黒ちゃん、会長、そして相馬。
たった三週間の間に三人続けて逝っちまいやがった。

5月13日の黒ちゃんの葬儀の後。
(今年も野音一緒に行きたかったな……)
黒ちゃんを想ってSIONの唄のフレーズがまだ頭の中でグルグル廻っていた5月30日。
旧友が運営する平塚のテニススクールで会長の訃報を聞いた。
体調を崩したと聞いてから、節目節目の行事がある度に(次は出て来てくれるはず)と、不安ながらも信じていたのに……。
周りと比べて全くビジネスの才覚がない俺にも声をかけてくれていた会長。
一番最近言われた言葉は、
「ようやくあんたもまともになったな」
「オタクのトップはテニス界の為にもっともっと大きな事をやらなければいけないんだから、貴方達がもっとしっかりしなさい」
あとは、「あんたは絶対オタクのトップの悪い事を言わないね」
まともじゃないけど、目を瞑れば少しは許せる所はあるとでも感じてくれてたのか。

翌日からバタバタしたまま三日間千葉へ。
帰りの車の中、珍しくラジオを聞いていた。
選んだ訳でもなくNACK5の野球中継。
アナウンサーが「本日ライオンズの選手は喪章を付けてプレーしています」と言った瞬間、(もしかして……)と嫌な予感がした。
「ファームディレクター補佐兼育成担当の相馬勝也氏がお亡くなりになりました」
高校時代の同級生。
数年前に高校卒業以来久し振りに会った際に、その選手、指導者としての経験を若手テニスコーチ達に話してやってほしい旨の話をした。
その時は、「OKだけど今ちょっと忙しい」との事だったが、今思えばその後も頼めば良かった。
最後に会ったのは昨秋のデカい同窓会。
痩せた姿で料理台をチェックしている姿が印象に残ってる。
「辛くても会の間は座らず立っている」と、委員長の責を全うしていたのは通夜の席で聞いた。

相馬、会長と連日の葬儀。
「それでも俺達は生きている」
「彼等の分迄精一杯生きなければいけない」
そんな分かりきった言葉は出て来ない。
辛い。

黒ちゃんの店に会長と二人で呑みに行った写真がサーバーにあった。
iPhoneで撮ったら暗くてボケちゃってて、モノクロに加工して保存したんだっけ。
カウンターの中で笑ってる黒ちゃんとカウンターで頬杖ついてる会長。
もういないんだな、二人共。

2011-06-02

黒ちゃん。
新宿ゴールデン街花園三番街「BAR Rose & Crown」のマスター。
俺が初めてゴールデン街に呑みに行ったのは1989年頃。
たまたま扉が開いていた店の中が、StonesのWaiting On A FriendsのPVを収録したSt.Marks Barみたいだったので入ってみたらバッチリ。
黒ちゃんはそこ、「BON'S」のマスターだった。

会長。
公益社団法人日本テニス事業協会 故 雑賀昇会長。
テニスの日創設に、日本テニス協会、日本プロテニス協会、日本テニス事業協会、日本女子テニス連盟の四団体がより強く協力して行く為の日本テニス連合結成の働きかけ。
くだらないしがらみを嫌い、日本のテニスの発展の為に労を惜しまず、先頭に立ってくれた。
これ以外俺なんかが会長の何を語れるというのか。

相馬。
日大二高からドラフト外で西武入団。
友人から聞いた話では、入団に際して巨人、西武から声がかかり、「俺は商品じゃねえ」と巨人の誘いを断って西武に入ったらしい。
一才年上の伊東勤がいた為にずっと控えだったが、
その情熱と人柄から引退後も球団に残り、コーチング、選手のサポートにあたっていた。

黒ちゃん、61才。
会長、79才。
相馬、50才。
それぞれ早過ぎる。

合掌