蜷川幸雄

2017年07月21日

【舞台】 NINAGAWA・マクベス(2017)

 蜷川幸雄が亡くなって1年以上の時が経った。私は2011年から毎月必ずインタビュアーとして蜷川の前に座り、その時々に手掛けている作品や、演出論、演劇論における持論を聞き出す企画を続けた。時には話が誰も聞いたことのないような話に昇華していったり、俳優の才能の見抜き方や育て方、シェイクスピア劇の将来などについて語り合ったりする時もあった。稽古場にもお邪魔してさまざまなやり取りを目にさせてもらった。そんな中でいま感じるのは蜷川幸雄という遺伝子は、私たちが考えるよりももっと深くスタッフや俳優の体と心の中に植え付けられているということだ。そして蜷川自身、自らが手掛けた作品の中に数多くの謎やヒントを潜ませているということだ。だから、蜷川亡きいま、蜷川作品を上演することになっても、そこにはおそらくおびただしいほどの発見や気づきがあるはずで、決して以前と同じ形では存在しないだろう。蜷川作品自体、国宝や天然記念物のように崇め奉って「アンタッチャブル」な存在にするべきではない。生前の蜷川作品がそうであったように、そこに関わり、蜷川の遺伝子を感じる者の叡智をすべて結集してまた新たな蜷川作品を創り出していけばいいのである。蜷川は既にメッセージを送っている、それぞれの作品の中に。初めての海外公演となった「王女メディア」とともに蜷川の世界戦略の金字塔となった「NINAGAWA・マクベス」が蜷川の死後初めて上演されているが、まさにそうしたことを痛感させられる。蜷川が作った骨太の屋台骨はそのままに、ひとつひとつの場面、演技は、それぞれに関わる者が磨きをかけ、より高みへと押し上げていく。そんな計り知れないエネルギーを感じさせる作品になっていた。
 舞台「NINAGAWA・マクベス」は7月13〜29日にさいたま市の彩の国さいたま芸術劇場で、8月4〜6日に佐賀県鳥栖市の鳥栖市民会館大ホールで上演される。また、英国公演が10月5〜8日にロンドンのバービカンシアターで、10月13〜14日にプリマスのシアター・ロイヤル・プリマスで、シンガポール公演が11月23〜25日にシンガポールのエスプラネードシアターで上演される。
なお、6月23〜25日に香港の香港カルチャーセンターグランドシアターで上演された香港公演はすべて終了しています。

★舞台「NINAGAWA・マクベス」公式サイト=いきなり動画がスタートする場合がありますので、音量に注意してクリックしてください

 舞台「NINAGAWA・マクベス」は、1978年に「王女メディア」で初めて海外に進出し、翌1979年には蜷川の国内での人気を幅広い世代に広げることになる「近松心中物語」を上演。そんな内外での足場をしっかりと固めた時期にである1980年に、本格的な海外進出作品として、シェイクスピアの本場英国の人々にガツンとぶつけるために選び抜かれた作品である。1985年にはオランダ・英国公演、1987年には英国公演、1992年にはシンガポール公演をしており、2015年にも再演している。
 あのシェイクスピアの「マクベス」を日本の安土桃山時代に据え、せりふと登場人物の名はそのまま演じられる。一見、摩訶不思議なこの設定も、舞台が展開するに従い、なるほどと膝を打つほど説得力を持ち始める。

 「マクベス」を知らない人のために一定のストーリー解説は必要だろう。「マクベス」を知り尽くした人が退屈しない程度にあらすじを紹介する。
 マクベスは実在の人物で、暴君ではない治世をしいた指導者だったが、シェイクスピアはかなり違うキャラクターに変えているようだ。

 舞台はスコットランド。マクベス(市村正親)は、ダンカン王(瑳川哲朗)に忠誠を誓い、反乱軍を蹴散らした勇敢な将軍だ。親友のバンクォー(辻萬長)とともに戦地から戻る道すがら、3人の魔女に出会う。魔女はマクベスに「コーダーの領主」と呼び掛け「スコットランドの王になる」と予言めいたことを言う。バンクォーには「子孫が王になる」とも言った。いずれも不思議な響きを持っていた。
 にわかには信じられないマクベスらは、帰国してダンカン王に謁見して驚くことになる。コーダーの土地がマクベスに与えられることになったのだ。「コーダーの領主」になったのだ。そうすると「王になる」という予言の信憑性も増してくることになり、マクベスらは心を乱される。
 そこに何の運命のいたずらか、ダンカン王がマクベスの城でもてなしを受けたいと言い出した。戦勲をあげたかわいい部下であるマクベスに饗応をさせることで一体感を感じたいということだろうか。
 光栄だと感じたマクベスは快諾し、王の御着きを待ち構える。
 しかし、予言のことを話してあった妻のマクベス夫人(田中裕子)は、ちっぽけな出世だけでなく、一気に王位を奪うことを提案する。王がわが城に来て、泊まっていく可能性が高いという千載一遇のチャンスを逃す手はないというのだ。
 揺れるマクベス。しかし「予言」が彼の判断力をおかしくしていた。
 みんなが寝静まった夜、闇の中に蠢く者があった。マクベスと夫人の影だった。

 物語は王位に就いたマクベスがたどる転落の軌跡を追う。

 後半、マクベス追撃の先頭に立つマクダフは蜷川作品への出演が多かった大石継太が演じている。

 シェイクスピアが史劇などで描く英国の王国の興亡の世界と、日本の戦国時代との親和性の良さは、黒澤明が『蜘蛛巣城』(「マクベス」が下敷き)『乱』(「リア王」が下敷き)で証明しているが、下剋上が当たり前のようにあった流動的な社会はまさしく物語の舞台としてふさわしかったのである。

 蜷川はこれらの物語を、まるごと仏壇の中に収めてしまうという離れ業を演じた。そのことによってどんなことも可能になるし、英国人そのままの人の名前や設定もすべてを包み込んでくれることにもつながっている。おびただしい死の物語でもある本作を納める場所としてもこれ以上ふさわしい場所もないだろう。
 その仏壇は2人の老婆が、上手下手に分かれて開けたり閉めたりする。2人は仏壇の中で繰り広げられる物語の観客ともなり、物語の展開に驚愕し、悲しみ、嘆き、そして拝み上げる。この時、日本と英国を隔てる空間の距離、そして11世紀と現代を隔てる時間の距離はまったくないに等しい。
 すべてが一体化するのだ。劇場の観客席にいる観客たちも含めて。

 この作品には蜷川が世界に認められた重要なポイントとなった圧倒的なビジュアルもあちこちに配されている。
 仏壇の壮大な構えもその一つだが、3人の魔女が幽玄の空間で舞う姿のまがまがしさに加え、血で染まったような赤い月、静かにすべてを覆いつくすように散るピンクの桜、そして漆黒の闇と、明色から暗色までを駆使した色彩美にあふれた世界の創り方はもはや世界に追随する者などいない孤高の境地である。
 蜷川の様々なアイデアを形にしていった妹尾河童の力量もすさまじいものがある。

 前回2015年から続投の市村は、ギラギラした野心と繊細な猜疑心を同居させる人物を演じさせたら右に出る者はいない。いつも以上に口舌が鋭く、せりふをひとつひとつ劇場という空間に刻み付けているようにも見える。
 田中は一見控えめに見える夫人がその中に自分でも飼いならすことができないような獣並みの野心を抱く妻の姿を今回も激烈に表現している。マクベス夫人は良心の呵責というようななまやさしい思いで狂うのではなく、自らの中に内在する怪物にかみ殺されるのだ。田中はそのことを誰よりもよく理解して演じている。
 瑳川はさすがの風格を見せてくれる。辻は骨太で芯のある声が、バンクォーの誠実さをよく表していて、いずれも見事なキャスティングと言える。大石は重要な役どころを丁寧に演じているのが印象的だった。

 舞台「NINAGAWA・マクベス」は7月13〜29日にさいたま市の彩の国さいたま芸術劇場で、8月4〜6日に佐賀県鳥栖市の鳥栖市民会館大ホールで上演される。また、英国公演が10月5〜8日にロンドンのバービカンシアターで、10月13〜14日にプリマスのシアター・ロイヤル・プリマスで、シンガポール公演が11月23〜25日にシンガポールのエスプラネードシアターで上演される。
 なお、6月23〜25日に香港の香港カルチャーセンターグランドシアターで上演された香港公演はすべて終了しています。

 上演時間は、2時間50分(休憩20分含む)。

★チケット情報(さいたま公演・鳥栖公演)=最新の残席状況はご自身でお確かめください。




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2017年07月14日

【Break】 一周忌追悼公演のためさいたまにいます(2017)

 7月13日は蜷川幸雄さんの一周忌を過ぎて開幕する追悼公演「NINAGAWAマクベス」の取材のため、さいたま市の彩の国さいたま芸術劇場へ。

彩の国さいたま芸術劇場廊下IMG_0851補正済み


 数年前まで、この彩の国さいたま芸術劇場で蜷川さんに月1回の連続インタビューを何十カ月も続けていたころのことを思い出します。
 蜷川さんにはそのインタビュー企画のためにさまざまな場所で被写体になっていただきましたが、この不思議な空間も、その場所の一つです。
蜷川追悼IMG_0853補正済み


 亡くなられたことのショックが大きく、いや、お話されていたことの意味が重く、まだ追悼文が書けません。もう少し待ってください。




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2016年08月10日

【舞台】 ビニールの城(2016)

 なぜ私たちの求めているものは、いつもどこかに閉じ込められているんだろう。たとえ私たちとそれを隔てるものが透明なガラスや透明なビニールであっても、手をどれだけ伸ばしてもつかみ取れない、つかまえられない。確かにそこに見えるのに…。5月に急逝した蜷川幸雄がかかわった最後の作品として位置づけられている舞台「ビニールの城」は、そんなもどかしさと閉塞感が都会のカオスの中で鈍色に光りながら、私たちに不条理な鋭いナイフを突きつけてくる内的な刺激が満載された作品。唐十郎の一連の作品の核となる要素が凝縮されたような物語の中に、情念の炎が確かなかたちでゆらめき続けているのだ。

★舞台「ビニールの城」公式特集ページ

 「ビニールの城」は、俳優の石橋蓮司が、劇団青俳をともに脱退した蜷川幸雄、清水邦夫、蟹江敬三、岡田英次らとともに結成した現代人劇場やその後に結成した櫻社の解散の後、1976年に緑魔子と旗揚げした「劇団第七病棟」にアングラ界の巨人、唐十郎が書き下ろした作品である。既存の建物を劇場につくりかえることが特徴になっていた劇団第七病棟。1985年の「ビニールの城」初演では、既に廃館になっていた浅草の映画館「常盤座」を劇場にし、真水を使った挑戦的な演出で、観客の度肝を抜いた。

 初演にして「伝説」になった舞台「ビニールの城」は、2012年以降、「下谷万年町物語」「盲導犬」「唐版滝の白糸」と意識的に唐作品を演出し続けてきた蜷川によって現代に引き寄せられ、2016年夏の上演が決定。キャスティングや演出プランの一部などが蜷川によって固められていった。体力の衰えと闘っていた蜷川は、ベッドにまで「ビニールの城」の台本や資料を持ち込み、製作現場への復帰を目指していたが、2016年5月永眠。稽古が進んでいた彩の国さいたま芸術劇場での「尺には尺を」と同様、その死による「蜷川の不在」にかかわらず、「ビニールの城」は上演されることが決まったのだ。
 演出には、もともとこの「ビニールの城」の出演者に決まっていた劇団「新宿梁山泊」主宰の金守珍(キム・スジン)があてられ、蜷川幸雄は「監修」としてクレジット。「芸術監督蜷川幸雄・追悼公演」と位置付けられた。金は一時蜷川スタジオに所属し、唐十郎の状況劇場に移った後、1987年に新宿梁山泊を旗揚げ。演劇そのものの在り方を問う作品を数多く生み出している。近年も蜷川演出作品には俳優として参加することが多く、「血は立ったまま眠っている」「下谷万年町物語」「盲導犬」などにも出演している。まさにうってつけの人物であったのである。

 舞台「ビニールの城」はキャラクター設定の屈折ぶりが半端ではなく、それを受け入れるのに覚悟がいる作品である。
 主人公は、腹話術師の朝顔(森田剛)。8カ月前に相棒の人形「夕顔」と離れ離れになってしまい、以来夕顔を探し続けているが、朝顔は夕顔を「捨てた」可能性もあり、人形失踪の真相がはっきりしない。
 そんな朝顔、いまや「人形を持たない腹話術師」となってしまった自分に対して自暴自棄になり、浅草のカミヤ・バーで名物の電気ブランを一杯ひっかけていると、かつて朝顔が住んでいたアパートの隣の部屋に住んでいたと主張する不思議な女(宮沢りえ)と出会う。名前は「モモ」といった。
 もともと極度の人見知りで、生身の人間とは交流することができない朝顔は、その話に関心はあっても意気投合するわけでもなく、絡むことができない。
 やがて、モモの旦那だと名乗る夕一(荒川良々)や謎の腹話術師トリオらが集まって来る店内、謎と混沌が新たな闇を連れてきた。
 モモはどうやらビニール本のモデルをやっていたらしい。それは朝顔と夕顔が暮らしていたアパートの部屋の片隅に捨てられていたビニール本。「ここから助け出して」と叫ぶモモ。ますます混とんとする状況の中で、はたして夕顔は見つかるのか。朝顔はモモの秘密を解き明かせるのか。

 舞台となっているのは、カミヤ・バー、瓢箪池、ネオン街など、昭和の浅草のアイコンとなっているものばかり。唐自身の作品に繰り返し幻のように現れては消えていったものどもだ。ここでは浅草がすべてのなぞをのみ込んでいく大きなブラックホールとして描かれている。バーに現れる人たちもどこまでが現実の存在なのかは分からない。とても不安定で流動的に描かれているのが特徴である。
 後半ますます混とんとして、超現実的に推移していく物語は、不思議な説得力を持って私たちの胸に迫って来る。
 コミュニケーションに難があり、内にこもる性格の朝顔は現代人の象徴のような存在だし、相棒の人形に不可思議な愛情と同時に人形を自己と同一化することによって引き起こされる屈折した自己愛を抱く朝顔のその心もちもまた例えば「狂っている」と非難できるほどの正しさを現代人は持っていない。ただ人形を失っただけではない魂そのものを失ったかのような重大な彷徨いが自らの心のうちにあることを現代人は知っている。
 ビニール本の女は男たちにとって、単なる本の中の女ではない。いまはブルーの小さなテープで2カ所を閉じることで、立ち読みや未成年者の閲覧から遠ざけているエロ本だが、かつてはビニール本全体にほとんど密着しているのではないかと思うほどきつく貼られたビニールによって、その中が禁忌の領域であることを高らかに宣言しているかのようななにか屹立した緊張感があった。その領域をおかすものだけが得られる快楽と後悔。毎晩のように見て「親し気な」関係になったと思っていても、決して彼女たちを外に連れ出すことはできない。彼女たちがビニールの中に囚われた姫君であることを男たちは知っているのだ。

