My Growing Diary

〜松本から世界へ〜

新作ピストン(イギリス編)公開

前回作からおよそ3年ぶりとなる2012年5月に、イギリスで撮影。
撮影者である岩楯恭司が編集をしてくれ、年明けに完成。

どうぞご覧ください!

 


公開するまで2ヶ月以上の時間がかかってしまったのは、
オープニングの自分が我ながら若干キモいと感じてしまうのと、
ピストンのキレ自体が落ちてしまった等、受け入れられなかったからだ。

しかし、これが今の大原学の姿である(当時29歳)!
格好つけるものでもないのに、格好つけてどうする!!

何か感じたら、是非コメント残していってくださいね。


(参考)
ピストン東京編 2006年 
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E5%AD%A6

ピストン大阪・京都編 2009年
https://www.youtube.com/watch?v=ka1acn0mJbE

 

2万件の事件

2014年3月11日。
東日本大震災から丸三年が過ぎた。
職場の朝礼で一回、取引先で一回、今日は二回の『黙祷』を行った。

三年前の今日、午後3時前。僕は大阪にいた。
食品工場の中の面談スペースでお客さんと話していたとき、揺れた。

揺れ自体は震度としては2-3くらいと大きなものではなかったが、
横揺れの周期がとても長く、まるで船に乗っているのような感覚だった。

「P波」とか「S波」とか、中学校の理科で習ったような言葉が頭に浮かび、直感的にやばいと思った。
お客さんがテレビをつけると、震源は宮城県とのことだった。ただごとではない!

いくつかお客を回ったものの、、ソワソワして、仕事どころではない。
合間合間に関東にいる家族と連絡を取りあった。
そして、カーナビのテレビで、大津波の映像を見てしまった。信じられなかった。

【東日本大震災】国家存亡の危機180秒映像!地震津波の瞬間・原発事故!
https://www.youtube.com/watch?v=-PPE72_n48M

週末、ずっとテレビにかじりつき、何度も何度も街が流される光景を見続けていた。
たった二日なのに『PTSD』がどんなものなのか少し実感できるくらい、無気力になっていた。

「経済を盛り上げるのが、関西人の出来ること。そろそろ、飲みに行きましょー!!」

その呼びかけ。
一理あるかもしれないが、僕は全くそんな気になれず、飲みになんて行けなかった。
ただひたすら、現地(東の地域)のことを想像し、悲しみ、憤り、ソワソワしていた。

気持ち的に抑えることができなくなり、4月には石巻へボランティアに向かった。
夏には陸前高田にも行った。あのとき作った牡蠣養殖用のいかだ、活躍しているのだろうか。

最後に、ビートたけしが震災後に語ったという記事からの引用。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140311-00000000-pseven-ent

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常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。


じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。
そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。


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これを見て、はっとした。
東日本大震災は、こういうことだったのかと。。。
『想像力』は何よりも大切なこと。

改めて、心よりご冥福をお祈り申し上げたい。

丸二年、被災地と呼ばれる場所には出向いていない。
今年は、足を運ぶことにする。わかちゃん、よろしく!

スイカ割り

およそ1年ぶりのブログ更新。

「書きたい」と思ったことは何度もあったけど書けなかった。
ウジウジと考えることが多く、袋小路に入り、気づいたら30歳超えてた。 
まさにそんな感じ。

煮え切らない自分。
実はもう煮えてて、鍋の水分は蒸発し始めているんじゃないか。
よくわからん。

こんな自分(←こう表現してしまうのがよくないけど、事実) に
辛抱して付き合ってくれている人たちにほんと感謝だ。

10年前に思い描いていた30歳の自分像とは程遠いのが今の状態、、、と
書いておきながら気づいた。10年前の一時期、人生に絶望し、
大学にも行くことができなくなった、そんな時期があったじゃないかと。
それ思えば、合格点やってもいいか。

