2008年04月08日
音楽史12〜バロック、ドイツ圏〜
ルネサンス期には音楽後進国であったドイツだが
バロック期に入ると次第に勢力を伸ばし始めた。
初期にはまだイタリア等の影響を大きく受けていたものの、
やがてどこにも劣らぬ音楽大国に成長していくことになる。
バロック時代はドイツが音楽大国に成長する過程の時代だった
といってもいいかもしれない。
ルネサンス期にイギリスの宗教音楽が
国の宗教改革と密接に関わっていったのと同じように
ドイツでもマルティン・ルターの宗教改革が音楽に強い影響を与えた。
特に北ドイツではプロテスタント音楽が盛んに作られるようになった。
これがドイツ独自の音楽を形成していったといっていいだろう。
ただし、イギリスと違ってカトリック音楽が弾圧されたわけではなく
南ドイツやオーストリアでは依然としてカトリックであったから
ドイツバロックでは両方の形式による音楽が混在することとなった。
《ドイツ3大S》
バロック初期のドイツには3大Sと呼ばれる音楽家がいた。
●ハインリヒ・シュッツ
Heinrich Schutz(1585-1672)
現在一般的にドイツ音楽の祖と呼ばれる人物である。
若い頃にベネツィアに留学しジョバンニ・ガブリエーリに学んだ。
当時最先端の音楽様式を誇っていたベネツィアは
ドイツから積極的に留学生を招聘しており、
これが後にドイツ音楽の隆盛に繋がることになった。
シュッツは主にドレスデン宮廷で活躍し、
生涯にわたってドイツプロテスタント音楽を多く作ったが
イタリアで身に付けた複合唱様式を融合することにも成功している。
またシュッツはドイツ語オペラの最初の作曲家とも言われているが
残念ながらその楽譜は現在失われてしまっている。
お勧め:「クリスマス物語」
シュッツが晩年に作曲した素晴らしいオラトリオ。
シュッツの代表作選定は少々迷う。著名な作品として
宗教的合唱曲、各種受難曲、音楽による葬儀なども上げられるが
これらの作品は最初に聴くには少々取っ付きにくいかもしれない。
充実した響きのシンフォニア・サクレもあるが、まずは
オラトリオがシュッツのよさを伝えてくれるのではないかと思う。
●ヨハン・ヘルマン・シャイン
Johann Hermann Schein(1586-1630)
優れた音楽家であったが、幼い頃から病気がちであり
3Sの中でも最も早くこの世を去ってしまった。
そのため、友人のシュッツほどにその評価は高まっていない。
しかし、終生ドイツから出なかったにも関わらず
イタリア様式のモノディを最初に国内に取り入れた作曲家であり
もしも長生きしていたらドイツ音楽を刷新させた
人物であっただろうと言われている。
お勧め:「音楽の饗宴」
組曲形式による器楽音楽集。後にフローベルガーによって
定められる舞曲組曲の原型が既に現れている。
また、イタリア様式で作られた声楽曲もあり、
特にマドリガーレ「イスラエルの泉」は重要な作品。
●ザムエル・シャイト
Samuel Scheidt(1587-1653)
北ドイツオルガン楽派の祖スウェーリンクに学んだオルガン奏者。
スウェーリンクは実際にはオランダ人であり、
また作品自体よりも教師として知られていたことから、
実質シャイトがドイツのオルガン音楽の祖であるともいわれている。
オルガン曲の他、シャインのような舞曲組曲やイタリア風声楽曲も残している。
お勧め:「戦いの組曲」
器楽合奏による舞曲集。
《ザルツブルク》
ザルツブルクは100年以上も後にモーツァルトで有名になる都市だが、
この時代から既に優秀な音楽家を抱えていた。
●ヨハン・ハインリヒ・シュメルツァー
Johann Heinrich von Schmelzer(1623-1680)
ザルツブルク宮廷で活躍した作曲家。
非常に優秀なヴァイオリニストで、
ドイツ圏における最初の巨匠ヴァイオリニストであった。
当時ヴァイオリンといえばイタリアが有名で
特にコレッリの登場以来この分野で他国を圧倒するようになったが
シュメルツァーはコレッリ以前にヨーロッパ最高と呼ばれた人物だった。
後にイタリアで流行する技巧作品に比べると独特な表現を持つ作品が多く
スコルダトゥーラ(変則調弦)を駆使たソナタや
標題性を持つ描写音楽などを作曲している。
お勧め「ヴァイオリン・ソナタ(Sonatae unarum fidium)」
