アニメ分析/

アニメから読み取れるものを徹底的に抽出する試み。近況はtwitterで。

『AngelBeats!』の分析

『AngelBeats!』#3の物語を分析する その矛盾の核心-岩沢と「NPC」の解釈をめぐって‐

 物語世界の外からやってきた音無(=視聴者)が、まだ記憶が戻らないにしても、つまり、いくつかの謎を残したままでも、なんとかこの世界に腰を落ち着ける場所を見つけたことで物語は安定期に入ったとみられる。
 同時に幾つかのパターンが確立されている。
 ・作戦ブリーフィング
   定番のBGM
   音無がとんちんかんな連想をする
   「オペレーション、スタート」というゆりの宣言
 ・主要メンバーの協力による作戦の決行
 ・一話ごとに登場人物の記憶の開示
 しばらくは視聴者もこのパターン形式を無意識に期待しながら見ていくことになるだろうし、物語もこの形式を基にいくつかのヴァリエーションを交えながら進行していくことになるだろう。
 基本パターンを形成して安定期に入った物語に新たな謎が生まれるというのもプロットの展開としては極めて典型的である。
 今回提示された謎は本来、
・天使が神の使いではないかもしれない
・この世界から消える条件が「天使のいいなりになり正しい学園生活をおくること」だけではない
 の二つである。
 また、「情報の探索者」の位置づけも微妙な変化をみせている。記憶喪失の音無がまるで「自分探し」でもするかのように周辺人物の“聞きこみ”(ユイの「ガルデモ」に対する思いや岩沢の過去の記憶)を開始する。また、ゆりが今回のオペレーションで天使に疑惑を持ち始める。
 既に第1話でゆりのもつ「情報」と天使の持つ「情報」に齟齬がある可能性を視聴者(=音無)は知っているがその情報の差異にゆりは自覚的となり、本来、“神を探すもの”であった彼女がより積極的に天使の存在を含めた「世界の謎」を探索する役割を担うことになる。
 ゆりと音無という二通りの情報探索ルートがこの物語世界の謎を追っていくことになる。
 だが、天使に対する見解が間違っていたかもしれないことが明らかになったことで、ゆりは同時に「信頼できない語り手」という印象を視聴者に強く与えてしまっている。その彼女が「世界の謎」の探索者となることはミスリーダーとなる危険性を孕むことになってしまうのでプロットとしてはちょっと痛いところである。

 さて、第三話を迎え、たとえアニメオリジナル作品であったとしても、最初に感じられた“違和感”つまり、“とっつき難さ”がそろそろ払拭されてしかるべき段階にきているのだが、今回でさらに“違和感”は増幅されてしまったようである。

 その原因は岩沢という少女の描き方による。
 プロットのスタート以前から既に固有の時間経過を経ていた物語世界に音無(=視聴者)が途中から迷いこんだという設定は、音無を記憶喪失にするアイディアでそのズレをたくみに埋めたと言っていいのだが、その物語世界で人気を確立していた学内バンドの存在を視聴者に馴致させるのはなかなか困難な課題だろう。ましてや、そのバンド(通称「ガルデモ」)のリーダーという一キャラクターについては尚更のことである。にもかかわらず、彼女、岩沢は第一回目で「戦線」メンバーの一人として紹介されただけで、二話目では登場すらしていない。
 今回冒頭から岩沢が登場し「戦線」メンバーから賞賛を受け、ユイという新キャラクターが、「ガルデモ」や彼女のすばらしさについて、“熱っぽく”語ったとしても、その唐突さは拭えない。確かに「ギャグ要員」ではないかもしれないが二話の「ギルド行」に彼女が少しでも関わっていたならばかなり印象は変わっていただろう。
 その視聴者から若干遠い存在である岩沢の過去の記憶が語られるが、二話でのゆり同様、すべては彼女の言葉で語られることになる。
 アニメにおける言語的メッセージは通常以下の形をとる。
・音声によるもの‐会話、独白、喧騒などのモブセリフ、ナレーションなど
・音声によらない画面内描き文字によるもの‐タイトル、キャプション、看板、手紙、黒板の板書、漫符的な文字列など