という、前置きなのか愚痴なのかよくわからない文章のあと、本題に移る。
いや、本題さえも、本題と言える程内容がないよう。

テーマは『スイカ割り』だ。
季節はすっかり秋。かなり冷え込んできて、夏なんて遠い昔の思い出のよう。
こんな時期に何故スイカ割りなのか。それは、ここ最近、ある幼少期の思い出が
私の頭の中を駆け巡っているからだ。

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おそらく小学校低学年のときのこと。
地域の子供会のイベントでスイカ割りをすることになった。
初めてのことだったし、ドキドキしながら待っていた。いよいよ自分の番となる。
目隠しをしたあと「絶対に割ってやる」と気合を入れて歩き出す。

初めは自分の感覚を信じて、真っすぐに歩く。
そしてそろそろスイカの近くかな〜と思ったところの辺りで立ち止まる。

すると、観ている人たちから「左!」と声が聞こえる。左を向く。
「もうちょっと前!」前に進む。
「もうちょっと右!」右を向く。
「行き過ぎ行き過ぎ!」「あー、左左!」「もうちょい右!!」

いろんな人のアドバイスに耳を傾けているうち、
いつの間にか自分がどこを向いているか分からなくなっていた。

微調整の末、ここだ!と思った瞬間に棒を振り抜くと、
結果的にスイカはキレイに割れ、拍手が起こった。

直後に、誰か大人からインタビューのような感じで声を掛けられた。

「どうだった?」

「みんな右とか左とか勝手にいろんなこと言って、うるさかったよ」

このやり取りの後、母親にこっぴどく叱られたことを覚えている。
「みんな自分のためを思って言ってくれているのに、その表現の仕方は良くない」と。
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こんな記憶が、僕の頭の中をよぎっている。
そして、スイカ割りの現実は、目の前に起こっている。もう、わりと長い時間、竹刀を
持ったまままわりの人の意見を聞きつつ、フラフラフラフラ。どっち向いてるかさえ掴めなくなったり。

最後は自分の『感覚』を信じて竹刀を振り抜かなきゃ、
スイカは割れないことは分かってるのにね。

今こそ母の教えを活かし、生き方についてのいろんな人のアドバイスに感謝し、
感覚を研ぎすまして自分を信じる。その上での「エイヤ」ならそれも必要なのではないか。

そんなことを秋の夜長に思うのでした。

 

Reset

3ヶ月ぶりのブログ更新!!

・今、東京都品川区に住んでいます
・東急目黒線の西小山駅と東急池上線の荏原中延駅の間あたりに住んでいます
・築41年、家賃6万円のアパートで、パソコンのキーボードを叩いています
・今日は前職(GE)の同期の一人とその奥さんと一緒に武蔵小山でちゃんこ鍋食べてきました
・明日は今所属しているNPOのサポーターズミーティングというものがあり、それに参加します

つまり、いろいろな『変化』があったのです。

9月に前の会社を辞め、16日間のお遍路を挟み、松本から東京に引っ越し。
10月から『留職』プログラムを設計・運用するNPO法人クロスフィールズに転職。
そしてちょうど1ヶ月。


これは、いわゆるリセットなのです。
(外見からみたら分断されているキャリア、まあ自分の中ではすごく繋がっているのだけれど)

慣れない仕事、人の多いTOKYOに四苦八苦することもしばしば。
同時に、今までずっと感じていた閉塞感から解放され、目の前ものすごーく大きなフィールドが広がっている。

すごく、エキサイティング

ただ一方で、感じる恐怖感。
オレは土俵に乗ってしまった。自分が勝負すべき土俵に。


東京の大学を卒業してから、大阪に4年半、長野に1年弱。

会社を辞める前に同じ職場の人と初めて本気で対峙することができた。
30人くらいから握手をもらった。松本オフィスの送別会では、数年ぶりに胴上げをしてもらった。
迷惑ばかり掛けていたと思っていた自分には、十分すぎる贈り物。

