日記

1990年生まれ。虚実入り混じっております。

2014年04月

【40】腹部にデッドボール

雲ひとつない青空。透き通るような空気。
さんさんと照る太陽の下で僕は真っ白なユニフォームをふりふりに反射させながらバッターボックスに向かう。ボックスに入る前に、立ち止まり、審判、キャッチャー、ピッチャーに挨拶をする。みんな、笑顔で返してくれる。そして、足場を整え、両手で持つバットを思いっきり高く掲げてボールを待つ僕を小春日和の暖かい陽気が包むこと包むこと。もう、なんと気持ちの良い陽気なのでしょう。この気候に包まれていると日々の喧騒、いざこざ、ストレスなんてものは洗い流され、清らかな気持ちが蘇ってくる。昨今では、この日本においても様々な差別が横行しているらしいけど、バカらしく思える。あらゆる人種、政治、宗教、贔屓の野球チームであろうと関係ない。僕たちはこの同じ空の下で多大な喜びを分かち合う同志ではないか。そんなことを実感する。ここにいるピッチャーも、キャッチャーも、審判さんも、みーんな友達。またの名をフレンズ。ね。だから、いがみ合うことはやめよう。争いをなくそう。そして、争いがなくなって、時間が余ったらみんなであらゆるものに感謝したら良い。それがいい。みんな、感謝する準備はできたかい。なんてアリーナ席を埋め尽くす君たちに問いかけるステージ上の僕。せーの。の合図で始まる大合唱。「ありがとう、大地」「ありがとう、フレンド達」「ありがとう自分自身」・・・
そんな幸福な気分を抱きながら、僕、腹部にデッドボールを頂いた訳です。鈍い音と共にバッターボックス前に転がるボール。そして、少し後から遅れて来る痛みによって僕は現実に引き戻されました。突然の裏切りに呆然と立ち尽してピッチャーを見上げると、ピッチャーは、やってしまった。みたいな顔して帽子を取って頭を下げている。あたりは静寂に包まれ、電線の上で仲良く連れ添って野球観戦していた小鳥たちが一斉に羽ばたいていく。
僕は、帽子を取って小さくなって何度も謝るピッチャーの姿を見て、絶対に許さない。と思った。こんなにも平和を愛している僕にボールをぶつけるなんてことは明らかに反逆の意があるのであり、これは僕の崇高な精神世界をぶち壊すようなデッドボール。宣戦布告。
頭の中でけたたましく警報が響き、無数の脳細胞たちは「敵だ。銃を取れ。鬼畜米英の御出座しだ」と声をあげて、きんきんに尖ったアドレナリンを手に取り構えた。気付くと僕はヘルメットを地面に叩き付け、バットを持ちながら、ピッチャーに向かって駆け出していた。土埃舞うグラウンド。走りながら僕、遠いあの日の記憶を思い出していた。
あの頃、僕は高校一年生、そして高校球児だった。真夏。頭を丸刈りにし、泥だらけのユニフォームであちこち走り回っていた僕は日々の練習、先輩からの理不尽などによって心身ともに憔悴しきっていた。ていうか、「明るく上下関係のない素敵な部活です。坊主にもしなくて良いです」というコンビニバイトに似た誘い文句につられて入ったのに、入部2日目には「頭丸めてこい」と言われ、上下関係もばりばりだったことに今一つ納得できていなかった。試合にも全然出られないし、日々、めんどくさい雑用ばかりやらされて、こんなはずではなかったという思いから近いうちに辞めようと思っていた。
