先日、会食中に友人が勿体ぶった口調で悩みを吐露したのであった。
それは友人の住むアパートでの話。最近、友人の隣に住む住民が、友人宅から何か物音が聞こえる度に部屋の仕切りである壁をドンドン鳴らしてくるのだと言う。その鳴らす音は凄まじく、友人が言うには壁を足で蹴っているのではないかとのこと。しかしながら、友人としてはそれほど騒音を鳴らしているつもりはなく、通常の生活音レベルしか発していないのにも関わらずそのような仕打ちをしてくるのは許せない。むかつく。と言っていた。
確かに理不尽な話である。そして、怒りを感じるのもわかる。少しばかりの物音がするだけでそれほど強く仕切りの壁を叩いたり蹴ったりするのは、傍から見ても明らかな異常者。なんとも物騒な話であり、友人は今後注意を払った方が良いと思うが、私にはそもそも何故隣人がそれほどまでに壁を叩くのか気になっていた。そしてしばらくそのことを考えていた折、私の脳裏にある1つの仮説がよぎったのである。私は神妙な顔で友人にこう話した。
「隣人はあなたのことを母親だと思っているのかもしれない」
つまりどういうことかと言うと、胎児が母親の胎内で成長していくにつれ、内側からお腹を叩いたり蹴ったりする「胎動」と呼ばれる現象がある。それと今回の隣人の行動と照らし合わせるととてもそっくりに思えるのである。つまり、胎内から胎外に向けてお腹を蹴る行為が、隣人宅から友人宅に向けて壁を蹴る行為とオーバーラップされるということ。試しに、友人に対して隣人の姿を見たことがあるのかと問うたが、友人は「ない」との返答であった。もしかしたら…、私の推理が正しければ、友人の隣に住む人は「胎児」である可能性が高い。
友人はキョトンとしながらその話を聞いていた。無理もないだろう。私は明らかにふざけていた。ただ、友人が隣人の姿を見たことがない以上、この仮説はまだ棄却されるものではない。もしも、隣人が胎児であった場合、その行動の意図も大きく変わってくる。例えば、仮に友人の隣人が単なる異常者であれば、壁を叩くことは騒音への暴力的なリアクションであるが、隣人が胎児の場合、それは「生存の証明」である。そのため、友人としても壁の向こうから音が聞こえてきた時には、その音に対して、ちゃっ、と舌打ちをするのではなく、「わあ、蹴った!」と明るく言いながら、お腹をさするお母さんのように壁をスリスリとさすってみたり、壁に耳を当てて「わあ、動いてる」と言うのが正解ということになる。
そしてそのような生活を続けていると、いつか隣人が友人宅の呼び鈴を鳴らす日がくるだろう。その時、友人は隣人の姿を確認するや否や「生まれてきてくれてありがとう」と言ってきつく隣人を抱きしめるのである。隣人が生まれる日。それはとても素敵なことのように思う。そしてその日が来るまでは「胎教」と称して隣人に聞こえるように大音量でクラシック音楽を流すと良いだろう。
結局、その日は深酒をしてしまい、友人宅に泊まらせてもらうことになった。電車を乗り継ぎ最寄駅から5分ほど歩くと友人の住むアパートがある。友人の部屋はアパートの二階であるから階段を昇って二階の廊下を歩いていると、その道中に例の隣人の部屋を見つけたのである。驚くべきことに、隣人の部屋からは水が漏れ出しており、それが廊下をびしゃびしゃに濡らしていた。
「破水している…」
私たちは戦慄したのであるが、よくよく見るとそれは隣人宅のエアコン室外機の管から水が流れ出ているだけだった。