 そんな男たちと女たちの幻想がうまく取り込まれた物語の中で、ビニールの城、水槽、池が次々とあやしい世界を連れて来る。舞台前面は水によってさまざまな世界が作り出され、朝顔の絶望とモモの渇望を激しく交差させる。

 朝顔を演じている森田は、いまさまざまなクリエーターが一緒に仕事がしたいとこいねがうアーティストの一人である。「血は立ったまま眠っている」で森田を起用した蜷川は、かつて私とのインタビューで、森田を評してこう言った。「人一倍優しくされたいと思っているのに、人の気持ちを射すくめるような鋭い目で怯えながらこちらを見ている捨てられた猫」。そこには激しい屈折があり、てれがあり、激しい恐れがある。アイドルという肩書でこの世界に入った森田だが、その全身ですべての物語に立ち向かおうとする姿勢が高く評価されている。私との複数回のインタビューでも森田は、こちらからの質問を一度、自分の感性の中でまるで鈴を振るように鳴らしてみているようだった。そこで共鳴させてみた時に見えて来る答えを探していたのだろう。ようやく開いた口からは、魂を通り過ぎたとしか思えない言葉が聞こえてくるのだ。もし早い答えを期待しているインタビュアーが、次の質問や形を変えた関連質問に移ってしまっていたら、もう彼からその魂の言葉は決して聞こえてこないはずだ。
 長々と彼の感性について書いたのは、このことがまさに「ビニールの城」の朝顔とリンクするからである。何もコミュニケーションが苦手な男だと言っているわけではない。自分が信じるものしか信じない人間だと言っているのだ。
 朝顔は自分自身との闘いにも苦労している人間なのに、この物語ではストーリーを突き進んでいく役でもある。森田は十分に計算した内向的な性格を演じながら、しかしまた主体的に流されていくかたちによってその役目を果たしている。
 若手の俳優には荷が重い役柄の主役を見事にやり遂げた「金閣寺」「夜中に犬に起こった奇妙な事件」「ブエノスアイレス午前零時」などの舞台を上げるまでもなく、森田の中にはてしなく広がる豊かな孤独の翳が、彼を舞台で例えようもなく魅力的にしているのである。

 その森田の演技を受け止めるのが、モモを表現しきった宮沢である。今や現代演劇のミューズとしてあらゆる表現をものにしている彼女だが、この女優の特徴はまるで植物のように、舞台のたびごとに生まれ変わり、ぐんぐんと空に向かって伸びていく力だ。役柄が違えば当たり前だと思いがちだが、舞台のたびごとに違う花を咲かせるのは容易なことではない。舞台の空気を吸い、共演者の発するものを受け止め、それを新たな栄養素として再びはえいずる生命力こそが彼女の大きな財産だ。
 モモはビニールの中の「囚われの姫」であるとともに、池の底にあるというピュアな場所でしか生きられない純粋無垢の女の象徴である。あるいは、借金のカタに風俗に落とされた底辺の女のメタファーであるかもしれない。繁栄と貧困の中で膨れ上がった欺瞞に満ちた昭和文化の生み出した鬼っ子である可能性もある。
 朝顔にとっては、夕顔を庇護してくれる「母」でもあり、女性性の最高純度の象徴だ。しかし、その互いの思いに血が通わないもどかしさ。宮沢はそのどちらをも、十分な奥行きを持って観客に投げかけている。

 夕顔と時折イメージがダブっていく夕一を演じる荒川良々は、粗暴な内情と、木偶のような無表情の感性が交差する役柄がたまらなくはまっている。

 他にもこの作品にはマニアなら思わずにやりのキャストが並ぶ。
 その代表格はなんといっても石井愃一(いしい・けんいち)と六平直政(むさか・なおまさ)だろう。ともに古くからの蜷川芝居の常連で、人情味あふれる登場人物を担ってきた2人。いまやテレビでもおなじみの顔だが、蜷川芝居そして唐戯曲の不可思議な世界の案内人としてこんなにうってつけの人たちもいない。新宿梁山泊の広島光、小林由尚、三浦伸子、渡会久美子、染野弘考、申大樹や唐組の鳥山昌克をはじめ、蜷川常連組の塚本幸男、松田慎也、澤魁士、プリティ太田、赤星満に身体表現の野澤健、新宿梁山泊に近い八代定治、たけし軍団では最も舞台に注力している柳憂怜が参加。さらには近年の蜷川作品には欠かせない大石継太と、「血は立ったまま眠っている」「あゝ荒野」で蜷川作品へのフィット感が絶賛された江口のりこと、まったく妥協のない顔ぶれだ。

 舞台「ビニールの城」は8月29日まで東京・渋谷のシアターコクーンで上演される。

 上演時間は、2時間10分(休憩なし)。

チケット情報=残席状況は各自でお確かめください。



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2016年05月27日

【News=速報】 「ビニールの城」は蜷川幸雄に代わり金守珍が演出(2016)

 今月亡くなった蜷川幸雄が演出する予定だった舞台「ビニールの城」の演出は、劇団「新宿梁山泊」を主宰してきた金守珍(キム・スジン)が担当することが主催の東急文化村から26日に発表された。本公演は、「芸術監督蜷川幸雄・追悼公演」と位置付けられ、蜷川幸雄は「監修」としてクレジットされる。東京・渋谷のBunkamuraシアターコクーンで8月6〜29日に上演する。

★朝日新聞News

 金は一時蜷川スタジオに所属し、唐十郎の状況劇場に移った後、1987年に新宿梁山泊を旗揚げ。演劇そのものの在り方を問う作品を数多く生み出している。近年も蜷川演出作品には俳優として参加することが多く、「血は立ったまま眠っている」「下谷万年町物語」「盲導犬」などに出演している。

 蜷川が亡くなった際には、金は「アングラ文化をしっかり定着させ、次代につなげていけるかどうかは、私たち2世代目、3世代目にかかっている。演出家・蜷川幸雄が最後まで抱き続けた、劇作家・唐十郎への敬愛の念を、なんとか形にしていきたい。この2人のエッセンスを後世につなげていくことが、私の使命だと思っている」とコメントしていた。

 舞台「ビニールの城」は、生身の人間と向き合うことができない腹話術師の朝顔を主人公に、突然いなくなってしまった人形の夕顔を探しさまよう朝顔に絡むモモというビニール本ヌードモデルの女やモモの旦那である夕一らとの不可思議な関わり合いを描く唐十郎渾身の作品。出演陣は蜷川の厳しい薫陶を受けて一級品の俳優に成長した森田剛、宮沢りえをはじめ、荒川良々、江口のりこ、大石継太、柳憂怜、六平直政らおなじみの面々が続々登場。金自身も出演する。


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2016年05月24日

【News】 WOWOWが蜷川幸雄追悼で舞台「天保十二年のシェイクスピア」を28日放送へ(2016)

 5月12日に亡くなった演出家蜷川幸雄を追悼して、WOWOWは5月28日午後3時から、蜷川が2005年に演出した井上ひさし作の舞台「天保十二年のシェイクスピア」をWOWOWプライムで放送することが分かった。唐沢寿明、藤原竜也、篠原涼子ら豪華なメインキャストをはじめ、総勢43名が出演する一大任侠時代劇。シェイクスピアの全37作品のエピソードを盛り込んだ井上ワールドを圧倒的なビジュアルで描ききった蜷川演劇の神髄を堪能できる絶好のチャンスと言える。

★WOWOWNews

 舞台「天保十二年のシェイクスピア」は、1974年1月から2月にかけて、木の実ナナや観世栄夫らの出演で西武劇場で初演。文学座から劇団四季を経て、シェイクスピア・シアターを立ち上げることになる出口典雄が演出を手掛けた。2002年には日本劇団協議会の10周年記念公演として、鴻上尚史が企画監修、いのうえひでのりが演出。上川隆也、沢口靖子、古田新太、阿部サダヲ、橋本じゅん、池田成志ら新世代の俳優で新しい天保ワールドを提示した。
 そして2005年、シアターコクーンオンレパートリー2005の一環として蜷川が演出。前述の唐沢寿明、藤原竜也、篠原涼子に加え、勝村政信、木場勝己、吉田鋼太郎という晩年の蜷川作品を支え続けたメンバーや、夏木マリ、高橋恵子、白石加代子、毬谷友子、西岡徳馬といったベテラン勢、さらには大衆演劇の沢竜二らも参加して、盤石の「天保十二年のシェイクスピア」を創り上げた。

 物語の舞台は天保時代の下総の国。宿場町を仕切っていた十兵衛(吉田鋼太郎)の隠居をめぐる3人の娘への財産贈与がことの始まりだった。長女・お文(高橋惠子)とお里(夏木マリ)に言葉巧みに騙された末、領地を分け与えてしまった十兵衛はこともあろうにお光(篠原涼子)を追放してしまう。しかし結局、宿場町はお文とお里の勢力に分かれ、一大抗争へと発展してしまう。
 主人公の佐渡の三世次(唐沢寿明)は、混乱に乗じて村を乗っ取ろうと、あの手この手の策に出る。きじるしの王次(藤原竜也)や、流転の旅からもどったお光も加わり、村は取り返しの付かない最終戦争へとなだれを打っていく。

 講談の「天保水滸伝」を下敷きに、シェイクスピア全37作品の要素をあちこちにちりばめた井上の巧みな作劇はお見事としか言い様がないもの。十兵衛はもちろん「リア王」であり、きじるしの王次は「ハムレット」、お光は「リア王」と「ロミオとジュリエット」。さらには「オセロー」「マクベス」「間違いの喜劇」の要素も丹念に取り入れられている。佐渡の三世次に至っては主人公ということもあり、「リチャード三世」から「オセロー」「ジュリアス・シーザー」までを担い、なんとも運命的な存在となっている。


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2016年05月12日

【News=詳報】 蜷川幸雄が死去、シェイクスピア劇の大胆演出で世界に衝撃(2016)

 シェイクスピア劇やギリシャ悲劇などの大胆で斬新な演出で世界に衝撃を与え続けた演出家、蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)が5月12日午後1時25分、肺炎による多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。80歳だった。

 ご冥福をお祈りいたします。

 わたくし阪清和は、1990年代から蜷川演出作品を見ていますが、2008年以降は共同通信社文化部の演劇担当記者としてたびたびインタビュー。特に2010年から2012年にかけては、毎月1回、その時々の作品の話題や蜷川的演出手法、俳優の見極め方、劇場のあり方、世界との対峙法などについて連続インタビューを手掛けました。2014年に独立してからもフリーランスのインタビュアーとして、何度も貴重なお話を聞かせていただきました。本当にありがとうございました。

 そう遠くない時期に追悼文を発表したいと考えています。
 今しばらくお待ちください。

★KYODONews

 埼玉県川口市に生まれ、高校卒業後、一時は画家を志して修行を始めたが、演劇の世界に魅せられ、1955年には劇団青俳に入団。当初は俳優として舞台だけでなくテレビにも出演していたが、1968年に劇団の仲間だった蟹江敬三さんらと「劇団現代人劇場」を創設し、1969年には生涯の盟友となる清水邦夫の戯曲「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビュー。大胆な解釈に基づく、粘り強い演出が多方面から注目され始めた。
 「ロミオとジュリエット」「リア王」「王女メディア」「近松心中物語」など大劇場での上演でも大成功し、芸術性とエンターテインメントを見事に融合させた作品を次々と生み出し、時代を超えて上演される名作も次々と世に出した。
 ギリシャ悲劇とともにこだわっていたシェイクスピア劇では「NINAGAWAマクベス」などでロンドンなど世界の演劇界にも進出。欧米の従来の価値観や演出手法を根本的にひっくりかえすような斬新さが高く評価され、「世界のニナガワ」と呼ばれるようになった。
後年は、劇場空間をすきなく利用する絢爛豪華な作品から、必要最低限のクールな空間で勝負する作品まで、演劇のあらゆる可能性を探るアグレッシブな進化を続けた。
生涯演出作品は約300作品とされる。

 稽古場では役柄が表現できない俳優を怒鳴りつけながら灰皿を投げつけるという「都市伝説」のような逸話も有名だが、そうした厳しい姿勢は単なる有名なだけ美しいだけの俳優たちの覚悟を決めさせ、演劇の神髄を究めるような舞台に立てるだけの実力を育てたほか、蜷川の一言で次々と新しい美術や照明、音響を作り出す優秀なスタッフを育て上げ、晩年を支えたチーム力を創り上げた。

 1979年の菊田一夫演劇賞をはじめ1997、2001年の読売演劇大賞最優秀演出家賞、2000年毎日芸術賞など受賞多数。2004年には文化功労者に選ばれ、2010年には文化勲章を受章している。
 彩の国さいたま芸術劇場と東京・渋谷のシアターコクーンの芸術監督を同時に務めるなど、最期の時まで精力的な仕事ぶりが知られていた。映画「青の炎」「嗤う伊右衛門」「蛇にピアス」などの監督も務めた。



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【News=速報】 蜷川幸雄が死去、シェイクスピア劇の大胆演出で世界に衝撃(2016)

 シェイクスピア劇などで世界にその名をとどろかせた演出家、蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)が5月12日、死去した。80歳だった。死因は未発表。

★KYODONews


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2016年01月23日

【舞台】 元禄港歌 ―千年の恋の森―(2016)

 運命や宿命という言葉があまりにも軽くなってしまった現代社会。近代の幕開けへとつながる時代とはいえ、まだ生と死が分かちがたく同じ空間に存在していた江戸時代の物語には、運命や宿命が屋台骨のように横たわっている。なかでもこの舞台「元禄港歌 ―千年の恋の森―」の中では、それは悲しみの主旋律まで奏で、通奏低音としても地の底から私たちの感情をえぐってくる。しかもそれをまるで現実のものとして表現しているのが、市川猿之助、宮沢りえ、段田安則、高橋一生、鈴木杏、市川猿弥、新橋耐子といった情念の役者ばかり。かつて、秋元松代が、蜷川幸雄とともに生み出し、1980年代に平幹二朗・太地喜和子、1990年代に平幹二朗・富司純子のいずれも名コンビで演じられた名作に、蜷川は自ら新しい血を注入し、時代をはるかに超越した、人間存在そのものを問う物語に仕上げてきたのである。

★舞台「元禄港歌 ―千年の恋の森―」公式サイト

 稀代の物語作家として活躍していた秋元が、蜷川と組んで世に問うたのが1979年の「近松心中物語」。その大ヒットを受けて、翌年の1980年に上演されたのが本作である。
雪深い町を舞台にしたテレビドラマを下敷きにして、舞台は播州(現在の神戸市西部から明石、姫路、加古川のあたり)の港町に設定変更。商人が力を増し、武家社会も変容しつつあった時代背景の中に、町を仕切る商家とその家族、そして長いつきあいの瞽女(ごぜ)の女たちの一座が織りなす物語を描き出した。

