2007年05月31日
音楽史04〜ルネサンス、イタリア〜
ルネサンス期のイタリアは
美術や建築などにおいて常に文化の最先端の国であった。
しかし何故かこと音楽に関してはそれが当てはまらず
その中枢は長くフランドル楽派によって占められていた。
イタリアが音楽面で目立った活躍を見せ始めるのは
ようやくルネサンスの後期になってからだった。
《宗教音楽》
宗教音楽の分野ではパレストリーナが登場する。
彼こそはルネサンス期におけるイタリア音楽界の最重要人物であった。
●ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ
Giovanni Pierluigi da Palestrina(1525-1594)
フランドル楽派の多声音楽を基礎としながらそれを徹底的に磨き上げ
独自のパレストリーナ様式と呼ばれるスタイルを完成させた。
その完成度の高い様式は後世に至っても模範とされ
多くの作曲家がパレストリーナの作品に影響を受けた。
19世紀になるとその存在は神格化されるほどだった。
パレストリーナが活躍しだした頃、イタリアの教会では
フランドル楽派の音楽は敬遠される傾向にあった。
音楽が高度で複雑すぎる上、世俗音楽を定旋律に用いる点などが
好ましくないというのが理由だった。
パレストリーナはそういった教会の要求に答えるために
シンプルで磨き上げられた様式を築き上げ、
絶大な信頼を勝ち取ることに成功したのだった。
20世紀前半まではルネサンス音楽といえば
何を置いてもパレストリーナのことであった。
しかし、現在の評価はやや違ってきている。
フランドル楽派の音楽が、純粋に音楽的要求から洗練されていったのに対し
パレストリーナのそれは教会の求めに応じ人工的に磨き上げられたものだった。
どの曲も美しいが、それは同じような曲ばかりだからだともいわれ、
新たな音楽を作り上げるという観点においては大きな足跡を残さなかった。
したがって現在ではジョスカン・デ・プレを差し置いて
ルネサンス最高と評価することには否定的な意見が目立っている。
もっとも、洗練の度合いが非常に高いのは事実であり
求めに応じて理想的な音楽を書けるのも稀有の才能といえる。
後世への影響が大きかったのは疑いようもない事実であるから、
ルネサンス後期における最重要な作曲家であったことに変わりはないだろう。
お勧め:「聖母被昇天のミサ(Assumpta est Maria)」
多作家であり何だかんだで名作は非常に多い。まずはこれを。
非常に美しい曲でパレストリーナ様式がふんだんに味わえる。
パレストリーナの音楽はすっと耳に入るから気に入れば様々な曲が聴ける。
他にも「ミサ・ブレヴィス」「教皇マルチェスのミサ」
「レクイエム」「スターバト・マーテル」「ソロモンの雅歌」など、
お勧めが多くて多くて困ってしまうほどだ。
《世俗音楽》
教会音楽では、パレストリーナの登場まで
フランドル楽派の影響下にあり続けたイタリア音楽界だが
世俗音楽についてもそれは全く同じ状況であった。
イタリア世俗音楽の代表的なものはマドリガーレだが、
初期マドリガーレの成立において最も重要な役割を担った人物は
チプリアーノ・デ・ローレであった。もちろんフランドル楽派である。
イタリア人による重要なマドリガーレ作曲家が登場するのは
やはり教会音楽と同じくルネサンス後期になってからだった。
●ルカ・マレンツィオ
Luca Marenzio(1553-1599)
マドリガーレにおいて歌詞と曲を密接にシンクロさせ
高度な作曲技法によってそれまでにない表現力を獲得した人物。
極めて大胆な音楽はイタリア国内だけでなく他国にも影響を与えた。
お勧め:「優雅な鳥のささやき」
●カルロ・ジェズアルド
Carlo Gesualdo(1560-1613)
マレンツィオを更に凌ぐほどの強烈な表現力を発揮した人物。
その歌詞は死や苦悩を取り扱ったものが多く、
音楽も半音階や不協和音が多用された。
ジェズアルドは、不貞の妻を殺害したというエピソードでも知られ
終生その罪にさいなまれていたという説もある。
その影響からか、音楽には暗い影を持つものが非常に多くなっている。
ジェズアルドの特異な表現はそれ故に後世のどの作曲家にも受け継がれず
音楽史上の孤高の存在となっている。現在でも人気の高い作曲家である。
お勧め:「かなしや吾は死す」
《ヴェネツィア楽派》
ルネサンス後期からバロック初期にかけて
大きな影響力を持ったのがヴェネツィア楽派であった。
ヴェネツィアは当時交易の中心地であり、
音楽も様々なルートで集められ、また同時に発信地ともなった。
ヴェネツィア楽派の開祖とされるのはアドリアン・ヴィラールトで
例に漏れずフランドル楽派の音楽家であった。
ヴェネツィア楽派の音楽は、いかにも交易地らしく賑やかなもので
各地から集めた様式を派手に発展させるというものだった。
