2008年01月31日
音楽史08〜バロックの開始〜
《モンテヴェルディの登場》
音楽史では17世紀から18世紀半ばまでの
およそ150年をバロック時代と呼んでいる。
これはそのままモンテヴェルディからバッハまで
と言い換えることができる。
この2人の巨人がバロック音楽を決定付けたと言っても過言ではない。
ここではルネサンスからバロックへの時代改革を行った
巨星モンテヴェルディの極めて重要な業績を中心に取り上げてみたい。
●クラウディオ・モンテヴェルディ
Claudio Monteverdi(1567-1643)
時代の変革者モンテヴェルディは
ルネサンスの完成者であり、同時にバロックの創始者でもあった。
《ルネサンス音楽の完成》
モンテヴェルディはルネサンス音楽の完成者として
教会音楽と世俗音楽の両方において傑作を残した。
教会音楽では1610年にローマ教皇に2つの曲を献上したが
一つはフランドル楽派の書法を踏襲した完全なルネサンス型のミサ曲であり
もう一つは当時としては型破りな「聖母マリアのタベの折り」であった。
モンテヴェルディはこの2曲によって新旧どちらのスタイルでも
変幻自在に曲を書き分けることができることを証明したといえる。
世俗音楽では特にマドリガーレをライフワークとした。
全9巻にも及ぶ曲集には、ルネサンス的書法から
バロック的書法への確実な変化が示されている。
モンテヴェルディ自身、古いスタイルを「第1の作法」と呼び
自らが作り上げた新しいスタイルを「第2の作法」と呼んだ。
《バロック音楽の創始》
バロックの創始者としてのモンテヴェルディは
第2の作法を確立したことで既にその役割を果たしているのだが
更にそれだけでない新しい音楽をも作り出した。
それはすなわちバロックオペラである。
オペラの作曲は実際にはカメラータの試みによって既に開始されていたのだが
当初は皆実験的な音楽にすぎなかった。
事実上、モンテヴェルディの「オルフェオ」こそが
最初の傑作オペラであるとされている。
モンテヴェルディのオペラは多くが失われてしまったため
現在では3作しか残されていないが、そのいずれもが
バロックオペラの最高傑作の評価を不動のものにしている。
オペラはこの後ミサ曲に取って代わり
音楽界の最高峰に位置づけられるようになっていった。
モンテヴェルディのオペラは一聴しただけでその特異性が分かる。
それまでのカッチーニ等によるオペラは、
慎ましやかなモノディによる伴奏が付いていただけであったが
「オルフェオ」には巨大な管弦楽が付けられた。
これはすなわちオーケストラの創始であり、
また冒頭部に付けられたトッカータは
後の序曲、ひいては交響曲の原型とも見ることができる。
少し前までは音楽史といえばバッハを最初として
それ以前が省みられることはほとんどなかったのだが、
近年ではモンテヴェルディをその開始に位置づける考え方が定着してきている。
お勧め:「聖母マリアのタベの折り」
オペラ、マドリガーレなど名曲は多いがやはりまずはこの曲だろう。
グレゴリオ聖歌を定旋律に使いながらも
冒頭にオペラ「オルフェオ」のトッカータを引用するなど
新旧の様々な手法を駆使して作り上げた最高傑作となっている。
実はモンテヴェルディの教会音楽は、
現在ではその多くが失われてしまっているのだが
この1曲が残っているだけでも大きな遺産といえる。
《ヴェネツィアオペラ》
モンテヴェルディによって芸術として高められたオペラは、
その弟子に当たる
・フランチェスコ・カヴァッリ Francesco Cavalli(1602-1676)
・アントニオ・チェスティ Antonio Cesti(1623-1669)
等に受け継がれていき
ヴェネツィアから各地へと急速に流行を広めていった。
バロックオペラは、現在あまり一般に上演されることはない。
理由として
・伴奏楽器の少ない作品が多く演奏効果が薄い
・特定の機会のために作られたものが多く上演形態が特殊
・カストラート(去勢歌手)のためのアリアなど現在では再現が困難
・戦禍などで楽譜が失われてしまった例が多い
などが考えられる。
このため一般の歌劇場のレパートリーは、
長く古典派のグルック以降の作品に限られていた。
(それでも稀に演奏されていたモンテヴェルディの作品は例外中の例外だろう)
しかし20世紀後半に古楽復興の波が押し寄せるに伴って
近年は急激に復活上演されるようになってきた。
バロックオペラは未だ再発見の真っ只中にあるといえる。
《世俗音楽》
