2010年07月16日

生きてます

お久しぶりなんです。すごく。
えーと、生きてます。

いちおう、がんばって、仕事もしてます。
毎日はすごい楽しいです。

いま、とても、幸せです。
日常に変化はありませんが、子どもたちと過ごす毎日が、
幸せです。

とくに事件はないのですが、もう少しで、
子どもたちが夏休みになるので、
ふと、思い立ち、書いてみました。


総合的な学習の時間で、「国際理解」についての学習が、
今日始まりました。
今、地球上に生きている子どもたちに目を向けて、
自分の置かれている立場を考えることを目的に、
貧しい生活をしている子どもたち、
虐げられる子どもたちのビデオをみんなで見ました。

いろいろつたえたいことはあったのだけど、
うまくつたえられなかったので、
今、子どもたちに伝えたかったことを振り返っています。


世界には、本当にたくさんの人間がいて、
そのひとりひとりが、生きています。

自分の置かれた状況を背負って生きています。
苦しくても、貧しくても、裕福でも、豊かでも、幸せでも、不幸せでも、
生きています。

フィリピンには、ゴミ山で働く少女がいたり、
ロシアには、家に帰りたくない少年がいたり、
ガーナでは、チョコレートを知らないのに、カカオを取る仕事に一生を費やそうとしている
少年がいたり。。。。。。。。。。。


その子どもたちの人生は、遠い国だけれど、
みんなと同じ時間を生きているということが、信じられないけど、事実です。

関係ないと言えば、それまでですし、そう思うならそれでいいんです。
でも、自分と同じ年の子どもが、実は、自分と同じような生活をしているとは、
限らないということを知ってほしいです。

世界は広い。

自分がすべてではない。

そのことを知るだけで、ずいぶんと視野は広がって、遠く、深く、
ものごとを見ることができるのではないかな、と思います。

この伝えたかったことを、今日、みんなとビデオを見るまで、
頭のどこかに忘れていた自分にも気づかされました。
ふと思ったのは、自分は、生きているということ。
いま、とりあえず、日本で生きているということ。
月並みながら、それを幸せと思えました。

幸せの価値は人それぞれです。でも、幸せです。生きてます.  

Posted by angry_arthur at 00:52Comments(1)TrackBack(0)アイサツ

2008年02月03日

誕生日

子どもたちのすごさには、本当によく驚かされる。

すごいのは、大人がどうやってもできないほどの進化や成長を一瞬で成し遂げることだ。

金曜日、一時間目は体育だった。
今体育でやっているのは、マット運動。子どもたちがそれぞれ、自分のできるようになりたい技を
練習し、身につけていく時間だ。

金曜日ということもあってなのか、あまり朝から元気がない。
挨拶はいつもだが、あまり覇気がなく、返事もあいまいな様子。

まあ、しょうがないと思って授業を終え、子どもたちを教室へ戻し、一度職員室へ。
次の時間に使うものを持ち、すぐに4階の教室へ向かった。



子どもたちは、今、国語の学習で、「よりよいクラスにしていくためになにをすればいいか」
というテーマをたて、話し合いの学習を続けてきている。

その中で、「よいクラスとは」というテーマで話し合ったとき、こんな意見があった。
「ルール違反をする人がいるからクラスがよくならない」

それは、数ある学級での問題の中でも小さなたった一つの問題にすぎない。
でも、子どもたちは、ルールを守ることで一つの秩序が守られることを知っている。
だからこそ、この意見が出る。(この際、それを注意できないみんなだからよくならないという意見もでた)

そんなことから、子どもたちは、良いクラスの条件の一つとして、
「心が一つになる」
という言葉を導きだした。

それだけでも十分すごい。
子どもたちから出てきた言葉。生み出される言葉には、ときどき、ドキッとさせられる。

「心が一つになる」
それは、状態ではなく結果なので、心が一つだからこそよいクラス、というよりは
よいクラスは心が一つになる、と言う方がしっくりくるのかもしれないけれど、
その辺は、子どもたち同士での共通理解のもと、話し合いが進んでいる。

さて、心が一つになるクラスがよいクラスだとすると、いまはどうなのか。
子どもたちの心がバラバラなのは、教師の責任なのだろうけど、
子どもたち自身がクラスの現状を
「心が一つでないクラス」
ととらえているのは、うれしいことだ。

教師の目から見ると、運動会や林間学校などの大きな行事の度に子どもたちはその場そのときの
自分を精一杯に出し一つになって楽しんで来れたと思う。
運動会でのソーラン節、林間学校でのハイキングとキャンプファイヤー。

