気まぐれな脳細胞

Capricious brain cells

カプリシャスな脳細胞は「遊戯三昧」を目指す

「遊戯三昧」とは禅語
楽しいことをするのではない  
することを楽しむのだ
我を忘れ
仕事も、趣味も、生活も、さらには人生の運不運もすべて遊び心で生きられれば最高だ
今東光和尚によれば「人生とは、冥土までの暇つぶし」 とか
なれば「遊戯三昧」で歩みたい


今回からしばらくバリの海の中を覗いてみたら・・・で、

蔵出し動画を大放出

第1回目は

ウミテング
(海天狗、Eurypegasus draconis)

PB062178ウミテング


場所は
Lovina Bali-ロビナ・バリ
ポイントは
Puri Jati-プリジャティ





こいつ、意外と泳ぐのが遅い
カメラでずっと追いかけられる

お尻 フリフリ

和名は天狗だけど
英名はペガサス
英名の方がマッチしてるしカッコイイ

どうも和名は短絡すぎる




11話に亘り、今年訪れたパラオについて綴ってきましたがこれで結とします。


これを綴って今思う。


戦争って


戦いの時代に生きた人達は、その時代、自分の生をどう捉えて生きていたんだろう?
だが、どう考えても戦争をするために生まれたなんて思っていなかったはずだ。

じゃあ、これが自分に与えられた世界なのかと疑問に感じる社会はあったのだろうか?
当時の人達は、自分の生きる時代が一体、どんな世界なのか?何が起きているのか?なんて考える余地はなかったのかもしれない。
そして、ただただ戦争に突き進んでいったのかもしれない。
だけどそんな人たちも、少なくとも、その時自分が戦地に送られ、熱帯の地で、小島に防空壕を掘り、そこに閉じ込められ、火炎放射器を浴びることを想像していただろうか?


だが、今を生きる私にはこれを考させてくれる社会がある。
私は今を生きる。

だからこそ考えてみる。


私はその時代に生きた人と比較はできないのかもしれないけど。
その差はあまりにも大きい気がすると。
でも、その頃に想いを馳せることはできる。
私はその頃の悲惨な歴史を少しは知っている

だから、私はペリリュー島に行った。
戦争というものを実感し、生きるって何だろうと考えた。
そして、訪れて思った。
ペリリューに当時に想いを馳せれば、誰もが戦争が愚かなことだと知るだろう。
人が人を傷つけるなんてあってはいけないことだと実感するはずだ。


戦い終わって残るのは
悲惨な結末なのだと。


でも、最も大切なのは、

人の命は尊いものだということを。
人間に敵も味方はないということを。

皆、幸せな世界を望んでいるということを。


私たちには今、考える社会が与えられている。



最後に

今を生きるパラオの子供達のあどけない表情で締めくくります

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スピードボートの船長の娘と息子のようだ
パラオのコロールからついてきた
くったくのない表情がほっとさせてくれる
彼らは私たちのペリリュー島ツアーの約5時間
ここで戦争があったことも知らず船着き場で遊んでいた

願わくばいつまでもこんな平和が続いてほしい


そんなことを思いつつペリリュー島を後にした

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よろしければ今まで綴った「ペリリューの記録」を読んでくださいね


パラオ共和国は天皇・皇后両陛下の御訪問日4月9日を祝日に制定した

ペリリュー・パラオ 壮絶な戦い(PALAU)・日米戦力比

ペリリュー・パラオ(PALAU)-零戦、銃器

ペリリュー島・パラオ(PALAU) 旧日本軍通信局

ペリリュー島・パラオ(PALAU)-海軍航空隊司令部跡

ペリリュー島(Peleliu-island)・パラオ(PALAU)-米軍の上陸地点・オレンジビーチ

ペリリュー島(Peleliu-island)・パラオ(PALAU)-千人洞窟

中川州男陸軍大佐、自決-ペリリュー島(Peleliu-island)

戦没者慰霊碑(みたま)-ペリリュー島・Peleliu-island、パラオ・PALAU

ペリリュー神社‐パラオ・PALAU

心が熱くなるお話-ペリリュー島(Peleliu-island)




パラオ人

ペリリューの戦い
パラオ人の死者・負傷者はゼロだった



そこにはこんなお話がある

日本がパラオに駐留当時、パラオ人は日本兵と仲良くなり、日本の歌も一緒に歌ったりしたという。

しかし、戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

現地のパラオ人は仲間達と話し合った。
そして、彼らは代表数人と共に日本の隊長のもとを訪れた。
「自分達も一緒に戦わせて欲しい」と・・・

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

パラオに住む人達は日本人は仲間だと思っていたのに・・・。

みせかけだったのか。

裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。

そして、彼らは島を離れることになった。
でも、彼らが去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

しかし、船が島を離れると同時に日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。

先頭には笑顔で手を振るあの隊長が・・・

その瞬間、彼らは悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・


ペリリュー島の戦いが終って島に戻った住民は、多くの日本兵の遺体を見て泣いた。
そして、住民はこぞって日本兵の遺体を葬ったという。

日本の人達がいつ来てもよいようにと、その後も墓地の清掃に心掛けたという。

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ペリリュー島のクルールクルベット集落に今も民宿を経営するマユミ・シノズカさん79才、弟のウイリーさんが住んでいらっしゃる。
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私も彼女の紹介を受けた
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ガイドさんと一緒に
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しかし、彼女は日本語を話せなかった


マユミさん曰く

「ペリリュー島そのものが日本兵のお墓
ご遺族に代わり私たちが故郷を遠く離れて眠る日本兵の冥福を祈ります。
島に眠る日本兵は私たちが守ります。」