2008年04月14日
音楽史13〜バロック音楽の完成〜
《バロック後期のドイツ作曲家》
後期のバロックは初期古典派との時代の重なりがある。
そのため厳密な時代分岐がいつになるのかを定義するのは難しい。
一般にバロックの終了はバッハの没年である1750年前後とされ、
古典派の開始は1720年頃からとされている。
2つの時代が数十年に渡って重なっていたことになり
多くのバロック作曲家が古典派にも足を踏み入れていたことになる。
しかしやはりこの時代の音楽的重要度は後期バロックに依存しており
バロック音楽の完成なくしては
古典派の到来もなかったといえるのではないだろうか。

●ゲオルク・フィリップ・テレマン
Georg Philipp Telemann(1681-1767)
ハンブルクで活躍した後期バロックを代表する作曲家。
生前は他の全ての作曲家を凌ぐ人気を誇っており、
当時最高の作曲家として名声をほしいままにした。
その出版譜は予約の段階から飛ぶように売れたといわれ、
また雑誌に自らの作品を掲載するという新たな商法も生み出した。
残された作品は非常に多く4000曲を超えるといわれており、
未だにその分類作業は完成していない。
新しい作曲家が必要になったライプツィヒ市がテレマンを誘致したが
断られたので仕方なくバッハで妥協した、というエピソードは
当時のテレマン人気を示す有名な話であろう。
テレマンは、当時最先端の人気作曲家であったが、
その技法はあくまでも時代の範疇内に留まっていた。
その意味で、バッハやヘンデルのような音楽史における
時代の変革者としての決定的な仕事をしたわけではない。
しかしまず当時の音楽を知るという意味においては
テレマンの音楽は最良の選択であり、
今日の古楽復興に伴って再演されるようになってきているのは
喜ばしいことと言えるだろう。
お勧め:「食卓の音楽(ターフェルムジーク:Tafelmusik)」
宮廷の宴席で演奏するために作られた作品。
英語で言うとテーブル・ミュージックになる。
テレマンの作品は世に数ある同名曲の中でも最も有名で
管弦楽曲から協奏曲、室内楽まで様々な形式が内包されており
この作曲家を知るにうってつけの曲集となっている。
テレマンは多作家で他にも多くの名作を残している。
ソロフルートやヴァイオリンのためのファンタジーや
テレマン版水上の音楽とも言うべき「ハンブルクの潮の満ち干」
ガリバー組曲や他人の作なども含むを長大な「忠実な音楽の師」
その他協奏曲や室内楽など数え上げたらきりがない。
また声楽においてはバッハと並ぶカンタータの大家であり
1000曲を超える作品が存在する。
バロック後期の作曲家といえば
何をおいてもバッハとヘンデルであり、
この2人の存在が大きすぎたためか
他の作曲家は歴史の中に埋もれてしまう傾向にあった。
辛うじてラモー、テレマン、ドメニコ・スカルラッティ
の名が上げられる程度だっただろうか。
特にドイツでは、その後に続く古典派の巨匠たちの存在もあり
バッハ以外に音楽家はいないというほどの忘れ去られぶりだった。
しかし最近になってようやくこの時代のドイツ作曲家にも
スポットが当たるようになってきた。
何人かはこれまでの
音楽史10〜バロック鍵盤音楽〜
音楽史12〜バロック、ドイツ圏〜
で取り上げているので割愛するが
今までまだ取り上げていない人物をピックアップしてみたい。
●ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー
Johann Caspar Ferdinand Fischer(1670頃-1746)
ボヘミア出身の作曲家。主に鍵盤楽器の作曲で知られる。
リュリの影響を受けてドイツにフランス音楽を持ち込んだ。
同姓の作曲家がおり、未だに多少の混乱がある。
生涯については不明点も多く、例えば生年についても
1656年や1665年という説もあって定まっていない。
●ラインハルト・カイザー
Reinhard Keiser(1674-1739)
テレマン以前にハンブルクで名声を得ていた劇音楽の作曲家。