 なかでも昔の名作劇場などで多用された“天の声”的なナレーションはすっかり影を潜め、『ケロロ軍曹』などで半ばギャグ的に扱われる程度である。その理由はアニメが映像作品であることからであり、ナレーションの多用は映像による表現とは相容れないものである。
 岩沢の過去は彼女の音声による独白の形をとるが、結局のところ、天の声的ナレーターのナレーションとほぼ変わらない。映像はほとんど語りの“挿絵”の機能しか果たしていない。
 この部分は他のアニメ作品でも普通にみられる回想シーンであり、映像と語りで“冗長”表現する場面ではないはずだ。
 この回想シーンを映像で描くには象徴的な小エピソードを作り出し、会話による映像で表現すれがよいはずなのだがそうはなされなかった。そうまでして語りにこだわる理由はよくわからない。
 唯一考えられるのはこれが「彼女のバラッド」である可能性(冒頭でゆりは岩沢に「なぜ、バラードなのよ?」と問うている。)だが、前回のゆりの語りと形式的に変わるところはなくその可能性はない(実際、彼女の最後の歌はただのバラード形式だった)。少なくともアニメという映像表現を見たい視聴者はがっかりせざるをえないだろう。
 時間の制限のあるTVアニメの中で視聴者に小説を読むときのような想像力に期待したのだろうか。映像表現の否定になりかねないがとりあえず彼女が語った内容についてみてみよう。

 家庭環境に恵まれない少女が音楽に拠り所を求めた。音楽が彼女を救い、音楽が彼女の全てとなった。打ち捨てられたギターに自分自身を重ね、孤独な少女は共に生きていく友を得た。自分自身も音楽を奏でるようになり、やがて、その音楽で現状からの脱出を試みるようになる。必死の努力が実を結ぶかに見えた矢先、父親の暴力で脳に障害を負い、歌が歌えなくなった。音楽を奪われた。そのまま失意の底で死に至った。

 気の毒な話である。確かに同情するのもやぶさかではない。だが、彼女には悪いがどこにでもあるような話であることも否定できない。ここに同時代性を伴った複雑な生の“理不尽さ”を見ることはできない。彼女をかわいそうだとは思えても現代の10代は果たして彼女に共感できるのだろうか。
 岩沢が言葉を失った直接の原因にしても「頭部打撲、脳梗塞による失語症」ということだが、「脳梗塞って老人がなるんじゃなかったっけ?」という素朴な疑問がわく。実際、外傷によって脳梗塞は発症しない(詳しくはウィキペディアの「脳梗塞」の記事を参照のこと)彼女を襲った不幸が視聴者ひとりひとりにも起こりうるかもしれないという可能性は彼女と共感する上で非常に重要な要素となるので、10代には極めて稀な脳梗塞などという病いを選んのは致命的だ。
 そんな岩沢が真っ先に“成仏”してしまったとしても視聴者としては取り残された感しかもてない。(彼女を“特別な存在”として描くことに失敗しているのではないか?)

 第二の問題は「NPC」という存在である。
 セグメント第1話B-1で、ゆりによる「NPC」の説明がある。
 彼女によると
・NPCは人間ではない
・彼/彼女らをゲーム用語でいうところのNPC=Non Player Characterと呼ぶのはあくまで「たとえ」である
・それは この世界に最初からいる模範という意味
・連中と同じような行動をとるとこの世界から消えてしまう。
・歳をとらない。
・会話が成り立つ
(彼らが自意識を持つのかどうかという音無の問いは微妙にはぐらかされている)

 以上の説明を真に受ければ、「NPC」は忌むべき存在と考えるのが自然だろう。「神」によって創造されたこの学校の形をとる世界を成り立たせるためだけに誂えられたヒトならざる存在、人形(ヒトガタ)である。その自意識らしきものも怪しいまがいモノでしかないだろう。ヤツらは「神」の手先でしかないのだ。 
 ところが、1話ではそのまがい物たちが「ガルデモ」の演奏に熱狂するのだから首を傾げたくもなる。
 そして、今回、あろうことか「NPC」たちが掲示板に貼られた体育館ライブのフライヤーを剥がす「生徒会長」に抗議する場面がある。「これぐら見逃せよ」「そうよ、『ガルデモ』のライブは私達にとっての唯一の楽しみなのよォ」「それを奪うな!」「そうだそうだ」と口々に抗議している。
 これを見て、音無のように「よくできてるな」などとのんきなことを言ってはいられない。「NPC」とはいったい何なのか、ただただ混乱するほかはない。