バロック初期の世俗音楽としては
まずはマドリガーレが重要な作品となる。
●シジスモンド・ディンディア
Sigismondo d'India(1582-1629)
バロック初期におけるモンテヴェルディに匹敵する重要なマドリガーレ作曲家。
新しいモノディ様式の歌曲などを多く作りジェズアルドからの作風も受け継いでいる。
かつてジェズアルドは、
その波乱の生涯から孤高の存在であるという評価が定着しており
ジェズアルドに連なる系譜は邪魔者扱いされる風潮があった。
そのためディンディアもジェズアルドの劣化コピーであるかのように言われたのだが
最近ではルッツァスキ→ジェズアルド→ディンディアという系統が
認められるところとなっており、ディンディアの評価も年々高まっている。
その後マドリガーレは次第に規模を拡大し、やがてカンタータへと発展していく。
カンタータはイタリアではルイージ・デ・ロッシ(Luigi de Rossi 1597-1653)
カリッシミ、チェスティなどによって受け継がれていき、
やがてドイツに受け入れられてブクステフーデや
バッハの名作が生み出されていくことになる。
《オラトリオの発展》
バロック初期にはオペラと並ぶ重要なジャンルとしてオラトリオが登場した。
オラトリオは宗教的題材を扱う大規模な教会音楽であり、
歌詞にストーリー性はあるが
オペラと違って舞台上の演技を伴わないという特徴がある。
最初のオラトリオはカメラータのカヴァリエーリによるものとされてきたが
最近の研究でカヴァリエーリの作品は劇を伴っていたことが分かっており
オラトリオには分類されないのが一般的となっている。
現在オラトリオの創始者として名前が挙げられるのはカリッシミである。
●ジャコモ・カリッシミ
Giacomo Carissimi(1605-1674)
オペラにおけるモンテヴェルディに相当する人物。
オラトリオの開拓者であり同時にその最高の担い手でもある。
大小様々なオラトリオを残しており、教会音楽でありながらも
世俗音楽に負けない劇性を持たせるなどその豊かな表現力に定評があった。
代表作である「イェフタ」は特に人々を熱狂させたという。
カリッシミのオラトリオはその後フランスのシャルパンティエや
アレッサンドロ・スカルラッティにも強い影響を及ぼした。
オラトリオのほかにもカンタータやミサ曲などを残している。
お勧め:「イェフタ」
カリッシミの代表作で録音も多い。
より劇的で大規模な編成による「最後の審判」もお勧め。
●アレッサンドロ・ストラデッラ
Alessandro Stradella(1644-1682)
近年特に注目を浴びているバロック中期の作曲家。
素行が悪く最後はマフィアに殺されるという波乱の人生を送った。
そのお蔭でこれまでゴシップ的な面ばかりが取り上げられてきたが、
今ではその音楽が正当に再評価されてきている。
オラトリオの分野ではカリッシミ後の最大の作曲家であり
オペラ、カンタータ、器楽においても重要な作品を残した。
合奏協奏曲という形式は後にコレッリによって創始されるのだが
既にストラデッラの作品にその原型を確認することができ、
またコレッリ本人も若い頃にストラデッラに会っているので
直接ストラデッラが影響を与えたと考えられている。
お勧め:「洗礼者ヨハネ」
ストラデッラのオラトリオはカリッシミ以上に表現が激しい。
また多楽章形式の器楽音楽も、ソナタと銘打たれているものの
室内楽というよりは最初期の協奏曲ともいえる重要な作品である。
●アレッサンドロ・スカルラッティ
Alessandro Scarlatti(1660-1725)
スカルラッティ父子の父として有名な人物。ナポリ楽派の生みの親である。
息子ドメニコがもっぱら鍵盤楽器で活躍したのとは対照的に
極めて多くの分野にまたがる作品を残した。
オラトリオではカリッシミ、ストラデッラと並ぶ3大作曲家の一人とされる。
また、オペラではABAのダ・カーポ・アリアの形式を定着させた功績は大きく
スカルラッティの登場以降、オペラの中心地はヴェネツィアからナポリに移った。
また、器楽分野においても後の交響曲に連なる重要な形式の一つである
イタリア風シンフォニアの生みの親とされる点でその功績は重要である。
例に漏れず今日では大量に残された作品はほとんど演奏されることはない。
これは歴史上の重要度から考えれば大きな損失といえるだろう。
お勧め:「スターバト・マーテル」
スカルラッティの音楽は多岐にわたるが教会音楽にも傑作を残している。
