2015年06月23日
【舞台】 メアリー・スチュアート(2015)
ふたりの人間がまったく対照的な存在であっても、どこかに同じ心のかけらを宿していることは少なくない。ことほどさように、対照的であるというだけで、ふたりがまったく違う人間だと決めつけるべきではないのである。鏡の中の自分は、左右が逆に見えるだけで、まったくもって自分自身なのだから。舞台「メアリー・スチュアート」は、同じ時代に生きた二人の女王の壮絶な生きざまの物語。何から何まで比べられた女と女の息詰まるような愛と憎しみの記録である。しかも彼女らを演じるのは女優としての純度が当代随一のふたり、中谷美紀と神野三鈴。その演技のぶつかり合いもまた、演劇史における「事件」そのものである。
★舞台「メアリー・スチュアート」公式サイト
ここでの主役はふたり。イングランド国王ヘンリー8世と妻の侍女で後に王妃になったアン・ブーリンとの間に生まれた娘エリザベス1世と、スコットランドの女王として生まれ、フランス皇太子と結婚するも早くに亡くして帰国してきたメアリー・スチュアート。当時、イングランドとスコットランドは対立関係にあり、スコットランドはイングランドの敵であるフランスと友好関係を保っていたという背景がある。
ふたりはともに女王の座についたが、それにいたるまで、そしてその後も決して幸せな日々ではなかった。しかし二人はそれぞれに生きた、懸命に。
エリザベス1世は、母親のブーリンが女児であるエリザベスを生んだためにヘンリー8世に処刑され、エリザベスも王室から追放される。ヘンリー8世が後妻との間にもうけた男児が即位するも急死し、エリザベスの従姉妹メアリー・テューダーが即位する。テューダーはスペイン国王と結婚したばかりか、プロテスタントを徹底的に迫害し、エリザベスも敵対視して処刑の機会をうかがうことになる。しかしやがてテューダーは病に冒され、しぶしぶエリザベス1世への王位継承を承諾したのだった。
一方、メアリー・スチュアートは、結婚したばかりの夫、フランス皇太子の急死の傷も癒えないままスコットランドに帰国し、プロテスタントが勢力を伸ばしていた国内を憂慮して、カトリック再興に尽力。プロテスタントの多い貴族階級と激しく対立するようになる。そしてこの後の結婚は幾度も失敗に終わる。反乱でスコットランドを追われイングランドに亡命するが、王位継承権を利用しようとする勢力の存在で生活は安定せず、ついにはエリザベス1世暗殺計画への関与を疑われて、投獄されてしまうのだ。
王位にいるエリザベス1世と獄中のメアリー・スチュアート。これがこの舞台「メアリー・スチュアート」の出発点である。
きっと自国の歴史を徹底的に教えられているであろうイングランドやスコットランドの国民(現時点では双方とも英国民ですが、独立を模索するスコットランドの方々にも敬意を表してこういう表現をさせていただきます)でもなかなか頭に入れにくい、王位の変転。ましてやひとりの女性の時間軸で見ていくことなどそうあるものではないだろうから、なかなかに理解しづらいところではある。歴史を軽視(必要以上に重視する政治家も多いが、それはおいといて)しがちな日本人には、他国の歴史であるということもあって、すんなり理解できている人は多くないと思われるが、なんとかこのあたりのベースをきちんと分かっていないと面白くないので、頑張って頭に入れておきたいところだ。
ありがたいことに、近年は、例えばヘンリー8世については、海外ドラマ「チューダーズ<ヘンリー8世 背徳の王冠>」の主人公だし、メアリー・スチュアートの恋愛体質は海外ドラマ「REIGN/クイーン・メアリー」の主要なテーマ。アン・ブーリンの姉妹メアリーは映画「ブーリン家の姉妹」で描かれ、エリザベス1世の生涯は映画「エリザベス」と映画「エリザベス:ゴールデン・エイジ」でたっぷりと描かれている。そしてエリザベス1世とメアリー・テューダーの確執とエリザベスの即位については、昨年東宝がミュージカル「レディ・ベス」の主要テーマとして描き世界初演して高い評価を受けたばかりだ。参考資料は山ほどあると言っていい。
エリザベスとメアリー。一見対照的なふたりだが、エリザベスは胸に熱く思いを秘めた男性がありながら、国の未来との天秤にかけ、生涯独身を貫いたし、メアリーは奔放に結婚を繰り返すが、常に災いがつきまとい、幸せにたどり着かない。そこには、国の未来に責任を担わされた重い立場の中にも、常に女の業が見え隠れするのである。
