2017年09月05日

苦しみ

00c7f9b0.jpg2歳の少年の運命はたった1本の予防接種によって狂わされました。
兄が麻疹に感染していたそうです。弟も感染し、潜伏期間だったにもかかわらず、知らずに麻疹の予防接種を受けてしまいました。
その予防接種が少年の、ご両親の運命を大きく狂わせました。

ホールの控室に伺うと、52歳の男性が眠るお部屋に一人の老人がいました。
ご挨拶の後、布団をめくると、ガーゼを当てられた左腕から大量の出血があり、敷布団を赤く染めていました。
点滴漏れだと思い、処置をする為にガーゼを外しました。すると、そこにはリストカットの痕がありました。
男性は自殺だったのです。勿論、手首の傷は死に至るような傷ではありません。
私が血液を拭きとっていると老人が傍へいらっしゃいました。
老人は男性のお母さんの弟さん、つまり、おじさんでした。
おじさんは涙を浮かべながら状況を話して下さいます。
男性は麻疹に感染していながら、麻疹の予防接種を受けたせいで、身体に麻痺が出て、そこからは普通の生活が送れなくなりました。
普通の子供達がしてきたであろう普通の事が一切出来ないまま大人になり、大人になっても仕事をすることも出来なかったのです。
松葉杖がないと歩くことも出来ず、手には麻痺が残り、人並みの事が出来なかったのです。さらに、お父さんは早くに亡くなり、今は年老いた母親と二人暮らし。その母親も、壁伝いに歩くのがやっとの状態で、家の事も出来る状態ではないというのです。
お母さんは、納棺のお立合いにも、体調がすぐれずホールにいらっしゃることも出来ませんでした。
男性は痛み止めの錠剤を大量に飲み、お風呂の中で亡くなっていたそうです。
身体の不自由な者同士の生活、老後の不安、常に襲ってくる痛み・・・
それらの全てから逃れる為に死を選んだのかもしれません。

たった一本の予防接種から男性とそのご両親の運命は大きく狂わされました。ご両親はご自分たちを責めたに違いありません。我が子を障害の残る身体にしてしまったこと、あの時に予防接種に連れて行かなければ・・・何度も何度も後悔したに違いありません。
男性も、ご自分の不運を呪ったことでしょう。
男性が死を選んだことを、誰も責めることは出来ないのかもしれません。
でも、残されたお母さんお気持ちをお察しすると、とても悲しい気持ちになります。

男性は、小さいころから可愛がってくれたおじさんの見守られながら棺に納まりました。おじさんは今晩、棺の横で一緒に寝てくれるそうです。
たくさん苦しんで、たくさん苦労した分、次に生まれ変わったら・・・
きっとたくさんの幸せを頂けますよ。きっと、きっと・・・間違いなく。


angel0425 at 19:07コメント(0) 

