『アニメクリティーク(anime critique)』刊行会

アニメクリティーク(anime critique)刊行会です。
 ●アニメ作品を題材とする批評系同人誌の発刊を行っています。
 ●(NEWS)第19回文学フリマにて、最新刊を発刊します。最新刊の「アニメクリティークvol.2」では、特集1を虚淵玄脚本作品のレビューを、そして特集2では「〈彼方〉の思考」という題で、S.Fアニメ作品のレビューを行います。

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1、新刊予定: アニメクリティーク刊行会 2017 新刊




(12)2017夏〜秋 第7号 vol.7.0 機動戦士ガンダム サンダーボルト 特集号

 概要URL
 A5版100頁



(11)2017春 第6号 vol.6.0 新房昭之ノ西尾維新 特集号

 概要URL
 A5版100頁



(10)2017春 第5号 vol.5.0 アニメにおける〈資本〉・文化・技術 特集号

 概要URL
 A5版100頁






2、既刊: アニメクリティーク刊行会 2013-2016既刊

※ 委託販売→ COMIC ZIN 通販ページ



(9)2016秋 第5号別冊 vol.5.5  「新海誠/君の名は。」特集

 概要URL
 A5版124頁
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(8)2016夏 第4号別冊 vol.4.5_β ガールズ&パンツァー 特集号

 概要URL
 A5版80頁
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(7)2015年秋 第4号 vol.4.0 戦争とアイドル /境界線上の〈身体〉 特集号

 概要URL
 A5版100頁 初版2015年11月 文フリにて発刊
 取り扱い作品:
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(6)2015年夏 第3号 vol.3.0 蟲・生物・人工物/アニメにおける〈音〉 特集号

 概要URL
 A5版80頁 初版2015年8月 文フリにて発刊
 取り扱い作品:
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(5)2015年冬 第2号続刊 vol.2.5 〈ゴースト〉/不在者の倫理 特集号

 概要URL
 A5版82頁 初版2015年12月 冬コミにて発刊
 取り扱い作品:魔法少女まどか☆マギカ(TV+劇場版)、新世紀エヴァンゲリオン、翠星のガルガンティア、楽園追放 -Expelled from Paradise-、細田守4作品(時かけ・サマウォ・おおかみこども・バケモノの子)

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(4)2014年冬 第2号 vol.2.0 虚淵玄 /〈彼方〉の思考 特集号

 概要URL
 A5版128頁 初版2014年11月 文フリにて発刊
 取り扱い作品:
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(3)2016春 第1号続刊 vol.1.5 岡田麿里2012−2016/キズナナキキズ

 概要URL
 A5版100頁
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(2)2015年冬 第1号別冊 vol.1.5_β 心が叫びたがってるんだ。総特集号

 概要URL  表紙資料聖地巡礼記録
 A5版40頁 初版2015年12月 冬コミにて発刊
 取り扱い作品:心が叫びたがっってるんだ。
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(1)2013秋/2015冬 第1号 vol.1.0/revised ed. 岡田麿里2008−2011/〈物語〉の終わり 特集号

 改訂新版概要URL  創刊時概要URL
 A5版112頁 改訂新版2015年12月 冬コミにて発刊(旧版初版2013年11月 文学フリマ、)
 取り扱い作品:とらドラ!、true tears、CANAAN、放浪息子、フラクタル、花いろ、あの花

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以上



@nag_nayです。C88に当選したことを受け、掲題のとおり告知いたします。



1、企画概要・原稿募集

来る8月開催のC88における頒布を目指しまして、
・『アニメクリティーク vol.1 特集 岡田麿里 「物語の終わり」/ゴースト』
・『アニメクリティーク vol.2 特集 虚淵玄 /〈彼方〉の思考 』
に引き続き、
・『アニメクリティーク vol.2.5 特集 「蟲・生物・人工物」/アニメにおける〈音〉』(仮)
の発刊を以下のとおり企画いたします。
主たる企画立案・編集・作業担当は、@nag_nay + @yopinari となります。

つきましては、以下のとおり原稿募集をさせていただきます。
日程が差し迫っており申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。


(1)募集原稿:

