2007年05月21日
音楽史03〜ルネサンス、フランドル楽派〜
フランドル楽派の音楽家達はブルゴーニュ公国の滅亡後、
他の西欧諸国へと活動の場を大きく広げていった。
各国におけるその音楽的影響は絶大であった。
こうしてルネサンスは中期(盛期)を迎えることになる。
《フランドル楽派、最盛期》
●ジョスカン・デ・プレ
Josquin Des Pres(1450頃-1521)
フランドル楽派最大の、すなわちルネサンス最大の音楽家といえば
ジョスカン・デ・プレということになるだろう。
当時の全ての作曲技法を完璧にものにしていたといわれ、
存命中から最高の作曲家として賞賛を浴びていた。
ミサにおいては「通模倣様式」を確立。
これは各声部が同等の動きを行うことで立体的表現を可能にしたものだ。
ミサ以外にもモテット(ミサによらない教会音楽)や世俗音楽を残したが
その全てにおいて高度な出来栄えを示している。
その完璧ともいえるほどに作り上げられた音楽は、
それ故に近づきがたい、楽しめないといった意見もしばしば聞かれる。
そういう面も確かにあるが、タリス・スコラーズのように
演奏家もまた完璧である場合は、その音楽は極上の響きを獲得する。
お勧め:「ミサ・パンジェ・リングァ」
グレゴリオ聖歌「パンジェ・リングァ(舌よ歌え)」に基づく定旋律ミサで
通模倣様式がふんだんに盛り込まれた晩年の傑作である。
有名なモテット「アヴェ・マリア」も小品ながら非常に美しい名作。
●ハインリヒ・イザーク
Heinrich Isaac(1450頃-1517年)
ジョスカンと同時代の著名な作曲家。ドイツに渡って活躍した。
ドイツの世俗音楽であるリートに名作を残したことで知られる。
ドイツは当時音楽後進国であったが、
フランドル楽派はそういった国にも影響力を広げていった。
イザークの音楽は分かり易く親しみやすいので
生前はジョスカンに匹敵するかそれ以上の人気だったといわれる。
お勧め:ドイツ・リート「インスブルックよさらば」
●ピエール・ド・ラリュー
Pierre de La Rue(1460頃-1518)
幅広い分野の作品を残したことで知られる。
柔らかな音色が特徴で、オケゲムやジョスカンにも匹敵する
高度な作曲技法を持っていた。
お勧め:「レクイエム」
穏やかな作品。
鋭い響きのオケゲムの同名曲との対比は興味深い。
この他に、ジョスカンと同じ時代を生き
フランドル楽派最盛期を形成した作曲家として
ロワゼ・コンペール Loyset Compere(1450頃-1518)
アントワーヌ・ブリュメル Antoine Brumel(1460頃-1512頃)
ヤコブ・オブレヒト Jacob Obrecht(1457年頃-1505)
などがいた。
《中後期》
以下、ジョスカンの次の世代の作曲家たち。
●アドリアン・ヴィラールト
Adrian Willaert(1490頃-1562)
非常に器用で様々な分野にわたる作品を残した。
イタリアに渡り、後に最盛期を迎えるヴェネツィア楽派の開祖となった。
お勧め:「分割合唱のための詩篇集(Salmi spezzati)」
●チプリアーノ・デ・ローレ
Cypriano de Rore(1515頃-1565)
やはりイタリアに渡り、ヴェネツィアでヴィラールトに学んだ。
その後イタリアの代表的世俗音楽である「マドリガーレ」
の発展に大きく関与し、この分野での第1人者となった。
お勧め:マドリガーレ「別れの時」
他、この時代には
ニコラ・ゴンベール Nicolas Gombert(1495頃-1560頃)
ジャック・アルカデルト Jacques Arcadelt(1505-1568)
クレメンス・ノン・パパ Clemens non Papa(1510頃-1555頃)
などといった作曲家達がいた。
《後期》
絶大な影響力を誇ったフランドル楽派も、
ルネサンス後期になるとその勢いは次第に失われていった。
原因の一つに、フランドルがスペインの属領となり、
強い圧力がかかるようになったという政治的な理由があった。
音楽家は活動が制限され、
国外に出たきり故郷に戻れないという状況も生じた。
その時代にあって果敢に活動したのが
後期フランドル楽派の面々であった。
●フィリップ・デ・モンテ
Philippe de Monte(1521-1603)
イタリアに渡り、マドリガーレの大家となった。
当時としては長命であったが、
政治的理由から故郷には戻れず、最後はプラハで息を引き取った。
ラッススのような実験的な作品は残さなかったが
