日記

1990年生まれ。虚実入り混じっております。

2015年01月

【68】腐れ外道と宇宙

非常にお恥ずかしい話であるのだが、まったくもって片付けができないのである。
今、この文章を書いてるこの時にも、まるでそこにいるのが当たり前のようにテーブルの上には飴の包み紙が鎮座しており、更には、読みかけのマンガ、ヤクルトの空容器、つまようじ等が乱雑に転がっているのである。それはもう、散らかりすぎて片づけようという気も起きないほどであり、まったくもって自らの体たらくぶりに自己嫌悪すら覚える。
このままでは人と一緒に暮らすということは毛頭無理であろう。
そして同時に、もしも自分が密閉された空間で数か月間、複数人で生活を続けなければならない宇宙飛行士でなくて良かったと思うのであった。

僕の乗る宇宙船内では僕が散らかした飴の包み紙、ヤクルトの空容器、ティッシュ、空き缶、
飲みかけの紙パックの飲み口から漏れ出たオレンジジュース、読みかけのマンガ等様々なものが無重力の空中を漂っている。それもこれも片付けられないのだからしょうがない。
一緒に暮らす他のクルーは冷やかな視線を僕に向け、片付けろと圧をかけてくる。
僕は申し訳なさそうな顔を浮かべて、浮遊するゴミを捕まえ、同じく空中に浮遊したなんだかよくわからない液体をパクパク咥える。
「これは飲みかけのビールだ」
「これはヤクルトだ」
「これは・・・何だ?」
クルーの面々はそんな僕の様子をあきれたように眺めている。毎日ずっとこんな調子なのだから、僕はこの宇宙旅行の間、非常に肩身の狭い思いをするに違いない。
そして、帰還の日。地球に降り立った僕に、集まったテレビクルーは問いかける。
「宇宙から見た地球はいかがでしたか?」
僕はうなだれながらこう話すのだろう。
「地球は整理整頓されていてとても綺麗でした。僕も見習いたいと思います」

【67】実験

僕は普段の食生活でカップ焼きそばをよく作るのであるが、その製作時、「かやく」の袋を手にするたび胸がきゅっと締め付けられる。

「かやく」は人見知りなのである。
更には見た目も地味、恋愛に対しても奥手という状態なのだが、実は愛しの異性である麺と仲良くしたいと常々思っているのを私は知っている。そういう現状を知っているからこそ、今日はそんな「かやく」に女友達を作る手助けをしてあげようと思っているのである。
そうして私はまず手始めに「頑張れよ」と背中を押して、「かやく」を麺の上にぶち撒けた。
唐突に麺の上に放たれた「かやく」は、目の前にいる麺の姿を確認すると、緊張で身を固めひどく怯えているように見えた。
そんな「かやく」の様子を麺は不思議そうな顔を浮かべ眺めている。早速、カップ内には不穏な空気が悶々と立ち込める。そんな沈黙が数分続いた。
「仕方がない」
僕はガチガチに固まる「かやく」の緊張をほぐすべくお湯を注ぎ入れた。本当はお湯などなしに「かやく」には頑張ってもらいたいのだが、人見知りの「かやく」に対してこのくらいのフォローは必要であろう。
また、上からハラハラしながら見つめる僕の視線で「かやく」が緊張しないように、ふたを閉めて2人だけの空間を作ることにした。これで中の様子は見えなくなったが、「かやく」が奮闘する姿を思い浮かべながらしばらく待つことにした。
3分後、湯を捨てフタを開けると、「かやく」はさっきまでの緊張がまるで嘘のように生き生きしており、同じく警戒心から解き放たれた「麺」と楽しそうに対話しているではないか。
実験は成功。さっきまでよりも両者の距離はぐっと縮まっているように見える。このまま行けば、「かやく」は麺と念願の友達になれるだろう。
僕としてもほっと一安心なのだが、ここで僕の中の悪い心が疼きだした。ここまで「かやく」はあまり苦労していないのである。このまま2人がうまく行っても何もおもしろくない。ここは多少の苦難を乗り越えて恋愛を成就して欲しいところだ。
そして、私はここで「かやく」に対して1つの試練を与えることにした。それは恋敵役として粉末ソースを混ぜてみることである。
そうして僕は粉末ソースを麺と「かやく」が談笑するカップの中に振りかけた。
イケメン、身なりもスタイリッシュなソースがやってきた途端、事態は一変する。あれほど「かやく」と良い感じだった麺は即座に興味の対象をソースに移し、親しげに話し始めた。そして「ソース」も百戦錬磨と言ったところ。卓越した話術を武器におもしろい話を次々と披露し彼女を自分の世界に引き込んでいく。それは私が見ていても感心するほどであった。
2人の距離感は急接近。それはまるで恋人同士のようだった。
「かやく」はこの状況に困惑するばかりであった。何とか興味を自分に移そうとするも、何を話せば良いかわからずただただキョロキョロすることしかできなかったのである。
結局、「かやく」は打開の糸口を掴むことはできなかった。
盛り上がったソースと麺は、2人して別のお店に行ってしまい、取り残された「かやく」はカップ焼きそばの容器の隅っこで泣いていた。
その哀愁たるや凄まじいものであり、容易に声をかけることすらはばかれるほどであった。
僕は焼きそばを食べ終え、容器の隅っこで縮んでいる「かやく」を眺めながら「次、頑張ろうな。次」と声をかけたが、返事はなかった。
実験は失敗。しかしとてもおいしい焼きそばができて満足している私に不意に顔を上げた「かやく」は言った。
「お前はどうなんだ。お前は」
たまらず僕は頭を抱えた。

