2023年04月04日

静かな愛

7fdc322f.jpg「生まれ変わってもまたおじいさんと一緒になりたい。」
おばあさんの言葉です。
96歳のおじいさんは仏様のようなお顔で眠っていました。
髪の毛のない頭に切れ長の閉じた目、厚い唇はしっかりと閉じ凛とした姿で眠っていました。
側には94歳のおばあさんがいます。歩くのもままならず這うようにしておじいさんの布団の周りを移動します。
そんなおばあさんですが、私と一緒におじいさんの身体を拭き、着替えを手伝って下さいます。
そしておじいさんの人柄を一生懸命に私に聞かせて下さいます。
おじいさんはお風呂から上がるとおばあさんの敷いた布団に北枕の状態で倒れこみそのまま二度と目を開ける事はありませんでした。
親戚の紹介で結婚したお二人でしたが、おじいさんはとてもおとなしく優しい人で大きな喧嘩は一度もしたことがなかったそうです。結婚して74年、一度もです。
おじいさんはいつもおばあさんの感謝の言葉をかけてくれました。
会社員をしていたおじいさんの代わりにおばあさんは畑仕事を一人で全てこなしていました。そんなおばあさんに
「いつもありがとうね。苦労をかけるね。」
そう言葉をかけてくれたそうです。
二人で懸命に働き、おじいさんは弟達の家まで建て、自分は着る物も食べる物も質素に済ませていました。
そんな仏様のようなおじいさんは、やはり死に顔も仏様のようです。
「俺が先に逝ったらすぐに迎えに来てやるからな。」
おばあさんに常日頃からそう言っていたおじいさんですが、とうとう逝ってしまいました。
おばあさんはおじいさんの言葉を信じ、すぐに迎えに来てくれるからとその日を待っているようでした。
おじいさんのお支度を整える時、ご家族は気を利かせてお席を外されたようです。
おばあさんのおじいさんとの最期の時間を過ごさせてあげようと。
現代のように恋愛して一緒になったお二人ではありませんが、縁あって一緒になったお二人はしっかりと愛を育んできたようです。燃えるような恋ではなくとも、ゆっくりとロウソクの炎が揺らめくように静かな愛を育んできました。
お互いを労わりあうお二人には苦労も苦労ではなかったのかもしれません。
「生まれ変わってもまたおじいさんと一緒になりたい!」
そうおっしゃったおばあさんは、おじいさんが迎えに来てくれるのを心待ちにしながら毎日を過ごすのかもしれません。


angel0425 at 12:11コメント(0)癒し 

2023年03月10日

壮絶な1年

b5d43513.jpg彼女にとってこの1年は壮絶な1年であったに違いありません。
63歳の奥様は元気だった頃の見る影もなく痩せこけていました。
落ち込んだ眼は開き、頬は大きな穴が出来る程に窪んでいます。
痩せてしまったお顔には歯だけが異様に飛び出して見えます。
布団の上一面に元気だった頃のお写真が並べてありました。
ふっくらとした笑顔の可愛らしい奥様です。
どのお写真も満面の笑みを浮かべていました。

ご主人と娘さんが今にも折れてしまいそうに細くなった腕を温かいタオルで拭いて下さいます。「お母さん、あったかいね〜」声を掛けながら優しく拭いて下さいます。
ご主人が奥様の手を握りながらぽつぽつと語り始めました。
奥様は1年前舌癌が出来てしまったそうです。
始めは小さな口内炎でしたが1週間もすると小豆大の大きさになり、病院に行くと舌癌であることが判明しました。
とても進行の速い癌であっと言う間に大きくなってしまうのだそうです。
すぐに手術を受け成功を収めますが、2か月後には癌が再発し、舌を切断し話すことも食べる事も出来なくなってしまいました。
食べる事と気持ちを伝える事は人として生きていく基本です。それが出来なくなった奥様の気持ちを考えると心が痛みます。
不安だったでしょう。怖かったでしょう。悲しかったでしょう。辛かったでしょう。
そんな心の内を吐き出すことも出来なかったのです。
追い打ちをかけるように弱った体でコロナに感染し、肺炎を患います。
そして、遂には力尽きてしまったのです。
痩せたお顔に薬剤を注入し、含み綿をし、少しでもふっくらとしたお顔にしていきます。
お化粧を施し、髪を整えお支度が整いました。
お友達や親戚の人達が大勢会いに来てくれたそうで、そこで初めて知った奥様の姿があったそうです。
学生時代にはバレー部のキャプテンを担い、皆に頼られる存在であったこと。
子供の頃にとても活発な子でそれゆえのエピソード。
皮肉にも奥様の亡き後にご主人の知らない奥様の一面を知る事となってしまいました。
でも、それは益々奥様を愛するに値する事ばかりだったようです。
ご夫婦にとって言葉にあらわすことも出来ないほどに辛く悲しい1年であったに違いありませんが、ようやくお二人とも楽になれたのかもしれません。


