日記

1990年生まれ。虚実入り混じっております。

【107】鼻毛たちの大リーグ

「社会人たるもの身だしなみが大事」という先人たちの教えを聞いてからというもの、私は鼻毛のケアに余念がないのであるが、先日、いつものように鏡の前で余分な鼻毛を切り落としている折にふと、自らの胸中に疑問が立ち昇ってくるのを感じたのである。
「何故、彼らは刈られるとわかっていて外の世界を目指すのだろうか」
確かに考えてみれば不思議なことである。私が鼻毛の立場であれば、刈られるとわかっているのであれば外に出ることはなく、鼻腔内で読書をするなりして過ごすだろう。ただ、彼らはリスクを冒しながらもこぞって外の世界を目指してくる。果たしてそこにはどのような思い、モチベーションがあるのだろうか。私は彼らの置かれている環境について考えを巡らし、その結果、彼らの環境を大好きなプロ野球に置き換えてみることでそのことを解明しようと試みたのである。
まず、鼻腔の外はメジャーリーグ。鼻腔の中は国内リーグとしよう。鼻毛たちは普段、国内リーグで切磋琢磨している。その中で、ごく一部の優秀な鼻毛がシーズンを通して素晴らしい成績を収め、スター選手となっていく。すると、彼らは国内リーグだけでは飽き足らず、自らの力の限界を探るためにメジャーリーグの参戦を決める。その結果、鼻からはFA宣言した鼻毛たちがひょっこりと顔を出すのである。しかしながら、国内リーグで活躍できたからと言ってメジャーリーグで活躍できるとは限らない。だいたいの鼻毛は1シーズンと持たず首を切られるのであるが、それは鼻腔の外に出て早々刈り取られる鼻毛たちの姿を見るより明らかであろう。ただ、そんな厳しい世界の中でたまに野茂みたいな鼻毛がいる。野茂みたいな鼻毛は「活躍が難しい」と言われていたメジャーリーグでも飄々と生き抜き、当たり前のように試合に出続けている。たまに街を歩いていると、鼻毛が1本飛び出したまま生活している人があるが、あれこそが野茂みたいな鼻毛。その姿をよくよく見ると、アスファルトに咲く花のように可憐な存在であり、同時にパイオニアとしての逞しさを感じる。
しかしながら、そうした「成功者」としての前例を作ると思わぬ弊害を招くことになる。成功した前例を作ってしまうと、後進たちが「俺らでもやれる」と息巻いて、鼻腔の外に飛び出してくるのである。結果、私たちの鼻腔からは鼻毛が溢れてきて私たちは彼らに戦力外通告を与え続けているうちに一生を終えるのである。
つまり、これまでの話を総括すると、冒頭で述べた「何故、鼻毛は外の世界を目指すのか」という問いへの答えは、「若手の野心」となる。この答えは意外なものであり、どこか微笑ましさすらあるが、しかしだからと言って私は彼らの大リーグ挑戦を許容することはできないのである。そのため今日とて私は電動の鼻毛カッターを駆使して、メジャー挑戦を表明し、満面の笑みで入団会見を行う鼻毛たちを処理するのである。
私は鼻毛界のナベツネと呼ばれている。