2017年08月04日

悲しみ

c6ea59a1.jpgお米屋さんのおばあちゃんは痴呆を患っていました。
そして、痴呆からくるパーキンソン病で苦しんでいました。

お宅へ伺い、ご挨拶をしようとすると、ご家族は急いでおじいさんを呼びに行きました。
おじいさんとご家族にご挨拶をします。今から温かいタオルでお身体を拭き、着替えをして、お化粧を施し、お顔を整え、髪型をセットしてご納棺までさせて頂く旨をご説明します。
でも、ご挨拶が済むと、おじいさんはいつの間にかお部屋からいなくなってしまいました。
おじいさんは辛いから傍にいたくないのです。
お婆さんを見ていると涙が溢れてきてしまうから、あまり見たくないのです。
娘さんと二人でお身体を拭き、白い経帷子にお着替えをして、お化粧を施し、お口元を整えます。お顔が整うと、
「元気だった頃のおばあちゃんに戻ったみたい。お店で働いていた時のおばあちゃんだ。」
娘さんとお嫁さんは笑いながら涙を拭っています。
「おじいさん!おじいさん!早く来て!」
重い足取りでお部屋に入ってきたおじいさんですが、おばあさんの姿を見るなり、笑顔になりました。そして、静かに涙をポロポロと流しています。
おばあさんは痴呆がひどくなり、自宅での介護が困難になりました。おばあさんの痴呆が原因で自宅が火事になったそうなのです。
それで、仕方なくおばあさんは施設に入ることになりました。
でも、ずっと施設に入れっぱなしでは可哀そうという事で、2週間に一度は自宅へ連れて帰り、ご家族皆さんで大切におばあさんを介護していたのです。
おばあさんが亡くなったのも、2週間に一度の自宅へ連れ帰った日の事でした。
最期の時を自宅で迎えられたおばあさん、最期の時を傍にいてあげられたご家族、それぞれに最良の最期となったのですが、それでも後悔は尽きません。
お嫁さんが涙ながらに後悔を口にします。おじいさんの胸の内も同じなのかもしれません。

おじいさんが悲しみの中でも、最期の時をずっとおばあさんの姿を見守っていられますように。
おばあさんの一番輝いていた時の姿を、しっかりと心に刻み込むことができますように。
おばあさんの肉体が消えてなくまるまで、暫しの時間。


angel0425 at 09:38コメント(0)悲しみ 

2017年07月08日

心の傷

6c0532e9.jpg心の傷は長い年月をかけても、癒えることはないのかもしれません。

おじいさんのお支度を整えに伺いました。
お孫さん達に囲まれて、明るい会話の中でおじいさんの着替えをしていきます。お髭を剃り、お顔の色を血色良く見えるようにお化粧を施し、お口を整えていきます。
私の作業を見守りながら、おじいさんの思い出話に花が咲きます。
一人のお孫さんがおっしゃいました。
「おじいちゃんね、いつも『俺は地獄に行く』って言ってたんだよ。どうして?
おじいちゃん、何も悪い事してないじゃん。どうして地獄に行かなければいけないの?」
そうおじいさんに尋ねても、『俺は地獄に行く。』と言う言葉を繰り返すだけでした。
「戦時中の事が心にひっかかってるんですかね?」
私が呟くと、お孫さんがおじいさんから聞いた戦時中の話を聞かせてくれました。
空襲が襲ってきました。火の海の中、皆、夢中で逃げました。その中で、おじいさんは、皆と反対側に走って逃げました。ゴロゴロと転がっている死体の上を踏みつけて、必死で逃げました。おじいさんの命は助かりました。でも、反対に逃げた人達は皆、死んでしまったそうです。
その話は、何度もお孫さんに話して聞かせたそうです。
自分だけ助かってしまった自責の念と、無念の死を遂げた人達を踏みつけて逃げた自分の行動に苦しんでいたのかもしれません。
口には出さないけれど、ずっとずっと長い間、おじいさんは、その時の自分の行動に苦しんできたのかもしれません。
そして、地獄に行く覚悟で死を迎えたのかもしれません。

戦争とは、そういうものなのです。
何の罪もない多くの人々の命を奪い、生き残った人達の心に大きな傷を残すのです。その心の傷は、長い年月をかけても癒えることはなく、背負った傷を癒すために地獄に行く覚悟を決めているのです。
心に傷を負った年代の人達が、徐々に寿命を迎えています。
今一度、戦争を知らない私達も、先人が負った心の傷に目を向けてみることも大切ではないでしょうか。


angel0425 at 17:02コメント(3)悲しみ 

2017年06月21日

納棺師

66b51deb.jpg古い立派なお屋敷には90歳を超えるおじいさんと80代のお婆さんが住んでいました。
昔の古いお風呂では、老人には出入りが大変だという事でお風呂場をリフォームしました。リフォームの済んだ新しいお風呂に入った初日の夜、おばあさんは新品の浴槽の中で眠るようにお亡くなりになりました。
おばあさんがお風呂に入った後、おじいさんは床に就きました。
夜中にトイレに起きると、お風呂場の電気が灯っていたので不審に思い、中を覘くと、おばあさんが浴槽にもたれかかって湯船の中で眠っていました。
何度も声を掛けましたが、返事はなかったそうです。