angel0425 at 13:33コメント(0)悲しみ 

いつもと同じ

b9e031f3.jpgいつもと同じ朝でした。
いつもと同じようにご主人を送り出し、いつもと同じように家事をして、いつもと同じようにご主人の帰りを待っていました。
でも、帰ってきたのは二度と笑う事のないご主人でした。
二度と会話を交わすことも出来ない、二度と目を開ける事もないご主人でした。
ご主人は仕事中の事故でお亡くなりになったのです。 

お宅へ伺うと泣き腫らした目をして奥様が迎えて下さいました。
未だに何が起きたのか理解できていないご様子です。
納体袋に裸で入れられたご主人は打ち身で変色し、腫れたお顔だけを袋から出された状態で横たわっていました。
納体袋から出し、お身体の状態を確認しながらお身体を拭いて差し上げます。
身体中に打ち身があり、左腕は骨折しています。
右の脇腹には何か鋭い物が刺さったのでしょうか。刺し傷のような傷から出血しています。
その姿はとても痛々しく、奥様がご覧になるには堪えません。
即死だったのでしょう。
傷の手当てをして、奥様がご用意して下さったお洋服に着替えます。
ご家族は近くには寄って来ません。
傷ついたお身体をご覧になるのが辛いのでしょう。
お顔の打ち身をファンデーションで隠し、少量の含み綿で微笑んだようなお顔に整えます。
髪の毛をセットしてお支度が整いました。
ようやく側にいらしたご家族はきっと今がご主人と向き合う最初の時間なのかもしれません。
手を握り無言で涙を流していました。

いつもと同じ日が明日も必ず来るとは限らないのです。
いつもと同じように送り出したご主人やお子さんが、いつもと同じように帰って来ることはとても幸せな事なのかもしれません。



angel0425 at 13:30コメント(0)悲しみ 

2022年12月10日

大往生

c6ea59a1.jpg皆さんは「大往生」と言う言葉からどんな「死」を想像しますか?
100歳まで生きた死。
長生きをして安らかに亡くなった死。

67歳のご主人がお亡くなりになりました。
60代と言えばまだまだ早すぎる死です。
奥様と娘さんがバタバタと忙しそうにご主人の側を動き回っていました。
その傍らで私はご主人のお支度を整えます。
温かいタオルでお身体を拭き、用意した下さったお洋服にお着替えをします。
お顔を剃り、なるべく安らかな表情になるようお顔を整えます。
お支度が整うと奥様が側にいらしておっしゃいました。
「この人は好きな事をたくさんやったんだよ。」
ご主人は50歳で定年させてくれとおっしゃり、50歳でお仕事を辞めたそうです。
そして、それからは好きな事をたくさんしてきました。
時には、見慣れないスポーツカーが置いてあると思ったら、
「今日、買ってきた!」
時には、
「良い山があったから、山を買ったよ!」
そして、ユンボまで購入し、ご自分で山を開拓し、石垣を積み、小屋まで建てたそうです。
その山で、釣りをして、山菜を摘み、家族や友人を呼んでは料理を振る舞い、人生を満喫しました。それは亡くなる3か月前まで続きました。
但し、家庭のお金には一切手を付けず、全てご自分のポケットマネーで楽しんでいたので、ご家族は呆れる事はあっても、怒る事はなかったそうです。

まだ67歳。
しかし、ご主人の人生はやりたい事は全て満喫し、とても充実した人生であったに違いありません。
たった67年しか生きられなくても、ご主人の死は「大往生」であったのではないのでしょうか。
人生、長く生きる事だけが「大往生」ではなく、自分の人生を振り返った時、
「ああ、良い人生だった!」
そう思う事が出来れば、たった67年の人生でも「大往生」だと思うのです。