 時は元禄時代。播州地方にある港町は今日も活気にあふれ、人々が忙しそうに行き交っていた。けんかも日常茶飯事で、その中には町を仕切る廻船問屋筑前店の次男坊万次郎(高橋一生)もいた。その場を収めたのは兄で長男の信助(段田安則)。江戸に出した筑前屋の出店を任されていたが、筑前屋の主人である父親の平兵衛(市川猿弥)から話があるからと言われ、一時帰郷となったわけだ。
 そんな街角に現れたのは、瞽女(ごぜ)の女たち。座元の糸栄(市川猿之助)と初音(宮沢りえ)は目が不自由で、視力のある歌春(鈴木杏)に手を引かれている。旅から旅へ、そしてまた旅へ。移動を繰り返しながら、ご贔屓筋の筑前屋があるこの町に年に1度訪れるのが常だった。今年はこの日だったのだ。
 筑前屋に招き入れられ、瞽女(ごぜ)たちは三味線を手に唄を弾き語る。糸栄の語る唄は森の奥に棲む女が人里の男に恋する哀しい物語。母子の別れも心がちぎれそうだ。
 糸栄の歌からこぼれる痛切な思い。信助は自らの身の上に関して持っている疑念をさらに募らせる。会った瞬間から胸のざわめきが止まらない初音への想いももう抑えられないところにまで来ていた。

 物語は、これら決して明るい方向にではないさまざまな予感が、まさしく運命や宿命に導かれるように、終局の一点へとなだれ込んでいくのである。

 瞽女(ごぜ)とは、三味線を片手に村々を旅して歩き、縁ある家や興味を示した家々で三味線などの楽器を演奏しながら物語調の唄を歌う人々。厳格な規律の下、師弟関係と序列がはっきりしており、相互扶助と芸能の伝承が行われていた。縁故ができるまでは家の玄関を回り、仕事を取り付ける門付けの毎日。旅から旅が続く流浪の人々もいた。室町時代末期には既にその存在は確認されており、江戸期にもっとも顕著になって、昭和の初め、戦前まではそう珍しい存在ではなかった。
 決して哀しい唄ばかり歌っているわけではなく、彼女たちが不幸かというとそうではない。本作の劇中でも、祝い事の場での音楽を担ったり、にぎやかしのような役目も務めたりしていたのである。

 秋元は、歌舞伎や文楽によく見られる母子の物語と、秋元がよく題材にした民話の世界のような不思議なファンタジー、浄瑠璃の世話物の世界に見られるような市井の人々の生き生きとした暮らしを融合させ、さらにそこにあふれんばかりの物語性を持つ瞽女(ごぜ)を配し、劇中の唄の意味するものが物語全体の宿命と共鳴するような世界を構築している。本人の素養と言ってしまえばそれまでだが、まさに稀代の劇作家、秋元松代の面目躍如の世界構築力のすごさを見せつけられる思いがするのである。

 本作に凄みとでも言えるものが感じられるのは、まったくもって市川猿之助の魂のこもった壮絶な演技があるからだろう。瞽女(ごぜ)のリーダーとしての厳しさ、連れだって歩く娘たちの母親代わりとしてのたおやかさ、かつて哀しい運命に翻弄された女としての悲しさ、さまざまな不幸を天命と受け入れる潔さ。猿之助は歌舞伎で鍛えた女形芸を土台に、年老いた女だけが持つ複層的な生きざまの美しさを見せつける。

 同様に盲目の初音を演じるのは、宮沢りえ。縁あってほとんどの舞台を見ることができているが、作品ごとに深まっていく感情の深み。単なる女の情念などという使い古された言葉ではもう彼女の今を表現できないところまで来ているだろう。初音はやがては糸栄のような人生を歩んでいくのかも知れないし、スター性のあるところから推測すればもっともてはやされる時代が来るのかもしれない。しかしまだまだ愛や恋に対してあこがれや行動力を持つ生身の女だ。信助との運命的とも言える出会い。そして信助がなにか心の深いところで初音に対して感じるデジャヴのような感覚でも分かるように、前世か人生の初めの時期に出会ったか、何か同じようなところから発生したような生物学的な近似の感覚。ひとつになるのが宿命であるという感覚に非常に正直なのだ。
 宮沢は一連のそうした初音の感情の流れを、取り乱すわけでもなく情念に狂うわけでもなく、あくまで可憐に変化させてみせる。それは初音という女性が持つ中心部分のピュアな魂を表現して余りある。
 瞽女(ごぜ)という後半生に覚悟を決めているシリアスな思いと、恋には正直な若さと明るさ。この二つがないまぜになった初音を宮沢はものの見事に造型して見せている。

 段田はさすがのひと言だ。信助はこれといっておもしろみのない人物だが、仕事に熱心で人にも優しい。しかしその裏に一貫してある、ある種の暗さ。それは自らの出生に関してまだ明らかになっていない部分があることもあり、今の自分を全面的に肯定することのできないことにもつながる。そして自分はこんな大店(おおだな)を継ぐような人間ではない、なにかもっと違うルーツにつながっているのではないか。そんな疑念が信助を支配している。
 段田はそのことをよく理解していて、信助の自分発見の物語とも言えるこの戯曲の軸としてさまざまな変化を演技の中に織り込んでいる。この演技構築がなければ、ここまでこの物語が感動を呼ぶこともなかっただろう。

 蜷川は、極めて現実的な物語のように見せて、その実、現実では説明できないものも仕掛けている。冒頭から舞台に上空から落ち続けている赤い椿の花は、運命に導かれた者たちの血の涙か、哀しい魂の結晶か。椿がひとつ落ちるたびに、この現実的な物語が、ひとつまたひとつと幻の中に呑み込まれていくようで、哀しくも妖しい雰囲気を醸し出す。美空ひばりの歌う劇中歌や辻村寿三郎の人形も深い深い世界へといざなう役目を果たしてくれる。

 見終わったとき、いままで自分が生きてきた世界はなんだったのかと思い返してみたくなる、そんな舞台である。

 舞台「元禄港歌 ―千年の恋の森―」は、1月31日まで東京・渋谷のシアターコクーンで、2月6〜14日に大阪市のシアターBRAVA!で上演される。

 上演時間は、約2時間35分(休憩20分含む)。


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2015年08月18日

【舞台】 ウーマン・イン・ブラック<黒い服の女>(2015)

 夏になると必ず一度ぐらいは出くわしてしまう背筋も凍る舞台。ずいぶん前に見た小泉八雲の原作をもとにした舞台も、日本的な陰影が乱反射して客席で身動きがとれないぐらいに(それはそれで別に何の問題もないのだが)凍り付いたが、英国のゴシックホラーの名作「ウーマン・イン・ブラック<黒い服の女>」は、観客の目と耳に入るすべてのものを駆使して、体感的に恐怖を感じさせる究極のホラー作品とあって、観客の驚愕度も最高レベル。日本でも大切に演じ継がれてきた作品だが、今回は従来のキャストを一新して、岡田将生、勝村政信というフレッシュでジャストミートなコンビで従来以上に物語の中にぐいぐいと引き込んだ上でのショッキングなサプライズであるため、心の防御はとても間に合わない。ああ、もう女性の悲鳴は聞きたくない! 例外なく、心臓がどくんっと跳ね上がるんだもん。

★舞台「ウーマン・イン・ブラック<黒い服の女>」特設サイト

 舞台「ウーマン・イン・ブラック<黒い服の女>」は、女性作家スーザン・ヒルが1983年に発表した「黒衣の女 ある亡霊の物語」を原作に、1987年12月に英国で初演され、現在も27年目のロングラン中という人気作。英国伝統のゴーストストーリーをゴシック色豊かに描いた傑作舞台である。
 日本では1992年に萩原流行、斎藤晴彦で初演され、1993年にも同キャストで再演。1996年には今をときめく西島秀俊が萩原に替わって舞台に挑戦し、1999、2003、2008年には上川隆也が斎藤との盤石のコンビを組んだ。すべてPARCOプロデュースで上演されてきた。それはまるで大切なろうそくの炎を次から次へと灯し渡していくようだった。

 今回は7年ぶりの再演となるが、キャストは一新された。若い俳優役には岡田将生を、彼にある忌まわしい物語を上演するよう依頼するキップスには勝村政信を起用した。
 早くから蜷川幸雄の薫陶を受け役者として成長した勝村は、斎藤が長らく演じてきたオールド・キップスを受け継ぐに十分な実力の持ち主。そして映画など映像作品が先行していた岡田将生も昨年の初舞台「皆既食〜Total Eclipse〜」で蜷川幸雄の演出を受け、生瀬勝久とともに詩人たちの愛の砂漠を絶妙な演技で表現。初舞台での表現力に誰もが息をのんだほどの演劇センスの持ち主であり、ともに希代の物語にふさわしい人選と言える。

 主要な舞台となる北イングランドの田舎町に建つ古い洋館「イール・マーシュ・ハウス」はこれ以上もないほど不気味な設定だ。なにしろ沼地と河口に囲まれた僻地で、人が近寄るのを拒んでいるようなたたずまい。実際引き潮の時にしか歩いては渡れない。それでも昔はちゃんとした暮らしがあったものの、ある事件とその前後に続く悲しい物語のために、人々が口々に恐怖に引きつった顔でうわさをするような館になってしまったのだ。
 普通の人は近寄らないが、弁護士というのは因果な商売。顧客のひとりが最近亡くなったばかりのこの館の女主人アリス・ドラブロウで、さまざまな調べ物をしたり、家に保存されている資料を確認したりするため、どうしても館に行かなくてはならないのだ。しかもとても1日では済まない資料の量。その恐ろしい館に泊まり込む必要があるのだ。なにしろ「遺言」を見つけなくてはならない。
 それだけでも気が向かないのに、この若き弁護士キップスは、アリスの葬儀に参列したとき、黒い服を着た女を見てしまっていたのだ。幽霊なのかどうかは分からない。しかし、関連づけて考えるのが人間というものだ。この不気味な洋館にもいるような気がしていた。
 そして。

 長く説明したが、これらはまだ物語の端緒につく部分でしかない。そしてこうしたストーリーが岡田や勝村によって最初から綴られていくわけではない。
 キップス(勝村政信)は洋館などで起きたこの後の恐ろしい体験が今でもトラウマになっていて悪夢に悩まされていた。そこで、この体験を家族に打ち明けることで自分に区切りやけじめをつけ、厄払い、悪魔払いの代わりにしようとしたのだ。その手助けをしてもらえるよう、若い俳優(岡田将生)を雇い入れたのだ。
 結局、「語る」のではなく、芝居として「演じる」ことで合意した2人は、誰もいないがらんとした古い劇場で、この狂気の物語を演じ始める。俳優が若き日の「ヤング・キップス」を演じ、現在のオールド・キップスが、キップス以外の登場人物を演じることになる。つまり、さきほど説明した物語は、劇中劇であり、劇の中の現在時制の現実は初老の弁護士キップスと若い俳優が演じている劇場だ。
 この入れ子細工形式。極めて演劇的なこの仕掛けが複雑な「告白」をぞくぞくするほどの物語にしている。
 観客がそうして演じられる物語にだんだん入れ込んでいくのと同じように、キップスと若い俳優も舞台作品として表現していくことにだんだんとのめり込んでいく。キップスにしても自分の思いついた方法が予想以上の効果を上げていることに気をよくしている。

 現代の特殊映像技術であれば、どんな怖いシーンも、ほとんどは再現可能だ。だから映画やドラマでこの物語を恐ろしく作ることは簡単なこと。実際、ハリー・ポッター役で知られるダニエル・ラドクリフ主演で映画「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」として映像化され、相当な恐怖を観客に抱かせた。世界最高水準を行く日本のホラー映画もさまざまな手法を駆使して恐怖の再現、表現に取り組んできたし、人を怖がらせる方法はさまざまに開発されてきた。

 それら映像で用いられるような手法が使えない上に、恐怖の道具となるのも、人の悲鳴や不気味な動作音などの音と、暗闇などの光、そして陰鬱なドアなどの空気感など、極めてシンプルなものだけである。当時の表現手段としてもその程度であったことは想像がつくが、なぜこの舞台が映像以上の恐怖を私たちにもたらすのか。
 それは、この作品が演劇だからである。

 演劇において、観客を「共犯者」と呼ぶ演劇人も多いが、ここにおいては、観客は「囚われの人」でもある。席でじっと劇を見ること以外極めて不自由な状態に置かれ、そこで展開する演技やストーリー、音、光、闇などに感情を激しくコントロールされる「囚人」たち。本作はまさにそうした演劇の構造を使って、恐怖を何十倍にも何百倍にも増幅させているのである。

 しかも演劇好きにとってはたまらない劇中劇という構造。現代と過去がそれぞれ相互に作用し合っているような展開もいい。
 「百物語」のように、わざわざろうそくだけの光を囲んで、人々が恐ろしい怪談を語り合うという「伝統」を持つ日本人には、こうした演劇を使ったホラーは、世界中で最も受け入れやすかったとも言えるだろう。

 それにしても、勝村は、斎藤晴彦の影を必要以上に意識せず、かといって絶対に違うものにしようというような気負った感じもなく、これまでの自分自身の蓄積の上に、新しい演出家とのせめぎ合いの結果を積み上げていくような丁寧な作りで、新しい「ウーマン・イン・ブラック」を紡ぎ出している。普段の勝村の俳優としてのキャラクターからみればやや抑制的だが、それはキップスが負った過去の傷を表しているともとれ、さまざまな想像が可能だ。

 岡田は、若き俳優として青年弁護士、どちらのイメージにもぴったりのすくっとした立ち姿が美しくりりしい。「恐怖」にも立ち向かおうとする勇気と、一方で宿命に抗えずに後退していくことへの無力感も表現。もともと映像作品で培われた繊細な表現力が、舞台でもさらに大きな花を咲かせつつあることが分かる。

 幽霊そのものの直接的な表現は、ほんの一瞬。それまでの積み重ねでこれほどの効果を上げられることは本当に驚きだし、それはまさにオリジナル舞台を制作し、今回の演出も手掛けているロビン・ハーフォードの手腕と言えるだろう。

 舞台「ウーマン・イン・ブラック<黒い服の女>」は、8月30日まで東京・渋谷のPARCO劇場で、9月3〜4日に名古屋市の名古屋市青少年文化センターアートピアホールで、9月6日に新潟市のりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館・劇場で、9月8〜12日に大阪市の森ノ宮ピロティホールで上演される。

 上演時間は、2時間10分(休憩15分含む)。


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2015年08月13日

【舞台】 悗ぜ鏤劼和斥曚里覆にある(2015)

 1960年代や70年代がブームだと言っても、現代を生きる人たちに当時の本当の「感覚」を理解してもらうのはなかなかに難しい。恋人たちには携帯電話もメールもなかったし、高度成長で浮かれる街の中にも浮浪者の数はいっこうに減っていなかった。むしろ時代が前へ前へと前のめりに暴走していくのを目の当たりにして、あらゆる世代がその時代に乗り遅れまいとじりじりと焦燥感にあおられていた。だれもがもどかしくカオス(混沌)の中にいた。そんな感覚を蜷川幸雄という才能は、一瞬にして皮膚レベルで見る者に染みこませていく。いやむしろ焼き付けるといった方がしっくり来る。80歳になった蜷川が、生誕80年を迎えた故寺山修司の幻の戯曲を手掛けるという夢のようなタッグが実現した音楽劇「悗ぜ鏤劼和斥曚里覆にある」で、カオスならではの混乱と情熱、そして悲劇的でありながら祝祭的なにぎわいも持つ希有な世界を描き出したのだ。