「スターバト・マーテル」は生前から人気の作品で
現在もしばしば取り上げられる数少ない作品の一つとなっている。
《ナポリ楽派》
スカルラッティ以降、イタリア音楽の最も華やかな地は
ヴェネツィアからナポリへと移ることになった。
この地で作曲家として活躍した人物を総称してナポリ楽派と呼ぶ。
バロック期のナポリ楽派の面々を簡単に列挙すると
・フランチェスコ・マンチーニ Francesco Mancini(1672-1737)
・ドメニコ・サッリ Domenico Sarri(1679-1744)
・フランチェスコ・ドゥランテ Francesco Durante(1684-1755)
(珍しくオペラを残さなかった)
・ニコラ・ポルポラ Nicola Porpora(1686-1768)
(ハイドンの師として有名)
・レオナルド・ヴィンチ Leonardo Vinci(1690-1730)
・レオナルド・レオ Leonardo Leo(1694-1744)
(スカルラッティ後で特に人気があった人物)
などとなる。
その他ドイツにナポリオペラを持ち込んだハッセなどもいる。
しかし、スカルラッティ後のナポリ楽派で
最も重要な人物はペルゴレージであろう。
●ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ
Giovanni Battista Pergolesi(1710-1736)
年齢からすれば古典派に属するといってもいい若い作曲家だが
僅か26歳で結核によりその生涯を閉じたことにより
その活躍時期はバロック後期にあたることになる。
バロックと古典派を結ぶ重要な作曲家の一人で
残された音楽は少ないが、そのいずれもが高く評価されており
特にオペラ・ブッファと宗教音楽においては
この時代の最も重要な作曲家ということができる。
お勧め:「スターバト・マーテル」
モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」や
バッハの「マタイ受難曲」に並ぶバロック期最高の声楽曲。
ナポリ楽派は、
その後バロック期が終結し、古典派にいたってもなお
優秀な音楽家を輩出しヨーロッパのオペラ界をリードし続けた。
wrote by Au-Saga
次回は、バロック器楽
音楽史では17世紀から18世紀半ばまでの
およそ150年をバロック時代と呼んでいる。
これはそのままモンテヴェルディからバッハまで
と言い換えることができる。
この2人の巨人がバロック音楽を決定付けたと言っても過言ではない。
ここではルネサンスからバロックへの時代改革を行った
巨星モンテヴェルディの極めて重要な業績を中心に取り上げてみたい。
●クラウディオ・モンテヴェルディ
Claudio Monteverdi(1567-1643)
時代の変革者モンテヴェルディは
ルネサンスの完成者であり、同時にバロックの創始者でもあった。
《ルネサンス音楽の完成》
モンテヴェルディはルネサンス音楽の完成者として
教会音楽と世俗音楽の両方において傑作を残した。
教会音楽では1610年にローマ教皇に2つの曲を献上したが
一つはフランドル楽派の書法を踏襲した完全なルネサンス型のミサ曲であり
もう一つは当時としては型破りな「聖母マリアのタベの折り」であった。
モンテヴェルディはこの2曲によって新旧どちらのスタイルでも
変幻自在に曲を書き分けることができることを証明したといえる。
世俗音楽では特にマドリガーレをライフワークとした。
全9巻にも及ぶ曲集には、ルネサンス的書法から
バロック的書法への確実な変化が示されている。
モンテヴェルディ自身、古いスタイルを「第1の作法」と呼び
自らが作り上げた新しいスタイルを「第2の作法」と呼んだ。
《バロック音楽の創始》
バロックの創始者としてのモンテヴェルディは
第2の作法を確立したことで既にその役割を果たしているのだが
更にそれだけでない新しい音楽をも作り出した。
それはすなわちバロックオペラである。
オペラの作曲は実際にはカメラータの試みによって既に開始されていたのだが
当初は皆実験的な音楽にすぎなかった。
事実上、モンテヴェルディの「オルフェオ」こそが
最初の傑作オペラであるとされている。
モンテヴェルディのオペラは多くが失われてしまったため
現在では3作しか残されていないが、そのいずれもが
バロックオペラの最高傑作の評価を不動のものにしている。
オペラはこの後ミサ曲に取って代わり
音楽界の最高峰に位置づけられるようになっていった。
