催眠療法セラピールーム*心の庭*(ヒプノセラピー新潟県)

*潜在意識の輝きと共に・・・ 新潟県北、海沿いの風光明媚な温泉地である瀬波温泉でヒプノセラピーを行っています

私自身のヒプノ体験

こんにちは。ヒプノセラピストの青山です
他ブログの記事を整理している途中なのですが、私が「ヒプノセラピー」をライフワークにと決めるきっかけになった「前世療法1日ワークショップ」の体験記が出てきましたので、再録致します。
以下は再録の記事です(2008年12月、東京でのワークショップです)

↓  ↓  ↓
私の‘一つ前の’人生はアイルランドの未亡人でした。夫であったろう人は水の事故で亡くなっています(漁師とか船乗りだったのでしょう) 私は夫の死がきっかけで霊能が開花し、その後かなり高齢になるまでミディアム(霊能者)として活躍しました。
どうしてそんなことが分るのかというと、実際に‘それ’を「見た」からです・・

一昨年の12月の日曜日、私は長年温めてきた一つの想いを現実にしました。それはヒプノセラピースクールの1日ワークショップに参加することでした。実は私は幼い頃からの恐怖症をここ数年で完全に癒し完治させていました・・その癒しの技が「催眠療法(前世療法*ブライアン・ワイス博士著を参照してください )ヒプノセラピー」だったのです。
東京で行われたワークショップには実に全国から様々な想いで駆けつけた人たちが参加していました。
東北や関西からの方もいました。私自身も新潟の県北の片田舎から朝一番の電車に乗って新幹線を乗り継ぎ、東京まで来たのです。
講義は朝10時から始まりました。ヒプノセラピーのしくみや概要を聴き、午後からは、いよいよ体験学習です。
参加者が二人ペアになって用意されたナレーションを読み上げ相手を催眠下に誘導していきます。
実は・・私はこの時、なんの期待もしていませんでした。というのも既にここ数年で重い不安や恐怖症のほとんどを完全に癒し、何の課題も持っていなかったからです。
それに実習ですから大勢の人が一部屋にいて、それぞれにナレーションを読み上げているわけで、こんな賑やかなところで催眠に入るなんて無理かも・・と思っていたのです。ところが予想に反して、私はすんなり催眠下に入っていきました。

・・最初に見えたのは足元です。白い雪の上で、なぜか裸足でした。不思議に冷たさは感じません。その上に丈の長いスカート・・前開きの毛糸のチョッキ・・じつに鮮明です。
どうやら寒い所のよう、そう思った時、ふいに自分の顔が見えました。雪の様に白い白人の女性です。20代位の年齢。
見続けていくと彼女の家にいかつい男性が入ってきました。この人が家族のようです。が、すぐに木製の船が見え、そのあと彼女は海の見える所に立ち呆然としています・・その後この家で彼女は一人きりで居たようでした。
夫であったひとは海で死んだようです。年月をどんどん進ませて彼女の臨終の場面までいきました。
しわくちゃのお婆ちゃんでベッドに横たわり、傍の子供を連れハンカチで涙をぬぐうご婦人となにか話しています・・
「わたしは大丈夫・・もうすぐ会える」そう言いました。
その様子は穏やかで自分の人生に完全に満足していて幸せそうでした。死を恐れてはいませんでした。
そして、あっという間に魂が身体から離れ、私は空から自分の‘アイルランド風のお墓’を「ある方」と一緒に眺めていました!墓地のそばには、さっきのご婦人がいます。なぜ‘アイルランド風’かというと墓が「ケルトの十字架」(十字架に丸い飾りが付いたもの)だったからです。
そのあと私の魂(じつは身体はちゃんとありました。そしてなぜか二十代の若い頃に戻っているのです)は「何体かの光の存在に」囲まれました・・彼らは・・「精霊」です。
彼らは私に 「よくやってくれました」と言い、輝く愛で包んでくれました。
前世の私は、霊能者として彼ら「精霊」と普通の人との架け橋になる仕事を果たし、精霊達に迎えられてこの人生を終えました。
これがこの時私の見たすべてです。嘘いつわりはありません。(正味30分程度の退行催眠でした)
・・私は深く理解しました。こんなにも充実した仕事をもう一度「今生」でもしたいのだと。
でも今の私には、昔のような‘特別な霊能’はありません・・・それで気付いたのです。 「だから、ヒプノセラピーなのだ」と。
長い物語でしたが、私は‘わたし’に帰って来ることが出来ました。今私は本当の‘わたし自身’だと胸を張って言えます。そうしてもう一度‘わたしの仕事’をするのだと決意しているのです。