★音楽劇「悗ぜ鏤劼和斥曚里覆にある」公演案内

★音楽劇「悗ぜ鏤劼和斥曚里覆にある」特設サイト

 1983年に47歳の若さで亡くなった寺山修司。「悗ぜ鏤劼和斥曚里覆にある」は、彼が天井桟敷を率いる1967年より以前の63年、横浜労音・関東労音の共同製作による舞台のために書き下ろされた作品だ。公演は横浜など関東各地で行われたが、その後上演されることはなく、出版もされなかったために、人々の記憶からは消えていったまさに幻の戯曲。没後30年の2013年に偶然草稿が発見されるまで、社会からは忘れ去られていたのだ。

 特徴的なのは音楽劇であること。当時まだオリジナルのミュージカルが定着していなかった日本で、新しいミュージカルを生み出そうとしていたのだ。そして、音楽を媒介として、ダンス、演劇、身体表現、語り芸などが組み合わされ、当時としては極めて実験的な要素も持っていたことだ。60年安保直後のざわついいた雰囲気の中で反体制的な思想が貫かれてはいるが、あくまでエンターテインメントを追究している様子が見て取れる。こぶしをふりあげ、真っ正面からぶつかるというだけではない、ロマンにあふれた作品でもあるのである。

 舞台は都会の片隅に忘れ去られたように存在するスラム街だが、物語の軸は、近くに住む賢治(亀梨和也)と弓子(高畑充希)という若い男女。スラム街の一角で夕方になるとすれ違っていた2人はいつしか言葉を交わすようになる。しかし賢治は昼の仕事、弓子は深夜の仕事。夕暮れは出会いの時間でもあるが、すぐに別れがやってくる。今と違ってすぐに仕事を変えられるわけでもなく、2人の逢瀬はわずかな時間に限られていた。

 浮浪者や夜の女。元貴族だというホームレス。スラム街のみんなはある意味「自由」に生きているが、それぞれの事情も抱え、未来はこぞって暗い。そんな時、ある実業家がスラム街に新築のアパートを建てて、浮浪者たちを住まわせるという計画をぶち上げた。市も全面協力のアパート計画。なにやら黒い思惑の存在をかぎとりながらも、浮浪者たちはいつのまにか計画に乗せられていく。

 一方、実業家の娘マリー(花菜)は、何不自由ない生活に時間をもてあまし、退屈な毎日。なにか暴力的で燃えたぎるようなエネルギーを求めていた。

 この危険な3方向のエネルギーバランス。それはある「事件」によって、一気に深刻なステージへと上がる。工事現場で転落死した労働者の遺体がなんと工事が進むアパートのコンクリートの中に埋められるのを賢治が目撃してしまうのだ。
 この「不正」そして「不平等」を賢治は許さない。しかし問題は隠蔽され、弓子との関係までおかしくなってくる。
 物語は、この真実の行方をめぐって大きく沸騰し始める。

 蜷川は冒頭から強烈なイメージで私たちにスラムのいびついたエネルギーを照射する。
 なにしろ、スラム街のところどころになんとも奇妙なそれでいてアート的なゆがみをもった物体が置かれている。それは公園を彩るオブジェのようでいて、社会の矛盾にゆがめられたスラムの異形を象徴しているようでもあり、不気味な遊具のようでもある。
 まるで血の色のような赤を基調にしたショッキングな色遣い。全体としてみれば、地獄で罪人を焼くというあの業火(ごうか)が燃え上がっているような印象で、地獄図絵とも見て取れる。

 そんなスラムの中ではあるが、賢治と弓子が出会う世界だけは、こちらが気恥ずかしくなるほど、純でうそがなくて、徹底的に美しく描かれている。さらに実業家の娘マリーが遊んでいる父親の応接室は、徹底的に人工的であり、ぬくもりがなく、クールな印象だ。それはマリーの笑い声さえ冷たく響かせる。
 こうしたメリハリを利かせた3つの場面が絡み合いながら、物語を後半へと押し流していく。

 もうひとつの主役とも言える音楽。その担当に、日本を代表する音楽プロデューサーで作曲家の松任谷正隆を起用したことも話題を呼んでいる。ユーミンサウンドの生みの親でありその松任谷由実の夫でもある松任谷正隆は、純粋な音楽ビジネス以外にも、ロシアのシンクロやサーカスパフォーマンスを活かした音楽ショーや演劇とのコラボレーションとも言える音楽劇の作・演出も複数回手掛けていて、近年は舞台のプロデュースという意味でも決して遠い存在ではないが、蜷川幸雄・松任谷正隆という組み合わせはなかなか刺激的である。
 初演時の音楽がどのようなものであったかは知る立場にないが、この物語の舞台になっている1960年代からの日本の音楽の流れを自ら作ってきた存在であり、またなおかつクラシック音楽から日本の伝統芸能まで幅広い視野を持つ松任谷の音楽的素養は、蜷川の目指す世界に必要とされるものと激しくリンクしていたに違いない。
 賢治と弓子の純愛の世界では、歌謡曲をベースにしたような分かりやすいメロディーと、登場人物たちの心情が乗りやすいリズムを基調に美しい音楽を作り上げ、スラムの世界では、とにかくいろんなものがごっちゃまぜになり、アフリカンなリズムから三味線、語りまで、エネルギッシュなサウンドを炸裂させている。マリーの世界ではリズム&ブルースから歌謡曲まで、昭和的な香りを爆発させているのである。

 主人公の賢治にKAT-TUNの亀梨和也を起用したこともまた象徴的である。KAT-TUNはワイルドな香りをぷんぷんさせながら、人気の層を広げてきた異質の存在だが、なかでも亀梨は、ジャニーズ事務所のスターらしい輝きをその姿に宿しながらも、その目には深い陰影が沈んでいる。それはとても豊かな陰影を持ったひとみであり、見る者に複雑な心情、感情を読み取らせる得がたい目である。
 ドラマ「ごくせん」第2シリーズでの複雑な家庭環境からグレた竜、ドラマ「野ブタ。をプロデュース」での仮面をかぶった修二、映画「俺俺」でどんどん増殖していく得体の知れない均、そしてドラマ&映画「妖怪人間ベム」での悲しみと希望に引き裂かれそうになるベムと、亀梨の持つ複雑な魅力が最大限の力を発揮してきた。8年もの間主演を続けた「DREAM BOYS」での実績もベースに本格的な演劇作品でもその魅力があふれでている。
 賢治の持つ純粋さはときに自分をも追い込み、のっぴきならない事態を招いてしまう。それは愛を引き裂く結果にもつながることで、賢治にはなんとも苦しい状況だ。そこから彼が起こした行動、そこに説得力を持たせるための賢治の心の軌跡を亀梨は実に丁寧に演じている。会場の7割程度の座席を埋めていると思われる亀梨ファンがどきりとするようなシーン、演技もあり、見どころは多い。

 賢治と弓子、この2人の純粋さを表現するのに、高畑充希の起用は見事に当たっている。
 高畑はご存じの通り、ホリプロのオーディション(タレントスカウトキャラバンとは別)に受かり、国民的ミュージカル「ピーターパン」の8代目ピーターパンとして頭角をあらわした逸材。ピーターパンそのままのボーイッシュな雰囲気があったため、当初は「コーヒープリンス1号店」や「美男ですね」など女性であることを隠して男性のふりをする役柄への登用が続いたが、これらの作品でも見事にその役割を演じきり、永遠の名作「奇跡の人」やパンキッシュなストーリーの「いやおうなしに」などで持ち前の演技力を炸裂させてきた。俳優としての成長は、女性としての成長にもつながり、いまやその可憐な容姿は多くの人々を惹き付けている。NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」への起用に見事に応えたことも記憶に新しい。
 そしてその真骨頂が歌声である。これまでも安定した歌唱力が評価されてきたが、本作への起用もこの歌声の確かさが間違いなくその理由だろう。弓子は特にバラードなど流麗なメロディーを表現することが求められる役だが、高畑はそれを安定して歌うだけではなく、ひとつひとつの歌詞にまで分け入って表現している。歌手としての活動もしている高畑だが、間違いなくそこには女優としての表現力があり、その総合的な力には業界からも絶賛の声が届いている。
 今から50年も前の時代の少女を演じているわけだが、高畑のピュアさは、なんの違和感もなく、弓子像を作り上げる助けとなっている。

 この実力派の若い2人を支えるのが、いずれ劣らぬ個性派俳優たち。
 「太陽2068」でもその個性が活きた六平直政や、寺山修司の天井桟敷作品にも出演経験のある山谷初男、そして井上ひさし作品などで蜷川演出に応えてきた大石継太、園子温映画での存在感が半端ではない渡辺真起子ら蜷川作品おなじみの面々をはじめ、ミュージカル界での活躍で安定した出演実績を築いてきたマルシア、シャンソン歌手で推理小説作家である戸川昌子ら意外にも蜷川演出作品に初出演の顔ぶれも参加。
 今回特に観客の目を惹き付けたのはマリーを演じた花菜(かな)だろう。本来はシンガー・ソングライターであり、ブラックカルチャーのテイストを持ったポップスシンガーであるが、オーディションを経ての参加となった。お嬢さまの強がりと本来持っている人間的な弱さが同居するマリーの姿を演劇経験が少ないにもかかわらず巧妙に表現。もちろんその圧倒的な歌力(うたぢから)が最大の魅力だ。せりふの再現力に安定感が加われば、舞台での活躍も続くことだろう。

 純粋な芯を包む猥雑なエネルギー。昭和という時代の日本が間違いなく持っていた真の姿を蜷川は何と鮮やかに描き出したことだろう。芸術監督を務めるシアターコクーンではなく、同じBunkamuraにあるオーチャードホールで上演する意味もそこかしこに見え、なんとも豊かな余韻を抱かせる作品である。

 音楽劇「悗ぜ鏤劼和斥曚里覆にある」は8月30日まで東京・渋谷のオーチャードホールで、9月4〜13日に大阪市のオリックス劇場で上演される。

 上演時間は、約3時間20分(20分と15分の2回休憩含む)。


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2014年09月16日

【舞台】 火のようにさみしい姉がいて(2014)

 演劇を見るとき、それは虚構の世界へと入っていく感覚と似ている。その虚構を自分の中で組み立てて、あるひとつの実相を結ぶことで、演劇を見る者は、その世界を理解し、自由に歩き回ることが出来る。しかしその虚構の世界が、嘘も真実もないまぜになった世界で、主人公は普段から現実と虚構を行ったり来たりしている俳優という職業を持つ者であり、なおかつ彼とその妻を待ち受ける「ふるさと」は何が本当で何が嘘なのかがまったく分からない世界と来たら、あなたの頭の中には確固たる世界が浮かぶだろうか。しかし、清水邦夫がふたつの相反する概念を複雑に絡み合わせた戯曲「火のようにさみしい姉がいて」は、一見無秩序に物語に絡んでいるような矛盾が、最後には主人公を現実的に激しく突き上げ、観客の脳に衝撃を与える問題作。清水が主宰していた演劇企画集団「木冬社」が1978年に山崎努、松本典子、岸田今日子で初演し、1996年に蟹江敬三、樫山文枝、松本典子で再演した幻の名作が、清水の盟友である蜷川幸雄の初演出によって、2014年の現代に再びよみがえった。段田安則に加え、舞台初共演となる宮沢りえ、大竹しのぶという当代随一の演技力を誇る3人が魂をぶつけ合うシス・カンパニー公演舞台「火のようにさみしい姉がいて」の誕生である。

★Bunkamuraラインナップ「火のようにさみしい姉がいて」

 蜷川幸雄と清水邦夫と言えば、言わずと知れたゴールデンコンビ。現代人劇場を旗揚げした仲間であり、「真情あふるる軽薄さ」などで演出家、劇作家として互いを呼応させ合うような創作的作業を積み重ねてきた。近年も「血の婚礼」「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」など清水作品を積極的にとりあげている。

 今回は、清水の代表作のひとつとされながら、蜷川の演出による上演がなかったのが不思議なぐらいの「火のようにさみしい姉がいて」の上演。前回の清水自身の演出による再演以来実に28年ぶりの上演となった。
 意外にも大竹しのぶと宮沢りえは、2011年の大河ドラマでの共演はあるものの、舞台では今回が初共演。普段から、それぞれが主演を務める舞台作品を見るたびに、この二人の共演を切望しながらも、きっと実現はしないのだろうと多くの人が思っていたことが実現したのだ。

 作品を論理的に理解するためには、かなりの内容の紹介が必要になるが、まだまだ公演の続くこの時期にそれは酷というものであり、ほんのさわりの部分と骨格だけの紹介にとどめる。
 舞台は大きく分けて2つ。主人公の俳優(段田安則)が舞台出演中の劇場の楽屋と、「転地療養」のために元女優の妻(宮沢りえ)とともに出掛けた俳優の故郷で道を尋ねるために入った理髪店だ。

 俳優はシェイクスピア劇に定評のある名優だが、夫とせりふ合わせをしながら妻は、夫の精神の境界が曖昧になりつつあることを感じている。俳優という職業がそもそもそういう存在なのだとしてもである。

 故郷には姉が残っている(はずだ)。
 故郷にほど近い雪国の村に降り立った夫婦は、実家のある地区へと向かうバス停があったはずの場所に行ったが、そこには何もなかった。道を尋ねようと近くにあった理髪店に入った。ストーブがついているが誰もいない様子。妻はトイレを借りるために奥へ。俳優の男は理髪店の大きな鏡の前で思わず「オセロー」のせりふを吟じてしまう。誤って、ある不始末もしでかした。
 そこに理髪店の女主人(大竹しのぶ)や客と思われる人たち、そして村の女たちが戻ってきた。当然ながら、奇っ怪な状況で人の店に闖入している夫婦に対して最大限の警戒心を見せながら…。
 深刻な対立は、やがて女主人がその俳優の「姉」本人だと名乗り始め、周りの人々もそれを認め始めるころから、異様な混乱の中に落とし込まれていく。
 やがて追い詰められた俳優がとった行動とは?

