つめたいよるのちいさなきおく。

白と黒のそのあいだに 無限の色が広がってる

お知らせ

ずいぶんと長い間、放置してしまいました。
とりあえず、ここで一度、区切りをつけようと思います。

本サイトの方もブログも、「いっかいやすみ」ということにします。

ブログの方は、データを残しておきたいので、
もうしばらくはこのままということになるかと思います。

書くことができなくなったわけではないし、いやになったわけでもない。
ただ、ここ数年の間に、自分が書きたいものや書きたいスタイルのような
ものは変わってきているのかなという気がしています。


長い間、私の戯言にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
それでは、また、どこかで!


平成21年8月29日 夏の終わりに
伊木淳夜 識す

秒速5センチメートル。5

秒速5センチメートル 特別限定生産版 DVD-BOX
見たいと思いながらなかなか観る機会がなくて、やっと観ることができた映画。…ああ、もっと早く観るべきだった。
素晴らしい。画も音楽も物語も声優さんの声も、そして山崎まさよしの「One more time,One more chance」も、すべてが良い。

なんと言っても新海誠の描く世界は本当に美しい。
特に光の描き方は定評通り、素晴らしい。雪の夜のホームを照らし出す電車のヘッドライトは言うまでもなく、例えば深夜の自動販売機が照らし出す光とか、夕暮れのプラットホームの低くたれ込めた不吉な色の雲間から覗く夕暮れの光とか、四月の桜の樹の下を通る明里の赤いランドセルを、枝の間から射すやわらかな光とか、本当に美しい。この人の描く風景、世界は、観ているだけで泣きそうになってしまう。何と言うことのない日常のなかに、こんなにもきれいな風景があふれているのか、ということを教えてくれるからだろうか。

物語については賛否両論あるだろうけれど、私にはすっと入ってくるものだった。山崎まさよしの名曲のせいもあるだろうが、それ以上に、私にとってはお馴染みのかたちの「孤独」が主題だからであろう。
以前どこかで新海誠が村上春樹に影響を受けた世界観を映像にしている、というようなことを言っていたらしいのだけれど、まさにここに描かれている「孤独」のかたちは村上春樹的なそれであると思う。私が勝手にそう呼んでいる「こぶし型の孤独」である。
自分から手を広げて他者とつながりたい、つながろうとするけれど、どうしようもないすれ違いを感じてしまい、つながれなくて、それでもひらいた手を伸ばそうとする孤独が「てのひら型」だとすると、自分のてのひらの中にたいせつなものだけをぐっとにぎりこんで他のどんなものも近づいてくることを拒否する孤独が「こぶし型の孤独」である。(ちなみにこのネーミングはとある文学教育者の認識の用語から思いついたものである。状況認識!)
貴樹の孤独は、明里との時間を両手ににぎりしめたまま、自分にも先の見えない茫漠たる人生をたったひとりで飛び続けるこぶし型の孤独である。まるで、何億光年もほんのわずかな水素原子と出会うことなく飛び続ける種子島のロケットのように。
それは初期三部作〜「ダンス・ダンス・ダンス」の主人公「僕」であり、「ノルウェイの森」の「僕」であり、「スプートニクの恋人」の「僕」の抱えていた根源的な孤独と同じものだという気がする。
そしてそれは、私が十代から二十代前半にかけて書き続けたつたない物語の「孤独」とも重なっている。


いつでも捜しているよ どっかに君の姿を
向かいのホーム 路地裏の窓
こんなとこにいるはずもないのに

いつでも捜してしまう どっかに君の笑顔を
急行待ちの踏切あたり
こんなとこにいるはずもないのに

山崎まさよし「One more time,One more chance」



「秒速5センチメートル」。
桜の花びらが地面に落ちるまではほんのわずかな時間だけれど、
たったひとりで宙を舞う花びらは、
何だかとても寂しく、切ない。

ハルキ・ムラカミの矜恃。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090216-00000014-jij-int

ネット上でもいろいろと賛否両論が渦巻いているようです。
ファンとしては、今回の発言、スピーチ、行動については、正しい・間違っている、良い・悪いといった評価を越えて「ああ、村上さんらしいなぁ」と思い、「この人はどこへ行っても、どこまで行っても村上春樹だなぁ」と感じることができて嬉しかったです。