特にオペラは人気を博し、常に大成功を収めていた。
同時代のドイツオペラ作曲家にはハッセがいるが
ハッセはナポリの流れを汲んでいるため、カイザーは
純正ドイツオペラ作曲家として重要な存在に位置づけられている。
しかしテレマンが活躍し始めると次第に人気は陰っていき
晩年はオペラよりも宗教音楽に取り組むようになった。
ただし個人的にはテレマンと最後まで友人関係にあったようで
テレマンはカイザーのオペラを積極的に上演している。
●ヨハン・フリードリヒ・ファッシュ
Johann Friedrich Fasch(1688-1758)
声楽もあるが主に管弦楽や協奏曲などで優れた作品を残した作曲家。
その管弦楽作品は様式的に古典派を予見させるものがあり
今日ではフックスなどと並ぶ古典派の源流との見方もされる。
《バッハとヘンデル》
かねてよりバロックの作曲といえばバッハとヘンデルであった。
そしてその評価は多くの作曲家が見直されている今日においても変わらない。
2人はそれほどまでに重要な作曲家なのである。

●ヨハン・ゼバスチャン・バッハ
Johann Sebastian Bach(1685-1750)
ご存知音楽の父である。
その音楽的重要度は数え上げればきりがないが、
あえて一つをクローズアップするならば、
バロック音楽を一人で集大成してしまったことになるだろう。
バッハの音楽は、あるジャンルの作品をバッハが作ってさえいれば
それがすなわちそのジャンルにおける最高傑作になっているのである。
バッハの作品は多岐に及んでいるから、
バロック音楽のほとんどはバッハで代表できてしまうほどなのだ。
唯一代表ジャンルで手を染めていないのはオペラのみといえる。
しかし、当時ドイツではオペラは流行の音楽ではあっても、
作曲技法を高度に昇華させるためのものではなかった。
バッハの心を捉えなかったのもごく自然のことと言えるのかもしれない。
バッハ以降にバッハなしといわるほど、バロック音楽の技法は
バッハによって極めつくされ、そしてその後発展しなかった。
古典派音楽への急激な時代変換も起こるべくして起こったといえるだろう。

●ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
Georg Friedrich Handel(1685-1759)
バッハの音楽の父に対して音楽の母といわれる。
ヘンデルの功績は、古典派音楽への門戸を開いたことになるだろう。
バッハがバロック音楽を極めることでその発展に止めを刺したことに対し
ヘンデルは別ルートから古典派音楽の開始を告げさせたといえる。
ヘンデルはバッハが手をつけなかったオペラで成功を収め、
更にオラトリオでその音楽を頂点に導いた。
かつてバロックの開始を告げた2つのジャンルを見事に吸収したことになる。
ヘンデル本人は古典派音楽を作曲していない。
そのため厳密には、ヘンデルが古典派の扉を開いたというより
ヘンデルが用意した扉を後の作曲家が開いたというのが正しいことになる。
しかしその華麗な管弦楽が古典派に影響を及ぼしたのは明白であり
そのオペラはグルックによって、そしてオラトリオはハイドンによって
受け継がれて後の時代へ橋渡しされていったことを考えれば
その存在の重要度が改めて確認できるだろう。
wrote by au-saga
後期のバロックは初期古典派との時代の重なりがある。
そのため厳密な時代分岐がいつになるのかを定義するのは難しい。
一般にバロックの終了はバッハの没年である1750年前後とされ、
古典派の開始は1720年頃からとされている。
2つの時代が数十年に渡って重なっていたことになり
多くのバロック作曲家が古典派にも足を踏み入れていたことになる。
しかしやはりこの時代の音楽的重要度は後期バロックに依存しており
バロック音楽の完成なくしては
古典派の到来もなかったといえるのではないだろうか。

●ゲオルク・フィリップ・テレマン
Georg Philipp Telemann(1681-1767)
ハンブルクで活躍した後期バロックを代表する作曲家。
