2007年02月

2007年02月27日

ピアニストの系譜〜モーツァルトからリストまで〜

ピアノが大きく発展した18世紀後半から名ピアニストが登場しだした。
今回はその時代から最大の巨匠であるリストの登場までを追ってみよう。

この時代、ピアニストはコンサートで自作の協奏曲を演奏するのが常だった。
もしくはソロの場合だと、オペラの旋律などを使った編曲ものが主だ。
つまりピアニスト=作曲家であったわけだ。

ただし、いずれも今日で言うところの音楽的に高度な曲である必要はなく
ピアノの技巧を引き立たせるエンターテインメント的要素があれば充分だった。
ピアノはどこまでも華麗に技巧的に、オーケストラは伴奏に徹する。
ソロで行われるオペラの編曲なども、オペラは当時の流行の音楽だから、
つまり誰でも知ってる旋律を使ってピアノの技を聞かせるというものだった。
何といっても聴衆を飽きさせないのが第一義だったのだ。

以下にそんな時代のピアニストを列挙していこう。


 モーツァルト
●ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
 Wolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)
ピアノ黎明期に登場した人物こそ、誰あろう時代の寵児モーツァルトだ。
若くして名ピアニストとして各国を周り自作協奏曲も披露して絶賛を浴びた。
そんなモーツァルトが時代を抜け出したのが晩年のウィーン時代だった。
それまでは、通例にもれず華やかで誰にでも分かり易い協奏曲を作っていた。
しかし次第に作曲家としての天分が演奏家としてのそれを凌いでいった。
音楽的に深く、内容の濃い、今日的な意味での名曲を作り出したのだ。
27曲を数えるモーツァルトのピアノ協奏曲のうち、最後の8曲は
その音楽的な価値において、同時代の全ての音楽を凌駕している。
しかし、当時の聴衆には受けなかった。
無理もない。アイドルのコンサートに行ったはずが
重厚なフルオーケストラを聴かされるようなものだ。
晩年のモーツァルトの演奏会には客がほとんどいなかったという。
時代の寵児は、急ぎ足で時代を越えて行ってしまったのだ。

●ムツィオ・クレメンティ
 Muzio Clementi(1752-1832)
モーツァルトと同時代のピアニスト。
ピアノ教育者の元祖ともいうべき人物。
現在では「グラドゥス・アド・パルナッスム」というピアノ教本で知られる。
ベートーヴェンもリストもこのピアノ教本で学習した。
音楽家としてのクレメンティでは以下のエピソードが最も有名だろう。
クレメンティはオーストリア皇帝ヨーゼフ2世の招きで御前演奏を行った。
そしてその時はモーツァルトとの競演という形が取られた。
当時はこのような演奏対決のようなことがしばしば行われていたのだ。
後にクレメンティはモーツァルトの演奏を振り返って絶賛しているが、
モーツァルトのほうではクレメンティを「よく指が回るだけ」と酷評している。
もっともこれは例のモーツァルトの口の悪さも考慮に入れる必要がある。
第3者の評価が必要だろう。両者の演奏を聴いたヨーゼフ2世は、
クレメンティは技術があるがモーツァルトには技術もセンスもあると評した。
またベートーヴェンは、ピアノ曲に関しては
クレメンティのほうがモーツァルトより魅力的な曲が多いと言っている。

 ベートーヴェン
●ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
 Ludwig van Beethoven(1770-1827)
ご存知モーツァルト後最大の音楽家だがそれはピアニストとしても当てはまる。
しかし、何といってもベートーヴェンが記憶されるのは、
モーツァルト以上に作曲家としての天分が演奏家のそれを超えたことだろう。
耳を悪くして公の場に出なくなったのも大きいが音楽は深遠を極めていった。
そのピアノ協奏曲は、もはや演奏家のためのものではなく
音楽的な完成度を追求したものとなっている。18-19世紀の西洋音楽は、
ベートーヴェンというフィルターを通してあまりにも大きな変貌を遂げるのだ。


