鳴ったりなど、ヴィルヘルム・ミュラーの詩も悲しいが、シューベルトが付けた音楽もほとんど短調で物悲しいものばかり。

シューベルトはこの曲の第2部の校正作業をして死んでしまった。レクイエムを作曲して完成せずして亡くなったモーツァルトのように、シューベルトもまた晩年の作曲エピソードが自らに重なって悲しいな。
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順を追って聞いているわけではないのだが、これが鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンのカンタータ・シリーズ最終巻となる。祝典的な楽曲3曲が収録されている。

BWV69は初演が1748年と考えられ、市参事会員交代式のための曲らしい。バッハの人生の終わり近くに初演されたということになるが、そもそもは1723年初演のカンタータの改作で、状況に合わせて中身を少し変えたようだ。

BWV30は恐らく1738年に初演。これもその前年に作った世俗カンタータを教会カンタータに作り変えたもの。演奏時間が30分を超え、二部形式からなる長大な作品。ロビン・ブレイズによるカウンターテナー、及びハナ・ブラシコヴァによるソプラノのアリアが非常に伸びやかでよかった。

最後のBWV191はラテン語歌詞の作品で、ロ短調ミサのグローリアを改作した3楽章形式になっている。ちょっと珍しい作品で、初演年代については付属の解説に詳しく、1743年から46年の間に絞られるのだが、さらに1992年に発表された音楽学者グレゴリー・G・バトラーによる説では1745年と考えられ、第2次シュレージエン戦争が終結して結ばれたドレスデン条約を記念して急遽作られたのではないかとのこと。だから旧作のロ短調ミサを改作することで間に合わせる必要があったのじゃないかということだ。楽章数も少なく、歌詞の内容からしてもいわゆるバッハのカンタータとは趣を異にしている。

カンタータ・シリーズ最後を飾るにふさわしい、華やかな祝祭ムードの満ちる作品3曲が収まっている。
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Lassus: Missa Osculetur Me
unknown
Gimell
1993-06-28



ルネサンス音楽はあまり聞かないのだが、ラッススのこの曲は二重合唱を使っているということで、立体的で面白い楽曲かなと思って聞いてみた。

ミサ曲「オスクレトゥル・メ(その口で私に口づけを)」は、モテトゥス「オスクレトゥル・メ(その口で私に口づけを)」を作り変えてミサにしたもので、CDの1曲目に収録されているのがモテトゥスで、その後このミサ曲が収録されている。その後には「今日、聖霊降臨の日は来たりぬ」「恐れと震えが」など6曲のモテトゥスが収録されている。

割と伝統的なルネサンスのポリフォニー音楽の雰囲気だった。聞きやすく、何度も聞けた。静かに落ち着いた気分でいたい時とか、しんみりとした雰囲気のBGMがほしいときにはいい。タリス・スコラーズの合唱が透明感のある美しさを披露している。
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劇団れなっちによる「ロミオ&ジュリエット」を見た。全て48グループのメンバーによる公演で、キャストは白組公演と黒組公演とで分かれている。私が見たのは白組で、主役の二人はロミオ=神志那結衣(以下じーな)、ジュリエット=岡田奈々(以下なぁちゃん)という組み合わせ。最初にこのキャストを知ったとき、ジュリエットになぁちゃんというのが意外だったのだが、実際に始まってみると、なるほどこういうことかと納得する翻案がなされていた。

シェイクスピアの原作にある設定はところどころ変えられている。元はモンタギュー家とキャピュレット家それぞれの対立を越えて両家の若きロミオとジュリエットが愛し合う悲恋の話であるが、今回はそれが真逆で、仲の良い両家であるにもかかわらず、ロミオとジュリエットは仲が悪い。そしてジュリエットは伝統的な乙女チックなヒロインではなく、言葉荒く「男勝り」な性格の持ち主で、ロミオと喧嘩ばかりしているのだ。ボーイッシュな雰囲気もあるなぁちゃんにジュリエットの役を配したのはこういうことか、と納得した。

このような大きな設定の変更があるものの、有名なバルコニーの場面もあるし、そしてやはり最後は悲恋としてまとまる。仲の悪かった二人は実は素直になれていなかったのであり、本心を打ち明けて二人は強く結びつく。が、それが街で起こる事件によって阻まれ、その障壁を乗り越えようとするのである。ところどころ時事ネタやギャグを織り交ぜたり、『ハムレット』のセリフが挿入されるなど、パロディの要素もある。また、メインの二人以外の脇役、ベンヴォーリオ、バルサザー、ティボルトらのエピソードもメインの物語に負けない存在感があり、複数の物語の伏線が最後は一つに結実する。全体的に凝った物語となっている。

48メンバーに舞台役者としてあまり要求するのは酷なのかもしれないが、劇場で見る舞台という観点からすると、正直に言えば、滑舌がいま一つのところもあり、セリフが聞き取りづらいところもあった。とはいえ、じーなは中々の演技力を見せていたし、なぁちゃんの演技も力強かった。劇本編終了の後はちょっとしたライブが行われ、そこでは写真撮影が許可された。以下、その一場面である。