生前は他の全ての作曲家を凌ぐ人気を誇っており、
当時最高の作曲家として名声をほしいままにした。
その出版譜は予約の段階から飛ぶように売れたといわれ、
また雑誌に自らの作品を掲載するという新たな商法も生み出した。
残された作品は非常に多く4000曲を超えるといわれており、
未だにその分類作業は完成していない。
新しい作曲家が必要になったライプツィヒ市がテレマンを誘致したが
断られたので仕方なくバッハで妥協した、というエピソードは
当時のテレマン人気を示す有名な話であろう。
テレマンは、当時最先端の人気作曲家であったが、
その技法はあくまでも時代の範疇内に留まっていた。
その意味で、バッハやヘンデルのような音楽史における
時代の変革者としての決定的な仕事をしたわけではない。
しかしまず当時の音楽を知るという意味においては
テレマンの音楽は最良の選択であり、
今日の古楽復興に伴って再演されるようになってきているのは
喜ばしいことと言えるだろう。
お勧め:「食卓の音楽(ターフェルムジーク:Tafelmusik)」
宮廷の宴席で演奏するために作られた作品。
英語で言うとテーブル・ミュージックになる。
テレマンの作品は世に数ある同名曲の中でも最も有名で
管弦楽曲から協奏曲、室内楽まで様々な形式が内包されており
この作曲家を知るにうってつけの曲集となっている。
テレマンは多作家で他にも多くの名作を残している。
ソロフルートやヴァイオリンのためのファンタジーや
テレマン版水上の音楽とも言うべき「ハンブルクの潮の満ち干」
ガリバー組曲や他人の作なども含むを長大な「忠実な音楽の師」
その他協奏曲や室内楽など数え上げたらきりがない。
また声楽においてはバッハと並ぶカンタータの大家であり
1000曲を超える作品が存在する。
バロック後期の作曲家といえば
何をおいてもバッハとヘンデルであり、
この2人の存在が大きすぎたためか
他の作曲家は歴史の中に埋もれてしまう傾向にあった。
辛うじてラモー、テレマン、ドメニコ・スカルラッティ
の名が上げられる程度だっただろうか。
特にドイツでは、その後に続く古典派の巨匠たちの存在もあり
バッハ以外に音楽家はいないというほどの忘れ去られぶりだった。
しかし最近になってようやくこの時代のドイツ作曲家にも
スポットが当たるようになってきた。
何人かはこれまでの
音楽史10〜バロック鍵盤音楽〜
音楽史12〜バロック、ドイツ圏〜
で取り上げているので割愛するが
今までまだ取り上げていない人物をピックアップしてみたい。
●ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー
Johann Caspar Ferdinand Fischer(1670頃-1746)
ボヘミア出身の作曲家。主に鍵盤楽器の作曲で知られる。
リュリの影響を受けてドイツにフランス音楽を持ち込んだ。
同姓の作曲家がおり、未だに多少の混乱がある。
生涯については不明点も多く、例えば生年についても
1656年や1665年という説もあって定まっていない。
●ラインハルト・カイザー
Reinhard Keiser(1674-1739)
テレマン以前にハンブルクで名声を得ていた劇音楽の作曲家。
特にオペラは人気を博し、常に大成功を収めていた。
同時代のドイツオペラ作曲家にはハッセがいるが
ハッセはナポリの流れを汲んでいるため、カイザーは
純正ドイツオペラ作曲家として重要な存在に位置づけられている。
しかしテレマンが活躍し始めると次第に人気は陰っていき
晩年はオペラよりも宗教音楽に取り組むようになった。
ただし個人的にはテレマンと最後まで友人関係にあったようで
テレマンはカイザーのオペラを積極的に上演している。
●ヨハン・フリードリヒ・ファッシュ
Johann Friedrich Fasch(1688-1758)
声楽もあるが主に管弦楽や協奏曲などで優れた作品を残した作曲家。
その管弦楽作品は様式的に古典派を予見させるものがあり
今日ではフックスなどと並ぶ古典派の源流との見方もされる。
《バッハとヘンデル》