 彼らが本当に「よくできた」“学園エキストラ”だとすれば、そのニセモノの熱狂に支えられた「ガルデモ」はとんだ道化バンドでしかなくなるし、体育館ライブでの彼らの悲痛な叫びを真に受けて、何かを悟って消滅した岩沢は“成仏した”のではなく集団で“成仏させられた”のでしかない。さしずめ、あの体育館全体が教師、生徒一丸となったなんとも薄気味悪い“成仏装置”だったということになる。
 だが、物語全体の流れを見れば、やはり、岩沢は「NPC」に対してなんらかの希望や救いを与えたのであり、そのことで成仏を果たしたと考えるべきなのだ。これを肯定するためには「NPC」をもう少しメタファーな存在として捕らえる文脈を掬い上げねばならない。
 セグメント第1話B-2の作戦ブリーフィングのシーンで松下五段は彼らのことを「一般生徒」と呼んでいる。台詞を引用しよう。
「(我らフジツボ絶滅保護戦線は)数や力で一般生徒を脅かすようなまねなど決してしない」
 一見、「戦線」の倫理観を述べているようだが、「NPC」に対する考え方に一つの見方を与えていると受け取ることができる。ここを“普通の学校”と考えれば彼らを一般生徒と看做すほうが確かにしっくりくる。
 今回でも冒頭でゆりは「ガルデモ」の陽動任務を説明する際に彼らのことを「一般生徒」と呼称している。
 まるで、「パンピーには手を出さない」として自分達を特別視する一昔前のチーマーの論理のようにも聞こえてくる。
 また、第1話B-1の説明での「喩え」としてのNPCに着目するならば、「戦線」メンバーはプレーヤー・キャラクターに喩えられ、自分たちこそこの世界のプレーヤー(=主役)であり、彼らは「脇役」でしかないことを言ったにすぎなくなる。

 この文脈の延長線上に浮かび上がるのは、
・「戦線」=この世界のまやかしに気づいた覚醒者の集まり。当然、この世界に規律に反抗し、世界の謎を解き明かすために行動する者たち
・「一般生徒」=この世界のまやかしに気づきもしないで粛々と規律に従い続ける「眠れる」者たち
という構図である。
 この構図に従えば、「戦線」が「NPC」に直接危害を加えない理由もはっきりするし、「ガルデモ」が歌を通して彼らにメッセージを送り続ける意味もでてくる。非常にすっきりする。だが、この構図が成り立つためにはその彼岸に「NPCの覚醒」を配置しなければならないが、最終回でも彼らは完全に背景に押しやられてしまう。それどころか、まるで存在すらしていなかったかのような描かれ方であり、これでは「残された謎」として視聴者の想像をかきたてる要素にすらなりようがない。 
 せめて、ゆりかそれに準ずる中心メンバーの誰かが「NPC」という存在に対して理解や同情の念をほんの少しでも吐露していれば、視聴者はもっとスムーズに「NPC」に感情移入でき、彼らを前景化することができただろう。たとえ人間でなくとも、この学校で卒業することなく永遠に一生徒を演じ続けなければならないプリズナーとしての彼らの悲哀を思うことができたかもしれない。
 だが、主要メンバーが否定的見解しか述べていない状況の背景でいくら「NPC」が「生徒会長」に熱っぽく抗議したり、「NPC」同士の恋愛が示唆されたり、岩沢の歌が全校放送で彼らの耳に響き渡ったとしても、見ている視聴者は「彼らはただのハリボテだろうに」とただ困惑するばかりでその意味を理解することができない。
 これは「想像の余地を残した」ことでは断じてなく、あきらかな矛盾でしかない。岩沢の回想シーンで過剰にあふれた言葉がここでは確実に足りないのだ。 

