テニスエッセイ[Another Side of Tennis]

新宿ゴールデン街 バーの片隅のテニスと音楽の与太話
〜テニス、甲斐バンド、SION、ディラン、ストーンズ〜

今回のデ杯は、コロシアムとアウトコートのJrの試合を行き来して観ていた。
2日目、アウトコートにいる時にコロシアムでは伊藤・内山組が負けて日本の敗退が決まった。
そのままアウトコートの試合を観戦して5時前にりんかい線に飛び乗り、隣の東京テレポートで下車。
ガンダムの方へダッシュ。
何人か同じ奴等がいる。
何とか開演時間を数分過ぎた会場に飛び込んだ。
”Things have changed”
「皆頭がおかしいし、時代も妙な方に向かってる。
 俺はがんじがらめにされ、射程距離の外。
 前は気にしていたけど……何もかも変わってしまった」
と、ディランは暗い灯りの下で唄い始めていた。

9曲目の”Love Sick”の後ブレークが入った。
コインをビールに引き換えにBARに行くと奥田民生が目の前を横切ってGoods売り場へ。
竹中直人がビールを片手に取り巻きといい感じで歩いてる。
誰も話しかけず、遠巻きにもせず、紛れ込んでるのがいい。

さて、”Love Sick”だ。
1997年のリリース。
“私は恋の病を患ってる。しかも重症だ。この手の恋にはうんざりなんだ”
56才のディランのラヴソング。
このリリースの数ヶ月前、ディランは心臓発作で倒れ、
「もうすぐエルヴィスに会うのかと本気で思った」と死を予感したという。
その後に製作に入った”Love Sick”が1曲目に入ってるアルバム”Time Out Of Mind”はエラくいい。
そして今夜72才のディランが唄った”Love Sick”も良かった。
“何をすればいいのかまるでわからない。君と一緒にいられるなら全てを投げ出してもいい”

ファンが”ネヴァーエンディング・ツアー”と呼ぶ1988年にスタートした旅。
今回は3月31日から4月23日迄、東名阪と札幌、福岡にほぼ一ヶ月間日本に滞在。
すげえブッキングだ。

この春ストーンズとディランを続けて観た。
夏にも2本楽しみなライヴがある。
一緒の時代にいられるだけで幸せなミュージシャン2組、2人のライヴを今年は観れる。
素敵だ。

そうそう、ディランはある時からアンコール後、バンドのメンバーと共に並んで暫くの間微動だにせず客席を見渡し、頭も下げずに手も挙げずにステージを去る。
それは観客の反応を確認する為らしい。
道化者の俺には到底出来ない仕草だな。
カッコいい!

もう嫌になる位前の話。
中学校の入学式。
担任は数学の先生でテニス部顧問。
入学前にお袋が高3の先輩のお袋さんから「テニス部に入ってやってね!」と言われてた事から、お調子者の俺はあっさりテニス部に入った。

そして一昨々日、娘の入学式。
俺の時は親父が学校に来た事は幼稚園の時から一度もなかったなあと思い出す。
周りには「お父さん」達が沢山いる。
「どこかの大学入試で親の付添いが多過ぎて受験生がバスに乗れなくなって開始時間遅らせたんだって!」
「入学式に生徒の1.5倍の付添いが来て椅子が足りなくなった大学もあったよ」
中華を突っ突きながら呑んでた時の会話も思い出す。
俺が来るのは中学までかな。

式の後、担任になった先生の後を娘達が歩いて行く。
ラケットを持った女子生徒が3人先生に駆け寄って何やら指示を仰いでいる。
「もしかしてテニス部の顧問なんじゃない?」
家人とそんな話をしながら親へのレクチャーをする教室に入った。
「生徒と同じ席に座ってもらいますので椅子が足りません。座れない方は終る迄下のホールで待っていただいても構いません」
(ラッキー!)と外に出ようとしたが、家人に阻止された。

「数学を担当しています」
あれっ?化学じゃないんだ?入学式の時は聞き間違ったのか。
「部活はテニス部の顧問をしております」
おいおいおいおい、俺の時と全く同じじゃないか。

解散後、家人が先生と話をしているのを離れて見ていると、
「え〜っ!?観てたんですか?!」
と声を上げている。
学校の予定について質問をしようとしたら、いきなり
「有明での試合観てましたよ。さっき本人にも話しました」
と言われたらしい。

人生ってやつは本当に不思議だ。
まあ自分で考え、自分で決めて、楽しめ!

小学校の卒業式。
卒業証書授与。
登壇して将来の夢やこれ迄の感謝の言葉を述べてから卒業証書を受け取る。

男子は相変わらず野球選手とサッカー選手、そして今年目立ったのはバスケットボール選手。
女子はスポーツ選手になりたいという子は少なく、テニス選手、バレーボール選手がそれぞれ1名づつ。
女子サッカー選手を目指すという子は皆無。
日本のスポーツ事情は女子にはまだまだなのか。
でもテニス界にはチャンスと考えるべきかな。

世相を反映してか、人の役に立ちたいと言う子も目立つ。
百数十名が登壇する間、心の中で何回も「頑張れよ!」と声をかけた。
そして何回も泣かされた。

将来の夢。
「頑張らなくちゃ」とも思えたのは俺にもまだ夢があるってことなのか。
ええい、そんな事はどうでもいい。
「世界一のプロテニス選手になります!」
と高らかに宣言したテニス女子、Guts!

中も外も人だらけの東京ドーム。
チケットをもぎられて中へ入ってすぐ、肩を叩かれた。
「今日だけ?初日ゴールデンサークルだったんだけど、対角線の一番遠い席でよ、キースが調子悪くてミスるわ動かないわで、“Gimme Shelter”のイントロ弾き直したんだぜ。2日目は調子良くて安心したよ」
俺にストーンズを教えてくれた中1からの悪友とバッタリ数年振りの再開。

男子トイレも長蛇の列。
階段を下りた先のトイレの列が空いていそうなので行ってみれば、上よりは空いているがそれなりに並んでる。
先の方にウイルソンの帽子を逆に被り、ベンチコートを着た見覚えのある姿。
幾つか年上のプロテニスコーチ。
レッスンそのままの格好で駆け付けたって訳だ。
トイレの中で顔を合わせて、「終ったら一杯」となった。

