日記

1990年生まれ。虚実入り混じっております。

【117】視野留学のススメ

先日、私は近所にある古書店に出向き、退屈な休日を紛らわす刺激的な本を探していたところ、本棚の片隅にずっと探していたエッセイ本を発見。嬉々とした表情を浮かべ、本棚からそれを取り出すと体の向きを変え、書店のレジに向けて歩を進めたのであったが、数歩進んだところで同じように本を探している中年男性が通路を塞いでいることに気付いたのである。
この店は敷地面積が狭く、通路に至っては人が行き交うスペースもあまりない。そのため、往来を人が行き来する際は片方がマグネットのように本棚の方に体を密着させてもう一方が通り過ぎていくのを待たねばならないが、中年男性は私が近づいても気付くことなくひたすらに本棚を凝視していたのである。彼の視界に私の姿は映っていないことは明らかであり、私は彼に声をかけて道を空けてもらうことも考えたがなんだかあまりにも集中していたので気が引けて声をかけられないでいた。そして、10秒ほど彼の傍らで直立していたのであるが、そのうち諦めると迂回してレジに向かった。
帰り道、私は人間の「視野」について考えを巡らせた。人間の視野は他の動物と比べて総合的な視野は広くない。一方、草食動物は身の回りの動向をすぐに察知できるように視野が広くなっており、ウサギにおいては360度の視野を実現していると言う。きっと人間も以前は視野も広かったが、環境の変化などもあり途方もない時間をかけてこのような視野に進化したのだろう。しかし、進化の過程で何故、「視野を狭くしすぎると本屋での往来が困難になる」ということに気付かなかったのだろうか。
だいたい、本を探していた中年男性もお店が「ブックオフ 上野広小路店」だったから良かったものの、もしもこれが「ブックオフ アフリカサバンナ店」であればえらいことである。サバンナ店ではいつもの陽気なBGMが流れる店内にお腹を空かしたライオンやチーターが自動ドアを開けて入って来る。中年男性は自らの琴線に触れる本を探すのに集中するあまり、獰猛な肉食動物の接近に気付かず命を落とすだろう。サバンナ店では、本を探しつつもパックマンのように敵から逃げ惑うのが吉。
人間はいつしか野性の感覚を忘れてしまったのかもしれない。そう思うと、もういっそのこと視野を広げるために複数の人間をサバンナに留学させては如何だろうか。言うならば「視野留学」。生きるか死ぬかのサバイバル的状況に身を置かれた人間が常に周りに気を配りながら視野を広げていくもの。参加者にはあの中年男性も含まれる。彼らは視野留学のことなど何も知らされぬまま飛行機でアフリカに向かい、サバンナのど真ん中で車を降ろされる。そして車はエンジン音と共に去って行き、彼らの視野留学1日目が始まるのである。

そこから3年後。私が再びブックオフ上野広小路店で本を探していると、なにやら気配を察知。横を見るとなんとあの中年男性の姿があるではないか。話しかけようとしたが、彼の顔色は悪く、瞳孔は開き、小声で何事かを呟いている。私は怯えた表情でマグネットのように本棚へ体を密着させて彼が過ぎ去るのを待った。額からは嫌な汗が噴き出している。

【116】木綿の

街中を歩いていればそこかしこにラーメン屋の広告を見つける。それらの広告をよくよく見てみると、決まって構図は頭にタオルを巻いた店主らしき男性が胸の前で腕を組みながらこちらに睨みを利かせているものばかりなのである。正直、こちらとすれば何もしていないのにも関わらず、何故睨まれているのかもわからず困惑してしまうのであるが、そもそも日常生活を送る上であそこまで高い位置で腕を組むことがあるだろうか。彼らは私たちのことを怒っていると推測されるが、ラーメン屋の店主を怒らすようなことは何一つしていない。とすれば何故、彼らは腕を組んで我々に睨みを利かせているのだろうか。私は彼らの気持ちを汲み取るために、帰宅するとすぐにインターネットを立ち上げて、検索窓に「腕を組む 精神状態」と調べてみたのである。
すると、以下のような結果がでてきた。肩を怒らせて高い位置で腕を組む人は、相手を威嚇する意図があり、腕を組むことで自らを大きく見せて他者よりも優位に立とうとしている現れだそうだ。つまり、ラーメン屋の店主は我々を威嚇しているということになる。何故、彼らがそこまで攻撃的なのかはわからない。ただ、できることなら私はポスターの中にいる彼らに優しい表情を浮かべながら近づき、私たちは仲間っぽい存在であり、今度、気が向いたらお店にも行く旨も伝えたいのだが、見るからに頑固そうな彼らは聞く耳を持たなそうだ。彼らは人を見下したような目で虚勢を張っている。私はため息を吐く。東京が彼を変えてしまったのかもしれない。
思うに、彼は地方の出身者だろう。彼女もいてそれなりに楽しい日々を過ごしていた折、どうしても美味しいラーメンを作る夢を諦めきれずに彼女を地元に残したまま上京。そして東京でラーメン屋の店員として下積み生活を続けることになるのだが、優しかった彼は彼女との文通は欠かさず行っていたのだろう。文通は、彼が東京に行くところから始まり、初期の頃には「華やいだ街できみに会うプレゼントを探すつもりだ」などと、やや浮かれているような文言も目立っていた。ただ彼女は初めから彼が都会の絵の具に染まってしまうことを危惧していたのである。彼は笑いながらそんなことはないと否定するが、後にその不安は現実のものになる。彼はラーメン屋での修行の後に独立。自らのお店を開くことになると、彼の作る独創的な味はラーメン通を唸らせ、瞬く間に人気店となった。行列が絶えず、お金もたくさん稼ぐことができた。そして、高級車を乗り回す日々の中で彼は得意満面で彼女に手紙を書くのである。
「最高にサグなホームページができたんだ。よく見てくれ」
手紙を受け取った彼女は書かれているURLを打ち込んでホームページを見てみると、深い紫色の壁紙に不釣り合いな赤い文字で、
「宇宙の力。最高のパウダー」
という言葉が書かれていた。そして、明らかに初心者がコラージュしたであろう店のラーメンの写真が壁紙の上で高速で回転している中、あんなに優しかった彼氏が頭にタオルを巻いて胸の前で腕を組みながらこちらに睨みを利かせているのである。彼女は涙を浮かべながら返信を書く。
「いいえ草に寝転ぶあなたが好きだったの…。」