【106】ムーミンがやって来る

最近、私は素敵な帽子を欲しいと思っていた。
始めの方こそぼんやりと思う程度であったが、帽子を買いたい気持ちは日を増すごとに強大になり、ついに臨界点を迎えた。そしてこの間の日曜日、ついぞ私は交際者を引き連れて都内でも有数の商業施設に出向いたのである。
商業施設の敷地内はやはり休日ということもあって、様々な家族連れ、カップルがひしめき、往来を行くのも大変な様相。私たちは人混みを避けながら目当ての帽子屋さんを目指していたのだが、その道中、商業施設の中心にある広場らしき所でなにやら人々が集まっているのを確認したのである。その光景を目の当たりにして、何をやっているのかしらん、と気になった私たちは人だかりの方へ歩を進めた。人々の先には、簡易的なステージが設けられており、そこには看板のみが立っていた。
15:00~ ムーミン谷からムーミンがやって来る!」
看板には以上のことが元気良く書かれており、時計を見て現在の時間を調べれば午後の255分。あと5分ほどでそのイベントが始まることになる。私は交際者の方を向き、顔色を窺うと彼女は「面白そうだから見てみよう」と言ったので、私たちはその場に留まり、イベントが始まるのを待った。時間が経つごとにステージ周りに家族連れがこぞって押し寄せ、ムーミンがやって来るのを心待ちにしている少年少女らが「ムーミン!ムーミン!」などと叫びながらぴょんぴょん飛び跳ねるなりしていた。
私はそんな少年少女たちの姿を微笑ましく見ていたが、そのうち非常に不思議なことであるが、私の胸中に徐々に靄がかかっていくのを感じたのである。なぜなのか。私は訝しながらその不安の根源を探ってみると理由は以下のことであることが判明した。
「本当にムーミン谷からムーミンがやって来たらどうしよう」
もちろん、こういったイベントの場合、「ムーミンがやって来る」と銘打っていても実際はムーミンの形をした着ぐるみが舞台袖から姿を現すのがオチである。とは言え、この看板を見る限り、やってくるムーミンが着ぐるみであることの明言はない。つまりは、本当にムーミンがムーミン谷からやって来る可能性もないとは言い切れないのであり、その時に私たちはどうしたら良いのか急に不安になったのである。
そもそも私はムーミンのことをよく知らない。概ね色白の中肉中背であったと記憶しているが、知っているのはそれくらいのことであり、例えばムーミンが食物連鎖でどこに位置付けているのか、はたまたどんな病気を持っているかもわからない。噛まれたら一大事。私は交際者の手を引き、少し後ずさりをするとステージから距離を置いた。
そうして私は、今回、ムーミン来日が実現するに至った経緯に思いを馳せたのである。まず、ムーミンが国境を跨いで日本に来てくれた現状を考えると、ムーミン谷と私たちの住む日本との間に国交があるということだろう。仮にもしも、国交がないのにも関わらず、今日この場にムーミンがいるのだとすれば、そのムーミンは亡命してきた可能性が高い。亡命してきたムーミン。迎え入れる私たちはどのような顔を浮かべれば良いのだろうか。というか、ワシントン条約の中にムーミンは入っていないのか。考えれば考えるほど混乱してきた。
私の不安をよそに周りの人達は目を爛々に輝かせてムーミンの登場を今か今かと待っている。そうして観客の熱気がピークに達したその時、午後3時はやって来た。ステージの横から司会のお姉さんが出てくると、挨拶もそこそこにオーディエンスに対して言葉を投げ掛けた。
「さあ、今日はみんなに会いにムーミンがムーミン谷から来てくれました。早速、みんなで呼んでみましょう。せーの。ムーミン!」
お姉さんの異常なテンションの呼びかけを合図にして胡散臭そうなおっさんが、滑車の付いた机を運んできた。その机の上には透明のアクリルの箱があり、その中には黒ずんだ骨が数本あった。まさかと思った。おっさんは、滑車を止めると私たちの方を向き、
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。この箱の中にある骨、これこそが世にも珍しいムーミンの骨でござい!」
と叫び、休日の商業施設は急に昭和の見世物小屋の雰囲気に包まれた。ただ、大人たちは一切呼応することなくただただ息を飲み、先ほど「ムーミン!ムーミン!」と叫び、飛び跳ねていた子供たちは骨を見つめたまま硬直していた。ただそれでも司会のお姉さんは笑顔を絶やさず、
「これからは触れ合いタイムになります。写真を撮りたい方はどうぞステージの方へ」
と言ったのだが、やはり誰一人その場を動かず、一言も発しなかった。
当然、私と交際者も唐突にムーミンの遺骨を見せられて胸の中がざわざわするのを感じていた。果たして本当にこの遺骨がムーミンのものであるのか。そんなことはもはやどうでも良かった。私と交際者は言葉を交わすことなく、そっとその場を離れた。結局、その日は帽子を買う気にならず、せっかくだからと言って近くの飲食店に晩御飯を食べにいったのだが、2人とも食事がうまく喉を通らなかった。

【105】For The Team

私は暇さえあればテレビにて野球観戦に興じることが好きなのであるが、プロ、アマチュア問わず試合の中でたまらなく好きな瞬間というものがある。それは相手ピッチャーの代わり端、先頭打者として対戦した打者が三振に倒れ、ベンチに戻る際、ネクストバッターサークルにいる次打者に対してピッチャーの情報を一言二言告げるあの場面。そして、次打者はそのアドバイスを頷きながら聞き、悠然と打席に入るのであるが、私はそのやり取りの中に、自らは三振を喫したが、そこで学んだ経験をチームメイトに伝えてチームとして最善な結果をもたらそうとする「チーム感」を感じてなんだかグッとくるのである。
私はこうした場面を見るたび、憧れにも似た感情が胸を覆い、私もこうした「チーム感」を感じて日々を過ごしたいと思うのであるが、ここは血も涙もないコンクリートジャングル東京。街を行き交う人は他者の存在など意に介さずそそくさとその場を後にするのである。しかしながら、もしも彼らに「チーム感」という概念が根付き、それを発揮することができたのならこの世の中はもっと過ごしやすくなるに違いない。私はそう思うのである。
例えば、外食でラーメンを食べに行った際、これから入店しようとしている私に対して退店してきたばかりの具合の悪そうな人がこう言う。
「ここの大盛りめっちゃ多いよ」
私はそのアドバイスを頷きながら聞き、お店に入る。結果、彼のアドバイスのおかげで私は大盛りを回避。美味しいものを食べたという素敵な思い出を保持したまま日々を生きることができる。
それだけじゃない。便意を催して個室が空くのを待っているとトイレの個室から出てきた人がお尻を手で押さえながらこう言う。
「ここのウォシュレット、めっちゃ強いよ」
私はそのアドバイスを頷きながら聞き、トイレに入る。結果、彼のアドバイスのおかげで肛門を保護。健康で快活な毎日を生きることができる。
このようにチーム感ある世の中では、私が何かしらの物事に取り掛かろうとする度、その場を経験したことのある人が親切に教訓を授けてくれるのである。
「この宣伝写真は嘘だよ」
「あの3番レジ、めっちゃ遅いよ」
「ここのエレベーター、各階で止まるよ」
私はそうしたアドバイスを基に生きていく。すると、これまで防ぎようのなかった失敗を防ぐことができ、つまりは極めて有意義な人生を過ごすことができる。そして更にチーム感を増した世の中はとどまることを知らず、私にもっと有益なアドバイスを授けてくれる。
「この商品を友達に紹介するだけでお金が貯まるよ」
「この特別な水を飲むと痩せるよ」
「この神様にお布施をするとね…」
そうそう。このチーム感だよ。チーム感。やっぱり良い情報はみんなで共有しなくては。私は高笑いをしながら彼らの言うことを遂行。そして数ヶ月後、私は破産しており、やはり他人など信用すべきじゃなかったと人生のどん底に叩き落される。そう、忘れていた。ここは血も涙もないコンクリートジャングル東京。私は部屋で1人涙を流す。

  • ライブドアブログ