 ところで、当初はこの世界が「死後の世界」であることも半信半疑にしか受け止めようがなかったので、NPCというゲーム用語の登場により、ここがコンピューターゲーム内の世界であり、ゆりや音無たちはそこに迷い込んだのではないかと見る向きもあった。同時に「NPC」の存在を突き詰めれば、映画『マトリックス』のような“シミュレーション”の世界なのではないかということも考えられた。
 実際、第11話で影へと変身するNPCのシーンはモブの「エージェント」化を彷彿とさせるし、第12話でゆりがたどり着くモニターが並ぶコンピュータ室のシーンは『マトリックス・リローテッド』のニオとアーキテクチャーが対峙するシーンを想起させる。おそらく、『マトリックス』がこの作品の下敷きにされていることはほぼ確実で、その“シミュレーション世界”と擬似“煉獄譚”の粗雑な合成が『AngelBeats!』という物語の核になっていると見てよいようだ。

 以上のような“違和感”は結局最後まで尾を引くことになるのだが、そんな問題を抱えながらも、物語は進展していく。
 前回、完全なる敵として登場した天使は、「一般生徒」たちの抗議を受けて、「まるで悪役ね」とひとりつぶやく。
 この可憐なたった一言で、音無が決着をつけたはずの「天使=俺たちの敵」という構図はあっさりと覆ってしまう。「天使は敵か味方か」という当初の謎が復活し、新たにその「天使性」が強調されるところは見事と言わざるを得ない。
 そして、“最初の成仏者”である岩沢の成仏の仕方については大いに注目しなければならない。
 教師たちに制圧された体育館のステージの上で、「NPC」たちとユイに向けてひとりバラードを歌う岩沢。心の中で彼女はこうつぶやく。
これが私の人生なんだ こうして歌い続けていくことが それが生まれてきた意味なんだ 私が救われたようにこうして誰かを救っていくんだ やっと、やっと見つけた

 Aパートで岩沢の過去の記憶を聞いた後の音無の言葉を借りれば彼女は「人生の理不尽を呪った」瞳を持つ、ミジンコになることを恐れているのではなく、理不尽な人生を受け入れることに果敢に抗おうとしている少女だったはずだ。なにかを見つけようとしていたわけではなかったはずなのだ。だが、彼女は何かを見つけたことを確信して成仏する。
 これは先の「NPC」解釈に見たような単純な矛盾とはまったく別物である。ここに成仏の秘密が隠されている。
 だが、この秘密を明らかにするのは第6話の分析まで保留しておくことにしよう。シリーズ最初の山場である第6話のキーパーソン直井の分析はこの物語世界の核心を明らかにすると共に成仏のしくみをも明らかにする重要な分析となることだろう。そのことを明言してひとまず次ぎのエントリーに場を移したい。

※本第3話のセグメンテーションは次回第4話のそれと併せて掲載します。
 

『AngelBeats!』#2の物語を分析する

『AngelBeats!』#2 Guild のセグメンテーション

     
オープニング
Aパート
1.作戦本部 
 名前のない学園
 ギルド降下作戦 ギルドによる武器支援は戦線の生命線
2.体育館
 ギルドへの入り口 だらけ気味のメンバーと気合の入りまくりのゆり
3.ギルド連絡通路B1
 野田と音無の対立 野田の即死 トラップが稼動中 ギルドの独自判断天使の出現
 ギルドを天使から守るため進軍を決意
4.ギルド連絡通路B3 
 慎重な行軍
 巨大な鉄球トラップ 日向と音無の交流 犠牲者:高松
5.ギルド連絡通路B6
 閉じ込められてレーザートラップ 犠牲者:松下五段
6.ギルド連絡通路B8
 天井が落ちてくるトラップ 落ちてきた天井をTKが受け止めるという献身的行為 犠牲者:TK
7.ギルド連絡通路B9
 床がぬけるトラップ ゆりを登る音無 へんなところを掴んでゆりに落とされた日向=「尊い犠牲」 音無と藤巻の対立 犠牲者:、日向
Bパート
1.ギルド連絡通路B13
 水責めトラップ 犠牲者:藤巻(泳げなかった)
2.ギルド連絡通路B15
 子犬が流されるトラップ 犠牲者:椎名 
3.ギルド連絡通路B17
 二人だけ生き残った音無とゆり ゆりの自己嫌悪
 ゆりの回想 ゆりが現状に抗う理由
4.ギルド最深部
 武器製造法の真実
 ギルドの破棄が決定される
5.ギルド最深部直上
 ゆりVS天使
 ナイフによる接近戦 体当たりでゆりを助ける音無
 大砲の大破
 ギルドの爆破 巻き込まれる天使
6.オールド・ギルド
 職人生徒たちの再始動
 戦線メンバーたちの復活
 ゆりをみつめる音無


