au-saga
2009年02月26日
1812年大砲聴き比べ、追加情報その2
「1812年大砲聴き比べ」の追加情報その2です。
「1812年大砲聴き比べ」の中で、
カンゼル/シンシナティ交響楽団の演奏を紹介しています。
大砲録音にこだわりを見せ、テラークの優秀録音を世界に印象付けた名盤です。
録音は1978年に行われています。
さて、そのカンゼル/シンシナティには再録音盤というのが存在しています。

これは最初の録音から21年後の1999年に収録されたものです。
収録に際しては、旧録音で砲手を務めた人物をわざわざ探し出して
録音を行ったという徹底ぶりが話題になりました。
しかし、実際にはそのこだわりだけが話題で、
演奏についてどうこうという評判を聞きませんでした。
レコード会社も変わっており、
一番の売りであった優秀録音という点でも騒がれないということは、
すなわち伝説の旧録音ほどには名盤でないということであり
わざわざ入手するまで気を回すことはしませんでした。
しかし、最近入手した情報によると、演奏には
キエフ交響合唱団、グレーター・シンシナティ児童合唱団が参加しており
いわゆる合唱入り盤だったことが判明しました。
合唱の入りも冒頭ではなく中間部と終結部だそうです。
冒頭だけの合唱入り(カラヤン、マゼール)
終結部だけの合唱入り(ストコフスキー)
冒頭、中間部、終結部の全部で合唱入り(アシュケナージ)
といった例はありましたが、
中間部と終結部という組み合わせは初めてではないでしょうか。
フリッチャイ盤と違ってこちらは未入手ですが
いずれ聴いてみたいと思います。
「1812年大砲聴き比べ」の中で、
カンゼル/シンシナティ交響楽団の演奏を紹介しています。
大砲録音にこだわりを見せ、テラークの優秀録音を世界に印象付けた名盤です。
録音は1978年に行われています。
さて、そのカンゼル/シンシナティには再録音盤というのが存在しています。
これは最初の録音から21年後の1999年に収録されたものです。
収録に際しては、旧録音で砲手を務めた人物をわざわざ探し出して
録音を行ったという徹底ぶりが話題になりました。
しかし、実際にはそのこだわりだけが話題で、
演奏についてどうこうという評判を聞きませんでした。
レコード会社も変わっており、
一番の売りであった優秀録音という点でも騒がれないということは、
すなわち伝説の旧録音ほどには名盤でないということであり
わざわざ入手するまで気を回すことはしませんでした。
しかし、最近入手した情報によると、演奏には
キエフ交響合唱団、グレーター・シンシナティ児童合唱団が参加しており
いわゆる合唱入り盤だったことが判明しました。
合唱の入りも冒頭ではなく中間部と終結部だそうです。
冒頭だけの合唱入り(カラヤン、マゼール)
終結部だけの合唱入り(ストコフスキー)
冒頭、中間部、終結部の全部で合唱入り(アシュケナージ)
といった例はありましたが、
中間部と終結部という組み合わせは初めてではないでしょうか。
フリッチャイ盤と違ってこちらは未入手ですが
いずれ聴いてみたいと思います。
2009年02月25日
1812年大砲聴き比べ、追加情報その1
昨年サリエーリ音楽塾で作成した
「1812年大砲聴き比べ」の追加情報です。
「1812年大砲聴き比べ」の中では、冒頭に合唱の入った演奏として
・カラヤン/ベルリン・フィル(録音:1966年)
・マゼール/ウィーン・フィル(録音:1981年)
・アシュケナージ/サンクト・ペテルブルク・フィル(録音:1996年)
の3つを紹介しています。
中でもカラヤン盤は合唱入り演奏を一躍有名にしたもので
これが冒頭に合唱を入れた最初の録音だろうと思っていました。
しかし実はもっと前に冒頭合唱を入れた盤というのが存在していました。
それが1949年録音のフリッチャイ/RIAS放送交響楽団盤です。

カラヤン盤よりも17年も前の録音で、もちろんモノラル録音です。
今回、「1812大砲聴き比べ」をやると決まったときには、
なるべく音質を良くしたいとの思いから
モノラル録音は基本的に候補から外していました。
しかもこのフリッチャイ盤には合唱団のクレジットがありません。
どの合唱が歌っているかわからないばかりでなく、
聴いてみないと合唱があることさえわからないCDになっておりました。
もしもわかっていれば最も古い合唱入り録音として取り上げていたでしょう。
カラヤン盤もフリッチャイ盤もレコード会社は同じドイツグラモフォンです。
あるいはこの冒頭合唱のアイデアは、
演奏家ではなくレコード会社のものだったのかもしれません。
というのも、カラヤンもこの有名なベルリン盤の10年前に
ロンドンで録音を行っていてその時は合唱なしで演奏していました。
「1812年大砲聴き比べ」の追加情報です。
「1812年大砲聴き比べ」の中では、冒頭に合唱の入った演奏として
・カラヤン/ベルリン・フィル(録音:1966年)
・マゼール/ウィーン・フィル(録音:1981年)
・アシュケナージ/サンクト・ペテルブルク・フィル(録音:1996年)
の3つを紹介しています。
中でもカラヤン盤は合唱入り演奏を一躍有名にしたもので
これが冒頭に合唱を入れた最初の録音だろうと思っていました。
しかし実はもっと前に冒頭合唱を入れた盤というのが存在していました。
それが1949年録音のフリッチャイ/RIAS放送交響楽団盤です。
カラヤン盤よりも17年も前の録音で、もちろんモノラル録音です。
今回、「1812大砲聴き比べ」をやると決まったときには、
なるべく音質を良くしたいとの思いから
モノラル録音は基本的に候補から外していました。
しかもこのフリッチャイ盤には合唱団のクレジットがありません。
どの合唱が歌っているかわからないばかりでなく、
聴いてみないと合唱があることさえわからないCDになっておりました。
もしもわかっていれば最も古い合唱入り録音として取り上げていたでしょう。
カラヤン盤もフリッチャイ盤もレコード会社は同じドイツグラモフォンです。
あるいはこの冒頭合唱のアイデアは、
演奏家ではなくレコード会社のものだったのかもしれません。
というのも、カラヤンもこの有名なベルリン盤の10年前に
ロンドンで録音を行っていてその時は合唱なしで演奏していました。
2008年04月14日
音楽史13〜バロック音楽の完成〜
《バロック後期のドイツ作曲家》
後期のバロックは初期古典派との時代の重なりがある。
そのため厳密な時代分岐がいつになるのかを定義するのは難しい。
一般にバロックの終了はバッハの没年である1750年前後とされ、
古典派の開始は1720年頃からとされている。
2つの時代が数十年に渡って重なっていたことになり
多くのバロック作曲家が古典派にも足を踏み入れていたことになる。
しかしやはりこの時代の音楽的重要度は後期バロックに依存しており
バロック音楽の完成なくしては
古典派の到来もなかったといえるのではないだろうか。

●ゲオルク・フィリップ・テレマン
Georg Philipp Telemann(1681-1767)
ハンブルクで活躍した後期バロックを代表する作曲家。
生前は他の全ての作曲家を凌ぐ人気を誇っており、
当時最高の作曲家として名声をほしいままにした。
その出版譜は予約の段階から飛ぶように売れたといわれ、
また雑誌に自らの作品を掲載するという新たな商法も生み出した。
残された作品は非常に多く4000曲を超えるといわれており、
未だにその分類作業は完成していない。
新しい作曲家が必要になったライプツィヒ市がテレマンを誘致したが
断られたので仕方なくバッハで妥協した、というエピソードは
当時のテレマン人気を示す有名な話であろう。
テレマンは、当時最先端の人気作曲家であったが、
その技法はあくまでも時代の範疇内に留まっていた。
その意味で、バッハやヘンデルのような音楽史における
時代の変革者としての決定的な仕事をしたわけではない。
しかしまず当時の音楽を知るという意味においては
テレマンの音楽は最良の選択であり、
今日の古楽復興に伴って再演されるようになってきているのは
喜ばしいことと言えるだろう。
お勧め:「食卓の音楽(ターフェルムジーク:Tafelmusik)」
宮廷の宴席で演奏するために作られた作品。
英語で言うとテーブル・ミュージックになる。
テレマンの作品は世に数ある同名曲の中でも最も有名で
管弦楽曲から協奏曲、室内楽まで様々な形式が内包されており
この作曲家を知るにうってつけの曲集となっている。
テレマンは多作家で他にも多くの名作を残している。
ソロフルートやヴァイオリンのためのファンタジーや
テレマン版水上の音楽とも言うべき「ハンブルクの潮の満ち干」
ガリバー組曲や他人の作なども含むを長大な「忠実な音楽の師」
その他協奏曲や室内楽など数え上げたらきりがない。
また声楽においてはバッハと並ぶカンタータの大家であり
1000曲を超える作品が存在する。
バロック後期の作曲家といえば
何をおいてもバッハとヘンデルであり、
この2人の存在が大きすぎたためか
他の作曲家は歴史の中に埋もれてしまう傾向にあった。
辛うじてラモー、テレマン、ドメニコ・スカルラッティ
の名が上げられる程度だっただろうか。
特にドイツでは、その後に続く古典派の巨匠たちの存在もあり
バッハ以外に音楽家はいないというほどの忘れ去られぶりだった。
しかし最近になってようやくこの時代のドイツ作曲家にも
スポットが当たるようになってきた。
何人かはこれまでの
音楽史10〜バロック鍵盤音楽〜
音楽史12〜バロック、ドイツ圏〜
で取り上げているので割愛するが
今までまだ取り上げていない人物をピックアップしてみたい。
●ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー
Johann Caspar Ferdinand Fischer(1670頃-1746)
ボヘミア出身の作曲家。主に鍵盤楽器の作曲で知られる。
リュリの影響を受けてドイツにフランス音楽を持ち込んだ。
同姓の作曲家がおり、未だに多少の混乱がある。
生涯については不明点も多く、例えば生年についても
1656年や1665年という説もあって定まっていない。
●ラインハルト・カイザー
Reinhard Keiser(1674-1739)
テレマン以前にハンブルクで名声を得ていた劇音楽の作曲家。
特にオペラは人気を博し、常に大成功を収めていた。
同時代のドイツオペラ作曲家にはハッセがいるが
ハッセはナポリの流れを汲んでいるため、カイザーは
純正ドイツオペラ作曲家として重要な存在に位置づけられている。
しかしテレマンが活躍し始めると次第に人気は陰っていき
晩年はオペラよりも宗教音楽に取り組むようになった。
ただし個人的にはテレマンと最後まで友人関係にあったようで
テレマンはカイザーのオペラを積極的に上演している。
●ヨハン・フリードリヒ・ファッシュ
Johann Friedrich Fasch(1688-1758)
声楽もあるが主に管弦楽や協奏曲などで優れた作品を残した作曲家。
その管弦楽作品は様式的に古典派を予見させるものがあり
今日ではフックスなどと並ぶ古典派の源流との見方もされる。
《バッハとヘンデル》
かねてよりバロックの作曲といえばバッハとヘンデルであった。
そしてその評価は多くの作曲家が見直されている今日においても変わらない。
2人はそれほどまでに重要な作曲家なのである。

●ヨハン・ゼバスチャン・バッハ
Johann Sebastian Bach(1685-1750)
ご存知音楽の父である。
その音楽的重要度は数え上げればきりがないが、
あえて一つをクローズアップするならば、
バロック音楽を一人で集大成してしまったことになるだろう。
バッハの音楽は、あるジャンルの作品をバッハが作ってさえいれば
それがすなわちそのジャンルにおける最高傑作になっているのである。
バッハの作品は多岐に及んでいるから、
バロック音楽のほとんどはバッハで代表できてしまうほどなのだ。
唯一代表ジャンルで手を染めていないのはオペラのみといえる。
しかし、当時ドイツではオペラは流行の音楽ではあっても、
作曲技法を高度に昇華させるためのものではなかった。
バッハの心を捉えなかったのもごく自然のことと言えるのかもしれない。
バッハ以降にバッハなしといわるほど、バロック音楽の技法は
バッハによって極めつくされ、そしてその後発展しなかった。
古典派音楽への急激な時代変換も起こるべくして起こったといえるだろう。

●ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
Georg Friedrich Handel(1685-1759)
バッハの音楽の父に対して音楽の母といわれる。
ヘンデルの功績は、古典派音楽への門戸を開いたことになるだろう。
バッハがバロック音楽を極めることでその発展に止めを刺したことに対し
ヘンデルは別ルートから古典派音楽の開始を告げさせたといえる。
ヘンデルはバッハが手をつけなかったオペラで成功を収め、
更にオラトリオでその音楽を頂点に導いた。
かつてバロックの開始を告げた2つのジャンルを見事に吸収したことになる。
ヘンデル本人は古典派音楽を作曲していない。
そのため厳密には、ヘンデルが古典派の扉を開いたというより
ヘンデルが用意した扉を後の作曲家が開いたというのが正しいことになる。
しかしその華麗な管弦楽が古典派に影響を及ぼしたのは明白であり
そのオペラはグルックによって、そしてオラトリオはハイドンによって
受け継がれて後の時代へ橋渡しされていったことを考えれば
その存在の重要度が改めて確認できるだろう。
wrote by au-saga
後期のバロックは初期古典派との時代の重なりがある。
そのため厳密な時代分岐がいつになるのかを定義するのは難しい。
一般にバロックの終了はバッハの没年である1750年前後とされ、
古典派の開始は1720年頃からとされている。
2つの時代が数十年に渡って重なっていたことになり
多くのバロック作曲家が古典派にも足を踏み入れていたことになる。
しかしやはりこの時代の音楽的重要度は後期バロックに依存しており
バロック音楽の完成なくしては
古典派の到来もなかったといえるのではないだろうか。

●ゲオルク・フィリップ・テレマン
Georg Philipp Telemann(1681-1767)
ハンブルクで活躍した後期バロックを代表する作曲家。
生前は他の全ての作曲家を凌ぐ人気を誇っており、
当時最高の作曲家として名声をほしいままにした。
その出版譜は予約の段階から飛ぶように売れたといわれ、
また雑誌に自らの作品を掲載するという新たな商法も生み出した。
残された作品は非常に多く4000曲を超えるといわれており、
未だにその分類作業は完成していない。
新しい作曲家が必要になったライプツィヒ市がテレマンを誘致したが
断られたので仕方なくバッハで妥協した、というエピソードは
当時のテレマン人気を示す有名な話であろう。
テレマンは、当時最先端の人気作曲家であったが、
その技法はあくまでも時代の範疇内に留まっていた。
その意味で、バッハやヘンデルのような音楽史における
時代の変革者としての決定的な仕事をしたわけではない。
しかしまず当時の音楽を知るという意味においては
テレマンの音楽は最良の選択であり、
今日の古楽復興に伴って再演されるようになってきているのは
喜ばしいことと言えるだろう。
お勧め:「食卓の音楽(ターフェルムジーク:Tafelmusik)」
宮廷の宴席で演奏するために作られた作品。
英語で言うとテーブル・ミュージックになる。
テレマンの作品は世に数ある同名曲の中でも最も有名で
管弦楽曲から協奏曲、室内楽まで様々な形式が内包されており
この作曲家を知るにうってつけの曲集となっている。
テレマンは多作家で他にも多くの名作を残している。
ソロフルートやヴァイオリンのためのファンタジーや
テレマン版水上の音楽とも言うべき「ハンブルクの潮の満ち干」
ガリバー組曲や他人の作なども含むを長大な「忠実な音楽の師」
その他協奏曲や室内楽など数え上げたらきりがない。
また声楽においてはバッハと並ぶカンタータの大家であり
1000曲を超える作品が存在する。
バロック後期の作曲家といえば
何をおいてもバッハとヘンデルであり、
この2人の存在が大きすぎたためか
他の作曲家は歴史の中に埋もれてしまう傾向にあった。
辛うじてラモー、テレマン、ドメニコ・スカルラッティ
の名が上げられる程度だっただろうか。
特にドイツでは、その後に続く古典派の巨匠たちの存在もあり
バッハ以外に音楽家はいないというほどの忘れ去られぶりだった。
しかし最近になってようやくこの時代のドイツ作曲家にも
スポットが当たるようになってきた。
何人かはこれまでの
音楽史10〜バロック鍵盤音楽〜
音楽史12〜バロック、ドイツ圏〜
で取り上げているので割愛するが
今までまだ取り上げていない人物をピックアップしてみたい。
●ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー
Johann Caspar Ferdinand Fischer(1670頃-1746)
ボヘミア出身の作曲家。主に鍵盤楽器の作曲で知られる。
リュリの影響を受けてドイツにフランス音楽を持ち込んだ。
同姓の作曲家がおり、未だに多少の混乱がある。
生涯については不明点も多く、例えば生年についても
1656年や1665年という説もあって定まっていない。
●ラインハルト・カイザー
Reinhard Keiser(1674-1739)
テレマン以前にハンブルクで名声を得ていた劇音楽の作曲家。
特にオペラは人気を博し、常に大成功を収めていた。
同時代のドイツオペラ作曲家にはハッセがいるが
ハッセはナポリの流れを汲んでいるため、カイザーは
純正ドイツオペラ作曲家として重要な存在に位置づけられている。
しかしテレマンが活躍し始めると次第に人気は陰っていき
晩年はオペラよりも宗教音楽に取り組むようになった。
ただし個人的にはテレマンと最後まで友人関係にあったようで
テレマンはカイザーのオペラを積極的に上演している。
●ヨハン・フリードリヒ・ファッシュ
Johann Friedrich Fasch(1688-1758)
声楽もあるが主に管弦楽や協奏曲などで優れた作品を残した作曲家。
その管弦楽作品は様式的に古典派を予見させるものがあり
今日ではフックスなどと並ぶ古典派の源流との見方もされる。
《バッハとヘンデル》
かねてよりバロックの作曲といえばバッハとヘンデルであった。
そしてその評価は多くの作曲家が見直されている今日においても変わらない。
2人はそれほどまでに重要な作曲家なのである。

●ヨハン・ゼバスチャン・バッハ
Johann Sebastian Bach(1685-1750)
ご存知音楽の父である。
その音楽的重要度は数え上げればきりがないが、
あえて一つをクローズアップするならば、
バロック音楽を一人で集大成してしまったことになるだろう。
バッハの音楽は、あるジャンルの作品をバッハが作ってさえいれば
それがすなわちそのジャンルにおける最高傑作になっているのである。
バッハの作品は多岐に及んでいるから、
バロック音楽のほとんどはバッハで代表できてしまうほどなのだ。
唯一代表ジャンルで手を染めていないのはオペラのみといえる。
しかし、当時ドイツではオペラは流行の音楽ではあっても、
作曲技法を高度に昇華させるためのものではなかった。
バッハの心を捉えなかったのもごく自然のことと言えるのかもしれない。
バッハ以降にバッハなしといわるほど、バロック音楽の技法は
バッハによって極めつくされ、そしてその後発展しなかった。
古典派音楽への急激な時代変換も起こるべくして起こったといえるだろう。
●ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
Georg Friedrich Handel(1685-1759)
バッハの音楽の父に対して音楽の母といわれる。
ヘンデルの功績は、古典派音楽への門戸を開いたことになるだろう。
バッハがバロック音楽を極めることでその発展に止めを刺したことに対し
ヘンデルは別ルートから古典派音楽の開始を告げさせたといえる。
ヘンデルはバッハが手をつけなかったオペラで成功を収め、
更にオラトリオでその音楽を頂点に導いた。
かつてバロックの開始を告げた2つのジャンルを見事に吸収したことになる。
ヘンデル本人は古典派音楽を作曲していない。
そのため厳密には、ヘンデルが古典派の扉を開いたというより
ヘンデルが用意した扉を後の作曲家が開いたというのが正しいことになる。
しかしその華麗な管弦楽が古典派に影響を及ぼしたのは明白であり
そのオペラはグルックによって、そしてオラトリオはハイドンによって
受け継がれて後の時代へ橋渡しされていったことを考えれば
その存在の重要度が改めて確認できるだろう。
wrote by au-saga
2008年04月08日
音楽史12〜バロック、ドイツ圏〜
ルネサンス期には音楽後進国であったドイツだが
バロック期に入ると次第に勢力を伸ばし始めた。
初期にはまだイタリア等の影響を大きく受けていたものの、
やがてどこにも劣らぬ音楽大国に成長していくことになる。
バロック時代はドイツが音楽大国に成長する過程の時代だった
といってもいいかもしれない。
ルネサンス期にイギリスの宗教音楽が
国の宗教改革と密接に関わっていったのと同じように
ドイツでもマルティン・ルターの宗教改革が音楽に強い影響を与えた。
特に北ドイツではプロテスタント音楽が盛んに作られるようになった。
これがドイツ独自の音楽を形成していったといっていいだろう。
ただし、イギリスと違ってカトリック音楽が弾圧されたわけではなく
南ドイツやオーストリアでは依然としてカトリックであったから
ドイツバロックでは両方の形式による音楽が混在することとなった。
《ドイツ3大S》
バロック初期のドイツには3大Sと呼ばれる音楽家がいた。