かつてある女性に「よく『女の業(ごう)』っていうでしょ。女にも男にも業はあるけど、女の業を男が背負ったら、10秒ぐらいで死んでしまうと思うわ」と言われたことがある。その時の私が、業そのものではなく、死んでいく哀れな男のことばかり考えていたから、のちのちその女性にとんでもない煮え湯を飲まされることになったのだと、今になってみれば分かるのだが、ことほどさように、女の業とはやっかいなものだ。
幸せになるためにそうするのに、それは幸せから遠ざける結果に結びついていく。では、それを封印したときに、いったい何が得られるのかもまたまったくの霧の中である。
このふたりの女王の物語は当然、ヨーロッパでは身近なものである。本作はさらに、フリードリヒ・シラーの「メアリー・スチュアート」をイタリアの劇作家ダーチャ・マライーニが女性だけの芝居として自由に翻案したものである。
つまり、ふたりは16世紀のあの時代、確かに歴史の表舞台に立ち、歴史をつくった施政者たちであったが、その後、男たちが作った「歴史」には彼女たちの「女の真実」は含まれていない可能性が高く、こうして、女の視点によって、歴史を語ることがいかに重要なことかが分かる。
★ダーチャ・マライーニ作「メアリー・スチュアート」=単行本


女優ふたりによる二人芝居、であることは間違いないが、いわゆる濃密な空間の中で、二人の女が激突するというたぐいの、息詰まる二人芝居とはやや趣を異にしている。
登場人物は5人いて、メアリーとその乳母、エリザベスとその侍女、そしてほかにもう一人である。
主なシーンは、それぞれ、エリザベスと侍女の会話、メアリーと乳母の会話である。親以上に親密な関係だったはずの乳母や侍女に日頃から喜びも悲しみも愚痴も叫びも何でも話していたはずのメアリーとエリザベス。その会話によって、歴史も現実もすべてが表現されていく。演劇という企てのもっとも得意とする表現方法といっても良い。
その舞台に立つのは中谷美紀と神野三鈴。
中谷はテレビや映画での活躍が目立っていたが、2011年にフランソワ・ジラール演出の舞台「猟銃」で初舞台を踏み、紀伊國屋演劇賞個人賞と読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。2013年には三谷幸喜演出の舞台「ロスト・イン・ヨンカーズ」で読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞するなど、数少ない舞台出演で着実に成果を上げてきた。「猟銃」での静謐さ、「ロスト・イン・ヨンカーズ」でのややたがのはずれた陽気さと切なさ。映像作品で獲得したあまたのイメージのさらに上を行く舞台での演技。その神々しい存在感は、舞台こそが最も輝く場所なのだと思わせるものだった。
神野は明確なビジョンに基づいた演技で自らの価値をひとつひとつ高めてきた実力派。演出家の要求に応えるだけでなく、誰もまねのできない世界を舞台上に作り上げることのできる感性のほとばしる女優である。既に脇に置いてそれで済む女優ではなくなっており、井上ひさし作品への相次ぐ起用、演劇史に名作の誉れ高い作品にも引っ張りだこだ。近年は、映像作品への進出も目立ち、「駆込み女と駆出し男」「日本のいちばん長い日」と話題の映画にも出演している。
中谷は、メアリーの持つプライドと、愛への激しい渇望感、そして想像することすら許されない未来への不安をない交ぜにしながら、それでもすくっと立つ凜としたメアリーの姿を全身で表現していく。
神野は、施政者として優位な立場に立ちながらも、決してメアリーに対して揺るぎない優越感を持っていない自分にも世間にもいらだっているエリザベスの姿をそれでも、静かに、悠々しく造形していく。
交互に演じられていくそれぞれのシーン。二人が相対していないのに、まるで互いが互いの前で言葉をぶつけているような緊張感が襲い、そしてシーンが重ねられていくことによって徐々に高揚感が伝わってくる。
演出のマックス・ウェブスターはテアトル・ド・コンプリシテでサイモン・マクバーニーとともに舞台づくりをしていた気鋭の若手。日本が誇る二人の女優の演技を自由に膨らませながら、より高い場所へと観客を導いていく。
オペラで知られるドイツ人のデザイナー、ジュリア・ハンセンの美術、世界的アーティスト、ワダ・エミの衣裳と、超弩級のスタッフワークも見逃せない。
舞台「メアリー・スチュアート」は、7月5日まで東京・渋谷のPARCO劇場で、7月11〜12日に大阪市のシアター・ドラマシティで、7月15日に広島市の広島アステールプラザ大ホールで、7月18〜19日に名古屋市のウインクあいち大ホールで、7月24日に新潟市のりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館劇場で、7月30日に福岡市のキャナルシティ劇場で上演される。