ドイツで初めて作曲されたヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ。
他にフェンシングの様子を描写した「フェンシング指南」
という風変わりな器楽曲もある。
●ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー
Heinrich Ignaz Franz von Biber(1644-1704)
ボヘミア出身のヴァイオリン奏者・作曲家。
バロック後期から古典派にかけて、
欧州各地ではボヘミア系の音楽家が大活躍を収めるが、
そのはしりともいえる人物。
シュメルツァーに学び、その影響を強く受けたといわれ、
後に後継者としてザルツブルク宮廷作曲家となった。
ビーバーも著名なヴァイオリン奏者として知られ、
シュメルツァーのスコルダトゥーラや標題音楽を更に推し進め、
これらの分野での第一人者となった。
また大規模合唱や華々しいファンファーレを駆使した声楽曲も有名である。
バロック最大の「53声のミサ(ザルツブルクミサ)」は、
かつてはイタリアの作曲家ベネヴォリの作品といわれていたが
現在ではビーバーの作であると考えられている。
他にも32声のモテットや26声のミサなど華麗で壮大な声楽曲がある。
ほとんどのバロック作曲家は20世紀後半になるまで評価されていなかったが
ビーバーは一部でバッハ以前の最高のドイツ作曲家と認められていた。
近年は更に再評価され、多くの作品が取り上げられてきているのは嬉しい。
お勧め:「ロザリオ・ソナタ」
スコルダトゥーラをふんだんに盛り込んだビーバーの代表作。
最近は特に人気が高まっており録音も多い。この他、
「戦争」「描写的ヴァイオリンソナタ」のような標題音楽から
「宗教的世俗的弦楽曲集」「技巧的で楽しい合奏」などの純粋な器楽作品もある。
また声楽では「15声のレクイエム」が代表作といえるだろう。
20世紀後半になって再発見された「ザルツブルク・ミサ」や
「ブリュッセル・ミサ」も聴き応え充分だ。
●ゲオルク・ムファット
Georg Muffat(1653-1704)
フランスに生まれたオルガニスト・作曲家。若い頃リュリに師事した。
その後ビーバーの楽長時代に約10年ほどザルツブルクに仕えたが
終生欧州各地を転々として様々な国のスタイルを取り入れた作曲家であった。
イタリアでは同年齢のコレッリと親交を持ち、そのスタイルにも影響を受けた。
お勧め:「オルガン音楽の練習」
オルガニストとして名を馳せたムファットの代表作。
その他「音楽の花束」と名づけられた管弦楽組曲や
コレッリの影響の下に作られた合奏協奏曲などがある。
最近はありがたいことにビーバーの再評価に伴って
シュメルツァーとムファットの録音も増えてきている。
《ウィーン》
誰もがご存知ウィーンは、
古典派以降、音楽の中心地となった都市である。
バロック期にはまだ世界の中心とはいえなかったが、
その偉大な音楽のスタートを確認することが出来る。
●ヨハン・ヨーゼフ・フックス
Johann Joseph Fux(1660-1741)
恐らくは最初の偉大なウィーンの音楽家ではないだろうか。
バロック後期の作曲家にあたるが
長命であったため初期古典派の役割も果たしている。
ウィーン古典派の祖ともいうべき人物といえる。
作曲家としては器楽から声楽、オペラまで様々な種類を手がけた。
序曲や組曲などの交響曲の前身ともいうべき作品の中では
終楽章にパッサカリアを用いており、この様式は
後にブラームスが交響曲第4番で踏襲したと考えられている。
教育者としても有名で、その著作「パルナッソスへの階段」は
音楽書として非常に重要であり、バッハやベートーヴェンが
これで学んだことが知られている。
長くウィーン宮廷楽長として仕えたが、その下には副楽長のカルダーラを始め
ヴァイオリンのタルティーニ、フルートのクヴァンツ、コントラバスのゼレンカなど
極めて優秀な教え子や部下が集まっていた。
また、モーツァルトの作品番号で知られるケッヘルがその作品の編集を行ったので
フックスの作品もケッヘル番号で呼ばれている。
お勧め:「皇帝のレクイエム」
この作品の廉価版CDがベストセラーになり、
瞬く間にフックス再評価に繋がったという記念碑的な作品。