●ハインリヒ・シュッツ
Heinrich Schutz(1585-1672)
現在一般的にドイツ音楽の祖と呼ばれる人物である。
若い頃にベネツィアに留学しジョバンニ・ガブリエーリに学んだ。
当時最先端の音楽様式を誇っていたベネツィアは
ドイツから積極的に留学生を招聘しており、
これが後にドイツ音楽の隆盛に繋がることになった。
シュッツは主にドレスデン宮廷で活躍し、
生涯にわたってドイツプロテスタント音楽を多く作ったが
イタリアで身に付けた複合唱様式を融合することにも成功している。
またシュッツはドイツ語オペラの最初の作曲家とも言われているが
残念ながらその楽譜は現在失われてしまっている。
お勧め:「クリスマス物語」
シュッツが晩年に作曲した素晴らしいオラトリオ。
シュッツの代表作選定は少々迷う。著名な作品として
宗教的合唱曲、各種受難曲、音楽による葬儀なども上げられるが
これらの作品は最初に聴くには少々取っ付きにくいかもしれない。
充実した響きのシンフォニア・サクレもあるが、まずは
オラトリオがシュッツのよさを伝えてくれるのではないかと思う。
●ヨハン・ヘルマン・シャイン
Johann Hermann Schein(1586-1630)
優れた音楽家であったが、幼い頃から病気がちであり
3Sの中でも最も早くこの世を去ってしまった。
そのため、友人のシュッツほどにその評価は高まっていない。
しかし、終生ドイツから出なかったにも関わらず
イタリア様式のモノディを最初に国内に取り入れた作曲家であり
もしも長生きしていたらドイツ音楽を刷新させた
人物であっただろうと言われている。
お勧め:「音楽の饗宴」
組曲形式による器楽音楽集。後にフローベルガーによって
定められる舞曲組曲の原型が既に現れている。
また、イタリア様式で作られた声楽曲もあり、
特にマドリガーレ「イスラエルの泉」は重要な作品。
●ザムエル・シャイト
Samuel Scheidt(1587-1653)
北ドイツオルガン楽派の祖スウェーリンクに学んだオルガン奏者。
スウェーリンクは実際にはオランダ人であり、
また作品自体よりも教師として知られていたことから、
実質シャイトがドイツのオルガン音楽の祖であるともいわれている。
オルガン曲の他、シャインのような舞曲組曲やイタリア風声楽曲も残している。
お勧め:「戦いの組曲」
器楽合奏による舞曲集。
《ザルツブルク》
ザルツブルクは100年以上も後にモーツァルトで有名になる都市だが、
この時代から既に優秀な音楽家を抱えていた。
●ヨハン・ハインリヒ・シュメルツァー
Johann Heinrich von Schmelzer(1623-1680)
ザルツブルク宮廷で活躍した作曲家。
非常に優秀なヴァイオリニストで、
ドイツ圏における最初の巨匠ヴァイオリニストであった。
当時ヴァイオリンといえばイタリアが有名で
特にコレッリの登場以来この分野で他国を圧倒するようになったが
シュメルツァーはコレッリ以前にヨーロッパ最高と呼ばれた人物だった。
後にイタリアで流行する技巧作品に比べると独特な表現を持つ作品が多く
スコルダトゥーラ(変則調弦)を駆使たソナタや
標題性を持つ描写音楽などを作曲している。
お勧め「ヴァイオリン・ソナタ(Sonatae unarum fidium)」
ドイツで初めて作曲されたヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ。
他にフェンシングの様子を描写した「フェンシング指南」
という風変わりな器楽曲もある。

●ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー
Heinrich Ignaz Franz von Biber(1644-1704)
ボヘミア出身のヴァイオリン奏者・作曲家。
バロック後期から古典派にかけて、
欧州各地ではボヘミア系の音楽家が大活躍を収めるが、
そのはしりともいえる人物。
シュメルツァーに学び、その影響を強く受けたといわれ、
後に後継者としてザルツブルク宮廷作曲家となった。
ビーバーも著名なヴァイオリン奏者として知られ、
シュメルツァーのスコルダトゥーラや標題音楽を更に推し進め、
これらの分野での第一人者となった。
また大規模合唱や華々しいファンファーレを駆使した声楽曲も有名である。
バロック最大の「53声のミサ(ザルツブルクミサ)」は、
かつてはイタリアの作曲家ベネヴォリの作品といわれていたが
現在ではビーバーの作であると考えられている。
他にも32声のモテットや26声のミサなど華麗で壮大な声楽曲がある。
ほとんどのバロック作曲家は20世紀後半になるまで評価されていなかったが
ビーバーは一部でバッハ以前の最高のドイツ作曲家と認められていた。
近年は更に再評価され、多くの作品が取り上げられてきているのは嬉しい。
お勧め:「ロザリオ・ソナタ」
スコルダトゥーラをふんだんに盛り込んだビーバーの代表作。
最近は特に人気が高まっており録音も多い。この他、
「戦争」「描写的ヴァイオリンソナタ」のような標題音楽から
「宗教的世俗的弦楽曲集」「技巧的で楽しい合奏」などの純粋な器楽作品もある。
また声楽では「15声のレクイエム」が代表作といえるだろう。
20世紀後半になって再発見された「ザルツブルク・ミサ」や
「ブリュッセル・ミサ」も聴き応え充分だ。
●ゲオルク・ムファット
Georg Muffat(1653-1704)
フランスに生まれたオルガニスト・作曲家。若い頃リュリに師事した。
その後ビーバーの楽長時代に約10年ほどザルツブルクに仕えたが
終生欧州各地を転々として様々な国のスタイルを取り入れた作曲家であった。
イタリアでは同年齢のコレッリと親交を持ち、そのスタイルにも影響を受けた。
お勧め:「オルガン音楽の練習」
オルガニストとして名を馳せたムファットの代表作。
その他「音楽の花束」と名づけられた管弦楽組曲や
コレッリの影響の下に作られた合奏協奏曲などがある。
最近はありがたいことにビーバーの再評価に伴って
シュメルツァーとムファットの録音も増えてきている。
《ウィーン》
誰もがご存知ウィーンは、
古典派以降、音楽の中心地となった都市である。
バロック期にはまだ世界の中心とはいえなかったが、
その偉大な音楽のスタートを確認することが出来る。

●ヨハン・ヨーゼフ・フックス
Johann Joseph Fux(1660-1741)
恐らくは最初の偉大なウィーンの音楽家ではないだろうか。
バロック後期の作曲家にあたるが
長命であったため初期古典派の役割も果たしている。
ウィーン古典派の祖ともいうべき人物といえる。
作曲家としては器楽から声楽、オペラまで様々な種類を手がけた。
序曲や組曲などの交響曲の前身ともいうべき作品の中では
終楽章にパッサカリアを用いており、この様式は
後にブラームスが交響曲第4番で踏襲したと考えられている。
教育者としても有名で、その著作「パルナッソスへの階段」は
音楽書として非常に重要であり、バッハやベートーヴェンが
これで学んだことが知られている。
長くウィーン宮廷楽長として仕えたが、その下には副楽長のカルダーラを始め
ヴァイオリンのタルティーニ、フルートのクヴァンツ、コントラバスのゼレンカなど
極めて優秀な教え子や部下が集まっていた。
また、モーツァルトの作品番号で知られるケッヘルがその作品の編集を行ったので
フックスの作品もケッヘル番号で呼ばれている。
お勧め:「皇帝のレクイエム」
この作品の廉価版CDがベストセラーになり、
瞬く間にフックス再評価に繋がったという記念碑的な作品。
クレマンシックの演奏によるそのアルバムには
ソナタなどの器楽曲も盛り込まれており、
フックス入門として最適な1枚となっている。
後にクレマンシックは続編のアルバムも出しており
そちらは器楽のみの構成だが同じように素晴らしい出来となっている。
●アントニオ・カルダーラ
Antonio Caldara(1670-1736)
ベネツィアに生まれたイタリアの作曲家。
ローマを経てウィーンに渡り、フックスの下で宮廷副楽長を勤めた。
非常な多作家でオペラからオラトリオ、ミサ曲、器楽に至るまで
様々な分野で大量の曲を作った。
お勧め:「ミサ・ドロローザ」
膨大な作品の中では特にオペラとミサ曲が重要で
中でもミサ曲はバッハへの影響がしばしば指摘される。
《ドレスデン》
バロック期、ドイツにおいて
最高の音楽家集団を抱えていたのはドレスデン宮廷であった。
バロック後期にはオーケストラ、作曲家の質ともヨーロッパ随一となっていた。
その宮廷楽長ともなれば音楽家最高の地位であったと言って良い。
●ヤン・ディスマス・ゼレンカ
Jan Dismas Zelenka(1679-1745)
近年再評価著しいボヘミア出身の作曲家・コントラバス奏者。
一時ウィーンに留学しフックスに作曲を学んだ。
ドレスデン宮廷では、楽長を勤めていたハイニヒェンの下で活躍したが
楽長ハイニヒェンは病気がちであったため、特に後年になると
ゼレンカが実質楽長と変わらぬ役割を果たしていた。
このことからハイニヒェンの死後、間違いなく
宮廷楽長の座を手に入れることができると思っていたのだが
思いもよらず若きハッセに奪われることになってしまった。
ハッセは流行のナポリオペラをドレスデンに持ち込んだ人物であった。
ゼレンカの旧式の音楽よりも人々の受けが良かったようである。
やがてゼレンカは失意のうちにドレスデンを去るが、
音楽家として枯れることはなく、
晩年に作られたミサ曲などは特に素晴らしい作品となっている。
お勧め:「レクイエム ハ短調」
ゼレンカの4曲あるレクイエムの中でも最も劇的なものといわれ
バロック屈指のレクイエムとして評価が高い。
ゼレンカの音楽は、当時の流行のスタイルからすると
難解でとっつきにくいという評価が与えられてしまったが
現在では逆にその独特の鋭い表現力が好まれており
再評価著しい音楽家となっている。
トリオ・ソナタなどの器楽曲や晩年のいくつかのミサ曲もお勧め。
●ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェン
Johann David Heinichen(1683-1729)
クーナウに学んだ著名なドレスデン宮廷楽長。
音楽理論家としても有名で、弁護士の資格も持っていた。
ゼレンカよりも年少であったが、
ゼレンカがウィーンに留学している間に宮廷楽長に就任した。
教会音楽の大家でありオペラや器楽などでも優れた作品を残している。
体が弱く、晩年はゼレンカに仕事を任せて休養することが多かった。
お勧め:「レクイエム(死者のためのミサ曲)」
ハイニヒェンの真骨頂といえばミサ曲になるだろう。
レクイエムは全体的に静かな雰囲気の曲となっている。
ハイニヒェンには他にも多くのミサ曲があり、それらでは
レクイエムと違って金管の華やかな響きを聴くこともできる。

●ヨハン・アドルフ・ハッセ
Johann Adolph Hasse(1699-1783)
テノール歌手としてオペラ座で活躍し、
後にナポリに行って当時の最先端のオペラを学んだ。
始めはポルポラについたが両者の仲はうまくいかず
結局アレッサンドロ・スカルラッティに多くを学んだようである。
妻はナポリで絶大な人気を誇る歌姫であり
ドレスデン帰国後は圧倒的人気で楽長の座に就任した。
それにより、以後絶大な影響力を手にすることに成功した。
ゼレンカから楽長の座を奪ったのは前述のとおりだが
その後もかつての師ポルポラがドレスデンに招かれた際には
政敵としてこれを追放することに成功している。
晩年は妻の生まれ故郷ベネツィアに隠居し、
そこで少年モーツァルトに会っている。
お勧め:「レクイエム ハ長調」
ハッセ最大の成功分野はオペラだが宗教音楽も重要で優れた作品が多い。
この曲は複数あるハッセのレクイエム中最も演奏機会の多い曲。
ゼレンカ、ハイニヒェンとの聴き比べが可能なタイトルである。
●ヨハン・ゲオルク・ピゼンデル
Johann Georg Pisendel(1687-1755)
欧州最高の楽団であったドレスデン宮廷でコンサートマスターとして活躍した。
ソリストとしても有名で多くの作品を献呈されているが、
やはり第一級のコンサートマスターとして認識された最初の人物として名高い。
ヴァイオリンをトレッリに、作曲をハイニヒェンに学んだ。
その影響力は大きく、テレマン、バッハ、ヴィヴァルディなど
多くの音楽家と交流があり、その門下にも優れた人物が集まった。
友人であったゼレンカが死去した際にはその作品の啓蒙に勤めた。
お勧め「ヴァイオリン・ソナタ」
奏者としての活躍がメインだったため作品は少ないが
いずれもビーバー後の優秀なドイツヴァイオリン作品となっている。
●シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス
Sylvius Leopold Weiss(1687-1750)
ドレスデン宮廷に仕えたリュート奏者。
リュートは当時既に過去の楽器となっていたので
ヴァイスはその歴史上のほぼ最後の奏者と言えるだろう。
リュートはオーケストラの中で使われることもほとんどないので
おそらくはほぼソリストとしてのみの活躍であった。
しかしその希少価値のためかヴァイスの評価は非常に高く
その給料は楽長やコンサートマスターを凌いで
宮廷音楽家中最高だったといわれている。
お勧め:「リュート作品」
多くの作品を作った。ほとんどが小品である。
ドレスデン宮廷(ザクセン選帝侯)はその後も繁栄し、
古典派に入っても優秀な音楽家を抱え続けた。
有名なフリードリヒ大王の統治時代になると本拠をベルリンに移したので
それ以後の宮廷音楽家はドレスデンよりも
ベルリンの作曲家といったほうが自然かもしれない。
それらの中にも取り上げたい人物は多くいるが、
もはやバロックではなく古典派に分類すべきになってくるので
いつか古典派を取り上げるときのためにとっておき、
ここでは割愛することにする。
wrote by au-saga
次回はいよいよ最終回、バロック音楽の完成。
バロック期に入ると次第に勢力を伸ばし始めた。
初期にはまだイタリア等の影響を大きく受けていたものの、
やがてどこにも劣らぬ音楽大国に成長していくことになる。
バロック時代はドイツが音楽大国に成長する過程の時代だった
といってもいいかもしれない。
ルネサンス期にイギリスの宗教音楽が
国の宗教改革と密接に関わっていったのと同じように
ドイツでもマルティン・ルターの宗教改革が音楽に強い影響を与えた。
特に北ドイツではプロテスタント音楽が盛んに作られるようになった。
これがドイツ独自の音楽を形成していったといっていいだろう。
ただし、イギリスと違ってカトリック音楽が弾圧されたわけではなく
南ドイツやオーストリアでは依然としてカトリックであったから
ドイツバロックでは両方の形式による音楽が混在することとなった。
《ドイツ3大S》
バロック初期のドイツには3大Sと呼ばれる音楽家がいた。