以下、ベートーヴェンとリストの間に登場した主なピアニストを列挙する。
作曲家としてはベートーヴェンが大きく時代を動かしたが
数多のピアニストはまだ以前の技巧的な曲をメインに活動を続けていた。


 フンメル
●ヨハン・ネポムク・フンメル
 Johan Nepomuk Hummel(1778-1837)
モーツァルトの弟子であり、サリエリに作曲を学ぶ。
当時ベートーヴェンと並ぶ大ピアニストで、ヨーロッパ最大の音楽家と評された。
メンデルスゾーンのピアノの師であり、ショパンにも大きな影響を与えた。
今日ではトランペット協奏曲とモーツァルト作品の編曲などでしか耳にしないが、
第3番のロ短調協奏曲は若きリストがレパートリーに入れていたなど
隠れた名曲もあり、この時代の最も発掘されるべき作曲家の一人である。

●ジョン・フィールド
 John Field(1782-1837)
アイルランド出身だが、師であるクレメンティに誘われ
サンクトペテルブルクに渡りロシア音楽界の重要人物となった。
ロシア国民学派の祖ともいうべきグリンカの師でもある。
ロシアではフィールドを知らないことは罪とまで言われた。
作曲家としては夜想曲(ノクターン)を最初に作った人物といわれる。
しかし後にこの分野でショパンがより大きな成功を収めたため
フィールドはショパンを嫉妬するようになったといわれている。

●フレデリック・カルクブレンナー
 Frederic Kalkbrenner(1785-1849)
当時パリの人気ピアニストであり高名なピアノ教師であった。
若きリストやショパンと交流があり、その才能を認めた。
特にショパンは若い頃カルクブレンナーのレッスンを受けるために訪ねた。
スタイルの違いからレッスンは断念したがその後も交流は続けられた。

●カール・ツェルニー
 Carl Czerny(1791-1857)
ベートーヴェン、クレメンティ、フンメルの弟子でリストの師である。
ベートーヴェンとリストを繋ぐ重要な人物としてよく名前が挙がる。
音楽家としては何といってもソナチネの作者として知られている。
これは現在でも重要なピアノ練習用教材であり、
クレメンティと並ぶピアノ教育の最重要人物といえるだろう。

●イグナーツ・モシェレス
 Ignaz Moscheles(1794-1870)
ウィーンで作曲をサリエリに学び、後にメンデルスゾーンを教えた。
ピアノ教本「メトードのメトード」をまとめたことで知られる。
この教本にはメンデルスゾーン、ショパン、リストなど
多くの音楽家が練習曲を提供した。


さて、この後に19世紀生まれのピアニストが登場する。
この分野でベートーヴェン以降最大の変革をもたらしたのが
やはりショパンとリストなのだ。


 ショパン
●フレデリック・フランソワ・ショパン
 Frederic Francois Chopin(1810-1849)
ピアノ独奏曲の分野において最大級の成果を残した人物。
協奏曲もあるが、フンメルやモシェレスタイプの旧世代の音楽であり
ベートーヴェンが始めた音楽的な深遠さを求めるものではなかった。
しかしそれはショパンの音楽が完全に独奏曲に向いてたということだった。
ピアニストとしてのショパンは音量が小さく大ホールには不向きであった。
そのためサロンなど小さな空間での演奏を好んだが、
それが音響などで奇をてらう外面的な音楽から離れるきっかけとなり
詩情や精神性を高める音楽へと発展していった。
独自の音楽性を貫いたショパンの真骨頂といえるだろう。
このスタイルは演奏だけでなく作曲にも及び
ピアノの精神性において後の世代に多大なる影響を及ぼすこととなった。

