2011年10月05日
ないしょ話
80歳を超えたおじいさんのお支度を整えにお伺いしました。側にはおばあさん、喪主様である息子さんとその兄弟、お孫さんとそのフィアンセ。親しいお身内に囲まれておじいさんは眠っていました。皆さんが暖かいタオルでおじいさんのお身体を拭いて下さいました。浴衣から白いお着物にお着替えをします。お顔を整えお支度が整いました。早く作業が進んだので、最期のお別れのお時間を少し長めに取って差し上げました。
おじいさんの耳は今も聞こえているお話をしました。
「最期に伝えたいけど伝えられなかったなんて事があれば、今言ってあげてくださいね。返事はなくてもちゃんと届いてますから・・・」
そうお声を掛けました。皆さん、神妙なお顔で黙っておられました。
「おばあちゃん、大丈夫ですか?言いたいことあったら言ってあげてくださいね。でも、皆に聞かれる恥ずかしいから内緒話でも良いですよ。」
するとおばあちゃんはそっとおじいさんの耳元に両手で隠して内緒話をしていました。しばらくこしょこしょと何やらおじいさんにおっしゃっていました。すると次は息子さんたちが順番で涙を流しながらおばあちゃんと同じように耳元で両手で隠しながら内緒話をして下さいました。その内緒話を聞きながらおじいさんは笑っているように見えました。
心がじーんと熱くなりました。最期の心は私の心を熱くしてくれました。大切な人を送り出す温かい心は私の心を揺さぶりました。
おばあちゃんを始め、皆さんが何をおじいさんに内緒話したのか私には聞こえていません。でも、きっとその言葉は普段面と向かっては言えない本当の心の言葉に違いありません。
おじいさんはご家族の最期の内緒話を胸に笑顔で天国へ旅立って逝くのでしょう。
2011年09月14日
男の友情
おばあさんはおじいさんの額とご自分の額を合わせながら小さな声で囁きました。「白井さんの所へ逝くんだよ。白井さんを探して逝くんだよ。」
85歳のおじいさんのお支度を整えに伺いました。おばあさんは私に深々と頭を下げおっしゃいました。
「何もわからないけれど、私がおじいさんにしてあげたいのは好きだった着物を着せて旅立たせてあげたいんです。どうぞ宜しくお願いします。」
私はおばあさんのご要望どおりにご用意して下さったお着物をお着せしました。
開いているお口を閉じて薄く開いていた目もしっかりと閉じて差し上げました。
お支度が整うとおばあさんはおじいさんの額にご自分の額を合わせ小さな声で呟きました。
「白井さんの所へ逝くんだよ。白井さんを探して逝くんだよ。」
白井さんはおじいさんとは14歳の時からのお友達だそうです。1歳年上の白井さんはいつも「俺の後について来い!俺の方が1歳年上なんだから俺について来い!」そうおっしゃっていたそうです。学徒動員にも一緒に繰り出され激動の時代を無事に生き残ったお二人だそうです。いつも一緒でそれぞれがご家庭を持ってからも家族ぐるみで旅行に行ったりいつも一緒だったそうです。
その白井さんは1年前にお亡くなりになったそうです。悔しくも1年後、白井さんと同じ年齢でおじいさんはお亡くなりになりました。
白井さんの後をついて逝ったのでしょうか。
長い人生、いろいろな事があります。ましてや、おじいさんの年齢では戦争や震災やバブルや・・・・いろいろな事を経験されています。それでも14歳の時から変わらぬ友情で結ばれた男達、少し羨ましい気がしました。
おばあさんの願いどおり、白井さんを探して逝って下さいね。
そしてあの世でも白井さんの後をついていって下さい。
2011年05月13日
南無阿弥陀仏
おばあさんのお支度を整えに行きました。おばあさんはお仏壇の前で眠っていました。
お寺さんがおいでになる前にとご家族はお仏壇のお掃除をしておられました。
70歳位の親戚の方でしょうか。お仏壇に詳しそうな方がご家族に説明したり、指示を出したりしてお仏壇を整えています。
私は、その前で自宅でお亡くなりになり検死が入った裸のおばあさんのお身体を拭き処置をして経帷子を着せていきます。
お仏壇のお掃除がひと段落した所で女性が私の隣に来られ、ぽつんとおっしゃいました。
「歳をとると自然に『南無阿弥陀仏』って口をついて出て来るんだよ。若い頃はそんな事なかったのに、何故かすぐに言っちゃうんだよ。」
そう言えば、歳をとったお年寄りのイメージって両手を合わせて「ありがたや。ありがたや。」って言ってるイメージだ・・・
歳を重ねると感謝の気持ちを学び、日々感謝の気持ちで生きているのかもしれません。
長く生きてくる間には、たくさんの方々の力を借りて生きてきたことでしょう。
長く生きてくる間には、一人では生きていけない事を学んできた事でしょう。
そして、人は誰かの力を借りないと生きていけないのです。
決して一人では生きていけないのです。
いろいろな経験を重ねて生きて来たお年よりだからこそ、
今、生きていることに感謝、ご飯が食べられることに感謝、家族がいることに感謝・・・
更にはお茶を入れたもらった事に感謝、手を差し伸べてもらった事に感謝・・・
小さな事にいつも感謝できる心を持っているのかもしれません。
感謝の言葉が自然に口をついて出るのかもしれません。
『南無阿弥陀仏』と。
自然に『南無阿弥陀仏』と口に出来るように人間として成長したいものです。
2011年05月06日
涙
最近、涙もろくなってきた。ドラマを見ては号泣して、ニュースを見ては涙が頬をつたう。
ドキュメンタリー番組を見ては涙で画面が見えなくなる。
何故だろう?