そんな中、とある練習試合に代打として試合に出してもらえる運びになった。もう辞めようと思っていた自分にとって、これが高校最初で最後の打席になることはなんとなく予想が付いた。だから、いつもはバットを短く持ち、コンパクトにスイングするのだけど、この日ばかりはバットを一番長く持って三振でも良いから悔いのないように思いっきり振ってやろうと思い、素振りを何度も何度も繰り返して入ったバッターボックス。相手ピッチャーはなんだが緊張気味で落ち着きがない。「これなら打てる」意気揚々とバットを構えた僕に投げ込まれた、頭部デッドボール。
すこーん、とヘルメットにすっぽ抜けのカーブを当てられた。僕は多少よろめきつつも、バットを置いて一塁に向おうとしたが、監督やチームメイトは「やめろやめろ」と止めた。監督は慌てて交代を宣言。他の一年生がベンチから飛び出して、僕の代わりに一塁に向かった。僕はその同期を真夏の蜃気楼越しに眺めていた。
それが僕の高校野球人生、最後の打席となった。
別に野球部を辞めたことに関して悔いはなかった。むしろ、解放されて嬉しくてしょうがなかった。そして、野球部を辞めた僕に残ったものは「高校通算出塁率10割」の実績。これは、あのイチローであっても達成できなかった大記録である。僕は鼻高々で、それからというもの、高校通算出塁率を振りかざして生きてきた。
高校の授業へは遅刻を繰り返すようになり、授業中もゲームばかりしてまるで聞かないようになった。しかし、教員たちは僕の横暴について何も注意することはなかった。余計なことを言うと、出塁される。という恐怖感で一杯だったのだろう。情けない大人たちだ。しかしまあ、楯突くようなことをしたら、僕は問答無用で出塁するけどね。
という訳で僕はもう天狗になっていた。クラスの中で気弱そうな奴を見つけては、「おい、パン買って来い」とパシリに遣わした。彼らは僕を怒らせると出塁されることを知っているから、何も言えない。そして、パンを買いに行かせ、彼らが息を切らしながら帰ってくると、「遅えよ。お前、出塁されてえのか」と意地悪く凄んで見せる。すると、誰しも口を揃えて「しゅ、出塁しないでください・・・」とか言いやがる。あはは。楽しくてしょうがない。
でも、そんな僕に1つの挫折。「高校通算出塁率10割」なのだから当然呼ばれるものと考えていたドラフト会議で名前が挙がらなかったのである。僕は唖然とし、テレビの前で悔し涙を流した。田舎に帰れば、甥から「出塁のお兄ちゃん」と呼ばれていたほどの出塁の鬼である自分がプロにいけないなんて。
それからは、普通に進学。誰にも出塁率の話はしなかったし、野球の試合もしなかった。しかし、人生最後の打席が頭部デッドボールというのも嫌だな。という思いから会社の草野球に参加してみたのだった。そんな決別の意味も込めて立った今回の打席だったのに、腹部にデッドボール。怒りにも呆れにも似た気持ちが溢れ、自身がデッドボールから逃れられない。デッドボールを避けれない数奇な人生なのだということを知った。
もうどうにでもなれ。不敵な笑顔を浮かべて、僕はピッチャーに向かって走る。