 リスト
●フランツ・リスト
 Franz Liszt(1811-1886)
史上最大のピアニストにして、19世紀音楽界の最重要人物。
リストの重要性は極めて大きく、別項を設けたいほどだが、
ここではピアニストとしての活躍に絞って述べることにする。
作曲をサリエリ、ピアノをツェルニーに学んだ。
各地ではリストマニアといわれる狂信的なファンを生み出し、
18世紀のモーツァルト以上の熱狂をもたらした。
現在のアイドルの元祖ともいえるだろう。
容姿が端麗だっただけでなく様々に工夫を凝らした演出も聴衆を虜にした。
ピアニストとしてのリストは、演奏技術が素晴らしかったのはもちろんだが
音楽史的に重要な役割も多く担っている。一晩の演奏会を
一人だけが受け持つリサイタルという形式を初めて行ったのがリストだった。
リサイタルという命名もリスト本人によるものである。
また、ピアニストは自作の協奏曲などを演奏するのが常だったこの頃に
ベートーヴェンの皇帝やハンマークラヴィアなど現在でも高く評価されている
音楽史上の名曲をレパートリーに組み入れ、演奏会で盛んに取り上げた。
また、独創性の欠如として非難されることもあった多くの編曲についても
当時、今ほど頻繁に開催できなかったオーケストラの演奏会に行かずとも
ピアノによりベートーヴェンやベルリオーズの交響曲を提供したことになり
啓蒙という点で多くの人々に多大な影響を与えることにつながった。
ピアノの弟子や影響を及ぼした人物も非常に多く、
19世紀のほとんどの音楽家がリストとなんらかの繋がりを持っている。

最後にショパン、リストと同時代のピアニストを何人か。

●フェルディナント・ヒラー
 Ferdinand Hiller(1811-1885)
フンメルに師事しピアニストとして大成功を収めた。
ピアノの演奏技巧は見事だったが作曲家としては忘れられている。

●シャルル・ヴァランタン・アルカン
 Charles Valentin Alkan(1813-1888)
若くして大ピアニストとして成功したがその後活動を停止してしまう。
作曲家としては現在ほとんど知られていないが
リストその曲をは高く評価していたという。

●アドルフ・フォン・ヘンゼルト
 Adolf von Henselt(1814-1889)
フンメルに師事し、ピアニストとして成功を収めた。
後にロシアに渡りロシアピアノ楽派の基礎を築いた。
リストは「ビロードの掌」と呼んでその演奏を絶賛した。

 タールベルク
●ジギスムント・タールベルク
 Sigismond Thalberg(1812-1871)
リストとの対決で今も知られる大ピアニスト。
フンメル、モシェレス、カルクブレンナーなど錚々たる面々に師事し、
リストと同じく神童としてパリ音楽界を席巻した。
フェティスという批評家がこれみよがしにタールベルクを賞賛し
リストを大いに焚きつけた。この騒動は広がりを見せ、
パリの街はリスト派とタールベルク派に分かれたという。
憤慨したリストは挑戦を受け、1837/3/31、2人は有名な直接対決を行った。
タールベルクのほうはこの対決を嫌がっていたが断りきれなかった。
結局この対決は決着が付けられるものではなく両者絶賛という形で終了した。
どうもフェティスが雑誌を売りつけるために仕組んだというのが真相のようだ。
後にリストとタールベルクは親しく会っており、
リストは自らのリサイタルでタールベルクの作品を取り上げもしている。
ピアニストとしてはリストと互角であったタールベルクだが、
作曲家としては保守性を貫き、リストのような革新的な曲は作らなかった。

以上
もちろんまだまだいるが今回はとりあえずここまでにしておこう。


wrote by Au-Saga


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2007年02月14日

サリエリと同時代の交響曲

18世紀、古典派音楽を語る場合、
ほぼハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの3人で
全てが完結しているかのように扱われる。

実際この3人が、他を圧して偉大なのは事実なのだが、
裏ではサリエリをはじめとする他の音楽家たちも頑張って活躍していた。
偉大な3人以外を全く無視してしまうのは
音楽ファンとしては寂しいことではないだろうか。
なにせ18世紀の交響曲は1万曲以上もあるといわれる。
ここではそんな裏の作曲家たちをリストアップしてみた。

