November 25, 2005

★interview with TICA

TICA『It's Too Fast '00-'04』ブックレット掲載のTICAロング・インタビューです(質問:E-JIMA)。
■今日、無事リマスタリング作業が終わったわけですが。どうでしたか、過去の音源を振り返ってみて。
石(石井マサユキ): 時間旅行って感じで、懐かしかったですね。

■石井さんが思い入れのある1枚は『No Coast』と伺っていたんですけど、武田さんはどうですか?
武(武田カオリ): デビューがカヴァー集っていうのは「その手があったか!」という発見があったんだけど、思い入れという意味では、初のオリジナルだし『Weight-Less』の方があるかも。私「It's Too Fast」好きだからな。
石: タケチュウ(武田)は「It's Too Fast」好きだよね。

■2人はTICAになる前は各々に音楽活動をしていたわけですよね。石井さんはThe Changでメジャーから作品を出していたし、武田さんも……。
武: まぁ……歌を歌うというというよりは、たまに他人のコーラスをやったりとか、家で曲を作って詩を書いてたというか。

■で、そういう2人が出会ってTICAを始めるきっかけというのは何だったんですか?
武: その時、石井さんはThe Changを解散してたのかな?……そんな時期で。私はソロでデモ・テープを作りたいってことで、だったら誰かプロデューサーを立てて一緒にやった方が良いんじゃないかって話になったときに、ちょうど当時、私と石井さんのディレクターが一緒だったんですよ。それで「石井マサユキ良いんじゃない?」って話になって。

■その時は既に今のTICA的なサウンドになっていたんですか?
武: いや、その時は基本的に私の詞・曲だったから、今のTICAとは全然違う感じ。

■それから正式にTICAになっていくのは、どういう流れで?
石: まぁ……勧められたというかね。

■その頃はもうサウンドのヴィジョンはあったんですか?
二人: いや、ないです。

■とりあえず、という感じ?
武: とりあえず、という。最初は全然何も決まってなくて、「どうしよう、どうしよう」っていう。で、とりあえず誰かのカヴァーをやって色々試してみようというか。そうこうしていくうちに『No Coast』の原型が出来てきたという感じで。
石: 俺が武田のソロを手伝ってた頃の音源は、ひとつも形になってないよね。4曲くらいやったのかな。
武: ラ・ママ(ライヴ・ハウス)でコンベンション・ライヴをやりましたよね。ロッキンタイムと武田香と……。
石: あの時は俺もソロで出たんだ。武田もソロ、俺もソロでやったんだ。で、自分もやりつつ、そのバンドで武田の曲もやって。それで、その時のディレクターが「じゃあ一緒にやっちゃえばいいじゃんか」という……(笑)。でもさ、俺はいいけど、武田はソロ・シンガーでやっていこうとしている、夢に溢れた19歳でしょ。そんなんで俺みたいのとくっつけられちゃ人生狂っちゃうんじゃないの?って真剣に電話したの覚えてるよ、「俺は決めらんないよ」って。俺はそういうこと(メジャー・デビュー)1回経験してるし、「君が決めなさい」って言った覚えがある。そしたら武田が割と躊躇なく「やります」って言うから、驚いたんだよね。でも、それから1年くらい無策だよね。俺がそれまで自分で歌おうと思っていた曲を武田に歌わせてみたりとか、武田がそもそも自分で書いていた曲をやってみたりとかしてたんだけど、なんか全然ピンとこなくて。
武: でも「It's Too Fast」はその頃の曲ですよね。
石: The Changの時代に作ってた曲だね。同時に「Rock The Casbah」のアイデアっていうのは、そもそも俺の中にあったんだよね。それで1年くらいやったんだけど、「これはどうにもならんな」って、本当にやめちゃおうかくらいに思って。で、悔し紛れというか「Rock The Casbah」をやってみたんだよね。そしたら意外に良いなって。

■じゃあ、リリースが前提としてあったわけではなくて、でもやっていたという感じですか。
石: まぁ何かしら出来ればCD出すことになるんじゃない?ってのは見えてたし。一応、現場の担当もいて、その彼が色々サポートはしてくれてたのね。あとは、月に1度セッションみたいなライヴを横浜の店でやってて……あれが唯一の活動の場というか。でも、あれが糧になったんだよね。