アリーナに下りて席に行くとキース・サイドの前から14列目のグッドシート。
Junko、ありがとう!
周りは業界関係者だらけで、開演時間間際に某TVアナウンサー、タレント共が更に前の席に着いて行く。
隣の若いカップルはデカい声でこれみよがしに、知り合いがバックステージに招待されてるだの何だの話をしていて、微笑ましい。

然程押さずに開演。
オープニングは”JJF”。
“Tumbling Dice”でキースが目の前に来た。
目頭が熱くなる。
歌詞には全く出て来ないが、スクリーンには空から落とされる大量の爆弾、デカいバッグに札束がドバドバ詰め込まれる様をシニカルに描いた絵が映し出される新曲の”Doom And Gloom”。

キースが”Slipping Away”を唄い出した。
目の前の年相応にチャーミングな女が泣いてるのを見て、又グッと来る。
そして”Before They Make Me Run”。
“Some Girls”のライナーに載っていたキースの「嫌いなもの」は「Two Face」。
ちっぽけな群れの中にもいる政治家と武器商人。
表裏の顔それぞれに二枚舌を持ちながら、頭の天辺から足の爪先まで見透かされて、いつバレるかとドキドキしてる哀れなペテン師。
奴等が俺を追い立てる前に、歩き出すんだ。
1978年の唄が今も俺に力をくれる。

「ランブラー、鬼だったねえ」と飯田橋の小洒落た立ち飲みBARで、トイレで約束した呑み。
「”Get Yer Ya Ya’s Out”のブレークで「カッコいい!」って声が入ってるの知ってる?」
入ったところで会ったあいつにガキの頃教えてもらって、聴き直して感動した"Midnight Rambler”を肴に結構呑んだ。
途中ずっとテニス界で生きて来てこれからも生き抜いて行く話をしたようなしないような……。
とにかくガキのものだったロックンロールを一生ものに引きずり上げてくれたストーンズに感謝だ。

「告知がなかったにもかかわらず、熱心なファン約500人が集結。
ミックは何度もファンに手を振り、去り際には投げキスも送った」

(バカか、告知なしで羽田にチャーター機の出迎えに500人も行くか!?)
と鼻で笑ったところで気付いた。
(うん?2/23に来日?もう来てたんかあ……知らなかったなあ)
ミックの初来日の時は、
「飛行機から下りて日本の空気吸った途端に死んじゃったらどうしよう?!」
なんて真剣に心配していたもんだが……。
記事を読むとネットでリクエストを募ってるらしい。
候補曲は、
Silver Train
All Down The Line
Respectable
When The Whip Comes Down
You Got Me Rocking
Bitch
うむ、”All Down The Line”が聴きたいけど、懐かしさは微塵もない
”You Got Me Rocking”のエンルギーも感じたい。

そう言えば“Sweet Neo Con”は相変わらずだったなあと、TVを眺めてると、どっかの国の広大な大統領宅が「480坪」というテロップが流れていた。
(ふ〜ん、480坪で広大なんだ)
と不思議な気分で画面を見てると、池には帆船が浮かんでる。
(おいおい、テロップの桁幾つ足りないんだ?!)

テニスコートは1面約200坪。
コートに立つとそんなに広く感じないが、都内なら結構な邸宅が建つ広さだ。
480坪?テニスコート2面ちょい?スゲエな!
でもそこに大型帆船、動物園、スポーツクラブ、健康センター、古代ギリシャのレプリカ、ゴルフコース、そしてテニスコート!?
無理どころじゃない。
どんだけ広いんだ。

線路に沿って延々と繰り返されるブルースと別れられない人生の方がまだましと久々に思えた。

雪が降ろうが台風が来ようが、逆に盛り上がってチッポケな呑み屋でヘラヘラと一晩明かしたもんだ。
それがまあ今じゃ、「雪降って来ちゃう前に帰る!」と散会。
しかもJRに乗っていたのに、気がつけば「西武球場前」。
誰もいない深々と寒さが押し寄せる駅。
単純に戻るしかない事を悟り又同じ電車に乗った。

翌朝から東京はドカ雪。
当然昨日から今日と、終日雪かき。
自宅前を申し訳程度に掻いて、知り合いのテニスクラブの雪かき応援に行くつもりが、近所の人達がウチの前も?き出し、そのまま一緒に隣の家へと移動。
正に向こう三軒両隣。
結局3時間も皆で掻いた。
テニスクラブの雪かきではお決まりの雪中ビール。
キンキンに冷えてて最高!

そして今日も道志道の終点の街のテニススクールで雪かき。
昨日10数名で掻いたと聞くが、積み上げられた雪の壁と、まだ手付かずのコートには想像を絶する雪量。
ここは雪の逃げ場がなく、雪国のテニスコートみたいに一面つぶす事になりそうだ。
雪は一日経ったのにまだパウダースノー。
綺麗なのはいいけど、降り過ぎだぜ。
昨日誰かが「ソチに上げたい」と冗談を言っていたのを思い出す。
そうそう、ソチの中継チームにはトップJrだった仲間がいて、奴のfbには「ほぼ人工雪」とコメントがあった。
トップアスリートの二度と無い瞬間を世界にきっちり届けてくれよ。

雪が降る2日前のメール。
……
久しぶり〜元気?

もう知ってるかもなんだけど
どじん。岡山の実家で1/26早朝、突然の脳梗塞で逝っちまった。。。

2年ほど前に岡山に戻って来てからはバンドやユニットやソロで毎月のよーにライブやっててさ
今までに見たことないくらい楽しそーにやってたんだけどさ
残念過ぎ。。。

そんなこんなでゲロイやヨウヘイとも久しぶりに電話だったりね
葬儀には、さっちゃんも駆け付けたりだったよ

で、いま各地ソロで回ってんだけどさ
ヤツを偲んた数曲。。。
今度は来週火曜日の祝日2/11
下北沢CCOで(古着屋シカゴ下北沢本店隣りB1)やるよ
忙しいとは思うけどもし時間があったら。


昨日今日は岡山でも雪がチラリ
ここんとこ急激にまた寒くなったけど身体に気を付けてなぁー!
……
どじん、死ぬなよ。
何とか明晩行かないとだな。
流石に下北は雪は溶けてて、雪は端っこにしか残ってないかな。
俺達にはパウダースノーじゃなくて、そんな道の脇の排ガスまみれの煤けた雪がお似合いだ。

”空は青く澄み渡り 海を目指して歩く
怖いものなんてない 僕らはもう一人じゃない
空は青く澄み渡り 海を目指して歩く
怖くても大丈夫 僕らはもう一人じゃない”