クレマンシックの演奏によるそのアルバムには
ソナタなどの器楽曲も盛り込まれており、
フックス入門として最適な1枚となっている。
後にクレマンシックは続編のアルバムも出しており
そちらは器楽のみの構成だが同じように素晴らしい出来となっている。
●アントニオ・カルダーラ
Antonio Caldara(1670-1736)
ベネツィアに生まれたイタリアの作曲家。
ローマを経てウィーンに渡り、フックスの下で宮廷副楽長を勤めた。
非常な多作家でオペラからオラトリオ、ミサ曲、器楽に至るまで
様々な分野で大量の曲を作った。
お勧め:「ミサ・ドロローザ」
膨大な作品の中では特にオペラとミサ曲が重要で
中でもミサ曲はバッハへの影響がしばしば指摘される。
《ドレスデン》
バロック期、ドイツにおいて
最高の音楽家集団を抱えていたのはドレスデン宮廷であった。
バロック後期にはオーケストラ、作曲家の質ともヨーロッパ随一となっていた。
その宮廷楽長ともなれば音楽家最高の地位であったと言って良い。
●ヤン・ディスマス・ゼレンカ
Jan Dismas Zelenka(1679-1745)
近年再評価著しいボヘミア出身の作曲家・コントラバス奏者。
一時ウィーンに留学しフックスに作曲を学んだ。
ドレスデン宮廷では、楽長を勤めていたハイニヒェンの下で活躍したが
楽長ハイニヒェンは病気がちであったため、特に後年になると
ゼレンカが実質楽長と変わらぬ役割を果たしていた。
このことからハイニヒェンの死後、間違いなく
宮廷楽長の座を手に入れることができると思っていたのだが
思いもよらず若きハッセに奪われることになってしまった。
ハッセは流行のナポリオペラをドレスデンに持ち込んだ人物であった。
ゼレンカの旧式の音楽よりも人々の受けが良かったようである。
やがてゼレンカは失意のうちにドレスデンを去るが、
音楽家として枯れることはなく、
晩年に作られたミサ曲などは特に素晴らしい作品となっている。
お勧め:「レクイエム ハ短調」
ゼレンカの4曲あるレクイエムの中でも最も劇的なものといわれ
バロック屈指のレクイエムとして評価が高い。
ゼレンカの音楽は、当時の流行のスタイルからすると
難解でとっつきにくいという評価が与えられてしまったが
現在では逆にその独特の鋭い表現力が好まれており
再評価著しい音楽家となっている。
トリオ・ソナタなどの器楽曲や晩年のいくつかのミサ曲もお勧め。
●ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェン
Johann David Heinichen(1683-1729)
クーナウに学んだ著名なドレスデン宮廷楽長。
音楽理論家としても有名で、弁護士の資格も持っていた。
ゼレンカよりも年少であったが、
ゼレンカがウィーンに留学している間に宮廷楽長に就任した。
教会音楽の大家でありオペラや器楽などでも優れた作品を残している。
体が弱く、晩年はゼレンカに仕事を任せて休養することが多かった。
お勧め:「レクイエム(死者のためのミサ曲)」
ハイニヒェンの真骨頂といえばミサ曲になるだろう。
レクイエムは全体的に静かな雰囲気の曲となっている。
ハイニヒェンには他にも多くのミサ曲があり、それらでは
レクイエムと違って金管の華やかな響きを聴くこともできる。
●ヨハン・アドルフ・ハッセ
Johann Adolph Hasse(1699-1783)
テノール歌手としてオペラ座で活躍し、
後にナポリに行って当時の最先端のオペラを学んだ。
始めはポルポラについたが両者の仲はうまくいかず
結局アレッサンドロ・スカルラッティに多くを学んだようである。
妻はナポリで絶大な人気を誇る歌姫であり
ドレスデン帰国後は圧倒的人気で楽長の座に就任した。
それにより、以後絶大な影響力を手にすることに成功した。
ゼレンカから楽長の座を奪ったのは前述のとおりだが
その後もかつての師ポルポラがドレスデンに招かれた際には
政敵としてこれを追放することに成功している。
晩年は妻の生まれ故郷ベネツィアに隠居し、
そこで少年モーツァルトに会っている。
お勧め:「レクイエム ハ長調」
ハッセ最大の成功分野はオペラだが宗教音楽も重要で優れた作品が多い。
この曲は複数あるハッセのレクイエム中最も演奏機会の多い曲。
