日記

1990年生まれ。虚実入り混じっております。

【109】もっと俺を楽しませて欲しい

最近は夜中の時間になると借家を勢い良く飛び出し、自宅近辺をお散歩するのに興じているのだが、その道中、家から一番近い公園に差し掛かるとかなりの高頻度でガラの悪そうな若者の集団に出くわすのである。
彼らのほとんどは公園の街灯が照らす薄明りでもわかるほど頭髪を金色や茶髪に染めており、なにやら缶酎ハイを飲みながら、何1つ面白くないことを叫んでは頓狂な笑い声をあげている。しかも、今年の夏とあってはどこぞかのスーパーで購入してきた安花火に火を付け、しかも振り回したりするものだから辺りには行き場をなくした煙が充満。まるで舞台演出が施されたような公園の中を私は彼らに目もくれず歩き抜けるのである。
しかしまあ、私も大人である。秩序を乱している彼らに対していちいち目くじらを立てることはしない。きっと彼らはありあまる若気の熱量をどのように発散して良いのかわからないのだろう。ただ、年長者として彼らに対して物を申せるとすれば、彼らを横一列に並ばせた状態で前に立ち、一言「もっと俺を楽しませて欲しい」と伝えたい。
公共の場にいて他人が意識を向けるような声を上げたり動きをすることは、もはや若者各人の「遊び」という範疇を超え、周囲の人間への「パフォーマンス」としての一面を持っている。そういう視点で彼らの行動を見つめると、彼らは自覚がないかもしれないが、常に人様に何かを表現しているということである。せっかく元気が有り余る若者が雁首揃えているのにも関わらず、そこから生み出した集団芸が「酒を飲んで花火を振り回す」というのは発想が乏しく、いささかお粗末である。やはり、彼らにはパフォーマーであるという自覚を持ってもらい、通行人や地域住民を楽しませることを念頭に置いて欲しい。人数も揃っているのだからやろうと思えばなんでもできるはず。
例えば、私がいつもと同じように夜中に借家を飛び出して例の公園に差し掛かった時、公園の街灯が照らす薄明りの元で彼らがマグロの解体を行っていたら私はとても歓喜するだろう。人間、不意に訪れるマグロ解体ほど興奮するものはない。
彼らは束になってメルカリで落札したマグロ包丁を手に持ちマグロの解体にチャレンジしているのだろう。しかしながら、彼らは素人。マグロをどう解体して良いかよくわからない。そのため、スマートフォンでYouTubeにあるプロの解体の動画を見ながら見様見真似でマグロを解体していく。ただ、だからと言ってあのスピードで捌けるものではない。そのうち、傍らでずっと煙草を吸っている思慮の分別が付かなそうな女がしびれを切らして
「もっとやっちゃいなよお!」
と彼らをけしかけるのだろう。
そして最終時に、慣れないながらもマグロを解体し終わった時の彼らの表情には、花火を振り回している時よりも、ありありとした充実感が浮かんでいるに違いない。私は腕を組み、目を細めながら遠巻きに彼らの様子を眺めている。
ただ、私には1つの懸念がある。それは彼らが花火の燃え殻と同じようにマグロの塊をその場に放置するのではないかということ。ちゃんと解体したマグロは公園のごみ箱に捨てて欲しいと思うが、それは求めすぎだろうか。しかしながら、翌朝、ラジオ体操を行う少年少女の前で借家を飛び出した野良猫が美味しそうにマグロを喰らっている光景は見てみたい気がする。