angel0425 at 11:04コメント(0)癒し 

難病

0a8d6c14.jpg82歳のお母さんは首を大きく反り口を開けて横たわっていました。
着ているパジャマを脱がせ、お身体を拭いていきます。
ご家族に一緒にお身体を拭くかお尋ねします。たくさんいらっしゃる親族の方々、皆さんが首を横に振ります。
私が皆さんの前で、温かいタオルでお身体を拭いて差し上げます。
白い経帷子にお着替えをして、旅の支度を付けて差し上げるのですが、皆さんにお手伝いをして下さるかお尋ねをします。
しかし、ここでも皆さん、首を横に振ります。
私が足袋を履かせ、手甲脚絆を付けて差し上げます。
そして、お顔を整えていきます。産毛を剃り、お化粧を施し、開いているお口を閉じます。
なるべく笑ったようなお顔になるよう整え、お写真を見ながら髪型をセットします。
すると、今まで近くに来ようともせず、首を横に振ってばかりいたご家族が少しずつ傍に寄ってきます。
喪主様は「ここから見ると元気だった頃のお袋の顔だよ。目元なんかそのままだ。」
とおっしゃり少しずつお話を始めました。
お母さんは10年ほど前から調子が悪かったそうです。
いろんな病院にかかりましたが、歳のせいにされ原因がわからなかったのです。
5年位前からは痴呆のような症状が現れ、自宅で介護していましたが、それもままならずやむなく2年前からは施設に入りました。
相変わらず病院ではアルツハイマーの診断でしたが、施設の方々からはアルツハイマーとは少し症状が違うと言われていました。そして5か月前、ようやく病名がわかったのです。
20万人に一人という難病で、そのために痴呆のような症状が表れていたのです。
治療が始まりました。するとほんの少しですが症状が改善されてきました。
でも・・・わずか5か月の治療しか出来ずに命が尽きる事となってしまったのです。
10年前から治療をしていれば・・・せめてもう少し早く病名がわかっていたら・・・
そんな思いは尽きませんが、わからないから難病なんだとご自分たちを納得させていました。
「なんか涙が出そうだなあ。今までは変わり果てた姿でよその人って感じで悲しくもなかったけれど、こうして昔のお袋の姿になると悲しみが込み上げてきて涙がでそうだよ。」
喪主様がおっしゃいました。
最後には親族の皆さんがお母さんの側にいらっしゃりお顔や手を撫ぜていました。
私にとってはとても嬉しいお言葉です。でも、ご家族がお母さんの死を受け入れるお手伝いが出来たことが何よりも嬉しい事でした。


angel0425 at 11:00コメント(0) 

寿命

59876690.jpg10月初旬、朝晩ひんやりするほど涼しくなりました。しかし、昼間はまだまだ汗ばむ陽気が続きます。
それでも、真夏を思えば随分過ごしやすくなりました。
外での作業も精が出ます。
その油断がいけなかったのかもしれません。
62歳のご主人は熱中症でお亡くなりになりました。
真夏ではなく、涼しくなり始めた10月初旬にです。

大きなお宅に伺うと庭の芝生がきれいに整えられていました。
おばあさんと奥さんが横たわるご主人の横でお話をしています。
その姿はとても冷静そうに見えました。
がっしりとしたお身体のご主人の柄浴衣を脱がしお身体を拭いて差し上げます。
奥さんが一緒に拭いて下さいますが、来た時とは裏腹にとても悲しみ涙を流されます。
手を拭きながら
「もう何年も手を繋いでなかったなあ〜。新婚旅行の時にね、手を繋いで歩いてくれたの。」
そんな話をおばあさんに呟きます。
おばあさんはご主人のお母さんです。
「そうかね。」
おばあさんは奥さんの言葉に優しく相槌を打ちながら聞いています。
そうやってお二人は悲しみを共有し、お互いに慰めあっているのです。
ご用意して下さったお洋服に着替え、なるべく微笑んで見えるようなお顔に整えます。
とても優しいご主人で何でも奥さんの好きなようにさせてくれたそうです。
家の事も良く手伝ってくれ、ここ数日は毎日家の横のドブさらいをしたり、庭の草を刈ったりしていたそうです。
「疲れてたのかなあ〜・・・私が白内障の手術をしたから手伝えなかったから・・・」
後悔の念がこもった言葉でした。

いいえ。私は人の生き死には自分で選べないと思うのです。その間の生き方は選べたとしても、生まれる時と死ぬ時は運命で決まっているような気がするのです。
だから、ご主人の寿命は62歳までと神様が決めていたように思うのです。
道を歩いているだけでも死ぬ時は死ぬ。
大事故に遭っても生きる時は生き残る。
そんな風に思うと少しは気持ちが楽になりませんか?
だから、その寿命が尽きる時まで、悔いがないように生きなければいけないなと。