動いてしゃべっている村上さんを見るのは久しぶりで、それ自体にも感動したのだけれど、堂々と自分のことばで話す村上さんの姿は実に格好良かった。
ニュースではキャスターが酩酊した某財務相を引き合いに出して比較しながら(そもそも比較すること自体がおかしいのだが)「日本人として誇らしい」というようなことを言っていたけれど、村上さん自身は(当たり前のことだけれど)日本を背負ってスピーチをしているわけもなく、一人の作家としての自分の矜恃を語っただけだという気がするし、別に「戦争反対」とか「世界平和」とか「人命尊重」などと言ったことを声高に主張しているわけではないと思う。
もっと言えば、一方的にイスラエルの批判をしたわけでもない。「高い壁と殻の壊れやすい卵」の比喩は、もちろんイスラエルVSパレスチナとか単純な権力VS弱者という構造でもないし、大量破壊兵器VS人間といった構図でもなく、もっと大きな視点で、人間自身の内にある自我や欲望が生み出した「大いなる闇」のようなものを越えることの困難な「高い壁」に喩え、そこにぶつかって壊れる卵に人間を擬えているような気がする。それは作品を通して村上さんがずっと発してきたメッセージではなかったか。

受賞すること自体に対する批判や、受賞して金と名誉だけもらって好きなこと言うのはけしからん、といった批判も少なくないようだ。ただ、そういったリアクションもすべて折り込みずみで、なおかつエルサレムへ赴き、賞を受け、あのスピーチを行ったということ。私が今回のニュースで何よりも感動したのはそのこと一点だという気がする。彼は何よりも誰よりも「村上春樹」であったということ。それが日本人として、ではなく、村上さんのファンとして、私は誇らしい。

この人には本当にノーベル文学賞をとってもらいたい。
その思想や人柄の部分にではなく、作家として芸術家として、その資格は十分すぎるほどにあると思うのだ

新年度のこと。

ご無沙汰です。

新年度が始まりました。
以下、私のポジション。

・1年普通科正担任
・進路課進学指導係
・図書館課図書係主任
・情報課広報係
・硬式野球部部長
・新聞部顧問
・図書部顧問

「正担任」は予想通りですが、1年残留は予想外。
個人的には、去年、転任一年目を一緒に過ごした1年生と一緒に持ち上がって、彼らの担任をやりたかったのが本音。
でもまぁ、一から新しい学年を持つのも良いかな、と。
また、学年の担任団は最年長が35、最年少が私で28、と非常に若い担任団で、しかも全員男性。なかなかフレッシュでパワーがあって、機動力に富んだ布陣だと思う。よい学年。
しかしこの一週間、なかなかしんどかったです。

うれしかったのは、去年授業を持っていた学年の生徒たちが始業式後、私が2年団に上がらなかったことを知って、私の顔を見るたびに、

「先生、なんであがらんかったん?」
「先生の授業がよかったのに」
「先生に担任してもらいたかったのに」

と、言ってくれること。
今日も野球部の練習の後、職員室に戻ろうとしているときに、マネージャーの女の子がわざわざ追いかけてきて、

「先生が二年団じゃなくて残念です…私、古文の質問、先生のところに行きますから」

と声をかけてくれた。

嬉しいなぁ。
この一年、自分がやってきたことに対して、この子たちは本当に素直に、まっすぐに向き合ってきてくれたんだなぁ、とあらためて思う。進学校一年目で、決して十分なことができたとは言えない私に対して、本当にありがたいことだと思う。

だからこそ、今の私は、新しい学年の、そして自分のクラスの生徒たちにしっかりと向き合い、できる限りのことをしていこうと思う。
彼ら、彼女らからもらった元気を、しっかりと、目の前の子どもたちにぶつけていこうと思う。

一年後、いや、何年先でもいい。
「先生が担任でよかった」
と、言ってもらえるように。

仰げば尊し

昨日は卒業式。
久しぶり(自分が高校のとき以来)に大きな学校の、しかも伝統校の卒業式に出たので、なかなか新鮮でした。

ただ、ちょっと寂しかったのは、「螢の光」も「仰げば尊し」も歌わなかったこと。唱歌は「大地賛賞」というカンタータ。吹奏楽の演奏をバックに、合唱隊が男女混声二部合唱で歌い上げる荘厳な歌で、これもなかなか良かったのですが、卒業式の歌、という感じはしませんでした。