●ハインリヒ・シュッツ
Heinrich Schutz(1585-1672)
現在一般的にドイツ音楽の祖と呼ばれる人物である。
若い頃にベネツィアに留学しジョバンニ・ガブリエーリに学んだ。
当時最先端の音楽様式を誇っていたベネツィアは
ドイツから積極的に留学生を招聘しており、
これが後にドイツ音楽の隆盛に繋がることになった。
シュッツは主にドレスデン宮廷で活躍し、
生涯にわたってドイツプロテスタント音楽を多く作ったが
イタリアで身に付けた複合唱様式を融合することにも成功している。
またシュッツはドイツ語オペラの最初の作曲家とも言われているが
残念ながらその楽譜は現在失われてしまっている。
お勧め:「クリスマス物語」
シュッツが晩年に作曲した素晴らしいオラトリオ。
シュッツの代表作選定は少々迷う。著名な作品として
宗教的合唱曲、各種受難曲、音楽による葬儀なども上げられるが
これらの作品は最初に聴くには少々取っ付きにくいかもしれない。
充実した響きのシンフォニア・サクレもあるが、まずは
オラトリオがシュッツのよさを伝えてくれるのではないかと思う。
●ヨハン・ヘルマン・シャイン
Johann Hermann Schein(1586-1630)
優れた音楽家であったが、幼い頃から病気がちであり
3Sの中でも最も早くこの世を去ってしまった。
そのため、友人のシュッツほどにその評価は高まっていない。
しかし、終生ドイツから出なかったにも関わらず
イタリア様式のモノディを最初に国内に取り入れた作曲家であり
もしも長生きしていたらドイツ音楽を刷新させた
人物であっただろうと言われている。
お勧め:「音楽の饗宴」
組曲形式による器楽音楽集。後にフローベルガーによって
定められる舞曲組曲の原型が既に現れている。
また、イタリア様式で作られた声楽曲もあり、
特にマドリガーレ「イスラエルの泉」は重要な作品。
●ザムエル・シャイト
Samuel Scheidt(1587-1653)
北ドイツオルガン楽派の祖スウェーリンクに学んだオルガン奏者。
スウェーリンクは実際にはオランダ人であり、
また作品自体よりも教師として知られていたことから、
実質シャイトがドイツのオルガン音楽の祖であるともいわれている。
オルガン曲の他、シャインのような舞曲組曲やイタリア風声楽曲も残している。
お勧め:「戦いの組曲」
器楽合奏による舞曲集。
《ザルツブルク》
ザルツブルクは100年以上も後にモーツァルトで有名になる都市だが、
この時代から既に優秀な音楽家を抱えていた。
●ヨハン・ハインリヒ・シュメルツァー
Johann Heinrich von Schmelzer(1623-1680)
ザルツブルク宮廷で活躍した作曲家。
非常に優秀なヴァイオリニストで、
ドイツ圏における最初の巨匠ヴァイオリニストであった。
当時ヴァイオリンといえばイタリアが有名で
特にコレッリの登場以来この分野で他国を圧倒するようになったが
シュメルツァーはコレッリ以前にヨーロッパ最高と呼ばれた人物だった。
後にイタリアで流行する技巧作品に比べると独特な表現を持つ作品が多く
スコルダトゥーラ(変則調弦)を駆使たソナタや
標題性を持つ描写音楽などを作曲している。
お勧め「ヴァイオリン・ソナタ(Sonatae unarum fidium)」
ドイツで初めて作曲されたヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ。
他にフェンシングの様子を描写した「フェンシング指南」
という風変わりな器楽曲もある。
●ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー
Heinrich Ignaz Franz von Biber(1644-1704)
ボヘミア出身のヴァイオリン奏者・作曲家。
バロック後期から古典派にかけて、
欧州各地ではボヘミア系の音楽家が大活躍を収めるが、
そのはしりともいえる人物。
シュメルツァーに学び、その影響を強く受けたといわれ、
後に後継者としてザルツブルク宮廷作曲家となった。
ビーバーも著名なヴァイオリン奏者として知られ、
シュメルツァーのスコルダトゥーラや標題音楽を更に推し進め、
これらの分野での第一人者となった。
また大規模合唱や華々しいファンファーレを駆使した声楽曲も有名である。
バロック最大の「53声のミサ(ザルツブルクミサ)」は、
かつてはイタリアの作曲家ベネヴォリの作品といわれていたが
現在ではビーバーの作であると考えられている。
他にも32声のモテットや26声のミサなど華麗で壮大な声楽曲がある。
ほとんどのバロック作曲家は20世紀後半になるまで評価されていなかったが
ビーバーは一部でバッハ以前の最高のドイツ作曲家と認められていた。
近年は更に再評価され、多くの作品が取り上げられてきているのは嬉しい。
お勧め:「ロザリオ・ソナタ」
スコルダトゥーラをふんだんに盛り込んだビーバーの代表作。
最近は特に人気が高まっており録音も多い。この他、
「戦争」「描写的ヴァイオリンソナタ」のような標題音楽から
「宗教的世俗的弦楽曲集」「技巧的で楽しい合奏」などの純粋な器楽作品もある。
また声楽では「15声のレクイエム」が代表作といえるだろう。
20世紀後半になって再発見された「ザルツブルク・ミサ」や
「ブリュッセル・ミサ」も聴き応え充分だ。
●ゲオルク・ムファット
Georg Muffat(1653-1704)
フランスに生まれたオルガニスト・作曲家。若い頃リュリに師事した。
その後ビーバーの楽長時代に約10年ほどザルツブルクに仕えたが
終生欧州各地を転々として様々な国のスタイルを取り入れた作曲家であった。
イタリアでは同年齢のコレッリと親交を持ち、そのスタイルにも影響を受けた。
お勧め:「オルガン音楽の練習」
オルガニストとして名を馳せたムファットの代表作。
その他「音楽の花束」と名づけられた管弦楽組曲や
コレッリの影響の下に作られた合奏協奏曲などがある。
最近はありがたいことにビーバーの再評価に伴って
シュメルツァーとムファットの録音も増えてきている。
《ウィーン》
誰もがご存知ウィーンは、
古典派以降、音楽の中心地となった都市である。
バロック期にはまだ世界の中心とはいえなかったが、
その偉大な音楽のスタートを確認することが出来る。
●ヨハン・ヨーゼフ・フックス
Johann Joseph Fux(1660-1741)
恐らくは最初の偉大なウィーンの音楽家ではないだろうか。
バロック後期の作曲家にあたるが
長命であったため初期古典派の役割も果たしている。
ウィーン古典派の祖ともいうべき人物といえる。
作曲家としては器楽から声楽、オペラまで様々な種類を手がけた。
序曲や組曲などの交響曲の前身ともいうべき作品の中では
終楽章にパッサカリアを用いており、この様式は
後にブラームスが交響曲第4番で踏襲したと考えられている。
教育者としても有名で、その著作「パルナッソスへの階段」は
音楽書として非常に重要であり、バッハやベートーヴェンが
これで学んだことが知られている。
長くウィーン宮廷楽長として仕えたが、その下には副楽長のカルダーラを始め
ヴァイオリンのタルティーニ、フルートのクヴァンツ、コントラバスのゼレンカなど
極めて優秀な教え子や部下が集まっていた。
また、モーツァルトの作品番号で知られるケッヘルがその作品の編集を行ったので
フックスの作品もケッヘル番号で呼ばれている。
お勧め:「皇帝のレクイエム」
この作品の廉価版CDがベストセラーになり、
瞬く間にフックス再評価に繋がったという記念碑的な作品。
クレマンシックの演奏によるそのアルバムには
ソナタなどの器楽曲も盛り込まれており、
フックス入門として最適な1枚となっている。
後にクレマンシックは続編のアルバムも出しており
そちらは器楽のみの構成だが同じように素晴らしい出来となっている。
●アントニオ・カルダーラ
Antonio Caldara(1670-1736)
ベネツィアに生まれたイタリアの作曲家。
ローマを経てウィーンに渡り、フックスの下で宮廷副楽長を勤めた。
非常な多作家でオペラからオラトリオ、ミサ曲、器楽に至るまで
様々な分野で大量の曲を作った。
お勧め:「ミサ・ドロローザ」
膨大な作品の中では特にオペラとミサ曲が重要で
中でもミサ曲はバッハへの影響がしばしば指摘される。
《ドレスデン》
バロック期、ドイツにおいて
最高の音楽家集団を抱えていたのはドレスデン宮廷であった。
バロック後期にはオーケストラ、作曲家の質ともヨーロッパ随一となっていた。
その宮廷楽長ともなれば音楽家最高の地位であったと言って良い。
●ヤン・ディスマス・ゼレンカ
Jan Dismas Zelenka(1679-1745)
近年再評価著しいボヘミア出身の作曲家・コントラバス奏者。
一時ウィーンに留学しフックスに作曲を学んだ。
ドレスデン宮廷では、楽長を勤めていたハイニヒェンの下で活躍したが
楽長ハイニヒェンは病気がちであったため、特に後年になると
ゼレンカが実質楽長と変わらぬ役割を果たしていた。
このことからハイニヒェンの死後、間違いなく
宮廷楽長の座を手に入れることができると思っていたのだが
思いもよらず若きハッセに奪われることになってしまった。
ハッセは流行のナポリオペラをドレスデンに持ち込んだ人物であった。
ゼレンカの旧式の音楽よりも人々の受けが良かったようである。
やがてゼレンカは失意のうちにドレスデンを去るが、
音楽家として枯れることはなく、
晩年に作られたミサ曲などは特に素晴らしい作品となっている。
お勧め:「レクイエム ハ短調」
ゼレンカの4曲あるレクイエムの中でも最も劇的なものといわれ
バロック屈指のレクイエムとして評価が高い。
ゼレンカの音楽は、当時の流行のスタイルからすると
難解でとっつきにくいという評価が与えられてしまったが
現在では逆にその独特の鋭い表現力が好まれており
再評価著しい音楽家となっている。
トリオ・ソナタなどの器楽曲や晩年のいくつかのミサ曲もお勧め。
●ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェン
Johann David Heinichen(1683-1729)
クーナウに学んだ著名なドレスデン宮廷楽長。
音楽理論家としても有名で、弁護士の資格も持っていた。
ゼレンカよりも年少であったが、
ゼレンカがウィーンに留学している間に宮廷楽長に就任した。
教会音楽の大家でありオペラや器楽などでも優れた作品を残している。
体が弱く、晩年はゼレンカに仕事を任せて休養することが多かった。
お勧め:「レクイエム(死者のためのミサ曲)」
ハイニヒェンの真骨頂といえばミサ曲になるだろう。
レクイエムは全体的に静かな雰囲気の曲となっている。
ハイニヒェンには他にも多くのミサ曲があり、それらでは
レクイエムと違って金管の華やかな響きを聴くこともできる。

●ヨハン・アドルフ・ハッセ
Johann Adolph Hasse(1699-1783)
テノール歌手としてオペラ座で活躍し、
後にナポリに行って当時の最先端のオペラを学んだ。
始めはポルポラについたが両者の仲はうまくいかず
結局アレッサンドロ・スカルラッティに多くを学んだようである。
妻はナポリで絶大な人気を誇る歌姫であり
ドレスデン帰国後は圧倒的人気で楽長の座に就任した。
それにより、以後絶大な影響力を手にすることに成功した。
ゼレンカから楽長の座を奪ったのは前述のとおりだが
その後もかつての師ポルポラがドレスデンに招かれた際には
政敵としてこれを追放することに成功している。
晩年は妻の生まれ故郷ベネツィアに隠居し、
そこで少年モーツァルトに会っている。
お勧め:「レクイエム ハ長調」
ハッセ最大の成功分野はオペラだが宗教音楽も重要で優れた作品が多い。
この曲は複数あるハッセのレクイエム中最も演奏機会の多い曲。
ゼレンカ、ハイニヒェンとの聴き比べが可能なタイトルである。
●ヨハン・ゲオルク・ピゼンデル
Johann Georg Pisendel(1687-1755)
欧州最高の楽団であったドレスデン宮廷でコンサートマスターとして活躍した。
ソリストとしても有名で多くの作品を献呈されているが、
やはり第一級のコンサートマスターとして認識された最初の人物として名高い。
ヴァイオリンをトレッリに、作曲をハイニヒェンに学んだ。
その影響力は大きく、テレマン、バッハ、ヴィヴァルディなど
多くの音楽家と交流があり、その門下にも優れた人物が集まった。
友人であったゼレンカが死去した際にはその作品の啓蒙に勤めた。
お勧め「ヴァイオリン・ソナタ」
奏者としての活躍がメインだったため作品は少ないが
いずれもビーバー後の優秀なドイツヴァイオリン作品となっている。
●シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス
Sylvius Leopold Weiss(1687-1750)
ドレスデン宮廷に仕えたリュート奏者。
リュートは当時既に過去の楽器となっていたので
ヴァイスはその歴史上のほぼ最後の奏者と言えるだろう。
リュートはオーケストラの中で使われることもほとんどないので
おそらくはほぼソリストとしてのみの活躍であった。
しかしその希少価値のためかヴァイスの評価は非常に高く
その給料は楽長やコンサートマスターを凌いで
宮廷音楽家中最高だったといわれている。
お勧め:「リュート作品」
多くの作品を作った。ほとんどが小品である。
ドレスデン宮廷(ザクセン選帝侯)はその後も繁栄し、
古典派に入っても優秀な音楽家を抱え続けた。
有名なフリードリヒ大王の統治時代になると本拠をベルリンに移したので
それ以後の宮廷音楽家はドレスデンよりも
ベルリンの作曲家といったほうが自然かもしれない。
それらの中にも取り上げたい人物は多くいるが、
もはやバロックではなく古典派に分類すべきになってくるので
いつか古典派を取り上げるときのためにとっておき、
ここでは割愛することにする。
wrote by au-saga
次回はいよいよ最終回、バロック音楽の完成。
2008年03月27日
音楽史11〜バロック、フランス〜
バロック期、フランスは独自の道を歩んだ。
かつてはバロックにフランスを加えず独自の音楽体系と分類されたこともあった。
この時代の音楽は、ブルボン王朝の統治、
すなわちベルサイユ文化と密接に関係している。
このことからブルボン王朝下で活躍した音楽家を総称してベルサイユ楽派と呼ぶ。
《バレ・ド・クールとエール・ド・クール》
初期フランスバロックで人気を博した音楽は
バレ・ド・クールやエール・ド・クールであった。
バレ・ド・クール(バレエ・ド・クール)は宮廷の舞踊、
エール・ド・クールは宮廷の歌という意味になる。
初期の音楽家で重要なのは
・ピエール・ゲドロン Pierre Guedron(1575-1620)
・アントワーヌ・ボエセ Antoine Boesset(1587-1643)
・エティエンヌ・ムリニエ Etienne Moulinie(1600頃-1669以後)
・ミシェル・ランベール Michel Lambert(1610-1696)
等であろう。いずれもバレエやエール・ド・クールで知られた。
またエール・ド・クールに合わせて、その伴奏を受け持つ器楽も発達した。
特にリュートはこの時代最も繁栄した伴奏楽器であった。
最も著名なリュート奏者兼作曲家として
・ドゥニ・ゴーティエ Denis Gaultier(1603-72)
の名を上げることができる。
ただしリュートは音量が小さくて扱いが難しいことから
その後衰退していきクラブサンに取って代わられることになった。
《リュリの登場》
初期のフランスバロックではロッシやカヴァッリのオペラを上演するなど
イタリア音楽を取り入れる試みも行われた。
しかし一部では熱狂を持って迎えられたものの、
完全に受け入れらるものではなかった。
むしろそれらの上演で人々を熱狂させたのは、
幕間で演奏されたリュリのバレエのほうであった。

●ジャン=バティスト・リュリ
Jean-Baptiste Lully(1632-1687)
イタリア生まれだが、才能を認められてフランスに渡り、
太陽王ルイ14世の元でバレエの踊り手・作曲家として活躍した。
フランス国籍を取ってからはベルサイユ最高の作曲家として君臨することとなった。
バレエで成功を収めると同時に、オペラの作曲にも取り組み、
フランスオペラの創始者と呼ばれるまでになった。
オペラ、バレエという新旧の音楽で重要な役割を担ったという点で、
イタリアのモンテヴェルディにも匹敵する存在であるといえる。
また管弦楽ではフランス風序曲を生み出した。
これはアレサンドロ・スカルラッティのイタリア風シンフォニアと並び、
古典派以降に大きな影響を及ぼす重要な器楽形式となっている。
リュリはその音楽的重要度の他に、謀略を以って鳴る権力者としても有名であった。
ライバルたちはことごとくその謀略によって失脚させられていった。
権勢と悪名でならしたリュリであったが、晩年はスキャンダルが災いして
ルイ14世の不興を買うなど必ずしも満足のいくものではなかった。
その最期もルイ14世の病気回復を祝って行われた「テ・デウム」演奏の際に
当時指揮棒代わりに床に突いていた巨大な杖を誤って足に突き刺してしまい
その傷が元でこの世を去ることになってしまった。
お勧め:「ディベルティスマン」
本来はオペラが重要だが、リュリのオペラは他の多くのバロック作品と同じく
これまで演奏機会に恵まれてこなかった。最近でこそ復刻もされているが
奇抜な舞台装置が必要であるなど復活上演には困難も付きまとっている。
現在リュリの音楽を手軽に楽しむには、オペラの旋律や
間に挿入されたバレエ音楽などで再編成された管弦楽を選択するのがいいだろう。
また声楽ではリュリを死に導くことになってしまった曲ではあるが
「テ・デウム」にその華麗な音楽を聴き取ることが出来る。

●マルカントワーヌ・シャルパンティエ
Marc-Antoine Charpentier(1643-1704)
フランスバロック期最大の宗教音楽家といわれる人物。
イタリアに行き、オラトリオの大家カリッシミに学んだ。
そのためこの時代のフランスでは珍しくミサ曲やオラトリオを手がけた。
シャルパンティエもリュリにその活動を抑えられてしまった人物の一人である。
にも関わらず今日リュリ以上ともいえるほどその音楽が愛好されているのは
ひとえに音楽の魅力によるものだといえるのではないだろうか。
お勧め:「真夜中のミサ」
まずはミサ曲が重要で、この曲は最も有名な作品である。
他にもシャルパンティエ最大のミサである「モロワ氏のミサ」や
晩年の傑作「聖母被昇天のミサ」、3曲作られた「レクイエム」など
優れた作品が目白押しとなっている。ミサの他にモテットも有名で
特に「テ・デウム ニ長調」は3曲ある同名の作品のうち最も規模が大きく、
その冒頭部分が欧州のサッカー番組に使われたことで広く知られるようになった。
宗教音楽に傑作が多いが、リュリの妨害にあいながらも頑張って作った
オペラ等の劇音楽も近年復刻の兆しを見せている。

●ミシェル=リシャール・ドラランド
Michel-Richard de Lalande(1657-1726)
リュリの後に宮廷で最高権力を握った音楽家である。
ドラランドのグラン・モテ(大規模なモテットの意。対してプチ・モテがある)は
当時絶大な人気を誇っており、それを表現する言葉として
「現在でいうベートーヴェンの交響曲に匹敵するほどだった」
という言い回しがしばしば引用されるほどである。
また当時馬車を個人所有する唯一の作曲家であったともいわれた。
お勧め:「テ・デウム」
まずはやはりグラン・モテを挙げるべきであろう。
リュリやシャルパンティエの同名曲との聴き比べも興味深い。
他にも「ミゼレーレ」や「ルソン・ド・テネブル」など聴きやすい曲が多い。
「サンフォニー」と題されたファンファーレ集もある。
●アンドレ・カンプラ
Andre Campra(1660-1744)
宗教音楽とオペラの大家として活躍した。聖職者でもあった。
当時聖職者は劇音楽との関わりを禁止されていたため
宗教音楽のみを作曲していたが、
やがて弟の名前を借りて密かにオペラの作曲を行うようになった。
しかしこれが見つかって教会の職を解かることになってしまった。
その後カンプラはオペラ座の指揮者となり、
物語性のないオペラ・バレエという形式を確立するなど
この分野で重要な役割を果たすことになった。
今日でもリュリとラモーを結ぶ重要なオペラ作曲家として認知されている。
これらの功績が認められてか晩年は再び教会職に復帰し
再度宗教音楽に取り組んで優れた作品を残した。
お勧め:「レクイエム」
後年の作にあたる、フランスを代表するレクイエム。
●ジャン・ジル
Jean Gilles(1668-1705)
音楽史上にしばしば登場する夭折の天才作曲家の一人である。
パリやベルサイユに行くことなく生涯南仏に留まって活躍した。
地方のみの活動で名声を得た作曲家は当時としては珍しい。
その代表作「レクイエム」は、ある依頼に基づいて作曲されたが
受け取りを拒否されたため憤慨して封印することを決め
自身の葬儀のときに初めて演奏するようにと遺言した。
死後演奏されたこの曲は瞬く間に人気曲となりフランス宮廷でも絶賛された。
その人気はフランスの葬式でジルの曲が流れないことはないと言われたほどだった。
ジルの早い死は惜しまれ、もしも長生きしていれば
間違いなくドラランドの後任になっただろうと言われた。
お勧め:「レクイエム」
フランス最高のレクイエムと名高い名曲。
《フランス鍵盤楽器》
バロック期に入って次第に衰退していったリュートに代わり
鍵盤楽器であるクラヴサンが活躍するようになった。
クラヴサンとはいわゆるチェンバロのことである。
この楽器は呼称が難しく、イタリアではチェンバロ、
ドイツではハンマーフリューゲル、イギリスではハープシコード、
フランスではクラヴサンと各地でバラバラの呼び名になっている。
日本では一般にチェンバロを使用するが、
ここではフランス音楽を取り上げているのでクラヴサンと記述することにする。
初期の重要なクラヴサン作曲家を列挙すると以下のようになる。
●ジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエール
Jacques Champion de Chambonnieres(1601頃-1672)
フランス・クラヴサン音楽の創始者とも言われる人物で小規模な作品を多く作った。
●ジャン=アンリ・ダングルベール
Jean-Henri d'Anglebert(1629-1691)
シャンボニエールの弟子にあたり、その後任として活躍した。
●ルイ・クープラン
Louis Couperin (1626年頃-1661)
同じくシャンボニエールの弟子に当たる。
クープラン一族はドイツのバッハ一族にも匹敵する有名な音楽一族である。
ルイ・クープランはドイツのフローベルガーの影響も受け、
組曲など国外の様式を積極的に取り入れ、鍵盤音楽の規模を拡大させた。
そして、フランス鍵盤音楽界は大クープランの登場を迎える。

●フランソワ・クープラン
Francois Couperin(1668-1733)
ルイ・クープランの甥に当たり、一族で最も活躍したことから大クープランと呼ばれる。
クープランの登場をもって、フランス鍵盤音楽はその頂点を迎えることになる。
200曲以上に及ぶクラヴサン作品はクープランならではの雰囲気を漂わせており、
その音楽は時代を超えてラヴェルやリヒャルト・シュトラウスにも影響を及ぼした。
フランス音楽嫌いで知られたブラームスもクープランの曲は例外的に好んだという。
鍵盤音楽以外にも室内楽や教会音楽などで優れた作品を残した。
フランスに初めてトリオ・ソナタの形式を持ち込んだとも言われ
イタリア様式とフランス様式の融合を目指した「コレッリ賛」と「リュリ賛」は
当時行われていた二つの様式に対する不毛とも言える対立に
音楽的観点から疑問を投げかける作品となっている。
クープランは当時最も人気のあるジャンルであったオペラを手がけなかったが、
それでもフランスバロック最高の作曲家とされている点でその評価の高さが伺える。
お勧め:「クラヴサン曲集」
クープランのクラヴサン曲はオルドルと呼ばれる組曲の形式でまとめられているが
主要曲をバラバラに取り出した抜粋のアルバムなども多く作られている。
個別には「小さな風車」「神秘的な障壁」「恋の夜鳴きうぐいす」などが有名。
室内楽では「コレッリ賛」「リュリ賛」「王宮のコンセール」「諸国の人々」など
声楽ではフランス最高のプチ・モテと名高い「ルソン・ド・テネブル」がある。

