2007年05月16日
音楽史01〜中世の音楽〜
《グレゴリオ聖歌:8世紀〜11世紀》
グレゴリオ聖歌は現在再現可能な最古の西洋音楽といわれている。
聖歌そのものは古くから様々な地区で歌い継がれており
それらを統一的にまとめて、カトリックの典礼に
利用できるようにしたものがグレゴリオ聖歌である。
時のローマ法王グレゴリウス1世が編纂したという説から
名前が付けられたが、現在その説は信じられていない。
もっともグレゴリウス1世が聖歌の編纂に
何らかの関与をしたことは事実のようであるが。
単旋律、楽器なしで歌われるのが特徴で
長い間、ミサや典礼と強く結び付けられてきた。
今もって教会行事にグレゴリオ聖歌が用いられることもあり、
後々に至るまで西洋音楽における大きな存在となっていった。
《ノートルダム楽派》
12世紀頃になると、単旋律のグレゴリオ聖歌を発展させ、
オルガヌムといわれる多声部による音楽が作られるようになった。
ポリフォニーの誕生というと少々難しいが、要するに
歌が複数パート(声部)になったといえば分かりやすいだろう。
この頃に台頭したのがパリのノートルダム楽派であった。
●レオニヌス(またはレオナン)
Leoninus(Leonin)
12世紀に登場したノートルダム楽派のレオニヌスは
最初のオルガヌム作曲家であり、同時にその最高の担い手と言われた。
レオニヌスの手によるオルガヌムは全て2声部である。
●ペロティヌス(またはペロタン)
Perotinus(Perotin)
12世紀後半から13世紀に活躍したノートルダム楽派の作曲家。
レオニヌスの後を継いでオルガヌムを更に発展させ
3声部や4声部の曲も作った。残されている最も有名は曲は
4声の「地上のすべての国々は」であろう。
《世俗音楽》
中世西洋音楽の中心はあくまでも教会音楽であり
専門の音楽家はみな教会音楽に携わっていたのであるが
それとは別のいわゆる世俗音楽も民間には存在していた。
これらは教会音楽のような記譜が残されているわけではなく、
主に吟遊詩人たちによって歌い継がれていったものであるから
現在まで残っているということはほとんどない。
しかしこの時代の音楽を語る上で素通りはできないものである。
これらの世俗音楽は芝居や踊りなどとも結び付けられていて
一種の大道芸ような趣で捉えられるものだった。
音楽の担い手は高位ではなく、貧民層など、むしろ
社会の底辺に位置する者たちであることが多かった。
しかし世俗音楽は12世紀頃から、
騎士を始めとする貴族階級にも広がりをみせていき、
貴族そのものが吟遊詩人になる例や、
詩吟の才能を認めらて逆に貴族に叙せられる者も登場した。
世俗音楽の内容は愛を歌うものから英雄叙事詩まで多岐に渡った。
愛を歌うという文化は12世紀の発明だなどとも言われるほどである。
また、聖歌と違って歌だけでなく楽器演奏を伴うものも多かった。
吟遊詩人には、自ら作った歌を自分で歌い演奏するものもいれば
歌手や楽器奏者を雇って一座を形成するものもいた。
13世紀になると騎士の没落と共に
世俗音楽は宮廷音楽や専門の作曲家に吸収されていった。
こうして、中世の音楽は
教会音楽と世俗音楽、単旋律と多声部、歌と器楽が
相互に影響しあって発展を遂げていくことになるのである。
《アルス・ノヴァ:中世末期》
14世紀になると、それまでの音楽様式が集大成される。
代表的なものが1320年頃にフィリップ・ド・ヴィトリが著した
理論書「アルス・ノヴァ(新しい芸術)」であろう。
●ギヨーム・ド・マショー
Guillaume de Machaut(1300頃-1377)
アルス・ノヴァに基づく最大の音楽家はフランスのマショーである。
本業は聖職者であり外交官であったが、同時に最大の詩人=作曲家でもあった。
後のルネサンス期になると詩人と音楽家は分業されていくことになるのだが
マショーはその最後期の大家であったといえるだろう。
代表作「ノートルダム・ミサ」は歴史上最初の通作ミサ曲である。
通作ミサとはすなわちミサの通常文全てに曲をつけ
それらをまとめて1つの曲としたものである。
それまでは、通常文それぞれに個別に曲をつけるか
またはグレゴリオ聖歌で代用するなどしていた。
この後、ミサ曲は音楽界で最も重要な形式となるのだが
その原型がマショーによって作り出されたことになる。