 早くも賛否両論が巻き起こる中での第2話放映だったが、「ネット世論」に疎い我々でも、この回で幾分、評価が上がったような印象を受けた。内容もさることながら、今回から始まったOPが圧倒的に良かったせいもあるだろう。物語を主として論じる本稿の目的とは少しずれるが、このOPについて少し触れておこう。
 無数の光の粒子の下降と上昇は、この学園に呪縛され消滅させられる魂を象徴している。よく見ると冒頭、グランドピアノの鍵盤の上に粒子が一つ落下してくる。だが、天使は高音域を弾く為にその粒子を弾いてしまう。次に鍵盤の中央に粒子が落下してきた時、天使は迎え入れ、粒子は光輝く。それが合図となったようにすべての粒子は上昇を開始する。これは光の粒子の上昇=成仏が天使の恣意によるものであることを暗示している。
 まるでこの世界そのもの(「時間」を含む)を圧倒的に支配するかのようにグランド・ピアノを奏で続ける彼女。最後のカットでの大きく生々しい羽根が見せる強烈な印象は、第11話現在ではっきりと否定されたとはいえ、立華かなでが天使である可能性をなかなか拭いきれないものがある。

 さて、本編の分析を始めよう。今回のテーマも明確だろう。それは音無が「戦線」に対して抱いていた疑念、不信感といった否定的意識の変化である。

 トラップを潜っていく中で音無に見える戦線メンバーたちは以下のように纏められる。

音無を容易に受け入れようとしないメンバー 野田、藤巻
音無を無条件に承認するメンバー 日向
意外な一面を見せるメンバー TK(献身的な自己犠牲)椎名さん(かわいいモノ好き)
陰惨な過去の記憶を持つゆりの高い精神性とカリスマ性
ギルドメンバーたちのの気持ちのいい結束力と職人魂

 こうしたメンバーたちを目の当りにする中で音無は「戦線」に対する見方を改めていくことになる。
 数々のトラップは音無と戦線メンバーとが本物の仲間になるための関門と見ることができるし、地下への降下はより深いところへ行く=より真実に近づくという意味あいがある。
 最終的に、完全な悪役として登場している天使とゆりが対決し、音無はゆりの方を助ける。体当たりを受けた天使は無残に転がるが、これは第一話で天使とゆりとの間で揺れていた主人公がゆりの方を選択したことを象徴している。
 物語の骨格としては二話もやはりことさら批判すべきところはないように思える。だが、この骨格に肉付けされる部分については様々な考察が必要とされる。多くの視聴者にとって見える部分は骨格ではなくその肉付けされている部分であろうから、ここを誤るとどんなに良い骨格も台無しとなる。
 順番に追っていこう。 
 
・無意味なレーザートラップ

 ギルド連絡通路B6でのレーザートラップのシーン。これは多分に演出面での問題だろうが、実際のところ、第2射を避ける時に二本のレーザーの間をくぐった者がいないので、Xでその間を塞いだ第3射と第2射に攻撃力の差異はない。全員伏せていれば何の危険もないのだ。松下五段が3射目で切り刻まれる必然性は全くないと言っていい。これは特に分析を必要としなくても、直観的に把握できるミスなので見る者を白けさせるに充分だ。こうした違和感が重なっていくと結果的に作品全体の評価を下げることになるので決して小さなミスではない。