モンテヴェルディのオペラは一聴しただけでその特異性が分かる。
それまでのカッチーニ等によるオペラは、
慎ましやかなモノディによる伴奏が付いていただけであったが
「オルフェオ」には巨大な管弦楽が付けられた。
これはすなわちオーケストラの創始であり、
また冒頭部に付けられたトッカータは
後の序曲、ひいては交響曲の原型とも見ることができる。
少し前までは音楽史といえばバッハを最初として
それ以前が省みられることはほとんどなかったのだが、
近年ではモンテヴェルディをその開始に位置づける考え方が定着してきている。
お勧め:「聖母マリアのタベの折り」
オペラ、マドリガーレなど名曲は多いがやはりまずはこの曲だろう。
グレゴリオ聖歌を定旋律に使いながらも
冒頭にオペラ「オルフェオ」のトッカータを引用するなど
新旧の様々な手法を駆使して作り上げた最高傑作となっている。
実はモンテヴェルディの教会音楽は、
現在ではその多くが失われてしまっているのだが
この1曲が残っているだけでも大きな遺産といえる。
《ヴェネツィアオペラ》
モンテヴェルディによって芸術として高められたオペラは、
その弟子に当たる
・フランチェスコ・カヴァッリ Francesco Cavalli(1602-1676)
・アントニオ・チェスティ Antonio Cesti(1623-1669)
等に受け継がれていき
ヴェネツィアから各地へと急速に流行を広めていった。
バロックオペラは、現在あまり一般に上演されることはない。
理由として
・伴奏楽器の少ない作品が多く演奏効果が薄い
・特定の機会のために作られたものが多く上演形態が特殊
・カストラート(去勢歌手)のためのアリアなど現在では再現が困難
・戦禍などで楽譜が失われてしまった例が多い
などが考えられる。
このため一般の歌劇場のレパートリーは、
長く古典派のグルック以降の作品に限られていた。
(それでも稀に演奏されていたモンテヴェルディの作品は例外中の例外だろう)
しかし20世紀後半に古楽復興の波が押し寄せるに伴って
近年は急激に復活上演されるようになってきた。
バロックオペラは未だ再発見の真っ只中にあるといえる。
《世俗音楽》
バロック初期の世俗音楽としては
まずはマドリガーレが重要な作品となる。
●シジスモンド・ディンディア
Sigismondo d'India(1582-1629)
バロック初期におけるモンテヴェルディに匹敵する重要なマドリガーレ作曲家。
新しいモノディ様式の歌曲などを多く作りジェズアルドからの作風も受け継いでいる。
かつてジェズアルドは、
その波乱の生涯から孤高の存在であるという評価が定着しており
ジェズアルドに連なる系譜は邪魔者扱いされる風潮があった。
そのためディンディアもジェズアルドの劣化コピーであるかのように言われたのだが
最近ではルッツァスキ→ジェズアルド→ディンディアという系統が
認められるところとなっており、ディンディアの評価も年々高まっている。
その後マドリガーレは次第に規模を拡大し、やがてカンタータへと発展していく。
カンタータはイタリアではルイージ・デ・ロッシ(Luigi de Rossi 1597-1653)
カリッシミ、チェスティなどによって受け継がれていき、
やがてドイツに受け入れられてブクステフーデや
バッハの名作が生み出されていくことになる。
《オラトリオの発展》
バロック初期にはオペラと並ぶ重要なジャンルとしてオラトリオが登場した。
オラトリオは宗教的題材を扱う大規模な教会音楽であり、
歌詞にストーリー性はあるが
オペラと違って舞台上の演技を伴わないという特徴がある。
最初のオラトリオはカメラータのカヴァリエーリによるものとされてきたが
最近の研究でカヴァリエーリの作品は劇を伴っていたことが分かっており
オラトリオには分類されないのが一般的となっている。
現在オラトリオの創始者として名前が挙げられるのはカリッシミである。
●ジャコモ・カリッシミ
Giacomo Carissimi(1605-1674)
オペラにおけるモンテヴェルディに相当する人物。
オラトリオの開拓者であり同時にその最高の担い手でもある。
大小様々なオラトリオを残しており、教会音楽でありながらも
世俗音楽に負けない劇性を持たせるなどその豊かな表現力に定評があった。
代表作である「イェフタ」は特に人々を熱狂させたという。
カリッシミのオラトリオはその後フランスのシャルパンティエや
アレッサンドロ・スカルラッティにも強い影響を及ぼした。