またマショーの貢献はミサ曲だけではなく
中世最大の音楽家らしく世俗音楽でも多くの作品を残した。
マショーは世俗音楽において「AAB」といった「形式」を積極的に採用した。
それらは以前から存在していたが、マショーによって固定され、
後の音楽界に浸透していったものであった。
代表曲:
やはり「ノートルダム・ミサ」ということになるが
教会音楽とは随分印象の違う世俗音楽も一聴の価値ありだ。
●フランチェスコ・ランディーニ
Francesco Landini(1325-1397)
イタリア、トレチェント音楽の最大の作曲家。
トレチェント音楽はフランスのアルス・ノヴァに匹敵する音楽様式であり
アルス・ノヴァが複雑なリズムを重視したのに対し旋律をより重視した。
ランディーニは盲目であったと伝えられるが名オルガニストであり
ペトラルカをもうならせる偉大な詩人でもあった。
代表曲:「春はきたりぬ」
●ジョン・ダンスタブル
John Dunstable(1390頃-1453)
マショーが進化させたアルス・ノヴァ独自のリズム技法は
イギリスに渡って更に複雑に発展した。
ダンスタブルはその時代にあって最大のイギリスの作曲家である。
イギリスには古来の音楽があったが、ダンスタブルは
それと大陸の技法とを融合させ新しい音楽を開拓した。
ダンスタブルの影響力は大きく、その音楽は後に大陸に逆輸入され
初期ルネサンスの音楽家に受け継がれていくのである。
代表曲:「来たれ聖霊」
《その他の国々》
中世スペインでは、著名な作曲家の登場はなかったが
「カンティガ集」や「モンセラートの朱い本」など
独自に聖歌の編纂が行われていた。
それらの音楽は土俗的で色彩が強く、非常に魅力的なものである。
CDの入手も容易なので一聴をお勧めしたい。
ドイツには、ワーグナーの楽劇でおなじみのマイスタージンガーたちがいたが、
その音楽は画一的で発展性がなく、歌合戦でも減点方式を採用するなど
基本に忠実であるかを競うだけの極めて後進的なものであった。
中世においてドイツ音楽は他の西洋諸国に遅れを取っていたといえるだろう。
wrote by Au-Saga
「次回はルネサンス音楽」
グレゴリオ聖歌は現在再現可能な最古の西洋音楽といわれている。
聖歌そのものは古くから様々な地区で歌い継がれており
それらを統一的にまとめて、カトリックの典礼に
利用できるようにしたものがグレゴリオ聖歌である。
時のローマ法王グレゴリウス1世が編纂したという説から
名前が付けられたが、現在その説は信じられていない。
もっともグレゴリウス1世が聖歌の編纂に
何らかの関与をしたことは事実のようであるが。
単旋律、楽器なしで歌われるのが特徴で
長い間、ミサや典礼と強く結び付けられてきた。
今もって教会行事にグレゴリオ聖歌が用いられることもあり、
後々に至るまで西洋音楽における大きな存在となっていった。
《ノートルダム楽派》
12世紀頃になると、単旋律のグレゴリオ聖歌を発展させ、
オルガヌムといわれる多声部による音楽が作られるようになった。
ポリフォニーの誕生というと少々難しいが、要するに
歌が複数パート(声部)になったといえば分かりやすいだろう。
この頃に台頭したのがパリのノートルダム楽派であった。
●レオニヌス(またはレオナン)
Leoninus(Leonin)
12世紀に登場したノートルダム楽派のレオニヌスは
最初のオルガヌム作曲家であり、同時にその最高の担い手と言われた。
レオニヌスの手によるオルガヌムは全て2声部である。
●ペロティヌス(またはペロタン)
Perotinus(Perotin)
12世紀後半から13世紀に活躍したノートルダム楽派の作曲家。
レオニヌスの後を継いでオルガヌムを更に発展させ
3声部や4声部の曲も作った。残されている最も有名は曲は
4声の「地上のすべての国々は」であろう。
《世俗音楽》
中世西洋音楽の中心はあくまでも教会音楽であり
専門の音楽家はみな教会音楽に携わっていたのであるが
それとは別のいわゆる世俗音楽も民間には存在していた。
これらは教会音楽のような記譜が残されているわけではなく、
主に吟遊詩人たちによって歌い継がれていったものであるから
現在まで残っているということはほとんどない。
しかしこの時代の音楽を語る上で素通りはできないものである。