  
・ゆりの犠牲者に対する思い。

 TKがトラップの犠牲になるところから、ゆりは悲しみや怒りの感情を吐露し始める。だが、メンバーたちの「死」がギャグとして描かれる場面があり、ゆり自身もそれに便乗している描写があり、おそらくえっちなところを掴もうとした日向を蹴落としたりもしているところから、その感情に矛盾があるのではないかと疑いたくなる。だが、ゆりは拳で壁を叩きながら「本当の軍隊ならみんな死んで全滅じゃない。ひどいリーダーね」とその感情の理由を明かす。この発言からゆりの憤りが自らの指揮官としての資質を責めていたことがわかる。振り返ってみれば、体育館での作戦開始の際、他のメンバーがだらだらと惰性で進入したのに対し、ゆりひとりだけが妙に大そうな進入の仕方をしていた。彼女は天使侵入が発覚する前からこのオペレーションにガチ勝負をかけていたのである。
 こう考えると、ゆりにとってもこの世界での「死」は他のメンバーと同じように冗談めかしにもできる何度も繰り返されてきた偽りの「死」でしかない。だが、作戦遂行時における「死」は戦力の減衰を招く。そこに自分の軍事的リーダーの責任を感じていたのである。ゆりがなぜそこまで思いつめているかは彼女の過去の記憶に由来しているのであり、それは彼女がこの世界で抗い続ける理由でもあった。


・ゆりの凄惨な生前の記憶

 この回想はほとんどゆりの言葉による「語り」で構成されている。ほとんど動きをもたない映像はまるで「サウンドノベル」のようである。
 ゆりの声を語り手としたしても冒頭の家族団らんにセリフを入れるぐらいのことはできたのではないだろうか。しかし、この回想シーンにおいて会話は徹底的に排除され、唯一会話らしきものがあるのは、無慈悲なゲームを強いる強盗のセリフだけである。幼いゆりにこの時初めてセリフが与えられるが、彼女は高価な品であると思われる壷について「説明」をはじめてしまう。
 いくら回想がゆりのひとり語りで語られようと、なぜこうも全てを言葉で説明しようとしてしまうのか。

 描こうと思えば、素人考えではあるものの、次のような映像を描くことができる。

 必死に探しまわるゆり。大きな壷に目を止める。
「この高そう壷なら、きっと・・・」
 壷を持ち上げようとするゆり
「お、重い…」
 壷を引きずる様にして運ぶが、結果、階段から転げ落ちる。

 だが、やはり全ては言葉によって語られる。
 その後、やっと言葉を使わない映像表現が次のように描かれる。
・粉々に割れてしまった壷
・破片を拾い上げようとするゆりが指を切る
・とめどもなく流れる大量の血が取り返しの付かない結果を換喩。 (しかし、この小さな傷から大量の血が流れるショットは『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第7話で灯篭を削るフィリシアのシーンで既に使われた表現の焼き直しだ。)

 こうして、愕然とする音無の顔でこのゆりの回想は終わる。この間、約2分。たしかにこの凄惨な過去の記憶を表現するには充分な時間ではないかもしれない。確かに、頭痛、吐き気、倒れそうといったアニメでは表現しにくい幼いゆりの内面が語られていはいるが、それがこの回想になくてはならない要素であるとは言いがたい。それでも、この回想が言葉で語られてしまうのは、脚本家が映像表現に慣れていないことに尽きると言う他ないだろう。アニメという映像表現を期待する視聴者にとって満足のいくものではなかったろう。
 だが、ともかく、ここで重要なのは、現在のゆりを突き動かす原動力が「記憶」であることである。そして、その記憶は今の音無にはない。


・ギルドの謎

 巨大な歯車が回りベルトコンベアが稼動するまるで機械都市のような広大なギルドから受ける印象は、当然、そこには溶鉱炉があり、鉄が精製され、鋳造技術があり、化学プラントがあり、NC旋盤といった高精度の道具がそろい、本物の銃器がここで製造されているだろうということである。極めてリアリステッィクな製造施設である。それを破棄するというのだから、職人学生たちの驚きは至極当然のように思える。

 ゆりは言葉を続ける。「大切なのは場所や道具じゃない、記憶よ」「この世界に命あるものは生まれない。けど、形だけのものは生み出せる。それを構成する仕組みと作り出す方法さえ知っていれば本来何も必要ないのよ。土くれからだって生み出せるわ」

 土くれから実際にモノを作り出す具体的な方法は謎だが、ギルドがなくても土くれから何でも作れるという大事なことを彼らは忘れていたようだ。
 だが、そうだとするとこの大掛かりなギルドはいったい何だったのだろう。
 土くれから銃器を作れる彼らはおそらく土くれから溶鉱炉を作り、土くれを鉄鉱石に変え、鉄を精製し、道具を作り、最終的に必要な銃器を製造していたことになる。わざわざこのような方法をとることが、ギルドのリーダー・チャーの言葉を借りれば、すべては「効率のため」ということになる。どうやら、土くれから直接、銃器を作り出すより、鉄鉱石のような原料を作り出す方が効率がいいらしい。
 しかし、この壮大な「迂回」はいったい何なのだろう。あえて鉄から精製するのは職人学生たちのマニアックさ故なのか。先般、「戦線」が敢行した「オペレーション・トルネード」のような大掛かりで無意味な行動がこのギルドにおいても行われていたと見るべきなのかもしれない。彼らはこの直後、巨大な大砲を即席で作り上げ大破させている。