ゼレンカ、ハイニヒェンとの聴き比べが可能なタイトルである。
●ヨハン・ゲオルク・ピゼンデル
Johann Georg Pisendel(1687-1755)
欧州最高の楽団であったドレスデン宮廷でコンサートマスターとして活躍した。
ソリストとしても有名で多くの作品を献呈されているが、
やはり第一級のコンサートマスターとして認識された最初の人物として名高い。
ヴァイオリンをトレッリに、作曲をハイニヒェンに学んだ。
その影響力は大きく、テレマン、バッハ、ヴィヴァルディなど
多くの音楽家と交流があり、その門下にも優れた人物が集まった。
友人であったゼレンカが死去した際にはその作品の啓蒙に勤めた。
お勧め「ヴァイオリン・ソナタ」
奏者としての活躍がメインだったため作品は少ないが
いずれもビーバー後の優秀なドイツヴァイオリン作品となっている。
●シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス
Sylvius Leopold Weiss(1687-1750)
ドレスデン宮廷に仕えたリュート奏者。
リュートは当時既に過去の楽器となっていたので
ヴァイスはその歴史上のほぼ最後の奏者と言えるだろう。
リュートはオーケストラの中で使われることもほとんどないので
おそらくはほぼソリストとしてのみの活躍であった。
しかしその希少価値のためかヴァイスの評価は非常に高く
その給料は楽長やコンサートマスターを凌いで
宮廷音楽家中最高だったといわれている。
お勧め:「リュート作品」
多くの作品を作った。ほとんどが小品である。
ドレスデン宮廷(ザクセン選帝侯)はその後も繁栄し、
古典派に入っても優秀な音楽家を抱え続けた。
有名なフリードリヒ大王の統治時代になると本拠をベルリンに移したので
それ以後の宮廷音楽家はドレスデンよりも
ベルリンの作曲家といったほうが自然かもしれない。
それらの中にも取り上げたい人物は多くいるが、
もはやバロックではなく古典派に分類すべきになってくるので
いつか古典派を取り上げるときのためにとっておき、
ここでは割愛することにする。
wrote by au-saga
次回はいよいよ最終回、バロック音楽の完成。
バロック期に入ると次第に勢力を伸ばし始めた。
初期にはまだイタリア等の影響を大きく受けていたものの、
やがてどこにも劣らぬ音楽大国に成長していくことになる。
バロック時代はドイツが音楽大国に成長する過程の時代だった
といってもいいかもしれない。
ルネサンス期にイギリスの宗教音楽が
国の宗教改革と密接に関わっていったのと同じように
ドイツでもマルティン・ルターの宗教改革が音楽に強い影響を与えた。
特に北ドイツではプロテスタント音楽が盛んに作られるようになった。
これがドイツ独自の音楽を形成していったといっていいだろう。
ただし、イギリスと違ってカトリック音楽が弾圧されたわけではなく
南ドイツやオーストリアでは依然としてカトリックであったから
ドイツバロックでは両方の形式による音楽が混在することとなった。
《ドイツ3大S》
バロック初期のドイツには3大Sと呼ばれる音楽家がいた。
●ハインリヒ・シュッツ
Heinrich Schutz(1585-1672)
現在一般的にドイツ音楽の祖と呼ばれる人物である。
若い頃にベネツィアに留学しジョバンニ・ガブリエーリに学んだ。
当時最先端の音楽様式を誇っていたベネツィアは
ドイツから積極的に留学生を招聘しており、
これが後にドイツ音楽の隆盛に繋がることになった。
シュッツは主にドレスデン宮廷で活躍し、
生涯にわたってドイツプロテスタント音楽を多く作ったが
イタリアで身に付けた複合唱様式を融合することにも成功している。
またシュッツはドイツ語オペラの最初の作曲家とも言われているが
残念ながらその楽譜は現在失われてしまっている。
お勧め:「クリスマス物語」
シュッツが晩年に作曲した素晴らしいオラトリオ。
シュッツの代表作選定は少々迷う。著名な作品として
宗教的合唱曲、各種受難曲、音楽による葬儀なども上げられるが
これらの作品は最初に聴くには少々取っ付きにくいかもしれない。
充実した響きのシンフォニア・サクレもあるが、まずは
オラトリオがシュッツのよさを伝えてくれるのではないかと思う。
●ヨハン・ヘルマン・シャイン