太鼓のチームからも素敵な送り出しの場を設けてもらった。半年ちょいしかいれなかったのに。


だからこそ 大原学 という人格を懸けて 生きていかなくては という心持ちで いる

人生それ自体が修業といったらそれまでだけれど、自らが修業と架している期間は終わった。
孔子が「論語」で唱えていた『三十にして立つ』という、その手前まで来てしまった。

これから大切にすべきもの、捨てるべきものもある程度明確になってきた。
あとは、やるだけ。そう、前に進むだけ。

世界は広い。自分はそのほんの少ししか知らない。
どれだけ自分がちっぽけな存在かも分かっているつもり。

そんな自分がまたネジ巻き直して、もう一度この世界と対峙する。
目の前の人間、一人ひとりと対峙する。

気合入れなおして、いけるとこまで、いってみよう!!


ということで、皆々様、改めてよろしくお願いいたします。


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夏の終わり

7月29日。夏も真っ盛りの時期だけれど、僕の中で今年の夏はすでに終わりを告げていた。

二日間の祭が終わり、メンバー との打ち上げでビールを飲み大盛り上がりしたあとの午前0時過ぎ、iphoneで音楽を聴きながら家に向かう。『若者のすべて』というフジファブリックの曲が胸に沁みた。

ああ、終わってしまった。


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初めて練習に行った日に、「夏に松本城で太鼓の祭りがある」という情報を聞いた。そのときから胸は高鳴り、その舞台に立つことはずっとずっと楽しみにしていた一つの目標だった。

仕事という制約がある中で時間をやりくりして、メンバーの丁寧な指導もあって、最終的な試験をパスしてなんとかその目標にたどり着くことができた。

一日目を終え、最後の大舞台は日が落ちてライトアップが始まる午後7時。
夏らしい30℃を超える暑さ、そして今にも夕立がありそうな怪しい雲、その中で堂々と建つ松本城。こんな情景を背に、本番の時間を待った。

控え室でみんなでリラックスしている時間にメンバーの一人の高校一年生に夏休みの英語の宿題を教えてくれと頼まれた。
「数えられる名詞と数えられない名詞、aとtheの違い」というなんともchallengingな課題を前になんだか心に火がついてしまい、熱く語り始めてしまった。その頃から僕のテンションはぐぐっと急上昇を始めていた。

お城のステージの裏に移り、入念にストレッチをする。特に大事な股関節を入念にほぐす。
イメージトレーニングをして汗を流し、出番が近付いてメンバーが集合。
円陣の声掛けは僕がさせてもらうことになった。小さな声で、心を込めて、気合を入れる。

よさこいをやっていた頃の8年前のある光景が、頭の中をずっと駆け巡っていた。
大学三年の初夏、「それ」だけのために毎日過ごして迎えた北海道でのあの巨大なステージで、ズッコケながらも全力でやりきった5分間。

勝てるのか。 

30手前の普段運動もしていない男が、体力で勝てるわけはない。でも気持ちだけは負けまいと踏ん張った。
「右手のキメと、腰をいかに低く保てるか」それだけは絶対こだわろうと思った。

いよいよ出番が来てステージにあがる直前、いつも厳しい顔のあの人が笑顔で送り出してくれた。とびきりの勇気をもらった。 

演奏が始まってからは必死になってしまい、正直お客さんの方を見たり、雰囲気を楽しむ余裕は全くなかった。
「低く、低く。」1曲目を打ち終えた時点で両太ももはプルプル震えて普通に立っていることもできなかった。 

ちゃんとできなかったという悔しさ。
爽快感。
やりきったという達成感。


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そうして、松本城太鼓祭りは幕を閉じた。
鳴桜というチームで和太鼓を始めてからちょうど7ヶ月。
ここを離れなくてはならないのは本当に辛いけれど、素晴らしい人たち、素晴らしいチームに出会えたこと、本当に感謝している。

どうもありがとう!!
次会うときはもっともっとでっかくなって帰ってくるから。


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