私がお宅へ伺うと、おじいさんがおぼつかない足元でゆっくりと歩いてこられました。
おばあさんは、死後、温かいお湯の中に浸かっていたため、すでに腐敗が始まっていました。その証拠に、鼻や口から泡が噴出しています。それは内臓の腐敗が始まり、体内でガスが湧いている状態なのです。
鼻や口に綿花を詰め、泡を止めます。
ご家族が用意してくださったピンクの着物をお着せして、所々紫色に変色したお顔にお化粧を施します。
髪型をセットして、お棺に納めさせて頂きます。
おじいさんは、その様子を私の後ろからご覧になりながら、おばあさんが亡くなった時の様子を親族の方々に説明しています。
90歳を超えているとはいえ、話の内容はとてもしっかりしたものでした。
「わしがもう少し早く見つけてたら、こんな事にはならなかったろうに。本当に申し訳ないことをした・・・」
何度も同じ言葉をつぶやき、ご自分を責めていました。
突然の死は、時に残された者に責任を感じさせてしまうのかもしれません。
あの時、ああしなければ良かった・・・
あの時、こうしていれば良かった・・・

亡くなった方を、少しでもきれいな姿にして差し上げることで、残された者の心の呵責を軽くしてあげられたら。
亡くなった方を、少しでも穏やかなお顔にして差し上げることで、残された者が穏やかに死を受け入れられるようにしてあげたい。
私たち納棺師は、そのために存在するのかもしれません。


angel0425 at 10:29コメント(0)トラックバック(0) 

2017年04月03日

悲しい笑顔

5eee399c.jpgホールの控室で、37歳の可愛らしい奥様はピンクの帽子をかぶり、穏やかなお顔で眠っていました。帽子の下は、抗癌剤治療の為、髪の毛が抜け落ちてしまっていました。
お部屋にはご主人と娘さん、そしてお姑さんがいらっしゃいました。
ご挨拶の後で、ご要望や着せて欲しい物をお伺いします。
いつも着ていたお洋服を出してきて、白い経帷子とどちらを着せようか迷っています。
まだお若くて、経帷子が似合うようなお歳ではありません。
お洋服を着せて差し上げることになり、髪の毛はどうするか伺うと、ウィッグをかぶせてあげたいとのことでした。
私がお姑さんと着替えをしている間に、ウィッグを取りに帰るそうです。
娘さんとご主人は慌てて控室を出て行かれました。

お姑さんと私は、奥様のお身体を拭き、一緒にお着替えをして差し上げます。
彼女は白血病を病み、もうすぐ完治するはずだったそうです。退院の目途も立ち、娘さんの卒業式には出たいと喜んでいた矢先の出来事でした。
突然の脳内出血で眠っている間に、息を引き取りました。
病室で眠っている間に・・・
着替えもお化粧も終わった頃に、ご主人が戻ってきました。
その手にはウィッグとお気に入りだったカーディガンと手にして。
ウィッグをかぶせると、彼女は更に可愛らしくなりました。
ご主人は支度の整った奥様を前に、子供のようにはしゃいでいます。
途中で来られた息子さんや娘さんに奥様の自慢をして、一緒に写真と撮ろうと誘います。
嫌がるお子さん達と一緒に奥様のお顔に頬を寄せ、家族写真を写しています。
その手はピースをして、笑顔で自撮りをしています。
心が痛くなりました。
笑顔で送り出すと決めたご主人は、無理に明るく振る舞い、悲しい笑顔を作り、お子さん達を巻き込もうとしています。
心は泣いているに違いありません。
心は悲しみで張り裂けそうに違いありません。
心は悔しさでいっぱいに違いありません。
それでも、ご家族の心が重くならないように、子供達が涙を流さない様に、一生懸命に笑顔を作るご主人に、皆が救われています。
きっと、ご主人は最期まで笑顔で奥様を天国へと送り出すのでしょう。
心の中で、大粒の涙を流しながら、悲しい笑顔を作って。
それが、ご主人の精一杯の優しさと愛情なのでしょう。
愛する家族と奥様のための。


