日記

1990年生まれ。虚実入り混じっております。

2015年06月

【83】前世からの陳情

例えば、土日の2連休だというのに外に一歩も出ることなく、ただただ漫然と家の中でテレビを見るなり、小説を読むなり、音楽を聴くなりして過ごしていると日曜日の日暮れの時には「果たして、こんなに怠惰な生活をしていて良いのだろうか」と不安な気持ちになる。
せっかくの2連休なのだから、なんかもっとこう人間らしい、誰かと旅行に行くだとか、誰かと飲みに行くだとか、スポーツをしてみるだとか、そういうアウトドアな休日を過ごせば良かったと少しばかり後悔し、暗然たる思いに駆られるのだが、それと同時に「このままだと怒られる」という恐怖の念が押し寄せて来るのである。
誰から怒られるのかと言えば、それは前世たちからである。前世たちが何度も何度も輪廻を繰り返してようやくなれた「人間」である僕が、こんなあまりにも人間らしくない体たらくな生活を続けていると前世たちが知ったらどんな顔をするのだろうか。きっと、憤怒の表情を浮かべ、徒党を組んで僕の家まで前世の大群が押し寄せて陳情を言いに来るに違いない。

「ドンドンドン」と荒々しく玄関扉を叩く音と、複数の「出てこい馬鹿野郎」との罵声が先ほどから家の中に鳴り響いている。僕は、ちゃっ、と舌打ちをして玄関まで歩いて行き、扉を開けると、そこには、馬や、ヨモギ、カブトガニ、寒ブリ、ヨモギ、ヨモギなどが憤怒の表情を浮かべて立ってるのである。それはもうパッと見で、ろくな前世じゃない、とわかる。
そして仁王立ちして並ぶ前世たちの真ん中に立つブルーチーズが、僕の方を激しく睨みながらまくしたてるようにこう叫ぶのである。
「きみは「人間」を無駄遣いしている。というか人間であることへの有難みが著しく欠如している。僕たち、きみの前世は人間になりたくて仕方がなかったんだ。何故なら、人間は自由だし楽しそうだから。でも、人間になれるのはほんの一部だから僕たちが輪廻を何度繰り返しても、なれたものと言えばこんな人間とはかけ離れた動植物ばかり。ここにいるみんな、新しく生まれ変わる度に自身が人間ではないことに失望し、すぐさま死にたくなったよ。それでも、「次こそは人間に、次こそは人間に」と思い続けることでなんとか自らに与えられた生を全うすることができたんだ。そして、そうした僕たちの土台の末に、ついに「人間」であるお前が生まれることになるんだけど、そりゃあ僕たち前世は泣いて喜んだよ。ようやく自分たちの努力が報われたってね。…。で、あるにもだ。お前のことを黙って見てりゃ、そういう僕らの努力、願い、期待も知らず、休日だと言うのに、人とも交流を持たずダラダラ過ごしてばかりではないか。しかも、貴重であるハズの多くの時間を費やしてなにやら陰気なブログを書き連ねているだなんてほんと呆れて物も言えないよ。なあお前、そんなもん書いてる暇があったらなあ、休日には外に出ろよ。夏には海に行けよ。冬にはスノーボードに出掛けろよ。もっと四季を楽しめよ。バカ野郎。人間に生まれたのだから。せっかく人間に生まれたのだから!そういう今のお前の生活は、ただただ限られた人間としての時間を無意味に垂れ流しているだけなんだよ。もっと、キラキラした人間らしい生活をしろよ。くそが。だいたいお前、目が死んでるんだよ。それはまるで死んだ魚のような目だ。死んだ魚のような目。わかるか?って、あっ、いや、その、別に寒ブリさんのことをバカにしている訳ではないんです。気を悪くしないでください。いやほんとそういうつもりで言ったんじゃないんです。すみません。寒ブリさん。ほんとにすみません。…。とにかく、俺がお前に一番言いたいことは、俺が一番言いたいことは、お前のその腐った性根がっ…」
僕は玄関扉を閉めて、鍵を閉め、チェーンをかけた。
「おい、まだ話してる途中だろうが」
などとブルーチーズの絶叫が玄関扉の向こうから聞こえ、他の前世たちも
「出てこい」
「許さない」
などと口々に好きなことを言っているが、そんなものは関係ない。
僕はあくびをしながら玄関から自分の部屋に戻ると、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、まだお昼だと言うのに、封を開け、口に含んだ。そして、パソコンを起動して、大好きなダニー・ハサウェイの音楽を大音量で流し、そのメロウなグルーヴに合わせて少し踊った。
やっぱり、こんなに怠惰な生活をしていて最高な気分を味わえる「人間」は最高だと思う。
これだから「人間」はやめられない。