 この空間では真実と虚構、現実世界と異界、正気と狂気、都会とへき地、ある種の頂点と底辺とさまざまな対立する要素が渾然と入り混じっている。しかし、どちらが正しいとか、今はどちらかのモードだとか断定する判断材料がないために、なにもかもがひどく不安定だ。だから突飛な展開や言動の飛躍があったとしても、それは一般的な不条理劇のようにその落差や絶対矛盾の状況を楽しむという鑑賞法も通用せず、なにもかもが現実的に主人公を刺し、観客を突き通す。
 蜷川は楽屋にしても理髪店にしても、セットを徹底的にリアルに作り込んでいるため、その作用は余計に強くなっている。

 またこの作品を見て初めて気付いたのだが、楽屋と理髪店というのは、鏡の大小は違うものの、いずれも鏡が横にずらりと並んだ「鏡の国」である。そこに写っているものもまた本当かうそが分からない。これほどこの戯曲にふさわしい舞台はないのだ。劇中別の場面にも鏡は重要な表現として登場する。
 こう書いていて思い出したが、小学生のころに通っていた理髪店には鏡に映るとそのまま左右反対に写る時計がかけてあったが、中学生の間だけ通っていた理髪店には、最初から左右を逆にして鏡に映るとちゃんと時刻が分かる時計が掛かっていた。どちらも頭の中では同じ概念を理解していたが、考えてみればふたつの時計はまったくの別物である。

 段田はテレビでおなじみのあの自然体の演技で、この崩れゆく俳優の男を演じるものだから、ますます境界が曖昧な彼の精神は混沌としている。主人公が抱く故郷への後ろめたい感覚をものの見事に表現しているあたり、相当な研究がなされたことが推察できる。
 大竹の壮絶な表現を今さら論じても仕方がないぐらい、それは演劇の玄人素人を問わずよく知られていることであるが、まるで女の業の塊のようなこの理髪店の女主人(中の郷の女)の演技では、その場の引力がだんだんとゆがんでいくような空恐ろしい変化を示していて、いつもに増して秀逸だった。
 その大竹の恐るべき力に勝るとも劣らない表現力を見せたのは宮沢りえだ。剛の感触を持ってとげとげしさが増していく女主人に対して、宮沢の演じる妻は内側にどろっとした感触をもって壊れていく。

 こののたうちまわる3人を見るだけで十分価値のある観劇となるが、3人を取り巻く役柄にも、選び抜かれた役者たちが配されていることにも驚かされる。
 理髪店に集う人々には、ケラリーノ・サンドロビッチや井上ひさしの作品で知られる山崎一、小劇場から新劇系、時代劇まで横断的に意欲的な出演が続く平岳夫、小劇場発の雄「阿佐ヶ谷スパイダース」の劇団員で多くの演出家からひっぱりだこの中山祐一朗。また手練れの女たちにも、蜷川と劇団青俳同期の市川夏江、翻訳物の他「春琴」のアナウンサーなど印象的な役柄が多い立石涼子、文学座出身で幅広い出演を続ける新橋耐子と豪華な顔が並んでいる。俳優の男の弟子らしき青年には、満島ひかりの弟で朝ドラ「梅ちゃん先生」でブレークした満島真之介、理髪店で見習を務める女には小屋からの長いキャリアを持ち、現在まで数え切れない話題作、問題作に起用されている西尾まりといった注目株も据えているあたり、今回もキャスティングが光っている。
 蜷川が発掘し育てたさいたまゴールド・シアターやさいたまネクスト・シアターからの起用も心憎いばかりだ。

 舞台「火のようにさみしい姉がいて」は、9月30日まで東京・渋谷のシアターコクーンで、10月5〜13日に大阪市のシアターBRAVA!で上演予定。
 上演時間は、約2時間15分(休憩15分含む)。



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2014年09月05日

【活動報告】 岡田将生さんの初舞台「皆既食〜Total Eclipse〜」に関するインタビューが掲載されました(2014)

 テレビや映画など映像の分野で鮮烈な魅力と演技の才能を発揮している俳優の岡田将生さん。この11〜12月に東京、大阪でついに初舞台「皆既食〜Total Eclipse〜」に臨みます。
 私はその岡田将生さんと、共演の生瀬勝久さん、演出にあたる蜷川幸雄さんのインタビューなどのお手伝いをしており、このほどチケット販売のe+(イープラス)の演劇・ミュージカル・舞台情報のページにインタビューなどが掲載されました。

【e+(eplus)】舞台「皆既食〜Total Eclipse〜」インタビュー

 「皆既食〜Total Eclipse〜」はフランスの天才詩人ランボーとヴェルレーヌの禁断の愛と苦悩を描いた作品で、岡田さんがランボーを、生瀬さんがヴェルレーヌを演じます。必見の作品です。

【「皆既食〜Total Eclipse〜」チケット販売情報】
★My Bunkamura
★イープラス


 わたくし阪清和は、当ブログなどで映画・演劇・ドラマ・音楽・漫画・ウェブカルチャー・現代アートなどに関する作品批評を執筆する一方、インタビュアー、ライター、ジャーナリストとして雑誌、新聞やパンフレット、Web媒体などで幅広い取材・執筆を手掛けています。近々、これまでとは違う新展開の活動についてもご紹介する予定です。今後も機会を見つけて活動のご報告をさせていただきたいと思います。わたくしの表現活動を理解していただく一助になれば幸いです。




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2014年07月09日

【舞台】 太陽2068(2014)

 どんな社会でも、何かと何かを「区別」する要素が入り込んでくると、そこには「差別」という嫌悪すべき感情がひたひたと忍び寄ってくる。そしてほとんどの場合、どちらかがどちらかよりも優位性を求めるようになり、争いや対立が生まれる。有史以来人類が繰り返してきたこの愚かな行為は未来も続いていくのだろうか。若手劇作家・演出家の前川知大が、主宰する劇団イキウメのために書き下ろした戯曲「太陽」が、演出家、蜷川幸雄によって新たに生まれ変わり、舞台「太陽2068」として上演されている。この物語において、区別するものとは体質であり、人類が昼と夜に別れてしまった世界。超常的な異変が起きた世界と、その中でもがく人間の姿を精緻な構成力のもと描き続けてきた前川のセンス・オブ・ワンダーな世界が、蜷川の妥協を排したセンシティブな演出の積み重ねによって、よりスケールを増して立ち上がってくる壮大な作品になった。綾野剛、前田敦子、成宮寛貴という人気と実力を備えた若手の起用は大いに話題を集めているが、彼らがこの作品にもたらしたものはあまりにも大きい。近未来を描いているというのに、彼らが担う登場人物たちの選択がいやがおうもなく「今」を感じさせるからだ。

 イキウメは2003年結成。主宰の前川は2010年に紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。2011年には優秀な戯曲に与えられる鶴屋南北戯曲賞を受賞。そして2012年の読売演劇大賞で、2011年に上演したこの「太陽」などの功績によって、大賞と最優秀演出家賞をダブル受賞した。戯曲と演出の両面で高い評価を受けているのが前川の特徴である。
 舞台「太陽」が上演された2011年はもちろんあの東日本大震災の年。震災発生から半年ちょっとたったころだった。前川自身も震災にショックを受けた劇作家のひとりだが、その場で思考停止になることなく、作品を書くことで自分自身の答えを模索していこうとしていた時期と重なる。日本人が迎える運命、世界を変えてしまうほどの出来事という意味では、この作品の中で描かれている世界は、決して大震災と無関係ではないし、私自身、青山の小さな劇場でまさに目の前で演じられている劇に心が激しく脈を打ち、震えが体の表面に出ないように必死でこらえていたことを今も鮮明に覚えている。フィクションだとはとても思えなかったのだ。

 同じ台本をもとにしているが、前川自ら手を加え、今回の上演台本を書き直している。ここでは、主に今回の舞台「太陽2068」の物語をもとに、あらすじを振り返る。
 物語の舞台は21世紀の半ばだが、その半世紀ほど前に起きたある事件が契機になっている。その21世紀初頭、つまり現在とあまりかわらない時期に、世界的なバイオテロが発生し、拡散したウイルスで世界の人口は激減。政治や経済は根底から覆されてしまう。
 しかし感染しながらも回復した人々が恐るべき体質に変質していたことが分かる。免疫などが飛躍的に優れ、老化や病気に対して強くなっていたのだ。また頭脳明晰でもあった。
 彼らは自らを「ホモ・ノクセンシス」、略してノクスと呼びその優位性を主張。人間の新たなる「進化」ととらえた。ただひとつの弱点はその名が意味する「夜に生きる人」が示すように、紫外線に弱く、太陽光の下では生きることがままならないこと。人類は「昼」と「夜」にわかれてしまったのだ。
 旧人類とノクスの対立は内戦を呼び、各地で混乱。やがて30歳までの若い人であれば、ノクスの体質に移行できる方法が実用化され、徐々にノクスが数の面でも台頭。政治・経済の中心はノクス社会へと移っていった。
 それから半世紀近く、日本列島では、キュリオ(骨董品)と呼ばれるようになった旧人類はノクスに依存しつつも、なんとか生き延び暮らしていた。キュリオは四国に住むような政策が進められていたが、まだ故郷にしがみついているキュリオたちもいた。そんな人々が暮らす「長野8区」と呼ばれる地区が本当の舞台である。

 長々と説明して来たが、これはあくまでこの物語の大前提であり、ネタバレではない。ここからすべての物語は始まるのだ。

 かつてキュリオによるノクスの殺人事件が起き、長い経済封鎖の末に、ようやく制裁が解除され、交流が始まったこの地区。18歳の少年、鉄彦(綾野剛)が主人公だ。鉄彦は若者らしくノクスにあこがれていた。体質転換手術の資格を得る抽選に当たることを楽しみにしていた。鉄彦の母、純子(中嶋朋子)は、混乱した末に人口が激減し、疲弊したこの地区を世話役としてなんとかまとめてきた。村人の生田(六平直政)らの協力もありがたかった。その生田の娘、結(前田敦子)は、しっかり者で、鉄彦や拓海(内田健司)らとともに貴重な村の若者だったが、ノクスへの転換に対しては激しい迷いがあった。
 ノクスは、地区に対する厳しい管理は解いたものの、見張り番を置いて、出入りする者をチェックしていた。あるとき、その見張り番として訪れたのは森繁(成宮寛貴)。鉄彦とは彼とは不思議に気が合った。
 物語はそして始まり、鉄彦と森繁に芽生える友情と、結や鉄彦の決断、村の行く末、かつての陰惨な事件の記憶などをめぐって展開。誰も予想しなかった結末へと向かって怒濤のように進んでいく。

 前川のイキウメの舞台では、小劇場であることも手伝って、壮大なスケールの設定や舞台装置はむしろ観客の想像力の中に建設され、舞台上の芝居は人と人との感情の物語として成立させていた印象があるが、蜷川は大劇場の空間を最大限駆使し、ノクスとキュリオの差をくっきりと見せる。長屋の大きなセットにたくさんの人々が登場するキュリオの生活空間はぬくもりに満ち、一方でノクスの空間はすかすかしていて、人々の会話もクール。同じ人間の中に生まれるこれほどの差を悲しみに満ちた対比で見せた。
 舞台も単なる一層ではなく二層あるいは、多層的だ。ふたつの区別された世界を言葉以上に物語らせている。

 綾野剛は「サイケデリック・ペイン」などいくつかの芝居をこなし、初舞台ではない。しかし、映像の分野において急速に存在感を増し、深みのある演技を求められそしてそれに応えていく機会が飛躍的に増えた今こそ、舞台がふさわしい。
 ノクスに対する一途な憧れは若者特有のものだが、どこかキュリオという自分の土台への執着もないではない。鉄彦の成長こそが、この作品を貫く大きな流れとリンクしていて、とても重要な役柄だが、綾野は実に素直に役柄に入り込んでいる。作者の前川知大は、戯曲にどんなにおそろしい状況を設定しても、それを解決あるいは乗り越えていく人間のたゆまぬ営みを盛り込んでいる劇作家だが、鉄彦を演じた綾野剛は、そうした前川の「希望」という光をしっかりと体現していて秀逸だった。

 同じ共同体の中で、もっとも激しい変化を見せるのが前田敦子の演じる結。その変化を説得力を持って見せなければ、芝居全体の印象まで変わってきかねない難しい役どころだが、前田は初舞台にもかかわらず、そこを明確にやり遂げてみせた。声のトーンやテンションのコントロールについてはまだ工夫の余地はあるが、ひとつひとつのせりふは結の心の中からその肉体を通り、外に発せられているのだという生々しさを十分表現している。稽古の段階で、研ぎ澄まされていったのであろうせりふも如実に感じられ、舞台に立つ役者としての才能は、われわれの想像を遥かに超えていると言っていいだろう。
 前田がひとりで舞台にいるとき、この広い空間の空気を自らにひきつけているのがよく分かる。このチカラの存在が見えたとき、彼女のAKB48での8年間はきっとこれからの彼女を支えてくれるであろうことが確信できた。先日当ブログにアップした「もらとりあむタマ子」の映画評とも合わせて読んでもらえば、いま彼女の中で確実に大きな変化が起き始めていることが分かってもらえるだろう。

 この舞台では特に成宮の俳優としての成長が感じられる。舞台は2000年ごろからキャリアを積んでいたが、2004年と2007年に蜷川にシェイクスピア劇で厳しく指導された「お気に召すまま」がエポックメーキングになったであろうことは間違いのないところだろう。その後「魔界転生」の天草四郎や「太陽に灼かれて」のミーチャ役などで印象的な舞台演技が続いた成宮。「相棒」シリーズなどテレビ、映画での活躍はそのまま大きな収穫となって、本作の舞台にも活かされている。彼が演じた森繁は落ち着いた語り口ながら、若者の情熱と希望を感じさせる本物感のあるどっしりとした役柄。揺るぎない演技で造形する様には確かな成長があったといっていい。

 3人だけでなく、本作では、蜷川幸雄の俳優を見抜く目と、キャスティングのうまさが本当によく分かる。中嶋の持つ母性、六平の持つ人情味、横田栄司のカミソリのような鋭さ。これらのイメージは物語の中のそれぞれの役柄を鮮やかに彩る。そしてまた、蜷川芝居の常連である横田、六平、大石継太に加えて、近年蜷川組になりつつある伊藤蘭、山崎一、成宮寛貴を配し、さらには蜷川が芸術監督を務める彩の国さいたま芸術劇場で創り上げたさいたまネクスト・シアター(無名の若手俳優による劇団)から内田健司を抜てきし、さいたまゴールド・シアター(平均年齢75歳の高齢者による劇団)から多くの俳優を村人役に起用。まさに蜷川の創造してきたさまざまな要素が見事なシンフォニーを奏でている印象だ。

 舞台「太陽2068」は8月3日まで、東京・渋谷のシアターコクーンで上演予定。
 上演時間は、2時間55分(休憩15分)。


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2013年10月06日

【News】「海辺のカフカ」舞台版の再演決定、主演は公募(2013)

 2012年に柳楽優弥の主演で上演された蜷川幸雄演出の舞台「海辺のカフカ」が2014年6、7月に再演されることが決定した。今回はさいたまと東京の2カ所。2015年にはロンドン、ニューヨークでの公演も予定されている。
 しかも、今回は主演俳優を公募しており、11月23〜25日に、書類審査に通った人たちを対象として第1次、2次、最終オーディションが行われる。応募の締め切りは11月2日(当日の消印有効)だ。

 応募資格は、14〜20歳の男子で、2014年と2015年の公演に出演できる人。プロ・アマの区別は問わないが、20歳未満の未成年者は親権者の承諾が必要だという。
 彩の国さいたま芸術劇場のホームページから用紙をダウンロードして書類で応募する方法と、同様にホームページのエントリーフォームからネットで応募する方法がある。記入事項など詳しくは、ホームページを参照のこと。

