2013年09月08日

東京オリンピック

ついにというか決まりました。
まずは招致委員の方には敬意を表します。

でも私の天邪鬼な性格から言うと華やかなものほど
そこの裏や影といった部分には我々には計り知れぬ
深い闇があって、実際にはその闇を文字通り
暗躍したところがこういうものを勝ち得るんだと思うんですよ。
それと安倍総理の福島は心配ないっていう発言も
どこか額面通り受け取ることができないし。

まあ、そんなことを考えつつも世界から見れば
これほど国土が狭いながら四季があり
インフラが整っていて、治安や運営の面で不安がないから
56年の間に夏冬4回も開催できるんでしょう。
そこに関しては本気で誇りには思いたい。


しかし7年後ってオレ51歳やん(爆笑)
どうなってるのか今から怖いよ、マジで。





anyoshi1969 at 17:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年08月26日

忘れてないよ

26日で親しかった友人が亡くなって6年。
毎度ながら早いもんだと思う。

今年は父と祖母が亡くなっているが
決して友人の死が上書きされることはない。
そろそろ墓参りいかんとな。



PS
亡き人を偲ぶ書き込みが続いたけど
次回からは通常運転の予定。
ただし次回がいつかは不明(笑)


anyoshi1969 at 23:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年05月03日

近況

お久しぶりです。

かなり間が空いてしまったので、何から書き出していいのか分からいけど
とても大きなことが2つあったのでそのことだけを。

ひとつめ。
2月6日に父が亡くなった。
父への思いはここに書ききれるものじゃないんで書かない。
3年前に癌と診断され、手術で一度は良くなったものの一昨年再発。
そして昨年10月に余命3ヶ月を告げられた。
それから連絡をとる度、会う度ごとに弱っていく父を見るのは本当に辛かった。
その間に父の希望で行った家族旅行もそんな状況だから
心から楽しめるものじゃなかった。

そして2月6日、自分は仕事のために旅立ちを看取ることはできなかったけど
家族に聞けば、その時は孫に手を握ってもらいながら迎えたそうで
すごく幸せな旅立ちだったと聞いた。
なくなってから葬儀が終わるまでの4日間は自分の人生で
最も密度の濃いものだった。
喪主であるのに何もできない自分を、親類の方たちからアドバイスを戴き
なんとか無事に父を見送ることができた。
こういうことは生前、父が義理を通してくれていたからだと聞いて
改めて父に感謝もした。
そして今月12日に百ヶ日法要で納骨を済ませれば、父も先祖に帰り
我々もひと安心できるところまで来たんだが・・・。


ふたつめ
4月30日、父の後を追うように祖母が亡くなった。
入院中の祖母はその日の朝、転倒しその後容態が急変して亡くなった。
晩年の祖母は10年以上、病院や施設への出入りを繰り返していた。
昨年末、肺に水がたまり家族にも危険な状態であることが告げられた。
もしや父と重なるのではと思い、家族とも最悪のことを想定した
話し合いをしたりもしたが、その後祖母は持ち直し、施設に戻る
タイミングを見ていた矢先だった。

父の遺言で家族葬という形をとったので、同じく喪主を務めることになった自分も、それに家族も父の時と比較すれば
負担は減ったけど、わずか3ヶ月のあいだに身内を2人も見送ることになった
精神的な疲労は家族全体を見ても大きかった。


やはりいろんな意味で父の存在は大きく、先日は父がいれば起こって
いなかったであろうこともあった。
それにこれからは、どうしても家族を最優先に考えた決定をしたり
金銭面の管理をしなければいけなくなるので、やはり相当な覚悟を持って
やっていかなければならないので、そう言った面でも
父親の偉大さを痛感している。
まあ、いままで何も考えずにやってきた自分が悪いので、覚悟決めて
やっていきます。


anyoshi1969 at 21:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年09月18日

パワーメタル

メジャーデビュー前に何枚かアルバム出してるのは
知られてるところだけど、これのクオリティがハンパない。
どっかのレーベル、復刻してよ。



anyoshi1969 at 10:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年08月26日

5年たった

サボってました。
いやー、5ヶ月も空いてしまった。
ぶっちゃけ、ツイッターをやり始めてからというもの
それで事足りちゃってるところもあるのと、
なかなか長文を書く気力がないのが重なってしまいこうなった次第。