angel0425 at 09:47コメント(0)トラックバック(0)悲しみ 

2017年02月28日

痴呆のお父さん

576e18c8.jpg娘さんと痴呆症のお父さんとの生活は壮絶なものでした。
部屋の扉には全て鍵を付け、いつも沢山の鍵を持ち歩いていたそうです。
お父さんは徘徊を繰り返し、怪我をして発見されたこともありました。
勝手にお風呂場に行き、脱衣所に向けてシャワーを流し、廊下中を水浸しにしたこともありました。
痴呆の影響で暴力的になり、娘さんがぐったりするまで殴り続けたこともありました。

お父さんのお身体を拭きながら、娘さんが涙をすすりながらお話をして下さいました。
出来るだけ家で面倒をみたかった、そう思っていたそうですが、暴力がひどくなり、身の危険を感じた娘さんは、仕方なくデイサービスの力を借りることにしたそうです。
そんなお父さんも、ある時から急に穏やかになりました。
「ありがとう。」
その言葉をよく発するようになり、暴力を振るうこともなくなりました。
足を骨折して足が不自由になり、徘徊もなくなりました。
相変わらず、痴呆は進んでいましたが、すっかり人が変わったように穏やかになったことをお友達に話したそうです。
「もう、先は長くないね。そうなると、死が近づいているよ。」
そう言われたそうです。
それから一年後、お父さんは亡くなりました。
血色良く顔色と整え、お写真を見ながら口元や髪型を整え、支度が整うと
「お父さん、デイサービスに行けるね。」
大粒の涙を流しながら、真っ赤な目をして娘さんがおっしゃいました。

人は、良い思い出だけを残して消えていくのでしょうか。
どんなに壮絶な日々があったとしても、最後のお父さんとの生活が穏やかな日々であったら、最後のお父さんの言葉が「ありがとう」であったら、全てが帳消しになります。
娘さんの心に残るお父さんは、「ありがとう」とよく呟く優しいお父さんです。

人は亡くなるとき、仏様に近づくのかもしれません。


angel0425 at 11:33コメント(0)トラックバック(0)癒し 

2017年01月25日

運命

886073d3.jpg「人の命ってはかないものね・・・」
真っ赤な目に涙を浮かべてお嫁さんがおっしゃいました。

自宅の前には血痕が残っていました。おばあさんは自宅の前で車に跳ねられたのです。
お顔は傷だらけで、鼻骨は折れ、所々、針金のような糸で縫ってありました。
頭は手術のため髪を剃られ、一部頭蓋骨がありません。
本当に痛々しいお姿です。
布団をめくると、点滴痕からの出血で布団が真っ赤に染まっていました。
血液で汚れたお身体を拭き、布団を敷き替え、ご家族と一緒にお身体を拭いて差し上げます。ご家族は、泣きながら身体を拭き、全身を写真に残していました。
「辛いけど、全てを残しておきたいの。」
そうおっしゃって、紫に腫れあがった右足を、折れてしまった骨盤を、神経痛で痛がっていた左足を・・・全身をお写真に残していました。
白い経帷子にお着替えをして、お顔をなるべく痛々しくない様にお化粧を施します。
擦り傷や打ち身はファンデーションで目立たなく、針金のような糸は出来るだけ短く切って、その上からワックスで皮膚を作ります。
欠けてしまった唇は綿花とテープで唇を作り、お口を閉じて差し上げます。
髪の毛を剃られてしまった頭は黒い三角巾で巻き、部分かつらで前髪だけ作って差し上げました。
元通りのおばあちゃんには程遠いかもしれません。それでもご家族は
「きれいになった。これなら皆に見てもらえるよ。」
そうおっしゃって下さいました。