【108】前略、駅の中より

忙しく人々が行き来する夜の三軒茶屋駅構内でカップルと思われる男女が抱き合ったまま、バグを起こしたファミコンソフトのように動かないのであるがこれは一体どういうことなのだろうか。というのも、例えば、カップルのみならず私の視界に映るすべての人間や物体が動かない上、「ビーーーーー」という不協な音がずっと鳴り続けているとすれば、これは完全なるバグ。すぐさまカスタマーセンターに電話をして
「あの…、人生がバグっちゃったんですけど…」
と報告すれば後に新品の人生と交換してくれるかもしれないが、この場合、カップルと思われる男女のみが動かないとなるとこれはもう「バグ」というよりは、この男女が意図的に抱き合ったまま動かないと考えた方が賢明なのであり、つまり、私の人生が新しいものになることはない。がっかりである。
だが、彼らは何故抱き合ったまま動かないのだろうか。どうせ恥も外聞もないのであるから、抱き合うのもそこそこに猿のようにキスをしてみたり、耳元で愛の言葉を囁いてみたりしても良いもの。だのに、今回のように2分も3分も抱き合ったままというのは実に不思議。女の方は、彼氏の胸に顔を埋めてじっとしており、一方の男の方は彼女の頭を両腕で包み込んで彼女の頭頂部に自らのおでこを載せている。そんな2人の姿は、ポンペイ遺跡で復元された抱き合うカップルの石像によく似ている。
彼らがいつになったら動き出すのか気になってパパラッチのように状況を見つめている私であったが、そこから2分ほど過ぎた時には限界に近づいてきていた。なんだかもう彼らの姿も人間ではなく、充電を行うロボットに思えて仕方がなかった。きっと、抱き合う彼女のおでこ部分にはプラスのコンセント端子、彼氏の胸部にはマイナスのコンセント端子があり、彼らは抱き合うことによってプラス端子をマイナス端子に差し込んでいるのである。ちょうど時刻も終電近く。遊び疲れたロボットカップルが行き交う人々の中で充電体制に入っている。そう考えると、この光景がひどく美しいものに思えてきた。
充電切れから復帰したiPhoneのように彼らが動き始め、抱き合うことを止めたのはそこからまた数分後。彼らは互いに言葉を交わすと笑顔のまま、それぞれ別のホームに向かって行った。ようやく終わりをみることができた私も電車に乗って帰路を急いだ。
最寄りの駅を出てしばらく自宅を目指して歩いていると、道中、ひどく酔っぱらったサラリーマンが電信柱に頭を押し付け、ろれつの回らない様子で何事かを呟いている光景に遭遇した。私には彼もまた充電が切れたロボットに見えて仕方がなかった。
思えば、その日はまだ水曜日。ロボットのおっさんは、電信柱から電気を貰って明日を生きるのだろう。頑張って欲しい。

【107】鼻毛たちの大リーグ

「社会人たるもの身だしなみが大事」という先人たちの教えを聞いてからというもの、私は鼻毛のケアに余念がないのであるが、先日、いつものように鏡の前で余分な鼻毛を切り落としている折にふと、自らの胸中に疑問が立ち昇ってくるのを感じたのである。
「何故、彼らは刈られるとわかっていて外の世界を目指すのだろうか」
確かに考えてみれば不思議なことである。私が鼻毛の立場であれば、刈られるとわかっているのであれば外に出ることはなく、鼻腔内で読書をするなりして過ごすだろう。ただ、彼らはリスクを冒しながらもこぞって外の世界を目指してくる。果たしてそこにはどのような思い、モチベーションがあるのだろうか。私は彼らの置かれている環境について考えを巡らし、その結果、彼らの環境を大好きなプロ野球に置き換えてみることでそのことを解明しようと試みたのである。
まず、鼻腔の外はメジャーリーグ。鼻腔の中は国内リーグとしよう。鼻毛たちは普段、国内リーグで切磋琢磨している。その中で、ごく一部の優秀な鼻毛がシーズンを通して素晴らしい成績を収め、スター選手となっていく。すると、彼らは国内リーグだけでは飽き足らず、自らの力の限界を探るためにメジャーリーグの参戦を決める。その結果、鼻からはFA宣言した鼻毛たちがひょっこりと顔を出すのである。しかしながら、国内リーグで活躍できたからと言ってメジャーリーグで活躍できるとは限らない。だいたいの鼻毛は1シーズンと持たず首を切られるのであるが、それは鼻腔の外に出て早々刈り取られる鼻毛たちの姿を見るより明らかであろう。ただ、そんな厳しい世界の中でたまに野茂みたいな鼻毛がいる。野茂みたいな鼻毛は「活躍が難しい」と言われていたメジャーリーグでも飄々と生き抜き、当たり前のように試合に出続けている。たまに街を歩いていると、鼻毛が1本飛び出したまま生活している人があるが、あれこそが野茂みたいな鼻毛。その姿をよくよく見ると、アスファルトに咲く花のように可憐な存在であり、同時にパイオニアとしての逞しさを感じる。
しかしながら、そうした「成功者」としての前例を作ると思わぬ弊害を招くことになる。成功した前例を作ってしまうと、後進たちが「俺らでもやれる」と息巻いて、鼻腔の外に飛び出してくるのである。結果、私たちの鼻腔からは鼻毛が溢れてきて私たちは彼らに戦力外通告を与え続けているうちに一生を終えるのである。
つまり、これまでの話を総括すると、冒頭で述べた「何故、鼻毛は外の世界を目指すのか」という問いへの答えは、「若手の野心」となる。この答えは意外なものであり、どこか微笑ましさすらあるが、しかしだからと言って私は彼らの大リーグ挑戦を許容することはできないのである。そのため今日とて私は電動の鼻毛カッターを駆使して、メジャー挑戦を表明し、満面の笑みで入団会見を行う鼻毛たちを処理するのである。
私は鼻毛界のナベツネと呼ばれている。

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