・オールドギルドの矛盾

 「オールドギルド」への後退を提案するチャーの言動はどうにも奇妙だ。「オールドギルド」が「俺たちが帰れる唯一の場所」だというのは結構だが、「天使にはオールド・ギルドには渡らせん」と彼が断言できる根拠は何なのだろう。様々なトラップを施しているにも関わらずギルドへの侵攻を許している彼らが、オールドギルドへの侵攻だけは阻止できるとする理由はほとんど見当たらない。
 ギルドを自ら放棄したと見せかけて、密かに廃墟と化したオールドギルドに潜伏するというのなら、天使の目をしばらく誤魔化せはするかもしれない。この発言にはどうにもツメの甘さが滲む。


・最後に

 「バカども」と戦線メンバーに呼びかけるゆりはいったい何を使って呼びかけているのだろうか。形状から見ると携帯電話のようだがメンバーがそれを受信しているようには見えない。とすると連絡通路にある館内放送なのだろうか。とにかくワイヤレスなしろものであることは間違いない。これは第6話への伏線としておこう。
 最後の最後に音無はゆりを見つめながら、心の中で彼女に癒しの言葉を投げかける、「立派にリーダー、できてんよ」…できてんよ?…てんよ?やれやれ、こんなところに10話への伏線があったとは(苦笑)

『Angel Beats!』#1を分析する‐その物語とナレーション‐

 物語としては生硬な印象が強い『AngelBeats!』。作品に対して賛否両論の声があがるのも当然の結果といえよう。だが、議論が白熱するあまり“脅迫騒ぎ”にまで発展するようでは健全な議論とは言い難い。こうした暴力に対しては断固反対の姿勢を明確にしておきたいが、最も懸念すべきことは、こうしたことにより作品を見る目に偏りが生まれることだと考える。我々分析派としてもこの物語に対して、映像や作画を分析する時と同じ解像度をもって接するべきではないかと思い至った。
 我々はアニメという作品に対して、客観中立な立場などありえないと考える。「客観報道」と同じくそんなものは幻想に過ぎない。たが、公平な態度でアニメに向き合うことは努力次第で可能なのではないだろうか。そうした努力が作品の真価を見極めるときに最も重要なものになると我々は信じている。これから、『AngelBeats!』の物語について全編に渡って詳細に分析していく。我々の努力が公平さを勝ちえたかどうかは読者の方々の判断に委ねたい。

#1 Departure プロットのセグメンテーション

OP なし
Aパート

1.夜の校庭
 ・音無の目覚め 記憶の喪失
 ・音無とゆり ゆりによる情報の提供(死後の世界・神・銃・敵としての天使)SSS入隊の勧誘→失敗
 ・音無と天使 天使であることの否定 死後の世界であることの肯定
 ・刺される音無
2.保健室(朝)
 音無の死後の世界であることの認識 死なないことの自覚
 ゆりっぺの崇拝者が登場
 死ねないならむしろ消されたい?
3.SSS作戦本部(校長室)
 音無とSSSメンバー
 “消える”ことのリスク(来世の保証がない)
 SSSの目標=死にあらがうこと「天使を消し去ってこの世界を手に入れる」)
 音無の加入

Bパート

 
1.A棟屋上
 この世界についてのお勉強会 NPCの存在 消える条件 天使
2.作戦本部
 音無の思惑(自分の記憶を取戻すまでの安全な時間稼ぎ)
 作戦ミーティング 食券の巻上げ
3.大食堂
 陽動としてのライブ
 音無と天使の対峙
 天使とSSSの交戦
 みんなで食事 音無の葛藤

 

 

