2016年03月06日

神様の仕打ち

9fc3c5a8.jpg神様は酷な事をするものです。
90歳を超えたお婆ちゃんが自ら首を吊って亡くなりました。
年齢から考えると、何故?と思います。
私もそんな疑問を抱きながらお宅に伺いました。
しかし、お婆ちゃんの姿を見て、悲しくなりました。
お婆ちゃんは癌で首からお顔の半分が蝕まれていたのです。
ガーゼが貼られた傷口からは膿の匂いがします。
お婆ちゃんは、鼻先でこの匂いを常に嗅ぎ、鏡を見れば、ひどい傷が目に入るのです。
辛かったでしょう。苦しかったでしょう。
身体の中に出来る癌ならともかく、お顔の表面に出来た癌は可哀そうすぎます。
ご家族と一緒にお婆ちゃんのお身体を温かいタオルで拭いていきます。
誰一人、言葉を発することなく、静かにお身体を拭いていきます。
白い経帷子にお着替えをして、ようやくお婆ちゃんは天国に逝くことが出来ます。
「傷はそのままにしておいて。」
そうおっしゃるご家族のご要望通り、ガーゼから出ている所だけお顔剃りをして、お化粧をして差し上げます。
そして、ひっそりと棺の底で眠りに就きました。


90歳を超えれば、天命を全うする年齢です。
しかし、神様はお婆ちゃんを天国へ召すわけでもなく、残酷な仕打ちをしました。
そして、お婆ちゃんは自ら命を絶ちました。
誰がお婆ちゃんを責めることが出来ましょう。
せめて、自ら命を絶つお婆ちゃんの自由は許してあげたい。
そんな風に思います。

神様は、本当に酷な事をします。
それでも、お婆ちゃんはようやく天国へ逝くことが出来ました。


angel0425 at 10:38コメント(1)トラックバック(0)悲しみ 

2016年02月10日

迷信

59d4e6a4.jpg「病人がいる家では髪の毛を切ると病人が死ぬって聞いたけど本当ですか?
私、髪が伸びたから美容院に行ったんです。そしたらお父さんが・・・
私が髪を切ったから、お父さんの寿命が縮まったのではないかと思って・・・」
お母さんは大粒の涙をポロポロと流しながら、私に尋ねました。
「そんな話聞いた事ありませんよ。迷信ですよ。お父さんが亡くなったのはお母さんのせいではありませんよ。神様が決めたお父さんの寿命だったんですよ。」
「良かった・・・」
お顔を真っ赤にして大きな涙を流し、ほっとした様子でした。

お父さんはまだ60代です。早すぎる死でした。
お宅に伺うとお父さんの一番のお気に入りのスーツが用意してありました。
ちょっと買い物に出かけるにもスーツを着て行くような、おしゃれなお父さんだったそうです。
お母さんと一緒に大柄なお父さんのお身体を温かいタオルで拭き、スーツを着せて差し上げます。大柄なお身体なのに、ズボンはぶかぶかです。
元気だった頃は98キロもあったそうです。
着替えが終わると散髪です。
いつもお母さんがバリカンで髪を刈っていたので、最後はちゃんときれいに髪を刈って送り出したいとおっしゃいました。
私が頭を持ち上げ、お母さんに髪を刈ってもらいます。刈りやすいように頭を右へ左へと動かします。
バリカンを走らせながら、お父さんとの思い出話が始まります。
とっても優しいお父さんだったエピソード、お父さんのとっても可愛らしい一面がうかがえるエピソード、面白いエピソード。
「お母さん、お父さんの事が大好きだったんですね。」
私が茶化すと、恥ずかしそうな笑顔を浮かべ
「そう、大好きだった。出来ることは何でもしてあげた。お父さんの下の世話も嘔吐物も汚いなんて少しも思わなかった。精一杯やったから悔いはないよ。
少しも悔いはない。」
そう言い終わる頃には、また涙を流していました。

