2009年01月09日
葉隠
鍋島論語とも呼ばれる口述書であり、山本常朝の談話を田代陣基が書まとめた物である。
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり…」
と言えば聞いた事がある人もいるでしょうが、内容を知る人は少なく、この一言で敬遠したり分かった気になる人がほとんどでしょう。
さらに、私自身が得心出来る部分があるくらいですので、大半の人には合わないとは思いますが、九州人(私だけかも…)の思考に興味を持って貰えればと思って書いてみます。
まず、葉隠の背骨として、「武士は武士でなければならない」というのがあります。
「武士はどうあっても武士である」と言われれば確かにそうですが、理想の武士にならなければならないのです。
それを飾りなしに極めた言葉がかの有名な言葉で、それを私に直せば、「私は私でなければならない」となり、自分の行動規範となるのです。
私の規範は「自由である事」であり、それを基準にすれば全ての行動は考える必要もなく決まります。(ちなみにこれも葉隠にあります)
自分があるべき姿を決めてしまえば、無駄な迷いはなくなるのです。
何度も何度も自分であり続ける事、自分の理想を追い続ける事を言い続け、自分を律しながら生きる事を書いた「葉隠」を、気が向いたら読んでみて下さい。
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり…」
と言えば聞いた事がある人もいるでしょうが、内容を知る人は少なく、この一言で敬遠したり分かった気になる人がほとんどでしょう。
さらに、私自身が得心出来る部分があるくらいですので、大半の人には合わないとは思いますが、九州人(私だけかも…)の思考に興味を持って貰えればと思って書いてみます。
まず、葉隠の背骨として、「武士は武士でなければならない」というのがあります。
「武士はどうあっても武士である」と言われれば確かにそうですが、理想の武士にならなければならないのです。
それを飾りなしに極めた言葉がかの有名な言葉で、それを私に直せば、「私は私でなければならない」となり、自分の行動規範となるのです。
私の規範は「自由である事」であり、それを基準にすれば全ての行動は考える必要もなく決まります。(ちなみにこれも葉隠にあります)
自分があるべき姿を決めてしまえば、無駄な迷いはなくなるのです。
何度も何度も自分であり続ける事、自分の理想を追い続ける事を言い続け、自分を律しながら生きる事を書いた「葉隠」を、気が向いたら読んでみて下さい。
anheichu at 18:36│Comments(0)│TrackBack(0)│