合唱団を分割する複合唱や金管楽器のファンファーレなどに
その特徴を強く見ることができる。
ヴェネツィア楽派は、ヴィラールトの門下である
アンドレア・ガブリエリ(Andrea Gabrieli, 1510-1586)を経て
その甥のジョヴァンニ・ガブリエリの時代になって頂点に達した。
●ジョヴァンニ・ガブリエリ
Giovanni Gabgieli(1557-1612)
ヴィラールト以来の複合唱を大きく発展させ、
それを更に器楽分野にも応用させた。
音響効果を最大限に活かした音楽作りは
正にバロック時代の到来を告げるものだった。
他に音楽後進国であったドイツから多くの若手を
ヴェネツィアに留学させたことでも注目される。
ドイツバロック初期の重要な音楽家シュッツやプレトリウスも
ガブリエリに学んでドイツに音楽を持ち帰った。
お勧め:合唱曲「大いなる神秘」
他に金管楽器のためのファンファーレも注目。
《ルネサンスからバロックへ》
イタリアはルネサンス後期になって勢いを手にすると、
音楽の中心地としての地位をフランドルから奪い取ることに成功した。
そして音楽界はその手によってバロックへと移行されていくことになった。
この時代変革において
最も重要な役割を果たした作曲家はモンテヴェルディである。
モンテヴェルディはガブリエリ後のヴェネツィアで活躍し、
マドリガーレと宗教音楽の作曲で多大な功績を残した。
正にここで述べてきたイタリアルネサンス音楽を集約した人物だといえる。
同時に新たにバロック音楽を作り上げていった人物でもあるのだが
その詳細はバロックの項で述べることにする。
wrote by Au-Saga
次回は「ルネサンス期のフランスとスペイン」
美術や建築などにおいて常に文化の最先端の国であった。
しかし何故かこと音楽に関してはそれが当てはまらず
その中枢は長くフランドル楽派によって占められていた。
イタリアが音楽面で目立った活躍を見せ始めるのは
ようやくルネサンスの後期になってからだった。
《宗教音楽》
宗教音楽の分野ではパレストリーナが登場する。
彼こそはルネサンス期におけるイタリア音楽界の最重要人物であった。
●ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ
Giovanni Pierluigi da Palestrina(1525-1594)
フランドル楽派の多声音楽を基礎としながらそれを徹底的に磨き上げ
独自のパレストリーナ様式と呼ばれるスタイルを完成させた。
その完成度の高い様式は後世に至っても模範とされ
多くの作曲家がパレストリーナの作品に影響を受けた。
19世紀になるとその存在は神格化されるほどだった。
パレストリーナが活躍しだした頃、イタリアの教会では
フランドル楽派の音楽は敬遠される傾向にあった。
音楽が高度で複雑すぎる上、世俗音楽を定旋律に用いる点などが
好ましくないというのが理由だった。
パレストリーナはそういった教会の要求に答えるために
シンプルで磨き上げられた様式を築き上げ、
絶大な信頼を勝ち取ることに成功したのだった。
20世紀前半まではルネサンス音楽といえば
何を置いてもパレストリーナのことであった。
しかし、現在の評価はやや違ってきている。
フランドル楽派の音楽が、純粋に音楽的要求から洗練されていったのに対し
パレストリーナのそれは教会の求めに応じ人工的に磨き上げられたものだった。
どの曲も美しいが、それは同じような曲ばかりだからだともいわれ、
新たな音楽を作り上げるという観点においては大きな足跡を残さなかった。
したがって現在ではジョスカン・デ・プレを差し置いて
ルネサンス最高と評価することには否定的な意見が目立っている。
もっとも、洗練の度合いが非常に高いのは事実であり
求めに応じて理想的な音楽を書けるのも稀有の才能といえる。
後世への影響が大きかったのは疑いようもない事実であるから、
ルネサンス後期における最重要な作曲家であったことに変わりはないだろう。
お勧め:「聖母被昇天のミサ(Assumpta est Maria)」
多作家であり何だかんだで名作は非常に多い。まずはこれを。
非常に美しい曲でパレストリーナ様式がふんだんに味わえる。
パレストリーナの音楽はすっと耳に入るから気に入れば様々な曲が聴ける。
他にも「ミサ・ブレヴィス」「教皇マルチェスのミサ」
「レクイエム」「スターバト・マーテル」「ソロモンの雅歌」など、
お勧めが多くて多くて困ってしまうほどだ。
《世俗音楽》
教会音楽では、パレストリーナの登場まで
フランドル楽派の影響下にあり続けたイタリア音楽界だが
世俗音楽についてもそれは全く同じ状況であった。
イタリア世俗音楽の代表的なものはマドリガーレだが、
初期マドリガーレの成立において最も重要な役割を担った人物は
チプリアーノ・デ・ローレであった。もちろんフランドル楽派である。
