日記

1990年生まれ。虚実入り混じっております。

2015年09月

【86】ほうれんそうの人

社会人たるもの、ほんの一部の上層部を除き、働いている以上は「上司」というものが付いて回るものである。そしてこの「上司」というものは、非常に厄介なものであり、自らの評価の一切を担っているため、もしも、自身が出世を果たしたいと考えているのであれば、如何に上司との関係を良好に保てるのかということにひどく気を遣わなくてはならない。況してや、自身が社会人経験の少ない若手であった場合、自らの業務に関わる上司の割合と言うものも自然に高まり、その関係性の如何によって自身の働きやすさが大きく左右されるのだからより一層、上司との関係性に気を揉む場面は増えることだろう。
では、業務において上司への信頼を勝ち取るためにはどのようにしたら良いのだろうか。それには様々な方法があるが、まず大前提として「報告・連絡・相談」、いわゆる、「ほうれんそう」を順守することがなにより大切である。この「ほうれんそう」を毎日上司に対して欠かさず行うことによって、自然と上司とコミュニケーションを取ることができ、さらには業務上のミスの軽減に繋がるという良いことづくし。その結果、上司からの自らへの評価というものも自然と高まるため、「ほうれんそう」を如何に順守できるかどうか、そのことがその人の会社人人生を大きく規定すると言っても過言ではないのである。
実際、僕に関しても上司からよく「ほうれんそう」を順守するように忠告を受ける場面が非常に多い。もちろん、僕自身としても「ほうれんそう」の大事さは重々に理解している。しかし、僕は上司から「ほうれんそう」という言葉が放たれるたびに、とても陰鬱な気分になる。それは別に上司のことが憎いからという暗い感情から来るものではなく、では何故かと言うと、上司から「ほうれんそうを大事にしろ」と言われたその瞬間、僕の頭の中に「ほうれんそうの人」の小汚い憎たらしい笑顔が鮮明に浮かぶためである。
「ほうれんそうの人」それは、社会人に大切な要素を「報告・連絡・相談」という全く論理破たんのない3つに規定し、更にはそれらの頭文字を取り、「ほうれんそう」というポップ極まりない呼称を提唱したおっさんのことである。
今まで誰にも話したことはないのだが、僕の頭の中では、「ほうれんそうの人」が随分と長い間、何食わぬ顔をして住んでいる。普段は、僕の脳内でほとんど誰とも交流を持たず、気難しそうな表情を崩すことはないのだが、僕が上司から「ほうれんそうを大切にしろ」などと言われた途端、小動物のように首をこちらに向けて考えうる最高に醜い笑顔を見せて来るのである。きっと「ほうれんそうの人」は自らの考え出した言葉が市民権を得ていることにひどく得意げになっており、提唱者としての功績を僕に褒めて欲しくてたまらないのだろう。
「ほうれんそうの人」は、承認欲求の塊である。ただ、それは無理もないことだと思う。何故なら、今やビジネスパーソンの間で定説となった「ほうれんそう」の発明者として、上手いこと言ってやったという自負が彼の強大な自信に繋がっているに違いないからだ。実際、それまでのビジネスパーソンがもやもやと抱えていた「社会人にとって重要なこと」を明確に「報告・連絡・相談」の3つと打ち出し、更には、「ほうれんそう」という覚えやすいフレーズでそれらを纏め上げた彼の功績は素晴らしいものであり、「ほうれんそう」を聞いて育った、いわゆる、「ほうれんそうチルドレン」たちが日本企業の持続的な成長に大きく寄与したことは認めざるを得ない。