ハイクロス









新月に祈る

こんにちは。ヒプノセラピストの青山です 
45歳のときにヒプノセラピーを開業した私は今年2017年、満50歳となりました。
5年前、「50歳になったら開業したい。しかし、その頃になって体力・気力を保っていられるだろうか?というのが開業を早めた本当の気持ちでした。高度な集中力を必要とする催眠の誘導は実際、はたで見ているより疲れるのです。
下記に、その頃の日記ブログの文章を再録します。
↓   ↓   ↓
「今日は
新月です。朔(さく)とも言いますが月の輝面が0%の状態の事です。

私は農村育ちでしたので、農事歴は大切にされていました。
農事歴は
太陰暦を基調としていることが多いです。

まったく輝かない月を“新月”と崇める事を不思議に思いながら育ちました。

朔月一日から、二日、三日と月はその輝く面を増していきます。

私の中で今日の朔月一日をひとつの区切りにしようと決めました。

これからは職業を訊かれたら堂々と「ヒプノセラピストです」と言おう。

私の決意を新月に託して、静かに祈りたいと思います。

催眠療法で、多くの方の人生に奉仕できますように。たくさんの方がヒプノシスで、

潜在意識から光を受け取り、満月のように輝けますように。どうか応援してください」


この5年の間にも、本当に色々なことがありました。きっと皆様も同じことでしょう。
職場などの環境の変化、親しい友人との別れ、ご自分の病気や闘病、など・・・喜び・・哀しみ・・。
生きていくとは変化していくこと』と、これ迄以上に思った5年でした。
五月の新月はじつは昨日の明け方でした 夜明けは早く、薄暗がりに数年で大木に育ったニセアカシアの花の香りが漂ってきます。私は次の5年が再び沢山の奇跡に包まれますようにと静かに祈りました。



いま、闇の中にいる貴方へ


こんにちは、ヒプノセラピストの青山です七月に入り、雨の日が多い村上市です
梅雨明けも間近な瀬波温泉の海岸では出番を待つ浜茶屋が静かに雨に打たれています

先日、母の付き添いで県立新発田病院へ行ってきました。
建物も真新しい近代的な総合病院です。私の目には、その巨大な病院が自分に迫ってくるように見えて、中へ入るとき緊張を感じます。ここでは毎日のように「生と死と病い」が身近に起こっていると感じるからかもしれません。
母はここで膀胱がんの手術を受けました。結果は良好で三ケ月ごとの検査を受けているのです。
その日の診察は予約があり、あまり待たないとは思いましたが、朝早かったので外来受付も始まっておらず、私は何か読む物を買おうと売店に向かいました。売店でコーヒーを買って飲みながら、手に取ったのがこれでした。『雑誌 PHP7月号』です。軽くて嵩張らないくらいの気持ちで買ったのですが、思いのほか勇気づけられる内容で、皆さんにもお勧めしたくなりました。

どんなポジティブな人でも、落ち込む時期はあるものです。とくに「良かれと思ってやった事がうまくいかない」時など尚更です。私自身も今年になってから、身近な人に重病が続いたり、私自身の環境の変化などで、次々と障害が起こり、暗く沈んだ気持ちが続いていました。
そのような時期が長く続くと、「何か自分に悪いところがあったのではないか」とか「どこかが間違っていたのではないか」などと、どんどん自分を責める方へ考えが向かいがちです。
『PHP7月号』には、今活躍している著名な人たちの『どん底体験』が本人の書いた記事で載っていました。
タレント、歌手、小説家、シスター、相撲取り・・・様々な分野で有名な人たちの「暗く落ち込んだ時」の話です。

私たちは、常に上昇し、幸運が続き、華々しく活躍していることを「幸福・幸せ」と考えています。
しかし人生は決してそんなふうにはできていないと改めて思いました。
「どちらを向いても不幸で、打つ手がなく、悲しみばかりが襲ってくる」という時間が必ずある、と思うのです。
そんな時、「この時間、この出来事は、不幸で”これ”は間違っている」と思うこともあります。
しかし、「人間も自然の一部であり、人生には季節がある」ことを思い出すと、今起こっていることは、循環であり、サイクルなのだと気付くことが出来ます。
「詰まりに詰まったとき、それは貴方の人間としての成長が進んで、今までの枠に入らなくなった」という証だと考えれば、ここまで懸命に生きてきた自分を褒め称え、少しばかりの愛を自分自身に与えることで、「先へと進む勇気が出てくる」かもしれません。
永遠に続く再生のサイクルの一環として、時には、成長と変化のために暗闇の部分へと降りていく必要があることもあります。

『深い海にいるときは、ダイバーになりきることだ。:ラルフ・ブラム「ルーンの書」より』
苦しんでいる時でさえ、私たちは成長し、前進しているのです。