劇団れなっち

充実した公演であった。
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美少年時代のメンデルスゾーンの肖像画がジャケットに使用されているが、メンデルスゾーン11〜14歳の時に作られた曲、しかもすべてニ短調の作品が収められている。収録曲は以下の4曲。

弦楽のための交響曲第7番 ニ短調 MWV N7
ヴァイオリンと弦楽のための協奏曲 ニ短調(第1稿) MWV O3
ピアノと弦楽のためのレチタティーヴォ(ラルゴとアレグロ) ニ短調 MWV O1
ヴァイオリン、ピアノとオーケストラのための協奏曲 ニ短調(弦楽稿) MWV O4

あまりロマン派時代の曲は頻繁に聞かず、その理由の一つはあまり甘ったるい曲調や感傷的に過ぎる曲が個人的な好みと相容れないからなのだが、その点メンデルスゾーンは美しいメロディを聞かせながらも、全体的な曲調は結構はっきり、力強く、明快で、それがかっこいい。なので、いくつか好きな曲もあるのだ。今回は珍しい曲を聞くこととなった。

印象的なところを記すと、一曲目は冒頭からユニゾンの主題がかなり力強いユニゾンで奏される。バッハ風というか、分散和音の音型が頻出したり、あるいはコレッリの合奏協奏曲にもよく登場するような2声が隣接した音程を重ねながら進んでいき、古典的な曲調が残っている。最後のヴァイオリン、ピアノとオーケストラのための協奏曲の方がよりロマン派的な響きが強いが、作曲時期はそれほど隔たってはいないようだ。細かく疾走するような音型をヴァイオリンとピアノが揃って演奏するところが見事だった。

演奏は桐山建志と仲間たちによるアンサンブル&小倉貴久子、ピリオド楽器によるライブ録音である。
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Vocal Music-1
C.P.E. Bach
Capriccio
1992-11-12



カプリッチョというレーベルが出しているカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品シリーズ第13弾、宗教声楽曲集(1)。カール・フィリップ・エマヌエルの作品は、協奏曲だと次の小節で曲がどういう方向に展開するのか予測のつかない突飛さがあって、それがまた面白くもあるのだが、宗教声楽曲ではそこまで唐突に曲調が変わることはないようだ。といっても、楽章が改まるとガラッと雰囲気が変わることはある。前古典派の声楽曲の面白みを感じる、聞きごたえのある作品群だ。

収録されているのは「クロプシュトックによる天地創造祭の朝の歌」Wp239 (1784) の他、クリスマスや復活祭など行事のために作曲された曲で、独唱、重唱、合唱が管弦楽の伴奏と共に繰り広げられる。クロプシュトックというと主に18世紀後半に活躍したドイツの詩人なのだが、その詩が使われている一曲目は印象的で、オーケストラが穏やかに夜明けを描写して太陽を讃える歌が始まる。最後はトランペットとティンパニを伴った華やかなハレルヤでまとまる。

その他のカンタータなどもよかった。ソプラノが結構高音で歌う部分が多くて、そこは歌詞が聞き取りづらかったけれど。
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モーツァルト:宗教音楽全集第10集(小品集2)
アーノンクール(ニコラウス)
ワーナーミュージック・ジャパン
2002-03-27



プロテスタントのバッハのカンタータを詳しく聞き続けていると、モーツァルトの宗教音楽を聞いてみたとき、特にこのCDに収められている曲目はそうなのだが、歌詞にカトリックのマリア信仰が強く感じられる。ちなみに、どれもモーツァルトが10代半ばから20代初めにかけて作った曲だ。

「天の女王」や「テ・デウム」その他、11曲も小品が収録されており、今日頻繁に演奏される名曲というよりは、珍しい曲が並んでいる。けれど、「天の女王」K. 108は高揚感のある楽しい曲だと思うし、ソプラノ二重唱の「主の御母なる聖マリアよ」は優雅で美しい。
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J・S・バッハ:カンタータ集 第8集
鈴木雅明(指揮)バッハ・コレギウム・ジャパン
Bis
1998-10-31



鈴木雅明指揮、バッハ・コレギウム・ジャパンのカンタータ・シリーズ第8集を聞いている。これはライプツィヒ時代のカンタータ第1弾でもある。

本当に全体で透明感のある響き。そして、この頃はカウンターテナーが米良さんだった。聞かせる歌唱。98年の録音。

最初の二曲、第22番「イエス十二弟子を呼び寄せて」と第23番「汝まことの神にしてダビデの子よ」はバッハが1723年のトーマス教会のカントル採用試験のために演奏されたもの。後者の方が評価が高いようだが、個人的には前者の方が好きだ。アリオーソで始まり、テノールの語り手が短く入った後にイエス役のバスが入るという受難曲のような雰囲気で、さらに後続の合唱もその弟子たちを表している。とても充実した展開で、アリアも聞きごたえがある。