●ジャン=フィリップ・ラモー
Jean-Philippe Rameau(1683-1764)
フランスバロックの最後を飾る巨匠。音楽理論家としても知られる。
クープランの後を受け継ぐ鍵盤音楽の大家として名を馳せたが
50歳を超えてからオペラの作曲にも取り組み、30曲ものオペラを世に送り出した。
ラモーのオペラはリュリのものと比較されどちらが上かという論争もされたが
現在ではフランスバロックオペラの2大巨頭として等しく評価されている。
またラモーのクラヴサン曲はクープランのものに比べると
流れよりも厚みを重視した作りになっているのが特徴と言える。
バッハやヘンデルと並んでバロック音楽を完成に導いた人物といえる。
お勧め:「コンセールによるクラヴサン曲集」
クラヴサンだけでも、合奏を伴っても演奏できるように作られた曲集。
どちらの形態での録音もあるが、やはり器楽合奏を伴ったほうをお勧めしたい。
また純粋にクラヴサン独奏のために作られた曲集もある。
オペラについてはリュリと同じ状態で演奏機会に恵まれているとはいえないため
まずは管弦楽曲集として再構成されたものを聴くのがいいだろう。
《弦楽器》
弦楽器にはヴァイオリン属とヴィオール属があった。
イタリアでは、グァルネリやストラディヴァリといった製作者や
コレッリを始めとする巨匠演奏家の登場により、
新興のヴァイオリン属が急激に勢力を拡大していった。
しかしフランスでは静かで味わいのあるヴィオール属のほうが
相変わらず好まれていた。
●サント=コロンブ
Monsieur de Sainte-Colombe(1630頃-1700年頃)
代表的なヴィオール奏者だが、不明な点が多く本名も知られていない。
しかし残された音楽はいずれも素晴らしく、
今日のヴィオール奏者にとって極めて重要な作曲家である。
お勧め:「悲しみのトンボー」
67曲の「2台のヴィオールのための合奏曲」が、
残されたサント=コロンブの音楽の全てである。これはその中の一曲。

●マラン・マレ
Marin Marais(1656-1728)
サント=コロンブに師事したフランスバロック最大のヴィオール奏者。
リュリと知遇を得たこともあり、宮廷内での出世は順調であった。
後にオペラの作曲も手がけ、また指揮者としても活躍した。
お勧め:「サント=コロンブ氏への追悼」
師であるサント=コロンブの死を悼んで作られた名曲。
マレには5巻に及ぶヴィオール曲集があり曲の総数は500にものぼるといわれる。
●アントワーヌ・フォルクレ
Antoine Forqueray(1671頃-1745)
マレと並び称されたヴィオールの巨匠。
「天使のように弾くマレ」に対して「悪魔のように弾くフォルクレ」と評された。
気性が激しく、自分の息子に対してさえも嫉妬心をむき出しにしたといわれる。
フォルクレは自らの神秘性を演出するため自作の出版を一切行わなかった。
そのためその音楽は息子ジャン=バティストによる編集版でのみ知ることが出来る。
お勧め:「ヴィオールと通奏低音のための曲集」
息子ジャン=バティストの編集によって残された作品集。
自身作曲家であったジャン=バティストは、
このうちいくつかをクラヴサン用に編曲しており、
現在ではそちらのほうが演奏機会が多いかもしれない。
父から不当な扱いを受けたジャン=バティストだが
その作品を残すことには献身的だった。
●ジャン=マリー・ルクレール
Jean-Marie Leclair(1697-1764)
フランス初のヴァイオリンの巨匠。コレッリの弟子であるソーミスに学び、
ヴィオールが支配的であったフランスにヴァイオリンを持ち込んだ人物。
後に隆盛を極めるフランス=ベルギーヴァイオリン楽派の創始者とも言われる。
イタリアの巨匠ヴァイオリン奏者、ロカテッリの影響を強く受けたといわれる。
ルクレールは「天使のように」弾き、
ロカテッリは「悪魔のように」弾いたと評された。
どこかで聞いたような評だが、当時このような言い回しが流行っていたのだろうか。
最期は原因不明の他殺体で発見された。
作曲家が他殺で最期を向かえるというのは意外と珍しいことである。
お勧め:「ヴァイオリン・ソナタ第6番《トンボー》」
トンボーは「墓」という意味で、死者の追悼のための音楽である。
この当時フランスで好んで用いられたタイトルである。
この後ヴィオール属はヴァイオリン属に追いやられ表舞台から姿を消してしまう。
現在オーケストラで一般に使われている弦楽器、
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロはいずれもヴァイオリン属である。
ただし、コントラバスだけはヴィオール属の生き残りであるともいわれている。
wrote by Au-Saga
次回は、ドイツ・バロック
かつてはバロックにフランスを加えず独自の音楽体系と分類されたこともあった。
この時代の音楽は、ブルボン王朝の統治、
すなわちベルサイユ文化と密接に関係している。
このことからブルボン王朝下で活躍した音楽家を総称してベルサイユ楽派と呼ぶ。
《バレ・ド・クールとエール・ド・クール》
初期フランスバロックで人気を博した音楽は
バレ・ド・クールやエール・ド・クールであった。
バレ・ド・クール(バレエ・ド・クール)は宮廷の舞踊、
エール・ド・クールは宮廷の歌という意味になる。
初期の音楽家で重要なのは
・ピエール・ゲドロン Pierre Guedron(1575-1620)
・アントワーヌ・ボエセ Antoine Boesset(1587-1643)
・エティエンヌ・ムリニエ Etienne Moulinie(1600頃-1669以後)
・ミシェル・ランベール Michel Lambert(1610-1696)
等であろう。いずれもバレエやエール・ド・クールで知られた。
またエール・ド・クールに合わせて、その伴奏を受け持つ器楽も発達した。
特にリュートはこの時代最も繁栄した伴奏楽器であった。
最も著名なリュート奏者兼作曲家として
・ドゥニ・ゴーティエ Denis Gaultier(1603-72)
の名を上げることができる。
ただしリュートは音量が小さくて扱いが難しいことから
その後衰退していきクラブサンに取って代わられることになった。
《リュリの登場》
初期のフランスバロックではロッシやカヴァッリのオペラを上演するなど
イタリア音楽を取り入れる試みも行われた。
しかし一部では熱狂を持って迎えられたものの、
完全に受け入れらるものではなかった。
むしろそれらの上演で人々を熱狂させたのは、
幕間で演奏されたリュリのバレエのほうであった。

●ジャン=バティスト・リュリ
Jean-Baptiste Lully(1632-1687)
イタリア生まれだが、才能を認められてフランスに渡り、
太陽王ルイ14世の元でバレエの踊り手・作曲家として活躍した。
フランス国籍を取ってからはベルサイユ最高の作曲家として君臨することとなった。
バレエで成功を収めると同時に、オペラの作曲にも取り組み、
フランスオペラの創始者と呼ばれるまでになった。
オペラ、バレエという新旧の音楽で重要な役割を担ったという点で、
イタリアのモンテヴェルディにも匹敵する存在であるといえる。
また管弦楽ではフランス風序曲を生み出した。
これはアレサンドロ・スカルラッティのイタリア風シンフォニアと並び、
古典派以降に大きな影響を及ぼす重要な器楽形式となっている。
リュリはその音楽的重要度の他に、謀略を以って鳴る権力者としても有名であった。
ライバルたちはことごとくその謀略によって失脚させられていった。
権勢と悪名でならしたリュリであったが、晩年はスキャンダルが災いして
ルイ14世の不興を買うなど必ずしも満足のいくものではなかった。
その最期もルイ14世の病気回復を祝って行われた「テ・デウム」演奏の際に
当時指揮棒代わりに床に突いていた巨大な杖を誤って足に突き刺してしまい
その傷が元でこの世を去ることになってしまった。
お勧め:「ディベルティスマン」
本来はオペラが重要だが、リュリのオペラは他の多くのバロック作品と同じく
これまで演奏機会に恵まれてこなかった。最近でこそ復刻もされているが
奇抜な舞台装置が必要であるなど復活上演には困難も付きまとっている。
現在リュリの音楽を手軽に楽しむには、オペラの旋律や
間に挿入されたバレエ音楽などで再編成された管弦楽を選択するのがいいだろう。
また声楽ではリュリを死に導くことになってしまった曲ではあるが
「テ・デウム」にその華麗な音楽を聴き取ることが出来る。
●マルカントワーヌ・シャルパンティエ
Marc-Antoine Charpentier(1643-1704)
フランスバロック期最大の宗教音楽家といわれる人物。
イタリアに行き、オラトリオの大家カリッシミに学んだ。
そのためこの時代のフランスでは珍しくミサ曲やオラトリオを手がけた。
シャルパンティエもリュリにその活動を抑えられてしまった人物の一人である。
にも関わらず今日リュリ以上ともいえるほどその音楽が愛好されているのは
ひとえに音楽の魅力によるものだといえるのではないだろうか。
お勧め:「真夜中のミサ」
まずはミサ曲が重要で、この曲は最も有名な作品である。
他にもシャルパンティエ最大のミサである「モロワ氏のミサ」や
晩年の傑作「聖母被昇天のミサ」、3曲作られた「レクイエム」など
優れた作品が目白押しとなっている。ミサの他にモテットも有名で
特に「テ・デウム ニ長調」は3曲ある同名の作品のうち最も規模が大きく、
その冒頭部分が欧州のサッカー番組に使われたことで広く知られるようになった。
宗教音楽に傑作が多いが、リュリの妨害にあいながらも頑張って作った
オペラ等の劇音楽も近年復刻の兆しを見せている。

●ミシェル=リシャール・ドラランド
Michel-Richard de Lalande(1657-1726)
リュリの後に宮廷で最高権力を握った音楽家である。
ドラランドのグラン・モテ(大規模なモテットの意。対してプチ・モテがある)は
当時絶大な人気を誇っており、それを表現する言葉として
「現在でいうベートーヴェンの交響曲に匹敵するほどだった」
という言い回しがしばしば引用されるほどである。
また当時馬車を個人所有する唯一の作曲家であったともいわれた。
お勧め:「テ・デウム」
まずはやはりグラン・モテを挙げるべきであろう。
リュリやシャルパンティエの同名曲との聴き比べも興味深い。
他にも「ミゼレーレ」や「ルソン・ド・テネブル」など聴きやすい曲が多い。
「サンフォニー」と題されたファンファーレ集もある。
●アンドレ・カンプラ
Andre Campra(1660-1744)
宗教音楽とオペラの大家として活躍した。聖職者でもあった。
当時聖職者は劇音楽との関わりを禁止されていたため
宗教音楽のみを作曲していたが、
やがて弟の名前を借りて密かにオペラの作曲を行うようになった。
しかしこれが見つかって教会の職を解かることになってしまった。
その後カンプラはオペラ座の指揮者となり、
物語性のないオペラ・バレエという形式を確立するなど
この分野で重要な役割を果たすことになった。
今日でもリュリとラモーを結ぶ重要なオペラ作曲家として認知されている。
これらの功績が認められてか晩年は再び教会職に復帰し
再度宗教音楽に取り組んで優れた作品を残した。
お勧め:「レクイエム」
後年の作にあたる、フランスを代表するレクイエム。
●ジャン・ジル
Jean Gilles(1668-1705)
音楽史上にしばしば登場する夭折の天才作曲家の一人である。
パリやベルサイユに行くことなく生涯南仏に留まって活躍した。
地方のみの活動で名声を得た作曲家は当時としては珍しい。
その代表作「レクイエム」は、ある依頼に基づいて作曲されたが
受け取りを拒否されたため憤慨して封印することを決め
自身の葬儀のときに初めて演奏するようにと遺言した。
死後演奏されたこの曲は瞬く間に人気曲となりフランス宮廷でも絶賛された。
その人気はフランスの葬式でジルの曲が流れないことはないと言われたほどだった。
ジルの早い死は惜しまれ、もしも長生きしていれば
間違いなくドラランドの後任になっただろうと言われた。
お勧め:「レクイエム」
フランス最高のレクイエムと名高い名曲。
《フランス鍵盤楽器》
バロック期に入って次第に衰退していったリュートに代わり
鍵盤楽器であるクラヴサンが活躍するようになった。
クラヴサンとはいわゆるチェンバロのことである。
この楽器は呼称が難しく、イタリアではチェンバロ、
ドイツではハンマーフリューゲル、イギリスではハープシコード、
フランスではクラヴサンと各地でバラバラの呼び名になっている。
日本では一般にチェンバロを使用するが、
ここではフランス音楽を取り上げているのでクラヴサンと記述することにする。
初期の重要なクラヴサン作曲家を列挙すると以下のようになる。
●ジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエール
Jacques Champion de Chambonnieres(1601頃-1672)
フランス・クラヴサン音楽の創始者とも言われる人物で小規模な作品を多く作った。
●ジャン=アンリ・ダングルベール
Jean-Henri d'Anglebert(1629-1691)
シャンボニエールの弟子にあたり、その後任として活躍した。
●ルイ・クープラン
Louis Couperin (1626年頃-1661)
同じくシャンボニエールの弟子に当たる。
クープラン一族はドイツのバッハ一族にも匹敵する有名な音楽一族である。
ルイ・クープランはドイツのフローベルガーの影響も受け、
組曲など国外の様式を積極的に取り入れ、鍵盤音楽の規模を拡大させた。
そして、フランス鍵盤音楽界は大クープランの登場を迎える。
●フランソワ・クープラン
Francois Couperin(1668-1733)
ルイ・クープランの甥に当たり、一族で最も活躍したことから大クープランと呼ばれる。
クープランの登場をもって、フランス鍵盤音楽はその頂点を迎えることになる。
200曲以上に及ぶクラヴサン作品はクープランならではの雰囲気を漂わせており、
その音楽は時代を超えてラヴェルやリヒャルト・シュトラウスにも影響を及ぼした。
フランス音楽嫌いで知られたブラームスもクープランの曲は例外的に好んだという。
鍵盤音楽以外にも室内楽や教会音楽などで優れた作品を残した。
フランスに初めてトリオ・ソナタの形式を持ち込んだとも言われ
イタリア様式とフランス様式の融合を目指した「コレッリ賛」と「リュリ賛」は
当時行われていた二つの様式に対する不毛とも言える対立に
音楽的観点から疑問を投げかける作品となっている。
クープランは当時最も人気のあるジャンルであったオペラを手がけなかったが、
それでもフランスバロック最高の作曲家とされている点でその評価の高さが伺える。
お勧め:「クラヴサン曲集」
クープランのクラヴサン曲はオルドルと呼ばれる組曲の形式でまとめられているが
主要曲をバラバラに取り出した抜粋のアルバムなども多く作られている。
個別には「小さな風車」「神秘的な障壁」「恋の夜鳴きうぐいす」などが有名。
室内楽では「コレッリ賛」「リュリ賛」「王宮のコンセール」「諸国の人々」など
声楽ではフランス最高のプチ・モテと名高い「ルソン・ド・テネブル」がある。
●ジャン=フィリップ・ラモー
Jean-Philippe Rameau(1683-1764)
フランスバロックの最後を飾る巨匠。音楽理論家としても知られる。
クープランの後を受け継ぐ鍵盤音楽の大家として名を馳せたが
50歳を超えてからオペラの作曲にも取り組み、30曲ものオペラを世に送り出した。
ラモーのオペラはリュリのものと比較されどちらが上かという論争もされたが
現在ではフランスバロックオペラの2大巨頭として等しく評価されている。
またラモーのクラヴサン曲はクープランのものに比べると
流れよりも厚みを重視した作りになっているのが特徴と言える。
バッハやヘンデルと並んでバロック音楽を完成に導いた人物といえる。
お勧め:「コンセールによるクラヴサン曲集」
クラヴサンだけでも、合奏を伴っても演奏できるように作られた曲集。
どちらの形態での録音もあるが、やはり器楽合奏を伴ったほうをお勧めしたい。
また純粋にクラヴサン独奏のために作られた曲集もある。
オペラについてはリュリと同じ状態で演奏機会に恵まれているとはいえないため
まずは管弦楽曲集として再構成されたものを聴くのがいいだろう。
《弦楽器》
弦楽器にはヴァイオリン属とヴィオール属があった。
イタリアでは、グァルネリやストラディヴァリといった製作者や
コレッリを始めとする巨匠演奏家の登場により、
新興のヴァイオリン属が急激に勢力を拡大していった。
しかしフランスでは静かで味わいのあるヴィオール属のほうが
相変わらず好まれていた。
●サント=コロンブ
Monsieur de Sainte-Colombe(1630頃-1700年頃)
代表的なヴィオール奏者だが、不明な点が多く本名も知られていない。
しかし残された音楽はいずれも素晴らしく、
今日のヴィオール奏者にとって極めて重要な作曲家である。
お勧め:「悲しみのトンボー」
67曲の「2台のヴィオールのための合奏曲」が、
残されたサント=コロンブの音楽の全てである。これはその中の一曲。

●マラン・マレ
Marin Marais(1656-1728)
サント=コロンブに師事したフランスバロック最大のヴィオール奏者。
リュリと知遇を得たこともあり、宮廷内での出世は順調であった。
後にオペラの作曲も手がけ、また指揮者としても活躍した。
お勧め:「サント=コロンブ氏への追悼」
師であるサント=コロンブの死を悼んで作られた名曲。
マレには5巻に及ぶヴィオール曲集があり曲の総数は500にものぼるといわれる。
●アントワーヌ・フォルクレ
Antoine Forqueray(1671頃-1745)
マレと並び称されたヴィオールの巨匠。
「天使のように弾くマレ」に対して「悪魔のように弾くフォルクレ」と評された。
気性が激しく、自分の息子に対してさえも嫉妬心をむき出しにしたといわれる。
フォルクレは自らの神秘性を演出するため自作の出版を一切行わなかった。
そのためその音楽は息子ジャン=バティストによる編集版でのみ知ることが出来る。
お勧め:「ヴィオールと通奏低音のための曲集」
息子ジャン=バティストの編集によって残された作品集。
自身作曲家であったジャン=バティストは、
このうちいくつかをクラヴサン用に編曲しており、
現在ではそちらのほうが演奏機会が多いかもしれない。
父から不当な扱いを受けたジャン=バティストだが
その作品を残すことには献身的だった。
●ジャン=マリー・ルクレール
Jean-Marie Leclair(1697-1764)
フランス初のヴァイオリンの巨匠。コレッリの弟子であるソーミスに学び、
ヴィオールが支配的であったフランスにヴァイオリンを持ち込んだ人物。
後に隆盛を極めるフランス=ベルギーヴァイオリン楽派の創始者とも言われる。
イタリアの巨匠ヴァイオリン奏者、ロカテッリの影響を強く受けたといわれる。
ルクレールは「天使のように」弾き、
ロカテッリは「悪魔のように」弾いたと評された。
どこかで聞いたような評だが、当時このような言い回しが流行っていたのだろうか。
最期は原因不明の他殺体で発見された。
作曲家が他殺で最期を向かえるというのは意外と珍しいことである。
お勧め:「ヴァイオリン・ソナタ第6番《トンボー》」
トンボーは「墓」という意味で、死者の追悼のための音楽である。
この当時フランスで好んで用いられたタイトルである。
この後ヴィオール属はヴァイオリン属に追いやられ表舞台から姿を消してしまう。
現在オーケストラで一般に使われている弦楽器、
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロはいずれもヴァイオリン属である。
ただし、コントラバスだけはヴィオール属の生き残りであるともいわれている。
wrote by Au-Saga
次回は、ドイツ・バロック
2008年03月11日
音楽史10〜バロック鍵盤音楽〜
バロック期における鍵盤楽器は通奏低音の発達と共に
需要も増えていき、非常に重要な地位を占めるようになった。
バロック期の鍵盤楽器とは主にオルガンとチェンバロである。
《初期の巨匠》

●ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク
Jan Pieterszoon Sweelinck(1562-1621)
ルネサンス後期からバロック初期にかけて活躍した
北ドイツオルガン楽派の祖とされる人物。
イタリアのフレスコバルディと共に初期バロックオルガンの二大巨匠とされる。
スウェーリンクは同時にルネサンス音楽家として
フランドル楽派の最後の作曲家にも位置づけられており
ルネサンス型の声楽曲なども作曲している。
また作曲家としての評価と同じくらいか
それ以上に教育者としても高く評価された。
門人には
・ヤーコプ・プレトリウス Jacob Praetorius(1586-1651)
・ハインリヒ・シャイデマン Heinrich Scheidemann(1595頃-1663)
・ザムエル・シャイト Samuel Scheidt (1587-1653)
など優秀な作曲家・オルガン奏者がいる。
お勧め:「わが青春はすでに過ぎ去りによる変奏曲」
物悲しい旋律が特徴的なスウェーリンクの最も有名なオルガン曲。
最近は、より技巧的なエコー・ファンタジアなども人気がある。

●ジローラモ・フレスコバルディ
Girolamo Frescobaldi(1583-1643)
初期バロックにおける最も重要な鍵盤作曲家。
モンテヴェルディが声楽において成し遂げた成果を
鍵盤楽器で達成した人物と言われている。
声楽の大家ルッツァスキに作曲を学びジェズアルドに影響を受けた可能性もある。
また旅行で訪れた先でスウェーリンクに師事したという説もある。
声楽曲もあるがやはり作品のほとんどは鍵盤音楽であった。
僅か25歳でローマ聖ピエトロ大聖堂のオルガニストに就任した際には
実に数万人の人々が集まったといわれるほど絶大な人気を博した。
門下にはフローベルガーを始めとした優れた音楽家が集まり
イタリアのみならずドイツやフランスにも大きな影響を与えた。
お勧め:「音楽の花束(Fiori musicali)」
ミサ奉献中に演奏されることを目的とした作品集。
オルガンでもチェンバロでも演奏が可能。
トッカータやリチェルカーレなど様々な音楽が収められているので
フレスコバルディの音楽を知るのに好都合の作品である。
他にもトッカータ集やパルティータなど充実した作品が多い。
《バロック中期以降》
バロックも中期以降になると優れた鍵盤音楽が多く作曲された。
いずれもスウェーリンクかフレスコバルディ、
あるいは両方の影響を強く受けた作風となっている。
各国で鍵盤音楽は作られたが
特にドイツ系の作曲家の活躍が目立っている。
※フランスでも鍵盤音楽が独自の発展を遂げるのだが、
ここでは触れず、フランス音楽の項で別に取り上げることとする。
●フランツ・トゥンダー
Franz Tunder(1614-1667)
スウェーリンクから発生した北ドイツオルガン楽派の一人。
世代的にはスウェーリンク直伝ではなく、その直弟子から教わった代になる。
リューベック聖マリア教会のオルガニストを務めた。
●マティアス・ヴェックマン
Matthias Weckmann(1616-1674)
トゥンダーと同じく北ドイツオルガン楽派のオルガニスト、作曲家。
スウェーリンクの直弟子であるヤーコプ・プレトリウスに師事した
ドレスデンでフローベルガーと演奏対決を行い、以後両者は親友同士となった。
●ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー
Johann Jakob Froberger(1616-1667)
フレスコバルディに師事した鍵盤楽器のスペシャリスト。
ドイツ出身だがイタリアやフランスでも活躍をしたため
各国の音楽家に多大な影響を与えた。
フローベルガーの音楽成果の一つに組曲の創始がある。
組曲は数曲の舞曲からなる多楽章形式の音楽だが、
フローベルガーによって基本形が確立されたとされている。
この組曲形式はバロック期に好んで用いられ
バッハやヘンデルも多くの著名な作品を残している。
お勧め:「皇帝フェルディナント3世に捧げる哀歌」
フローベルガー最も有名な作品。
また多く残されている組曲では「第20番」が著名である。

●ディートリヒ・ブクステフーデ
Dietrich Buxtehude(1637-1707)
初期のスウェーリンクとフレスコバルディ、そして後期のバッハ、
その両方を結ぶ線上にいる極めて重要な作曲家である。
北ドイツオルガン楽派としてスウェーリンク後の最も重要な存在であり
かつフレスコバルディ門下のフローベルガーの音楽にも強い影響を受けた。
トゥンダーは義父にあたり、その死後リューベックオルガニストの座を継承した。
若きバッハはブクステフーデの音楽に強く魅せられた一人だった。
ブクステフーデの演奏を聴くために休暇を取ってリューベックを訪れたバッハは
その素晴らしさのあまり無断で2ヶ月も休暇を延ばしてしまい、
帰国後に強く叱責されたというエピソードは有名である。
オルガンの大家として有名なブクステフーデであるが、
ソナタなどの室内楽や声楽曲も作曲している。
特にカンタータに関しては歴史上重要な役割を担っており
ここでもバッハへの影響を強く見て取ることができる。
お勧め:「オルガン作品」
特に有名なのは「プレリュードとフーガ BuxWV.146」
「パッサカリア BuxWV161」「前奏曲 BuxWV152」など。
また声楽ではカンタータ「我らがイエスの四肢」が有名で録音も多い。
●ヨハン・アダム・ラインケン
Johann Adam Reincken(1643-1722)
ブクステフーデと同時代の北ドイツオルガン楽派の一人。
スウェーリンクの直弟子であるハインリヒ・シャイデマンに師事した。
オルガン演奏だけでなくオルガンの鑑定家としても知られ
またオペラの運営にも力を入れた。
●ヨハン・パッヘルベル
Johann Pachelbel(1653-1706)
現在では「カノン」1曲であまりにも有名な人物。
バッハの父であるヨハン・アンブロジウス・バッハと親交があり
バッハの兄、ヨハン・クリストフ・バッハの師でもあった。
本職はオルガニストであり、オルガンのための作品を多く作曲している。
お勧め:「カノンとジーグ」
とはいえ、やはり代表作はこれになるだろう。
ただし今日通常に聴く演奏はバロック様式でないことがほとんどで
時代考証を踏まえた正しい演奏をすると
よく耳にする曲とは随分違って聴こえることになる。
※詳しくは以前当サイトで取り上げたカノンの記事(音源あり)を参照
●ヴィンツェント・リューベック
Vincent Lubeck(1654-1740)
ブクステフーデ後の重要な北ドイツオルガン楽派の一人。
リューベックの姓は著名な都市に由来する。
主に演奏家、教育者として活動したため数は多くなかったが
ブクステフーデに強い影響を受けた技巧的な作品が残されている。
●ゲオルク・ベーム
Georg Bohm(1661-1733)
北ドイツオルガン楽派の一人。鍵盤音楽の作曲家として名を馳せた。
バッハのオルガンの師には諸説あるが現在ベーム説が最も有力である。
●ニコラウス・ブルーンス
Nicolaus Bruhns(1665-1697)
リューベックと並ぶ重要な後期北ドイツオルガン楽派の一人。
ブクステフーデの門下生の中でも最も優れた人物と賞賛された。
オルガンのほかヴァイオリンの奏者としても著名であり
優れた室内楽やカンタータも作曲したが夭折のため作品数が少ないのは残念。
●ヨハン・クーナウ
Johann Kuhnau(1660-1722)
ライプツィヒのトーマスカントルとしてバッハの前任であった人物。
鍵盤楽器の作曲家として知られたが、声楽なども残しており
また教育者や弁護士としても活躍した。特に門下には優れた作曲家が多く、
バロック末期の多くのドイツ作曲家がクーナウの薫陶を受けている。
お勧め:「聖書ソナタ」
旧訳聖書の物語を鍵盤楽器で表現したクーナウの代表作。
●クリストフ・グラウプナー
Christoph Graupner(1683-1760)
クーナウに学んだバロック後期の作曲家、チェンバロ奏者。
精力的に作曲活動を行い、人気を博したオペラの他、
管弦楽曲や室内楽など多岐に渡る分野で作品を残した。
《バロック鍵盤音楽の完成》
バロック後期、鍵盤音楽を完成させた重要な人物が2人いる。
一人はバッハであり、もう一人はスカルラッティである。

●ドメニコ・スカルラッティ
Domenico Scarlatti(1685-1757)
父はナポリ楽派の祖として有名なアレッサンドロ・スカルラッティ。
チェンバロの名手であり、ヘンデルとの鍵盤演奏対決は有名である。
結果はオルガンではヘンデルが、チェンバロではスカルラッティが勝利した。
因みにスカルラッティとバッハとヘンデルはいずれも1685年生まれの同年齢である。
現在ではチェンバロソナタの作曲家として有名なスカルラッティであるが、
キャリア初期には父の系統に位置するオペラや教会音楽の作曲家としても活躍していた。
しかし1729年にスペインに移ってからは主にチェンバロの作曲に打ち込み
その活動が今日のスカルラッティの評価を決定付けたと言ってもいい。
スカルラッティのソナタは短い曲の中に多彩な奏法が詰まっており、
それ故に「近代的鍵盤楽器奏法の父」とも呼ばれたりするが
後半生にはほぼスペインのみで活動していたこともあり、
古典派以降の作曲家への直接的な影響は不明である。
直接的な後継者としてはイベリア半島の
カルロシュ・セイシャス Carlos Seixas(1704-1742)
アントニオ・ソレール (1729-1783)
などの名を上げることができるのみである。
お勧め:「ソナタ」
声楽もあるがやはりチェンバロのためにかかれたソナタが重要である。
残されたソナタは500曲を超えており、
その全てを聴くことは至難の業だが、いずれも小品で聴きやすく、
まずは抜粋で1枚に収められたベストCDなどに耳を傾けるのがいいだろう。
wrote by Au-Saga
次回は、フランス・バロック
需要も増えていき、非常に重要な地位を占めるようになった。
バロック期の鍵盤楽器とは主にオルガンとチェンバロである。
《初期の巨匠》
●ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク
Jan Pieterszoon Sweelinck(1562-1621)
ルネサンス後期からバロック初期にかけて活躍した
北ドイツオルガン楽派の祖とされる人物。
イタリアのフレスコバルディと共に初期バロックオルガンの二大巨匠とされる。
スウェーリンクは同時にルネサンス音楽家として
フランドル楽派の最後の作曲家にも位置づけられており
ルネサンス型の声楽曲なども作曲している。
また作曲家としての評価と同じくらいか
それ以上に教育者としても高く評価された。
門人には
・ヤーコプ・プレトリウス Jacob Praetorius(1586-1651)
・ハインリヒ・シャイデマン Heinrich Scheidemann(1595頃-1663)
・ザムエル・シャイト Samuel Scheidt (1587-1653)
など優秀な作曲家・オルガン奏者がいる。
お勧め:「わが青春はすでに過ぎ去りによる変奏曲」
物悲しい旋律が特徴的なスウェーリンクの最も有名なオルガン曲。
最近は、より技巧的なエコー・ファンタジアなども人気がある。

●ジローラモ・フレスコバルディ
Girolamo Frescobaldi(1583-1643)
初期バロックにおける最も重要な鍵盤作曲家。
モンテヴェルディが声楽において成し遂げた成果を
鍵盤楽器で達成した人物と言われている。
声楽の大家ルッツァスキに作曲を学びジェズアルドに影響を受けた可能性もある。
また旅行で訪れた先でスウェーリンクに師事したという説もある。
声楽曲もあるがやはり作品のほとんどは鍵盤音楽であった。
僅か25歳でローマ聖ピエトロ大聖堂のオルガニストに就任した際には
実に数万人の人々が集まったといわれるほど絶大な人気を博した。
門下にはフローベルガーを始めとした優れた音楽家が集まり
イタリアのみならずドイツやフランスにも大きな影響を与えた。
お勧め:「音楽の花束(Fiori musicali)」
ミサ奉献中に演奏されることを目的とした作品集。
オルガンでもチェンバロでも演奏が可能。
トッカータやリチェルカーレなど様々な音楽が収められているので
フレスコバルディの音楽を知るのに好都合の作品である。
他にもトッカータ集やパルティータなど充実した作品が多い。
《バロック中期以降》
バロックも中期以降になると優れた鍵盤音楽が多く作曲された。
いずれもスウェーリンクかフレスコバルディ、
あるいは両方の影響を強く受けた作風となっている。
各国で鍵盤音楽は作られたが
特にドイツ系の作曲家の活躍が目立っている。
※フランスでも鍵盤音楽が独自の発展を遂げるのだが、
ここでは触れず、フランス音楽の項で別に取り上げることとする。
●フランツ・トゥンダー
Franz Tunder(1614-1667)
スウェーリンクから発生した北ドイツオルガン楽派の一人。
世代的にはスウェーリンク直伝ではなく、その直弟子から教わった代になる。
リューベック聖マリア教会のオルガニストを務めた。
●マティアス・ヴェックマン
Matthias Weckmann(1616-1674)
トゥンダーと同じく北ドイツオルガン楽派のオルガニスト、作曲家。
スウェーリンクの直弟子であるヤーコプ・プレトリウスに師事した
ドレスデンでフローベルガーと演奏対決を行い、以後両者は親友同士となった。
●ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー
Johann Jakob Froberger(1616-1667)
フレスコバルディに師事した鍵盤楽器のスペシャリスト。
ドイツ出身だがイタリアやフランスでも活躍をしたため
各国の音楽家に多大な影響を与えた。
フローベルガーの音楽成果の一つに組曲の創始がある。
組曲は数曲の舞曲からなる多楽章形式の音楽だが、
フローベルガーによって基本形が確立されたとされている。
この組曲形式はバロック期に好んで用いられ
バッハやヘンデルも多くの著名な作品を残している。
お勧め:「皇帝フェルディナント3世に捧げる哀歌」
フローベルガー最も有名な作品。
また多く残されている組曲では「第20番」が著名である。

●ディートリヒ・ブクステフーデ
Dietrich Buxtehude(1637-1707)
初期のスウェーリンクとフレスコバルディ、そして後期のバッハ、
その両方を結ぶ線上にいる極めて重要な作曲家である。
北ドイツオルガン楽派としてスウェーリンク後の最も重要な存在であり
かつフレスコバルディ門下のフローベルガーの音楽にも強い影響を受けた。
トゥンダーは義父にあたり、その死後リューベックオルガニストの座を継承した。
若きバッハはブクステフーデの音楽に強く魅せられた一人だった。
ブクステフーデの演奏を聴くために休暇を取ってリューベックを訪れたバッハは
その素晴らしさのあまり無断で2ヶ月も休暇を延ばしてしまい、
帰国後に強く叱責されたというエピソードは有名である。
オルガンの大家として有名なブクステフーデであるが、
ソナタなどの室内楽や声楽曲も作曲している。
特にカンタータに関しては歴史上重要な役割を担っており
ここでもバッハへの影響を強く見て取ることができる。
お勧め:「オルガン作品」
特に有名なのは「プレリュードとフーガ BuxWV.146」
「パッサカリア BuxWV161」「前奏曲 BuxWV152」など。
また声楽ではカンタータ「我らがイエスの四肢」が有名で録音も多い。
●ヨハン・アダム・ラインケン
Johann Adam Reincken(1643-1722)
ブクステフーデと同時代の北ドイツオルガン楽派の一人。
スウェーリンクの直弟子であるハインリヒ・シャイデマンに師事した。
オルガン演奏だけでなくオルガンの鑑定家としても知られ
またオペラの運営にも力を入れた。
●ヨハン・パッヘルベル
Johann Pachelbel(1653-1706)
現在では「カノン」1曲であまりにも有名な人物。
バッハの父であるヨハン・アンブロジウス・バッハと親交があり
バッハの兄、ヨハン・クリストフ・バッハの師でもあった。
本職はオルガニストであり、オルガンのための作品を多く作曲している。
お勧め:「カノンとジーグ」
とはいえ、やはり代表作はこれになるだろう。
ただし今日通常に聴く演奏はバロック様式でないことがほとんどで
時代考証を踏まえた正しい演奏をすると
よく耳にする曲とは随分違って聴こえることになる。
※詳しくは以前当サイトで取り上げたカノンの記事(音源あり)を参照
●ヴィンツェント・リューベック
Vincent Lubeck(1654-1740)
ブクステフーデ後の重要な北ドイツオルガン楽派の一人。
リューベックの姓は著名な都市に由来する。
主に演奏家、教育者として活動したため数は多くなかったが
ブクステフーデに強い影響を受けた技巧的な作品が残されている。
●ゲオルク・ベーム
Georg Bohm(1661-1733)
北ドイツオルガン楽派の一人。鍵盤音楽の作曲家として名を馳せた。
バッハのオルガンの師には諸説あるが現在ベーム説が最も有力である。
●ニコラウス・ブルーンス
Nicolaus Bruhns(1665-1697)
リューベックと並ぶ重要な後期北ドイツオルガン楽派の一人。
ブクステフーデの門下生の中でも最も優れた人物と賞賛された。
オルガンのほかヴァイオリンの奏者としても著名であり
優れた室内楽やカンタータも作曲したが夭折のため作品数が少ないのは残念。
●ヨハン・クーナウ
Johann Kuhnau(1660-1722)
ライプツィヒのトーマスカントルとしてバッハの前任であった人物。
鍵盤楽器の作曲家として知られたが、声楽なども残しており
また教育者や弁護士としても活躍した。特に門下には優れた作曲家が多く、
バロック末期の多くのドイツ作曲家がクーナウの薫陶を受けている。
お勧め:「聖書ソナタ」
旧訳聖書の物語を鍵盤楽器で表現したクーナウの代表作。
●クリストフ・グラウプナー
Christoph Graupner(1683-1760)
クーナウに学んだバロック後期の作曲家、チェンバロ奏者。
精力的に作曲活動を行い、人気を博したオペラの他、
管弦楽曲や室内楽など多岐に渡る分野で作品を残した。
《バロック鍵盤音楽の完成》
バロック後期、鍵盤音楽を完成させた重要な人物が2人いる。
一人はバッハであり、もう一人はスカルラッティである。
●ドメニコ・スカルラッティ
Domenico Scarlatti(1685-1757)
父はナポリ楽派の祖として有名なアレッサンドロ・スカルラッティ。
チェンバロの名手であり、ヘンデルとの鍵盤演奏対決は有名である。
結果はオルガンではヘンデルが、チェンバロではスカルラッティが勝利した。
因みにスカルラッティとバッハとヘンデルはいずれも1685年生まれの同年齢である。
現在ではチェンバロソナタの作曲家として有名なスカルラッティであるが、
キャリア初期には父の系統に位置するオペラや教会音楽の作曲家としても活躍していた。
しかし1729年にスペインに移ってからは主にチェンバロの作曲に打ち込み
その活動が今日のスカルラッティの評価を決定付けたと言ってもいい。
スカルラッティのソナタは短い曲の中に多彩な奏法が詰まっており、
それ故に「近代的鍵盤楽器奏法の父」とも呼ばれたりするが
後半生にはほぼスペインのみで活動していたこともあり、
古典派以降の作曲家への直接的な影響は不明である。
直接的な後継者としてはイベリア半島の
カルロシュ・セイシャス Carlos Seixas(1704-1742)
アントニオ・ソレール (1729-1783)
などの名を上げることができるのみである。
お勧め:「ソナタ」
声楽もあるがやはりチェンバロのためにかかれたソナタが重要である。
残されたソナタは500曲を超えており、
その全てを聴くことは至難の業だが、いずれも小品で聴きやすく、
まずは抜粋で1枚に収められたベストCDなどに耳を傾けるのがいいだろう。
wrote by Au-Saga
次回は、フランス・バロック
2008年02月18日
音楽史09〜バロック器楽〜
バロック期には楽器の発展に伴い器楽曲が盛んに作られるようになった。
中でもヴァイオリンはイタリアを中心に目覚しく発展し、
ヴァイオリン演奏の巨匠(ヴィルトゥオーゾ)兼作曲家が多く登場した。
《ヴァイオリンの巨匠》