娘が小学校の移動教室で皆で唄い、「メチャ盛り上がる!」という
SEKAI NO OWARIの「RPG」をiTunesでダウンロードして、お互いのiPodに放り込む。

”「世間」という悪魔に惑わされないで
自分だけが決めた「答」を思い出して”

「軽く行こう」と、いつもながらのズルズルの面子に初対面の若いテニスコーチを加えて呑んだ翌朝。
(こんな歌詞もあったんだ)と聴き入る。
(何かエラそうに語っちゃったなあ)

”Don't trust over 30”
「30才以上の奴の事は信じるな!」
俺が10代の時にはもう余り聞かなかった言葉だが、
「周囲に迎合して歪むな!」、
そんな感性は脈々と引き継がれてるんだ。
でも歳を重ねて一つだけ確信出来た事がある。
前に進む為に、どこかで「折り合いをつける」事は妥協じゃあない。

”「方法」という悪魔にとり憑かれないで
「目的」という大事なものを思い出して”

うん、そうだな。
「答」も「目的」も思い出すとやりきれなくなるけど、そうしてみる。

1位 オランダ
2位 フィンランド・アイスランド
4位 ノルウェー
5位 スウェーデン
6位 日本
7位 ドイツ
8位 スイス
9位 ルクセンブルク
10位 ベルギー
11位 スロベニア・アイルランド
13位 フランス
14位 デンマーク
15位 チェコ
16位 スペイン
17位 英国
18位 ポーランド・ポルトガル
20位 ハンガリー
21位 オーストリア
22位 イタリア
23位 カナダ
24位 エストニア
25位 スロバキア
26位 ギリシャ
27位 リトアニア
28位 ラトビア
29位 米国
30位 ブルガリア
31位 ルーマニア

というランキングが載った記事を見かけた。
子どもの幸福度総合順位。
日本は貧困度の高い家庭が増えているのが、マイナス要因らしい。

そうなんだ、一億総中流、今いずこか。
自分を中流、中産階級と考えるのは、日本人の横並び国民意識の典型だが、厳しさは増している。

日本有数の大きな会社との打合せ中、
「消費税が上がっても給料がその分上がる訳じゃないから……」
ふと先方が漏らした一言が、その場をビジネスミーティングから場末の会話に変えた。
「お金と仕事は淋しがりやだから沢山ある所にしか行かないって言うからねえ」
「テニスは不況に強い」らしいが、「一億総中流」と同様に過去の話でない事を祈る。

関東テニス協会ののジュニア選手登録数が激減していると聞く。
いろんな要因があるんだろうが、テニス故の根本的な問題があるんだろうと若手のコーチと話をしてみた。
それまでにこやかに話をしていた彼が、思い当たる節を答えるなり強張った表情に変わった。
うん、俺もそれが一つの原因だと考える。
それが何かはここには記さない。

“Helpless”
CSN&Y(クロスビー,スティルス,ナッシュ&ヤング)が1970年に発表した「Deja Vu(デジャ・ヴ)」の中の一曲。
北オンタリオでベトナムに向かう爆撃機を見ながら、
「救いようがない。もうどしようもないんだ」と繰り返される唄。
「救いようがない」
そう唄う事で救いようがない状態を受け止め、生き抜いて来た奴等がいる。
俺達もサバイヴする時だ。

大ガードを抜けて小便横丁へ歩き出した時、iPodがSIONの「30年」を奏で出した。
生ギター一本の曲

"そうかもう30年か あっという間 いや そうでもないか"

(朝っぱらから泣くなよ。しかも小便横丁で)と自分に突っ込む。
周りのサラリーマンに気付かれない様にうつむきながら歩く。

30年前、正しくは30年と9ヶ月前。
ちょっとテニスが出来るからと安易に傲慢にテニスコーチのバイトを始めた。
「テニスが強いからと偉そうにするんじゃない」
5月の終りに亡くなった雑賀昇氏が某有名選手に放った言葉だが、まあ嫌なガキだった。
レッスンだけは真面目にやっていたが、殆ど酒を呑みに行ってた毎日。
テニスに何とか生かしてもらってた30年。

娘は来年中学、俺がテニスを始めた歳。
息子は来年高校、俺が酒を呑み出した歳だ。

"年頃になったらもうどうしようもないね 年頃になったらもう聞きゃあしないんだから"

アルペジオの後奏が終った。
箱そばで朝飯だな。

(12月8日かあ……)
そして今年も又、
(でも日本時間は12月9日だからな)
と思う。
甲斐バンドの武道館で甲斐よしひろの口からジョンの訃報を聞いてからもう33年。
一緒に観に行った彼女が買ったフタバヤのラケットの名前が思い出せない。
何だっけ?
だいたい彼女はテニス部じゃなかったから、一緒にテニスした事もないんだが。

MacBook Airで「Jealous Guy」のアウトテイク。
ロン・ウッドがfbにジョンの画像をUPした後にジム・モリソンの画像をUPした。
そうなんだ、12月8日はジム・モリソンの誕生日なんだ。
太平洋戦争開戦日だし、力道山が刺された日でもあるし、検索したらコマ劇場のオープンの日でもあるらしい。

気分を変えて、福山雅治がどこかのスタジアムでチャーと弾き語りで唄うSIONの「12月」。

”12月
街はクリスマス気分
あちこちから想い出したようにジョンの声
そして俺ときたらいつもこのごろになると
なにかやり残したよなやわらかな後悔をする
12月・・・”

チャーはOVATION。
福山雅治のSIONへのシンパシーは素敵だ。
そう言えば今日は誰ともジョンの話をしなかったな。

iTunesは坂本冬美が唄う「安奈」。
歌い継がれる事で人々に継承される素晴らしさ。
命日だからと声高にジョンの話をする必要はない。
この今も沢山の人がジョンの曲を聴いているんだろう。

"I didn't mean to hurt you
I sorry that I made you cry
I didn't want to hurt you
I'm just a jealous guy
Watch out
I'm just a jealous guy
Look at me
I'm just a jealous guy"

3日間の予定を終えて帰京。
富士山マラソンの協議終了予定時間とほぼ同時刻の閉幕。
選手もスタッフも皆急いで帰京。
中央道に入ると渋滞表示はなし。
これは夕方には車を下りて美味い酒が呑めると思いきや、「渋滞2km」の表示。
「もう大月過ぎてるし、2kmなら御の字!」と話していたら談合坂を越えた辺りで渋滞in。

