2015年08月02日
【舞台】 兵士の物語(2015)
もともとはバレエに朗読と演劇の要素を加えたストラヴィンスキー作曲のクラシック作品だが、その物語の普遍性と、表現形式の多彩さから、今日まで世界中でさまざまなバージョンが試みられ、新たな決定版を生み続けている「兵士の物語」。昨年「雨に唄えば」の来日公演で大絶賛を浴びたバレエ界出身の英国人俳優アダム・クーパーが再び来日し、ロイヤル・バレエのプリンシパルから世界に飛躍したスペイン人女優ラウラ・モレーラらとともに、この夏日本だけで実現した世紀の共演バージョンである英国ロイヤル・オペラ・ハウス版「兵士の物語」は、核心の中の核心と言って良く、運命に彩られた悲しみの物語の中で、確かな技術を持ったものだけが許される自由なパフォーマンスが展開した。
★PARCO劇場「兵士の物語」特設サイト
舞台「兵士の物語」は、ロシア革命で収入の道を絶たれた作曲家のストラヴィンスキーが、スイスで新たな決意とともに作曲した作品で、脚本などのテキストはスイス人詩人・作家のシャルル=フェルディナン・ラミューズによるものである。
ストラヴィンスキーの故郷ロシアの民話がもとになっているが、その民話が作られた時代は革命前の圧制下。徴兵制、貧困、はなればなれ、など、「兵士の物語」が内包する要素に触れるたくさんのヒントがあったに違いない。ロシア語の分からないラミューズにストラヴィンスキーがいちいちフランス語に翻訳しながら伝えたというアファナシェフらの民話群はこうしてひとつの作品へと昇華していったのだ。
「ペトルーシュカ」「春の祭典」「火の鳥」などヨーロッパを席巻した作品を持つストラヴィンスキーだったが、当時の社会の貧困状況が華やかな作曲状況を可能にはせず、編成も小規模、楽器の組み合わせも通常とは違い、なにもかもが非常事態につくられた作品なのである。
しかしバレエと楽曲だけではなく、朗読や演劇としての骨組みもしっかりとしており、すべての要素がまるで黄金比のように組み合わされたこの作品は、とてもレベルの高い楽曲であったのである。
後にジャン・コクトーが語り手を演じたコクトー版と呼ばれるバージョンも登場。日本では今回のプロデュースに当たっているPARCOプロデュース作品だけでも、三上寛、いっこく堂、西村雅彦、石丸幹二とさまざまな色合いの俳優・表現者が演じていて、そこらあたりも興味深いところだ。
そのストーリーはシンプルだが、西洋世界的な宿命の物語にあふれ、実に奥深い。
兵士は民話では脱走兵とされていたが、「兵士の物語」ではきちんと休みをもらって故郷に帰る途中の男性である。故郷には母親と婚約者が待っている。まだ徴兵時期が終わったわけではないから、すぐにというわけにはいかないが、いつかは故郷で幸せな人生を始めたい。いや始めるんだという思いで希望にあふれていたはずだ。
そんな兵士(アダム・クーパー)がヴァイオリンを取り出して弾き始めた。美しい音色が兵士の戦場で荒んだ心も癒やす。そこにどこからともなく現れたのは老人(アレクサンダー・キャンベル)。その男が奇妙な取引を提案してきたことがすべての始まりだった。
「自分が持っている悪魔の本とそのヴァイオリンを交換しないか?」
どうやら悪魔の本はいろんなことを可能にするヒントが載っている様子。興味を引かれた兵士は、老人に言われるまま、老人の家に行って3日間だけヴァイオリンの弾き方を教え、再び故郷へと向かう。
ようやくたどり着いた故郷。しかし母親は驚愕の表情。婚約者は兵士にとって耐えがたい状況だった。既に夫がいたのだ。
老人の家での3日間は現実の世界ではいったい何年間だったのだ。
すべてに絶望し、それでも歩き出す兵士。しかし運命はさらに過酷な未来を用意していた…。
純粋な会話劇ではないので、演者たちは身体表現とバレエ的な身体の動きでさまざまな心情を表現していく。物語が進むにつれ、それぞれの登場人物の感情は激しさを増し、音楽も激しく物語を刺激し始める。
兵士役であって、「雨に唄えば」のスター役より、華やかな動きは制限されているが、アダム・クーパーはひとつひとつの動きにすべて感情をこめているのではないかと思わせるほど、繊細な身体表現が目につく。
一方のラウラ・モレーラが柔らかく大きな動きに特徴があり、2人が違う動きで絡みつくような表現は観客の心を激しく波打たせる。
老獪で邪悪な悪魔を演じたアレクサンダー・キャンベルには本当の恐怖心を抱くほど、まがまがしさが宿っていて、背筋が戦慄するほどの迫力があった。
語り手(ストーリーテラー)と呼ばれるサム・アーチャーは、時に登場人物に寄り添いつつも、あくまで運命の側にいる説明人であることからは外れず、観客にも真の思いを容易に悟らせない。ラストに至るまで衝撃続きの後半は彼の語り口ひとつで観客は心を右往左往させるほど感情が揺さぶられた。