■なんとかしなくちゃ、みたいなプレッシャーはありましたか?
石: 武田はあったかもね。
武: あんまり覚えてないな。あったかなぁ……。
石: 幸か不幸か、状況としては恵まれてたんじゃないかな。俺はまだ前の事務所に所属してたから、そんな活動してんだかしてないんだか分からない活動だけど給料貰ってたし。事務所の新人のお手伝いとか、スモール・サークル・オブ・フレンズとか朝日美穂ちゃんのバンドのメンバーだったりとかして。そういうのの上で、アディショナルな事としてTICAをやってるって状況だったから、プレッシャーどころか「いつか何か形になればいいや」と思ってたから。
武: 私は仕送りだったし(笑)。

■横浜でセッションをしていた頃はTICAを名乗っていたんですか?
武: “カオロン”。“横浜ハタチ前”ってのもありました(笑)。

■では、TICAの形が見えてきたというのは?
石: 『No Coast』。『No Coast』に向けて音作りを始めた頃からという感じで。

■『No Coast』っていうのは最初から形として見えていたんですか?
石: いや、見えてない。そうやってセッションしたり外仕事をして色々やってるうちに多少洗練されてきて、「こんなことやったらいいんじゃない?」というのが見えてきて……まぁ「俺のできることと武田の得意そうなことを考えたら、この辺でしょ」みたいなのは見えてきて、その中で何をするかっていう……それで「Rock The Casbah」の音だけは見えてきた。ヴォーカルとアコギとリズム・マシンと、ほんの少しのその他の音のみ、っていうシンプルな音。結局、2人で何かやるというと……今の形に似てますよ。俺がアコギ弾いて、武田が歌ってみて、面白かったらそこから打ち込むなり音を足すなり、ってなるわけなんだけど。このセッションでは、あれこれ足さずに2人とリズム・マシンそのままでっていうことで「Rock The Casbah」の形が見えて。それとニール・ヤングのワルツの曲(「Only Love Can Break Your Heart」)を4拍子でやりたいというのがアイデアとしてはあったので……本当は自分でやりたかったんだけど(笑)、それをやっちゃおうって。で、2曲やってみたら「まぁこれはイケてるんじゃないの?」っていうか「これは何か見えちゃったんじゃないの?」っていうのがあって、それをディレクターに聴かせたんだよね。そしたら「これでもうまとめて出そうよ!」ってなって。

■TICAという名前はいつ頃決まったんですか?
石: 『No Coast』を出す時。名前決めなきゃっていうんで。
武: 他にも“アーク”ってのがあったよね。略せないのがいいなっていうのがあった。

■『No Coast』が出来て、方向が見えて、その時点でここまで続いていくと思ってました?
石: それは思ってたかもな。一過性のプロジェクトみたいには思ってなかった。
武: うん。
石: まぁ俺は勝手に、居場所を見つけた感じがあったから。常に「自分は何をやっていこうか?」ってのがあったから、嬉しかったな。

■石井さんには、The Chang時代のように自分が歌いたいという欲求はなかったんですか?
石: それがなくなっていったからThe Changが解散していったというのもあって。というか、そもそもはThe Changでも歌ってなかったわけで。歌っていた時代というのには、いろいろと複雑な経緯があるので……。
武: 今、全然歌ってないもんね。
武田さんはどうですか。ソロ・シンガーとしてやっていくことに、こだわりはなかったですか?
武: 初めは凄くあったはずなんですけどね。他人とは絶対一緒にはやりたくないくらいのことは言ってた記憶はあるんですけど。他人の作った曲とかトラックで歌ったのが初めてで、自分だけでしかやったことがなかったから、新鮮で。最初にバンドを組むってなった時は、さすがに迷いましたけど。バンドって組んだことがなかったから、どういうものかまず分からなくて。で、最初の1〜2年くらいは石井さんともちゃんと話せなかったというか、人見知りが2年くらい続いて(笑)。石井さんは大変だったと思います。
石: まぁ進まないったらありゃしないよね(笑)。
武: 「あぁ、はい」くらいしか言わないですからね。