しかし、毎日の生活の中で「心を一つにしたい」と願う子どもたち。

そんな中での、ものすごい事件を経験してしまった。
5年生の子どもたちに自分以上の誠実さや実直さをリアルに感じさせてくれた事件が起こった。



4階の教室は、階段のそばにあるため、2階ぐらいから4階の子どもたちの声が聞こえることが
よくある。特に、体育の後なんかは気持ちの高ぶりも手伝って、いつも以上に音量が増す。

しかし、4階についても子どもたちの声が聞こえない。

おかしいなー、と思いながら教室の後ろのドアから入ろうとすると、ひとりの男子が、
「先生、入っちゃだめ。 前のドアから入って」
と、静止してきた。

「なんだよー、めんどくさいなー」

数歩歩いて、前のドアに手をかけて、
「やばい」
そう思った。

ドアについている小さな窓からは、教室の黒板が見える。子どもたちの様子も少しばかり見える。

いつもは立ち歩きまくりの子どもたちが座っている。
黒い黒板には、毎朝書く教師からの指示と、それを隠すようにかけられたカラフルな折り紙の
鎖の飾り、「七夕!?」と突っ込みたくなる提灯の飾り。

ドアを開けると、満面の笑顔と「わー」の声。

「そうか、誕生日か」

子どもたちからもらったプレゼントは、ひとりひとりからのメッセージと、
「先生、誕生日おめでとう」
の合唱(?)。

涙こそでないが、初めての経験にどんなリアクションをとればいいのか分からず、
「あー、えー?なにー?すごいねー!」
という気の使えない言葉。

ニコニコしながら、そんな素直さをくれる37人の子どもたち。
5年生らしからぬ幼さも感じるが、そんなもん乗り越えてやってくれてるんだ。

うん。 嬉しい。 すごく。

子どもたちは、簡単に心を一つにした。
それは、本当のところ、分からないけれど、
教師の誕生日なんか祝う気がないやつも、その場だけは、一緒にクラスの空気に乗っかってくれた。

うぬぼれるつもりはないのだけど、
子どもたちがすごい。
心を一つにした瞬間を見せてくれた。すごい。

興奮してきてうまくかけないけど。

教師なんていないところで、子どもたちは勝手に成長している。
教師が教えるよりも何倍も。一瞬で。

まねできない。

どうだすごいだろ。
っていう、男子の顔。

うれしいでしょ。
っていう、女子の顔。

どっちもわすれられない。

こんなことをやってもらえるのも、一生に一回かもしれないので、自慢げに書いてみた。

26歳はどんな年になるか。
幸先は良さそうだ。  
Posted by angry_arthur at 00:00Comments(2)TrackBack(0)デキゴト

2008年01月11日

書き初め大会

『希望の朝』

これが今年度の5年生に与えられた課題だ。

今日は書き初め大会だった。
体育館にみんなで集まって、一斉に書き初めをする。
課題は『希望の朝』

書き初めなんてものは、元気よく子どもらしい字が書ければいい。
もちろん、習字を習っている子はうまい。そりゃそうだ。

でも、習字を習ってない子でも、集中して書けば、それなりのものが書ける。
それは、教師の観点かもしれないけれど、多分間違っていない。

ようは、集中力。

どれだけその一瞬に集中したかによって出来が違ってくる。

だから、ばくざん先生みたいな字をいつも書いている子でも、その瞬間次第では、クラスで一番いい作品に
なることもできる。とても遠い話のようだが、そうでもない。本当に集中力次第なのだ。

今日は、子どもたちはあまり朝から落ち着かず、朝から注意の連続。
それがいけなかったのだろう。その気持ちのまま書き初め大会に入ってしまった。

当然、集中力なんてあるわけがない。
しゃべりまくる。

でも、
「正座。目をつぶる。深呼吸。ゆっくりと十数える。目を開けてはじめの一画を思い浮かべる」
の順で指示し、数名を落ち着かせる。

でも、落ち着かない子もいる。(でもばっかり)
彼らは、書き方がわからないのだ。どうやって書けば、筆が言うことを聞くのか。
それが分かったらできる。だから、ひとりひとり近くに行って、後ろから手を持って、
力の入れ具合と抜き具合を体感させる。