若干疲れて帰宅したところにやたら後ろが騒々しい電話がかかって来た。
関東高校テニスOB対抗戦の打上げ会場。
万年お祭り状態の先輩が代った相手は同い年の他校OB。
「えっ!?今肉屋継いでるんじゃないの?!」

俺が肉屋の息子だったなんて知っている奴等なんてこいつ等位だ。
いろんな顔を思い浮かべると家業、親父さんの職業を結構知ってる。

“わからない事が あるだろう君も 子供じゃないって 叫んでも
誰だって「わかる時が来るさ」そう言うだけだョ”

高校生の時にデビューした先輩の唄の歌詞。
意気がってても結局は親の手のひらの上で転がっていただけなんだろうな。

その先輩は今夜SUPER BADというバンドのCD「REVIVE」発売記念LIVE。
いろんな所で皆わさわさしてたんだな。

“人生には早過ぎて これからの事は多過ぎて 目がまわる 目がまわる 心がまわる
授業時間は終わった 授業時間は終わった 飛び出せ 外へ飛び出せ Wh ……”

レッドソックスのワールドシリーズ優勝、東北楽天ゴールデンイーグルスの日本シリーズ優勝。

上原浩治投手の経歴を改めて見た。
高校時代は控え投手、体育教師を目指して大阪体育大学を受験したが不合格、浪人中はジムに通い、家計への負担を減らす為に夜は道路工事のバイト、その後の活躍は周知の通り。
座右の銘は雑草魂。
背番号19はこの浪人中19才の一年間を忘れない為だと言う。
そして最近は
「ワールドシリーズ優勝は確かに嬉しいが済んだこと。まだ自分に可能性を感じる」
といった内容のコメントをしていた。
何故か、宮村美紀選手を思い出す。
宮村選手は中2までバトミントン一筋で全国大会にも出場した後、テニスに転向。
それから数年後にインカレ単複優勝しプロに。
二人共にいいなあと感じる。
報われない人、出遅れた人が「頑張ろう」と思えるいろんなストーリーがあっていい。

そして田中将大投手。
“あの”日本シリーズ160球完投負け翌日の志願リリーフで優勝をうけての気持ちのこもった新聞手記。
そのままここに載せたい位だ。
『数字は、自分でコントロールできるものと、できないものがある。勝ち星は投げて必ずつくわけじゃない。ただ、「どこまで勝つんだ」という周囲の声が、「いつ負けるんだ」となるとつらかった。でも膨らむ期待に応えるのがプロ。何を言われようが、僕はずっと勝ち続けてやろうと思っていた。負ける恐怖なんて、全くなかった』
『先発投手は、ローテーションで決められた登板日に向けて調整する。そこに調子を合わせるのが仕事だし、合わせる責任がある。大事な仕事に対して「もういいや」と投げやりになる気持ちを抑え、「自分のためにやらないと」と思えるかどうかは、その人の意識の差だ』
武骨な素直さとでも言えば良いのか。
ここにも「頑張らないと!」と奮い立たせられるものがある。

今週一週間有明に通い詰めた。
全日本テニス選手権に出場した穂積絵莉選手の応援。
シングルス優勝、ダブルス準優勝。
負けたダブルスの表彰式のコメントがとても良かった。
表彰式のスピーチは誰が話しても型通りとも言えるが、そこにその人なりのストーリーや、心からの想いが溢れる。
WTAに舞台を移して行くであろう穂積選手が、更にテニスに真摯に、そして周りの皆とポジティヴでアグレッシヴな良いチームを造り上げて行く事を願う。

帰りの電車の中でKISSの”God Gave Rock’n Roll To You 2”を聴いた。
勿論サビは”God gave tennis to you,God gave tennis to everyone”と聴こえて来た。

「若者達が夢を持ちにくい時代なのだと何かで読んだ。ひとりの大人として申し訳なく思う」
「夢なんかなくても、夢に破れても、何者にもなれなかったとしても、
若者はのびのびと元気でいて欲しい。それだけで私達大人にとっては希望なのだから」

この言葉が書かれた記事を読んだ時、世界を目指すジュニア強化育成チームのコーチの言葉を思い出した。

「テニスが強くなる事より、テニスを通じて一人の人間として成長する事の方がよっぽど大事です」

2020年の東京オリンピックに向けて日本スポーツ界は世界に誇れるトップアスリートを間違いなく生む。
スポーツに対するイメージ、スポーツを取り巻く環境も間違いなく変る。
それが日本人特有の全体主義による一過性の熱狂で終らない事を願う。
スポーツに関わる大人一人一人が今後もロングレンジでぶれずに選手達=若者達と接し、導いて行けるかの試金石の7年間になる。

冒頭の言葉は誰の言葉か、いや誰というよりどのジャンルの人の言葉か当てられる人はいるだろうか。
これは"「あまちゃん」を終えて"というタイトルで
キョンキョンこと小泉今日子氏が読売新聞に寄稿した文章の中のコメント。
以前も触れたがキョンキョンにはそんなに興味がなかった。
それが数年前から読売新聞日曜朝刊書評コーナーで
「評・小泉今日子(女優)」と書評を寄せているのを読んで興味を持つ様になった。
ヤンチャに走り出し、タフに生き抜き、年相応に自分と折り合いをつけて来た人の言葉は心にスッと入って来る。
毎日沢山の子供達と接しているスポーツ指導者達が、一人の大人として,子供達と一緒にいる時だけでなく、子供達を取り巻く今の環境に責任を感じてくれていたら、きっと世の中は変わる。

"「あまちゃん」を終えて"のサブタイトルは、
「誰も死なせないというのが宮藤さんの選択だった」
「夢の箱の中にいる私達に出来ることは希望を与えることなのだと強い気持ちがわき上がった」
「最終回でアキとユイちゃんがトンネルの向こうに見える光に向かって走り出した時、
やっぱり私は泣いてしまった」
こんなコメント受けて、
「希望の光へ さあ私たちも!」

夢の箱ならぬ、夢のコートの中にいる俺達に出来る事も希望を与えることだ。
希望の光へ。

1stタイブレーク64でラオニッチのセンターへのサーブ。
線審のコールはフォルト。
ラオニッチはチャレンジ。
デルポトロは手で「入ってたよ」と仕草して、次のポジションに動いている。
先日の試合でも際どいジャッジにユーモラスな仕草をしていたが、本当にナイスガイだ。