【39】ギブミー鎮魂歌

今日は休日、街に出て、お気に入りの音楽聴きながら、ふらふらふーらり歩いていたのですよ。シンプルながらも最高の休日。俺、多幸感に包まれながら、次は何の曲を聴こうかしらん、とiPodをちゃらちゃらいじってた。そしたら、以前、自分が作った「Drive Music」というプレイリストを見つけたんですよ。そんで、俺、ごっつ懐かしい気分になって、プレイリストの再生ボタンを押したらば、このプレイリストを作った時の、あの甘酸っぱい青春の日々が怒涛の如くフラッシュバックしてきたのです。
あの時の思い出。ぶどう狩り。大学ゼミの同期と後輩と。車乗り込んで山梨まで向かったんですよ。その旅行の前日、一緒に行く友達から「車内で流す音楽は任したぞ」とか言われて、俺、浮かれてました。家に帰ると早速、プレイリストを作成すべくiTunesを開いた俺の眼差し。まるで、人間国宝が放つギラギラしたそれ。
まず、どんなプレイリストが良いのかを考えました。まあ、音楽って言っても色んなジャンルがあるけども、やはりそこらへんの取捨選択は必要ですよね。例えば、バラードなんてのはね、ダメダメ。話にならないよ。せっかくこう盛り上げてこうってのにね、そんな意気消沈する曲入れるなんて考えられないじゃないですか。したらまあ、みんなが盛り上がりそうなアップビートばかり詰めれば良いのだろうけど、それもなんか芸がない。っていう経緯で結局は、王道。ポップスを詰めていく方向で決定。
で、まあ自称音楽好きとしては、いかにもな世代的ヒットソングを詰めるだけのプレイリストでは物足りないっていうか、そこに自分なりの個性を入れたいと思う訳ですよ。つまりはみんなの知らない曲を詰めていくことになるんですけど、でもさ、こういう旅行でさ、「あ、この曲知らないけど良い曲」なんて思うことができたら、旅行にも花を添えると思うの。ね、そしたらみんなも幸せ、俺も幸せ。素敵な思い出。
そうして、俺、天候、移動時間、経路、みんなの家庭環境、大統領選の行方、そんなものを加味しながら曲選をし、曲順とか考えてたら結局、夜通し。全38曲。自らの音楽知識、センスのすべてをきゅうきゅうに詰めて持って行った。でもね、すごい満足の行く出来。俺、プレイリストに並ぶ曲名眺めて死んでも良いと思ったね。戒名にしたいと思ったくらい。
そして、当日。すし詰めよろしく車にどんどこ人が乗り込み、ドライブがスタート。助手席に座った俺、iPodを繋ぎ、意気揚々とプレイリストの再生ボタンを押した。そして、しばらく聞き入っていたのだが後ろにいる人々が寒々した口調で「この曲知らない」と言った。すると、俺に音楽を任した友達が「ちょっと代えるね」と言って無造作に俺のiPodを引き抜き、自身のiPodを繋ぐと、みんなが知ってる世代的ヒットソングをかけた。
夜通しかけて仕上げた38曲のプレイリストの一曲目で打ち切りだなんて呆然とするより他ないですよ。心の中のざわざわを感じ、消沈していると唐突に、ぱん、と破裂音が聞こえ、プレイリストに幽閉されていた曲たちが車内にはじけ飛んだ。空気に触れた曲たちはみるみるうちに腐敗してって、腐臭を車内に漂わすだけでなく、フロントガラスにこびり付き、前が見えない。助手席にいて俺、前が見えない。光が閉ざされ、周りが真っ暗になる。寒い。身震いが止まらない。
それでも、車内にはみんなが知ってるヒット曲とともに、わあわあきゃあきゃあ楽しそうな声聞こえて来るので、どうやら闇に包まれているのは自分だけであることに気付く。
俺、悲しい顔を浮かべながらフロントガラスにこびり付くプレイリストの残骸、地縛霊を手で取り除いて窓から捨てた。そして、車内に流れる曲とは関係なしに、中央道に入ってから流れるはずだった「中央フリーウェイ」を一人、口ずさみながら、「バラードが聴きてえ」と思っていたのです。