そのマドリガーレは非常に変化に富んでいる。
お勧め:「バビロン川のほとりで」
●オルランド・デ・ラッスス
Orlande de Lassus(1532-1594)
フランドル楽派最後の巨匠であり、パレストリーナやビクトリアと並ぶ
後期ルネサンス最大の作曲家といわれる人物。
イタリア語形でラッソ(Lasso)と呼ばれることもある。
多作家で2000にも及ぶ声楽作品があり、その中には
ラテン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語など
様々な分野の音楽が含まれている。
ミサ曲も多く作ったが、その本領はより自由な形式の作品にあり
マドリガーレやモテットにおけるラッススは、
荘厳なものから滑稽なものまで正に変幻自在であった。
国際的な名声を確立したがやはり故郷に帰ることは叶わなかった。
お勧め:「聖ペテロの涙」
数々の名曲を生み出したラッススが最後に残した、
自身の集大成とも言うべき記念碑的作品。
●ジャケス・デ・ヴェルト
Giaches de Wert(1535頃-1596)
主にイタリアで活躍したフランドル楽派後期の作曲家。
伝統的な多声ミサよりも世俗音楽で名をなし、
前衛的なマドリガーレを多く作った。
その様式は次代のバロック様式をも予見している。
お勧め:「今や天も祝って」
《フランドル楽派の終焉》
後期ルネサンスに至ってフランドル楽派が勢いを失ったのは
たしかに政治的な理由もあったが、それだけではなく、
音楽的な側面もあったのではないかと考えられる。
フランドル楽派の音楽とは、ポリフォニー(多声音楽)を
どれほど高度に洗練させていくかを追求するものだった。
しかしそれはジョスカンよって既に極められていたという見方もあり、
その後の音楽はその発展性において行き場を失っていったといえる。
後期のラッススが、その天才によって辛うじて
自由な形式という独自の表現手法で最後の花を咲かせはしたが、
本来最も重要なはずのミサ曲に代表作が集中しなかったという点でも
フランドル楽派の音楽が袋小路にはまってしまっていた
と読み取ることができよう。
こうして後期ルネサンスはフランドルからイタリアへと
その中心を移していくことになっていった。
wrote by Au-Saga
次回は「ルネサンス期イタリア」
他の西欧諸国へと活動の場を大きく広げていった。
各国におけるその音楽的影響は絶大であった。
こうしてルネサンスは中期(盛期)を迎えることになる。
《フランドル楽派、最盛期》
●ジョスカン・デ・プレ
Josquin Des Pres(1450頃-1521)
フランドル楽派最大の、すなわちルネサンス最大の音楽家といえば
ジョスカン・デ・プレということになるだろう。
当時の全ての作曲技法を完璧にものにしていたといわれ、
存命中から最高の作曲家として賞賛を浴びていた。
ミサにおいては「通模倣様式」を確立。
これは各声部が同等の動きを行うことで立体的表現を可能にしたものだ。
ミサ以外にもモテット(ミサによらない教会音楽)や世俗音楽を残したが
その全てにおいて高度な出来栄えを示している。
その完璧ともいえるほどに作り上げられた音楽は、
それ故に近づきがたい、楽しめないといった意見もしばしば聞かれる。
そういう面も確かにあるが、タリス・スコラーズのように
演奏家もまた完璧である場合は、その音楽は極上の響きを獲得する。
お勧め:「ミサ・パンジェ・リングァ」
グレゴリオ聖歌「パンジェ・リングァ(舌よ歌え)」に基づく定旋律ミサで
通模倣様式がふんだんに盛り込まれた晩年の傑作である。
有名なモテット「アヴェ・マリア」も小品ながら非常に美しい名作。
●ハインリヒ・イザーク
Heinrich Isaac(1450頃-1517年)
ジョスカンと同時代の著名な作曲家。ドイツに渡って活躍した。
ドイツの世俗音楽であるリートに名作を残したことで知られる。
ドイツは当時音楽後進国であったが、
フランドル楽派はそういった国にも影響力を広げていった。
イザークの音楽は分かり易く親しみやすいので
生前はジョスカンに匹敵するかそれ以上の人気だったといわれる。
お勧め:ドイツ・リート「インスブルックよさらば」
●ピエール・ド・ラリュー
Pierre de La Rue(1460頃-1518)
幅広い分野の作品を残したことで知られる。
柔らかな音色が特徴で、オケゲムやジョスカンにも匹敵する
高度な作曲技法を持っていた。
お勧め:「レクイエム」
穏やかな作品。
鋭い響きのオケゲムの同名曲との対比は興味深い。