正直、自分が書道・習字が嫌いだ。
だいっきらいだ。

字なんてうまく書けないし、筆はもちろん言うことを聞かない。
なんとかやるだけなんだ。ノルマをこなすだけなんだ。

その中で、どれだけ集中するか。それが作品の出来をかえる。

大きく元気に書けている子。
小さくしょんぼり書けている子。

いろいろな作品ができた。結果として、書いてしまった以上、どれか一つを作品として提出させる。
それがどんな出来でも。

不思議なことにそのこの性格が現れやすいのも習字の特徴だと思う。
分かりやすく特徴を見せた習字の作品を並べ、ひとりひとりの顔を思い浮かべてみた。  
Posted by angry_arthur at 00:47Comments(0)TrackBack(0)新米、子ども論

2008年01月10日

インフルエンザ

生まれてこのかた、インフルエンザにかかったことはない。
つらさはよくわからない。

今日は、学校が始まって二日目だったが、昨日から休んでいる男子が一人。
今日、インフルエンザだということがわかった。

ざんねんだな。

治るのを待つしかないなんて。

クラスでは、ひとりいないだけでも、なんだか寂しい。ほかの子どもたちがどう感じているかは知らないけれど、担任としては、正直さみしい。自分の教室から誰かが欠けているということに寂しさを感じる。それが誰だって同じこと。早く治ってほしい。

子どもたちは今日も元気。
すこぶる元気。

彼らの『本気』なのかどうかはわからないけれど、今日はずいぶん楽しそうに
していたように見えた。
遊びも、学習もどちらもがんばれる。そんな子どもたちがすごいと思う。
楽しめる。それは、すごいことなのかもしれない。

明日は、書き初め大会がある。体育館に集まってみんなで書き初めをする。
5年生は『希望の朝』を書く。
とにかく、元気に大きく自分らしい字を書けるように願う。こつは集中力。
下手でもいいんです。楽しんで書ければ。

書き初めが少しでも彼らの意味になるように、本気でやってほしいな。
一日でも多く、希望の朝が来ますように。  
Posted by angry_arthur at 00:30Comments(0)TrackBack(0)新米、子ども論

2008年01月09日

ひさしぶり

ひさしぶりに子どもたちにあった。

登校時間前に教室にてぼくが待機していると、教室の外の廊下で数人の男子がこそこそ話している。
何話してんのかよく聞こえなくて、近づいていくと、どうやら宿題について話していたようで、
書き初めがどうしたとか、持ってこなきゃいけないのかみたいな声が聞こえた。

元気よく挨拶。
「明けまして、おめでとう」
一瞬ひるむ子どもたち。
「おめでとうございまーす」
そんな挨拶から一日が始まった。

で、いざ、宿題を集めてみると、その数人の男子たちは、書き初めの宿題を持ってきていなくて、
当然のように、注意された。
「はい、今日の五時までにもってきてね」
「ええ〜」
当然でしょ。
宿題ですから。

なんて、強気の発言で押し切った。

まあ、子どもたちにも当然のように、一日があるので、宿題よりも大切なこと、優先させたいことがある。
だから、強制はさせないけれども、口では強制させます。
「持てこなきゃだめ」

それがどんな効果があるのかはわからないけれど。


さて、今日は子どもたちに「本気」の話をしました。
6年生になるまでの3ヶ月間、とにかく本気を見せてくれ、と。
あついです。当然あついです。

あつくないと、楽しくないので。自分が。

あついことを言いながら、子どもたちがすこしずつ反応してくる。
勉強でも行事でも、とにかく「本気」を見せろ。
これが今の目標です。

単純に言うと、「本気』を見せるのは、何だっていいんです。
勉強が嫌いな子もいるし、学校が嫌いな子もいる。
運動が苦手な子もいるし、友達関係がうまく作れない子もいる。

だけど、子どもたちもぼくも、同じ一日を生きている訳で、それが人生なんですよね。
偉そうだけど、今なにをしたか、5年生の一日をどう過ごしたかは、決して軽んじては
いけないと思うんです。今日だって明日だって、同じようにかけがえのない時間ならば、
本気でない時間はもったいないんです。そんな肩肘はって生きろというわけではなく。
今を「本気」で楽しんでほしい。おこったり泣いたり、嬉しかったりかなしかったり、
とにかく何かを感じることのできない時間をできるだけ少なくしたい。そんな思いです。

そんな思いが彼らには伝わったかどうかわからないけれど、
明日、一瞬でも一回でも何かを感じることができる日にしたい。

もちろん、それは、教師が「する」のではなく、子ども自身が「する」ことなので、
ぼくがどんなに言おうがわめこうが、関係ないんですけど。

自分で楽しむ、「本気』生きてみる。

それが一秒でも経験できるように、彼らに働きかけていきたいです。  
Posted by angry_arthur at 01:09Comments(0)TrackBack(0)新米、子ども論