クラシック作品としては長いものの、演劇としては短い。しかも見ている方は物語に容赦がないだけに、否が応でも物語に引き込まれていくため、あっという間の上演時間だった。
舞台「兵士の物語」は、8月2日まで東京・池袋西口前の東京芸術劇場プレイハウスで上演。
上演時間は、約1時間15分(休憩なし)。
★PARCO劇場「兵士の物語」特設サイト
舞台「兵士の物語」は、ロシア革命で収入の道を絶たれた作曲家のストラヴィンスキーが、スイスで新たな決意とともに作曲した作品で、脚本などのテキストはスイス人詩人・作家のシャルル=フェルディナン・ラミューズによるものである。
ストラヴィンスキーの故郷ロシアの民話がもとになっているが、その民話が作られた時代は革命前の圧制下。徴兵制、貧困、はなればなれ、など、「兵士の物語」が内包する要素に触れるたくさんのヒントがあったに違いない。ロシア語の分からないラミューズにストラヴィンスキーがいちいちフランス語に翻訳しながら伝えたというアファナシェフらの民話群はこうしてひとつの作品へと昇華していったのだ。
「ペトルーシュカ」「春の祭典」「火の鳥」などヨーロッパを席巻した作品を持つストラヴィンスキーだったが、当時の社会の貧困状況が華やかな作曲状況を可能にはせず、編成も小規模、楽器の組み合わせも通常とは違い、なにもかもが非常事態につくられた作品なのである。
しかしバレエと楽曲だけではなく、朗読や演劇としての骨組みもしっかりとしており、すべての要素がまるで黄金比のように組み合わされたこの作品は、とてもレベルの高い楽曲であったのである。
後にジャン・コクトーが語り手を演じたコクトー版と呼ばれるバージョンも登場。日本では今回のプロデュースに当たっているPARCOプロデュース作品だけでも、三上寛、いっこく堂、西村雅彦、石丸幹二とさまざまな色合いの俳優・表現者が演じていて、そこらあたりも興味深いところだ。
そのストーリーはシンプルだが、西洋世界的な宿命の物語にあふれ、実に奥深い。
兵士は民話では脱走兵とされていたが、「兵士の物語」ではきちんと休みをもらって故郷に帰る途中の男性である。故郷には母親と婚約者が待っている。まだ徴兵時期が終わったわけではないから、すぐにというわけにはいかないが、いつかは故郷で幸せな人生を始めたい。いや始めるんだという思いで希望にあふれていたはずだ。
そんな兵士(アダム・クーパー)がヴァイオリンを取り出して弾き始めた。美しい音色が兵士の戦場で荒んだ心も癒やす。そこにどこからともなく現れたのは老人(アレクサンダー・キャンベル)。その男が奇妙な取引を提案してきたことがすべての始まりだった。
「自分が持っている悪魔の本とそのヴァイオリンを交換しないか?」
どうやら悪魔の本はいろんなことを可能にするヒントが載っている様子。興味を引かれた兵士は、老人に言われるまま、老人の家に行って3日間だけヴァイオリンの弾き方を教え、再び故郷へと向かう。
ようやくたどり着いた故郷。しかし母親は驚愕の表情。婚約者は兵士にとって耐えがたい状況だった。既に夫がいたのだ。
老人の家での3日間は現実の世界ではいったい何年間だったのだ。
すべてに絶望し、それでも歩き出す兵士。しかし運命はさらに過酷な未来を用意していた…。
純粋な会話劇ではないので、演者たちは身体表現とバレエ的な身体の動きでさまざまな心情を表現していく。物語が進むにつれ、それぞれの登場人物の感情は激しさを増し、音楽も激しく物語を刺激し始める。
兵士役であって、「雨に唄えば」のスター役より、華やかな動きは制限されているが、アダム・クーパーはひとつひとつの動きにすべて感情をこめているのではないかと思わせるほど、繊細な身体表現が目につく。
一方のラウラ・モレーラが柔らかく大きな動きに特徴があり、2人が違う動きで絡みつくような表現は観客の心を激しく波打たせる。
老獪で邪悪な悪魔を演じたアレクサンダー・キャンベルには本当の恐怖心を抱くほど、まがまがしさが宿っていて、背筋が戦慄するほどの迫力があった。
語り手(ストーリーテラー)と呼ばれるサム・アーチャーは、時に登場人物に寄り添いつつも、あくまで運命の側にいる説明人であることからは外れず、観客にも真の思いを容易に悟らせない。ラストに至るまで衝撃続きの後半は彼の語り口ひとつで観客は心を右往左往させるほど感情が揺さぶられた。
クラシック作品としては長いものの、演劇としては短い。しかも見ている方は物語に容赦がないだけに、否が応でも物語に引き込まれていくため、あっという間の上演時間だった。
舞台「兵士の物語」は、8月2日まで東京・池袋西口前の東京芸術劇場プレイハウスで上演。
上演時間は、約1時間15分(休憩なし)。