迷信に惑わされ、自分を責めていたお母さんですが、人の寿命は迷信で左右されるものではありません。
人の寿命は生まれた時から決まっているのかもしれません。それが明日なのか、10年先なのか、それがわからないから今日を大切に生きるのです。


angel0425 at 09:10コメント(0)トラックバック(0)悲しみ 

2016年02月05日

親孝行

a27cec19.jpgお父さんは気持ちの整理が出来ていませんでした。
息子の最期の姿を発見したのはお父さんだったのです。
息子さんを囲んでお父さんとお母さんは茫然としていました。
お身体を温かいタオルで拭く時も、お母さんは茫然として、言葉を発することはありません。
それとは裏腹にお父さんは、息子の死の状況を淡々と私に説明してくださいます。気持ちの整理が出来ていないのです。
言葉に出して説明することにより、息子の死を受け入れようとしているのです。
アルコール中毒で入院していた息子さんは、退院して暫くは親元にかえってきたものの、じきにアパートで独り暮らしを始めました。
まだ、病気が完治していない中で、お父さんは心配でまめに連絡をしていたそうです。
しかし、無断欠勤が3日程続き、お父さんが様子を見にアパートを訪ねると・・・
息子さんはベランダで洗濯物のズボンを首に巻き付け、座った状態で息絶えていました。息子さんは夜勤に出かける為に、作業服を着て、片手を地面につき、片手でズボンの端を握り、自分の手で絞めつけた様子が見て取れたというのです。死後3日が経過していたそうです。
「寒かっただろう。ごめんな。」
震える声で息子さんに話しかけながら、お身体を拭いて下さいます。
その声に、お母さんは一気に泣き崩れました。
息子の胸に縋りつき、大きな声を上げて泣き出しました。
ご両親は、息子さんの死の真相がわからないから苦しんでいるようでした。
遺書もなく、つい三日前には元気な様子で話した矢先の出来事だったからです。
「作業着を着ていたんだよ。仕事に行くつもりだったと思うのだけど・・・
どうして・・・どうしてなんだろう・・・」
お父さんは何度も私に気持ちをぶつけます。
「私にも理由はわかりません。ただ、ひとつ言えることは、起きたしまったことは取り返しがつきません。これからは息子さんがちゃんと成仏できるようにご供養していくことが、ご両親が息子さんにして差し上げられることだと思います。」
そう答えることしか出来ませんでした。
親が子供を見送る程、辛いことはありません。
親よりも一日でも、1時間でも長く生きること、それが何よりも親孝行なのです。


angel0425 at 20:16コメント(0)トラックバック(0)悲しみ 

2015年11月28日

人としての尊厳

b77761e4.jpg94歳のおばあちゃんは、口をぽかんと開けて眠っていました。
布団をめくると、そのお身体は随分痩せていました。
「おばあちゃん、だいぶ痩せちゃいましたね。」
ご家族に声を掛けると、
「ずっと食べなかったの。食べられないのではなく、自分の意志で食べなかったんです。唯一、口に入れてくれたのは飴玉だけだったんです。」
目を真っ赤に潤ませて、娘さんが答えました。
肺に水が溜り、その水を抜くために病院に行ったそうです。
しかし、心膜にも水が溜まっていたため、治療に専念することになったのですが、治療を嫌がり、点滴も自分で引き抜き、暴れて治療ができなかったのです。
「私はもう94歳です。ここまで生きたから、もう好きにさせて下さい。」
そう言って、一切の治療を拒み、自らの意志で食べ物を口にしなかったのです。

娘さんとお孫さんが、真っ赤な目で涙を潤ませながら、おばあさんのお身体を拭いて下さいます。
病院での出来事をひとつひとつ説明してくれながら、おばあさんのお身体を拭いて下さいます。
真っ白な経帷子にお着替えをして、薄くお化粧を施します。
ぽかんと開いたお口は閉じて差し上げます。
髪型を整え、支度が整ったそのお姿は、とても凛として94歳には見えません。
94歳と言う年齢から考えると、治療を施しても元のお身体に戻れるとは思いません。
おばあちゃんはそれをわかっていたのでしょう。
周りの人達に迷惑をかけてまで生きたくはなかったのでしょう。
自らの意志で治療を拒み、自らの意志で食べ物を口にせず、自らの意志で生涯を終えました。
人としての尊厳を大切にしたかったおばあちゃんの姿には感服します。