古い人間なのかもしれませんが、やはり卒業式には「螢の光」か「仰げば尊し」がいいなぁと思ってしまいます。

特に最近は「仰げば尊し」を歌わない学校が多いそうです。そこには、「あれは教師に対する恩義を歌う歌なので、それを学校が生徒に歌わせるのはおこがましい」という考え方があるのだそうです。その理屈はわからないでもないのですが、理屈ではないところで、やはり寂しい気がします。

その寂しさというのは、(ここから理屈っぽくなってしまいますが)そういう理屈が出てくるほどに、教員と生徒との間のつながりが希薄になってしまったのかなぁ、ということからくるのかもしれません。
別に、「教師は崇め奉るものだ」ということではなくて、この歌が素直に口にできるような関係性が失われていて、それをいちいち具体的な関わりによって確認しなければならなくなってしまったのかなぁ、ということです。
生徒たちがこの歌を迷いなく口にできるような。そして、それを教員たちが、当たり前ではなくとも、素直に受け止められるような、そういう暗黙の関係性こそが、理想なのではないのかなぁと思っています。

そしてそのために、私たち教員は、生徒を送り出すたび、卒業式を迎えるたびに、この歌を通して、自問すべきなのではないかと思います。果たして自分は、彼らにこの歌を歌ってもらえるだけのことを、彼らにしてやっただろうか、もっともっとできることがあったのではないだろうか、ということを、この歌を耳にするたび、思うべきなのではないかと、思います。



仰げば 尊し 我が師の恩
教の庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば

今年の戦果。

f7bf767e.jpgこんな感じでした。どちらも生徒から。
今年は担任をしていないので、特に期待もしていなかったのだけれど、お気遣いをいただきました(笑)
ポストカードは新聞部の女の子(漫画、イラスト担当)が描いたもの。昨夜、二時までかかったらしい。
ありがたいことです。

多謝。

a8c5c07b.jpg学校に私宛でクロ○コメール便の手紙が届いた。
差出人は前任校で担任していた女の子3人から。

修学旅行へ行ったこと、体育祭で活躍したこと、文化祭ではグランプリを取ったこと、休まず学校に行っていること、アルバイトを続けていること、部活をがんばっていること…。

「私たちの卒業式には絶対に来てね。成長した私たちの姿を見て欲しいから」

最後にそう書かれてあった。

嬉しくて、しごとのことでここ数日、ちょっとへこんでいたのが、ふっと楽になった気がした。
−仕方がない、また、がんばろうか。

私たちのしごとは、本当に不思議なしごと。
子どもらのためにやっていることが、
まわりまわりまわりまわって、自分自身に返ってくることがある。
気がつくと、彼らに助けられていることの方が、多かったりする。


ありがとう。
卒業式には絶対に行くからな。
全員、ちゃんと、卒業するんだぞ。



「疲れ果てて足が止まるとき 少しだけ振り返ってよ
 手の届かない場所で背中を押してるから」
 (Mr.Children「旅立ちの唄」)

なんちゅうかほんちゅうか。

70235cd6.jpg今日はあまりに寒かったので、どうしてもラーメンが食べたくなり、昼休みに学校の近くの「びーとん」に食べに行った。
前々から気になっていたお店。岡山の食べ歩きマップなんかにも載っているので、有名なのだろう。

店に入った途端、何とも言えない良い匂いがした。何というか、あのラーメン独特の良い匂い。たまに、入った途端に後悔するような匂いの店もあるのだけれど、ここは本当に、食欲を刺激する匂いがした。

「昔懐かしの中華そば」という感じ。
岡山市内でそういう中華そばの店に行くと、大体、魚ダシか豚骨ベースの醤油ラーメンが出てくるのだけれど、ここのラーメンは完璧な鶏ガラベースのあっさり醤油ラーメン。笠岡ラーメンに近い。
食べ始めは「ちょっと薄いかな」と思うのだけれど、食べていくうちに、じわじわと味が増してくるという感じのスープ。麺は細いストレート麺。具はオーソドックスなチャーシュー、メンマに加えて、半熟の煮玉。これがまた美味しい。