■人間的にとか音楽的に違和感があったわけではないんですよね?
武: ええ。

■『No Coast』以降は、やはり違うものを作っていこうという意識はあったんですか?
石: 最初のアルバム(『Weight-Less』)の時は“ちゃんと仕事してる風”にしようと、それをやらなきゃと思ってた。『No Coast』は、あまり仕事感がないというか、趣味感が強いというか……2人で作る音楽の最低限の法則を作ったというか。結局、それが一番なんだということに後から気付くわけですけど。でも、ファースト・アルバムの時には「なんとかしなきゃ。仕事しなきゃ」って感じもあるわけじゃないですか。だから「立派なポップスを作らなきゃ」と思って作ったんだけど、その時は。
武: 最初から、インストと歌を半々で作ろうって話でしたよね。
石: 半々っていうか……ちょっと長めのスキットというかインタールードみたいのを入れられないかというのをレーベル(V2)の人に相談はしてたかな。

■以降も含め、制作に関しては自由だったんですか?
石: いや。本人達や周りの方々にとっても、曖昧で難しいバランスだった。やはりTICAは、そもそもは作られたグループだから、急に仕事っぽい部分もあって。例えばファースト・シングルの「顕微鏡」は松本隆さんが作詞で、それはちゃんと仕組まれたものだったから。詞が先に出来てきて「はい、これに曲作ってトラック作ること」みたいなお題があって。だから、必死で松本さんの詞とにらめっこして、一所懸命作ったし……。仕事って部分でも答えたい、という気持ちもあったから。

■V2としても“V2初の邦楽アーティスト”ということで、しっかり売り出そうというところだったんでしょうね。
武: うん。

■その辺のプレッシャーは?
石: 今だったら逆に感じるだろうけど、当時はあまり感じなかった。ていうか、気付いてなかった。

■「やってやろうじゃん」みたいな?
石: そうそう。希望に燃えてた(笑)。いいポップス作るのってさ、楽しいじゃない? だけど、今から思えば、良いポップスを作るのに必要な音楽的な落としどころとか、それに対する知識というか勉強みたいなものを、ファーストの頃までは曖昧に勘だけでやってきてるっていうか。過渡期というか。ギターに置き換えて言うと、リフとかフレーズはそこそこ弾けるんだけど、洗練されてないというか。最初はルールとかヒストリーとか知識とかが脈絡なく整理もされてなくて、だけど、それがそのうちちゃんと形になって、なんとなく自分らしいギターというものになっていく……。ある時期までは、打ち込み制作上のスキルにおいて、それが自分に巻き起こってて。どうにもかっこ良くならない。その辺の悩みっていうのが抜けたのが『No Coast』で。凄くシンプルで、でも凄く良いものに出来たっていう、法則がひとつ見えて。だけどそれはビギナーズ・ラックでもあり、また仕事としてではなく、趣味的な世界だから出来たことでもあって。だから、改めて仕事としての制作に向き合ったファーストでは、またちょっと迷ってるんですよね。勢いで「良いポップスが出来るんじゃないか」って……でもそれは甘くて。色んな音楽的出来事、守備範囲をきちんと整頓し直す必要があるなと思った。武田にしても音楽的なバックボーンは少ないし。ファーストの時は、そういう状況だったから……その割には善戦したと思うんだけど。でも全然、未整理ですよね。まぁセカンドで、それが凄く整理されるのかな。

■ファースト・アルバムは『No Coast』が出来上がってから制作に入ったんですか?
石: そう。ストックは無かったし。レコーディングしながら曲を作って、みたいな状況。

■セカンド・アルバムの前にはライヴ盤をリリースしましたよね。
石: ライヴの時に目標にしていたのは、「俺と(エマーソン)北村さんの2人だけとリズム・マシンで何か最大限のことをやろう」ってこと。「ヤング・マーブル・ジャイアンツみたいな事をやれば良いんだ、ライヴは」って。それはTICAのライブとして凄く上手くいくような気がしてたから、それを実践したような感じで。まぁ、TICAなりにそういったものが出来たんじゃないかな、っていう。
武: ライヴ盤は出す予定ではなかったんですよね。
石: そうそう。やったら良かったから、出ちゃったって感じ。だからテレコで録っただけの音だし。

