催眠療法セラピールーム*心の庭*(ヒプノセラピー新潟県)

*潜在意識の輝きと共に・・・ 新潟県北、海沿いの風光明媚な温泉地である瀬波温泉でヒプノセラピーを行っています

奇跡の読書体験③アドラー的「鬼滅の刃」斜め読み

こんにちは、ヒプノセラピストの青山です 先ほどお昼頃に北の空に低くかかる虹を見ました
11月、時雨れる頃に見かけることが多くなる虹は、雨だけあっても日の光だけあっても見ることが出来ません。空中の雨の雫と日の光が同時にあって、なおかつそれを「観察する人」がいて初めて成立する光学現象です。虹を見るとき「奇跡だ」と思うのは私だけでしょうか(笑)

さて、テレビもネットも大人気漫画「鬼滅の刃」で大賑わいです。私は年季の入ったコミックファンで、少女漫画も少年漫画も大人コミックも結構読んでいます大人気の「鬼滅の刃」も既刊は全巻読んでいます。こちらがタジタジとなるくらいのフィーバーで、もう社会現象といっていいんじゃないでしょうか
アドラー心理学がマイブームの私は「鬼滅の刃」をちょっとアドラー心理学的に読んでみました

「鬼滅の刃」は人を喰い殺す鬼の一派と、それを打ち倒そうとする「鬼殺隊」の少年少女たちの対決を描いたバトル漫画です。
主人公の竃戸 炭治郎は家族を鬼に殺され、唯一生き残った妹と一緒に旅に出ます。妹は襲われた時、偶然鬼の生血を飲んでしまい半分鬼になってしまいます。そう、襲ってくる鬼たちは昔は人間だったわけです。
鬼の元締めである鬼舞辻 無残は、これと見込んだ人間たちを次々鬼に変えながら生きてきました。無残は鬼の一派のヒエラルキー(階層)の頂点に君臨し、人間を襲うだけでなく、気いらなければ自分の手下どもを簡単に抹殺します。
普通読者は無残を「何故こんな酷いことが出来るのだろう?どういう性格なのだろう?」と考えます。

「嫌われる勇気」の中に神経症的な性格モデルとして「世界の中心にいる人」というのがあります。「自分にしか関心を持てない人容易に『自分はこの世界の中心である』という錯覚に陥ることがある」と書いています。
なぜ自分にしか関心を持てないのか?それは強烈な劣等コンプレックスによって「是が非でも他人に認めて欲しい。→という承認欲求があり、他者をその為の道具として見てしまう。自分以外の他者は皆自分の気持ちを最優先するべきだと本気で考えてしまう。という仕組みです。
その大本にあるのは、ありのままの自分を受け入れられない、自己否認であるとアドラーは考えました。何であれ(弱く他者に圧倒されてしまうとか、背が低い、運動オンチ、勉強が苦手など)短所があっても「それでも自分は自分」と自己受容している人は自分が「共同体の一部」であることを認め、それに貢献することで自然に共同体の中自分の居場所はここだ!という感覚を手に入れて行くそうです。

最初、妹と共に彷徨っていた炭治郎も鬼殺隊に自分の居場所を定め、より大きな共同体である人間社会のために貢献することになります。
主人公の炭治郎は東北の“炭焼き”の出です。武士でも貴族でもありません。また彼を鬼殺隊に誘った冨岡と出会った時は剣術も何も知らない無力で激弱の少年でした。しかし炭治郎は弱くみじめな自分を素直に受け入れ(自己受容)鬼になった妹をもとの人間に戻すため(他者貢献)、努力して少しづつ強くなっていきます。出自を恥じることも、弱い自分を嫌うこともない炭治郎の自己受容は、「自分は自分でいい。他の誰かになる必要はない」という健全な自己愛に根差したものです。

私は最終巻をまだ読んでいないのですが、例え炭治郎が無残を殺せなかったとしても、勝敗はもう決まっていると思います。何故なら「自分を好き。人を愛せる。」という炭治郎の方が圧倒的に幸せ」だからです

奇跡の読書体験②

こんにちは、ヒプノセラピストの青山です 早くも11月、「文化の日」ですねこの日は晴れの特異日として知られていますが、今日は寒々と小雨パラつく瀬波温泉です

さて、前回の記事ではアドラー心理学を紹介したベストセラー「嫌われる勇気」を読んだ感想を書きましたが『奇跡の読書体験』というほどかしらと思われた方もいらっしゃったと思います。アドラー心理学の何が奇跡的なのか・・もう少し書いてみたいと思います。

①「トラウマの否定=確固とした目的論」
今の日本でトラウマという言葉を知らない人はいないと思います。精神医学の大家フロイトが提唱した「トラウマ論」は「過去の体験で出来た心の傷が、現在の体験を作っている」というもので「結果論」とも言われます。
「このような出来事があり、経験をしたから今の自分がある」という理論とも言えます。

それに対してアドラーの提唱した目的論は「先に目的があり、その目的を達成するために過去の思い出に主観的な意味づけをしている。」とするもので、完全にトラウマを否定します。

例えば幼い頃に虐待を受けた人が大人になった時、周りの人が怖くて対人恐怖症を発現していると主張しているとします。フロイトのトラウマ論に従って「私は子供の頃の体験(トラウマ)があるから人が怖い。対人恐怖症は過去の体験のせいだ」と言ったとします。