【38】今日の戯言。

豚野郎、街に溢れる。
脱走した飼い犬のように、首輪を首から垂れ下げ、うつろな目、不安定な足取りで公園、校庭、オフィス街を練り歩く彼らは誰に話しかけるでもなく、ぶつぶつと「誰か俺を口汚く罵ってくれ」と呟いている。
彼らは誰かと目が合うたびに、近づいてくるものだから、彼らの姿を見たものは決まって顔を強張らせ、いそいそとその場を離れていく。豚野郎は寂しそうに、走り去る人々を見送ってまた当てもなく歩き続けるのである。
何故、豚野郎が街に溢れるようになったのだろうか。
それは、彼らは「豚野郎」に代わる新しい罵られ方を探しているからである。そもそも、「この薄汚い豚野郎」が生まれたのは、90年初頭。日本がまだバブルで浮かれていた頃の話である。その、人間を家畜に例えるという常軌を逸した手法は非常にセンセーショナルであり、日本のみならず海外からも高く評価された(Butayaroは世界共通語である)。そして、その大きなムーブメントの中で、多くの「豚野郎」を生まれ、日本は豚野郎大国の名を欲しいままにしたのだった。しかし、人間とは因果なもので、「豚野郎」、「豚野郎」と罵られて初めのうちは喜んでいたものの、段々と慣れてしまい、しまいには「豚野郎」と呼ばれても何とも思わなくなってしまった。つまり、彼らは見事なまでに飼い慣らされてしまったのである。
彼らの異常に湧き上がる性的欲求を満足させるためには、「豚野郎」に代わる新たな蔑称が必要なのだが、それがなかなか決まらない。例えば、豚に倣って様々な動物を当てはめ、キツネ野郎、タヌキ野郎などと呼んでみてもやはりインパクトに欠けるのであって、彼らの性的興奮を呼び起こすことはできない。
そんなこんなで新しい蔑称をあれこれ考えているうちに、フラストレーションが溜まり、業を煮やした豚野郎どもは街に溢れだし、自ら性的欲求を充足させる言葉を求めてさまよい歩くようになった。しかも、前述のように、街中をただふらふらと歩いているのはまだ良い方で、一部の暴徒化した豚野郎なんかは、奇声を発しながらバットを振り回し、商店街のシャッターを叩き壊す等の暴虐の限りを尽くしているので、小学校では「豚野郎に注意」というプリントの配布、集団登校が続く事態となり、心配する親御さんたちの眠れない日々が続いた。
そのうち、豚野郎を取り締まるという話も持ち上がり、警察の方々は街をパトロール。「豚野郎と鳴きな」と言って、「はい。豚野郎です」と答えたやつが豚野郎なので、そいつを署まで連行し、そうした徘徊行為をやめるよう諭しても、「もっと罵ってくださいよ」とか「俺に手錠をかけてください」とか言うばかりでちくとも効果がない。
ついには豚野郎をカモにした悪徳商売が横行するようになる。駅前に「あなたを罵ってあげます」とプラカードを持った美女が立つようになり、豚野郎が目を輝かして女性と共に建物の中に入ると、女性は退散。怖いお兄さん達に囲まれて、壺を買わされる豚野郎(壺野郎)が続出。被害額も相当なものとなった。
という訳で、豚野郎、一般市民の双方において、新しい蔑称を考え出すことが急務となったのだが、相変わらず人間を何に例えれば良いのかが分からず、進展は見られなかった。仕方ないので、政府は、なんでも見通せると評判の自称霊能者ババアにこの問題を任せることにした。ババアはそれを承諾。そして、ババアの住む薄汚いボロ一軒家に、多くの豚野郎、報道関係者が集まり、異様な緊張感を漂わせながらそれぞれ固唾を飲んでババアの助言を乞うた。ババアはそうした人々に対して「それでは始めます」と言うと、しばらく奇声を発したり、急に黙ったりを繰り返したのちに、小さな声で「チュパカブラ」と言った。
「チュパカブラ・・・?」誰もが心に疑問符を抱えた。つまり、「薄汚い豚野郎」の流れで行くと、「薄汚いチュパカブラ野郎」となるのだろうが、語呂が悪い上に、そもそもチュパカブラがどのような風貌をしているのかもわからない。誰もが全く想像ができない未知の生物と罵られて誰が喜ぶのであろうか。報道関係者各位はそのような思いからポカンとしていたが、それとは対照的に豚野郎たちは、そわそわし始め、そのうち、次から次へと笑顔を湛えてボロ一軒家を飛び出していった。確かに、彼らもチュパカブラが何たるかはわからない。しかし、わからないからこそ各人が自由な発想で恐ろしく気持ち悪い生物を想像できるのである。そして、何よりその語呂の悪さが彼らをゾクゾクさせるのであった。
「ほら、私は薄汚いチュパカブラだと鳴きなっ」
「はい。私は薄汚いチュパカブラです」
こうしたやり取りが日本全国で見られるようになり、人間をUMAに例える奇抜さが世界的にも評価された。
こうして豚野郎、もといチュパカブラ野郎が街を徘徊することはなくなった。街には再びの平穏が訪れ、一般市民は安堵した。しかし、喜んでいる心の裏では、いつかまた「薄汚いチュパカブラ」では満足できなくなったチュパカブラ野郎どもが街に蔓延り、また暴れるのではないかという不安を拭い去ることができなかった。しかも、当のチュパカブラ野郎たちもいつかこの蔑称に慣れてしまって「また壺を買わされるのではないか」と恐怖に身を震わせていたのであった。
それぞれが不安を抱きながら日々を過ごすことになってしまった。彼らが本当に安心して共存できる日は来るのかは誰にもわからない。ほんとに、人間は因果な生き物である。

