不幸論 (PHP文庫)
中島 義道
PHP研究所
2015-05-02



久しぶりに中島義道先生の本を読んだ。ジャケットのムンクが良い。

ずっと前に『孤独について』を読んだ時、自分と同じような考え方をする人がこの世にいることに驚き、感動した。中島氏の本で最初に読んだ本だった。この文庫は最近出たものだが、もとは新書で2002年に出たものだから、その頃からそれほど隔たった時期の著書ではない。だから、書かれる内容に見られる問題意識もかなり共通した、というかやっぱりこのエピソードをずっと抱えてこういう結論に至るのだな、という部分が多い。そして、私自身も2015年になって人生の不幸に対する見方は以前とそんなに変わっていないな、と思う。

本書では、幸福になれないとまでは言わないものの、それは極めて難しく、生きている限り絶対的に不幸だと説かれている。自分の意思とは関係なくこの世に生まれ、結局最後は死ぬという不条理を抱えている限り、絶対的に不幸なのだ。幸福感を感じるならそれはただ、不幸な状況から目を逸らしたり、麻痺しているだけ。

ところどころ色々な哲学者の言葉の引用もしながらいかに人間が不幸なのかを論じ、だからといって死んだ方がいいというわけではなく、安易に幸福を求めて生きるより、不幸であっても真実を直視して生きる方が良いと説いていく。ただ、前半は私もそうだそうだと思って読めるところが多いのだが、第4章辺りから著者自身のエピソードが折り重ねられ、そこから導き出した著者の結論に対して、いや、ここはそこまで極端に捉えなくてもいいんじゃないか、というところもあった。といっても、長年自分の不幸に対しては「修行」を積んできた著者であるから、反駁されてしまうかもしれないが。

たとえば、幸福感を抱いても、それは不幸なこの世の状況が視界に入っていないだけで、本当は不幸なんだという考え方。どんなに幸福に見えても常に不幸に浸食されてしまうかのような構図に見えるのだが、それなら不幸が全面的に自分を襲っても、視界の外にどこか幸福な状態が控えていると想定することはできないのか、とも思ったのだ。幸福感の裏に不幸があるのだから不幸、であれば、不幸な感覚に襲われてもその裏には幸福があるから幸福の可能性もある、という考え方は成立しないのかどうなのか。この世に生きる限り、あくまで不幸が絶対的基準のように存在するのだろうか。そこは私も疑義を抱きつつ、しかし軽薄に幸せを押し売りする人々への批判には共鳴するところ多々あった。よい読書だった。