きっと、「ほうれんそうの人」は、「ほうれんそう」を思い付いた時、大発見をした科学者のようにさぞかし興奮したことだろう。脳髄に電流が走り、手足が武者震いのように震え、「これは流行る」という自信に満ち溢れていたに違いない。ただまあ実際、これほどまでに「ほうれんそう」は流行ったのだから「ほうれんそうの人」は鼻高々であり、だからこそ、僕の脳内に居座り「ほうれんそう」の言葉を聞くたび彼は承認欲求の塊と化して僕の方を最高に醜い笑顔でもって眺めて来るのだろう。
それでも僕はしたり顔の彼を褒めるのには多大な抵抗がある。そのため、彼に目線を合わせることはせず、あくまでも気にしてない風を装うのだが、「ほうれんそうの人」は、笑顔を崩さず、いつまでも僕の方を見つめて離さない。
それでも僕はムキになって彼を無視し続けるのだが、しばらくすると「ほうれんそうの人」は、僕から褒めてもらえないことを悟り、ちゃっ、と舌打ちを鳴らしたかと思うと、のそっと立ち上がり、トレンチコートを羽織ると颯爽と夜の街に消えていくのである。そして、僕の頭の中で営業しているキャバクラに迷いなく入ると、僕の頭の中に常勤しているキャバ譲を指名し、まるで大物政治家のように偉そうにソファに腰掛け煙草に火を灯す。その後、譲がテーブルに着くや否や彼は自己紹介もしないまま、譲の目をじっと見つめ、
「きみは昼間の仕事は何をしてるの?」と聞くのである。
「昼間は事務職で働いています」
と、譲が言ったならば、「ほうれんそうの人」は、にやりと笑い、矢継ぎ早に以下のことを言う。
「あのさ、よく職場で「報告・連絡・相談」、ほうれんそうが大事って言われない?」
「あ、はい言われます」
「あの、ほうれんそうって考えたの僕なんだよ。すごいでしょ」
そして、しばらくの沈黙が流れたのちに、決まって譲は苦笑いの末に
「え、すごーい」などという関心の欠片もない薄っぺらいお世辞を放つのだが、「ほうれんそうの人」はそれに気付かず、満面の笑み。承認欲求を満たされた彼は、次から次へと高いお酒を注文し、そのうち泥酔。譲の体をいやらしく触りながら自らが如何に素晴らしい人であるかを説法するのである。それでも彼はその行為がちくともおかしなことだと思わない。何故なら彼は「ほうれんそうの人」。そんじゃそこらのおっさんとは違う、稀代の発明家である。そう、あくまでも彼の中では。
クローズの時間まで豪遊した後、彼の元にボーイがやってきて、静かに料金明細を彼に手渡す。「ほうれんそうの人」は、明細をちらと眺めた後、飛び上がるような高額請求に動揺することもなく、カバンを弄り、財布を取り出す。そして、財布を広げて、お札が入るところにレシートしか入っていないことを確認すると、急に彼はえへらえへら笑ってボーイに「ツケといて」と言い放つのである。
その瞬間、「ほうれんそうの人」を取り巻いていた数人の黒服が彼をむんずと掴み、力づくで別室に連れていこうとする。「ほうれんそうの人」は、駄々っ子のようにじたばたともがき、
「おい、俺を誰だと思ってる!ほうれんそうの人だぞ!」
などと喚いた末に、別室に連れていかれ、僕の頭の中にいる怖い人たちにボコボコにされるのである。そして、身ぐるみをすべて剥がされ、全裸にされた彼は黒服たちに担がれ、僕の脳の裏口から外の世界に放り出される。
そうして「ほうれんそうの人」は僕の脳内からいなくなるのだが、彼は他に行く場所がないのだろう。毎度の如く、僕の脳内から追い出された後、彼はいつのまにか警備を掻い潜って、僕の脳内に舞い戻ってくる。
そして僕が再び彼の姿を見つけたとき、彼はまるで初期設定のアバターのように全裸のまま寒さで震えているのであり、見かねた僕はうんざりしながらも、彼に厚手のカーディガンを貸してあげる。彼はそれを申し訳なさそうに受け取ると、
「自分、不器用ですから」と言って少し笑うのである。