【66】白いタオル

勝負の引き際を計るということは非常に難しい判断である。
例えば、ボクシングにおけるセコンド。自らの指導する選手が対戦相手にタコ殴りにされ、意識朦朧、ふらふらになっている姿を見て「これ以上の試合は危険だ」と判断したならば、例えリング上の本人は戦う気満々であっても、心を鬼にしてタオルを投げなければならない。
その決断たるや相当なものであろう。タオルを投げることは、すなわち「負け」を認めることであり、選手と二人三脚でこれまできた立場から言えば投げることを躊躇する気持ちも多分にあるに違いない。しかし、指導者として選手のその先を見据えているのであればこれ以上戦いを続けて選手が生命の危機を迎える前に退く決断を下さなければならない。
果たして勝負を続けるべきなのか、それともタオルを投げ込むべきなのか。その判断はセコンドの一存にかかっているのである。

このようなことは深夜のスーパーにおいても同じことが言える。
PM950分。あと10分ほどで営業時間は終わってしまうというのに、鮮魚コーナーに置かれた刺身に定価のシールが張られていることがよくある。昼に作られたであろう、その刺身の色はまるでパンチを受けすぎて目に青あざができたボクサーのようにどす黒く変色しており、刺身の意識は限りなく朦朧としている。
素人目に見ても、これ以上戦いを続けるのは間違いなく危険であることがわかる。彼の体はぼろぼろ。このまま戦いを続けていれば彼は誰にも手に取ってもらえることのないまま廃棄されてしまうだろう。
セコンドはとっとと勝負にこだわらず半額シールを刺身に対して貼ってあげるべきなのである。それなのに、セコンドである鮮魚コーナーの男性店員を見ていても全く動きはない。
私は強い憤りを感じた。一体彼はどういう教育を受けて今の職に就いているのだろうか。セコンドとしての自覚がないのではないのだろうか。このままでは刺身の身が危ない。
そして5分が過ぎた。刺身は先ほどよりも衰弱し今にも倒れこみそうに見える。
しびれを切らした私は男性店員に近づくとおもむろに胸ぐらを掴んで言った。
「早く半額シールを張るんだ。こんな姿になっても戦いを続けさせるなんて指導者としてどうかしてる。彼の眼をよく見てみろ。光がないではないか」
刺身はぐったりしていて目の焦点がまるで合っていない。
しかし、鮮魚担当者は胸ぐらを掴まれていても動じず、あろうことかヘラヘラと笑みを浮かべ「まあ、見ていてくださいよ」と私に言い放った。
その時である。一体どこに隠れていたのか、スーツ姿のおっさんが急に現れてハゲタカのようにその刺身を持ち去って颯爽とレジへと消えていったのである。
一瞬のできごとに唖然とする私。店員はそんな私を見てにやりと笑った。
「半額シールを張って逃げることは簡単。ただ、指導者としてこの刺身の力を信じなくてどうする」
それはまるで意識朦朧の刺身の放つカウンターパンチが私の顎を打ち抜いたような強い衝撃だった。私は何も言えずにその場に立ち尽くしていた。
「僕の負けだ・・・」
半額になった刺身を食べたくて仕方なかった私は悔し紛れに明太子を買って帰り、それをつまみにビールを呷った。そして人生で初めて悔し涙を流した。
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