本来、人の死はどうあるべきなのか!?
改めて考えさせられました。


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2015年11月10日

ひとりぽっち

d0bffe58.jpgお母さんは一人ぼっちになってしまいました。
たった一人の生き甲斐である娘を失ってしまいました。

49歳の女性は、仕事が終わったと同時にトイレで倒れたそうです。
脳の中心にある脳幹が破裂してしまったのです。
救急で担ぎ込まれた病院で、器械に繋がれて一命はとりとめました。
手術は不可能で、結局はその5日後、息を引き取りました。
彼女は19歳の時に事故に遭い、障がい者になってしまったそうです。ずっと車椅子での生活をしていましたが、最近、ようやく杖を使い、自分の足で立ち、自分の足で歩くことが出来るようになったところでした。
今まで車椅子では出来なかった料理が出来るようになり、毎日楽しそうにお母さんにお料理を作ってくれたそうです。
そんな彼女は、お母さんのたった一つの生き甲斐でした。
彼女の妹さんは、39歳の時に癌で命を失いました。
それから間もなくして、ご主人も亡くなりました。
お母さんに残されたのは、たった一人の障がい者の娘だけでした。
お嫁に行かなかった娘さんと、毎日、笑顔の絶えない生活を送っていました。彼女の倒れる前日も、二人でテーマパークに遊びに行ってきたところです。その楽しそうな写真が枕元には額に入れて飾られていました。
涙が止まらないお母さんと一緒に彼女のお身体を拭いて差し上げます。
亡くなった妹さんの着物を着せて欲しいとご用意されていました。
少しサイズは合わないけれど、亡き妹さんの着物を彼女に着付けました。
薄くお化粧をして、お写真と同じ髪型にセットして差し上げます。
お母さんはずっと泣いています。
お母さんはずっと泣きながらお話をしています。
彼女との楽しかった思い出を話し、そして涙を流します。
黙っていられないのです。
悲しくて、悲しくて、悔しくて、悔しくて、話をしていないとその心は壊れてしまいそうになるのでしょう。
ようやく車椅子から歩くことが出来るようになり、回復の兆しが見えてきたところです。ここまでの道のりは長かったことでしょう。
その矢先に、娘を失ってしまったのです。
自分が先に亡くなると思っていたお母さんは彼女が困らないよう、蓄えも残してきたようです。先祖代々の土地も、祖父母が亡くなるときには、彼女がお金に困ったら売るようにと言い残したそうです。
でも、どんなにお金があっても、一人ぼっちでは意味がありません。
どんなに財産があっても、一人ぼっちでは意味がありません。
人は一人では生きていけないのですから。


angel0425 at 11:48コメント(0)トラックバック(0)悲しみ 

2015年10月05日

2daa8317.jpg「早くお母さんになりたい。」
それが彼女の最近の口癖だったそうです。

33歳の彼女は出産の際に命を落としました。
帝王切開で出産したのですが、その際、血圧が上がり、脳の血管が破裂してしまったのです。
赤ちゃんは無事でした。かわいらしい女の子が産まれたそうです。
まだ若いご主人は、優しく彼女に話しかけていました。
彼女に着せて差し上げるお洋服を選んでくださったのもご主人です。
ピンクの可愛らしいワンピースです。
「頑張ったね〜」
優しい声で話し掛け、お身体を拭いて下さいます。
髪を優しく撫ぜて、頬を両手で挟み、
「この服じゃ怒っちゃうかな〜?」
愛おしそうに彼女を包みます。
高校生から付き合っていたお二人は、人生の半分は共に過ごしてきました。
夫婦の時間は短くても、お互いを知り尽くした二人です。
彼女は赤ちゃんを見ることなく息を引き取りました。
赤ちゃんをその腕で抱きしめたかったでしょう。
赤ちゃんにおっぱいを飲ませてあげたかったでしょう。
赤ちゃんの成長を見守っていきたかったでしょう。

誰もが当たり前のようにお母さんになれると思っていました。
誰もが当たり前のように無事に出産できると思っていました。
でも、命を産み落とすことは命がけの事なのです。
母が命がけでこの世に生み出してくれたこの命、大切にしなくてはいけません。
私達の命は、母が命がけでこの世に生み出してくれた命なのです。

悲しみの中で、彼女はお母さんになりました。
彼女が望んでいたお母さんになれました。
赤ちゃんは、きっとお母さんが命と引き換えに産み落としてくれた命を、何よりも大切にして成長するに違いありません。


angel0425 at 17:49コメント(1)トラックバック(0)悲しみ 

2015年09月06日

表情

57cffcdb.jpgお顔にはいろいろな表情があります。
52歳の女性のお顔は右側から見ると優しい仏様のようなお顔に、左側から見ると気丈な女性のお顔に見えました。

