文■江森丈晃
Richard Hewson夫妻がベッドルームに揺れるモビールに銀河を託したRAH Bandのような、はたまたCaravanに安住していてもよかったはずの才人Dave Sinclairがひとりせっせと編み上げたが(77年当時は)その魅力が伝わりきらずに蔵で眠ったデモ集『Moon Over Man』のような、いわば孤独や哀しみから蒸留された自宅録音芸能の今日的な焼き込みにサクセスしたミズモトアキラ改めPAMのニュー、『Journalized』が美しい。
編集者で本も編めばDJも巧く、レイアウト・デザインまで自分でこなしてしまうミズモトくんは、その実務の質量では到底敵わないものの、いろいろやりつつも面白く食べている、いわば「職安にいかない無職」の先輩であり、その人脈から多数ゲストを迎え、カラフルなバルーンにまみれたコンベンション・フレイヴァーを突き詰めた前作『A.M.』も楽しんだのだけど、今作『Journalized』に感じられるのは、パーティでもカーニヴァルでもなく、周囲の喧噪から少し距離を置きつつも、しかしできることならもういちどパーティやカーニヴァルしてみたい30男の哀楽……のほうであった。ひとりのパーティやひとりのカーニヴァル。それほどにギャラリーを困惑させ、感動させる表現がほかにあるだろうかというQのAが、ここには美しく鳴り響いている。ひとしきりイベントで楽しみ楽しませた後の紫外線に目を細め、これから出勤する定職者の波をかき分けつつ切符を買うときの倦怠感の奥の微かな希望というか、なんだかそういったロマンを感じてしまうアルバム。もちろん同じ人間が創ったものなので、『Journalized』にも『A.M.』を感じることができるし、その逆もまたしかりなれど、『A.M.』と『Journalized』とでは、(芸能的に書けば)加藤あいと阿藤快ぐらい、(俺的に書けば)Huey Lewis And The NewsとHatfield And The Northぐらいの違いを感じさせるものとなっている。
果たしてその「違い」とはなんなのだろうか……と書いた時点で答えは出ているのがイヤらしいが、それはやはり、この「ひとり感」に尽きるだろう。
旨味がハイ&ロー域に集中したミックスからは、強さ以上に弱さを感じさせるし、しっとりとした慈しみにあふれた声質に「ボーカリスト」の肩書きを増やしてしまった本人歌唱による数曲からは、とてもパーソナルかつニュートラルな「あきらめ」を感じることができるし、その「あきらめ」からは、やはり強さを感じてしまう。
また、ラストに待ち受けるBrian Enoの名曲「By This River」(この曲が使われた映画『息子の部屋』は30男必見)のカバーが鳴り終わる頃には、湘南に拠点を移し、しかし誰よりも都心から産まれるカルチャーを愛する男の、また、徒歩5分の場所に打ち寄せる波とともに生き、しかし沖まで出ることは滅多にない男のアンビバレントな欲求に押し潰されそうになってしまう。そしてそれがそれこそが、冒頭で触れたRAH BandやDave Sinclairとの共通項であり、四角いモニターのなかに配置されたリージョン(音の波形のブロック単位の意)に、まだ見ぬ桃源郷を探す夢想家たちの近似値、ということなのであった。
『マスク/The Mask』『ケーブル・ガイ/The Cable Guy』といったスクラップド・コメディで名を馳せたJim Carryという名優は、2004年の『エターナル・サンシャイン/Eternal Sunshine Of The Spotless Mind』で、情けなく泣き崩れて見せた。その泣きっつらには、誰もが驚き、共感し、ひとりでいるときの自分を重ね合わせたが、この『Journalized』にも、それとよく似た感動を覚えた。
しかもJim Carryは俳優だが、ミズモトアキラはそうではない。これは演技ではないのである。
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PAM『Journalized』詳細
posted by: angels_egg at 23:59│
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