■セカンド・アルバムの『Phenomena』の制作はどういう感じで?
石: その年(2001年)の夏かな……夏にデモ作りを始めて。大したお題目もなくやってたんだけど、当時のディレクターと「全然駄目だな」って、「とにかく整理しようや」って話になって。「ポップスもニューウェイヴも好きだしロックもフォークも好きだし、レゲエも好きで、ダンス・ミュージックも好きでしょ? 色々好きだけどさ、それ全部整理して何やるか決めようや」って。結局、そのときV2としては……V2がいつも言ってることは、要するに「極上のポップスを作ってくれ」ってことなんですよ。例えばレゲエ調で極上のポップ・アルバム作るっていったら、「まるまるラヴァーズやるのか」「ラヴァーズはソウルやAOR感もあるしね」とか話してて、「じゃあハウスやろう」ってことになって(笑)。それが一番整理されてるし、今までの色んな要素も取り込むことが出来るだろうということになって。まぁ、当時のディレクターがダンス・ミュージックに精通している人だったんでね。それを制作しつつ色々勉強しよう、ということになって。その制作を通じて打ち込みのスキルだったり、やり方に関しても洗練されましたね。ファーストは絵日記的だったけど、セカンドはそういう感じで。

■そういう制作プロセスに違和感はなかったですか?
石: 武田はちょっとキツかったんじゃないかな。凄く可哀想だった。武田はやりたくなかったでしょう、はっきり言って。俺はある意味ディレクターと仲良くし過ぎてて、そうすると、自分がTICAであって、TICAが“自分達の音楽をやる場”なんてのは完全に忘れてたっていうか。「そういうプロジェクトを成功させましょう」みたいなノリになってて。

■武田さんはどうですか。この時期を試練として過ごしていたか、それとも単に「嫌だなぁ」という感じ?
武: どっちも(笑)。

■グループとして危機的な状況だったり?
武: 私の中にはあった……「もうこれが最後かもしれない」と思いましたもん、正直。実際……連絡取るのも嫌でしたから。「石井さんとディレクターでやってるならいいよ」って……拗ねてたんですよ(笑)。歌詞とかも「世間的に売れると言われるような手法の歌詞を書きましょう」って話になって、「TICAで私がこの歌詞を歌うのはどうなんだよ」ってのがあって。
石: “書かされてる感”があったよね。

■そんな状況を今振り返ってみてどうですか?
石: 結局俺は楽しくやっちゃったから(笑)。気持ちとして、ひとつ切り替えてやれて……それはそれで勉強だし、面白いなって。むしろサウンド作りに関しては、飛躍的に進歩してるから。
武: 私は“お勉強”しました。

■次のサード・アルバム『Latest Rules』はファーストに近い感じですよね。
石: 結局『Phenomena』を作った時っていうのは、会社的にバタバタしてたんですよ。みんな頑張ってたんだけど……とにかく、作品だけは出来たの。でも宣伝とかがうまくできなくて……。で、ちょっと気を取り直して、少しだけ時間を置いて、舵をこっちに取り戻したんですよね。なんだかんだいってもTICAは自分達なわけで、無理に雇われてるわけじゃないし、コントロールを自分達に戻さないと、と思って。で、「リスタート切るから、もいっぺん『No Coast』みたいなアルバムを作らせてよ」って話をして。だから本当は5曲くらいの趣味的なミニ・アルバムを作るつもりだったんだけど、レーベルからの意向で、何故か「フル・アルバムのサイズを2枚作れ」って話になって(笑)。それで、出来るか出来ないかも分からないまま、そういう予算で動き出したんですよ。だからタイトルもそのままですよ……その発想をした時点で『Latest Rules』、本当に。「TICAやるなら、ルーラーは我々だ」っていう思いで。

■武田さんは、ひと安心ですね。
武: うん(笑)。
石: 今でも『No Coast』が一番……イノセントというかピュアっていうか。『No Coast』は、あらゆる点でファースト・テイクだから。『No Coast』を越えるのは難しいんだけど、作業としては前の(『Phenomena』)で整理ついたから、どういった曲を選んでどう落とし込んでいくのかっていうのが整理できてたから。