52歳の女性は口から血を流して横たわっていました。
お立合いは弟さんご夫婦だけです。お二人が見守る中、温かいタオルでお身体を拭きます。
彼女の爪の間には血がこびりついていました。きっと最後は吐血したのでしょう。きれいに血液を拭きとり、白い経帷子にお着替えをします。
足袋を履かせながら、お話をしていると、いつしか女性の生い立ちの話になりました。
彼女はご主人の暴力に耐えかねて離婚されたそうです。今ではDV等と言われていますが、彼女はご主人の暴力に耐えかねて逃げるように家を出たのです。
生まれたばかりの乳飲み子とその兄を残して。
それからは再婚もせずに酒に溺れていったと言うのです。
別れたご主人はその後、2度の結婚と離婚を繰り返したらしく、彼女は子供達の事をとても気にかけて心配していたそうです。
子供を置いてきた後悔と子供を想う愛情と、子供に逢えない淋しさと、成長を見守ることのできない悲しみと・・・
いろいろな想いをごまかすかのように酒に溺れていったのでしょう。
そして、最後は肝硬変になり命を落としたのです。
弟さんが、危篤状態になった時、すでに成人しているお子さん達に連絡をしたそうです。
でも、会いには来ませんでした。死を迎えた今も、電話に出てもくれないそうです。
子供達からすれば、自分達を捨てた母、継母との間で苦労したのも母のせい。そんな風に思っているのかもしれません。
でも、好き好んで我が子を捨てる母などいません。
我が子に逢いたくて、逢いたくて、抱きしめたかった彼女の気持ちを想うと胸が痛くなります。

せめて、最後に一度だけ、母に逢いに来てくれますように。
恨み言でも良い。罵る言葉でも良い。せめて一度だけ、母と向き合ってくれますように。
そう願わずにはいられません。

彼女のお顔は、母の表情と気丈に気持ちをごまかし続けた女の表情を合わせ持っているのかもしれません。


angel0425 at 20:26コメント(2)トラックバック(0)納棺 

2015年09月01日

お母さん

b2c9f9f4.jpgお母さんは最後まで母親であり続けました。
子供達を学校へ送り出した後、力尽き倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。

45歳のお母さんは子宮頸癌でお亡くなりになりました。
ご家族の一番後ろに二人の少女がいました。
目を背けるようにして、目頭をタオルで覆い、黙って座っていました。
身体拭きを促しても首を横に振るだけです。白い経帷子にお着替えをして、旅のお支度のお手伝いをお願いしても、涙をこらえて首を横に振るだけです。
お顔剃りをして、お化粧を施して、お母さんが少しずつきれいになっていくと、こらえていた悲しみがおさえられなくなりました。
すすり泣いていた少女たちの泣き声は、次第に大きくなり、遂には悲鳴にも似た号泣に変わりました。
少女達の泣き声の中、お母さんの髪をセットして、マニキュアを塗って、お支度が整いました。
それでも、彼女たちはお母さんを見ることが出来ません。
棺に入ってしまうと、触れることが出来なくなってしまいます。
お母さんと向き合うことが出来るのは、これが最後の機会になります。
お母さんっ子だったと言う彼女たち、親族の方々に促されても、首を横に振って泣き崩れるだけでした。
そして、とうとうお母さんは棺に納まってしまいました。
少女たちがお母さんの為に用意してくれたお菓子、お母さんに宛てたお手紙、お母さんと楽しそうに写っているお写真。
それらの納棺品をお母さんの手の届くところやお顔の横に並べて差し上げました。
小さな二人が相談して用意したお母さんへの最後の贈り物です。
ずっとお母さんと向き合うことを拒んできた彼女たちですが、最後には二人とも、ちゃんと棺の中のお母さんのお顔を見ることが出来ました。