そんなポイントの後チェアアンパイアが、必ず該当するラインズマンにアイコンタクトしながら、ラインズマンのジャッジが正しかった時は親指を立てて「Good!」、
残念ながら間違っていた時は手のひらを下に向けて「仕方ないよ」
とメッセージを送っているのに気付いた。
複数名の審判がそうだったから、ATPのチェアアンパイアは皆そうなのか。
いいじゃん!プロじゃん!
皆でいい試合になる様に動いているんだなと嬉しくなった。

プロと言えばお袋が入院している病院のスタッフ。
若いドクター、ナースが多いが、皆驚く位ホスピタリティが素晴しい。
勿論技術も高く、80後半のお袋に保険適用第1号の心臓手術を勧め、成功させた。
いいミーティング、いいコミュニケーションがスタッフ間で常時展開されているんだろう。

プライベート、ビジネス、最高のチームを組めるパートナーが必要だ。

今年は晴れた「テニスの日」、有明イベント。
コロシアムとAコートは東レPPOが使用するのでBコートとCコートでの開催。
東レPPOが本戦2日目という事もあり、有明は賑わっている。

「テニスの日」のプログラムの中の「東レPPO観戦ツアー」に参加する人達がスタッフに質問している。

「このチケットはどこの試合が観れるんですか?」
「Nブロックっていうのはどこのコートの事ですか?」
「試合は何時迄ですか?」

スタッフはその度に丁寧に
「このチケットはセンターコートの指定席で、他コートにも入れます。他コートは自由席ですので空いてる席にお座り下さい。終了時間は予定されている試合が終る迄ですので、進行次第で変わります。センターコートは今第2試合の森田あゆみ選手の試合が終って、第3試合のクルム伊達公子選手の試合が始まる頃ですが、コート1は第1試合の土居美咲選手の試合が終ったばかりです」
といった感じで説明を繰り返している。

感じるのは「テニス観戦した事がある人って少ないんだなあ……」ってこと。
もしかしたら未だに「息を詰めて観戦しなければいけないから……」と思い込んでいる人だけでなく、「何時にどこに行ってどうやって観れば良いかわからないから……」と足を運ばない人もいるのかもしれない。
長期間に渡って開催しているJリーグやプロ野球は観客動員の為に様々な趣向を凝らしている。
日本で世界のテニスを観る機会は少ないからこそ、もっともっと工夫するべきなんだろう。

今、土居美咲選手が接戦をものにして1Rを突破。
旧センターコートの1、2番コートの2番コートに観客席を設置して1面にしたショーコートは満員。
ラストゲーム、何回も繰り返したデュースを攻め続けてマッチポイントを獲った。
いいファイトだった。

東レPPOは来年の開催が危ぶまれていたが、ワンランク下がるものの、9/15からと1週早まっての開催が決まった。
とりあえず来年も有明の秋は熱いはずだ。

朝8時の新宿西口地上。
人混みの中、ラケバを担いだ女性。
(あれっ?!)
目が合い、立ち止まって挨拶。
青山修子選手。
今年のウィンブルドン女子ダブルスベスト4の選手とこんな雑踏で話をしているのが不思議な感じ。
(何かいい朝じゃん!)と足を進める。

数日後。
(あっ!!)と起きてTVをつける。
"その瞬間"の直後。
しばらく何回もリピートされる映像に見入った。
「子供達に次のステージを用意できて幸せです」
コンタクトレンズが流れ出る程泣いたという太田選手の言葉。
頭が下がる想いで一杯になる。

東京に決定した瞬間の招致委員を正面から捉えた写真。
左端でガッツポーズしながらジャンプしてる滝川クリステルさんを見て、素敵だなと感じた。
数年前、チケットが回って来て、急遽有明のロイヤルで伊達選手のダブルスを観戦した事がある。
ナイトセッションでガラガラの観客席。
数列前に彼女と鈴木京香さんがいた。
お互いマネージャーも伴わず熱心に観戦していた。
これからも日本テニスを応援してほしいな。

「スポーツの力」
あと7年間、フルパワーで動こう。

古い人間らしく同室の方、看護師、医師と丁寧に退院の挨拶をしてる。
コの字型のナースステーション前を通り過ぎ、エレベーターのボタンを押しておこうと先に行って待っていたら、「疲れた。足が進まない」と言う。
近くにあった椅子に座らせ、車椅子を借りようと「すいません。調子悪いみたいで」と看護師さんに声をかけたら、「あらあら」と笑顔で車椅子を持って来てくれたが、
すぐに「病室に戻ろう」と駆け足で車椅子を押して行く。
ナースステーション前を通過する時には大声で応援を呼び、病室に着くやいなやベッドで心臓マッサージが始まった。
「離れていて下さい。ラウンジでお待ち下さい」と言われて、部屋から出される。
館内放送で部屋の中の様子も見れない位の人数の医師と看護師が続々と駆けつけて来た。
(おい、こんなんで終っちゃうのかよ)と狼狽えていると、「戻りました!」と言う声。
看護師に「意識も脈も戻りました。しばらくラウンジでお待ち下さい」と言われたものの、落ち着かない気持ちで椅子に座っていた。
多分ほんの数分の事だったんだろう。

約3年前の2010年11月29日を思い出す。
テニススクール運営会社の40代の役員が倒れた。
(何でもいいからとにかく生きていてくれ。大丈夫だ。大丈夫だ)と頭の中で繰り返していたのを思い出す。
そして何故か毎朝、広田玲央名の「だいじょうぶマイ・フレンド」を聴いた。
いつからか聴かなくなったが、さっきiTunesの再生回数を見たら62回だった。
約2ヶ月で安心出来る様になったという事か。
勿論彼は今バリバリ働いている。

母とは小一時間程してからCCUで面会。
ちょっと朦朧としてる感もあるが、気を失う直前の様子を酸素マスク越しに聞く。
「軽い脱水症状と精神的な緊張が原因では?」と医師は言ってた。
おそらく俺が迎えに行くのが遅れたのでヤキモキしてたんだろう。
更にはこんな日でも相変わらずぶっきらぼうに母に接してしまう自分を反省する。
でも反省しながらも、(元気に家に戻って来ると又、嫁、孫の文句ばかり言うんだよなあ。
そうするとどっちみち俺はぶっきらぼうな仏頂面にならざるを得ないな)ともう先の事を考えてる。
生きてればこそってやつだが、これじゃいけないのは良くわかる。