これらの世俗音楽は芝居や踊りなどとも結び付けられていて
一種の大道芸ような趣で捉えられるものだった。
音楽の担い手は高位ではなく、貧民層など、むしろ
社会の底辺に位置する者たちであることが多かった。
しかし世俗音楽は12世紀頃から、
騎士を始めとする貴族階級にも広がりをみせていき、
貴族そのものが吟遊詩人になる例や、
詩吟の才能を認めらて逆に貴族に叙せられる者も登場した。
世俗音楽の内容は愛を歌うものから英雄叙事詩まで多岐に渡った。
愛を歌うという文化は12世紀の発明だなどとも言われるほどである。
また、聖歌と違って歌だけでなく楽器演奏を伴うものも多かった。
吟遊詩人には、自ら作った歌を自分で歌い演奏するものもいれば
歌手や楽器奏者を雇って一座を形成するものもいた。
13世紀になると騎士の没落と共に
世俗音楽は宮廷音楽や専門の作曲家に吸収されていった。
こうして、中世の音楽は
教会音楽と世俗音楽、単旋律と多声部、歌と器楽が
相互に影響しあって発展を遂げていくことになるのである。
《アルス・ノヴァ:中世末期》
14世紀になると、それまでの音楽様式が集大成される。
代表的なものが1320年頃にフィリップ・ド・ヴィトリが著した
理論書「アルス・ノヴァ(新しい芸術)」であろう。
●ギヨーム・ド・マショー
Guillaume de Machaut(1300頃-1377)
アルス・ノヴァに基づく最大の音楽家はフランスのマショーである。
本業は聖職者であり外交官であったが、同時に最大の詩人=作曲家でもあった。
後のルネサンス期になると詩人と音楽家は分業されていくことになるのだが
マショーはその最後期の大家であったといえるだろう。
代表作「ノートルダム・ミサ」は歴史上最初の通作ミサ曲である。
通作ミサとはすなわちミサの通常文全てに曲をつけ
それらをまとめて1つの曲としたものである。
それまでは、通常文それぞれに個別に曲をつけるか
またはグレゴリオ聖歌で代用するなどしていた。
この後、ミサ曲は音楽界で最も重要な形式となるのだが
その原型がマショーによって作り出されたことになる。
またマショーの貢献はミサ曲だけではなく
中世最大の音楽家らしく世俗音楽でも多くの作品を残した。
マショーは世俗音楽において「AAB」といった「形式」を積極的に採用した。
それらは以前から存在していたが、マショーによって固定され、
後の音楽界に浸透していったものであった。
代表曲:
やはり「ノートルダム・ミサ」ということになるが
教会音楽とは随分印象の違う世俗音楽も一聴の価値ありだ。
●フランチェスコ・ランディーニ
Francesco Landini(1325-1397)
イタリア、トレチェント音楽の最大の作曲家。
トレチェント音楽はフランスのアルス・ノヴァに匹敵する音楽様式であり
アルス・ノヴァが複雑なリズムを重視したのに対し旋律をより重視した。
ランディーニは盲目であったと伝えられるが名オルガニストであり
ペトラルカをもうならせる偉大な詩人でもあった。
代表曲:「春はきたりぬ」
●ジョン・ダンスタブル
John Dunstable(1390頃-1453)
マショーが進化させたアルス・ノヴァ独自のリズム技法は
イギリスに渡って更に複雑に発展した。
ダンスタブルはその時代にあって最大のイギリスの作曲家である。
イギリスには古来の音楽があったが、ダンスタブルは
それと大陸の技法とを融合させ新しい音楽を開拓した。
ダンスタブルの影響力は大きく、その音楽は後に大陸に逆輸入され
初期ルネサンスの音楽家に受け継がれていくのである。
代表曲:「来たれ聖霊」
《その他の国々》
中世スペインでは、著名な作曲家の登場はなかったが
「カンティガ集」や「モンセラートの朱い本」など
独自に聖歌の編纂が行われていた。
それらの音楽は土俗的で色彩が強く、非常に魅力的なものである。
CDの入手も容易なので一聴をお勧めしたい。
ドイツには、ワーグナーの楽劇でおなじみのマイスタージンガーたちがいたが、
その音楽は画一的で発展性がなく、歌合戦でも減点方式を採用するなど
基本に忠実であるかを競うだけの極めて後進的なものであった。
中世においてドイツ音楽は他の西洋諸国に遅れを取っていたといえるだろう。
wrote by Au-Saga
「次回はルネサンス音楽」