Johann Hermann Schein(1586-1630)
優れた音楽家であったが、幼い頃から病気がちであり
3Sの中でも最も早くこの世を去ってしまった。
そのため、友人のシュッツほどにその評価は高まっていない。
しかし、終生ドイツから出なかったにも関わらず
イタリア様式のモノディを最初に国内に取り入れた作曲家であり
もしも長生きしていたらドイツ音楽を刷新させた
人物であっただろうと言われている。
お勧め:「音楽の饗宴」
組曲形式による器楽音楽集。後にフローベルガーによって
定められる舞曲組曲の原型が既に現れている。
また、イタリア様式で作られた声楽曲もあり、
特にマドリガーレ「イスラエルの泉」は重要な作品。
●ザムエル・シャイト
Samuel Scheidt(1587-1653)
北ドイツオルガン楽派の祖スウェーリンクに学んだオルガン奏者。
スウェーリンクは実際にはオランダ人であり、
また作品自体よりも教師として知られていたことから、
実質シャイトがドイツのオルガン音楽の祖であるともいわれている。
オルガン曲の他、シャインのような舞曲組曲やイタリア風声楽曲も残している。
お勧め:「戦いの組曲」
器楽合奏による舞曲集。
《ザルツブルク》
ザルツブルクは100年以上も後にモーツァルトで有名になる都市だが、
この時代から既に優秀な音楽家を抱えていた。
●ヨハン・ハインリヒ・シュメルツァー
Johann Heinrich von Schmelzer(1623-1680)
ザルツブルク宮廷で活躍した作曲家。
非常に優秀なヴァイオリニストで、
ドイツ圏における最初の巨匠ヴァイオリニストであった。
当時ヴァイオリンといえばイタリアが有名で
特にコレッリの登場以来この分野で他国を圧倒するようになったが
シュメルツァーはコレッリ以前にヨーロッパ最高と呼ばれた人物だった。
後にイタリアで流行する技巧作品に比べると独特な表現を持つ作品が多く
スコルダトゥーラ(変則調弦)を駆使たソナタや
標題性を持つ描写音楽などを作曲している。
お勧め「ヴァイオリン・ソナタ(Sonatae unarum fidium)」
ドイツで初めて作曲されたヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ。
他にフェンシングの様子を描写した「フェンシング指南」
という風変わりな器楽曲もある。
●ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー
Heinrich Ignaz Franz von Biber(1644-1704)
ボヘミア出身のヴァイオリン奏者・作曲家。
バロック後期から古典派にかけて、
欧州各地ではボヘミア系の音楽家が大活躍を収めるが、
そのはしりともいえる人物。
シュメルツァーに学び、その影響を強く受けたといわれ、
後に後継者としてザルツブルク宮廷作曲家となった。
ビーバーも著名なヴァイオリン奏者として知られ、
シュメルツァーのスコルダトゥーラや標題音楽を更に推し進め、
これらの分野での第一人者となった。
また大規模合唱や華々しいファンファーレを駆使した声楽曲も有名である。
バロック最大の「53声のミサ(ザルツブルクミサ)」は、
かつてはイタリアの作曲家ベネヴォリの作品といわれていたが
現在ではビーバーの作であると考えられている。
他にも32声のモテットや26声のミサなど華麗で壮大な声楽曲がある。
ほとんどのバロック作曲家は20世紀後半になるまで評価されていなかったが
ビーバーは一部でバッハ以前の最高のドイツ作曲家と認められていた。
近年は更に再評価され、多くの作品が取り上げられてきているのは嬉しい。
お勧め:「ロザリオ・ソナタ」
スコルダトゥーラをふんだんに盛り込んだビーバーの代表作。
最近は特に人気が高まっており録音も多い。この他、
「戦争」「描写的ヴァイオリンソナタ」のような標題音楽から
「宗教的世俗的弦楽曲集」「技巧的で楽しい合奏」などの純粋な器楽作品もある。
また声楽では「15声のレクイエム」が代表作といえるだろう。
20世紀後半になって再発見された「ザルツブルク・ミサ」や
「ブリュッセル・ミサ」も聴き応え充分だ。
●ゲオルク・ムファット
Georg Muffat(1653-1704)