【82】バッティングセンターのベーブ・ルース

最近、ストレスが溜まるとバッティングセンターに出向くことが多い。
バッティングセンターに出向いて何をするのかと言えば、僕は90キロに設定されたマシンがある打席に入って300円を投入するのである。そして90キロの遅球をよく狙い定めて、前方に高々と設置された「ホームラン」と書かれた的を狙う。通い始めた初めの頃はなかなかホームランボードに当てることができなかったが、ストレスに押し潰され、何度か通ううちに僕はホームランボードに容易に打球を当てられるようになっていた。
僕がホームランを打つたび、パンパカパンというファンファーレがバッティングセンター中に鳴り響くのだが、僕自身、ファンファーレを聞いて高揚感を感じるかと言えばそんなことはなく、どこか空しさを覚えるのである。その理由としては、別に僕がホームランを量産したところで、それに沸き立つ観客がいる訳でもなく、年俸が上がる訳でもなく、とびきり美人の女子アナと結婚できる訳でもないからだ。僕は掃いて捨てるほどのホームランを量産しながら人生について考えていた。「ホームラン鬱」になりそうだった。
しかしながら、僕は思うのである。例え、日本シリーズで放つ一流選手のホームランだろうと社会不適合者が放つバッティングセンターでのホームランであろうとホームランに貴賤はないはずであり、どんなホームランであったとしても人の心を動かす素晴らしいものに違いないと。実際、僕の放つホームランも今でこそたった1人、孤独の中で量産しているだけだが、この国のどこかには僕のホームランを待ち望んでいる人がいて、僕はその人の前でホームランを打つことによって、夢や希望を与えることができるのではないだろうか。それはさながら野球の神様「ベーブ・ルース」のように。
ベーブ・ルースは1926年、病院に入院していた少年の見舞いに行った際、手術を受けることを怖がっていた少年に対して、自身が翌日の試合でホームランを打つ代わりに、手術を受けるよう約束したのである。そして、ベーブ・ルースは翌日の試合で見事ホームランを放ち、少年も喜んで手術を受けたという美談を残した。
この話はベーブ・ルースを語る上で欠かせない伝説の1つであり、僕も非常に大好きな話である。人ひとりの人生を変えるホームランだなんてカッコよいにもほどがある。そして同時に思うのは、ただの的当てゲームと化した僕のホームランであったとしても、ベーブ・ルースと同じように、悩みを抱えた人々の人生を変えうるホームランになるのではないかということ。ベーブ・ルースにできたのだ。僕にできない訳がない。
僕は、自身がバッティングセンターのベーブ・ルースになり、悩みを抱える人々を救っている姿を想像した。輝かしい未来がそこにはあった。

「夫が
DVを振るうんです…」
ひどく落ち込んだ様子で僕に助けを求める人妻に対して僕は彼女をじっと見つめ、
「僕が次の打席でホームランを打ったら、夫と別れなさい」と言うのである。
僕は静かに打席に入り、300円を投入する。そして緊張の面持ちで見守る人妻の前で僕は約束通り、ホームランを放つ。
「パンパカパン」
例の如く、ファンファーレが鳴り響き、僕が悠然とバッターボックスを降りると、人妻は
「ありがとうございます。これで踏ん切りが付きました。夫と別れます」
と言い、さっきまでの落ち込んだ顔が嘘のように笑顔を見せてバッティングセンターを後にするのである。

悩みを抱えた人々が連日のようにバッティングセンターに大挙して押し寄せる。だから、バッティングセンターのベーブ・ルースに休む暇はない。僕は年中無休で打席に立ち続けるのである。

「好きで好きで堪らない人がいます」
「僕が次の打席でホームランを打ったら、告白しなさい」
「パンパカパン」
「ありがとうございます。今日、これから告白してきます」

「僕はピザとから揚げが大好きで毎日食べていたら体重が増えて増えてしょうがありません」
「僕が次の打席でホームランを打ったら、痩せなさい」
「パンパカパン」
「ありがとうございます。でも今日からはあれなんで、明日からダイエットします」

「悩みがありません」
「僕が次の打席でホームランを打ったら、悩みなさい」
「パンパカパン」
「ありがとうございます。悩みます」

こうして僕はホームランを駆使して様々な人々を救い続けるのである。僕は自らの才能によって人々の人生を好転させていることに多大な多幸感を抱きながらバットを振り続ける。
しかしそんな日々も長くは続かないだろう。この行為には1つの大きな問題点があるのである。このバッティングセンターでのベーブ・ルース的行為はボランティアでやっているので、プレイ代金は自分持ちなのである。お悩み相談を繰り返すうち、プレイ代金が僕の生活を圧迫し始めて、僕はとてもひもじい生活を余儀なくされるのだろう。それでも義務感に駆られながら僕は打席に立ち続けるのだが、それもそのうち辛くなってきて僕はホームランを打つことに嫌気がさしてくる。「ホームランノイローゼ」である。僕は、打席に入りながら憂鬱な表情を浮かべることが非常に多くなり、バットを振りながら「死にたい」とか「胎児に戻りたい」とかなんとか呟くのだろう。

なんだなんだ。結局僕は「ホームラン鬱」になるのではないか。少しばかり期待を持った自分が馬鹿であった。だからやっぱり何度も言うようだが、別に僕がホームランを量産したところで、それに沸き立つ観客がいる訳でもなく、年俸が上がる訳でもなく、とびきり美人の女子アナと結婚できる訳でもないのだ。祝福してくれる人など誰一人いない。僕は一生、孤独のままホームランを量産するのである。そう思うと、なんだかむしゃくしゃしてきたので僕は打席に入り
300円を投入すると、めちゃくちゃにバットを振り回した。当然、マシンが投げるボールをミートできる訳もなく、バットは空を切るばかり。結局、20球のうち一度もホームランボードに打球を当てることができなかった。深い絶望感に苛まれながら、ぜえぜえ息を切らした僕は人生について考えていた。
その時、ふと前方を見つめると、投球を終え、前かがみになったまま硬直しているピッチングマシンが目に入った。その姿をよく見ていると、なんとなく僕にお辞儀をしているように見えたのである。それはまるで僕に対して「お疲れ様です」と言っているかのようだった。
僕はなんとなく嬉しくなってバットを地面に置くと、綺麗な姿勢でお辞儀を返した。

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