 滔々とゆりっぺによって一元的に語られるこの死後の世界の情報。だが、直後に登場するもう一人のヒロインである“天使”がその情報に誤りがある可能性を指摘する(「私は天使なんかじゃない」)。このA-1の段階で視聴者はこの物語が、ストーリーの情報範囲を階層的に制限しているタイプの物語であることに気づかねばならない。

   情報の階層

          この世界の謎=神 
             ∨
            天 使
             ∨ 
           ゆりっぺ
             ∨
             ∨  
             ∨
          音無(記憶喪失)=視聴者

 情報の範囲を制限して視聴者の好奇心や驚きを生み出す手法は、ミステリー作品などに典型的に見られる手法である。本作もそれに則って、キャラクター間に情報の格差が設定されている。
 この「死後の世界」を創造したと思しき神は(実際に登場するかどうかはわからないものの)この世界の謎について全てを知っている最上位の存在である。その神に一番近い位置にいる天使は神と同等かそれに近い情報を持っていることになる。その天使と武装対峙しているゆりは当然、天使と同程度の情報を持っているだろうと推測されるが、最初に天使に否定された通り、天使より持っている情報が少ないことがわかる。最後にこの世界に現れたばかりの音無はこの世界の情報をまったく持っていない最下位の存在ということになる。
 当然、音無はこの世界の謎を探るため「情報の探索者」、つまり「探偵」としての役割を担うことになる。記憶喪失という設定がその役割を担うことに自然な動機づけを与えている。物語についての情報を事前に持っていない視聴者は音無とまったく同じ立場にあり、音無に感情移入しやすくなっている。視聴者は音無と共にこの世界の真相を解き明かしていくことになるだろう。
 この最初に示された情報のヒエラルキーは音無の行動に目標を与えることになる。ゆりから天使へ、天使から神へと音無が接近していくことによってこの世界の謎が明らかになっていくことがわかる。この第1話の中盤でゆりへの接触を果たした音無は、終盤、早くも天使に接近することになる。だが、銃を持った音無は近づいてくる天使に発砲せざるを得ず、そして、ラストでは食券を片手に遠ざかる天使をただ見つめるしかなかった。この一連のシークェンスは、天使になかなか接触できない=真相はなかなか明らかにならないという“もどかしさ”を象徴しているのである。
 セリフ回しがいかにも説明的だという指摘はあるものの、この物語の骨格ともいえる部分の組み立て方は脚本の基本をしっかりと押さえた巧妙な作りとなっていることを認めなければならない。

 音無の行動もしっかりと因果性を踏まえて連鎖している。
 ゆりの説明を聞いた音無はその常識的な倫理観から行動を起こし天使の元へと移動する→天使に刺された音無はここが死後の世界であり、死ぬことができないことを自覚すると、むしろ、消されることを望む→SSSメンバーと合流し、天使によって消されることのリスクを知る→安全を確保するためにSSSに入隊する→いやいやながら作戦に参加する→SSSのメンバーと和やかに食事をする中で心を許しかけるが、そのSSSの馬鹿げた作戦行動を認めていいものかどうかと葛藤し、記憶を取戻したいと願う。

 最大の問題は「オペレーション・トルネード」という訳のわからない行動であろう。作戦の内容はNPCたちが集まった大食堂でライブを敢行し、熱狂するNPCの手から巨大扇風機で食券を巻き上げるというもの。その間、接近する天使を武力でもって足止めする。
 このいかにも大掛かりで馬鹿馬鹿しい作戦には当然のことながら意味がない。だが、この意味のない“蕩尽”によって彼ら/彼女らはこの世界から消えることを免れているのである。これは意識的にそういうものとして描かれていると考えていい。今の段階ではそこに何らかの象徴的な意味が隠されていると見られるからだ。“死んでいる”こと以外にはこの世界は現実世界とほとんどなんら変わるところがない。ということは、この世界が現実世界に対してなんらかの批評性を持っている可能性を否定しきれないのだ。

 唯一、このデッサンが崩れているようにしか見えないキャラクターのデザインが作品の印象を大きく損ねているように思われるが、物語の第1話としては申し分のない出来上がりだと断言してよさそうだ。この段階での批判はおそらく的を射たものではないだろう。
 この作品のいったい何が問題となっていったのか、あるいは、何が見落とされてたのか、2話以降も徹底的に分析していきたい。

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