【37】今日の戯言。

「一寸の虫にも五分の魂」という言葉は個人的にも大好きな言葉である。
この言葉にあるように、どんなに世間一般で「小さい」「か弱い」と思われている存在であっても、各人それ相応の意地やプライドは持っているものである。なので、当然の如く、そんな彼らを見下してみたり、軽んじてみたり、横柄に扱う等のことをして彼らのプライドを傷つけるようなことは決してしてはならない。つまり、私たちは常にあらゆる万物に対して愛情を持って接するべきなのである。
そのような言葉の意味を義務教育で学んだ僕は、その、他者を思いやる深い愛情、崇高な精神世界にいたく感激したのであった。そして、その日から今日まで「一寸の虫にも五分の魂」を座右の銘にして、自分以外の者に対して深い愛情を持って接してきた。例えば、空気汚染甚だしい工業都市に咲く雑草を見つけてはにこやかに手を振ってみたり、朝の路上に散らばる無数の吐瀉物を見つけては1つ1つに「いちごちゃん」、「プードルちゃん」といった可愛らしい名前を付けて歩いた。
そんな聖人と成り果てた僕であっても、やはりすべての万物に対してそのような気持ちを抱き続けるのは容易なことではない。時には、気を抜いた拍子に自らの弱い心がひょっこり顔を出してしまうことだってある。
先日、他人のパソコンをいじっているとインターネットのトップページが弱小検索ポータルサイトであった。普段ならば、「可愛いなあ」とか言って弱小検索ポータルサイトを撫でる、舐める、餌をあげる等のことをして愛情表現をするのだが、その日は消費税が8%になった日だったのですこぶる機嫌が悪かった。なので、弱小ポータルサイトを眺めていても、大したことないのに大手ポータル然とする弱小検索ポータルサイトに腹が立ち、「ちゃっ」と舌打ちをかますと、すぐさまその検索窓に「Google」という文字を打ち込んだ。そして、とても邪悪な顔を浮かべて「たいしたことねえのに粋がってんじゃねえ弱小検索ポータル」と叫び、検索ボタンを押したその時、パソコンから真っ白な閃光がほとばしり、僕は驚く間もなく光の中に引き込まれた。
目を覚ますと僕はスーパーの中にいた。そこは、いわゆる「高級スーパー」と呼ばれる所であるらしかった。清潔感溢れるスーパーには、あらゆる生鮮食品、外国からの輸入物で溢れ、その中を高そうな服を身にまとった客達がすまし顔で歩いている。
何故、自分がそのようなスーパーにいるのか皆目見当も付かなかったが、とりあえず店内を散策してみようと思った。そして、精肉コーナー、鮮魚コーナーの試食に舌鼓を打ち、野菜コーナーに来た時、この客層の中では不釣り合いな中学生くらいの集団が何かしら騒いでいるのを見つけた。近づいてみると、色白で眼鏡をかけた、いかにも「いじめられっ子」と思われる少年が他の育ちが悪そうな奴らに「買えよ。ブロッコリー」とブロッコリーを押し付けられている。それでも、色白は「嫌だよ。お母さんに怒られる」と言ってそのブロッコリーを受け取ろうとしない。すると、いじめっ子の一人が「はあ?」とか言って、色白の肩にパンチを浴びせた。色白、もとい虚弱体質は苦痛に顔を歪め、肩を押さえて俯いたまま何も言わなくなってしまった。「たいしたことねえのに粋がってんじゃねえよ」「いいから買って来いよ」そうした罵声が口々に叫ばれ、色白は観念したようにブロッコリーをに持つと重い足取りでレジへと向かった。いじめっ子らはその様子を眺め、「八百屋の息子がスーパーで野菜を買うなんて最高だな」と言ってゲラゲラ笑った。自分の実家が八百屋であるにも関わらず、スーパーで野菜を無理やり買わされるなんてひどく屈辱的な気分であろう。色白は恥ずかしさと屈辱感で顔を赤く染め、いじめっ子達の高笑いの中、ブロッコリーを買った。その姿を見て僕は「可哀想、色白。色白なのに可哀想」と思い、その姿を見てられず目を閉じたのであった。
目を開けると、僕は自分の部屋に帰って来ていた。目の前にある弱小ポータルサイトの検索窓には相変わらず「Google」の文字が打ち込まれていた。
しかし、夢にしてはあまりにも鮮明すぎる時間だった。現実に返ってきた今でも色白の顔と胸糞悪さが心に居座り続けている。
そうして僕はぼんやりと先ほど見た光景を頭の中で反芻していた。その中で、ふと気付いた。いじめっ子の発した「たいしたことねえのに粋がってんじゃねえよ」という声はさきほど弱小ポータルサイトに投げ掛けた自分の声であったのだ。その瞬間、僕はすべてを悟った。
弱小検索ポータルサイトは、弱小とは言えども、検索サイトとしてのプライドを持っているのである。それなのに、僕は、その弱小検索ポータルサイトに他の検索サイトを検索させた。これは、つまり
八百屋の息子にスーパーでブロッコリーを買わせるのと同じ、自己否定の強要であり、このことは弱小検索ポータルサイトにとって屈辱的なものであったに違いない。そう考えると、僕が見たあの光景は弱小検索ポータルの見せた必死の抵抗だったのだろう。
僕は茫然とした。そして、力なく「なんてことだ」と呟くと、天を仰いだ。まさか、「一寸の虫」の理解者であったはずの自分がこんなことをするなんて。
溢れる涙を拭いながら、僕は自分を責め続けた。そして、弱小検索ポータルに謝らねばと思い、検索窓にある「Google」を消すと、代わりに「ごめんなさい」と文字を打ち込んだ。が、先ほど打った「Google」の名残で半角入力になっており、「gomennnasai」という少し小ばかにしたような感じになってしまった。僕はまた光に包まれた。

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