今さっき、新聞に目をやると「人間にとって成熟とは何か」とデカい文字。
曽野綾子氏の最新刊の広告。
タイトルの前には
「人は年相応に変化する方が美しい」
とあり、タイトルの後には
「人はみな平等に年を取るが、しだいに人生がおもしろくなる人と、不平不満だけが募る人がいる。両者の違いはいったい何か」
とある。
今呑み屋にいたら、
「次第に人生がおもしろくなる人と不平不満だけが募る人?生まれてこの方ずっと不満だらけの俺等はどこ読みゃあいいんだよ?!」
と茶かすところだが生憎今は自分の部屋でおまけに素面だ。
何々、
第1章「正しいことだけをして生きることはできない」
その通りだ!
第2章「努力でも解決できないことがある」と知る
うん、これもその通り!
第3章「もっと尊敬されたい」という思いが自分も他人も不幸にする
俺には関係ないが、そりゃそうだ。
うん?
第12章「うまみのある大人」は敵を作らない
う〜む、痛い所を突かれた気分だが、この本は多分高尚な内容で俺には合わないな。
とりあえずSIONの「バス」を聴こう。

"生きてるものは寝るからおかしい 死ぬから悲しい
たったひとつの同じとこで ほとんどが溺れかけてる
人が好きで人が嫌いで 一人が好きで一人は嫌で
気にして欲しくて ほっといて欲しくて お前がわからない"

本当にわからないよ、自分って奴が。

「ウチの家族はBSで毎朝7時半から観てるよ」
「おっ、"早あま"ね!」

クドカンこと宮藤官九郎の魅力を随分前に教えてくれた古い友人。
木更津キャッツアイ、中村屋。
グループ魂のCD「Run 魂 Run」が出た時はすぐに聴かせてくれた。
"あの歌の故郷を訪ねて"の
「何でもよか。ザ・モッズがよか。大江慎也がよか。甲斐バンドでよかろうも」
のコントは笑った。
そんな奴と今会えば当然「あまちゃん」の話題になる。

「朝の放送が終るとTwitterに#あまちゃんでバンバンあまちゃん分析が上がるんだよ」
「そのマニアックな分析見てから午後の再放送観ると面白いよお」
「喫茶店のマスターなんて役名が"甲斐さん"だぜ、"甲斐"じゃなくて"甲斐さん"!」
クドカンがARBを好きなのは知っていたが、やっぱり甲斐バンドも好きなのか。
確かに初期の甲斐バンドの熱狂的な女性ファンは皆、甲斐よしひろの事を「甲斐さん」と呼び、同じ段カットの髪型をしていた。
相米慎二監督、石立鉄男氏へのオマージュの演出の話もニヤリとさせられる。

語られる仕事、語らずにはいられない存在。
俺はそんな事を共有出来る仲間に恵まれているかもしれない。

そういう意味ではテニスはもっともっと語られていいし、語り尽くせない存在だと思う。
観るスポーツ、読むスポーツとしてのテニスの文化度を高めたい。
俺のイカサマ金メッキが剥げ落ちる前にやるべき事をやれる事をやらないとだ。

Twitterで#テニスで検索をかけたら、
「え?? アンダーサーブって、ポイントにならないの? ベルディヒ、アンダーサーブでポイントを取るものの、主審に認められず? 」
なんて記事が引っかかった。
ほほおう、面白いじゃん。
皆で「活字で見かけたテニス」を発信するだけでも楽しいかもしれない。

話は「あまちゃん」に戻って、春子(小泉今日子)が太巻(古田新太)に言った台詞。
「普通にやって普通に売れるもん、作んなさいよ!」
ちょっと情けない負け方して落ち込んでるジュニアにこう言ってやった。
「普通にやって普通に勝てる様になりなさいよ!」
毎朝「あまちゃん」を観てるというその子は、悔しそうな表情に苦笑いを浮かべ頷いた。
キョンキョンありがとう!

"Lonely at the Top"
1985年に発表されたミック・ジャガー初のソロアルバムのオープニング。
田舎の女の子が街に出てトップスターを目指して路頭に迷う様を描いたストーンズの未発表曲をジェフ・ベック等と再録音したこのテイクがかっこいい。
「Tattoo You」の"Tops"のR&R版ってところか。

明日はミック・ジャガーの70才の誕生日。
1980年代に誰がミック・ジャガーの70才の姿を想像出来たか。
時折テメエの今の年齢にビックリするが、ミック・ジャガーがまだステージを走り回っているのにビックリしないのは、奴の才能と努力の賜物か。

さっき会った同年代のテニス界トップスターはこう言っていた。
「残りの人生をJr育成にかけ切りたい」
せいぜいお山の大将がいい所で、トップに無関係な無様な人生を送って来た俺はその熱さにグッと来た。
「まだ何か出来るかもしれない」
街の底辺にいる無能で人望もない俺にたまに灯りを灯してくれるのは、いつもこういう奴等だ。

ストーンズの1981年の北米ツアーを収録したアルバム「Still Life」のライナーにはこんな一節がある。
"もうストーンズも終りに近い。50歳になったMICKを見たいとも思わない。
KEITHもここらで自由にしてやりたい。CHARLIEもちゃんとお家にかえしてやりたい。
RONもまだまだしたい事があるだろう"

それから32年後の今。
ストーンズは北米ツアー中。
オープニングは"Get Off Of My Cloud"
「俺の人生から出て行け!」
とコミカルに唄う1965年、48年前のナンバー。

Mick、俺もパワーゲームに夢中なあいつ等に、ニヤリとしながらシニカルに、
「俺の人生から出て行け!」
ってまだまだ言えそうな気がして来たよ。

好きじゃなきゃやってられない。
勿論仲間が揃ってなきゃやってられない。

Get Off Of My Cloud!

