ちひろさんのブログ10月5日の記事をおもしろく読んだ。ちひろさんと同じように、私の父親も教員である。(余談だけれど、私は中学校のときにちひろさんのお父上にお世話になっている)
ちひろさんが書いているように、「先生の子ども」というのは何かと苦労する。私の父はもともとは中学校の教員であり、後に高校の教員になった。そういう経歴の持ち主なものだから、中学校にも高校にも知り合いが多い。中学校に上がったときも、かつて父と一緒に勤めた先生や部活動などで交流のあった先生がたくさんおられ、何かと声をかけられたり、事あるごとに「伊木(仮名)先生の息子」と、注目されたりする。間違っても悪いことなどできない。
さらに、私が進学した高校は、そのほんの二年前まで父が勤務していた高校だった。ほとんどが父の同僚なわけで、何か言われないわけがない状況だった。実力考査で少しでも成績が落ちると、「何やっとんじゃ!」「しっかり勉強せぇ!」の集中砲火を浴びていた…。
ただ、その一方で、中・高通して、たくさんのいろいろな先生方に目をかけ、かわいがっていただいたのはありがたく思っている。ちひろさんが書いているように、私もその「父の子」という「肩書き」に「随分護られていた」のだと、思う。

3年前、岡山で教員として勤めることが決まったとき、私はどのようなかたちであれ、良い面でも悪い面でも、父の名前と存在からは決して逃げられないということを覚悟する必要があった。そのとき父はとある中学校の副校長、そして今年からは県立高校の校長になっている。
出張や生徒の引率などで校外に出たとき、中学校、高校のときと同じように、やはり父と交流のある先生方(管理職も含めて)から声をかけていただくことが多い。私のような駆け出しの若輩者には、とてもありがたいことだと思っている。けれど、今、私は中・高生ではなく、一人の社会人であり教員である。もう父がくれた「肩書き」だけに甘え、護られていくわけにはいかない。一人の教員として、しっかりとしたしごとが出来るようになること、それを認めてもらえるようになること。そのためには、父のような教員の子どもだからこそ、逆に他の人よりも何倍も努力する必要があると思っている。

もちろん、父が教員であることで護られていると感じるのは、その「肩書き」のためだけではない。ちひろさんが「人前で喋るという才」をお父上から受け継いだと感じるように、私もまた、知らず知らずのうちに父から受け継いだと思えるものはたくさんある。一番、大きなものは教員としてのものの見方、考え方だと思う。もちろん、父からそういうことを事細かに教えられたわけではないけれど、父がしごとについて語っているのを小学校の頃からずっと、聞いてきたわけで、感覚として教員としてどうあるべきか、どう動かなければならないのか、ということは今の私の教員としての核となっている。

「プロとして、仕事で父の役に立った」というちひろさんをとてもうらやましく思った。私にもいつか、教員として父と会える日が来るのだろうか。楽しみでもあり、まだまだ自分には重い荷であるような気がする。