 初演は、村上春樹の世界的ベストセラー小説「海辺のカフカ」を2008年に米国人フランク・ギャラティが舞台化した脚本をもとに、蜷川幸雄が新演出に挑戦。ひそやかながら、豊潤な意味合いを持つシーンが積み重ねられ、血の通ったファンタジーに昇華していくさまが圧巻だった。村上春樹小説の持つ、あの透明感とぬくもりを、見事なまでに視覚化し得ていた。
 父親との確執を抱えた15歳のカフカは家出して高松へ。あるいわくありげな図書館に居場所を得て司書の大島と心を通い合わせる。家出は単なる家出ではなくなっている。大島にも秘密がある。
 猫と会話できる東京の老人ナカタさんは、町に跋扈する猫殺しの男と遭遇し、仲間のような猫たちの悲劇と激しい悲しみを自分のもののように感受し、身を引きちぎられそうになる。しかし、運命的に出会ったトラック運転手の星野に助けられながら、ナカタさんは立ち上がった。そして、やはり高松へと導かれる。二つの流れはやがてシンクロする。観客はもう深い森の中にいる。
 象徴的なものをちりばめ、メタファー(隠喩)にあふれた原作。シンプルに整理されすぎたきらいのあるフランク・ギャラティの戯曲を、蜷川はあえて重層的に織りあげ、森の奥にある遠い世界へと観客を誘った。米国の自然史博物館の展示法にヒントを得たというガラスケースに各シーンのセットがしつらえられ、当該のシーンのセットが入ったガラスケースを中央に移動させる。この、スタッフによって交互に入れ替えられる珍しい手法は、この演劇的実験を、観客もまた“共犯”として目撃している気分にさせてくれたものだ。

 今回の再演では、主役のカフカ役の俳優がオーディションで選ばれるほか、主要な役どころでは、宮沢りえと藤木直人が新たに参加する。演技派の俳優を加えることで、舞台はより深みを増しそう。前回、はまり役だった木場勝己が再び、ナカタさん役を演じるのも楽しみだ。


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2013年10月04日

【舞台】 ムサシ ロンドン・NYバージョン(2013)

 復讐というと聞こえが良いが、復讐の復讐となると、ちょっとそれはどうなのかと思い始める。そしてまた復讐の復讐の復讐となってくるともうなんだか分からなくなってくる。鶏か卵かという話に似ているが、復讐という暴力の連鎖においては、むしろ最初の源は、諸悪の根源ということになる。だから本当に大切なのは、復讐がどこまでもつながっていく状態では、どちらが悪いかを決めることよりも、どちらかが連鎖を絶つことが何よりも重要なことだということだ。デビュー以来、反戦平和を物語の中に反映し続けてきた井上ひさしは、2001年に起きた9.11(米中枢同時テロ)とその後のアフガニスタン侵攻という現代最大の「暴力の連鎖」を目の当たりにして、舞台「ムサシ」を全身全霊で書き上げた。世界の巨匠蜷川幸雄によって初演されたのは2009年春。翌2010年にニューヨーク、ロンドンで上演された特別バージョンの再演が今回の「ムサシ ロンドン・NYバージョン」である。3年の時を経ても、世界の暴力は連鎖ではなく拡散という巧妙な手を使って続いているが、井上ひさしが命を削ってまで伝えたかった「命の輝き」というメッセージは、今も揺るぎない確かさを持って観客のもとに届いている。

 宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の場としてあまりにも有名な巌流島(舟島)。その闘いの真相については争いの原因から、当日の様子(本当に武蔵が遅れてきたのか)、勝負の経緯、決闘後の様子までさまざまな説があるが、確かなことは、勝負は宮本武蔵が勝ち、その後も武蔵に関する記録が全国各地に残っているということだ。佐々木小次郎は明確な記録がないことから、この決闘によって死んだと推測されるものの、さまざまな資料から、武蔵は、勝った後まだ息のあった小次郎にとどめをささなかったという説はどうやら有力のようだ。
 そこから発想したのかどうかは確かめようがないが、井上ひさしは、会見などで吉川英治の小説「宮本武蔵」に「小次郎は手当によっては助かる」との記述があったことに触発されたことを明言しており、ここらあたりから話を広げていった可能性が強い。
 つまり舞台「ムサシ」は、佐々木小次郎が巌流島の決闘では死なず、執拗に宮本武蔵を追いかけて再戦を挑む物語なのである。

 並みの劇作家ならば、再戦までの経緯と、再戦そのものをたっぷりと描き、血湧き肉躍る物語にしたことだろう。しかし井上ひさしは現代日本において希代の作家だ。そんな安易な作劇はしない。再戦のため鎌倉で武蔵を探し当てた小次郎が一触即発のムードになるものの、寺開きの禅を3日間かけて開いている最中であるため、しばしの自粛を迫られる物語として描いた。この禅の間、武蔵と小次郎、そして禅の参加者らは、命とは何か、憎しみとは何かという重いテーマに向き合わざるを得なくなるのである。

 冒頭、ほとんど一瞬のうちに、巌流島の決闘が描かれる。さやを抜いて捨てた小次郎(溝端淳平)に武蔵(藤原竜也)が「小次郎敗れたり」と言い放つところや、息のある小次郎を見て、立ち会いの者に手当を要請するところなど、日本人なら誰もが知る宮本武蔵の世界が展開する。そして一変、舞台が風にそよぐ深い木立に囲まれた真新しい寺に移っていくと、たちまち、井上ひさしの世界へと急展開していくのである。この鮮やかな転換に観客はもう既に「ムサシ」という物語のど真ん中に引き込まれている。
 これには蜷川の演出が効いている。木立は最初奥の方から舞台の前へと押し出され、やがてさまざまな動きをしながら、舞台の上手下手、後方へと別れていく。そこに寺が表れるのだ。これは深い森を分け入って、寺にたどり着く旅人たちの視点であり、観客の視点でもある。劇中「結界」という言葉が出てくるが、まさにこの深い森の中では何が起こってもおかしくないとさえ思わせる。単なる舞台装置の転換と言えなくもない場面で、蜷川とそのスタッフはこれだけ多くの情報を発信しているのだ。

 宮本武蔵自ら作事(築造、普請)した鎌倉の新しい寺、宝蓮寺では、寺開きの参籠禅が開かれようとしていた。住持(住職)の平心(大石継太)や武蔵の他には、大徳寺の沢庵(六平直政)、将軍家の兵法指南役で将軍の個人的な政治顧問でもある柳生宗矩(吉田鋼太郎)、寺に財産の一部や建材を寄進した木屋まい(白石加代子)と筆屋乙女(鈴木杏)が参加し、にぎやかなイベントとなっていた。
 ところがみんな普通のようでいてどこか変わっている。平心はにこやかな笑顔の好青年ながら時折素っ頓狂な声を出すなど緊張気味。沢庵も位の高い坊さまでありながら、常に何かを企んでいる様子。柳生宗矩に至っては、兵法指南役でありながら、剣を使わない方法を常に考えていて、さらには能狂いの一面があり、なにかのきっかけですぐに謡い踊り出す始末だ。まいは大家の未亡人で、乙女も死んだ父親に変わって筆の店を切り盛りするしっかり者の娘だが、2人ともなにやら事情を抱えている様子で、ミステリアスだ。

 無粋にもここに登場したのが佐々木小次郎。一命を取り留めて謙虚になるのではなく、巌流島の決闘は、武蔵が遅れて来るなどずるい一面があったと指摘するなど、とてつもなくあきらめが悪い。いずれもその名を諸国に轟かせた剣客。両雄並び立たずということか、彼らは常に決着を求めるのだ。
 小次郎はなんとか参籠禅が明ける3日後の朝に決闘の再戦をすることを武蔵に約束させるが、居所もなく、結局参籠禅に参加するはめに。

 ここからは舞台で楽しんでほしいが、寝食をともにする参籠禅の間、この宿敵2人を2人だけにしまいと参加者たちは知恵を絞る。中でも、柳生宗矩が発案した二人三脚の案は傑作で、武蔵と小次郎は別々の人間と足を結び合わされる。男性ばかりで寺に泊まった夜には五人六脚での珍妙なダンスも披露する。日本でも著名な俳優が大まじめに取り組んでいるこの場面は大受けだったが、ロンドン、ニューヨークでもまじめなことを言っているのにやたらとひねりが利いて可笑しいこの場面に拍手喝采。タンゴのメロディーとリズムが重ね合わされるなど、万国共通の面白さに会場は大いに受けていたのだ。

 まいや乙女が創り出す突然の緊迫した仕掛けも含めて、何もかもが、武蔵と小次郎2人の闘いをやめさせようとしているようにも見える。刀を捨てろというのか。天下の対決を前に2人の心は大きく揺らぎ出す。そしてその時、大きな秘密が明かされる。

 大きなストーリーとは直接関係なくとも、個々人のキャラクターを描くためのシーンを井上は惜しみなく用意している。蜷川は、それをひとつひとつ丁寧に受け、俳優自身の潜在能力まで引き出して、観客に新しい姿を提示する。白石加代子にいたっては全編アドリブではないかと思わせるほどの創意が見られるが、もちろん井上戯曲のせりふは絶対であり、これもまた井上ワールドなのである。

 藤原の武蔵は、その無駄のない動きと、懐深いキャラクターの造型において、まさにはまり役と言っていいだろう。しかも毎バージョンごとに進化を続けていることも見て取れた。実際の武蔵は剣法を哲学のレベルにまで高めて多くの書物を残しているし、いくつかの著名な城の日本庭園を作庭した人。農業など剣法とは無縁とも思われる穏やかな生活にも大いに関心を持っていた江戸時代初期では極めて傑出した人物である。激しい内面と静かなたたずまい。武蔵の持つ2つの面を毎回ブラッシュアップしながら、描き続けている若き達人である。

 小次郎役は、初演が小栗旬、ロンドン・NYバージョンが勝地涼、そして今回は溝端淳平である。武蔵を破るのではないかと思わせるほど迫力のあった小栗小次郎、演劇のなんたるかを最も知っていて縦横無尽の動きを見せた勝地小次郎。そして溝端小次郎である。
 実は彼の小次郎こそ決定版ではないかと思わせた。経験はそれほど豊富ではない溝端だが、小次郎の人間性を最もよく表していたのではないかと思わせるからだ。剣法の研鑽を急ぐあまり、人間として野太さを実現することに重きを置いていなかった小次郎の持つどこか線の細い感じがよく出ていたのだ。もちろん溝端が線の細い人間だと言っているわけではない。そういうキャラクターをもっともうまく演じられる俳優であると言うことだ。いわゆるイケメン的な扱いばかりされていたデビュー直後から、溝端が俳優として急速な進歩を遂げていることを私は知っている。もちろん彼の出演する映画、テレビドラマはすべて見た上での評価だ。特に映画「黄金を抱いて翔べ」での、ギャンブル狂いでどうしようもなくだらしない男が、最後には恐ろしいまでの反撃力を見せ一矢を報いる演技は鬼気迫るものがあった。テレビドラマでもこれまでの好青年役から、悪役や不誠実な役柄までこなすようになって、俳優としての幅が広がってきている。「NECK」「ウサニ」「こんばんは、父さん」など舞台作品も着実に増やしてきての蜷川演出初挑戦である。本作での経験は間違いなく、今後の彼の血肉となるだろう。

 吉田鋼太郎は大ヒットドラマ「半沢直樹」での好演でますます視聴者にもなじみの深い俳優になっているが、彼の真骨頂はやはり舞台での演技である。柳生宗矩という剛の者なのか柔の者なのかよく分からない人物を演じられるのは彼以外いないだろう。シェイクスピア劇で鍛えられたせりふの力強さ、あふれかえる自信。そしてまったく食えない人物を造型する見事さ。彼がいなければ、「ムサシ」は成立しないのではないかと思うほどの存在感だ。

 白石加代子はその怪演ぶりもすごいが、本当に評価されるべきなのは、この「ムサシ」という劇の中に、本当の「和」を注入する役割を見事に果たしていたことだ。所作、言葉遣い、歩き方、踊り、すべてに正真正銘の筋金入りの「和」がある。他の俳優は、その上で踊っているだけなのかもしれない。

 若手若手と言われて久しいが実はまだ若手の鈴木杏。この人ほど、演劇の魂を身にまとえる人も珍しい。少女のようなあどけなさから、妖怪のようなおどろおどろしさまで、端正に表現していくその様は、舞台こそ自らの場所であると覚悟を持った者だけが持つ凄みだ。

 仏教に帰依した者の表と裏を表しているような平心と沢庵を演じた大石継太と六平直政はともに蜷川作品に長くたずさわってきた俳優。芝居のおさえ処を着実にこなしていくあたり、さすがに蜷川組の名に恥じない活躍である。

 同じ時代に活躍した演劇人でありながら、新作でのコラボレーションはこの「ムサシ」が初めてだった蜷川幸雄と井上ひさし。「時代の併走者」として歩んだ過去ではなく、常に現在と未来に照準を当てている2人の表現者が成し遂げた大きな事業が、この「ムサシ」であったということもできるのだ。だから、こんなに新しい。

 蜷川は、仕草やせりふの滑稽さで見せる場面、俳優の演技で見せる場面、大仕掛けの装置で見せる場面、すべてをわきまえて、最善の見せ方をしているように見える。私は新聞記者として、「ムサシ」初演時の劇場で談笑する蜷川幸雄と井上ひさしの笑顔にたまたま出くわす幸運に恵まれたが、あのときの笑顔が今も忘れられない。このロンドン・NYバージョンの再演でも、井上はきっと劇場のどこかであの笑顔を見せているに違いない。

 舞台「ムサシ ロンドン・NYバージョン」は、10月20日まで、さいたま市の彩の国さいたま芸術劇場で、10月25〜29日、大阪市の梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、11月8〜9日、シンガポールのエスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイで上演予定。そして彩の国さいたま芸術劇場のホームページによると、2014年には韓国でも公演が予定されているという。

 なお、余談だが、劇場で溝端ファンが「どうせ最初の25分は出てこないから」と話している姿を見掛けた。ネットやファンの間でこういう噂が飛び交っているのかもしれないが、最初に書いたように、冒頭で巌流島の決闘があるため、溝端淳平はいきなり登場する。
 だから決して遅れないように。念のため。


★舞台「ムサシ」通常版DVD


★舞台「ムサシ」特別版Blu-ray


★「ムサシ激動の123日間の舞台裏−蜷川幸雄と若き俳優たち−」DVD


★舞台「ムサシ ロンドン・NYバージョン」通常版DVD(初演時の映像です。今回の再演の映像ではありません)



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2013年06月26日

【舞台】 海辺のカフカ(2012)=アーカイブ

 村上春樹の世界的ベストセラー小説「海辺のカフカ」を2008年に米国人フランク・ギャラティが舞台化した脚本をもとに、蜷川幸雄が新演出に挑戦。ひそやかながら、豊潤な意味合いを持つシーンが積み重ねられ、血の通ったファンタジーに昇華していくさまは圧巻だ。村上春樹小説の持つ、あの透明感とぬくもりを、これほどまでに視覚化し得た秘密をとことん探りたくなる舞台だ。