「彼は僕に敗北から多くのことを学ばせてきた。僕も過去に自分で失敗から学んできたが、彼はそれよりも多くのことを学ばせようとしてきた」
「彼は僕が勝てない時でも我慢し、ずっと僕を信じてくれた。多くの人が信じてくれない時もね」

マレーがコーチであるレンドルに捧げたウィンブルドン優勝コメント。

ジョコビッチはマリーをこう讃えた。
「アンディ、おめでとう。優勝者に相応しいプレーだった。そして、アンディの陣営の皆さんもおめでとう」
「彼のプレッシャーの凄さを、僕は理解出来る。皆に期待されて、アンディは大変だったと思う。
僕も全力を尽くした。この決勝に出る事が出来て、本当に良かった」

高校の頃、沢木耕太郎の"敗れざる者たち" を繰り返し読んだ。
"諦めきれない者たち"の諦観には至れない孤独と挫折のストーリーに共感した。
未だに諦めの悪い臆病者の俺は、敗残者がかすかに信じる儚い未来ってヤツが好きだ。
でもマレーの言葉からも、ジョコビッチの言葉からも、
ベストを尽くしたが故に運命を受け入れられる強さが滲み出ている。
「26才の2強時代へ」とマスコミは書きたてているが、そんな事はどうでもいい。
フェデラーにもナダルにもこれからいくらでも素敵なストーリーが待ってる。
エンドロールはまだまだ必要ない。

前日の女子決勝は両手フォアハンドのバルトリが制した。
ファミリーボックスにコーチとしてモーレスモが座っていたのが印象的だった。
バルトリがウィンブルドン準優勝した2007年の前年、2006年のウィンブルドン覇者がモーレスモ。
バルトリ父娘の"巨人の星"スタイルは有名だが、それ故にフェド杯フランス代表から外れ、今年9年振りにモーレスモ監督率いる代表に復帰したが、層の厚さと個の強さを強く感じる。
日本にプレイ+ステイが紹介された頃、エナンの片手打ちバックハンドが良く引き合いに出された。
「既にプレイ+ステイが浸透しているヨーロッパでは、エナンの様に片手打ちバックハンドで打つ女の子が沢山いる」
それは正しい。
でも今回のバルトリの優勝。
更には同じく両手打ちフォアハンドの青山修子のダブルスベスト4。
「ティーチングは選手の自主性を奪う」
「プレイ+ステイとは教えないこと」
等々、何かあると極端に舵を切り、過去を葬り、全て上書きするテニス関係者が、ハタと膝を叩き目覚めるキッカケになればいい。
いいじゃん、いろんな奴がいても!

青山修子の活躍を見て、数年前のJTAカンファレンスで村上武資フェド杯監督が、
「ダブルスの強化を図っている」
と青山選手を起用してオンコート・プレゼンをしていた姿を思い出した。
武資、良かったな、報われて。

今日の昼の打合せ。
「あっ、その日ってミック・ジャガーの誕生日だ!70才!」
ストーンズは今北米ツアー中。
7月にはハイドパークでも演るらしい。
スゲエなあ。

TVを点けたらWOWOWで丁度クルム伊達公子選手のウィンブルドン1回戦。
コートに入る前の伊達選手と握手をするコーチ。
町田のやんちゃ坊主。
何となくTVの音を出したくなくて、ミック・ジャガーのソロをかけながら応援。
何か人生って不思議だなあとしみじみ思う。
本当にどこでどうなるかわからない。
ここまで書いただけで伊達選手が1stを6-0で獲った。
セットポイントはサービスエース。
いい立ち上がりだ。

ライヴそのまま、一発録り?” Wired All Night”がカッコいい。
アルバムタイトルは「Wandering Spirit」。
彷徨う精神か。
迷いや恐れを明るく唄う” Out Of Focus”。

“何から何まで焦点がぼやけて、何にもハッキリ見えやしない
何から何まで焦点がぼやけて、何にも明らかにならない”

伊達選手、6-0,6-2で完勝。
iTunesはまだ「Wandering Spirit」の7曲目” Evening Gown”。

“人は俺の事を大酒飲みと言う。でも半分は素面の時だってある
人は俺の事を敗者だと言う。でもツキが回って来る事だってある”

今、ボリュームを上げたTVの中では錦織圭選手も6-2,6-4,6-3で快勝。
Good Evening!

黒ちゃん、会長、そして相馬。
たった三週間の間に三人続けて逝っちまいやがった。

5月13日の黒ちゃんの葬儀の後。
(今年も野音一緒に行きたかったな……)
黒ちゃんを想ってSIONの唄のフレーズがまだ頭の中でグルグル廻っていた5月30日。
旧友が運営する平塚のテニススクールで会長の訃報を聞いた。
体調を崩したと聞いてから、節目節目の行事がある度に(次は出て来てくれるはず)と、不安ながらも信じていたのに……。
周りと比べて全くビジネスの才覚がない俺にも声をかけてくれていた会長。
一番最近言われた言葉は、
「ようやくあんたもまともになったな」
「オタクのトップはテニス界の為にもっともっと大きな事をやらなければいけないんだから、貴方達がもっとしっかりしなさい」
あとは、「あんたは絶対オタクのトップの悪い事を言わないね」
まともじゃないけど、目を瞑れば少しは許せる所はあるとでも感じてくれてたのか。

翌日からバタバタしたまま三日間千葉へ。
帰りの車の中、珍しくラジオを聞いていた。
選んだ訳でもなくNACK5の野球中継。
アナウンサーが「本日ライオンズの選手は喪章を付けてプレーしています」と言った瞬間、(もしかして……)と嫌な予感がした。
「ファームディレクター補佐兼育成担当の相馬勝也氏がお亡くなりになりました」
高校時代の同級生。
数年前に高校卒業以来久し振りに会った際に、その選手、指導者としての経験を若手テニスコーチ達に話してやってほしい旨の話をした。
その時は、「OKだけど今ちょっと忙しい」との事だったが、今思えばその後も頼めば良かった。
最後に会ったのは昨秋のデカい同窓会。
痩せた姿で料理台をチェックしている姿が印象に残ってる。
「辛くても会の間は座らず立っている」と、委員長の責を全うしていたのは通夜の席で聞いた。

相馬、会長と連日の葬儀。
「それでも俺達は生きている」
「彼等の分迄精一杯生きなければいけない」
そんな分かりきった言葉は出て来ない。
辛い。

黒ちゃんの店に会長と二人で呑みに行った写真がサーバーにあった。
iPhoneで撮ったら暗くてボケちゃってて、モノクロに加工して保存したんだっけ。
カウンターの中で笑ってる黒ちゃんとカウンターで頬杖ついてる会長。
もういないんだな、二人共。

2011-06-02

黒ちゃん。
新宿ゴールデン街花園三番街「BAR Rose & Crown」のマスター。
俺が初めてゴールデン街に呑みに行ったのは1989年頃。
たまたま扉が開いていた店の中が、StonesのWaiting On A FriendsのPVを収録したSt.Marks Barみたいだったので入ってみたらバッチリ。
黒ちゃんはそこ、「BON'S」のマスターだった。