緩いカーブを抜けた先に自宅があります。カーブを抜けると朝陽がとても眩しくて目がくらむそうです。朝陽が一番眩しい時間に、いつもはゴミ捨てになど行かないおばあちゃんが、その日に限ってゴミを捨てに自宅から出ました。
偶然が重なり事故が起きるのかもしれません。
『運命だった』そんな一言で納得出来ることではありませんが、人の『死』は運命で決まっているのかもしれません。
運命で決められたその瞬間にいつもと違う行動をとってしまったり、悪い偶然が重なるのかもしれません。


angel0425 at 10:30コメント(2)トラックバック(0)悲しみ 

2016年12月05日

自殺

4cdbcc18.jpg人は何故、自ら命を絶つのでしょう。
人が悩みや苦しみから解放されるのは、「死」しかないのでしょうか。

23歳の若者が自ら命を絶ちました。
眼球は窪み、瞼との間に隙間が出来、そこから白目を覗かせています。
唇は乾燥して、カリカリに固まり、真っ黒に変色しています。
その姿は、死後数日経っていることを物語っていました。
お立合いになるのは、ご両親とお兄さんだけです。ご家族だけでひっそりとお支度を整えました。
ドライアイスで凍ったお身体を、ご家族が無言で拭いて下さいます。
重苦しい空気の中で、お母さんの電話が何度も鳴ります。その度に、お母さんは泣きながら事情を説明しています。
お父さんは、言葉を発することなく、黙々とお身体を拭いて下さいます。
23歳という若さでは、似合うはずのない経帷子を着せて差し上げます。
顔色を血色良く整えて、窪んだ眼球と瞼との間に綿花を入れ、しっかりと目を閉じます。お口にほんの少しの含み綿をして、微笑んだような口もとを作ります。真っ黒に変色した唇は、ファンデーションと口紅を重ね塗りしながら、自然な色に整えていきます。そして、お支度が整いました。
すると、今まで寡黙だったお父さんが、口を開きました。
「悩んでいるなら・・・もっと電話をすれば良かった。もっと、もっと電話をすれば良かった・・・」
絞り出すように言葉を発しました。
ご両親は、今日、福島の田舎から出てきました。
若者は仕事の為に、愛知に来て、会社の寮に住んでいたそうです。
そして、最後の場所に選んだのも会社の寮の一室でした。
「お盆に帰って来た時は、普通だったんだよ。悩んでいるなんて見えなかったんだよ。悩んでるなら、帰って来たら良かったのに・・・」
お母さんが泣きながらおっしゃいました。
「死」という最悪の結果を迎えてしまった若者とご両親。
後悔ばかりが募ることに違いありません。