■じゃあ『No Coast』と、『Phenomena』と『Latest Rules』の間っていうのはとても重要な時期でしたね。
石: そう。でも『No Coast』は、たまたま上手くいったし……でも、上手くいかなかったかもしれないんですよ。何故なら、整理できていたわけじゃなくて、勘というかムードで作っていたから。でも『Latest Rules』は違ったから。完全に法則が出来ていたから。

■まぐれのホームランではなく、狙ったホームランだ。
石: まぁ、それがホームランだとすれば(笑)。

■2枚分を同時期に録音したにしては、『Latest Rules』と『Mining For Gold』では雰囲気がちょっと違いますよね。
石: 出来た順というのもあるけど、狙った部分というのもあるかな。

■当初は『Latest Rules 2』というタイトルの予定だったという『Mining For Gold』もV2からのリリース予定だったんですか?
石: 本当は。
それが出ないということになったのは、アルバムが完成した後に決まったんですか?
石: そうですね。
そういう決定が下った時は、どういう気分でしたか?
石: どうだったかな……気は抜けたんだけど、もう出来てるわけだから、どこかから出すでしょうと思ってたし、事務所にもいたから、なんとかするだろうと思って……。

■悲観的にはならなかった?
武: うん。
石: それまでのV2イヤーズを考えると「転機だ」くらいに思ったかな……色々、上手くいかなかったからね。TICAのディレクターは、その時点でひとりもいなかったから。

■レーベルを移しINTOXICATEから『Mining For Gold』が出るまでの1年間というのは、割と空白だった感じですか?
石: アルバムは2003年の初夏には出来上がって、それから半年まるまる休んだ。それは凄く覚えてるんだよね、こんなに子供と遊んだ夏休みは初めてだったから。
武: 走ったりもしてましたよね(笑)。
石: その3ヵ月間くらい、煙草も止めて毎日ジョギングして、夜11時くらいに寝て、朝7時に起きて……そういう暮らしを秋の終わりくらいまでしてた。武田にも、そんなに会わなかったよね。遊んでたっていうか、取り戻してたね、人間性を(笑)。TICA始まってから過密だったんですよ……ライヴはそんなにやらなかったけど、次、次、って感じで。各々お題目も違ったし。その間に他の仕事もあったしね。でも、それでリフレッシュできたというか。

■武田さんは?
武: 何やってたんだろ……それすらも思い出せないくらい。特に誰かの何かに参加……ゆらゆら帝国とか、ちょっとづつそういうのが入ってきてたけど、ほとんど家にいた気がします。「やることねーなー」みたいな(笑)。事務所には所属してたんですけど、事務所からの連絡もない、みたいな(笑)。
石: 俺は秋からギャビー&ロペスとしてアルバム1枚作った。それまでにモリモリくん(森俊二)とセッションしたものをまとめて。モリモリくんとは正月を挟み春先くらいまで、家やリゾート地でレコーディングしたりミックス・ダウンしてた。まぁ、のんびりしながらだったけど。

■それは“次のTICAへのリフレッシュ期間”的に?
石: 特にそういう考えはない。頭は別というか……ギャビー&ロペスは、ずっとやりたかったことだし、ようやくできる!という。ギャビー&ロペスは、本当にライフ・ワークというか自発的にやっている音楽だから。

■そういう時期も、次またTICAを始めるという確信はあったりしたんですか?
二人: それはもう。
武: 『Mining For Gold』は出るもんだろうと思ってたから。

■事務所はいつ離れたんですか?
石: 2004年いっぱいで。

■それで今はフリーという立場なわけですが、それは自ら選んだという感じですか?
石: いや、それは全然。俺らは別にお世話になってて良かったんだけど、事務所の方でTICAを抱えられなくなったんですよ……それで「どうしますか?」って話になって。で、まぁそもそもその1年間で……その1年間が(TICAとしては)全くの空白で……不健康ですよね。例えば不自由なくギャビー&ロペスをやれてるのは事務所がTICAとしてお金を払ってくれてるから、っていう違和感あって。だから、俺はありがたかったけど、事務所からしたら少し不健康ですよね。