上演時間は約1時間40分(休憩なし)。
<チケット購入は>=販売状況は各自お確かめください
★PARCO劇場
★チケットぴあ
★e+(イープラス)
★ローソンチケット
★舞台「メアリー・スチュアート」公式サイト
ここでの主役はふたり。イングランド国王ヘンリー8世と妻の侍女で後に王妃になったアン・ブーリンとの間に生まれた娘エリザベス1世と、スコットランドの女王として生まれ、フランス皇太子と結婚するも早くに亡くして帰国してきたメアリー・スチュアート。当時、イングランドとスコットランドは対立関係にあり、スコットランドはイングランドの敵であるフランスと友好関係を保っていたという背景がある。
ふたりはともに女王の座についたが、それにいたるまで、そしてその後も決して幸せな日々ではなかった。しかし二人はそれぞれに生きた、懸命に。
エリザベス1世は、母親のブーリンが女児であるエリザベスを生んだためにヘンリー8世に処刑され、エリザベスも王室から追放される。ヘンリー8世が後妻との間にもうけた男児が即位するも急死し、エリザベスの従姉妹メアリー・テューダーが即位する。テューダーはスペイン国王と結婚したばかりか、プロテスタントを徹底的に迫害し、エリザベスも敵対視して処刑の機会をうかがうことになる。しかしやがてテューダーは病に冒され、しぶしぶエリザベス1世への王位継承を承諾したのだった。
一方、メアリー・スチュアートは、結婚したばかりの夫、フランス皇太子の急死の傷も癒えないままスコットランドに帰国し、プロテスタントが勢力を伸ばしていた国内を憂慮して、カトリック再興に尽力。プロテスタントの多い貴族階級と激しく対立するようになる。そしてこの後の結婚は幾度も失敗に終わる。反乱でスコットランドを追われイングランドに亡命するが、王位継承権を利用しようとする勢力の存在で生活は安定せず、ついにはエリザベス1世暗殺計画への関与を疑われて、投獄されてしまうのだ。
王位にいるエリザベス1世と獄中のメアリー・スチュアート。これがこの舞台「メアリー・スチュアート」の出発点である。
きっと自国の歴史を徹底的に教えられているであろうイングランドやスコットランドの国民(現時点では双方とも英国民ですが、独立を模索するスコットランドの方々にも敬意を表してこういう表現をさせていただきます)でもなかなか頭に入れにくい、王位の変転。ましてやひとりの女性の時間軸で見ていくことなどそうあるものではないだろうから、なかなかに理解しづらいところではある。歴史を軽視(必要以上に重視する政治家も多いが、それはおいといて)しがちな日本人には、他国の歴史であるということもあって、すんなり理解できている人は多くないと思われるが、なんとかこのあたりのベースをきちんと分かっていないと面白くないので、頑張って頭に入れておきたいところだ。
ありがたいことに、近年は、例えばヘンリー8世については、海外ドラマ「チューダーズ<ヘンリー8世 背徳の王冠>」の主人公だし、メアリー・スチュアートの恋愛体質は海外ドラマ「REIGN/クイーン・メアリー」の主要なテーマ。アン・ブーリンの姉妹メアリーは映画「ブーリン家の姉妹」で描かれ、エリザベス1世の生涯は映画「エリザベス」と映画「エリザベス:ゴールデン・エイジ」でたっぷりと描かれている。そしてエリザベス1世とメアリー・テューダーの確執とエリザベスの即位については、昨年東宝がミュージカル「レディ・ベス」の主要テーマとして描き世界初演して高い評価を受けたばかりだ。参考資料は山ほどあると言っていい。
エリザベスとメアリー。一見対照的なふたりだが、エリザベスは胸に熱く思いを秘めた男性がありながら、国の未来との天秤にかけ、生涯独身を貫いたし、メアリーは奔放に結婚を繰り返すが、常に災いがつきまとい、幸せにたどり着かない。そこには、国の未来に責任を担わされた重い立場の中にも、常に女の業が見え隠れするのである。
かつてある女性に「よく『女の業(ごう)』っていうでしょ。女にも男にも業はあるけど、女の業を男が背負ったら、10秒ぐらいで死んでしまうと思うわ」と言われたことがある。その時の私が、業そのものではなく、死んでいく哀れな男のことばかり考えていたから、のちのちその女性にとんでもない煮え湯を飲まされることになったのだと、今になってみれば分かるのだが、ことほどさように、女の業とはやっかいなものだ。