会長。
公益社団法人日本テニス事業協会 故 雑賀昇会長。
テニスの日創設に、日本テニス協会、日本プロテニス協会、日本テニス事業協会、日本女子テニス連盟の四団体がより強く協力して行く為の日本テニス連合結成の働きかけ。
くだらないしがらみを嫌い、日本のテニスの発展の為に労を惜しまず、先頭に立ってくれた。
これ以外俺なんかが会長の何を語れるというのか。

相馬。
日大二高からドラフト外で西武入団。
友人から聞いた話では、入団に際して巨人、西武から声がかかり、「俺は商品じゃねえ」と巨人の誘いを断って西武に入ったらしい。
一才年上の伊東勤がいた為にずっと控えだったが、
その情熱と人柄から引退後も球団に残り、コーチング、選手のサポートにあたっていた。

黒ちゃん、61才。
会長、79才。
相馬、50才。
それぞれ早過ぎる。

合掌

真っ青な空。
塗り替えられて綺麗なテニスコートが連なる。
テニスコートは何と100面。
野球グラウンドもしこたまある。
そんな場所で真夏気分になり、コート隣の売店でオバちゃんがどぶ漬けで売ってるビールでも呑みたくなってた矢先に携帯が鳴った。

「良く行かれてるゴールデン街のマスターが亡くなったそうです。ウチの若いのに電話がかかって来て、『電話番号を教えるから電話してほしいと伝えて』との事です」

何でだよ、調子が悪いのは知ってたが、数日前にメールもらったばっかだぜ。
どうしちゃったんだよ。

<今日も病院診療、今帰ったところ。特に大きな変化は感じないかな、試し入院薦められたが、自宅薬治療、約ひと月のモルモット、ま、いきなり良くなる病じゃないし。昨日直樹から電話あったけどどうしたかな?店行ってくれたかな?>Date: Thu, 2 May 2013 12:58

呑み屋の早朝野球に助っ人で連れてった奴がチームの人に携帯番号を教えていて、そっちに連絡が行ったらしい。
何度も横並びで呑みながら連絡先の交換はしてなかった常連さんに電話。
翌日が葬儀だった。

SIONの「元気はなくすなよ」がずっと頭の中で鳴り続ける。

"見上げれば星が ひとつふたつ 寒空の上に 座ってる
長い 友達に 会ったように 俺は

調子はどうだ 話しかける
こっちはいつもと おんなじさ
まるで ぱっとしねえや だけど まだ まだ

ここで踏ん張ったらきっといつかそのうち
おもしろい事があるような気がするからさ
元気はなくさんさ

そういえばいつも ひとりじゃなかった
いつだってお前が いてくれた
なにも 言わないで 黙って 教えてくれた

いつも見てくれてるから悪いこともできゃしない
こう見えても天使の暮らしはやたら心磨り減るんだぜ
たまには目をつむれよ

こんな夜はお前に 話しかける
相変わらずいつもと おんなじさ
まるで ぱっとしねえや だけど まだ まだ

ここで踏ん張ったらきっといつかそのうち
おもしろい事があるような気がするからさ
元気はなくさんさ
ここで踏ん張ったらきっといつかそのうち
おもしろい事があるような気がするからさ
元気はなくさんさ

元気はなくさんさ
お前も元気はなくすなよ"

エンディングの音が壁に吸い込まれると二人で「いいねえ……」。
そして黒ちゃんが「元気はなくさんさ!」と明るく言っていたのを思い出す。
今こそ黒ちゃんの店でこれ聴きたい。

大久保と新大久保の間の葬儀場。
多勢の弔問客。
最後のお別れ。
俺は黒ちゃんのおでこを触ってみた。
冷たかった。
泣けた。

数日後、武蔵小杉の美味い串焼きの店の帰り。
電車に乗ったら、新宿三丁目行きだった。
途中で乗り換えるのが早いが、新宿三丁目迄行ってE2で地上に出る。
花園神社と今は吉本興業が東京本部として使ってる四谷第五小学校の間。
向こうにはゴールデン街のネオン。

療養の途中から代わりの人が店を開けていたのは知ってる。
今日が日曜日で定休日なのも知ってる。
だからやっと足が向いたのか……。

当たり前だか開いてない。
クロージング・タイムか。
又SIONの曲が鳴り始めた。

"ガードレールに沿って 2年前
働いた店に来たけど
すすけた木の扉にゃ鍵がかかってる
久しぶりだろ バドワイザーおくれ
久しぶりだろ あんまりだぜ
Mmークロージング・タイム
酔いどれトムのブルースを聴きたい
Mmークロージング・タイム
午前3時のピアノの音色を
クロージング・タイム"

昨日5月24日でディランは72歳になった。
61歳は早過ぎる。

黒ちゃん、天国じゃ肝硬変になる事もないだろうから、浴びる程呑んでくれ。

合掌

清志郎と斉藤和義がライヴでRCの"空がまた暗くなる"を一緒に唄ってるテイクを最近良く聴く。

"おとなだろ 勇気をだせよ おとなだろ 知ってるはずさ 悲しいときも 涙なんか 誰にも 見せられない"

キャッチーなリフが続きながらも、どこか夕暮れの様な物悲しさが続く唄。
斉藤和義の淋しげな声と、清志郎の諦観した悲しい声のかけ合い。
清志郎、死んじゃってもう二年経つんだなあ。

さっきまで清志郎がよく歌にした多摩地区から多摩川を渡った先で、その街のテニススクールの支配人とヘッドコーチと酒を呑んでた。

駅前の通り沿いの席。
若い酔客を外に出した店長にその酔客が殴りかかった。
店長はそいつらに終始敬語で冷静になる様に呼びかけている。
その側で止めに入ろうとした俺等に「店の中に戻ってくれ」と全くビビってない女性店員がいた。
凛としていて素敵だった。
聞けば店長はキックボクシングの猛者で、女性は奥さんらしい。

"空がまた暗くなる"
20年前この唄を好きだったのは、
"おとなだろ 勇気をだせよ おとなだろ 知ってることが 誰にも言えないことばかりじゃ 空がまた 暗くなる"
というフレーズが引っかかっていたからだという気がする。
今は、
"ああ 子供の頃のように さあ 勇気を出すのさ きっと 道に迷わずに "君の家にたどりつけるさ"
なのか、
"おとなだろ 勇気をだせよ"
なのか。

とにかく今夜きっちり店を守った二人に乾杯!

↑このページのトップヘ