でも絶対にこの日だけは忘れちゃいかん。
8月26日、後輩であり友人であったアイツが亡くなって5年たった。
しかしあの日を基準にしてしまうと何もかも早く感じるんだよな。
さすがに5年も経つと、日々アイツのことを思い出すこともなくなったが
思い出すと寂しく感じるし、今までの5年間、そしてこれから自分が
あっちの世界に行くまでは会うこともないと考えると虚無感は募る。

あいつがあのまま生きてれば、何を話したんだろうと考えたくもなるけど
考えてしまうとあっちで再開した時の楽しみがなくなるんで止めとく。



次の更新はいつになるかな。
なにぶん気まぐれなんでご容赦を。

anyoshi1969 at 00:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年03月27日

ライブが中止に

今日、名古屋のクラブクアトロで観る予定だったMy morning jacketの
ライブが急遽中止になった。

中止を知ったときはすでに名古屋にいて遅めの昼飯を食ってた。
そこで携帯が鳴る。当然のごとく職場からだと思ったが全く知らない番号。
ただ、052の市外局番だったんで名古屋からなのはわかったが
とにかく知らない番号なんで一度スルー。
しかし直後にまたかかってくる。
さすがに気になったので、その番号でググる。
そこでチケットぴあからだと分かった。まずそこで嫌な予感。
で、留守電が残ってて再生をするが途中で切れている。
でもここで予感は確信に変わる
クワトロのHPを見るとやはり「公演中止のお知らせ」が。
自分のスマホからだとなぜかリンク先が見れず理由がわからんかったが。
帰ってから見るとヴォーカルがのどを痛めたそう。

この理由が本当だとするなら、体調管理は
ちゃんとしてるんだろうかという疑問もわくし、
遠方から泊りで来てる人もいるかもしれないことを考えると
もっと早い決断はできなかったのかとも思ってしまう。
実際に自分もすでに名古屋にいたわけだし。

過去に数回、公演中止の経験はしてるが開場まであと数時間いう
状況は今回が初だし、今後もそうそうないことと思いたい。
ただアーチストの体調が回復すればその後も東京公演は行うそうで
もしそうなれば結局名古屋だけが損をする話なわけだ。
その場合は名古屋公演のチケットは東京でも使うことができるそうだが
そんな簡単に予定変えれたり、費用捻出できたりしたら世話ないっすよ。

でも音楽に罪はない。


anyoshi1969 at 21:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年03月25日

おひさしぶり

3か月もサボってしまった。
皆さん、あけましておめでとうございます(笑)

ここまであけてしまうと何を書いていいかわからなくなってたところで、
思い出したように音楽ネタやスポーツネタを書くのも変な感じだと思ってた。

でも昨日職場のメンバーが仕事終わりに誕生会を開いてくれた。
齢43にもなって誕生会を開いてくれることのありがたさもさることながら
たくさんのプレゼントや30何年ぶりかのバースデーケーキを用意してくれたりとか
月並みな言葉でしか表現できんけど、本当にありがとうと言う感謝の言葉に尽きる。
ただ、そんなプレゼントより嬉しかったのは「3月11日って去年あんなことに
なってしまったけど安藤さんの誕生日なんで少し気分が明るくなれる」と
言ってくれたこと。
3月11日はあの大震災の日でもあり、自分の誕生日でもある。
その事実は未来永劫変わらないわけで、その意味でこのスタッフの一言は
自分にとっては救いのあるものになった。

改めてスタッフの皆には感謝です。
これからもよろしくお願いします。



anyoshi1969 at 21:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年12月31日

年の瀬に

更新、えらく滞って申し訳ないです。

毎年言ってるようなことですが、今年一年色々とありました。
自分のように平々凡々と生きてる者にとっても
考えさせられることが多くありました。
「年忘れ」なる言葉がありますが、決して忘れてはいけない年となりました。