この他に、ジョスカンと同じ時代を生き
フランドル楽派最盛期を形成した作曲家として
ロワゼ・コンペール Loyset Compere(1450頃-1518)
アントワーヌ・ブリュメル Antoine Brumel(1460頃-1512頃)
ヤコブ・オブレヒト Jacob Obrecht(1457年頃-1505)
などがいた。
《中後期》
以下、ジョスカンの次の世代の作曲家たち。
●アドリアン・ヴィラールト
Adrian Willaert(1490頃-1562)
非常に器用で様々な分野にわたる作品を残した。
イタリアに渡り、後に最盛期を迎えるヴェネツィア楽派の開祖となった。
お勧め:「分割合唱のための詩篇集(Salmi spezzati)」
●チプリアーノ・デ・ローレ
Cypriano de Rore(1515頃-1565)
やはりイタリアに渡り、ヴェネツィアでヴィラールトに学んだ。
その後イタリアの代表的世俗音楽である「マドリガーレ」
の発展に大きく関与し、この分野での第1人者となった。
お勧め:マドリガーレ「別れの時」
他、この時代には
ニコラ・ゴンベール Nicolas Gombert(1495頃-1560頃)
ジャック・アルカデルト Jacques Arcadelt(1505-1568)
クレメンス・ノン・パパ Clemens non Papa(1510頃-1555頃)
などといった作曲家達がいた。
《後期》
絶大な影響力を誇ったフランドル楽派も、
ルネサンス後期になるとその勢いは次第に失われていった。
原因の一つに、フランドルがスペインの属領となり、
強い圧力がかかるようになったという政治的な理由があった。
音楽家は活動が制限され、
国外に出たきり故郷に戻れないという状況も生じた。
その時代にあって果敢に活動したのが
後期フランドル楽派の面々であった。
●フィリップ・デ・モンテ
Philippe de Monte(1521-1603)
イタリアに渡り、マドリガーレの大家となった。
当時としては長命であったが、
政治的理由から故郷には戻れず、最後はプラハで息を引き取った。
ラッススのような実験的な作品は残さなかったが
そのマドリガーレは非常に変化に富んでいる。
お勧め:「バビロン川のほとりで」
●オルランド・デ・ラッスス
Orlande de Lassus(1532-1594)
フランドル楽派最後の巨匠であり、パレストリーナやビクトリアと並ぶ
後期ルネサンス最大の作曲家といわれる人物。
イタリア語形でラッソ(Lasso)と呼ばれることもある。
多作家で2000にも及ぶ声楽作品があり、その中には
ラテン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語など
様々な分野の音楽が含まれている。
ミサ曲も多く作ったが、その本領はより自由な形式の作品にあり
マドリガーレやモテットにおけるラッススは、
荘厳なものから滑稽なものまで正に変幻自在であった。
国際的な名声を確立したがやはり故郷に帰ることは叶わなかった。
お勧め:「聖ペテロの涙」
数々の名曲を生み出したラッススが最後に残した、
自身の集大成とも言うべき記念碑的作品。
●ジャケス・デ・ヴェルト
Giaches de Wert(1535頃-1596)
主にイタリアで活躍したフランドル楽派後期の作曲家。
伝統的な多声ミサよりも世俗音楽で名をなし、
前衛的なマドリガーレを多く作った。
その様式は次代のバロック様式をも予見している。
お勧め:「今や天も祝って」
《フランドル楽派の終焉》
後期ルネサンスに至ってフランドル楽派が勢いを失ったのは
たしかに政治的な理由もあったが、それだけではなく、
音楽的な側面もあったのではないかと考えられる。
フランドル楽派の音楽とは、ポリフォニー(多声音楽)を
どれほど高度に洗練させていくかを追求するものだった。
しかしそれはジョスカンよって既に極められていたという見方もあり、
その後の音楽はその発展性において行き場を失っていったといえる。
後期のラッススが、その天才によって辛うじて
自由な形式という独自の表現手法で最後の花を咲かせはしたが、
本来最も重要なはずのミサ曲に代表作が集中しなかったという点でも
フランドル楽派の音楽が袋小路にはまってしまっていた
と読み取ることができよう。
こうして後期ルネサンスはフランドルからイタリアへと
その中心を移していくことになっていった。
wrote by Au-Saga
次回は「ルネサンス期イタリア」