フランスに生まれたオルガニスト・作曲家。若い頃リュリに師事した。
その後ビーバーの楽長時代に約10年ほどザルツブルクに仕えたが
終生欧州各地を転々として様々な国のスタイルを取り入れた作曲家であった。
イタリアでは同年齢のコレッリと親交を持ち、そのスタイルにも影響を受けた。
お勧め:「オルガン音楽の練習」
オルガニストとして名を馳せたムファットの代表作。
その他「音楽の花束」と名づけられた管弦楽組曲や
コレッリの影響の下に作られた合奏協奏曲などがある。
最近はありがたいことにビーバーの再評価に伴って
シュメルツァーとムファットの録音も増えてきている。
《ウィーン》
誰もがご存知ウィーンは、
古典派以降、音楽の中心地となった都市である。
バロック期にはまだ世界の中心とはいえなかったが、
その偉大な音楽のスタートを確認することが出来る。
●ヨハン・ヨーゼフ・フックス
Johann Joseph Fux(1660-1741)
恐らくは最初の偉大なウィーンの音楽家ではないだろうか。
バロック後期の作曲家にあたるが
長命であったため初期古典派の役割も果たしている。
ウィーン古典派の祖ともいうべき人物といえる。
作曲家としては器楽から声楽、オペラまで様々な種類を手がけた。
序曲や組曲などの交響曲の前身ともいうべき作品の中では
終楽章にパッサカリアを用いており、この様式は
後にブラームスが交響曲第4番で踏襲したと考えられている。
教育者としても有名で、その著作「パルナッソスへの階段」は
音楽書として非常に重要であり、バッハやベートーヴェンが
これで学んだことが知られている。
長くウィーン宮廷楽長として仕えたが、その下には副楽長のカルダーラを始め
ヴァイオリンのタルティーニ、フルートのクヴァンツ、コントラバスのゼレンカなど
極めて優秀な教え子や部下が集まっていた。
また、モーツァルトの作品番号で知られるケッヘルがその作品の編集を行ったので
フックスの作品もケッヘル番号で呼ばれている。
お勧め:「皇帝のレクイエム」
この作品の廉価版CDがベストセラーになり、
瞬く間にフックス再評価に繋がったという記念碑的な作品。
クレマンシックの演奏によるそのアルバムには
ソナタなどの器楽曲も盛り込まれており、
フックス入門として最適な1枚となっている。
後にクレマンシックは続編のアルバムも出しており
そちらは器楽のみの構成だが同じように素晴らしい出来となっている。
●アントニオ・カルダーラ
Antonio Caldara(1670-1736)
ベネツィアに生まれたイタリアの作曲家。
ローマを経てウィーンに渡り、フックスの下で宮廷副楽長を勤めた。
非常な多作家でオペラからオラトリオ、ミサ曲、器楽に至るまで
様々な分野で大量の曲を作った。
お勧め:「ミサ・ドロローザ」
膨大な作品の中では特にオペラとミサ曲が重要で
中でもミサ曲はバッハへの影響がしばしば指摘される。
《ドレスデン》
バロック期、ドイツにおいて
最高の音楽家集団を抱えていたのはドレスデン宮廷であった。
バロック後期にはオーケストラ、作曲家の質ともヨーロッパ随一となっていた。
その宮廷楽長ともなれば音楽家最高の地位であったと言って良い。
●ヤン・ディスマス・ゼレンカ
Jan Dismas Zelenka(1679-1745)
近年再評価著しいボヘミア出身の作曲家・コントラバス奏者。
一時ウィーンに留学しフックスに作曲を学んだ。
ドレスデン宮廷では、楽長を勤めていたハイニヒェンの下で活躍したが
楽長ハイニヒェンは病気がちであったため、特に後年になると
ゼレンカが実質楽長と変わらぬ役割を果たしていた。
このことからハイニヒェンの死後、間違いなく
宮廷楽長の座を手に入れることができると思っていたのだが
思いもよらず若きハッセに奪われることになってしまった。
ハッセは流行のナポリオペラをドレスデンに持ち込んだ人物であった。
ゼレンカの旧式の音楽よりも人々の受けが良かったようである。
やがてゼレンカは失意のうちにドレスデンを去るが、
音楽家として枯れることはなく、
晩年に作られたミサ曲などは特に素晴らしい作品となっている。
お勧め:「レクイエム ハ短調」
ゼレンカの4曲あるレクイエムの中でも最も劇的なものといわれ
バロック屈指のレクイエムとして評価が高い。
ゼレンカの音楽は、当時の流行のスタイルからすると