歳をとったから?
感受性が豊かになったから?
人の痛みがわかるようになったから?
何故だかわからないけれど、『涙』を流すと心が洗われたような気がする。
人は嬉しい感情、悲しい感情、怒りの感情・・・
いろんな感情が高まった時に涙を流す。
震災や原発で被災した皆様のコメントを聞いて涙があふれ出てくる。
私には何が出来るだろう?
もっと時間に余裕があったら・・・
もっと会社の規模が大きかったら・・・
震災でお亡くなりになった方々を綺麗に送り出すお手伝いに行けたかもしれない。泥だらけのご遺体をせめて人として送り出すお手伝いが出来たかもしれない。
そんな現実と理想のギャップにも涙が溢れる。
『涙』は人としての証かもしれない。
涙もろくなってきた私だけれど、これからもたくさんの『涙』を流す事だろう。
でも・・・被災者の皆さんがこれ以上悲しい涙を流すことがないよう祈りたい。
幸せの涙で被災者の皆さんの心が洗われます様に。
2011年02月20日
粋な亡くなり方
おばあちゃんは太股の点滴痕からの出血で浴衣も布団も真っ赤に染まっていました。こんなべたべたの姿で送り出すのは可愛そう・・・そうおっしゃってご家族は私共を頼まれたそうです。
お嫁さんが側でずっと見守っています。93歳のお婆さんはとても手厚く看取ってもらったようです。いろいろなお話をしてくださいます。おじいさんは13年前に先立った事やおばあさんの日常のエピソード・・・
そんな中でおじいさんのお亡くなりになった時のお話を伺いました。
おじいさんの最期の言葉は「バイバイ!」だったそうなのです。
なんて粋なお亡くなり方なんだろう・・・私はそう思いました。
曾孫さんが遊びに来ていたそうです。具合の悪いおじいさんでしたが、ひ孫と少し会話を交わし、ひ孫が帰る時に両手を振っておじいさんに「バイバ〜イ!」そう言うと
おじいさんはその言葉に答え、右手を振り「バイバイ!」そうおっしゃって眠るようにお亡くなりになったそうです。
『粋な亡くなり方』そんな言葉がぴったりだと思いました。私もそんな風に最期を迎えたいものです。
2011年01月24日
死に様
考えさせられました。死に様は何で決まるのでしょうか?2件続けて現場に行きました。同じ位の年代のおばあさんです。
1件目のおばあさんはご家族にとても愛されていたようです。
たくさんのご家族に囲まれて、お孫さんが涙ながらにお身体を拭いて下さいました。
おばあちゃんの思い出話をしながら交代で皆がお身体を拭いてくださいます。
お顔を整える時も皆で相談しながらこんな感じだった、いやいやそうじゃないと相談されています。温かいご家族に囲まれておばあちゃんのお支度は整いました。
2件目のおばあさんは首吊り自殺でした。急に入った仕事です。葬儀屋さんのお話では午後3時頃、依頼の電話があり友引を挟むため、本日中に通夜を行いたいとの事だったそうです。
おばあさんのご家族は私がお支度を整えている間、他の部屋で談笑していました。
舌の飛び出したお口を整えなるべく穏やかなお顔にするために含み綿でお口元を整えます。
お立会いのない中、私が選んだ口紅の色で、私が似合うと思った髪型で、おばあさんのお支度は整いました。納棺の際、ご家族が数枚の写真を入れられました。古いカレンダーの裏に貼ってある古いお写真。包装紙に貼ってある新しいお写真。それらはおばあさんの愛するご家族のお写真です。お部屋に貼ってあったお写真を慌てて剥がして持って来られたそうです。息子さん、娘さんの昔のお写真、お孫さんの赤ちゃんの頃のお写真。そのお写真をご覧になって息子さんがおっしゃいました。
「懐かしいなあ~」
娘さんも呟きます。
「これ、私だよ。随分昔だよね~」
そう、息子さんも娘さんもこのお写真をご覧になったことがなかったようです。それだけおばあさんのお宅に行ってなかったと言うことなのです。
おばあさんは昔の愛するご家族のお写真を大切に部屋に貼り、それを糧に頑張って来たのでしょう。それでも淋しさに孤独に耐えられずに自ら命を絶ったのかもしれません。
人の死に様は何で決まるのでしょう!?