オラトリオのほかにもカンタータやミサ曲などを残している。
お勧め:「イェフタ」
カリッシミの代表作で録音も多い。
より劇的で大規模な編成による「最後の審判」もお勧め。
●アレッサンドロ・ストラデッラ
Alessandro Stradella(1644-1682)
近年特に注目を浴びているバロック中期の作曲家。
素行が悪く最後はマフィアに殺されるという波乱の人生を送った。
そのお蔭でこれまでゴシップ的な面ばかりが取り上げられてきたが、
今ではその音楽が正当に再評価されてきている。
オラトリオの分野ではカリッシミ後の最大の作曲家であり
オペラ、カンタータ、器楽においても重要な作品を残した。
合奏協奏曲という形式は後にコレッリによって創始されるのだが
既にストラデッラの作品にその原型を確認することができ、
またコレッリ本人も若い頃にストラデッラに会っているので
直接ストラデッラが影響を与えたと考えられている。
お勧め:「洗礼者ヨハネ」
ストラデッラのオラトリオはカリッシミ以上に表現が激しい。
また多楽章形式の器楽音楽も、ソナタと銘打たれているものの
室内楽というよりは最初期の協奏曲ともいえる重要な作品である。
●アレッサンドロ・スカルラッティ
Alessandro Scarlatti(1660-1725)
スカルラッティ父子の父として有名な人物。ナポリ楽派の生みの親である。
息子ドメニコがもっぱら鍵盤楽器で活躍したのとは対照的に
極めて多くの分野にまたがる作品を残した。
オラトリオではカリッシミ、ストラデッラと並ぶ3大作曲家の一人とされる。
また、オペラではABAのダ・カーポ・アリアの形式を定着させた功績は大きく
スカルラッティの登場以降、オペラの中心地はヴェネツィアからナポリに移った。
また、器楽分野においても後の交響曲に連なる重要な形式の一つである
イタリア風シンフォニアの生みの親とされる点でその功績は重要である。
例に漏れず今日では大量に残された作品はほとんど演奏されることはない。
これは歴史上の重要度から考えれば大きな損失といえるだろう。
お勧め:「スターバト・マーテル」
スカルラッティの音楽は多岐にわたるが教会音楽にも傑作を残している。
「スターバト・マーテル」は生前から人気の作品で
現在もしばしば取り上げられる数少ない作品の一つとなっている。
《ナポリ楽派》
スカルラッティ以降、イタリア音楽の最も華やかな地は
ヴェネツィアからナポリへと移ることになった。
この地で作曲家として活躍した人物を総称してナポリ楽派と呼ぶ。
バロック期のナポリ楽派の面々を簡単に列挙すると
・フランチェスコ・マンチーニ Francesco Mancini(1672-1737)
・ドメニコ・サッリ Domenico Sarri(1679-1744)
・フランチェスコ・ドゥランテ Francesco Durante(1684-1755)
(珍しくオペラを残さなかった)
・ニコラ・ポルポラ Nicola Porpora(1686-1768)
(ハイドンの師として有名)
・レオナルド・ヴィンチ Leonardo Vinci(1690-1730)
・レオナルド・レオ Leonardo Leo(1694-1744)
(スカルラッティ後で特に人気があった人物)
などとなる。
その他ドイツにナポリオペラを持ち込んだハッセなどもいる。
しかし、スカルラッティ後のナポリ楽派で
最も重要な人物はペルゴレージであろう。
●ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ
Giovanni Battista Pergolesi(1710-1736)
年齢からすれば古典派に属するといってもいい若い作曲家だが
僅か26歳で結核によりその生涯を閉じたことにより
その活躍時期はバロック後期にあたることになる。
バロックと古典派を結ぶ重要な作曲家の一人で
残された音楽は少ないが、そのいずれもが高く評価されており
特にオペラ・ブッファと宗教音楽においては
この時代の最も重要な作曲家ということができる。
お勧め:「スターバト・マーテル」
モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」や
バッハの「マタイ受難曲」に並ぶバロック期最高の声楽曲。
ナポリ楽派は、
その後バロック期が終結し、古典派にいたってもなお
優秀な音楽家を輩出しヨーロッパのオペラ界をリードし続けた。
wrote by Au-Saga
次回は、バロック器楽