かねてよりバロックの作曲といえばバッハとヘンデルであった。
そしてその評価は多くの作曲家が見直されている今日においても変わらない。
2人はそれほどまでに重要な作曲家なのである。

●ヨハン・ゼバスチャン・バッハ
Johann Sebastian Bach(1685-1750)
ご存知音楽の父である。
その音楽的重要度は数え上げればきりがないが、
あえて一つをクローズアップするならば、
バロック音楽を一人で集大成してしまったことになるだろう。
バッハの音楽は、あるジャンルの作品をバッハが作ってさえいれば
それがすなわちそのジャンルにおける最高傑作になっているのである。
バッハの作品は多岐に及んでいるから、
バロック音楽のほとんどはバッハで代表できてしまうほどなのだ。
唯一代表ジャンルで手を染めていないのはオペラのみといえる。
しかし、当時ドイツではオペラは流行の音楽ではあっても、
作曲技法を高度に昇華させるためのものではなかった。
バッハの心を捉えなかったのもごく自然のことと言えるのかもしれない。
バッハ以降にバッハなしといわるほど、バロック音楽の技法は
バッハによって極めつくされ、そしてその後発展しなかった。
古典派音楽への急激な時代変換も起こるべくして起こったといえるだろう。
●ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
Georg Friedrich Handel(1685-1759)
バッハの音楽の父に対して音楽の母といわれる。
ヘンデルの功績は、古典派音楽への門戸を開いたことになるだろう。
バッハがバロック音楽を極めることでその発展に止めを刺したことに対し
ヘンデルは別ルートから古典派音楽の開始を告げさせたといえる。
ヘンデルはバッハが手をつけなかったオペラで成功を収め、
更にオラトリオでその音楽を頂点に導いた。
かつてバロックの開始を告げた2つのジャンルを見事に吸収したことになる。
ヘンデル本人は古典派音楽を作曲していない。
そのため厳密には、ヘンデルが古典派の扉を開いたというより
ヘンデルが用意した扉を後の作曲家が開いたというのが正しいことになる。
しかしその華麗な管弦楽が古典派に影響を及ぼしたのは明白であり
そのオペラはグルックによって、そしてオラトリオはハイドンによって
受け継がれて後の時代へ橋渡しされていったことを考えれば
その存在の重要度が改めて確認できるだろう。
wrote by au-saga
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この記事へのコメント
1. Posted by Au-Saga 2008年04月14日 21:56
古楽史をたどる記事は今回で終了となります。
後から読み直すとあれもこれも付け足したかったなあ
といった部分が出てきているので、
そのうち追加記事的なものを付与するかもしれませんが
ひとまず終了とします。
これらの記事を書きながら新たに知ったことも多く
かなり古楽に詳しくなりました。
はっきり言ってこの記事だけでは全然物足りないくらい
他にも色んなことを書きたかったのが正直なところです。
特に演奏については今回あえて触れないようにしてきました。
取り上げてしまうと倍のボリュームでは済まないですからね。
ともあれこの辺も踏まえていつか大幅改訂版を作成して
出版物にでもできればいいなと思っております。
後から読み直すとあれもこれも付け足したかったなあ
といった部分が出てきているので、
そのうち追加記事的なものを付与するかもしれませんが
ひとまず終了とします。
これらの記事を書きながら新たに知ったことも多く
かなり古楽に詳しくなりました。
はっきり言ってこの記事だけでは全然物足りないくらい
他にも色んなことを書きたかったのが正直なところです。
特に演奏については今回あえて触れないようにしてきました。
取り上げてしまうと倍のボリュームでは済まないですからね。
ともあれこの辺も踏まえていつか大幅改訂版を作成して
出版物にでもできればいいなと思っております。