棺の中で微笑んでいるお母さんのお顔は二人の心にどのように写ったのでしょうか。
どんなに体調が悪くても、子供たちの世話だけは手を抜かず、人の手も借りずに貫いたお母さん。
亡くなる直前まで、母としての務めを果たし、母であり続けようとしたお母さん。
そんなお母さんの生き様は、少女たちの胸にしっかりと焼き付いているに違いありません。


angel0425 at 20:00コメント(0)トラックバック(0)悲しみ 

2015年08月30日

10年

41c4951d.jpg湯灌師、納棺師になって10年が過ぎました。
あっと言う間の10年でした。

初めて求人雑誌でこの仕事を知ったのが、つい昨日のことのように思い出されます。
何気なく見ていた1冊の求人雑誌。そのたった一つの記事が私をこの仕事まで導いてくれたのです。
初めてこの仕事を見学した時、まるで生きているかのようにご遺体を扱う納棺師の所作に憧れ、指導を仰ぎ、今では私もどんなご遺体に、どんな衣装も着せ、お顔を穏やかに整えることが出来るようになりました。
初めてご遺体に触れた時、その冷たさに「死」を実感したものです。
全てが初めてで、新鮮な体験と共に、「死」という現実の現場に立ち合うことでたくさんの事を学びました。
「何か良い事、ないかなあ〜」
それが口癖だった私の口から、その言葉は出なくなりました。
それは、毎日が良い事だと気が付いたからです。
毎日、普通に目が覚め、いつものようにお掃除をして仕事に行く。
毎日、ご飯がおいしく食べられて、自由に動く身体がある。
それがどんなに幸せな事か、以前はいつもと違う刺激を求めていた私は気が付かなかったのです。
そして、何よりも、生きていることが私の大切な人たちにとっては幸せな事だと痛感しました。
大切な人を失った方々を見てきた私にとって、生きていることは、ただそれだけで、周りの人たちを幸せにしているのだと思えるようになりました。
長い間、病と闘って亡くなった方、心筋梗塞や脳梗塞で急な死を迎えた方、
事故で痛々しい姿でお亡くなりになった方、更には自ら命を絶った方、
いろいろな亡くなり方をした方々をお世話させて頂き、そのご家族と触れ合ってきました。
悲しみのどん底にいるご家族の心を少しでも癒して差し上げたい。
失った大切な故人様を少しでも穏やかできれいな姿にすることで、少しでも悲しみを軽くして差し上げたい。そんな思いで10年間、ずっとご遺体と向かい合ってきました。
まだまだ未熟な私ですが、ご家族の「ありがとう」の言葉が嬉しくて、「ありがとう」の言葉が聞きたくて、これからも、身体が動く限り、一人でも多くのご遺体のお世話をさせて頂きたいと思っています。

10年と言う区切りの年に、改めて思う事です。


angel0425 at 19:39コメント(0)トラックバック(0)納棺湯灌 

2015年06月08日

友情

08faac6b.jpg少年の想いを乗せて白球が飛び交っていました。
試合はリードしているようです。

17歳の野球少年は癌に蝕まれ命を絶ちました。
着替えの為に衣服をめくると、そこには病魔と闘った痕が見て取れました。
腹部は真っ赤に擦り剥けたようになり、抗がん剤で抜け落ちた髪が少し生えてきたところでした。しかし、酸素マスクの痕だけが白く髪が擦れて地肌が見えていました。
ご家族やお友達が見守る中でお支度を整えます。
皆さんに温かいタオルでお身体を拭いて頂き、野球のユニフォームに着替えます。少し日に焼けた肌色に顔色を整え、支度が整いました。
少年が病魔と闘い苦しんできた姿を見てきたからでしょう。
ご家族は少年の死を受け入れていました。
少年にはたくさんのお友達がいました。
少年の隣にはお友達が何人も寄り添っています。
前日も野球部のメンバー全員で会いに来てくださったそうです。
玄関から靴があふれ出すほどのたくさんのお友達だったそうです。

支度が整うと、お母さんが少年の耳元で囁きました。
「試合は勝っているらしいよ。リードしているからね。」
少年の背番号は20番。
エースのお友達が自分の背番号を外し、少年の背番号『20番』を縫い付け、ボールを投げているそうです。
少年の想いを白球に託して一球、一球、大切に投げているのでしょう。
少年は野球部のメンバーと一緒に試合をしているのです。
通夜が始まる頃には、野球部のメンバー全員で勝利の報告を持ってくるに違いありません。
泥だらけのユニフォームに『20番』の背番号を付けて。




angel0425 at 09:09コメント(2)トラックバック(0)癒し 
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