●アルカンジェロ・コレッリ
Arcangero Corelli(1653-1713)
巨匠ヴァイオリニスト=作曲家の元祖とも言うべき人物。
それ以前にも巨匠ヴァイオリニストはいたが、コレッリの登場により、
それらの存在が忘れ去られてしまうほどであった。
作曲家としても、バロックの代表的な形式である
合奏協奏曲とトリオ・ソナタを作り出すなど
バロック時代の器楽音楽形成における極めて重要な存在であった。
また完璧主義者であり、本当に納得した作品以外は破棄したため
残された作品は厳選されたものだけとなっている。
お勧め:「合奏協奏曲 作品6」
全12曲からなる協奏曲集。第8番はクリスマス協奏曲として有名。
また「ラ・フォリア」を含むトリオ・ソナタ作品5も有名。

●ジュゼッペ・トレッリ
Giuseppe Torelli(1658-1709)
バロック器楽においてコレッリに匹敵する重要な役割を果たした人物。
コレッリの影響を受けて合奏協奏曲を作曲したが、
コレッリのものよりもソロ楽器の活躍が目立っている。
ソロ協奏曲は後にヴィヴァルディによって完成させられる形式だが
トレッリはコレッリとヴィヴァルディを結ぶ貴重な役割を果たしているといえるだろう。
また後の18世紀に完成させられるソナタ形式の原型もトレッリに求めることができる。
ソナタ形式を形式として決定付けているのは展開部だが、
この展開部に相当する最初の音楽を作ったのがトレッリとされている。
お勧め:「合奏協奏曲 作品8」
第6曲がクリスマス協奏曲となっている。
クリスマス協奏曲は、器楽でありながらキリストの生誕を告げる
羊飼いの歌が基になっており宗教音楽的な意味を持つ曲となっている。
●フランチェスコ・マンフレディーニ
Francesco Manfredini(1684-1762)
トレッリにヴァイオリンを学ぶ。器楽だけでなく声楽なども手がけたが
死後多くの作品が失われてしまったといわれる。
お勧め:「合奏協奏曲 作品3」
やはり全12曲からなる協奏曲集であり、12番のクリスマス協奏曲が有名。
●フランチェスコ・ジェミニアーニ
Francesco Geminiani(1687-1762)
作曲をアレッサンドロ・スカルラッティに、ヴァイオリンをコレッリに学ぶ。
後にロンドンに渡り、演奏家、作曲家として成功を収めた。
イタリアのヴァイオリニストたちの多くは派手な演奏や作曲を好んだが、
ジェミニアーニは綿密な音楽の労作にこだわったようである。
その意味では師であるコレッリの流れを汲んでいるといえる。
お勧め:「合奏協奏曲 作品7」
ジェミニアーニの合奏協奏曲はコレッリやトレッリとはまた違い、
弦楽四重奏がオーケストラとの掛け合いを行う作りになっている。
より古典派的な音楽になっているといえる。
●フランチェスコ・ヴェラチーニ
Francesco Veracini(1690-1768)
イタリアのみでなくロンドンやドレスデンでも活躍した。
ドイツではイタリアヴァイオリニストは外面的な技巧のみとして
低く評価される傾向にあったが、ヴェラチーニはドレスデンでも
受け入れられたように国際的な名声を得ることに成功した。
オラトリオやオペラも作曲したが評価されたのは主に器楽のみであった。
晩年は作曲者や演奏家としてよりも指揮者として活躍した。
お勧め:「ヴァイオリン・ソナタ 作品1」
声楽なども残しているが、作品1の1番が現在最も多く演奏される曲である。
●ジュゼッペ・タルティーニ
Giuseppe Tartini(1692-1770)
若い頃はフェンシングの名手でもあったという。
ある時ヴェラチーニのヴァイオリン演奏を聴いて感銘を受け、
自室こもって猛練習をしたと伝えられている。
その後名手となったタルティーニは
演奏家としてだけでなく音楽理論家としても名を成していった。
作曲はヴァイオリン音楽に限られていたが体系的に作品を残さなかったため
現在もその全貌を判断するのが難しくなっている。
お勧め:「悪魔のトリル」
夢の中に悪魔アムドゥシアスが登場してヴァイオリンを奏でた
という逸話で知られる作品。
●ピエトロ・ロカテッリ
Pietro Locatelli(1695-1764)
タルティーニと並び超絶技巧で知られたヴァイオリンの名手。
技巧的なヴァイオリン曲を多く作った。
お勧め:「ヴァイオリンの技法 作品3」
12曲からなる協奏曲集だが、間に挟まれた
ヴァイオリンソロによる技巧的なカプリッチョ楽章が特に有名。
《ヴェネツィア》
バロック初期に音楽の中心地として栄えたものの、
その後ナポリに中心地の座を明け渡していたヴェネツィアだったが
依然として優れた作曲家を要していた。

●アントニオ・ヴィヴァルディ
Antonio Vivaldi(1678-1741)
なんといってもその代表はヴィヴァルディであろう。
「四季」のみであまりにも有名になってしまい
それだけの作曲家のイメージすらあるが
ソロ協奏曲の生みの親である点は非常に重要である。
コレッリの合奏協奏曲がバロック期にしか生き残らなかったのに比べ
ヴィヴァルディのソロ協奏曲は後の時代まで続いていった。
古典派以降ソロ協奏曲は交響曲と共に極めて重要な器楽形式になっていった。
「クラシック音楽」をそのまま言葉通りに受け取れば
古典派音楽ということになるから、その意味で
クラシック器楽の祖といってもよい人物である。
近年は器楽だけでなくオペラや声楽曲も多く演奏されている。
改めてバロック時代の最重要な音楽家として認知されてきたといえるだろう。
お勧め:協奏曲集「和声と創意の試み」
全12曲からなる協奏曲集で、この1〜4曲が「四季」として特に知られる部分である。
ヴィヴァルディの傑作はこれだけではない。
同じく協奏曲集の形をとる「調和の霊感」や「フルート協奏曲集」
単独の各楽器用の協奏曲(チェロ、マンドリン、オーボエ等)、
「グローリア」「スターバト・マーテル」などの声楽曲なども一聴の価値がある。
バロック時代の非常に重要な作曲家なので四季だけで終わらせるのは惜しい。
●アントニオ・ロッティ
Antonio Lotti(1667年頃-1740)
様々な分野にまたがって作品を残した作曲家であり優れた教育者でもあった。
ヴェネツィアだけでなくドイツのハノーファーでも活躍した。
お勧め:「十字架に架けられて(Crucifixus)」
ミサ曲やオペラなど大規模な作品も残したロッティだが
最も有名なのはこの美しい小品である。
●アレッサンドロ・マルチェッロ
Alessandro Marcello(1669-1747)
マルチェッロ兄弟の兄。優れた作曲家であったが
音楽が本業ではなかったため残された作品数は少なかった。
代表作オーボエ協奏曲はバッハがチェンバロ用に編曲し
また映画「ベニスの愛」で使われたことで有名になっている
お勧め:「オーボエ協奏曲 ニ短調」
現在演奏されるほとんど唯一のマルチェッロの曲だが
上記の理由により屈指の人気作となっている。
●ベネデット・マルチェッロ
Benedetto Marcello(1686-1739)
マルチェッロ兄弟の弟。音楽が本業ではない点は兄と同じだが
精力的に作曲を行ったため多数の作品を残したという点では大きく違っている。
生前は弟ベネデットのほうが音楽家として高く評価されていた。
お勧め:「詩的・音楽的霊感(Estro poetico-armonico)」
1〜50番までの詩篇に様々な形で曲をつけた野心作。
カンタータや連作マドリガーレに近いが
既存のどの分類にも捉われない自由な作品となっている。
●トマゾ・アルビノーニ
Tomaso Albinoni(1671-1750)
生前はオペラ作曲家として名を馳せたが、
現在ではヴィヴァルディにも匹敵する協奏曲作曲家として知られている。
マルチェッロ兄弟同様、作曲家は本業ではなかった。
当時のヴェネツィアには裕福な層が多かったのであろうか、
このような優れたアマチュア音楽家が多く登場していたことは驚きである。
アルビノーニといえば「アルビノーニのアダージョ」が有名だが
実際にこの曲はアルビノーニとは全く関係が無い。
アルビノーニ研究家のジャゾットが偶然見つけた楽譜の断片から音楽を作り
「アルビノーニのアダージョ」として発表して人気を獲得したものだが
後にその断片もアルビノーニのものではないことが有力となった。
お勧め:「協奏曲集 作品9」
例に漏れず12曲からなる曲集である。
中では第2番のオーボエ協奏曲が最も有名。
wrote by Au-Saga
次回は、バロック鍵盤楽器
中でもヴァイオリンはイタリアを中心に目覚しく発展し、
ヴァイオリン演奏の巨匠(ヴィルトゥオーゾ)兼作曲家が多く登場した。
《ヴァイオリンの巨匠》
●アルカンジェロ・コレッリ
Arcangero Corelli(1653-1713)
巨匠ヴァイオリニスト=作曲家の元祖とも言うべき人物。
それ以前にも巨匠ヴァイオリニストはいたが、コレッリの登場により、
それらの存在が忘れ去られてしまうほどであった。
作曲家としても、バロックの代表的な形式である
合奏協奏曲とトリオ・ソナタを作り出すなど
バロック時代の器楽音楽形成における極めて重要な存在であった。
また完璧主義者であり、本当に納得した作品以外は破棄したため
残された作品は厳選されたものだけとなっている。
お勧め:「合奏協奏曲 作品6」
全12曲からなる協奏曲集。第8番はクリスマス協奏曲として有名。
また「ラ・フォリア」を含むトリオ・ソナタ作品5も有名。

●ジュゼッペ・トレッリ
Giuseppe Torelli(1658-1709)
バロック器楽においてコレッリに匹敵する重要な役割を果たした人物。
コレッリの影響を受けて合奏協奏曲を作曲したが、
コレッリのものよりもソロ楽器の活躍が目立っている。
ソロ協奏曲は後にヴィヴァルディによって完成させられる形式だが
トレッリはコレッリとヴィヴァルディを結ぶ貴重な役割を果たしているといえるだろう。
また後の18世紀に完成させられるソナタ形式の原型もトレッリに求めることができる。
ソナタ形式を形式として決定付けているのは展開部だが、
この展開部に相当する最初の音楽を作ったのがトレッリとされている。
お勧め:「合奏協奏曲 作品8」
第6曲がクリスマス協奏曲となっている。
クリスマス協奏曲は、器楽でありながらキリストの生誕を告げる
羊飼いの歌が基になっており宗教音楽的な意味を持つ曲となっている。
●フランチェスコ・マンフレディーニ
Francesco Manfredini(1684-1762)
トレッリにヴァイオリンを学ぶ。器楽だけでなく声楽なども手がけたが
死後多くの作品が失われてしまったといわれる。
お勧め:「合奏協奏曲 作品3」
やはり全12曲からなる協奏曲集であり、12番のクリスマス協奏曲が有名。
●フランチェスコ・ジェミニアーニ
Francesco Geminiani(1687-1762)
作曲をアレッサンドロ・スカルラッティに、ヴァイオリンをコレッリに学ぶ。
後にロンドンに渡り、演奏家、作曲家として成功を収めた。
イタリアのヴァイオリニストたちの多くは派手な演奏や作曲を好んだが、
ジェミニアーニは綿密な音楽の労作にこだわったようである。
その意味では師であるコレッリの流れを汲んでいるといえる。
お勧め:「合奏協奏曲 作品7」
ジェミニアーニの合奏協奏曲はコレッリやトレッリとはまた違い、
弦楽四重奏がオーケストラとの掛け合いを行う作りになっている。
より古典派的な音楽になっているといえる。
●フランチェスコ・ヴェラチーニ
Francesco Veracini(1690-1768)
イタリアのみでなくロンドンやドレスデンでも活躍した。
ドイツではイタリアヴァイオリニストは外面的な技巧のみとして
低く評価される傾向にあったが、ヴェラチーニはドレスデンでも
受け入れられたように国際的な名声を得ることに成功した。
オラトリオやオペラも作曲したが評価されたのは主に器楽のみであった。
晩年は作曲者や演奏家としてよりも指揮者として活躍した。
お勧め:「ヴァイオリン・ソナタ 作品1」
声楽なども残しているが、作品1の1番が現在最も多く演奏される曲である。
●ジュゼッペ・タルティーニ
Giuseppe Tartini(1692-1770)
若い頃はフェンシングの名手でもあったという。
ある時ヴェラチーニのヴァイオリン演奏を聴いて感銘を受け、
自室こもって猛練習をしたと伝えられている。
その後名手となったタルティーニは
演奏家としてだけでなく音楽理論家としても名を成していった。
作曲はヴァイオリン音楽に限られていたが体系的に作品を残さなかったため
現在もその全貌を判断するのが難しくなっている。
お勧め:「悪魔のトリル」
夢の中に悪魔アムドゥシアスが登場してヴァイオリンを奏でた
という逸話で知られる作品。
●ピエトロ・ロカテッリ
Pietro Locatelli(1695-1764)
タルティーニと並び超絶技巧で知られたヴァイオリンの名手。
技巧的なヴァイオリン曲を多く作った。
お勧め:「ヴァイオリンの技法 作品3」
12曲からなる協奏曲集だが、間に挟まれた
ヴァイオリンソロによる技巧的なカプリッチョ楽章が特に有名。
《ヴェネツィア》
バロック初期に音楽の中心地として栄えたものの、
その後ナポリに中心地の座を明け渡していたヴェネツィアだったが
依然として優れた作曲家を要していた。

●アントニオ・ヴィヴァルディ
Antonio Vivaldi(1678-1741)
なんといってもその代表はヴィヴァルディであろう。
「四季」のみであまりにも有名になってしまい
それだけの作曲家のイメージすらあるが
ソロ協奏曲の生みの親である点は非常に重要である。
コレッリの合奏協奏曲がバロック期にしか生き残らなかったのに比べ
ヴィヴァルディのソロ協奏曲は後の時代まで続いていった。
古典派以降ソロ協奏曲は交響曲と共に極めて重要な器楽形式になっていった。
「クラシック音楽」をそのまま言葉通りに受け取れば
古典派音楽ということになるから、その意味で
クラシック器楽の祖といってもよい人物である。
近年は器楽だけでなくオペラや声楽曲も多く演奏されている。
改めてバロック時代の最重要な音楽家として認知されてきたといえるだろう。
お勧め:協奏曲集「和声と創意の試み」
全12曲からなる協奏曲集で、この1〜4曲が「四季」として特に知られる部分である。
ヴィヴァルディの傑作はこれだけではない。
同じく協奏曲集の形をとる「調和の霊感」や「フルート協奏曲集」
単独の各楽器用の協奏曲(チェロ、マンドリン、オーボエ等)、
「グローリア」「スターバト・マーテル」などの声楽曲なども一聴の価値がある。
バロック時代の非常に重要な作曲家なので四季だけで終わらせるのは惜しい。
●アントニオ・ロッティ
Antonio Lotti(1667年頃-1740)
様々な分野にまたがって作品を残した作曲家であり優れた教育者でもあった。
ヴェネツィアだけでなくドイツのハノーファーでも活躍した。
お勧め:「十字架に架けられて(Crucifixus)」
ミサ曲やオペラなど大規模な作品も残したロッティだが
最も有名なのはこの美しい小品である。
●アレッサンドロ・マルチェッロ
Alessandro Marcello(1669-1747)
マルチェッロ兄弟の兄。優れた作曲家であったが
音楽が本業ではなかったため残された作品数は少なかった。
代表作オーボエ協奏曲はバッハがチェンバロ用に編曲し
また映画「ベニスの愛」で使われたことで有名になっている
お勧め:「オーボエ協奏曲 ニ短調」
現在演奏されるほとんど唯一のマルチェッロの曲だが
上記の理由により屈指の人気作となっている。
●ベネデット・マルチェッロ
Benedetto Marcello(1686-1739)
マルチェッロ兄弟の弟。音楽が本業ではない点は兄と同じだが
精力的に作曲を行ったため多数の作品を残したという点では大きく違っている。
生前は弟ベネデットのほうが音楽家として高く評価されていた。
お勧め:「詩的・音楽的霊感(Estro poetico-armonico)」
1〜50番までの詩篇に様々な形で曲をつけた野心作。
カンタータや連作マドリガーレに近いが
既存のどの分類にも捉われない自由な作品となっている。
●トマゾ・アルビノーニ
Tomaso Albinoni(1671-1750)
生前はオペラ作曲家として名を馳せたが、
現在ではヴィヴァルディにも匹敵する協奏曲作曲家として知られている。
マルチェッロ兄弟同様、作曲家は本業ではなかった。
当時のヴェネツィアには裕福な層が多かったのであろうか、
このような優れたアマチュア音楽家が多く登場していたことは驚きである。
アルビノーニといえば「アルビノーニのアダージョ」が有名だが
実際にこの曲はアルビノーニとは全く関係が無い。
アルビノーニ研究家のジャゾットが偶然見つけた楽譜の断片から音楽を作り
「アルビノーニのアダージョ」として発表して人気を獲得したものだが
後にその断片もアルビノーニのものではないことが有力となった。
お勧め:「協奏曲集 作品9」
例に漏れず12曲からなる曲集である。
中では第2番のオーボエ協奏曲が最も有名。
wrote by Au-Saga
次回は、バロック鍵盤楽器
2008年01月31日
音楽史08〜バロックの開始〜
《モンテヴェルディの登場》
音楽史では17世紀から18世紀半ばまでの
およそ150年をバロック時代と呼んでいる。
これはそのままモンテヴェルディからバッハまで
と言い換えることができる。
この2人の巨人がバロック音楽を決定付けたと言っても過言ではない。
ここではルネサンスからバロックへの時代改革を行った
巨星モンテヴェルディの極めて重要な業績を中心に取り上げてみたい。