 アニメ作品のうち、「蟲・生物・人工物」、アニメにおける〈音〉に絡めて論じられるもの。ジャンルとしては伝奇やSFを包含するスペキュレイティブ・フィクション一般で、特段の限定はありません。
 対象作品の限定も同じくありませんが、主として考えている例は以下のとおりです。
【特集1の例】
 ・蟲師(劇場版含む)
 ・シドニアの騎士 
 ・純潔のマリア、プラネテス、コードギアス、ガンソード(など谷口悟朗作品とか)
 ・スペース☆ダンデイ(などメタフィクションもの)
 ・凪のあすから(など自然描写に妙のあるもの)
  etc…
【特集2の例】
 ・響け!ユーフォニアム(など、音響監督に注目すると鶴岡陽太関連作品とか)
 ・四月は君の嘘、坂道のアポロン、TARI TARI(などいわゆる音楽アニメ)
  etc…

 
(2)装丁など

 オフセット印刷、A4、50−80頁程度で企画しています。


(3)募集原稿様式

a. 文字数:
 ①論評・批評 : 3000字以上、15000字以内。
 ②作品紹介・コラム: 800字以上、2400字以内。

b. 形式
 .txt または .doc

c. 締め切り
 7/15(水)

d. 送り先
 anime_critique@yahoo.co.jp
 ※ 参加可能性がありましたら、あらかじめご連絡いただけましたら幸いです。その際、書きたい作品、テーマ、内容についてお知らせくださると、なお助かります。
 ※ 原稿内容について、編集とのやりとりが発生することにつき、ご了承ください。
 

2、その他、C88についてのご意見募集

既刊については『vol.2』につき、再頒布を予定しています。
その他、以下のの再販、
・『vol.1.1 劇場版まどか☆マギカ 最速レビュー』
・『vol.2.1 楽園追放 最速レビュー』
これらに準じるコピー本を作成するかも検討中です。
折しも細田監督の新作公開も近いことから、
「こういうのをあつかってほしい」など声がありましたら、是非お寄せください。

以上、どうぞ宜しくお願い致します。



明日C87(東S26a)で頒布予定の『アニメクリティークvol.2.0』の付属冊子として、『アニメクリティークvol.2.1 楽園追放 レビュー』本を発刊します。(というかしております)
https://note.mu/nag_nay/n/nd618a19e4b80

有料ペーパー_fin_pdf のコピー



『特別号 vol.2.1 楽園追放ーーexpelled from pradise 最速レビュー』(A5/28頁/コピー本100円)

目次:
 ①総説  記憶に眠るレゾナンス ーー the expelled’s resonance Nag
 ②監督論 「(誰かのための)ロケット/花火」自身のリフトオフ、それは「明日への帰り道/Non stop road」への軌跡 FLHR
 ③アンジェラ論 『楽園追放』〜「彼岸」への誘惑を越えて〜 sssafff
 ④楽園論 「楽園追放」から「楽園解放」へ向けて makito
 ⑤座談会 二つの「怠け者」、二つの「亡霊」 makito+Nag


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本誌『アニメクリティーク vol.2.0』とあわせてお楽しみいただけたら幸いです。


今回は、このうち、⑤の座談会の内容を紹介いたします。



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0、ざっと紹介


makitoとNagによる座談会。劇場版アニメ『楽園追放』を読み解きながら、本誌『アニメクリティーク』で論じた論点を補完するものとなっている。

全三部で構成されており、第一部では『楽園追放』を貫く「リソースの制限」という問題がなぜディーバにおいて問題になるのかを、第二部では、その「リソース」に駆り立てられてしまうディーバの生の貧困という問題を、第三部ではその駆り立てられた生から脱出するための方法としての「怠け者」を内包した制度のあり方を、各々検討したものとなっている。
(※ 残念ながら、速度表現や色彩の表現など、3DCGアニメとしての本作の映像表現的側面についても論じていたのだが、そちらは紙面の関係でカットせざるをえなかった。ということで、もっぱら脚本を論じたものとなっているが、本誌との接合はより明快になったのではないかと思われる。)

本誌『アニメクリティークvol.2』では、特集1で「虚淵玄2008−2014」と題して、虚淵関連作品の全作レビューを行なっている。彼の総括ともとれ、また導入ともなりうる『楽園追放』についての本座談会を、ぜひ本誌と合わせてご笑覧いただきたい。


とはいっても、圧縮しすぎてうまく伝えられるか心もとないため、以下、本誌と密接に関連した論点について、下にまとめてみた。『楽園追放』を含む虚淵作品に興味のある諸氏には、ぜひご一読いただき、ご意見いただきたい。

 

1、座談会第一部:なぜリソース問題は残ったのか?