そんな一年でしたが、このブログをいつも見ていただいてる方も、
通りすがりの方も、どちらでもない方も、つつがなく2012年が過ごせるよう
お祈りしています。

今年一年ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

anyoshi1969 at 21:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年11月10日

1991年のロックンロール

1991年と言えば近代史的には「バブル崩壊」の年として認識されてると思う。
私的には学生気分が抜けないまま社会人になった年で、
まあ、あれから20年もたったのかと今更ながら遠い過去になったもんだと
思いに耽ってしまう。

そんな20年前の1991年、自分を取り巻く環境が変わったこともあり
あの年にリリースされたアルバムを聴くときに思い浮かべる脳内風景は
それ以前の学生時代のものとは一変することになった。
それに1991年リリースで思い出す4枚のアルバムは、どれもよく知られた
アルバムではあるけれど、あの頃を振り返るときは必ずセットで思い出すものだ。

ニルヴァーナの「Nevermind」は普通にいいアルバムとして聴いていた。
全米1位なったことでカート・コバーンのインタビューがBurrn!にも
取り上げられてた記憶がある。そう、Burrn!に取り上げられてたんですよ、
ニルヴァーナもパール・ジャムも。
今ではオルタナティブの代名詞になってる「Nevermind」だけど
当時はそんな認識など全くなく、先に述べたとおりいい曲が揃っているアルバムとして
聴いていた。同時期に出たパール・ジャムのデビューアルバムはロクに聴かないまま
実家のラックに突っ込んであるし、アリス・イン・チェインズはメタルとして
聴いてたし、ダイナソーjrやソニック・ユースのアルバムなんてかなり経ってから
買ったし、自分にとってのオルタナティブって結局はその程度のものだった。
でもこの「Nevermind」だけはやたら聴いたのは楽曲の良さ以外にない。
ニルヴァーナのセールス的にもこのアルバムだけ突出してるのは、アルバムの
完成度としてであり、ジャンルにこだわったものだはないと思ってる。
それにしても歴史を変えるアルバムってリリース当初はその位置づけが分からず
「ニルヴァーナはメタルか否か」なんて今じゃ笑ってしまうような
議論まで起こったりして、時を経て初めてそのアルバムの影響や全体像が
見えてくるんだと学ばせてくれた自分にとって意義深い1枚。

ガンズ・アンド・ローゼズの「Use your illusion」の1と2は2枚組ではなく
1枚ものが2枚同時にリリースというこれ以外には記憶にないフォーマットだった。
前作Appetite for destructionは何だかわからないけど物凄いパワーとエネルギーに満ちた
アルバムだった。それと比較すればそこの部分は薄れたものの依然完成度は高く
危険な匂いも感じるものだった。何よりこういったフォーマットでのリリースは
賛否両論の議論が巻き起こることになり、そこがガンズらしくもあった。
一部では曲をセレクションして1枚物にすればまとまったいいアルバムに
なるんじゃないかって意見もあったようだが危険も物議もかもさないガンズなんて
面白くもなんともない。次のアルバムは17年のブランクを挟んでのものだったけど
その「Chinese democracy」は見事に完成度からも物議からも時代からも
見放されたものだった。
裸の王様になったアクセルにUse your illusionと言いたくなるのは自分だけじゃないはず。

メタリカのセルフタイトルを冠した通称ブラックアルバムはその後の
ヘヴィ・ロックの流れを変えた1枚になった。
さらにこのアルバムに加えて90年と92年にリリースされたパンテラのアルバムが
90年代以降のヘヴィミュージックの方向性を示すものになった。
80年代から存在する既存のメタルバンドの殆どは、この方向性に追随し
アイデンティティを放棄したとみなされ、結局はファンが離れていった。
しかし当初は唾棄すべき存在に思われてたそれらのバンドであったが、
今これらのアルバムを聴いてみると、現在では充分に聴ける物になっていることがわかる。
でも皮肉なことにブラックアルバムで自らが作り出した流れにメタリカ自身が飲み込まれていく。
メタリカがやっていること、もしくはやりたいことをメタリカ以上に上手くやる
チルドレンたちが後のシーンを形成することになる。
それを考えるとこのブラックアルバムが果たした役割は、それまでが密教的音楽だった
ヘヴィ・メタルをヘヴィロックやヘヴィミュージック、ラウドロックといった言葉に置き換えさせ
広義的に拡散させていくものだったように思う。
一部の熱心なファンしか聴かないものを、一般のリスナーが普通にチョイスできる
音楽にし、裾野を広めた功績は計り知れない。
ただ、メタリカの場合、80年代に出した4枚のアルバムが全てメタル史に
残るものであったため、ブラックアルバム以降の流れが受け入れにくかったファンも
多いと思う。富と名声を得たのと引換えに、牙を抜かれてしまったと感じたのは
自分だけじゃないはずだ。