●クラウディオ・モンテヴェルディ
Claudio Monteverdi(1567-1643)
時代の変革者モンテヴェルディは
ルネサンスの完成者であり、同時にバロックの創始者でもあった。
《ルネサンス音楽の完成》
モンテヴェルディはルネサンス音楽の完成者として
教会音楽と世俗音楽の両方において傑作を残した。
教会音楽では1610年にローマ教皇に2つの曲を献上したが
一つはフランドル楽派の書法を踏襲した完全なルネサンス型のミサ曲であり
もう一つは当時としては型破りな「聖母マリアのタベの折り」であった。
モンテヴェルディはこの2曲によって新旧どちらのスタイルでも
変幻自在に曲を書き分けることができることを証明したといえる。
世俗音楽では特にマドリガーレをライフワークとした。
全9巻にも及ぶ曲集には、ルネサンス的書法から
バロック的書法への確実な変化が示されている。
モンテヴェルディ自身、古いスタイルを「第1の作法」と呼び
自らが作り上げた新しいスタイルを「第2の作法」と呼んだ。
《バロック音楽の創始》
バロックの創始者としてのモンテヴェルディは
第2の作法を確立したことで既にその役割を果たしているのだが
更にそれだけでない新しい音楽をも作り出した。
それはすなわちバロックオペラである。
オペラの作曲は実際にはカメラータの試みによって既に開始されていたのだが
当初は皆実験的な音楽にすぎなかった。
事実上、モンテヴェルディの「オルフェオ」こそが
最初の傑作オペラであるとされている。
モンテヴェルディのオペラは多くが失われてしまったため
現在では3作しか残されていないが、そのいずれもが
バロックオペラの最高傑作の評価を不動のものにしている。
オペラはこの後ミサ曲に取って代わり
音楽界の最高峰に位置づけられるようになっていった。
モンテヴェルディのオペラは一聴しただけでその特異性が分かる。
それまでのカッチーニ等によるオペラは、
慎ましやかなモノディによる伴奏が付いていただけであったが
「オルフェオ」には巨大な管弦楽が付けられた。
これはすなわちオーケストラの創始であり、
また冒頭部に付けられたトッカータは
後の序曲、ひいては交響曲の原型とも見ることができる。
少し前までは音楽史といえばバッハを最初として
それ以前が省みられることはほとんどなかったのだが、
近年ではモンテヴェルディをその開始に位置づける考え方が定着してきている。
お勧め:「聖母マリアのタベの折り」
オペラ、マドリガーレなど名曲は多いがやはりまずはこの曲だろう。
グレゴリオ聖歌を定旋律に使いながらも
冒頭にオペラ「オルフェオ」のトッカータを引用するなど
新旧の様々な手法を駆使して作り上げた最高傑作となっている。
実はモンテヴェルディの教会音楽は、
現在ではその多くが失われてしまっているのだが
この1曲が残っているだけでも大きな遺産といえる。
《ヴェネツィアオペラ》
モンテヴェルディによって芸術として高められたオペラは、
その弟子に当たる
・フランチェスコ・カヴァッリ Francesco Cavalli(1602-1676)
・アントニオ・チェスティ Antonio Cesti(1623-1669)
等に受け継がれていき
ヴェネツィアから各地へと急速に流行を広めていった。
バロックオペラは、現在あまり一般に上演されることはない。
理由として
・伴奏楽器の少ない作品が多く演奏効果が薄い
・特定の機会のために作られたものが多く上演形態が特殊
・カストラート(去勢歌手)のためのアリアなど現在では再現が困難
・戦禍などで楽譜が失われてしまった例が多い
などが考えられる。
このため一般の歌劇場のレパートリーは、
長く古典派のグルック以降の作品に限られていた。
(それでも稀に演奏されていたモンテヴェルディの作品は例外中の例外だろう)
しかし20世紀後半に古楽復興の波が押し寄せるに伴って
近年は急激に復活上演されるようになってきた。
バロックオペラは未だ再発見の真っ只中にあるといえる。
《世俗音楽》
バロック初期の世俗音楽としては
まずはマドリガーレが重要な作品となる。
●シジスモンド・ディンディア
Sigismondo d'India(1582-1629)
バロック初期におけるモンテヴェルディに匹敵する重要なマドリガーレ作曲家。
新しいモノディ様式の歌曲などを多く作りジェズアルドからの作風も受け継いでいる。
かつてジェズアルドは、
その波乱の生涯から孤高の存在であるという評価が定着しており
ジェズアルドに連なる系譜は邪魔者扱いされる風潮があった。
そのためディンディアもジェズアルドの劣化コピーであるかのように言われたのだが
最近ではルッツァスキ→ジェズアルド→ディンディアという系統が
認められるところとなっており、ディンディアの評価も年々高まっている。
その後マドリガーレは次第に規模を拡大し、やがてカンタータへと発展していく。
カンタータはイタリアではルイージ・デ・ロッシ(Luigi de Rossi 1597-1653)
カリッシミ、チェスティなどによって受け継がれていき、
やがてドイツに受け入れられてブクステフーデや
バッハの名作が生み出されていくことになる。
《オラトリオの発展》
バロック初期にはオペラと並ぶ重要なジャンルとしてオラトリオが登場した。
オラトリオは宗教的題材を扱う大規模な教会音楽であり、
歌詞にストーリー性はあるが
オペラと違って舞台上の演技を伴わないという特徴がある。
最初のオラトリオはカメラータのカヴァリエーリによるものとされてきたが
最近の研究でカヴァリエーリの作品は劇を伴っていたことが分かっており
オラトリオには分類されないのが一般的となっている。
現在オラトリオの創始者として名前が挙げられるのはカリッシミである。

●ジャコモ・カリッシミ
Giacomo Carissimi(1605-1674)
オペラにおけるモンテヴェルディに相当する人物。
オラトリオの開拓者であり同時にその最高の担い手でもある。
大小様々なオラトリオを残しており、教会音楽でありながらも
世俗音楽に負けない劇性を持たせるなどその豊かな表現力に定評があった。
代表作である「イェフタ」は特に人々を熱狂させたという。
カリッシミのオラトリオはその後フランスのシャルパンティエや
アレッサンドロ・スカルラッティにも強い影響を及ぼした。
オラトリオのほかにもカンタータやミサ曲などを残している。
お勧め:「イェフタ」
カリッシミの代表作で録音も多い。
より劇的で大規模な編成による「最後の審判」もお勧め。
●アレッサンドロ・ストラデッラ
Alessandro Stradella(1644-1682)
近年特に注目を浴びているバロック中期の作曲家。
素行が悪く最後はマフィアに殺されるという波乱の人生を送った。
そのお蔭でこれまでゴシップ的な面ばかりが取り上げられてきたが、
今ではその音楽が正当に再評価されてきている。
オラトリオの分野ではカリッシミ後の最大の作曲家であり
オペラ、カンタータ、器楽においても重要な作品を残した。
合奏協奏曲という形式は後にコレッリによって創始されるのだが
既にストラデッラの作品にその原型を確認することができ、
またコレッリ本人も若い頃にストラデッラに会っているので
直接ストラデッラが影響を与えたと考えられている。
お勧め:「洗礼者ヨハネ」
ストラデッラのオラトリオはカリッシミ以上に表現が激しい。
また多楽章形式の器楽音楽も、ソナタと銘打たれているものの
室内楽というよりは最初期の協奏曲ともいえる重要な作品である。

●アレッサンドロ・スカルラッティ
Alessandro Scarlatti(1660-1725)
スカルラッティ父子の父として有名な人物。ナポリ楽派の生みの親である。
息子ドメニコがもっぱら鍵盤楽器で活躍したのとは対照的に
極めて多くの分野にまたがる作品を残した。
オラトリオではカリッシミ、ストラデッラと並ぶ3大作曲家の一人とされる。
また、オペラではABAのダ・カーポ・アリアの形式を定着させた功績は大きく
スカルラッティの登場以降、オペラの中心地はヴェネツィアからナポリに移った。
また、器楽分野においても後の交響曲に連なる重要な形式の一つである
イタリア風シンフォニアの生みの親とされる点でその功績は重要である。
例に漏れず今日では大量に残された作品はほとんど演奏されることはない。
これは歴史上の重要度から考えれば大きな損失といえるだろう。
お勧め:「スターバト・マーテル」
スカルラッティの音楽は多岐にわたるが教会音楽にも傑作を残している。
「スターバト・マーテル」は生前から人気の作品で
現在もしばしば取り上げられる数少ない作品の一つとなっている。
《ナポリ楽派》
スカルラッティ以降、イタリア音楽の最も華やかな地は
ヴェネツィアからナポリへと移ることになった。
この地で作曲家として活躍した人物を総称してナポリ楽派と呼ぶ。
バロック期のナポリ楽派の面々を簡単に列挙すると
・フランチェスコ・マンチーニ Francesco Mancini(1672-1737)
・ドメニコ・サッリ Domenico Sarri(1679-1744)
・フランチェスコ・ドゥランテ Francesco Durante(1684-1755)
(珍しくオペラを残さなかった)
・ニコラ・ポルポラ Nicola Porpora(1686-1768)
(ハイドンの師として有名)
・レオナルド・ヴィンチ Leonardo Vinci(1690-1730)
・レオナルド・レオ Leonardo Leo(1694-1744)
(スカルラッティ後で特に人気があった人物)
などとなる。
その他ドイツにナポリオペラを持ち込んだハッセなどもいる。
しかし、スカルラッティ後のナポリ楽派で
最も重要な人物はペルゴレージであろう。

●ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ
Giovanni Battista Pergolesi(1710-1736)
年齢からすれば古典派に属するといってもいい若い作曲家だが
僅か26歳で結核によりその生涯を閉じたことにより
その活躍時期はバロック後期にあたることになる。
バロックと古典派を結ぶ重要な作曲家の一人で
残された音楽は少ないが、そのいずれもが高く評価されており
特にオペラ・ブッファと宗教音楽においては
この時代の最も重要な作曲家ということができる。
お勧め:「スターバト・マーテル」
モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」や
バッハの「マタイ受難曲」に並ぶバロック期最高の声楽曲。
ナポリ楽派は、
その後バロック期が終結し、古典派にいたってもなお
優秀な音楽家を輩出しヨーロッパのオペラ界をリードし続けた。
wrote by Au-Saga
次回は、バロック器楽
音楽史では17世紀から18世紀半ばまでの
およそ150年をバロック時代と呼んでいる。
これはそのままモンテヴェルディからバッハまで
と言い換えることができる。
この2人の巨人がバロック音楽を決定付けたと言っても過言ではない。
ここではルネサンスからバロックへの時代改革を行った
巨星モンテヴェルディの極めて重要な業績を中心に取り上げてみたい。
●クラウディオ・モンテヴェルディ
Claudio Monteverdi(1567-1643)
時代の変革者モンテヴェルディは
ルネサンスの完成者であり、同時にバロックの創始者でもあった。
《ルネサンス音楽の完成》
モンテヴェルディはルネサンス音楽の完成者として
教会音楽と世俗音楽の両方において傑作を残した。
教会音楽では1610年にローマ教皇に2つの曲を献上したが
一つはフランドル楽派の書法を踏襲した完全なルネサンス型のミサ曲であり
もう一つは当時としては型破りな「聖母マリアのタベの折り」であった。
モンテヴェルディはこの2曲によって新旧どちらのスタイルでも
変幻自在に曲を書き分けることができることを証明したといえる。
世俗音楽では特にマドリガーレをライフワークとした。
全9巻にも及ぶ曲集には、ルネサンス的書法から
バロック的書法への確実な変化が示されている。
モンテヴェルディ自身、古いスタイルを「第1の作法」と呼び
自らが作り上げた新しいスタイルを「第2の作法」と呼んだ。
《バロック音楽の創始》
バロックの創始者としてのモンテヴェルディは
第2の作法を確立したことで既にその役割を果たしているのだが
更にそれだけでない新しい音楽をも作り出した。
それはすなわちバロックオペラである。
オペラの作曲は実際にはカメラータの試みによって既に開始されていたのだが
当初は皆実験的な音楽にすぎなかった。
事実上、モンテヴェルディの「オルフェオ」こそが
最初の傑作オペラであるとされている。
モンテヴェルディのオペラは多くが失われてしまったため
現在では3作しか残されていないが、そのいずれもが
バロックオペラの最高傑作の評価を不動のものにしている。
オペラはこの後ミサ曲に取って代わり
音楽界の最高峰に位置づけられるようになっていった。
モンテヴェルディのオペラは一聴しただけでその特異性が分かる。
それまでのカッチーニ等によるオペラは、
慎ましやかなモノディによる伴奏が付いていただけであったが
「オルフェオ」には巨大な管弦楽が付けられた。
これはすなわちオーケストラの創始であり、
また冒頭部に付けられたトッカータは
後の序曲、ひいては交響曲の原型とも見ることができる。
少し前までは音楽史といえばバッハを最初として
それ以前が省みられることはほとんどなかったのだが、
近年ではモンテヴェルディをその開始に位置づける考え方が定着してきている。
お勧め:「聖母マリアのタベの折り」
オペラ、マドリガーレなど名曲は多いがやはりまずはこの曲だろう。
グレゴリオ聖歌を定旋律に使いながらも
冒頭にオペラ「オルフェオ」のトッカータを引用するなど
新旧の様々な手法を駆使して作り上げた最高傑作となっている。
実はモンテヴェルディの教会音楽は、
現在ではその多くが失われてしまっているのだが
この1曲が残っているだけでも大きな遺産といえる。
《ヴェネツィアオペラ》
モンテヴェルディによって芸術として高められたオペラは、
その弟子に当たる
・フランチェスコ・カヴァッリ Francesco Cavalli(1602-1676)
・アントニオ・チェスティ Antonio Cesti(1623-1669)
等に受け継がれていき
ヴェネツィアから各地へと急速に流行を広めていった。
バロックオペラは、現在あまり一般に上演されることはない。
理由として
・伴奏楽器の少ない作品が多く演奏効果が薄い
・特定の機会のために作られたものが多く上演形態が特殊
・カストラート(去勢歌手)のためのアリアなど現在では再現が困難
・戦禍などで楽譜が失われてしまった例が多い
などが考えられる。
このため一般の歌劇場のレパートリーは、
長く古典派のグルック以降の作品に限られていた。
(それでも稀に演奏されていたモンテヴェルディの作品は例外中の例外だろう)
しかし20世紀後半に古楽復興の波が押し寄せるに伴って
近年は急激に復活上演されるようになってきた。
バロックオペラは未だ再発見の真っ只中にあるといえる。
《世俗音楽》
バロック初期の世俗音楽としては
まずはマドリガーレが重要な作品となる。
●シジスモンド・ディンディア
Sigismondo d'India(1582-1629)
バロック初期におけるモンテヴェルディに匹敵する重要なマドリガーレ作曲家。
新しいモノディ様式の歌曲などを多く作りジェズアルドからの作風も受け継いでいる。
かつてジェズアルドは、
その波乱の生涯から孤高の存在であるという評価が定着しており
ジェズアルドに連なる系譜は邪魔者扱いされる風潮があった。
そのためディンディアもジェズアルドの劣化コピーであるかのように言われたのだが
最近ではルッツァスキ→ジェズアルド→ディンディアという系統が
認められるところとなっており、ディンディアの評価も年々高まっている。
その後マドリガーレは次第に規模を拡大し、やがてカンタータへと発展していく。
カンタータはイタリアではルイージ・デ・ロッシ(Luigi de Rossi 1597-1653)
カリッシミ、チェスティなどによって受け継がれていき、
やがてドイツに受け入れられてブクステフーデや
バッハの名作が生み出されていくことになる。
《オラトリオの発展》
バロック初期にはオペラと並ぶ重要なジャンルとしてオラトリオが登場した。
オラトリオは宗教的題材を扱う大規模な教会音楽であり、
歌詞にストーリー性はあるが
オペラと違って舞台上の演技を伴わないという特徴がある。
最初のオラトリオはカメラータのカヴァリエーリによるものとされてきたが
最近の研究でカヴァリエーリの作品は劇を伴っていたことが分かっており
オラトリオには分類されないのが一般的となっている。
現在オラトリオの創始者として名前が挙げられるのはカリッシミである。
●ジャコモ・カリッシミ
Giacomo Carissimi(1605-1674)
オペラにおけるモンテヴェルディに相当する人物。
オラトリオの開拓者であり同時にその最高の担い手でもある。
大小様々なオラトリオを残しており、教会音楽でありながらも
世俗音楽に負けない劇性を持たせるなどその豊かな表現力に定評があった。
代表作である「イェフタ」は特に人々を熱狂させたという。
カリッシミのオラトリオはその後フランスのシャルパンティエや
アレッサンドロ・スカルラッティにも強い影響を及ぼした。
オラトリオのほかにもカンタータやミサ曲などを残している。
お勧め:「イェフタ」
カリッシミの代表作で録音も多い。
より劇的で大規模な編成による「最後の審判」もお勧め。
●アレッサンドロ・ストラデッラ
Alessandro Stradella(1644-1682)
近年特に注目を浴びているバロック中期の作曲家。
素行が悪く最後はマフィアに殺されるという波乱の人生を送った。
そのお蔭でこれまでゴシップ的な面ばかりが取り上げられてきたが、
今ではその音楽が正当に再評価されてきている。
オラトリオの分野ではカリッシミ後の最大の作曲家であり
オペラ、カンタータ、器楽においても重要な作品を残した。
合奏協奏曲という形式は後にコレッリによって創始されるのだが
既にストラデッラの作品にその原型を確認することができ、
またコレッリ本人も若い頃にストラデッラに会っているので
直接ストラデッラが影響を与えたと考えられている。
お勧め:「洗礼者ヨハネ」
ストラデッラのオラトリオはカリッシミ以上に表現が激しい。
また多楽章形式の器楽音楽も、ソナタと銘打たれているものの
室内楽というよりは最初期の協奏曲ともいえる重要な作品である。

