気まぐれな脳細胞

Capricious brain cells

カプリシャスな脳細胞は「遊戯三昧」を目指す

「遊戯三昧」とは禅語
楽しいことをするのではない  
することを楽しむのだ
我を忘れ
仕事も、趣味も、生活も、さらには人生の運不運もすべて遊び心で生きられれば最高だ
今東光和尚によれば「人生とは、冥土までの暇つぶし」 とか
なれば「遊戯三昧」で歩みたい


ペリリュー島には戦時中の飛行場がある。
この飛行場は東はグアム、サイパンを西にはフィリピンを臨む周りを島に囲まれた要衝の地である。
東西を両睨みできる格好の地でもあった。

米軍は1944年6月にはグアム、サイパンを陥落させた。

そして、1944年9月には瞬く間にパラオに迫った。

米軍にとって、次のフィリピンを叩くにはこの飛行場は目の上のたん瘤だった。
ここには2本の滑走路があり、米軍はこの飛行場を確保することが最大の目的だった。

しかし、日本軍は米軍の圧倒的な兵力を前に、フィリピンを主戦場とすべく零戦をフィリピンに送ってしまった。

パラオの日本軍は飛行機もなく艦船もない状態に置かれてしまった。

そこで日本軍が取った作戦は米軍の進攻を押さえるべく、山岳地帯にトンネルを掘りゲリラ戦に打って出たのである。

そのゲリラ戦は米軍に想像以上の苦闘を強いることになった。

[※ この記事は当日、ガイドさん(元陸上自衛官)の話とネットからの情報を元に記しています]

その戦の日米の戦力である。

戦車については

Feb,17,2017 下記の記事をご覧ください。




次に海軍と陸軍です。

零式艦上戦闘機
車輪を出して駐機した状態で撃破された零戦。
周りはジャングル、滑走路からは外れており、撃ち落とされたものではなく、飛べなくなった零戦が打ち捨てられたものと解釈されている。
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当時、東洋一と言われたペリリュー島の滑走路は十字状に築かれていた
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天皇陛下は左側の石灰で標された円に降りられたという
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それでは日米の銃器の比較をしてみる
これは日本軍総司令部跡の記念館に遺品として残されたものである
銃器も比較にならないことが判る

【日本軍】

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【米軍】

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残されたのは見るも無残なものであった

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艦船もなく使われなかった魚雷であろうか?
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零戦につまれることもなかった爆撃弾?
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戦争に勝者も敗者もない

残骸と虚しさだけが残るものでしかない



ペリリュー島
持久戦


日本軍はこの戦力差をどう受け止めて戦ったんだろう???

私には無謀な戦いとしか映らなかった。

  【日本軍】
     総員 約10,500名
     第14師団歩兵第2連隊(連隊長:中川州男 大佐)
     第14師団派遣参謀:村井權治郎少将
    
    『日本側装備』
      小銃5,066挺
      九六式軽機関銃200挺
      九二式重機関銃58挺
      九七式中迫撃砲(長)ほか火砲約200門
      九五式軽戦車16両

  【アメリカ軍】
     総員 48,740名  
     第1海兵師団 24,234名
     第81歩兵師団 19,741名
     付属海軍部隊 4,765名
 
    『アメリカ側装備』
      小銃、自動小銃41,346挺
      機関銃1,434挺
      拳銃3,399挺
      火砲729門
      戦車117両(水陸両用も含む)
      バズーカ砲180基


日本軍の戦車
アメリカ軍の約半分くらいの大きさであった
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朽ち果てた戦車
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アメリカ軍の戦車
水陸両用
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砲筒の径も圧倒的に大きい
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よく戦ったと称えるべきか?
愚かなことをと反省すべきか?

皆さんならどう捉えられますか。






パラオでは、4月9日を『天皇皇后両陛下ご訪問の日』を今後も州の祝日とすることを法律で決定した。

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日米の激戦の海とアンガウル島に向かい拝礼される両陛下

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パラオ国旗
パラオがアメリカから独立した際、定められた「国旗」は、一般国民から公募した70数点の中で「青い太平洋に浮かぶ、黄色い月」が最も人気があり、これが選ばれた。

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パラオでは、この国旗について伝えられるエピソードがある。

「太陽(日本)があってこそ、月(パラオ)の輝きがある」という意味が込められていると言われています。
「月」が国旗の中心から微妙にずれているのは、「日本に敬意を表し、中心からはずしたとも言われています。
パラオの人々は、日本軍は私たちを命に代えて守ってくれたという感謝の気持ち、そして、強力な米軍と戦った日本人の勇敢さと純粋さに敬意を抱いています。

日本語由来の現地語も多く、扇風機は「センプウキ」、電話は「デンワ」、ブラジャーが「チチバンド」、ビールを飲む事は「ツカレナオス」、美味しいは「アジダイジョウブ」、混乱することを「アタマグルグル」、飛行場は「スコオジョウ」と言う。


私の慰霊の記録

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この碑は日本に向いて建てられている
戦没者は如何なる思いで戦ったのだろう?
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こんなパラオ
なぜ天皇陛下がパラオ戦没者の慰霊を悲願とされたのか?

これは両陛下がご訪問された際に使われたワゴン車
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我々が案内された際に乗った車と何ら変わらない車であったのに驚きを隠せなかった。

これは両陛下が昼食を摂られた何の変哲もない、どころか
言わば公園のような、広場の一角である
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これを見るにつけ両陛下のパラオ、強いては戦没者の慰霊をされたお心が沁みわたる


ここで我々も昼食を摂った
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次回から、天皇陛下がその想いに至ったであろう現地の悲しい歴史をご紹介したいと思います。



来週火曜日はカラオケ居酒屋でアホをやらなくっちゃ

で、今日、蓼科から尾張へ帰るんだ

艱難辛苦、蓼科滞在10日

修業も終わり

もう一度お清めは八ケ岳

八ケ岳の湧水を汲んだ

体を俗社会から護るんだ


八ケ岳
どんどん阿弥陀岳、赤岳の麓に向かうで~~~
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阿弥陀岳に赤岳

湧水はこの山の麓
50~100年前の雪解け水が沁み出してきたもの
有機物は全く
ナシ~~~
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空はいったいどこまで続くの?

頭は無限じゃ~~~

俗社会に帰ろっと

帰る前に支離滅裂

はてさて・・・