古典派音楽を語る際に登場するキーワードが「交響曲」だ。
古典派とは「交響曲」の誕生から完成までの歴史と言い換えることができる。

一般にはハイドンが交響曲の父と言われる。
形式の完成、音楽的な重要度で言えばこれは自然な呼称だが
交響曲自体ハイドンが創作したわけではない。
リストの交響詩やワーグナーの楽劇などとは意味が違うのだ。

交響曲は自然発生であり、
その成立の歴史は語り尽くされているわけではないのだが
まあ、そのような歴史的な細かい考察はさておき、
現時点で確認できる古典派の隠れた交響曲作曲家を列挙していこう。


●ジョヴァンニ・バティスタ・サンマルティーニ
 Giovanni Battista Sammartini(1701-1775)
現在、真の交響曲の父といわれる人物。
それまで序曲としてしか扱われてなかったシンフォニアを
初めて独立した音楽として作成したといわれている。

●ヨハン・シュターミッツ
 Johann Stamitz(1717-1757)
マンハイム学派の重鎮。
18世紀、マンハイムの宮廷には異例の大オーケストラがあり
その学長だったシュターミッツは当時の最先端を行っていると考えられた。
一時はシュターミッツこそが交響曲の父だと言われたが
最近は研究が進み、マンハイムだけが交響曲を生み出したのではない
ことが分かってきており歴史的価値も弱冠薄れてきてしまっている。
しかし、交響曲にメヌエット楽章を挿入したのはシュターミッツが最初である。
息子のカールとアントンも作曲家でそれぞれ交響曲を残している。

●クリスチャン・カンナビヒ
 Christian Cannabich(1731-1798)
カンナビヒはシュターミッツの後継者であり
モーツァルト親子からも人格者であると絶賛された人物。
しかし、同時に音楽はつまらないという酷評も受けている。
もっとも、モーツァルト親子はいつも口が悪いので有名で、
それも考慮に入れてあげたいところだ。

●カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ
 Carl Philipp Emanuel Bach(1714-1788)
ご存知バッハ一族の一人。
大バッハの息子の中では最も才能があるといわれ、
生前は父以上に評価が高かった。
父の極めた対位法を駆使した複音楽を離れ、
古典派的な単音楽を積極的に作った人物だ。
大バッハの極めた音楽は誰にも継げないと
近い存在だからこそ分かっていたのだろうか。
実際にバッハの複音楽はその後急速に衰えていった。
その意味でも古典派音楽成立の立役者と言えるだろう。

●レオポルト・モーツァルト
 Leopold Mozart(1719-1787)
ウォルフガングの父。やはりまず何といっても
息子を育てた教育者として第一に評価される人物であろう。
しかし作曲活動ももちろん行っており、交響曲に関しては
中間楽章がおもちゃの交響曲として有名なカッサシオン交響曲や
息子との連作となったランバッハ交響曲など、ここに並んでいる他の誰よりも
最もよく知られた曲を作っている人物かもしれない。

●ミヒャエル・ハイドン
 Michael Haydn(1737-1806)
ハイドンの弟。ザルツブルク宮廷に長く勤めた。
すなわちモーツァルト親子と同じ職場、同僚ということになる。
兄やモーツァルト親子がどんどん海外に出て行ったのとは対照的に
活動の場を広げることはほとんどしなかった。
交響曲の作曲もモーツァルト親子が旅行で不在のときにだけに限られている。
野心はあまりなかったのだろう。職業的に作曲をこなしていたように思われる。
かつてモーツァルトの交響曲第37番とされていた作品は
ミヒャエル・ハイドン作であることがわかっている。