●アレッサンドロ・スカルラッティ
Alessandro Scarlatti(1660-1725)
スカルラッティ父子の父として有名な人物。ナポリ楽派の生みの親である。
息子ドメニコがもっぱら鍵盤楽器で活躍したのとは対照的に
極めて多くの分野にまたがる作品を残した。
オラトリオではカリッシミ、ストラデッラと並ぶ3大作曲家の一人とされる。
また、オペラではABAのダ・カーポ・アリアの形式を定着させた功績は大きく
スカルラッティの登場以降、オペラの中心地はヴェネツィアからナポリに移った。
また、器楽分野においても後の交響曲に連なる重要な形式の一つである
イタリア風シンフォニアの生みの親とされる点でその功績は重要である。
例に漏れず今日では大量に残された作品はほとんど演奏されることはない。
これは歴史上の重要度から考えれば大きな損失といえるだろう。
お勧め:「スターバト・マーテル」
スカルラッティの音楽は多岐にわたるが教会音楽にも傑作を残している。
「スターバト・マーテル」は生前から人気の作品で
現在もしばしば取り上げられる数少ない作品の一つとなっている。
《ナポリ楽派》
スカルラッティ以降、イタリア音楽の最も華やかな地は
ヴェネツィアからナポリへと移ることになった。
この地で作曲家として活躍した人物を総称してナポリ楽派と呼ぶ。
バロック期のナポリ楽派の面々を簡単に列挙すると
・フランチェスコ・マンチーニ Francesco Mancini(1672-1737)
・ドメニコ・サッリ Domenico Sarri(1679-1744)
・フランチェスコ・ドゥランテ Francesco Durante(1684-1755)
(珍しくオペラを残さなかった)
・ニコラ・ポルポラ Nicola Porpora(1686-1768)
(ハイドンの師として有名)
・レオナルド・ヴィンチ Leonardo Vinci(1690-1730)
・レオナルド・レオ Leonardo Leo(1694-1744)
(スカルラッティ後で特に人気があった人物)
などとなる。
その他ドイツにナポリオペラを持ち込んだハッセなどもいる。
しかし、スカルラッティ後のナポリ楽派で
最も重要な人物はペルゴレージであろう。
●ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ
Giovanni Battista Pergolesi(1710-1736)
年齢からすれば古典派に属するといってもいい若い作曲家だが
僅か26歳で結核によりその生涯を閉じたことにより
その活躍時期はバロック後期にあたることになる。
バロックと古典派を結ぶ重要な作曲家の一人で
残された音楽は少ないが、そのいずれもが高く評価されており
特にオペラ・ブッファと宗教音楽においては
この時代の最も重要な作曲家ということができる。
お勧め:「スターバト・マーテル」
モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」や
バッハの「マタイ受難曲」に並ぶバロック期最高の声楽曲。
ナポリ楽派は、
その後バロック期が終結し、古典派にいたってもなお
優秀な音楽家を輩出しヨーロッパのオペラ界をリードし続けた。
wrote by Au-Saga
次回は、バロック器楽
2007年10月25日
音楽史07〜バロックを準備した人々〜
音楽界におけるルネサンスからバロックへの転換は、
鬼才モンテヴェルディの登場によって行われたというのが通説となっている。
しかし時代の変革者は全てそうだが、
モンテヴェルディもあるとき突如として現れて
一人で時代を一新させたたわけではない。
それ以前に様々な人々がその登場を準備していたのだ。
バロック期を取り上げる前に、今回はつなぎ編として
ルネサンスからバロックの橋渡しをした人達を見ていこう。
《ヴェネツィア楽派》
ルネサンス期イタリアでも取り上げたため重複することになるが
やはりヴェネツィア楽派を外すわけにはいかない。
ヴェネツィア楽派はフランドル出身のヴィラールトを始祖とし、
アンドレア・ガブリエーリ、そしてその甥のジョバンニ・ガブリエーリ
と受け継がれていき、その頃に最盛期を迎えた。
その代表的な様式である複合唱や器楽の積極的な使用は
正にバロック音楽の原型ともいえる作りとなっている。
このジョバンニ・ガブリエーリの登場をもって
既にバロック時代がスタートしていたとする分類もあるほどだ。
そしてこの後、モンテヴェルディがヴェネツィア大聖堂の宮廷楽長となり
新たな輝かしい時代を作り上げていくことになる。
《マドリガーレの発達》
マドリガーレはイタリアを代表する世俗音楽であるが、その成立の
最重要人物はフランドル楽派のチプリアーノ・デ・ローレであった。
その後ローレからの流れは同じフランドル楽派のヴェルトを経て
国内に次第に浸透していき、やがて
イタリア人の作曲家も多く登場するようになった。
●ルッツァスコ・ルッツァスキ
Luzzascho Luzzaschi(1545頃-1607)
ローレの弟子であると伝えられる。極度に前衛的ではなかったが
バロック形式を先取りした作曲家の一人とみなされている。
そのマドリガーレは当時から非常に高く評価されており、
ルネサンス最大のマドリガーレ作曲家であるジェズアルドが
唯一人、強く影響を受けた人物としてルッツァスキの名を上げている。
●ジョヴァンニ・ジャコモ・ガストルディ
Giovanni Giacomo Gastoldi(1550頃-1622)
ヴェルトの後を受けてマントヴァで活躍した。
ガストルディの曲は、より世俗的な内容のものが多く、
イタリア国内だけでなくドイツやイギリスにも広く影響を及ぼした。
特にイギリスでは後にイギリス・マドリガルが成立していくが
ガストルディの曲はそれに大きく関与している。
その後マドリガーレはイタリアで最重要の音楽となり
ルネサンス後期にはマレンツィオと、そしてとりわけ
ジェズアルドによって最大の発展を遂げることになった。
そしてモンテヴェルディの登場によって、更に新たな
バロック形式によるマドリガーレが生み出されることになる。
《カメラータの登場》
カメラータは16世紀後半にフィレンツェで作られた音楽サークルである。
古代ギリシャ劇音楽の復活を目的とし、様々な研究が重ねられていった。
メンバーには知識人が集まり、かのガリレオ・ガリレイの父、
ヴィンチェンツォ・ガリレイもその一員であった。
このカメラータの研究成果によって生み出された様式がモノディ様式である。
●ジュリオ・カッチーニ
Giulio Caccini(1545頃-1618)
カメラータのメンバーで、モノディ様式最大の担い手がカッチーニであった。
モノディとは、器楽の和音伴奏に乗って語るように歌われる音楽である。
歌詞が聞き取りやすく、形式的な制限もないため表現に自由の幅があり
オペラやマドリガーレに取り入れられていった。
カッチーニのモノディ様式が結集した代表作は「アマリッリ麗し」である。
(カッチーニといえば「アヴェ・マリア」が非常に有名であるが
現在では完全に偽作であることがわかっている)
カッチーニはフィレンツェでメディチ家に仕えたが、
出世欲が強く、ライバル対する嫉妬心も非常に激しかった。
●ヤコポ・ペーリ
Jacopo Peri(1561-1633)
史上初めてオペラを作曲した人物。
1597-98年にかけて、カメラータ研究の総決算として
本格的なギリシャ劇の作成が計画され、音楽担当にペーリが選ばれた。
こうして作られた音楽劇「ダフネ」は史上初のオペラである。
残念ながらこの作品は現存していないが、
同じく1600年頃にペーリが作った「エウリディーチェ」は残っており、
これが今のところ現存する最古のオペラとなっている。
カッチーニはペーリがこの大役に抜擢されたことが相当気に入らなかったらしく、
2作目「エウリディーチェ」が作られた際には
自分も同じ題材でオペラを作曲し、ペーリよりも先に出版した。
しかもそれだけでなくペーリ側の出版の妨害までも企んだと言われている。
●エミリオ・デ・カヴァリエーリ
Emilio de Cavalieri(1550頃-1602)
オペラと並ぶ重要な形式であるオラトリオを最初に作った人物。
オラトリオは歌詞に物語性がある点でオペラと共通するが
オペラが舞台上で演技を伴うのに対し、オラトリオには演技が付かない。
最初のオラトリオ「魂と肉体の劇」は1600年頃作られており、
時期的にもオペラの誕生とほぼ一致する。
近年ではカヴァリエーリの曲は正式にはオラトリオではないとする意見が有力だが
その成立において重要な役割を担ったことに変わりはない。
カヴァリエーリもカッチーニにライバル視されてしまった人物だ。
1600年にフィレンツェでアンリ4世とマリア・デ・メディチの婚礼が催され
ペーリの「エウリディーチェ」が演奏されることになった。
その指揮者に選ばれたがカヴァリエーリだったのだが
カッチーニの妨害によってその座から引き摺り下ろされてしまった。
カッチーニの妨害話はさておき、これらモノディ、オペラ、
オラトリオといった形式は、正にバロックを代表するものであり、
彼らが先駆者として果たした歴史的役割は非常に大きい。
しかし、音楽的には、いずれも実験的な内容に過ぎず
芸術作品としての昇華には、もう少し時間が必要であった。
モノディとオペラはモンテヴェルディによって、
そしてオラトリオはカリッシミによってバロック期に花開くことになる。
《マドリガル・コメディ(音楽喜劇)》
16世紀後半に作られたマドリガル・コメディ。
マドリガーレの連作により物語性を持たせた娯楽音楽であり、
内容は軽く、気楽に楽しめる作品として作られた。
かつてはオペラの前身と捉えられていたが、
カメラータの大掛かりな取り組みとは一線を画しており、
その発祥も違うので、現在では世俗音楽の独自の発展により
生まれた作品と解釈されている。
オペラやオラトリオのようにその後大きく発展することはなかったが
この時代を代表する世俗音楽であり、ルネサンスからバロックへと
音楽が大きく変化する過程で生み出された貴重な記録であるといえる。
代表的な作曲家として
●オラツィオ・ヴェッキ Orazio Vecchi(1550-1605)
●アドリアーノ・バンキエリAdriano Banchieri(1568-1634)
などがいる。
《ローマ楽派》
これまで見てきたように、時代の移り変わりにより
新たな音楽が生み出される動きが出始めていたのだが
中には保守的な作風を頑なに守った例もあった。
教皇のお膝元であるローマでは、
大家パレストリーナの影響が根強く残っており、
いつまでもその伝統的な音楽が好まれ続けた。
そのため音楽的発展が見込まれることはなく
忠実なパレストリーナ様式の継承者が音楽を担っていった。
●マルカントニオ・インジェニエリ
Marc Antonio Ingegnieri(1547-1592)
何といってもモンテヴェルディの師として有名な人物。
しかしその音楽は、教え子のものと違って非常に保守的で
パレストリーナの音楽を更に平明にしたようなものであった。
作品も伝統的な教会音楽がほとんどである。
●グレゴリオ・アレグリ
Gregorio Allegri(1582-1652)
ローマ楽派を代表する作曲家。時代的にはむしろバロックだが、
その音楽様式からルネサンスに位置づけられることが多い。
確かにバロック音楽から見れば保守的ではあったが
それでもただ前時代の音楽を再現しただけではなく
通奏低音や合奏器楽など当時の様式も取り入れた。
最も有名な作品は「ミゼレーレ」であろう。
この曲はパレストリーナの「スターバト・マーテル」と共に
ローマのシスティナ礼拝堂以外での演奏が禁じられ、
楽譜の流通も許されなかった。したがって、
これを耳にするにはローマの礼拝に参加するしかないのだが、
1769年に少年モーツァルトがこの地を訪れた際に
この曲を二度聴いて全て覚えてしまい、この門外不出の曲を
正確に記譜してしまったというエピソードは有名である。
《ルネサンス期ドイツ》
ドイツはルネサンス期には音楽後進国であり
世界的な音楽家はまだ登場しなかった。
ドイツ音楽の発展に貢献したのは、
例に漏れずフランドル楽派であり、
特にイザークとラッススの功績は大きかった。
ルネサンス中期にはイザークの高弟であった
ルートヴィヒ・ゼンフル Ludwig Senfl(1486-1543頃)、
また後期にはラッススに師事した
レオンハルト・レヒナー Leonhard Lechner(1553-1606)、
更にはヴェネツィアに留学し、アンドレア・ガブリエリに学んだ
ハンス・レオ・ハスラー Hans Leo Hassler(1562-1612)
などがいたが、ドイツで最も注目すべき作曲家は
ミヒャエル・プレトリウスではないだろうか。
●ミヒャエル・プレトリウス
Michael Praetorius(1571-1621)
ルネサンスよりも初期バロックに位置する作曲家かもしれない。
多作家であり、ルター派プロテスタントの宗教音楽を多く作曲した。
しかしプレトリウスを最も有名にしているのは
唯一の世俗音楽である舞曲集「テレプシコード」であろう。
プレトリウスは演奏法や楽器法についての熱心な研究でも知られ
その著作は現在においても非常に重要な文献となっているが
「テレプシコード」はその研究に基づいた作品である。
wrote by Au-Saga
次回、いよいよバロック期に入る
鬼才モンテヴェルディの登場によって行われたというのが通説となっている。
しかし時代の変革者は全てそうだが、
モンテヴェルディもあるとき突如として現れて
一人で時代を一新させたたわけではない。
それ以前に様々な人々がその登場を準備していたのだ。
バロック期を取り上げる前に、今回はつなぎ編として
ルネサンスからバロックの橋渡しをした人達を見ていこう。
《ヴェネツィア楽派》
ルネサンス期イタリアでも取り上げたため重複することになるが
やはりヴェネツィア楽派を外すわけにはいかない。
ヴェネツィア楽派はフランドル出身のヴィラールトを始祖とし、
アンドレア・ガブリエーリ、そしてその甥のジョバンニ・ガブリエーリ
と受け継がれていき、その頃に最盛期を迎えた。
その代表的な様式である複合唱や器楽の積極的な使用は
正にバロック音楽の原型ともいえる作りとなっている。
このジョバンニ・ガブリエーリの登場をもって
既にバロック時代がスタートしていたとする分類もあるほどだ。
そしてこの後、モンテヴェルディがヴェネツィア大聖堂の宮廷楽長となり
新たな輝かしい時代を作り上げていくことになる。
《マドリガーレの発達》
マドリガーレはイタリアを代表する世俗音楽であるが、その成立の
最重要人物はフランドル楽派のチプリアーノ・デ・ローレであった。
その後ローレからの流れは同じフランドル楽派のヴェルトを経て
国内に次第に浸透していき、やがて
イタリア人の作曲家も多く登場するようになった。
●ルッツァスコ・ルッツァスキ
Luzzascho Luzzaschi(1545頃-1607)
ローレの弟子であると伝えられる。極度に前衛的ではなかったが
バロック形式を先取りした作曲家の一人とみなされている。
そのマドリガーレは当時から非常に高く評価されており、
ルネサンス最大のマドリガーレ作曲家であるジェズアルドが
唯一人、強く影響を受けた人物としてルッツァスキの名を上げている。
●ジョヴァンニ・ジャコモ・ガストルディ
Giovanni Giacomo Gastoldi(1550頃-1622)
ヴェルトの後を受けてマントヴァで活躍した。
ガストルディの曲は、より世俗的な内容のものが多く、
イタリア国内だけでなくドイツやイギリスにも広く影響を及ぼした。
特にイギリスでは後にイギリス・マドリガルが成立していくが
ガストルディの曲はそれに大きく関与している。
その後マドリガーレはイタリアで最重要の音楽となり
ルネサンス後期にはマレンツィオと、そしてとりわけ
ジェズアルドによって最大の発展を遂げることになった。
そしてモンテヴェルディの登場によって、更に新たな
バロック形式によるマドリガーレが生み出されることになる。
《カメラータの登場》
カメラータは16世紀後半にフィレンツェで作られた音楽サークルである。
古代ギリシャ劇音楽の復活を目的とし、様々な研究が重ねられていった。
メンバーには知識人が集まり、かのガリレオ・ガリレイの父、
ヴィンチェンツォ・ガリレイもその一員であった。
このカメラータの研究成果によって生み出された様式がモノディ様式である。
●ジュリオ・カッチーニ
Giulio Caccini(1545頃-1618)
カメラータのメンバーで、モノディ様式最大の担い手がカッチーニであった。
モノディとは、器楽の和音伴奏に乗って語るように歌われる音楽である。
歌詞が聞き取りやすく、形式的な制限もないため表現に自由の幅があり
オペラやマドリガーレに取り入れられていった。
カッチーニのモノディ様式が結集した代表作は「アマリッリ麗し」である。
(カッチーニといえば「アヴェ・マリア」が非常に有名であるが
現在では完全に偽作であることがわかっている)
カッチーニはフィレンツェでメディチ家に仕えたが、
出世欲が強く、ライバル対する嫉妬心も非常に激しかった。
●ヤコポ・ペーリ
Jacopo Peri(1561-1633)
史上初めてオペラを作曲した人物。
1597-98年にかけて、カメラータ研究の総決算として
本格的なギリシャ劇の作成が計画され、音楽担当にペーリが選ばれた。
こうして作られた音楽劇「ダフネ」は史上初のオペラである。
残念ながらこの作品は現存していないが、
同じく1600年頃にペーリが作った「エウリディーチェ」は残っており、
これが今のところ現存する最古のオペラとなっている。
カッチーニはペーリがこの大役に抜擢されたことが相当気に入らなかったらしく、
2作目「エウリディーチェ」が作られた際には
自分も同じ題材でオペラを作曲し、ペーリよりも先に出版した。
しかもそれだけでなくペーリ側の出版の妨害までも企んだと言われている。
●エミリオ・デ・カヴァリエーリ
Emilio de Cavalieri(1550頃-1602)
オペラと並ぶ重要な形式であるオラトリオを最初に作った人物。
オラトリオは歌詞に物語性がある点でオペラと共通するが
オペラが舞台上で演技を伴うのに対し、オラトリオには演技が付かない。
最初のオラトリオ「魂と肉体の劇」は1600年頃作られており、
時期的にもオペラの誕生とほぼ一致する。
近年ではカヴァリエーリの曲は正式にはオラトリオではないとする意見が有力だが
その成立において重要な役割を担ったことに変わりはない。
カヴァリエーリもカッチーニにライバル視されてしまった人物だ。
1600年にフィレンツェでアンリ4世とマリア・デ・メディチの婚礼が催され
ペーリの「エウリディーチェ」が演奏されることになった。
その指揮者に選ばれたがカヴァリエーリだったのだが
カッチーニの妨害によってその座から引き摺り下ろされてしまった。
カッチーニの妨害話はさておき、これらモノディ、オペラ、
オラトリオといった形式は、正にバロックを代表するものであり、
彼らが先駆者として果たした歴史的役割は非常に大きい。
しかし、音楽的には、いずれも実験的な内容に過ぎず
芸術作品としての昇華には、もう少し時間が必要であった。
モノディとオペラはモンテヴェルディによって、
そしてオラトリオはカリッシミによってバロック期に花開くことになる。
《マドリガル・コメディ(音楽喜劇)》
16世紀後半に作られたマドリガル・コメディ。
マドリガーレの連作により物語性を持たせた娯楽音楽であり、
内容は軽く、気楽に楽しめる作品として作られた。
かつてはオペラの前身と捉えられていたが、
カメラータの大掛かりな取り組みとは一線を画しており、
その発祥も違うので、現在では世俗音楽の独自の発展により
生まれた作品と解釈されている。
オペラやオラトリオのようにその後大きく発展することはなかったが
この時代を代表する世俗音楽であり、ルネサンスからバロックへと
音楽が大きく変化する過程で生み出された貴重な記録であるといえる。
代表的な作曲家として
●オラツィオ・ヴェッキ Orazio Vecchi(1550-1605)
●アドリアーノ・バンキエリAdriano Banchieri(1568-1634)
などがいる。
《ローマ楽派》
これまで見てきたように、時代の移り変わりにより
新たな音楽が生み出される動きが出始めていたのだが
中には保守的な作風を頑なに守った例もあった。
教皇のお膝元であるローマでは、
大家パレストリーナの影響が根強く残っており、
いつまでもその伝統的な音楽が好まれ続けた。
そのため音楽的発展が見込まれることはなく
忠実なパレストリーナ様式の継承者が音楽を担っていった。
●マルカントニオ・インジェニエリ
Marc Antonio Ingegnieri(1547-1592)
何といってもモンテヴェルディの師として有名な人物。
しかしその音楽は、教え子のものと違って非常に保守的で
パレストリーナの音楽を更に平明にしたようなものであった。
作品も伝統的な教会音楽がほとんどである。
●グレゴリオ・アレグリ
Gregorio Allegri(1582-1652)
ローマ楽派を代表する作曲家。時代的にはむしろバロックだが、
その音楽様式からルネサンスに位置づけられることが多い。
確かにバロック音楽から見れば保守的ではあったが
それでもただ前時代の音楽を再現しただけではなく
通奏低音や合奏器楽など当時の様式も取り入れた。
最も有名な作品は「ミゼレーレ」であろう。
この曲はパレストリーナの「スターバト・マーテル」と共に
ローマのシスティナ礼拝堂以外での演奏が禁じられ、
楽譜の流通も許されなかった。したがって、
これを耳にするにはローマの礼拝に参加するしかないのだが、
1769年に少年モーツァルトがこの地を訪れた際に
この曲を二度聴いて全て覚えてしまい、この門外不出の曲を
正確に記譜してしまったというエピソードは有名である。
《ルネサンス期ドイツ》
ドイツはルネサンス期には音楽後進国であり
世界的な音楽家はまだ登場しなかった。
ドイツ音楽の発展に貢献したのは、
例に漏れずフランドル楽派であり、
特にイザークとラッススの功績は大きかった。
ルネサンス中期にはイザークの高弟であった
ルートヴィヒ・ゼンフル Ludwig Senfl(1486-1543頃)、
また後期にはラッススに師事した
レオンハルト・レヒナー Leonhard Lechner(1553-1606)、
更にはヴェネツィアに留学し、アンドレア・ガブリエリに学んだ
ハンス・レオ・ハスラー Hans Leo Hassler(1562-1612)
などがいたが、ドイツで最も注目すべき作曲家は
ミヒャエル・プレトリウスではないだろうか。
●ミヒャエル・プレトリウス
Michael Praetorius(1571-1621)
ルネサンスよりも初期バロックに位置する作曲家かもしれない。
多作家であり、ルター派プロテスタントの宗教音楽を多く作曲した。
しかしプレトリウスを最も有名にしているのは
唯一の世俗音楽である舞曲集「テレプシコード」であろう。
プレトリウスは演奏法や楽器法についての熱心な研究でも知られ
その著作は現在においても非常に重要な文献となっているが
「テレプシコード」はその研究に基づいた作品である。
wrote by Au-Saga
次回、いよいよバロック期に入る
2007年10月16日
連載再開
音楽史シリーズ久しぶりに更新しました。
今回はルネサンスの最終回、イギリス編です。
バロックもついでに扱ってしまったので結構な量になりました。
ルネサンスの途中で中断したままになっていましたが
これでひとまずルネサンス期が完結できたことになります。
因みに今回の更新のついでに
前回のスペインも一部修正しております。
http://blog.livedoor.jp/antonio_salieri/archives/54418973.html
オルガンの大家であったカベソンを追加しました。
最初に書いたときはカベソンをどうするか迷いました。
スペインの器楽はたしかに重要なのですが
取り敢えず3大家だけを扱えばいいのではないかと思い
その時は外すことにしました。しかしその後
ジョルディ・サヴァールによるカベソンアルバムを聴いて、
これは取り上げておかねばなるまいと気が変わったのでした。
※聴いたのはサヴァールのスペイン古楽8枚組という
普通はあまり手が出ない大アルバム。
その中の1枚がカベソン作品集だった。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/808942
こんな感じで今後も修正や再編集が発生することもありますが
ひとまず次からはバロック期に入っていきます。
今回はルネサンスの最終回、イギリス編です。
バロックもついでに扱ってしまったので結構な量になりました。
ルネサンスの途中で中断したままになっていましたが
これでひとまずルネサンス期が完結できたことになります。
因みに今回の更新のついでに
前回のスペインも一部修正しております。
http://blog.livedoor.jp/antonio_salieri/archives/54418973.html
オルガンの大家であったカベソンを追加しました。
最初に書いたときはカベソンをどうするか迷いました。
スペインの器楽はたしかに重要なのですが
取り敢えず3大家だけを扱えばいいのではないかと思い
その時は外すことにしました。しかしその後
ジョルディ・サヴァールによるカベソンアルバムを聴いて、
これは取り上げておかねばなるまいと気が変わったのでした。
※聴いたのはサヴァールのスペイン古楽8枚組という
普通はあまり手が出ない大アルバム。
その中の1枚がカベソン作品集だった。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/808942
こんな感じで今後も修正や再編集が発生することもありますが
ひとまず次からはバロック期に入っていきます。