難解でとっつきにくいという評価が与えられてしまったが
現在では逆にその独特の鋭い表現力が好まれており
再評価著しい音楽家となっている。
トリオ・ソナタなどの器楽曲や晩年のいくつかのミサ曲もお勧め。
●ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェン
Johann David Heinichen(1683-1729)
クーナウに学んだ著名なドレスデン宮廷楽長。
音楽理論家としても有名で、弁護士の資格も持っていた。
ゼレンカよりも年少であったが、
ゼレンカがウィーンに留学している間に宮廷楽長に就任した。
教会音楽の大家でありオペラや器楽などでも優れた作品を残している。
体が弱く、晩年はゼレンカに仕事を任せて休養することが多かった。
お勧め:「レクイエム(死者のためのミサ曲)」
ハイニヒェンの真骨頂といえばミサ曲になるだろう。
レクイエムは全体的に静かな雰囲気の曲となっている。
ハイニヒェンには他にも多くのミサ曲があり、それらでは
レクイエムと違って金管の華やかな響きを聴くこともできる。
●ヨハン・アドルフ・ハッセ
Johann Adolph Hasse(1699-1783)
テノール歌手としてオペラ座で活躍し、
後にナポリに行って当時の最先端のオペラを学んだ。
始めはポルポラについたが両者の仲はうまくいかず
結局アレッサンドロ・スカルラッティに多くを学んだようである。
妻はナポリで絶大な人気を誇る歌姫であり
ドレスデン帰国後は圧倒的人気で楽長の座に就任した。
それにより、以後絶大な影響力を手にすることに成功した。
ゼレンカから楽長の座を奪ったのは前述のとおりだが
その後もかつての師ポルポラがドレスデンに招かれた際には
政敵としてこれを追放することに成功している。
晩年は妻の生まれ故郷ベネツィアに隠居し、
そこで少年モーツァルトに会っている。
お勧め:「レクイエム ハ長調」
ハッセ最大の成功分野はオペラだが宗教音楽も重要で優れた作品が多い。
この曲は複数あるハッセのレクイエム中最も演奏機会の多い曲。
ゼレンカ、ハイニヒェンとの聴き比べが可能なタイトルである。
●ヨハン・ゲオルク・ピゼンデル
Johann Georg Pisendel(1687-1755)
欧州最高の楽団であったドレスデン宮廷でコンサートマスターとして活躍した。
ソリストとしても有名で多くの作品を献呈されているが、
やはり第一級のコンサートマスターとして認識された最初の人物として名高い。
ヴァイオリンをトレッリに、作曲をハイニヒェンに学んだ。
その影響力は大きく、テレマン、バッハ、ヴィヴァルディなど
多くの音楽家と交流があり、その門下にも優れた人物が集まった。
友人であったゼレンカが死去した際にはその作品の啓蒙に勤めた。
お勧め「ヴァイオリン・ソナタ」
奏者としての活躍がメインだったため作品は少ないが
いずれもビーバー後の優秀なドイツヴァイオリン作品となっている。
●シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス
Sylvius Leopold Weiss(1687-1750)
ドレスデン宮廷に仕えたリュート奏者。
リュートは当時既に過去の楽器となっていたので
ヴァイスはその歴史上のほぼ最後の奏者と言えるだろう。
リュートはオーケストラの中で使われることもほとんどないので
おそらくはほぼソリストとしてのみの活躍であった。
しかしその希少価値のためかヴァイスの評価は非常に高く
その給料は楽長やコンサートマスターを凌いで
宮廷音楽家中最高だったといわれている。
お勧め:「リュート作品」
多くの作品を作った。ほとんどが小品である。
ドレスデン宮廷(ザクセン選帝侯)はその後も繁栄し、
古典派に入っても優秀な音楽家を抱え続けた。
有名なフリードリヒ大王の統治時代になると本拠をベルリンに移したので
それ以後の宮廷音楽家はドレスデンよりも
ベルリンの作曲家といったほうが自然かもしれない。
それらの中にも取り上げたい人物は多くいるが、
もはやバロックではなく古典派に分類すべきになってくるので
いつか古典派を取り上げるときのためにとっておき、
ここでは割愛することにする。
wrote by au-saga
次回はいよいよ最終回、バロック音楽の完成。