しかしアドラーは「それでは、過去に同じ経験があっても対人恐怖症を発現しない人がいるのはおかしい」と考えました。そして「それはトラウマ=過去の体験のせいではなく、現在の目的のせいである対人関係を避けたい為に過去を利用しているのだ」という「人は自らの目的に沿って生きている=目的論」を採用してトラウマを否定しました。
私には「これ」が奇跡的だったのです。つまり「過去の体験のせいで今自分は不幸なのだ」という、
責任の転嫁による嘘を打ち破ったのです。 

これはかなり厳しい指摘です。責任の所在をすべて自分に置くもので、「あいつが悪いから俺は不幸なのだ」といった文脈をすべて否定するものです。ぎょっとする人が多いのではないでしょうか。私もそうでした。しかしぎょっとしたのを通り越し、「過去は自分に何もできない今の自分がどうあるかを自由に決めることが出来る!」という理論、「人は今すぐ幸せになれる!」というアドラー心理学の主張に、光明=大きな救いの光を見た思いがしました。


そこで・・・私自身の学びも含めて「嫌われる勇気アドラーの教え」を読む、WEBでの読書会を開催したいと考えています。zoomアプリを使ったリモートの読書会です。どなたでも参加できます。また私もWEBやzoom会議について知識に乏しいのでアイデアを頂けたら嬉しい限りです。
メールアドレス
angelroad444@ezweb.ne.jp またはコメント欄をお使いになりお知らせください。またわたくしのクライアント様には携帯電話でのご連絡もお待ちしています。
「開催まで何とかこぎつけたい!!しかし、それは中々厳しい!だが続けてください!」←「嫌われる勇気」に登場する先生と対話する青年の言い回し(大笑)どうぞよろしくお願い致します。

奇跡の読書体験

嫌われる勇気
古賀 史健
ダイヤモンド社
2013-12-16

こんにちは、ヒプノセラピストの青山です 秋もドンドン深まって、明日は「ハロウィーン
毎年のように読み返している「レイ・ブラッドベリ」の長編を今年は読まずにいます
十月が大好きなSF作家ブラッドベリのセンチメンタルな情感が今年はあまりぐっと来なかったのです。その代わりに素晴らしい読書体験をしたのでご報告したいと思います。
アドラー心理学を紹介した大ベストセラー「嫌われる勇気」です。通読したのは今回2回目です。1度目は「トラウマはない、という学説は面白いし、対人関係に焦点を当てて、心理面の悩みを解決する手法は興味深い」と感じ、あっという間に読んでしまったのですが、「奇跡の読書体験」はその後に控えていたのでした

私は今53歳です。年齢相応に年老いた両親の生活全般に関わる問題が出てくるようになりました。まず運転免許を返納したことでの食料の買い出しや病院の通院の事などです。
実は私は今まで車を所有していませんでした(主人は通勤があるので自家用車はあります)
そこで両親が乗らなくなった軽自動車を私が預かることになり、1か月ほど様子を見るため瀬波の自宅に置いておきました。それまで運転免許はあるが車がなかったために日中遠出することもありませんでしたが、車を預かったとたん、1日に何回も頻繁に実家から電話が入るようになりました。「具合が悪いので今すぐ来てほしい」とか「今すぐ必要なものを買ってきてほしい」とかの緊急性の乏しい電話ばかりです。私が自宅やサロンで仕事をしていると説明しても理解してもらえません。結果、1か月して私は車を実家に戻しました。
ここでアドラー心理学の再登場です!

両親は私にとって掛け替えのない存在です。出来ることならば全ての頼みを訊き、全ての希望に応えてあげたいです。しかしセラピーを本業とする私の仕事の直前にも電話が鳴り、愚痴や夫婦の諍いの話をしてくる両親に流石にハテナマークが出ました「?????」「これは、過剰対応だ。何かがオカシイ・・」
そこで「嫌われる勇気」を再読! アルフレッド・アドラーはオーストリアの精神科医でした。精神医学の大家フロイトとは同僚で一緒に仕事をしています。アドラー心理学の重要な主張に「すべての悩みの根幹は人間関係である」というのがあります。例えば有名なトラウマ論もアドラー心理学では否定されます。「トラウマがあるから人間関係がうまくいかない」のではなく「人間関係を回避したいから、過去の出来事を持ち出して意味づけしている」という「目的論」を採用しているところなど驚きの連続、目から鱗が落ちまくりです

さて前述の両親の件ですが、アドラー心理学の重要な手順に「課題の分離」があります。「その(人生で)処理しなければならない課題(タスク)は、誰の課題なのか。まず仕分け分離する」「そして自分自身の課題でないなら介入しない」また「自分自身の課題の場合は他人に介入させない」というルールです。私の場合、「両親に安寧で幸せでいて欲しい。」というのは私の課題で私の希望でしかないということです。
「両親がケンカを繰り返してお互いの主張を譲らず摩擦を起こし、私に仲裁を頼む」のは父や母が自分で解決しなければいけない課題から逃げ回っているということです。無介入のルールに従って、私は過剰な対応を止めました。そして軽自動車も返しました。少し頭を冷やして欲しかったからです。
冷たいようですが、基本的に自分の課題を人に解決してもらおうとする方が、あとあと百倍の不利益をお互い被ることになります。
課題の分離は「協力関係や援助を否定するものではなく、成長の機会を人から取り上げない」為のものです。自分が自分らしくいる為に必要な適切な距離を確保するものです。「真の自由が人を幸せにするというアドラーの主張は人間関係に苦しむ日本人に輝きを放つ至言と言っていいと思います。