【85】僕の星空観測日記

先週の土曜日、というより土曜から日曜に変わってからまだ間もない深夜の時間帯に僕は護送されていく囚人のようにうなだれながらタクシーの後部座席に座って窓の外を漫然と眺めていた。まず、何故このような格好になっているかを説明すると、それは友人たちと安酒を浴びるように飲んだためで、過度の飲酒による高揚感によって理性を失い、山手線ゲームで「田中角栄の好きな所」を誰一人として挙げることができなかったあたりから記憶がなくなり、気付いたら終電をなくしている自らの実存に気付かされる次第となったのである。そのため僕は仕方なしに飲んでいた居酒屋の一番近い駅からタクシーを捕まえて乗車。運転手に自宅の行先だけを告げると、あとはマネキンの形態模写さながら真っ白で硬直した表情のまま遠のく意識の海に溺れていた。
しかし、タクシーの運転手は何故あれほどに話好きなのだろうか。後部座席に座る僕の顔面が蒼白で、意識が混濁している様は運転席前方にあるミラーからも明白であるにも関わらず、かつてピンクのスーツ姿で政界を沸かした女性議員によく似た年配の女性運転手は、何故自らが長年勤めたトラック運転手からタクシー運転手に転職を果たしたのかをひどく熱心に僕に説き伏せようとしていた。ただしかし、あいにく僕はそのような話に一切の興味がなく、むしろ吐きそうになるのを堪えるので精一杯だったため、適当に相槌を打ちつつ、誰かの指紋で汚れた窓を通してぼんやりと外の世界を眺めていた。
タクシーから眺める外の世界は、深夜ということもあって真っ暗であった。特に、僕の住む地域は街灯すらほとんどない僻地であるため、タクシーはヘッドライトを頼りに暗がりの中を進んでいく。しかしその中で僕は、ふと空を見上げれば満点の星空が一面に広がっていることに気付いたのである。大きな夜空の中、まばらに光る無数の星々は、さもそれが自分たちの権利であるかとでも言うように、自信満々に光っており、その瞬きは僕の酩酊したおぼろげな視界であってもよく捉えることができた。
僕は一方的に話を続ける運転手をしり目に星空にくぎ付けになった。ただ、しばらく星空を眺めていると、次第に自身がイライラしてくるのを感じたのである。よくよく見ると満点の星々はなんだかごちゃごちゃしていて気持ちが悪かった。
これもお酒の力であろうか。普段であれば、夜空に輝く星々をながめては「きれい」、「素敵」、などという乙女さながらロマンチックな感情に胸を満たすのであるが、その日はひどく酔っていたせいもあって星々の様子はいつもと異なって見えたのである。あの、星々が四方八方に散らばり、明度もそれぞれで異なるという混沌とした様は、あの小学5年生の夏の日、所属するクラスで突如として起きた学級崩壊を連想させ、なんとなく僕を暗然たる気持ちにさせた。僕は心の中でそれらの星の大群を「学級崩壊座」と名付けた。
「学級崩壊座」は指導者に反抗することが自らのアイデンティティとでも言うように、自由気ままに教室内に散らばり、好き勝手に授業の受講を放棄していた。小生意気な小学生たちは授業中であるにも関わらず友達と談笑していたり、ゲームをしているに違いなかった。その姿は、僕の忌まわしき過去とも重なり、自らの感性に強く訴えかけるものがあった。
そして、その日からというもの、僕は夜になる度に星空を見上げ、「学級崩壊座」の存在を確認することが日課になった。ただしかし、いつになっても学級崩壊座は相変わらず学級崩壊したままであり、一向に更生するそぶりを見せなかったため、次第に僕は不安な気持ちを感じるようになった。果たして彼らの基礎学力は大丈夫なのだろうか。このまま授業を放棄し続ければ、彼らが中学校に上がった時に、急激に難易度を増す数学で躓くことは確実であり、学業をドロップアウトした後に非行に走ることが容易に想像できる。僕は星空を眺め、彼ら生徒たちの行く末を案じる日々が続いた。
しかしある日のこと。僕がいつもと同じように「学級崩壊座」の存在を確認しようと夜空を見つめると、「学級崩壊座」の中心に何かいつもとは違う人型の星座が新しく出現していることに気付いたのである。その人型の星座は、点の集合体であってもわかるほどガタイが良く、ショートカットで端正な顔立ちをしていた。その姿を見ていて僕は何か既視感を覚え、それが誰であるかを心の中で手繰り寄せようとした。そしてそのうち僕はあっ、と思った。
体育教師である。体育教師、もとい、「体育教師座」は学級崩壊座の中心に立って、反体制である自らに酔い、悦に浸っている生徒たちに対して激しく詰め寄っていた。しかし、学級崩壊座はそのような体育教師の叱責に耳を傾けるどころか、より一層反抗し、強い瞬きでもって、体育教師座に噛みついていた。僕は、先が思いやられると思ったが、この「体育教師座」がなんとか彼らを更生させてくれることを切に願っていた。
そして次の日。僕が飽きもせず夜空を眺めていると、星空の様子は様変わりしていた。星空では、体育教師座を含めた3人もの人型の星座が机を挟んでなにやら話し合っており、僕はその姿を見てまたもや、あっ、と思った。
「三者面談座」である。体育教師と生徒及びその母親が卓に向かい合い、生徒の普段の行いについて体育教師から説明を受けている。更に、1つ気になることとしては、母親座の瞬きが妙に少なかったことであり、それは自らの息子への教育不届きを嘆き、涙を流している姿であることが容易に想像できた。一方の、思春期まっただ中の生徒座もその母親の姿にひどく動揺しているように見えた。
「三者面談座」は、およそ3日間ほど星空に居座り続けていた。
そして、昨日のこと。相変わらず、僕が夜空を見上げると星空は今までにない異様な様になっていることに気付いた。あれほど反抗の限りを尽くしていた生徒たちが、方々に散らばることを辞め、きれいに横一線、整列していたのである。その一糸乱れぬ整列は夜空のどこまでも続いているようだった。僕はその姿を確認し、小生意気な小学生たちが改心したことを悟った。小学生たちは皆、三者面談での母の涙を見て考えるところがあったのだろう。その整列には、反体制を標榜し、授業を放棄していた頃の彼らの姿はそこにはなく、学業を全うさせようとする強い意志が感じ取れた。
ただ、その姿を見ていても僕は「気持ち悪い」と感じた。その無機質な整列は、共産主義国の軍隊を連想させ、子供特有の無邪気さがそこにはなかった。そして心のうちに湧き上がるとんでもない気持ち悪さを感じた僕はしばらく星空を眺めているうちに、嘔吐。
舗装すらされていない剥き出しの地面に新しい星座が生まれた。

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