同じ位の年代の二人のおばあさん。そのお二人の死に様はあまりにも違いすぎます。
人の死に様は生き様で決まる部分もあると思います。
でも、それだけではないような気がします。
人の死に様は何で決まるのでしょう?
いろんな事、考えさせられます。
2010年12月06日
2度目の祝言
95歳のおじいちゃんのお支度に伺いました。その数日前にはおじいちゃんの連れ合い、おばあちゃんのお支度を整えさせて頂いたのです。
おばあちゃんのお支度を整えさせて頂いた時、おばあちゃんには和服を着せて差し上げ、とびきりのお化粧をして、とってもきれいでした。
そのお姿をご覧になり、おじいちゃんは
「もう1回、結婚する!嫁に貰う!」
とおっしゃっていました。
ご家族の笑いの中、おじいちゃんは何度もそう言っておばあちゃんの姿を目を細めてご覧になっていました。
その数日後、おじいちゃんは本当におばあちゃんを嫁に貰うためにあの世へ旅立ってしまったのです。
おじいちゃんには一張羅のスーツを着せて差し上げました。ネクタイを締めて髪型をビシっと決めて差し上げます。
おばあちゃんにプロポーズするのですから。
おじいちゃんは微笑んでいました。幸せそうに微笑んでいました。
あの世でもう一度おばあちゃんと結婚するのです。
願っても叶わない事がたくさんある人生ですが、おじいちゃんの愛の力が成せる事だったのかもしれません。
時を同じくして旅立ち、あの世でも愛を誓い合う。
今頃はきっと2度目の祝言を挙げていることでしょう。
2010年11月08日
ありがとう
今日は元気をもらいました。何よりも嬉しいご褒美を貰いました。
95歳のおばあちゃんのお支度を整えに行きました。おばあちゃんは細胞が死んでいく病気だったそうです。手足のあちこちには皮膚が破れたらしくガーゼと防水テープが貼ってあります。顎はぶつけてもいないのに紫色に変色してきたそうです。背中は丸まり首は反り足は曲がり、とても頑張った様子が伺えます。
お孫さんが一緒にお身体を拭いて下さいました。彼女は涙を流しながら丁寧に時間をかけてお身体を拭いてくださいました。
お着替えをしてお化粧を施します。元気に見えるように痩せた頬に含み綿をして、お写真を見ながらお口元を整えます。薄めの口紅を塗り髪形を整えます。
お支度が整ってご家族に見ていただきます。
「今にも目を開きそう〜」
そうおっしゃって目を細めてご覧になっていました。ご納棺を済まし私はお宅を後にしました。
するとお孫さんが私の所に走って来られました。そしていきなり私に抱きついて「ありがとう。素敵なおばあちゃんにしてくれてありがとう。」とおっしゃいます。
「とてもきれいなおばあちゃんだったの。なのに病院で会ったらあんな風になっちゃって・・・でも素敵なおばあちゃんにしてくれた。ありがとう。ありがとう。」
私に抱きつきながら嗚咽交じりの声でおっしゃって下さいました。
私も涙が出そうになりました。胸の奥に熱いものが湧き上がってきました。
私の方こそありがとう。素敵な言葉をくれて。何よりも嬉しい言葉を下さって。
元気が出ました。これからも精一杯きれいに亡くなった方を送り出そう、そう思える元気をもらいました。
本当に私の方こそありがとう。
2010年10月25日
納棺師
自宅死亡のおじいちゃんは吐血してお亡くなりになっていました。介護ベッドの上で仰向けに寝かされたおじいちゃんのお顔には飛び散った血液が固まっていました。流れ出た血液は耳の中まで赤黒く染めていました。シーツには無数の血痕が飛び散り吐血のひどさを物語っています。
その姿はとても苦しんだようにも見えました。
オロオロとする娘さんとは裏腹におばあちゃんは隣の部屋で黙々と押入れから段ボール箱を出し何かを探しています。私が作業をする傍らで汗だくになりながら一生懸命に次から次へと段ボール箱を出しては何やら中身を確認しています。