座談会第一部では、『楽園追放』から「リソースの制限という問題」に焦点が当てられ、論じられる。とりわけ、「制限」が、①(現実の我々のように)肉体において現れるのと、②ディーバ市民のようにデータにおいて現れるのとで、どのような「楽園」形態の違いが生じるかという問題に焦点を当てている。

一般に、この「制限」の問題は(食料や貨幣、権力や承認などなど)現実世界のいたるところで起こっていることは明らかだ。①まさに肉体をもつ我々は、ディーバ市民と異なり、食事として命を摂らねばならないし、そのために希少な資源を時に奪い、時に交換しなければならない。
②しかし、ディーバでもまた、肉体という枷が外れたとしてもなお残る「制限」がポイントとなっている。ディーバでは、肉体の限界を超え、あるいは天災という偶然性が消滅することで、争われる戦場はもっぱら社会内部での抗争に置き換えられている。つまり、偶然の事故がないディーバでの争奪はより先鋭的なものとなり、「制限」をめぐる問題はより顕在的なものとなっているのである。

わかりやすく比較できる例が、本誌で取り上げた『サイコパス』である。『サイコパス』でいえば、犯罪係数という「精神に一元化されたパス(Psycho-Pass)」に、『楽園追放』の「制限されたリソース」を重ねることができるだろう。というのも、『サイコパス』において「制限」は、現実の人間ではなく、現実の人間が類型化されたデータによって課せられる。そこで人は、生まれながらの「係数」によって未来を予測され、危険度を測定され、将来が決定されていくことになるためだ。
つまるところ、『サイコパス』では「精神」が見えすぎることによって、却って、我々は自身の潜在的な可能性に盲目になっていく。そして、その様子は、『楽園追放』のディーバ市民が(肉体という檻から脱したのに)リソース獲得競争に血眼になる様に容易に重ねられるだろう。

※ ここでの問題は、 @tackerx さんの『アニクリvol.2』評の一節から借りれば、「社会へ貢献するという一点へ収束していくかのような理想像」に誰もが望まずして駆り立てられてしまうために、「善なる社会」から「降りるという選択肢が取れない」問題として言い表すことができるだろう。つまり問題は「降り方」のパターンが用意されていないことであるのだから、社会貢献のパターンが複数化していたとしても何の慰めにもならない、ということになる。
tacker10さんはこれをさらに「多様に分岐した身体」につなげて論じているので、興味を持たれた方は、ぜひ彼の『仮想的身体』論あるいは本誌vol.2掲載の「不純なる者たち」をご参照いただきたい。


2、第二部:リソース獲得競争から外れる「怠け者」の居場所をどう確保するのか?


座談会第二部では、第一部の整理を受け、①上記人間の潜在的な可能性がただ選択という形で提示されればよいのか、それとも②潜在的な可能性を組織することまで必要なのかという問いが提示される。

『楽園追放』でいえば、ディーバ市民の誰もフロンティアセッターの外宇宙探査という提案に乗れなかった。選択肢が与えられたにもかかわらず、誰にも選択されない選択肢として、フロンティアセッターの人類存亡のための提案はこうして、彼ただ一人に担われることになる。
ここに現れている皮肉は、肉体の枷のない「楽園」に暮らす「幸福」な市民としては、あえてその環境を捨てようとまでは思わないだろうし、わざわざ自らの潜在的な可能性になど賭けはしないだろうということにある。
個々の人間にとってみれば、外なる可能性を見せつけられたところで、誰もそこまでリスクテイクに促されないし、仮に無理矢理にリスクテイクに駆り立ててしまうなら、それは新たな秩序設計者が課してしまう新たな人為の「制限」に他ならないはずだからだ。