angel0425 at 10:59コメント(0)悲しみ 

2022年06月05日

初めて

59876690.jpgこの仕事をしていると、「もう長い事、この仕事をしているの?」とよく聞かれます。
思い返せば、この仕事を始めてすでに19年が経とうとしています。
あっと言う間の時間でした。
初めてご遺体を目にした時、『死んだ人』と言う先入観で覚悟を持って見た事を覚えています。
しかし、実際に見てみると、息をしていないだけで何も私達と変わりません。
初めてご遺体に触れた時、ドライアイスの冷たさと相まって凍り付くような冷たさに驚いたものです。
しかし、今となっては、冷たいのが当たり前、温かいご遺体は傷んでしまうのではないかと不安になります。
初めてご遺体の硬直を解いた時、こんなに硬くなるものかと人体の不思議を実感しました。
そして、そんなご遺体の着替えが出来るのかと思いました。
しかし、硬直は解けるものだとわかり、ご遺体の扱いに慣れてしまえば介護と同じ要領で着替えができるようになりました。
初めて腐敗し、鼻や口から体液や血液があふれ出ているご遺体を前にした時、私に処置が出来るのだろうかと不安な気持ちになりました。
しかし、経験を積み、工夫を重ねて今ではほとんどのご遺体の体液や血液を止める事が出来るようになりました。
初めて痩せこけて大きく目を見開き、顎が落ちて大口を開けているご遺体を見た時、労いの気持ちと共に何とか穏やかなお顔にしてあげたい気持ちが溢れ出てきたことが昨日の事のように思い出されます。
しかし、今では綿花や薬剤を使用して、目や頬の窪みを少しでのふっくらとさせ目を閉じ、お口を閉じて差し上げられます。

たくさんの初めてを克服し、今の私があります。どんな仕事でも同じかもしれません。
たくさんの初めてを積み重ねて一人前になっていくのです。
そして、一人前になった時、更に工夫を重ねて向上していくのでしょう。
20年近くこの仕事に携わってきた私でも、今も初めてに遭遇することが多々あります。
それだけ、人の亡くなり方は様々であり、一人として同じではないという事です。
どんな亡くなり方をしたとしても、どんな姿で亡くなっていたとしても、少しでも綺麗で穏やかな姿にして差し上げたい、その想いは19年前と変わっていません。
そして、これからもその気持ちは大切に、一体、一体のご遺体に向き合いながら自分も向上していきたいと思っています。
何よりも残されたご家族の悲しみを少しでも癒して差し上げたいからです。


angel0425 at 14:37コメント(0)湯灌癒し 

拒食症

026b6427.jpgお顔のハンカチをめくると、ぎょっとしました。
49歳という若さでお亡くなりになった女性は、まるでミイラのように痩せこけていました。
肌は黒ずみ、落ち込んだ眼は開いています。濁った眼球がこちらを悲しそうに見ています。
痩せてしまったために歯は大きく前に突き出し、頬は大きな穴が開くほどに窪んでしまっています。
彼女は拒食症でお亡くなりになったそうです。
お父様が、最後に教えて下さいました。
体重は10キロ程度だそうです。少し前まではご自分で階段の上り下りもしていたとおっしゃいましたが、その時の体重でさえ15キロ程度だったというのです。

ご家族は誰一人傍に来ません。ご覧になるのがお辛いのでしょう。
お立合いがだれもいないままお支度を整えます。
まるで骸骨に皮が被っているだけのようなお身体を温かいタオルで拭き、白いお着物を着せて差し上げます。少しでもふっくら見えるようにその場にあったタオルや綿花を着物の中に挟んで着せて差し上げます。
お顔の窪みには綿花と注射器で薬剤を注入して膨らませます。
お口を閉じて頬の窪みにも同じように綿花と薬剤で膨らませます。
お化粧を施して髪型を整えます。
ショートボブの髪型のようですが、櫛を通すと髪がバッサリと束になって抜け落ちます。
お支度が整いましたが、ほんの少しふっくらしただけで、やはり病的に痩せています。
ご家族に声を掛けて見て頂くのですが、遠くからご覧になるだけで誰も傍には来ません。
きっと、このお姿が心に残るのが辛いのでしょう。
納棺が終わっても、結局、誰も傍には来ませんでした。
ご両親やご主人でさえ。

拒食症は心の病です。
心を病んでしまった彼女ですが、決して死にたいと思っていたわけではないでしょう。
死に至る前に何とかできなかったのかと悔やまれます。
ご家族の想いも同じでしょう。お写真とかけ離れたお顔になってしまった彼女ですが、ご家族の心にはお写真と同じ元気でふっくらとした彼女の姿のみが残る事を願います。



angel0425 at 14:35コメント(0) 