休日に街を歩けば、また例の広告を見つけた。相も変わらず彼らは腕を組みながらこちらに睨みを利かせていた。そして、広告の前に立って都会の絵の具に染まり切った彼の姿を寂しそうに見ていると、ふと脳裏に草に寝転ぶ彼の姿が浮かんだのである。その姿はとても幸せそうで今とは真逆の姿であった。そうした変わり果てた彼の姿は私の胸をひどく震わし、彼女の気持ちを思うと涙がこぼれそうであった。涙を流しながらラーメン屋の広告を見ている青年。そんなこと、恥ずかしいことこの上ない。私は手持ちのバッグを急いで漁ったが、こういう時に限ってティッシュすらも持ち合わせていない。私は、ちゃっ、と舌打ちするとこんなことを思った。
ああ、こんな時、涙を拭く木綿のハンカチーフがあったなら…。

【115】喫茶店

私は幼少期の頃より、喫茶店でコーヒーを飲みながら読書に耽る大人に憧れを抱いていた。彼らの姿からは大人の余裕がむんむんに溢れ出ており、幼少期の頃から「落ち着きがない」と通信簿に書かれ続けた私からすれば異世界の人間。自らが大人になった際には絶対にお洒落な服を着て、お洒落な喫茶店に入り浸って、窓の外を行き来する都会の喧騒を喫茶店の中からコーヒーの煙越しに眺めてやると心に強く誓ったのである。そうして、私はその夢を大人になるまで強く持ち続けていたのであるが、なかなかその実現には至らないでいた。
まず、そもそも私はコーヒーが飲めなかった。体質的なものだろうか。コーヒーを飲むときまって気分が悪くなるのである。高校2年生の夏、コーヒーが苦手であることに気付いた私は大いに落胆し、地元の川べりを無我夢中で走った。涙が止まらず、滲む景色の中をただただ進んでいた私はそのうち走りつかれて草っぱらに仰向けで倒れ込むと、上空からはぽつぽつと雨が降り出して私の顔を濡らした。もうどうにでもなってしまえ。自暴自棄になって薄ら笑いを浮かべていると、傘を差したマリーアントワネットが私の顔を覗き込んでこう言ったのである。
「コーヒーが飲めないならオレンジジュースを飲めば良いじゃない」
目から鱗がこぼれそうだった。私は立ち上がると家に向かって走り出した。17時前には家に着いた。その日の夜ご飯はハンバーグだった。
大学生になって私は喫茶店に行き始めた。オレンジジュースを傍らに置いたまま大学の書店で買った本を広げ、読み込もうとするのであるが、これがどうにも落ち着かないのである。というのも、私はひどく自意識の強い人間で、私がダラダラと本を読んでいる間に店内がお客でいっぱいになって順番待ちの客が私に向かって舌打ちをしていたらどうしようと考えてしまう。そのため、私は本を読んでいる最中にチラチラと店の入り口や店内の込み具合を確認してしまってこれがちくとも心が休まる暇がない。更には、そもそも、ドリンク数杯を飲む程度で何時間も居座ろうとする私の存在がひどく小者に思えてきて、マスターに申し訳のない気がしてしまうという致命的なメンタルによって、結局、冷や汗を流しながら家に帰って濃いめのカルピスを一気飲みするのである。
何故、私は喫茶店で落ち着いて本を読むことができないのか。それはきっと他者に対する気遣いを捨てきれないからだろう。具体例を挙げると、店が満席になっていないか気になってしまうのは店に来る客が待ち時間なく着席できるようにする配慮であるし、ドリンク数杯しか頼まない自分が恥ずかしくなるのは喫茶店経営のためには客単価を高くして回転率を上げなければならないことを知っているからである。こうした優しさは私のチャームポイントの1つであるが、こうした優しさによって夢の実現が阻害されるのであれば本末転倒。そもそも、優しくしたところで別にモテる訳ではないのであるから、私は自らの夢の実現のために一切の思いやりを排除することに決めたのである。そして、私は先日逃げ帰った喫茶店に再び出向き、堂々とした素振りで席に座った。例の如く、オレンジジュースを頼むと持ってきたハードカバーの本を取り出し読み始めた。他の客もマスターも店員も別にもう関係のない他者なのだから私は何も思わないことにすると、面白いように集中することができた。周りの雑音が一切耳に入らず、適宜、オレンジジュースを飲みながら本を読む。傍から見るとあの頃憧れた大人の姿に近づいて見えたことだろう。そして、数時間が経った頃、大長編のハードカバー本を読み終えることができた私は大きな達成感を抱いていた。軽く息を吐いて周りを見渡すと誰もいなかった。喫茶店もなかった。あるのは荒廃した大地に自らの占拠するテーブルだけ。テーブル上にある伝票に目を通すと、780円であった。
風が強く吹いて乾いた土を巻き上げている。見たこともない鳥が私の頭上を飛び回り奇声を発している。私は辺りを見渡しながら不安げに歩を進める。レジを探す旅が始まった。

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