こうして、「市民」の至る出口のなさが「制限」を招来していたことが見えてくるだろう。人は選択肢を選択しないことによって、他者の環境を変えてしまう。そうして、あらゆる人が出口のなさに陥り、内部の抗争に至ることは必然とされていくのである。

もちろん、そうではないものたちはいる。『楽園追放』でいうところの「怠け者」たるディンゴや、『サイコパス』でいうところの「法の外」の槙島・狡噛である。こうした、集団的な社会の課す規範を逸脱するものたちこそ、新たな集団的社会がどのような形になりうるかを問いなおし、選択肢を選ぶ以上の選択へアンジェラや常守朱を運んで行ったものたちとして捉えられるだろう。

※そういう意味で、外宇宙探査という目的に(市民とは判断理由は違えど)アンジェラが乗らなかったのにも理由がある。アンジェラは、現在から外へと人類をつなげるためではなく、現在のこの世界へと積もった歴史を掘り返す方へと向かって行ったのである。

ここから、「このような「怠け者」たちをどのように内包していけばよいか」という問いがついで生じるだろう。
この問いには、第3部で答えられる。

※なお、上記の点について、@sssafff さんから、「限られた時間内に生者と亡霊を(程度の差があるとしても)両方救うことを前提にしながら選択肢を広げられるほど、僕たちは現実的に有能なのか?」「亡霊の想起は煩わしい」という疑問が提示されていた。これはもちろん、そのとおりであるとおもう。
sssafff さんは、ディーバ市民やシビュラ下に生きる霜月のような「市民」の判断になぞらえてそのようにいってくれたのだろうと思うし、事実そのように個々の人間は判断するだろうと思う。一方で、そのような現在の合理性だけに駆られた結果が、現存する人間の間の抗争によってなりたった現行秩序となっていることも否定できないだろう。
それゆえ、もしそこに悲劇を見いだすことができるのであれば、個々の人間の感情というよりは制度的考慮事由としての制約原理(ロールズならば「正義の構想」と呼ぶだろうし、ノージックならば「横からの制約」として匡正原理に含ませるだろうもの)として、自らでもあり他者でもあるような亡霊を控えた判断へと促すことは許されるのではないか、と私見を述べておきたい。
sssafff さん含め、ご意見を待ちたい。


3、第三部:「怠け者」と「幽霊」を含む秩序構成的秩序


第三部では、これまでの問いを整理しつつ、「怠け者」を内包していける制度について、総括が述べられる。

それによれば、『楽園追放』において「怠け者」を内包できる制度を作り出すためには、ディーバは、それが軽視した身体に加えて、過去の記憶を現在の人間に重ね合わせなくてはならなかったとされる。つまり、「効率」と「幸福」(その管理)というよく知られた目的にただひたすら駆られてしまったディーバが失ってしまったのは、管理や社会規範を課すことによって達成化される「効率」「幸福」から人が自由になるための領域だったのだ。

むしろ、人はその「効率」と「幸福」の価値を問い直すために、その自由を行使することができる。もちろん、その自由の行使は、行使を許し、促すバッファ・環境の上でなされざるをえない。だからこそ、既定のルートを作り直す領域を確保することで、秩序を再構成していく必要があったのだ。(この時間的な運動のことを小説版『楽園追放』は「閉じこもるのではない」「進化」と呼んでいた。)

以上の領域確保という方針が、①「討議」という社会規範の洗練によって達成されるのか(makitoによる社会実践的見解)、②「秘密」と「記憶」という潜在性保障によって達成されるのか(Nagによる実存的見解)は、まさにやってみないとどちらが妥当なのかはわからない。
いずれにせよ、『楽園追放』から見えるのは、単一化された「パス」からの脱出のパターンを複数化し、作り上げていく過程に開かれることにこそある、という点では、おそらくは多くの視聴者の納得いただけるのではないかと思う。

このように『楽園追放』は本誌で分析してきた虚淵玄のわかりやすい総括でもあるし、とっかかりが随所に張り巡らされた入り口になっているともいえる。『楽園追放』は、こうして万人に向けられた自己に課された条件をえぐり出すための(何度もそこに舞い戻り、そこに立つことができる)出発点となっているといえるだろう。

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