 父親との確執を抱えた15歳のカフカ(柳楽優弥)は家出して高松へ。あるいわくありげな図書館に居場所を得て司書の大島(長谷川博己)と心を通い合わせる。家出は単なる家出ではなくなっている。大島にも秘密がある。

 猫と会話できる東京の老人ナカタさん(木場勝己)は、町に跋扈する猫殺しの男と遭遇し、仲間のような猫たちの悲劇と激しい悲しみを自分のもののように感受し、身を引きちぎられそうになる。しかし、運命的に出会ったトラック運転手の星野(高橋努)に助けられながら、ナカタさんは立ち上がった。そして、やはり高松へと導かれる。二つの流れはやがてシンクロする。観客はもう深い森の中にいる。

 象徴的なものをちりばめ、メタファー(隠喩)にあふれた原作。シンプルに整理されすぎたきらいのあるフランク・ギャラティの戯曲を、蜷川はあえて重層的に織りあげ、森の奥にある遠い世界へと観客を誘う。

 米国の自然史博物館の展示法にヒントを得たというガラスケースに各シーンのセットがしつらえられ、当該のシーンのセットが入ったガラスケースを中央に移動させる。この、スタッフによって交互に入れ替えられる珍しい手法は、この演劇的実験を、観客もまた“共犯”として目撃している気分にさせてくれる。

 初舞台の柳楽にどうしても目が行く。映画ではあれだけの存在感を発揮する彼が果たして舞台の上でどんなふうに見えるのか。心配もしていた。しかしいい意味で予想を裏切ってくれた。「包帯クラブ」などの映画で画面からはみ出しそうだった器の大きさは、圧倒的に演劇向きなのだ。
 カフカが受けた深い傷痕のむごたらしさと、歩み始めるたくましい勇気をビビッドに表現できるあたり、並の若手ではない。いや、もともと持っているものが他の人とは明らかに違う。

 そして目を引くのが長谷川博己。中性的な表皮に隠れた激しい内面的葛藤を、抑えた表情の中に見せる演技力は同世代の俳優と比べても圧倒的に群を抜いている。
はまり役だったのは木場。物語の中でもそう扱われているように、神様のような存在感をかもしだしており、忘れがたい。

 【アーカイブMEMO】舞台「海辺のカフカ」は、2012年5月3〜20日に彩の国さいたま芸術劇場で、6月21〜24日大阪市のシアターBRAVA!で上演された。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
舞台「海辺のカフカ」

<主 演> 柳楽優弥
<出 演> 長谷川博己、田中裕子、柿沢勇人、佐藤江梨子、高橋努、木場勝己、新川将人、妹尾正文、マメ山田、堀文明、TROY、みほ、多岐川装子、景山仁美、深谷美歩、浅場万矢、土井睦月子、手打隆盛
<演 出> 蜷川幸雄
<脚 本> フランク・ギャラティ
<原 作> 村上春樹
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


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2012年11月12日

【舞台】 日の浦姫物語(2012)

 波瀾万丈、抱腹絶倒、色即是空に近親相姦。とてもとても重いテーマを背負った物語なのに、運命を疾走していく解放感にあふれ、ありえないほど不道徳な主人公たちなのに、人間らしくて抱きしめてやりたくなるほど愛おしい。なにやら、井上ひさしと蜷川幸雄のたくらみの魔法にまんまとかかってしまったようだ。舞台「日の浦姫物語」は、自分たちとは一見関係ない遠い世界の物語のように見えて、実は一人一人の人間が持つ根源的な部分に訴えかけてくる油断ならない作品。だからこそ、どうしようもなく人々を引きつけるのだ。

 井上ひさしが1978年に、文学座に初めて書き下ろした戯曲。昭和を代表する女優、杉村春子が演じて、喝采を浴びた。上演が途切れていたこの傑作が、大竹しのぶと藤原竜也という現代の舞台の申し子たちによって、復活したのだ。
 二人は蜷川作品にも多く出演し、同じ「身毒丸」を別々の相手役と演じたこともある。不思議な縁(えにし)を持ちながらも、今回が初共演というから驚きだ。物語が進むにつれ関係性が変化していく役柄。しかし二人はその中にも一貫とした愛を核にして、数奇な運命に説得力を与える。

 説経節をうなりながら、全国を行脚する男女二人。彼らが語るのは、平安時代の物語だ。奥州・米田庄(こめたのしょう)を束ねる藤原成親夫妻が授かったのは、双子の兄、稲若(藤原竜也)と妹、日の浦姫(大竹しのぶ)。母は二人を産むために他界したが、兄妹はすくすくと仲良く美しく育った。15歳になり、成親が亡くなった日に、こともあろうか兄妹で契りを結んでしまう。やがて懐妊した日の浦姫。叔父の宗親が二人を引き離し、生まれた子も小舟に乗せて海に流された。
 これだけでも十分な悲恋物語になりそうなものだが、井上は容赦しない。18年後、米田庄に現れた剛健な若者は、悪党をやっつけ、日の浦姫の夫に迎えられる。
 これ以上の説明は不要だろう。運命に翻弄され、純粋な愛がねじ伏せられていく二人。波瀾万丈の展開の末、ようやく説経節らしい落ち着き処を見つけ出すのだ。
 二人の行いが正しいかどうかはひとまず置いておこう。あくまでも純粋さを求めるのであれば、「正しい」という概念さえもが変化していくのだから。

 大竹は日の浦の変化に明確なメリハリを付けた。幼いころの声色や仕草はまるで少女が乗り移ったかのよう。世間の「憑依型女優」というイメージを自ら「でも、そういう自分を見ているもう一人の私がいるんだけどなあ」と言ってみせたが、魂の無邪気さまで表現する演技力はまさに真骨頂と言える。息子を夫に迎えることになるころには、なにか重みのようなものを付加。恥じることのない行いだったとは言え、決して犯してはならない罪を犯してしまった者としての悔恨も感じさせ、出色だった。

 藤原は、同じ井上=蜷川の「ムサシ」での宮本武蔵役でも見せた武者ぶりを再びうまく表現した。日の浦と夫婦になっていく微妙な変化も、丹念に積み上げる忍耐力を感じさせた。コミカルなシーンでも、決して気を許していない。初舞台でいきなり演出を受け、蜷川演劇の申し子と言われている藤原にとっても、蜷川の舞台は心癒やされる故郷と言うより、あくまでも極北の鍛錬の場なのであろう。

 これだけのテーマを背負っているというのに、登場人物たちは楽観的だ。「人生はそういうもの」という達観よりも、むしろそれは「運命と闘うこと、それが人生」という覚悟のもとに雄々しく立ち向かっているという感じなのだ。だから湿っぽい考え方はしない。このあきれかえった明るさはきっとそれが影響している。

 それに井上が戯曲のあちこちで遊んでいる様子がうかがえ、ほほえましくなる。ちょっとしたせりふが実は言葉遊びだったり、独特のリズムをつけてみたり。杉村春子へのあて書きだったということから「女の一生」のせりふを挟んでみたり、パロディー精神も盛り沢山。全体的に歌舞伎をパロディーにしているようなセットや舞台効果が、伝統芸能への尊敬と敵対心を同時に物語っているようで、興味深い。蜷川がさまざまな仕掛けでこの物語を現代に引きつけようとする試み。それは日本人というものの本質を今一度観客に見つめ直してほしいという願望なのかもしれない。