お酒の後に食べるラーメンとしても良いかもしれない。
また行こう。

美夜さんと僕 遡筏



「ふうん」
 僕が運転免許を取ったことを告げると、美夜さんはあまり興味なさげな声で言った。
「で、何回試験を受けたんだっけ、君は」
「えっと…3回…だと思います」
 嘘。本当は4回だ。
「…一体、何をやったらそんなに何度も試験を受けることになるわけ?」
 僕は、初めての路上教習で舞い上がり、「あの…あの赤信号は停まるんですか?」と訊き、「30年間この仕事やってるけど、その質問は初めてだ」と教官を感心(?)させたことや、フット・ブレーキのかわりにサイド・ブレーキを引いてしまい、教習所内で見事なドリフト走行を決めて教官を失神させたことなどを話した。
「あははははははは!面白いっ!最高。君、それでよく免許取れたわね。奇跡だわ」
「……そんなにおかしい?」
「可笑しい。今の話で少なくとも3年は笑えるわね。あははははは…」
 美夜さんがあまりに鬼の首を取ったかのように笑うので、癪に触った僕は反撃に出ることにした。
「そんなこと言って、僕は美夜さんの過去の秘密、知ってるもんね」
「えっ!?」
 受話器の向こう側で狼狽する美夜さんの表情が目に浮かぶようだった。
「美夜さん、初めての実車教習で、教官に『半クラ!』って言われて、半分だけクラクション鳴らしたでしょ。プッって」
「だ、誰からそれを…」
「ふみこさん。教務課の」
「……あの、裏切り者め…」
「いやーあれは笑ったなぁ。まさか半クラを『半分クラクション』だと思っている人がいるとは思わなかったなぁ」
「……」
「よく免許取れましたよね。いやぁこれは5年は笑えるなぁ」
「…いぢめてやる」
「えっ!?」
「徹底的にいぢめてやる。休み明けの講義で。無理難題をふっかけまくってやる…」
 言い忘れていたが、美夜さんは僕の通っている大学の講師だ。
「ちょっ、美夜さん、それはパワハラだよ」
「違う。アカハラだ。別に私と君は上司と部下の関係じゃない」
「いや、そういう問題じゃなくて…勘弁してくださいよ。ただでさえ、美夜さんの講義は難しいんだから」
 美夜さんの講義は難しい。けれど、面白い。脳を最大限に活用している気持になる。「考える」ことの楽しさを美夜さんは教えてくれた。しかし、つけあがらせるだけなので、今まで本人に言ってみたことはない。
「二度とその話をしないと約束するか」
「…はい」
「他の誰にも言わないって誓うか」
「…はい」
「夏休みが明けたら、ドライブに連れて行ってくれるって約束するか」
「…はい……えっ?」
「車は私の車。運転するのは、君だ」
 美夜さんはどこか嬉しそうに、悪戯っぽく笑った。結局、今夜も僕は美夜さんに敵わなかった。いいところまで、追いつめたはずだったのになぁ…。
「ただし…ドリフトは御免だからね。私もまだ死にたくはないんだから」

ぬ〜ぼ〜

2573574a.JPGボージョレ・ヌーボーが解禁だそうです。
私はワインについてはまったくの素人で、たまに赤ワインが飲みたくなって、1000円〜1500円くらいのテーブルワインを買って飲んだり、300円とか500円のあり得ない値段のワインを炭酸水で割ってガブガブ飲む、といった具合なので、ボージョレのなんたるか、ヌーボーがどうしたのか、もよくわかってはいないのですが…


「ボジョレー・ヌーヴォーが解禁になりました。こういうニュースを聞くと、

 「いちいちそんなんで騒ぐ連中、めでてーな(笑)大体ボジョレー・ヌーヴォーの半分は日本人が飲んでるらしいよ?」

 という人と、

 「解禁だー!(≧▽≦) よーし飲もう飲もう!(≧▽≦)」

 という人がいるわけですが、人生を楽しめるのは確実に後者なのですよ。クレバーなほうが幸せになれるとは限らないんだぜキャシー。<キャシー?」(ろじっくぱらだいす、11/16日想より)


という、このワタナベさんの意見に私も賛成です。

「踊るアホウに見るアホウ。同じアホなら踊らにゃソンソン」

というわけで今年も買ってしまいました。(去年も買った)
解禁の昨夜は寮の泊まりだったので一日遅れのボージョレ・ヌーボー。


…っていうか、最近、酒の話ばかりだなぁ…。
Profile
伊木淳夜(団)
性別:男
年齢:29歳
職業:公立高校の国語教諭
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