人は、何故自ら命を絶つのでしょう。
命を絶てば、悩みや苦しみから解放されるのでしょうか。

いいえ。悩みや悲しみを、残された家族に背負わせるだけの事なのです。


angel0425 at 10:23コメント(0)トラックバック(0)悲しみ 

2016年11月01日

厄介者

fad7d6f7.jpgホールの控室に着きました。お部屋には誰もいません。
故人様が一人、ひっそりと眠っているだけです。
仕方なく、ご家族の到着を待ちます。約束の時間を10分以上過ぎてからです。
一人のご婦人が入ってこられました。
忙しそうに葬儀屋の担当者と話をしています。担当者が促して、ようやく、私の存在に気が付いたようです。
「喪主様は?」
担当者の言葉に、慌ててご主人に電話をして呼びました。さらに10分ほど待たされたでしょうか。喪主様がいらっしゃいました。
故人様のお兄さんだそうです。
挨拶をさせて頂いても、喪主様は何一つ言葉を発することはありませんでした。そして、私がお支度を整え始めると、喪主様はお部屋を出て行ってしまいました。奥様はお部屋にいましたが、LINEをしているようで、ひっきりなしに着信音が鳴ります。
私は、ひたすら、故人様のお支度を整えました。故人様は、60代の男性です。とても優しそうなおじさんでした。
暫くすると、私の後ろで、奥様が口を開きました。
故人様は20歳頃にバイク事故に遭ったそうです。たいして怪我もなかったので、相手の連絡先も聞かずに別れました。しかし、その後、事故が原因で障害が表れました。急に発作が起きるようになり、結局は仕事も続けられなくなりました。そして、病院での生活が始まったのです。それは何十年にも及びました。
悔しくも、故人様が亡くなったのは5年前に亡くなったお母様と同じ日だそうです。
お母様は、故人様を残しては死ねない と口癖のようにおっしゃっていたそうなので、故人様を不憫に思い、連れに来たのかもしれません。
お母様が亡き後、お兄さんが故人様の面倒を見てきたのでしょうが、まるで、厄介者のようで故人様がかわいそうに思いました。
事故さえなければ、普通に結婚して家庭を築き、子供や孫に囲まれて温かく最期を送り出してもらえたかもしれません。
事故さえなければ、お母様にいらぬ心配をかけずに済んだのかもしれません。

せめて、心を込めてお支度を整えて差し上げる事、私にはそれしか出来ないけれど、来世こそは温かい家庭を築き、親孝行が出来ますように。
心よりお祈りいたします。


angel0425 at 09:10コメント(0)トラックバック(0) 

2016年10月02日

生きる支え

7296de64.jpgそのお宅は見覚えがありました。
4か月ほど前に、お母さんのお支度をお手伝いさせて頂いたお宅です。
今度は息子さんがバイク事故でお亡くなりになりました。
43歳という若さです。2歳のお子さんもいます。
お父さんは憔悴しきっていました。

大きな体の息子さんは、きれいなお顔で眠っていました。
ご家族は皆、大きな声で泣いています。
着ていた柄浴衣を脱がして、皆さんでお身体を拭いて差し上げます。
身体のどこにも大きな傷はありません。手足に小さな擦り傷があるだけです。
肋骨と脊椎が折れ、それが致命傷で亡くなったそうです。
泣きながら、一生懸命に話しかけながら、皆さんがお身体を拭いて下さいます。
身体中の傷を確認しながら、どのようにバイクで倒れたか推測していました。
死の真相が知りたいのです。どうして亡くなったのか知りたいのです。
納得のいかない死の真相を推測して、懸命に死を受け入れようとしていました。
何もわからない小さなお子さんは、お菓子を食べながら、いつもと違う雰囲気に落ち着かない様子でお部屋をうろうろしています。
いつも着ていたTシャツとズボンを履き、血色よくお顔の色を整えます。
支度が整うと、2歳のお子さんが
「パパ、どうぞ。」
そう言って、自分が食べていたお菓子をパパの口に突っ込みました。
パパはお菓子をくわえて微笑んでいました。
そして、パパの胸にしがみつき
「パパに抱っこしてもらったよ。」
片言で言いました。その様子を少し離れてご覧になっていたお父さんは、私の耳元で囁きました。
「私は、何があっても、あの子を一人前にするよ。出来る限りの援助をして必ず立派に育てる。」
涙を浮かべながら、力強くおっしゃいました。

大切な人をたて続けに失ったお父さん。
その悲しみは想像を絶するに違いありません。
でも、息子さんの残してくれたたった一人のお孫さんが、お父さんの生きる支えになっていくことでしょう。


angel0425 at 19:33コメント(2)トラックバック(0)悲しみ 
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