おじいちゃんに持たせて差し上げる朱印帳やら大切な物を探しているようです。
途中、はっとしたように私の作業をご覧になります。
「頭をバリカンで刈ってやりたかったんだけどね〜具合が悪くて出来なかった・・・」
ポツリとおっしゃいました。
私はおじいちゃんの血液の飛び散ったお身体を拭き、お顔や耳の中まできれいに血液を拭き取って差し上げます。おばあちゃんにバリカンをお借りして頭もきれいに刈って差し上げました。白いお着物にお着替えをして、少し黄疸の出たお顔をファンデーションで自然な顔色にお化粧して差し上げます。少し開いたお口をしっかりと閉じておじいちゃんのお支度は整いました。
娘さんが側で悲しそうにおっしゃいました。
「苦しかったんだろうね〜・・・」
「いいえ、苦しんでお亡くなりになると眉間に縦皺が寄るそうです。おじいちゃんの眉間を見てください。縦皺、ないでしょ。苦しんでなんかいませんよ。穏やかに逝かれましたよ。」
「良かった・・・」
安堵の涙を流されました。悲しみの中での、ほんの一つの救いだったのかもしれません。
おじいちゃんのお歳は90歳だそうです。
「そんなお歳に見えない・・・おじいちゃんしっかりしてらっしゃってお若く見えますね。」
そんな私の何気ない言葉にまた涙を流して喜ばれます。
「おじいちゃん、褒めてもらったんだよ!」
泣き笑いでご家族に自慢していました。
言葉・・・それは人の心を傷つける事もあれば癒す事もあるのです。
愛する人を失った悲しみを消すことは出来なくても、せめて癒して差し上げたい。
人としての優しい心と言葉で癒して差し上げたい。
そんな納棺師になりたいと思います。
2010年10月13日
10月12日
10月12日・・・今日はお婆ちゃんにとって特別な日です。10月12日・・・今日はお婆ちゃんがこの世を去った日です。
10月12日・・・今日はお婆ちゃんの90回目の誕生日です。
10月12日・・・8年前の今日、お婆ちゃんの連れ合いはこの世を去りました。
お婆ちゃんのお布団の周りには沢山のお祝いの品がありました。
誕生カード、コーヒーと誕生ケーキ、お孫さんや娘さんからのプレゼント、そして愛用されていた手提げ袋。
その手提げ袋にはお婆ちゃんの生活必需品が入っています。櫛、財布、大切な写真・・・
ご家族は涙ながらにお婆ちゃんのお支度を整えるのをお手伝いしてくださいます。一緒にお体を拭き、お顔を整えるときには眉毛の形、口紅のお色、お口の形・・・皆さんが生前のお婆ちゃんの生き生きとしたお姿を思い返しアドバイスをしてくださいます。お婆ちゃんはご家族がご用意してくださった緑色のお着物にお着替えをして、緑色の帯を締め、皆さんが悩みながらお色を決めて下さった口紅であの世に旅立ちます。
「誕生日のお祝いのはずの日に・・・」
そう言って涙を流される娘さんですが、もう一日お亡くなりになるのが早かったら誕生日にお婆ちゃんの姿形はこの世になかったのかもしれません。
でも、11月12日、お婆ちゃんは90歳の誕生日をちゃんと迎えることが出来ました。言葉はなくともちゃんとご家族にお祝いをしてもらえました。
10月12日・・・今日はお婆ちゃんにとって特別な日です。
10月12日・・・今日はお婆ちゃんの誕生日であり、命日であり、愛するお爺ちゃんの命日でもあるのです。
10月12日・・・別々に生まれ、ある日出会い、共に人生を歩んだ夫婦の命日でもあります。
人生は不思議な縁で結ばれているのかもしれません。
誰にも特別な日は存在するのかもしれません。
私にも、あなたにも・・・その日に気が付くのはもっともっと先の事かもしれませんけど・・・