「クハ103−1」と「クハ103−2」が47年間の長い歴史にとうとう幕をおろしました・・・。
昭和38年5月28日山手線に新製配置されて昭和46年4月20日京浜東北線へ。
そしてヤテ・ケトATC化に伴い関西へ。
先頭コンビは解消し1番は昭和51年4月6日森ノ宮で。
2番は昭和51年11月8日鳳(後に日根野)→平成6年3月31日淀川(オレンジ)→平成8年6月11日宮原(スカイブルー→カナリア)→平成17年3月31日日根野と関西の地を駆け巡りました。
そして2007年に環状線への201系投入にともない、クハ103−1が阪和線へ転属。
ここで約30年ぶりにクハ103−2と編成コンビ復活をとげ阪和線の地で新製当時のコンビの2番と晩年をすごしました。
外観・車内は特にJR西日本標準の103系と変わりないが1番は国鉄時代に「特別保全工事」を施工。そのほか国鉄ではシールドビーム化。JR西日本に入ってからは1番2番は戸袋窓・妻面窓閉鎖・前面鉄支持化を行っている。
阪和線での最後の活躍は4年となり。
実質的には新型車両225系に運用を譲ることになりました。
3月9日。
阪和線での運用を離脱し森ノ宮へ回送。
一般客の人たちも深夜にカメラを構える姿にものめずらしさを覚え携帯撮影している人もいました。
そして翌日。
学校が短縮授業だったこともあり野田駅へクハ103−1、2編成の吹田廃車回送を撮影しました・・・。
最後の姿を見ることが出来ました。
47年間ありがとう。クハ103−1、2。
昭和38年5月28日山手線に新製配置されて昭和46年4月20日京浜東北線へ。
そしてヤテ・ケトATC化に伴い関西へ。
先頭コンビは解消し1番は昭和51年4月6日森ノ宮で。
2番は昭和51年11月8日鳳(後に日根野)→平成6年3月31日淀川(オレンジ)→平成8年6月11日宮原(スカイブルー→カナリア)→平成17年3月31日日根野と関西の地を駆け巡りました。
そして2007年に環状線への201系投入にともない、クハ103−1が阪和線へ転属。
ここで約30年ぶりにクハ103−2と編成コンビ復活をとげ阪和線の地で新製当時のコンビの2番と晩年をすごしました。
外観・車内は特にJR西日本標準の103系と変わりないが1番は国鉄時代に「特別保全工事」を施工。そのほか国鉄ではシールドビーム化。JR西日本に入ってからは1番2番は戸袋窓・妻面窓閉鎖・前面鉄支持化を行っている。
阪和線での最後の活躍は4年となり。
実質的には新型車両225系に運用を譲ることになりました。
3月9日。
阪和線での運用を離脱し森ノ宮へ回送。
一般客の人たちも深夜にカメラを構える姿にものめずらしさを覚え携帯撮影している人もいました。
そして翌日。
学校が短縮授業だったこともあり野田駅へクハ103−1、2編成の吹田廃車回送を撮影しました・・・。
最後の姿を見ることが出来ました。
47年間ありがとう。クハ103−1、2。