次に、二部からなる大きな規模の75番「貧しい者たちは食べて」であるが、冒頭はホ短調、オーボエのソロを間に挟んだフランス風序曲のような付点リズムの管弦楽の響きが衝撃的。後半部の速いテンポと対照をなす。第2部は明るいシンフォニアで始まるのだが、これも面白く、細かい弦楽の動きの上でトランペットが第1部最後のコラールの旋律を堂々と歌い上げる。アルトのアリアはホ短調であるが、その後にはトランペットがオブリガートに入ったハ長調のバスのアリアもあったりと、喜びに満ちた曲が際立ち、第1部と陰陽をなしている。
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昔よくイ・ムジチ合奏団(ヴァイオリン独奏はピーナ・カルミレッリ)の演奏でヴィヴァルディの「四季」を聞いていたが、今回イタリア合奏団の演奏で久しぶりに通して聴いた。改めてとても感動的な作品だと思う。イタリア合奏団は「四季」を含めた作品8全曲を2枚のCDに収録して出している。そのうちの前半がこれ。

溌溂と明るく活気あふれる「春」もよいが、うだるような雰囲気を醸し出す「夏」もよい。「夏」はイ・ムジチで聞いた時よりもテンポがやや緩やかだが、その方がむしろ夏の暑さの厳しさが出てよいと思う。嵐の描写など激しい部分もあるが、これが寒々しい冬のような雰囲気になってしまっては、標題音楽の演奏としてはやはり今一歩になってしまうだろう。そこをうまく暑さで気怠くなる雰囲気描写が成功していていいと思った。

「春」〜「冬」までの他、第5番「海の嵐」、第6番「喜び」も収録されている。後者の第3楽章は、みうらじゅん氏と安齋肇氏が出ていた「笑う洋楽展」という番組で使われていた曲だ。
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Bach: Secular Cantatas
Bonney
Philips
1995-03-24



レオンハルト指揮、エイジ・オブ・インライトゥンメント管弦楽団および合唱団、ソリストにはバーバラ・ボニーもいる、バッハの世俗カンタータ二曲、コーヒー・カンタータとヘラクレス・カンタータを収録している。

バッハの宗教声楽曲が好きでよく聞くけれども、改めて世俗カンタータを聞いてみても、やはりバッハの曲は本当にいいなあと惚れ惚れした。が、実はこれ、レオンハルトのこの演奏だからそう感じた部分もあるかもしれない。というのも、世俗カンタータの割には謹厳実直に演奏し過ぎているんではないのかなとも思うのだ。真剣で美しいし、しっかりとした演奏で、その雰囲気は好きなのだけれども、歌われている内容に照らせば、もっと茶目っ気や感情的部分があった方が面白いんじゃないか、それなしに、つまり、大げさな言い方をすると教会カンタータのような演奏をしたら、この曲の面白みが半減するんじゃないか、とも思うのだ。

コーヒー・カンタータの内容は、コーヒー中毒の娘に父親が怒り、それじゃ結婚はできないと言うのだが、娘はコーヒーを認めてくれる旦那という条件で結婚することにして、最後はとにかく大団円というもの。たわいもない話だが、トーマス教会のカントルを務めていたバッハは、同時にコーヒーハウスのコンサートにも楽曲を提供しており、この曲もそのために作られたと考えられている。実にコーヒーハウス向けの内容。有名な「嗚呼、なんてコーヒーはおいしいのでしょう」というソプラノのアリアがあるが、ボニーは普通に真面目に美しく歌っている。だけれど、妙に美しく素敵なフルートのオブリガートのついたアリアで、その内容がコーヒーのうまさを讃えるというギャップのおかしさがあまり際立っていない。美しく歌うのはもちろんいいのだが、歌詞の内容が加わったときのギャップが面白いのだから、「普通に真面目に」美しい歌唱じゃなくて、もっと「妙な」美しさが際立つような演奏の方が面白いんじゃないか。ソプラノ・アリアに限ったことではないけれど。

ヘラクレス・カンタータはザクセン選帝侯の息子の誕生日のために演奏されたもの。ギリシア神話の英雄ヘラクレスが快楽と美徳のどちらを取るかで逡巡するが、美徳を選んでめでたし、という内容。ザクセン選帝侯の息子にふさわしいよう、教訓的なメッセージがこもっているように思われる。この曲の多くが後でクリスマス・カンタータに転用される。世俗音楽が教会音楽に?という違和感が生じてもおかしくはないはずだが、これもレオンハルトの演奏がとても真摯なので、そういうギャップを感じさせない。

ほめているのかほめていないのかわかりにくい紹介になってしまったが、とてもいい演奏だとは思うのだ。音楽として。特にバッハの大真面目な宗教音楽が好きな私には、こういう雰囲気がバッハの音楽の良さとして聞こえる。けれど、その内容を考えたらもっと面白みがあってもいいはずなのだ。ただし、俗っぽいバッハの音楽が好きになれるかというと、そこで好みを試されるようにも思う。
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