幸せになるためにそうするのに、それは幸せから遠ざける結果に結びついていく。では、それを封印したときに、いったい何が得られるのかもまたまったくの霧の中である。
このふたりの女王の物語は当然、ヨーロッパでは身近なものである。本作はさらに、フリードリヒ・シラーの「メアリー・スチュアート」をイタリアの劇作家ダーチャ・マライーニが女性だけの芝居として自由に翻案したものである。
つまり、ふたりは16世紀のあの時代、確かに歴史の表舞台に立ち、歴史をつくった施政者たちであったが、その後、男たちが作った「歴史」には彼女たちの「女の真実」は含まれていない可能性が高く、こうして、女の視点によって、歴史を語ることがいかに重要なことかが分かる。
★ダーチャ・マライーニ作「メアリー・スチュアート」=単行本
女優ふたりによる二人芝居、であることは間違いないが、いわゆる濃密な空間の中で、二人の女が激突するというたぐいの、息詰まる二人芝居とはやや趣を異にしている。
登場人物は5人いて、メアリーとその乳母、エリザベスとその侍女、そしてほかにもう一人である。
主なシーンは、それぞれ、エリザベスと侍女の会話、メアリーと乳母の会話である。親以上に親密な関係だったはずの乳母や侍女に日頃から喜びも悲しみも愚痴も叫びも何でも話していたはずのメアリーとエリザベス。その会話によって、歴史も現実もすべてが表現されていく。演劇という企てのもっとも得意とする表現方法といっても良い。
その舞台に立つのは中谷美紀と神野三鈴。
中谷はテレビや映画での活躍が目立っていたが、2011年にフランソワ・ジラール演出の舞台「猟銃」で初舞台を踏み、紀伊國屋演劇賞個人賞と読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。2013年には三谷幸喜演出の舞台「ロスト・イン・ヨンカーズ」で読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞するなど、数少ない舞台出演で着実に成果を上げてきた。「猟銃」での静謐さ、「ロスト・イン・ヨンカーズ」でのややたがのはずれた陽気さと切なさ。映像作品で獲得したあまたのイメージのさらに上を行く舞台での演技。その神々しい存在感は、舞台こそが最も輝く場所なのだと思わせるものだった。
神野は明確なビジョンに基づいた演技で自らの価値をひとつひとつ高めてきた実力派。演出家の要求に応えるだけでなく、誰もまねのできない世界を舞台上に作り上げることのできる感性のほとばしる女優である。既に脇に置いてそれで済む女優ではなくなっており、井上ひさし作品への相次ぐ起用、演劇史に名作の誉れ高い作品にも引っ張りだこだ。近年は、映像作品への進出も目立ち、「駆込み女と駆出し男」「日本のいちばん長い日」と話題の映画にも出演している。
中谷は、メアリーの持つプライドと、愛への激しい渇望感、そして想像することすら許されない未来への不安をない交ぜにしながら、それでもすくっと立つ凜としたメアリーの姿を全身で表現していく。
神野は、施政者として優位な立場に立ちながらも、決してメアリーに対して揺るぎない優越感を持っていない自分にも世間にもいらだっているエリザベスの姿をそれでも、静かに、悠々しく造形していく。
交互に演じられていくそれぞれのシーン。二人が相対していないのに、まるで互いが互いの前で言葉をぶつけているような緊張感が襲い、そしてシーンが重ねられていくことによって徐々に高揚感が伝わってくる。
演出のマックス・ウェブスターはテアトル・ド・コンプリシテでサイモン・マクバーニーとともに舞台づくりをしていた気鋭の若手。日本が誇る二人の女優の演技を自由に膨らませながら、より高い場所へと観客を導いていく。
オペラで知られるドイツ人のデザイナー、ジュリア・ハンセンの美術、世界的アーティスト、ワダ・エミの衣裳と、超弩級のスタッフワークも見逃せない。
舞台「メアリー・スチュアート」は、7月5日まで東京・渋谷のPARCO劇場で、7月11〜12日に大阪市のシアター・ドラマシティで、7月15日に広島市の広島アステールプラザ大ホールで、7月18〜19日に名古屋市のウインクあいち大ホールで、7月24日に新潟市のりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館劇場で、7月30日に福岡市のキャナルシティ劇場で上演される。
上演時間は約1時間40分(休憩なし)。
<チケット購入は>=販売状況は各自お確かめください
★PARCO劇場
★チケットぴあ
★e+(イープラス)
★ローソンチケット