イタリア人による重要なマドリガーレ作曲家が登場するのは
やはり教会音楽と同じくルネサンス後期になってからだった。
●ルカ・マレンツィオ
Luca Marenzio(1553-1599)
マドリガーレにおいて歌詞と曲を密接にシンクロさせ
高度な作曲技法によってそれまでにない表現力を獲得した人物。
極めて大胆な音楽はイタリア国内だけでなく他国にも影響を与えた。
お勧め:「優雅な鳥のささやき」
●カルロ・ジェズアルド
Carlo Gesualdo(1560-1613)
マレンツィオを更に凌ぐほどの強烈な表現力を発揮した人物。
その歌詞は死や苦悩を取り扱ったものが多く、
音楽も半音階や不協和音が多用された。
ジェズアルドは、不貞の妻を殺害したというエピソードでも知られ
終生その罪にさいなまれていたという説もある。
その影響からか、音楽には暗い影を持つものが非常に多くなっている。
ジェズアルドの特異な表現はそれ故に後世のどの作曲家にも受け継がれず
音楽史上の孤高の存在となっている。現在でも人気の高い作曲家である。
お勧め:「かなしや吾は死す」
《ヴェネツィア楽派》
ルネサンス後期からバロック初期にかけて
大きな影響力を持ったのがヴェネツィア楽派であった。
ヴェネツィアは当時交易の中心地であり、
音楽も様々なルートで集められ、また同時に発信地ともなった。
ヴェネツィア楽派の開祖とされるのはアドリアン・ヴィラールトで
例に漏れずフランドル楽派の音楽家であった。
ヴェネツィア楽派の音楽は、いかにも交易地らしく賑やかなもので
各地から集めた様式を派手に発展させるというものだった。
合唱団を分割する複合唱や金管楽器のファンファーレなどに
その特徴を強く見ることができる。
ヴェネツィア楽派は、ヴィラールトの門下である
アンドレア・ガブリエリ(Andrea Gabrieli, 1510-1586)を経て
その甥のジョヴァンニ・ガブリエリの時代になって頂点に達した。
●ジョヴァンニ・ガブリエリ
Giovanni Gabgieli(1557-1612)
ヴィラールト以来の複合唱を大きく発展させ、
それを更に器楽分野にも応用させた。
音響効果を最大限に活かした音楽作りは
正にバロック時代の到来を告げるものだった。
他に音楽後進国であったドイツから多くの若手を
ヴェネツィアに留学させたことでも注目される。
ドイツバロック初期の重要な音楽家シュッツやプレトリウスも
ガブリエリに学んでドイツに音楽を持ち帰った。
お勧め:合唱曲「大いなる神秘」
他に金管楽器のためのファンファーレも注目。
《ルネサンスからバロックへ》
イタリアはルネサンス後期になって勢いを手にすると、
音楽の中心地としての地位をフランドルから奪い取ることに成功した。
そして音楽界はその手によってバロックへと移行されていくことになった。
この時代変革において
最も重要な役割を果たした作曲家はモンテヴェルディである。
モンテヴェルディはガブリエリ後のヴェネツィアで活躍し、
マドリガーレと宗教音楽の作曲で多大な功績を残した。
正にここで述べてきたイタリアルネサンス音楽を集約した人物だといえる。
同時に新たにバロック音楽を作り上げていった人物でもあるのだが
その詳細はバロックの項で述べることにする。
wrote by Au-Saga
次回は「ルネサンス期のフランスとスペイン」
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この記事へのコメント
1. Posted by au-saga 2007年05月31日 17:04
音楽史に興味があると掘り下げていくのも面白いんですが、やっぱり一般には音がないと味気ないですよね。
ひと通り書き終わったら、お勧めで紹介している曲のMP3かMIDIにリンクを飛ばすのもいいかなと思ってるんですが、今そういうことやると捕まっちゃうんでしたっけ?
ひと通り書き終わったら、お勧めで紹介している曲のMP3かMIDIにリンクを飛ばすのもいいかなと思ってるんですが、今そういうことやると捕まっちゃうんでしたっけ?
2. Posted by sikezoh 2007年06月01日 07:07
相変わらずのテキスト、すごいっす。
リンク先のMP3とかが違法なら捕まる可能性大ですね。
そうでない場合でも粕ラックが文句言ってきそう…(つд`)
リンク先のMP3とかが違法なら捕まる可能性大ですね。
そうでない場合でも粕ラックが文句言ってきそう…(つд`)
3. Posted by au-saga 2007年06月04日 09:31
うむむ、やっぱそうですか。
自分で入力したMIDIなんかはきっと平気ですよね。
とりあえず予定のテキストを仕上げたら、うまい方法を考えてみます。
自分で入力したMIDIなんかはきっと平気ですよね。
とりあえず予定のテキストを仕上げたら、うまい方法を考えてみます。