●ヨハン・クリスチャン・バッハ
 Johann Christian Bach(1735-1782)
バッハ一族の一人。C.P.Eバッハの弟に当たる。
主にロンドンで活躍した。
モーツァルトがロンドンに行った際に
非常に大きな影響を受けたのは有名である。
また父である大バッハはC.P.E.バッハよりも
J.C.バッハのほうを高く評価していた。
そんなこともあり、この時代の作曲家としては
古くからよく取り上げられる人物である。

●カール・ディッタースドルフ
 Carl Dittersdorf(1739-1799)
当時のウィーン楽壇でハイドンと並び指導的な立場にあった人物。
モーツァルトの弦楽四重奏曲「ハイドンセット」初演は当時話題の出来事だったが
その際にディッタースドルフは第2ヴァイオリンを担当した。
(ハイドンが第1ヴァイオリン、モーツァルトがビオラ、ヴァンハルがチェロ)
交響曲は120曲を超えるといわれ、
多作がひしめく古典派作曲家の中でも屈指の量だった。

●ヨハン・バプティスト・ヴァンハル
 Johann Baptist Vanhal(1739-1813)
ディッタースドルフに師事し
ウィーンで大人気の作曲家、音楽教師として活躍した。
特に交響曲の人気は凄く、作った曲は数年のうちにヨーロッパだけでなく
アメリカ大陸でも演奏されたと伝えられる。

●フランソワ=ジョセフ・ゴセック
 Francois-Joseph Gossec(1734-1829)
現在ではガヴォットという小品でのみ有名な音楽家だが大規模な曲も残した。
イタリアやドイツで盛んだった交響曲をフランスに持ち込んだことにより
「フランス交響曲の父」とも呼ばれている。
特に晩年の交響曲は規模が肥大化し、ロマン派への入り口を感じさせる。
同じく大規模なレクイエムも合わせ、後のケルビーニや
ベルリオーズに繋がることを予感させるフランス音楽界の重要人物である。

●ルイジ・ケルビーニ
 Luigi Cherubini(1760-1842)
イタリア出身だがフランスで活躍した人物。
ゴセック後のフランス音楽界の重鎮。活躍時期は古典派の晩期、
いわゆるベートーヴェンと同時代にあたるため交響曲は少ししか残さなかった。
むしろオペラと宗教音楽の活躍のほうが重要かもしれない。
後にロッシーニのオペラがフランスで大流行したため
オペラでの活躍忘れられてしまうが
ミサ曲はベートーヴェンに大きな影響を与えることになる。

●ルイジ・ボッケリーニ
 Luigi Boccherini(1743-1805)
ここにあげられた中では最もポピュラーな作曲家だろう。
協奏曲や室内楽で特に有名な人物であり交響曲も多く作成している。
ネームバリューだけなら裏の作曲家ではないだろうが
魅力的な交響曲群については今もあまり知られていない。
今後交響曲分野への再評価も期待したい作曲家である。

●アントニオ・ロセッティ
 Antonio Rosetti(1750-1792)
古典派の隠れた作曲家の中でも特に忘れられているのが惜しい人物。
ボヘミア生まれだが各地を放浪し小領主に仕えるなどした。
そうした環境が影響したのか、豊かな管楽器の使用法や
独特な楽章の配置など作風がかなり洗練されている。
いくつかの曲はモーツァルトに大きな影響を与えたとされる。
ハイドン、モーツァルトに匹敵する評価があってもおかしくない人物だ。

●アントニオ・サリエリ
 Antonio Salieri(1750-1825)
当サークルの主役。
映画「アマデウス」がなければ忘却の彼方にいたであろう人物。
近年は再評価も進んでいるが、主なレパートリーであるオペラや室内楽が中心で
交響曲面ではまだまだだといえる。


以上、一応今回はここまで。

もちろん古典派の作曲家はまだまだおり、何故この人物が出てないんだ!
というような意見もあるかもしれないが、どうぞご容赦のほどを。
むしろ、そのような意見があれば逆に是非お寄せいただければと思う。


wrote by Au-Saga


antonio_salieri at 10:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!au-saga | 音楽史