■事務所を離れるという以外の選択肢はあったんですか?
武: なかったよね。

■大きな決断を迫られてるわけですよね?
石: それでも、なぜか2人で話したりはしなかったよね。

■不安はありませんでした?
武: あまりなかったですね。むしろスッキリするな、というか。「解放される」と思った記憶が。
石: 俺は、“不安”もあったけど、それより“決意”が相当あったかな。もうTICAは仕事じゃないな、ライフ・ワークなんだっていう風に、初めてそこで結論が出たっていうか……去年なんだけど(笑)。事務所にいる時には、まだそういう風には至らない適当な曖昧さがあったからね。

■じゃあ去年の、そういう色々な中で結論が出たと。
石: もう去年の内に決着はついていた。仕事としてTICAで食べていく……例えばまた他のメジャー・レーベルとやるとか、まぁ、そういう選択肢も無いわけではなかったんだろうけど、大して良い条件じゃない割に以前みたいにお題目ばかりつけられるかもしれないという気持ちもあって。で、それはもうやる意味がないだろう、2人だけでやっていけばいいだろう、もうこれは仕事じゃなくて“好きだからやること”っていう風にTICAを位置づけるようにしようということで。

■でもそれは、そういう結論に至るには必要な経験だったわけですよね。
石: 2人とも同じ歳とか男同士とかなら分からないけど、これだけ歳が離れた2人で(笑)、いきなりそうなるのは逆に不自然ですよね。

■今年に入って凄い数のライヴをやってますよね。それは充実感ありますか?
石: それはもう、あるよね。
武: うん。2人だけで、こんなにライヴやるのは初めてですよね。
石: それは武田が立派になったというか……フォローする為に他のサポート(・メンバー)を入れたりする、もうそういう必要もないし。自分も、シンプルに何を演奏すればいいのかが分かってきた。

■そして、新しいTICAの始まりを示すべく、こうしてベスト・アルバムが出るわけですが、今後についての意気込みというか展望があれば。
武: 今は2人という形でやってるんですけど、それを発展させていけたらと思う。あと、もうカヴァーは当分いいだろうという気持ちはある。改めて、オリジナルをやってみたいという気持ち。
石: どうしようかな(笑)。あんまり音楽的に「こういうのがやりたい」とか考えてやらなくてもいいかなとは思ってる。「今これに興味があるからTICAでやろう」とかいうことは一切考えてない。そういう風に音楽を作るつもりも無い。一度整理がついたら、「こういう音楽を作ろう」という気持ちがなくなっちゃった。一度出来たプラモデルみたいなもので、それを何回も作る気にはならないというか。ここまできて改めて、もう一度勘とかムードだけで音楽を作りたい。……武田次第かな。メンバー構成とか、こんな感じ、とかいう夢はいくつかあるんだけど。
武: 私も、「ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけない」という気持ちがなくなりました。今年に入ってから一気に。凄く気楽になったというか……ライヴをいっぱいやってから変わった気がします。

■僕らというか、お客さんとの距離感も変わった気がします。
武: 石井さんとの付き合いも気楽になった気がする。今まではどこか遠慮してたというか、“仕事上の上司”というか、そういう感じがどこかにあったんだけど、今年に入って2人だけで色んな所を回ったりするようになってからは、本当にバンドをやっているんだなという気持ち……ここに来てやっとバンドをやっている気がするようになった。

■いろんな制約がなくなったおかげで見えてきたことも多いんでしょうね。
武: 改めて、私はTICAをずうっと続けていくんだろうなって、今年に入って……特にここ3ヵ月くらいで思うようになった。

■今回のベストの選曲のイメージみたいなものはありました?
石: 普通に「思い出深い曲を聴いてもらおう」「俺はこれを聴きたい」っていう。そして、それを何回も、いつまでも聴いてもらいたいっていう。

■回顧的な感じがしなくて、とても良かったです。今後に繋がる空気がある。
石: これまでのことの全てを理解できているというわけではなくて。今日こうして時系列で喋ったけど、やっぱり分かっていなかった部分があって……でもこうして並べて聴いてみると、改めて「あぁ、こういうことだったんだね」と思うことがあった。あとは手前味噌なんだけど、思ったより良いなって(笑)。今日一日中聴いてても飽きなかったもん。」

2005年9月30日 下北沢・leteにて


TICA
『It's Too Fast '00-'04』詳細


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