皆がロックに求めるものってとどのつまりは毒か薬のどちらかで、ここに取り上げたものが
そのどちらなのかは聴き手の判断になるが、ひとつ言えるのはここに取り上げたいずれも
効果も副作用も強いものだということだ。中毒性という言葉に置き換えていいかもしれない。
でもそういうアルバムでなければロック史に残るものにはならない。
Listen or die


anyoshi1969 at 02:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年10月07日

F1行ってきた

今日は朝4時半に起床。6時に家を出る。

今回は職場の同僚と同行。
ちょうど9時頃にサーキットに到着。
同僚が写真を撮るので、まずは撮影スポットの一つS字へ。
S字に行くのは91年以来、20年ぶり。
当時の記憶と照らし合わせて思ったのは、マシンの走行ラインが
本当にコンパクトになったこと。
20年前はもっとコース幅いっぱいに使ってた気がする。
まあ、F1の世界で今と当時を比べること自体が意味の無いことかもしれないが
比較する記憶がそれしかないもんで、お許しを。

セッション中に撮影に没頭する同僚を残しメインスタンド側に戻る。
グッズ売り場を見て歩くものの、マシンの展示は一切なし。
コストの問題とか色々あるんだろうけど、これは純粋に寂しい。
グッズはプログラムとルノーの売り場でクビサのキャップを買う。
クビサは欠場してるにもかかわらず売っていて嬉しかったけど
よく見れば2010年仕様。道理で他のものと比べて安かったわけだ。
でもデザインはカッコイイし、クビサには早く復帰してほしいので
応援の意味でも購入。

午後のセッションは同僚が行ってみたいと言ったのでバックストレートへ。
バックストレートに行くのは初めて。
分かったことは130Rを見ると結構な角度で曲がってる。
あそこに300kmで飛び込んでいくマシンのポテンシャルと
ドライバーの度胸は、まさに狂気の沙汰(褒め言葉ね)だ。

撮影がうまくいかなかったらしく、すぐにバックストレートを離れてヘアピン側へ。
ちなみにヘアピン側とバックストレートを繋ぐ階段と通路はハイキングコースみたいだった。
その後、同僚はヘアピンへ、自分は130Rへ。
130Rは最もダウンフォースが発生するコーナーらしく
各マシンのボトミングの違いが見られて面白かった。
一番顕著に見られたのはメルセデス。タイヤに負担のかかるマシンだとは
言われてるけどその一端を垣間見た気がした。

今回、同僚のおかげでいろんなところがまわれて興味深い経験ができた。
F1が鈴鹿に戻ってきてから、来場者数が明らかに減ってたけど
この金曜日はかなり戻ってきている印象があった。
でも2年前に自分が座った仮設のRスタンドは今回はなかったりと
本当にどの程度戻ってきてるかは、決勝が終わってみないと分からないけど。

この日本GPはチャンピオン決定の場となる可能性が高く、
小林可夢偉への期待もあって、かなり盛り上がることだと思う。
これからも鈴鹿でF1開催を継続するためには、この「盛り上げり」は
必須だと思うので、土日に行かれる方はぜひ盛り上がってください。

2年前と同じく、鈴鹿市のオーガナイズは良かったです。
残念なのは近鉄白子駅前の様子が年々寂しくなっていくこと。
鈴鹿を訪れる度に感じるのは自治体運営の難しさ。
でもいろんな人がイキイキしていて、微々たるものだけど少しでも
お金を使って行こうという気にさせられるし、また訪れたいと思わせてくれる
鈴鹿のみなさんには心から敬意を表します。
I LOVE 鈴鹿!!



anyoshi1969 at 22:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)