2daa8317.jpg96歳のおばあさんはご自宅の介護ベッドに横たわっていました。
その傍らには二人の息子さんが悲しみに暮れながら寄り添っています。
息子さんと言ってもすでに高齢になっています。
ご挨拶の後、着せて差し上げたい物を確認すると、奥のお部屋に行き、何やら探しています。
暫くして、何着かお洋服を持って来られ、その中でも一番おしゃれなお洋服を着せて欲しいとおっしゃいました。そのお洋服はかなり大きく、元気だった頃のおばあちゃんはぽっちゃりしていたことを伺わせます。
二人の息子さんは、シクシクと鼻をすすりながらおばあちゃんのお身体を温かいタオルで拭いて下さいます。
お身体を拭きながら、少しずつおばあちゃんの話を始めました。
戦時中、命からがら火の海の中を逃げ回り、右足には大きな火傷の痕があるとおっしゃり、その傷跡を確認しながら足を拭きます。
早くにお亡くなりになったおばあちゃんのご主人は酒乱で、若い頃は随分苦労をしたそうです。
毎日、二人の息子さんがおばあちゃんを抱きかかえ、一日も欠くことなくお風呂に入れていました。
そんなお話をぽつりぽつりと話しながらお身体を拭いて下さいました。
小さくなってしまったおばあちゃんにはダブダブのお洋服を着せ、薄くお化粧を施します。
髪の毛に櫛を入れ、爪を切りお支度が整いました。
その頃には、二人とも大粒の涙を流していました。
お二人は結婚もせずに、二人協力しておばあちゃんのお世話を精一杯にしてきたようです。
それは、母親の苦労を見てきたからかもしれません。
老後のおばあちゃんの人生は、きっと幸せだったに違いありません。
親孝行な息子たちに感謝し、誇りに思っている事でしょう。
でも、母親の世話に明け暮れ、ご自分たちの事を後回しにしてきた息子さんたちは、母親の亡き後、気が抜けてしまわないか心配です。
お葬儀は二人だけで送るそうです。
親子水入らずの最期の時を大切に過ごす事でしょう。

私が帰る時、深々と頭を下げお礼をおっしゃって下さるお二人の目にはうっすらと涙が浮かんでいました。
おばあちゃんが天に上る時、お二人に「ありがとう」そうおっしゃる事でしょう。
そして、優しいお二人が幸せでありますように・・・見守ってくれるに違いありません。


angel0425 at 14:29コメント(0)悲しみ 

2021年09月01日

生きる

aa7432c5.jpg94歳のおじいさんの前歯は全て揃っていました。しかし、下の歯が全て抜け落ちているので口を開けて眠っているようでした。
おじいさんの周りには、息子さん夫婦、お孫さん夫婦、それとひ孫たち。たくさんの親族がおじいさんを囲って、思い思いの思い出話をしていました。
皆さんの見ている前でお支度を整えていきます。
着ている柄浴衣を脱がし、たくさんの親族の皆さん全員がおじいさんのお身体を拭いて下さいます。
白いお着物に着替え、お髭を剃ります。髭剃りの際には、おじいさんが自分で髭を剃っていた時の思い出話を。お鼻のお掃除をする時には、生前のおじいさんの鼻毛のエピソードを。
お化粧をする時には、おじいさんの顔色の話を。お口を整える時には、おじいさんの愉快な人柄の話を。
作業に合わせて、誰ともなく話し始め、話が途切れることはありません。
おじいさんは皆に愛されていました。
年に何度かは、親族の方々で集まり、おじいさんを中心にお食事をしたり、近況を話し合ったりしていたそうです。
孫やひ孫の心配ばかりしていたおじいさんでしたが、それと同じくらいに、お孫さんたちはおじいさんを気にかけ、時間の許す限り会いに来ていたそうです。

皆さんのお顔は笑顔ばかりです。涙を流す人は誰一人いません。
笑顔で思い出話を楽しそうに話しているのです。
94歳という大往生のおじいさんを皆、誇りに思い、褒めて送り出しているのです。

そんな姿を見ていて思いました。
誰も悲しまなくなるまで生きなくてはいけないなと。
誰も涙を流さなくなるまで生きなくてはいけないなと。
皆が笑顔で送り出してくれるまで生きなくてはいけないと。
私たちは自分の為だけに生きているのではありません。
自分を愛してくれる家族、友達の為にも生きているのです。
だから、自分を愛してくれる人たちが涙を流さなくなるまで生きなくてはいけないのです。
皆が誇りに思い、笑顔で送り出せるその時まで、生きなくてはいけないのです。


angel0425 at 11:44コメント(0) 
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