andyhouse777 at 09:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
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<08> MIWA(3890)
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<10> 「カッコーの巣の上で」舞台版が小栗旬主演で開幕(3316)
<11> 抜目のない未亡人(2862)
<12> マーガレット(2641)
<13> PLAYZONE → IN NISSAY(2550)
<14> 高校中パニック!小激突!!(2213)
<15> ストリッパー物語(2132)
<16> ダディ・ロング・レッグス=2014(2059)
<17> 刑事ドラマの殉職特集を放送(2049)
<18> 殺風景(1952)
<19> 今ひとたびの修羅(1818)
<20> ムサシ ロンドン・NYバージョン(1791)
<21> ムサシ ロンドン・NYバージョン=2014(1791)
<22> 「レ・ミゼラブル」と「アルゴ」にGグローブ賞(1760)
<23> かもめ(1725)
<24> 頭痛肩こり樋口一葉(1693)
<25> レディ・ベス(1665)
<26> イン・ザ・ハイツ(1637)
<27> 私が黄金を追う理由(1593)
<28> ジャック再び降臨「24」最新シリーズ放送開始(1592)
<29> 木の上の軍隊(1522)
<30> 国民の映画(1517)
<31> 2013前期芥川賞に藤野可織、直木賞に桜木紫乃(1315)
<32> ショーシャンクの空に(1280)
<33> ジャニーズ2020ワールド(1228)
<34> A.B.C座2013 ジャニーズ伝説(1178)
<35> サ・ビ・タ〜雨が運んだ愛〜=2014(1116)
<36> DREAM BOYS JET(1113)
<37> 「愛の渦」映画化(1087)
<38> 「ピトレスク」の稽古場公開(1085)
<39> 「レディ・ベス」世界初演ついに幕開け(1065)
<40> BACK STAGE(1047)
<41> 金閣寺(1028)
<42> シスター・アクト(990)
<43> レ・ミゼラブル(958)
<44> THE BIG FELLAH(953)
<45> 「天才執事ジーヴス」でウエンツと里見が名コンビに(952)
<46> 半沢直樹(923)
<47> もらとりあむタマ子(918)
<48> ザ・ワーズ 盗まれた人生(875)
<49> Holidays 休暇(862)
<50> ロスト・イン・ヨンカーズ(816)
<51> ミュージカルベストテンの選考投票に参加(804)
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<54> クリプトグラム(779)
<55> うかうか三十、ちょろちょろ四十(761)
<56> 奇跡の7人「THE BIG FELLAH」に集う(755)
<57> シレンシオ(695)
<58> アルトナの幽閉者(652)
<59> 筧利夫が世界最新演出版の初回を無事完遂(637)
<60> ネクスト・トゥ・ノーマル(635)
<61> ザ・ビューティフル・ゲーム(624)
<62> 私のダーリン(618)
<63> LOVE CHASE !!(599)
<64> SHOCK1000回達成(591)
<65> つか版・忠臣蔵〜大願成就討ち入り篇〜(589)
<66> 第86回日本アカデミー賞主演女優賞に真木よう子(575)
<67> 天翔ける風に(574)
<68> 愛の渦(572)
<69> 恋と音楽(569)
<70> モンテ・クリスト伯(551)
<71> ストロベリーナイト(549)
<72> 半沢直樹 その2(530)
<73> 第86回日本アカデミー賞主演男優賞に松田龍平(520)
<74> ベネチア金獅子賞に「サクロ・グラ」(513)
<75> 第86回日本アカデミー賞助演女優に真木よう子(498)
<76> 韓国版「家政婦のミタ」はチェ・ジウ主演(494)
<77> 米経済紙が半沢直樹特集、英語で倍返しは?(493)
<78> 第150回芥川賞直木賞候補作決まる(492)
<79> ライクドロシー(477)
<79> エニシング・ゴーズ(477)
<81> 太鼓たたいて笛ふいて(475)
<82> マイ・フェア・レディ(465)
<83> 屋根の上のヴァィオリン弾き(458)
<84> 秋のソナタ(450)
<85> ABC座2014ジャニーズ伝説(439)
<86> 「ミス・サイゴン」世界最新演出版の稽古場公開(437)
<86> 「ミス・サイゴン」世界最新演出版の稽古場公開(437)
<88> 渇いた太陽(436)
<89> 雨と夢のあとに(435)
<90> マンマ・ミーア!(429)
<91> 晩餐(426)
<91> マイケル・ジャクソンの新曲8曲入り新譜発売へ(426)
<93> 声(423)
<94> Tribes(417)
<95> ジェニファー・ローレンスがショートヘアーに(408)
<96> Paco〜パコと魔法の絵本〜from『ガマ王子vsザリガニ魔人』(403)
<97> 名もない祝福として(396)
<98> テンペストを白井晃演出で(395)
<99> ジャニーズ・ワールド(390)
<100> 半沢直樹 その3(383)
<101> 「シェルブールの雨傘」5年ぶり再演へ(378)
<102> 音のいない世界で(375)
<103> テイク・ディス・ワルツ(369)
<104> 組曲虐殺(364)
<104> 春琴(364)
<106> 「レ・ミゼラブル」は6/21発売(361)
<106> 「国民の映画」再演決定(361)
<108> ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(348)
<109> レ・ミゼラブル新演出版(347)
<110> 関数ドミノ(346)
<111> NO MORE 映画泥棒新バージョン(342)
<112> ピアフ(339)
<113> 海辺のカフカ◆archive◆(338)
<114> 007ファッション南青山で公開(334)
<114> 北島三郎、座長公演も最後と表明「引退ではない。歌い続ける」(334)
<116> 野田秀樹の「MIWA」に豪華俳優が集結(331)
<117> ロンドンでマティスの切り紙絵展始まる(330)
<118> ハリウッド白熱教室(322)
<119> リトルマーメイド(320)
<120> ぴんとこな(316)
<121> トガニ 幼き瞳の告発(313)
<122> カンヌバルムドールに「アデルの人生」(309)
<123> 脳男(305)
<124> トニー賞は「キンキーブーツ」(301)
<125> 赤鬼(299)
<126> BRAVE HEARTS 海猿(293)
<127> 「レディ・ベス」開幕前にトークイベント(291)
<128> 「オペラ座の怪人」完結編ついに日本初演へ(290)
<129> 第86回日本アカデミー賞作品賞に「舟を編む」(286)
<130> 取材・執筆した「殺風景」PR記事が掲載されました(281)
<131> ナタリー・ウッド事故死ではない可能性(278)
<131> 第86回日本アカデミー賞監督賞に石井裕也(278)
<133> 「海辺のカフカ」再演決定(277)
<134> 真夏の方程式(273)
<135> ハーベスト(269)
<135> 第21回読売演劇大賞は森新太郎(269)
<137> 4 four(268)
<137> 日の浦姫物語(268)
<139> iSAMU(258)
<140> ウルトラマリンブルー・クリスマス(254)
<140> 「風立ちぬ」公式上映で瀧本美織が存在感を発揮(254)
<142> トニー賞2014Ms作品賞(251)
<142> 進化するミス・サイゴン7月から世界最新演出で日本公演(251)
<144> ワイルド・スピード EURO MISSION(249)
<145> 半沢直樹第2回は21.8%で大台乗り(245)
<146> 小さいおうち(244)
<147> てんぷくトリオのコント(243)
<148> 「スクルージ」開幕、市村正親が意欲(242)
<149> 第67回カンヌ国際映画祭が開幕、長澤まさみも登場(241)
<150> アジア温泉(230)
<151> スター・トレック イントゥ・ダークネス(229)
<152> 「シスター・アクト」に個性派ずらり(226)
<152> 河瀬直美「2つ目の窓」公式上映で12分の鳴り止まぬ拍手(226)
<154> 片鱗(225)
<155> ジョン万次郎の夢(223)
<156> 白い夜の宴(221)
<157> 台湾の超美形ボーカルバンド人気、日本に到達(216)
<157> 野田秀樹の「赤鬼」気鋭の演出家・俳優で上演中(216)
<159> ウィズ〜オズの魔法使い〜(215)
<160> ビトレスクキャスト陣一体感強調(214)
<160> 戦隊ヒロイン「女子ーズ」にときめく5女優集結(214)
<162> GODZILLA ゴジラ(212)
<163> 第151回芥川賞直木賞候補作決まる(211)
<164> マクベス(207)
<164> ムーミン生んだトーベ・ヤンソン生誕100周年迎える(207)
<166> サウンド・オブ・ミュージック(205)
<167> テレ東が「不明者」を大捜索中(202)
<167> 「エッグ」再演決定、初の海外パリ公演も実現(202)
<169> 舟を編む(201)
<170> 蝋燭の灯、太陽の光(199)
<170> アナ雪の「スリラー」ダンス映像が大反響(199)
<172> 満天の桜(196)
<172> レッド・ツェッペリンがリマスター版収録の未発表曲2曲公開(196)
<174> ジェーン・エア=映画(193)
<175> さいあい シェイクスピア・レシピ(188)
<175> トニー賞2014Ms助女賞(188)
<177> ダディ・ロング・レッグス追加公演決定(181)
<178> 図書館戦争(180)
<179> KREVAの音楽劇再演、各界から逸材結集(179)
<180> ザ・フルーツ(178)
<181> 八月の鯨(176)
<182> 魔女の宅急便(173)
<182> 「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」ミュージカル日本初演へ(173)
<184> G・グローブ賞録画放送(172)
<184> 100回泣くこと(172)
<186> プラチナデータ(170)
<187> テルマエ・ロマエ供168)
<187> 第86回アカデミー賞のノミネート作決まる(168)
<189> オブリビオン(167)
<189> キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(167)
<191> あなたがここにいればよかったのに(166)
<192> ジェーン・エア=舞台(162)
<192> さよならドビュッシー(162)
<194> 華麗なるギャツビー(161)
<194> 藁の楯(161)
<194> ポール・ウォーカー急逝の波紋広がる(161)
<197> 異国の丘(160)
<197> 8月31日〜夏休み最後の日〜(160)
<197> 追悼 大瀧詠一(160)
<197> 安室奈美恵の洗練されたマッシュアップ映像が話題(160)
<201> ホロヴィッツとの対話(159)
<201> ヒトミ(159)
<203> 半沢直樹第6回も29.0%と好調維持(158)
<203> 初音ミクオペラにパリが熱狂(158)
<203> 中古LPからマービン・ゲイのパスポート発見(158)
<206> エッグ(156)
<206> 「ショーシャンクの空に」舞台化決定(156)
<208> J・K・ローリングの新作に34歳のハリー・ポッター登場(155)
<209> サビタ稽古場イベント(154)
<210> 風立ちぬ(151)
<210> 村上春樹、2013年のノーベル文学賞逃す(151)
<210> 追悼 やしきたかじん(151)
<213> 半沢直樹第5回は29.0%と続伸(150)
<214> The Library of Life まとめ*図書館的人生(上)(146)
<215> さよなら渓谷(145)
<215> WILCO(145)
<217> 新国立劇場2014-15ラインナップ発表(144)
<217> 「メリー・ポピンズ」の裏側描く映画初上映(144)
<219> トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーンpart2(143)
<220> 半沢直樹最終回は42.2%とミタ超え、関西は歴代最高(142)
<221> ダチョウ課長の幸福とサバイバル(141)
<222> ベネチア女優賞(140)
<223> 中学生円山(139)
<224> 大事なはなし(138)
<224> 「I'll be back」で大論争(138)
<224> 宮本亜門がドンペリPartyのショー演出(138)
<227> ナミヤ雑貨店の奇蹟(137)
<227> ケイティ・ペリーが着物パフォーマンス(137)
<227> 県庁おもてなし課(137)
<230> カンヌ審査員にキッドマンと河瀬直美ら(135)
<231> 任侠ヘルパー(134)
<231> レディー・ガガ、涙の訳はマネージャーとの決別?(134)
<231> 鬼才ラース・フォン・トリアーの最新作は超過激 !(134)
<234> 客家(133)
<234> その夜の侍(133)
<236> トニー賞2014Ms主女賞(131)
<237> 半沢直樹第3回は22.9%で今年ドラマトップ(130)
<237> DREAM BOYS(130)
<237> 米ゴールデン・グローブ賞ノミネート作決まる(130)
<240> 第39回菊田一夫演劇大賞にレミゼのキャスト&スタッフ(129)
<240> 海峡の光(129)
<242> 悪霊(128)
<243> シェイクスピア生誕450年記念上演始動、ハムレットは北朝鮮にも巡演へ(126)
<244> トニー賞2014MsRV作品賞(125)
<245> ミス・サイゴン(124)
<246> ザ・スーツ(123)
<246> フィリップ・シーモア・ホフマンが急死(123)
<246> 陽だまりの彼女(123)
<246> 共喰い(123)
<246> 「ドラえもん」英語吹き替え版は日米文化研究に興味深いヒント数々(123)
<251> 半沢直樹第4回は27.6%に急伸(122)
<251> ベルリン金熊賞(122)
<251> ミス・サイゴン=2014(122)
<251> 南京錠の橋ポン・デザール一部崩壊(122)
<255> 思い出を売る男(121)
<256> ダディ・ロング・レッグス(120)
<257> ずっと二人で歩いてきた(119)
<257> 横道世之介(119)
<259> 新・幕末純情伝(118)
<260> カウラの班長日記sideA(117)
<261> 無明長夜(116)
<261> ガラパコスパコス(116)
<263> 第86回米アカデミー作品賞に「それでも夜は明ける」(115)
<264> 半沢直樹に幻のラストシーン、DVD&Blu-rayに収録へ(114)
<264> 虚像の礎(114)
<264> 渡辺謙が「王様と私」でブロードウェイデビューへ(114)
<267> 大奥〜永遠〜【右衛門佐・綱吉篇】(112)
<268> 半沢直樹第9回は35.9%とさらに上昇(111)
<268> 地獄でなぜ悪い(111)
<268> トニー賞2014Ms助男賞(111)
<268> ピンク・フロイド10月の20年ぶりのアルバム発売を正式発表(111)
<272> ハムレット(109)
<272> ロックアウト(109)
<274> アカデミー助演女優賞はアン・ハサウェイ(108)
<274> 闇金ウシジマくん(108)
<274> 授業(108)
<274> 東京国際映画祭サクラグランプリは「ウィ・アー・ザ・ベスト!」(108)
<278> トニー賞2014PRV作品賞(107)
<278> トニー賞2014Ms主男賞(107)
<278> リチャード3世の墓と断定(107)
<378> 鍵泥棒のメソッド=舞台版(107)
<282> 半沢直樹第7回は30.0%と壁突破(105)
<282> ソチの脱出ヒーローまたも閉じ込め(105)
<282> 東京タワーはGW特別ライトアップ中(105)
<285> サ・ビ・タ日本版来春再演決定(104)
<285> 米アカデミー賞最注目は9歳の少女(104)
<285> 日本舞台美術家協会が7年ぶり展覧会開催(104)
<288> エンロン◆archive◆(103)
<288> つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語(103)
<288> そして父になる(103)
<291> みなさん、さようなら(101)
<292> レミゼ衣装を東京3都市で展示(100)
<293> アルゴ検証番組日本初放送(99)
<294> 「荒野の七人」新吹き替え版放送(97)
<294> 五輪色の東京タワーを月も見に来た?(97)
<296> キングコングの巨大ロボ公開(96)
<296> 手のひらの砂漠(96)
<296> 第151回芥川賞は柴崎氏、直木賞は黒川氏(96)
<299> 釣りバカ全作品をWOWOWが一挙放送へ(95)
<299> アナと雪の女王(95)
<301> ラ・マンチャの男(94)
<302> ジャニス・ジョプリンがハリウッドの殿堂入り(93)
<302> 初めてなのに知っていた(93)
<304> るろうに剣心(92)
<304> THEMANZAI2013優勝はウーマンラッシュアワー(92)
<304> トニー賞2014P主男賞(92)
<304> ピンク・フロイドが10月に20年ぶりのアルバム発売か(92)
<308> ベネチア最終盤情勢(91)
<308> 獣の柱まとめ*図書館的人生<下巻>(91)
<308> 第86回米アカデミー賞総まくり(91)
<308> SONG&DANCE60感謝の花束(91)
<312> 夢売るふたり(90)
<312> アカデミー主演女優賞はジェニファー・ローレンス(90)
<312> 建てましにつぐ建てましポルカ(90)
<312> 半沢直樹DVD&Blu-ray発売は12/26(90)
<312> 赤塚不二夫のココロ展〜2015年は生誕80周年なのだ!〜(90)
<312> 地下室の手記(90)
<312> 昭和レストレイション(90)
<312> チェ・ジウとクォン・サンウ、11年ぶり共演ドラマ「誘惑」スタート(90)
<320> 撫で撫で(89)
<321> 僕等がいた(89)
<322> 集金旅行(88)
<323> リトルマエストラ(88)
<323> ワイルド・スピード第7作の製作休止へ(88)
<323> ベルリン女優賞に黒木華(88)
<323> カンヌ女優賞はジュリアン・ムーア(88)
<323> 東京タワーがサムライブルーに(88)
<323> ワイルド・スピード第7作撮影再開、急死のポール部分は実弟2人で補充(88)
<329> 日本記者クラブ個人D会員になりました(87)
<329> インポッシブル(87)
<331> 鍵泥棒のメソッド=映画版(86)
<331> ルビー・スパークス(86)
<333> トニー賞2014P作品賞(85)
<334> 其礼成心中(84)
<334> キャロリング(84)
<336> ヘルタースケルター(83)
<336> 魔女とたまごとお月様(83)
<337> 第20回全米映画俳優組合賞はアメリカン・ハッスル(81)
<338> 「スター・ウォーズ」6作を一挙放送へ(80)
<339> カンヌグランプリにコーエン兄弟(79)
<339> 日本アカデミー賞作品賞は桐島、(79)
<339> メモリーズ・コーナー(79)
<339> 凶悪(79)
<339> 自動改札やスマホで光るネイル発売へ(79)
<344> 半沢直樹第8回は32.9%とさらに上積み(77)
<344> 第67回カンヌ国際映画祭まもなく開幕(77)
<346> 来訪者(76)
<346> AKB48総選挙2014渡辺麻友が初の1位指原は2位に陥落柏木3位(76)
<348> カンヌ監督賞にアマト・エスカランテ(74)
<348> ジーザス・クライスト=スーパースター ジャポネスク・バージョン(74)
<348> ベネチア銀獅子賞(74)
<348> 未成年モデル保護法案が米上下院通過(74)
<348> ツナグ(74)
<348> 最も稼いだ女優はアンジョリーナ・ジョリー(74)
<348> 東京震度5弱、都心は無事です(74)
<348> ユーミンの音楽×演劇コラボ、第2弾は比嘉愛未とW主演(74)
<356> ヴィンセント・ギャロが日本映画に出演(73)
<356> 暗いところからやってくる(73)
<358> カンヌ男優賞にブルース・ティーン(72)
<358> 世界の名刑事が大集結(72)
<358> 新しい靴を買わなくちゃ(72)
<358> キャプテン・フィリップス(72)
<358> 三鷹で昭和の名優作品続々上映(72)
<363> スター・ウォーズ最新作にハン、ルーク、レイアの3俳優出演決定(71)
<364> 最強のふたり(70)
<364> 大島優子が紅白でAKB48卒業宣言(70)
<364> 傷心のミック、復活待つ世界(70)
<364> 錬金術師(70)
<364> 当ブログのFBページいいね2000件達成(70)
<369> プロメテウス(69)
<370> スターウォーズ新シリーズ公開は再来年12/18(68)
<370> ポール・ウォーカーが事故死(68)
<370> トニー賞2014P主女賞(68)
<373> トム・ハンクスの陪審員まさかの強制終了(67)
<373> 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望(67)
<375> ロバート・プラントがツェッペリン再結成を完全否定(66)
<375> 無欲の人(66)
<375> 宇宙兄弟(66)
<378> アカデミー作品賞はアルゴ(65)
<378> ライフスタイル体操第一(65)
<380> ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。(64)
<380> 「風と共に去りぬ」の続編について作者が手紙で返答していた(64)
<382> 臨場 劇場版(63)
<382> カンヌ最終盤情勢(63)
<382> ウィリアム・シェイクスピア(63)
<382> 多彩に変化する東京の空(63)
<382> マイティ・ソー、10月から性別を変更へ(63)
<387> ジェーン・エアその2(62)
<387> ヤバレー、虫の息だぜ(62)
<387> 東京家族(62)
<387> ポール・マッカートニー5月に再来日屋外ライブ(62)
<387> 三鷹市芸術文化センター星のホール(62)
<392> アカデミー主演男優にマシュー・マコノヒー(61)
<392> ブルージャスミン(61)
<392> 「アメリカントップ40」の名DJケーシー・ケイサムが死去(61)
<395> モンスターズクラブ(60)
<395> ダークナイト・ライジング(60)
<395> カンヌ女優賞にベレニス・ベジョ(60)
<398> バイトショウ(59)
<398> サ・ビ・タ〜雨が運んだ愛〜(59)
<400> アウトレイジビヨンド(58)
<400> タランティーノ脚本流出に怒り次回作中止?(58)
<400> 第150回直木賞に朝井と姫野、芥川賞に小山田(58)
<400> トニー賞2014P助男賞(58)
<404> 黄金を抱いて翔べ(57)
<404> ベネチア審査員大賞(57)
<404> ロンドンの劇場で天井崩落(57)
<404> マン・オブ・スティール(57)
<404> カンヌ2014審査委員長はジェーン・カンピオン監督(57)
<404> ハリソン・フォード宇宙に帰還(57)
<409> 潜水艇ボンドカー、8600万円で落札(56)
<409> ストーンズが豪NZツアー無期限延期(56)
<411> ザ・マスター(55)
<411> 世界にひとつのプレイブック(55)
<411> 「B・ジョーンズの日記」最新小説は恋するシングル・マザー(55)
<411> 学士会館(55)
<411> ビートルズの公式ドキュメンタリーを44年ぶりに制作へ(55)
<416> Gグローブ賞作品賞(54)
<417> のぼうの城(53)
<417> 芸劇リニューアル(53)
<417> セックス・ピストルズの心暖まるX'mas映像放送へ(53)
<420> モンティ・パイソン再結成へ(52)
<420> 三人姉妹(52)
<420> I’M FLASH !(52)
<420> カルティエのX'masアニメ公開(52)
<424> グッモーエビアン!(51)
<424> 日本レコード大賞はEXILE(51)
<424> アカデミー主演女優賞にケイト・ブランシェット(51)
<427> リンカーン(50)
<427> Gグローブ主演女優賞(50)
<427> プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ(50)
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