あめぞう墜つ!

1999年のとある日、当時の日本掲示板世界を事実上制していた“あめぞう”掲示板がサーバ不調で、“また”落ちた。

「あめぞうの命・・・そう長くはない。」

この時、目端の利く者は、誰しもそう思ったという。
その中に、ひとりの若者がいたという。
その若者は当時の電網界隈の有力者でも、“あめぞう”掲示板の幹部(スタッフ)ですらない、一介の“あめぞう”固定ハンにすぎなかった。

1998年9月、電網世界黎明期において掲示板世界の覇を唱えていたあやしいわーるど管理人“しば”が突如として引退を表明。その結果、あやしいわーるど住民の離散(ディアスポラ)が引き起こり、その難民を大量に引き受けて急速に勢力を広げたのが、“あめぞう”であった。

“あめぞう”はワレズリンク集から身を起し、あやしいわーるど消滅に前後して掲示板を着々と増強。そして、従来の積み上げ型やツリー型の掲示板とはまったく異なる、スレッドフロート型掲示板を開発したのである。この画期的な掲示板システムの導入によって、“あめぞう”は大量の書き込みを効率的に整理整頓することが可能となり、飛躍的な利便性の向上によって覇権を確固なものとした。

その画期的なスレッドフロート型掲示板とは・・・説明が面倒だから2ちゃんねるをインターネットエクスプローラーで見てみれ、あれだ。

掲示板世界の覇権を握ったかに見えた“あめぞう”だが、書き込みと閲覧の増大はやはり度重なるサーバの不調を引き起こした。更に住民の増加は必然的にトラブルを頻発させ、書き込みにより不利益をこうむった個人・団体からのクレームが管理人“あめぞう”へぐりぐりと圧力をかけてくる。学生やフリーターではなく、正業に就いていたという管理人“あめぞう”にとって、それらのトラブルは過大な負担となっていたと考えられる。

“あめぞう”は巨大化した。だが、その巨大化したが故の自らの内なる圧力による崩壊の兆しを見せ始めていた。

若者は、“あめぞう”崩壊を秘かに予見していた。“あめぞう”の抱える問題点の数々を冷徹に分析する。そして、確信する。

「おいらならクリアできる・・・( ̄ー ̄)ニヤリッ」

1999年5月30日。若者は“あめぞう”のスクリプトをそっくり流用したスレッドフロート型掲示板を立ち上げた。その設立趣旨はサーバ不調が続く“あめぞう”の避難所という名目であった。

その避難所掲示板の名を「2ちゃんねる」という。
そもそも、2ちゃんねるとは「あめぞうのサブ」という意味であった。
ところが、後にいつの間にかこの意味は「メディアの空きチャンネル」ということになってしまっている。

2ちゃんねるを立ち上げたこの若者こそ、西村博之(ハンドルネーム「ひろゆき」)である。
まだ、22歳の大学生だった。
この時は世間的には全く無名の若造だったが、やがて、その名は電網世界に生きるものならば、知らぬ者のない存在にまでのし上がることになる。

西村博之・・・ひろゆき。

繰り返して、あえて言おう。

この時の西村博之は、一介のあめぞう固定ハンにすぎなかった。




2chの歴史 西村博之伝2 生い立ち
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