2016年11月29日

ライブスケジュール11-12月

2016年の11月末〜12月ライブスケジュール更新しました。これから増えたり確定したりする予定や詳細についてはその都度アップしていきますのでどうぞチェックしてください。予定の急な変更などもありえますので、念のため会場等にご確認の上、ぜひお運びください!

11/30(水)−12/1(木)お話とソロ演奏
西南学院大学フォーカスウィーク
【福岡西新・西南学院大学チャペル】

12/2(金)いのちのうたデュオ w/中島由紀子(ピアノ)
西南学院大学クリスマスコンサート
【福岡西新・西南学院大学チャペル】
17時半開場、18時開演。入場無料、熊本大分震災募金あり。

12/3(土)ソロ
【福岡・ベタニヤ村教会】092-841-0198
福岡市早良区南庄5丁目4-37
13時〜14時半 入場無料

12/4(日)デュオw/長沢哲(drs)
寝屋川ジャムライブ
【北九州八幡・デルソル】093-662-2013
北九州市八幡東区前田3-10-26
open 19:30 start 20:00 charge ¥2,000+order
出演:寝屋川ジャム(ルイ・リロイ・guitar、石原雄治 ・drums)、長沢哲(drums)、谷本仰

12/8(木)ソロダイヤローグス
【福岡糸島Green Chord】福岡県糸島市二丈武581 092-332-9386。
start19:30、2000円

12/18(日)いのちのうたデュオw/中島由紀子(ピアノ)
クリスマスコンサート
【南小倉バプテスト教会】093-571-5072
北九州市小倉北区弁天町11-19
15時〜。入場無料、ホームレス支援募金あり。

12/25(日)トリオ・ロス・ファンダンゴス
ミロンガ
【福岡天神・ティエンポ】092-762-4100
福岡市中央区大名1-15-11 Daimyo11511ビル 3F
19時ミロンガ開始、非会員: 2,300円| T.I.会員: 2,000円(フードチケット500円付き)
※ダンスショウ パメラ&カルロス

12/29(木)ソロダイヤローグス
【北九州八幡・デルソル】093-662-2013
北九州市八幡東区前田3-10-26
19時半〜、2000円(別途要オーダー)

  
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2016年11月28日

ソロダイヤローグス、久しぶりのエンゲル(11/27)

西小倉エンゲル。前回のライブからちょうど二年くらい。ひさしぶりの、この空間。
奥の天井の高いところでやるイメージだったのだけれど、客席が寒いということで手前のスペースに変更。イメージなんて結局そんなもんです。いいの、いいの。
ここでは隣近所の住宅がすぐ近くで、防音も十分ではないので、控えめに。風がゆらすシャッター、通り過ぎる電車、そして柱時計のコチコチ…。流れ込み、響き、ささやくそうした音たちとの対話が、ここでやる楽しみ。静けさが、いいんだなあ、と改めて、ますます。
うん、また、遠くないうちに、ぜひここで。

来月のソロは12/8福岡は糸島のGreen chord、そして12/29(木)、八幡デルソルにて。  
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2016年11月23日

12/8は糸島グリーンコードにてソロ!

12/8は糸島グリーンコードにて初めてのソロ。さてどうなりますことやら。どうぞ宜しければおいでください。チラシはまたもや手書きです。11/27エンゲルのと似てますが、違います。結局早い、自由、楽しい。手書き万歳。

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2016年11月13日

11/27は小倉のエンゲルにてソロダイヤローグス!

ソロCD「谷本仰Solo Dialogues」を出してから一年が過ぎて、一年半が過ぎて、いつしか新しいほうへと。そういうもんですな、生きるってことは。どんどん、ね。今がそのとき!Ahora que es la hora! 11/27(日)、最新のソロダイヤローグス、お楽しみに。天井が高い、元鉄工所のエンゲルでのソロ、そして外のモノオトとの対話も楽しいここでの演奏、自分自身も楽しみです。あ、ごはんもおいしいです。お腹をすかせてどうぞ。あ、手書きのチラシ作りました。原稿を手書きしてコピーしたあとで、やっぱりどうしてもしたくなって、一枚一枚ほんのちょっとだけ手書きしました。あははのは。これが性にあってるようです。

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2016年11月12日

負けてたまるか (2016年11月13日・南小倉バプテスト教会週報より)

 アメリカ大統領選挙の結果、共和党候補のドナルド・トランプが民主党候補ヒラリー・クリントンを破って、第四五代大統領に就任することが決まった。
 トランプ氏はこれまで外国人や女性、イスラム教徒などへの露骨で悪質なヘイトスピーチを繰り返してきた。そんな彼が勝ったのは、彼が白人中産階級労働者層の、自分たちがまともに扱われていないという不満を吸い上げたためだともいわれているのだが、ほんとうにそうだろうか。
 投票率は48.62%と過去最低。オバマ氏が2008年に大統領に選出されたときの投票率57.1%から大きく低下。選挙への関心や参加度が最低に下がった中でのトランプ選出。これまで以上に人々が動いたようには見えない。むしろ動きは鈍ったのだ。それはアメリカにおいても民主主義のシステムそのものが力や魅力を失い、衰退し、もはやまともな政治など期待できないと人々が感じていることの表れではないか。対話し、議論を尽くし、共に考えて選択し、結果を共に引き受ける。人間や社会に対する信頼を大前提にしたこのやりかたに対する幻滅や諦めがアメリカを決定的に覆い始めている。だからこそ感情的で、大袈裟で、大衆受けし、攻撃的で目立つ発言を繰り返すポピュリストの存在感が増す。そしていわばこの水位の低下に伴って、アメリカ社会が抱えてきた差別や分断の現実が水面に顔を出したのではないか。選挙結果が出た直後から、アメリカ各地で、ヘイトスピーチや差別落書き、性的少数者や有色人種、障がい者、外国人等への露骨なハラスメントや暴力が次々に堰を切ったように発生し始めているのはその証左ではないか。新しく選ばれた次期大統領を認めない、というデモが既に米全土に広がりつつあるという、かつてなかった事態も。
 他人事ではない。日本はどうか。この国の首相や政権は。政治家たちは。この社会は、人々は、わたしたちは。諦めていないか。絶望に飲み込まれていっていないか。希望の水位が下がっていないか。対話を諦めていないか。人間を貶める言葉に道を譲っていないか。弱者や少数者への暴力や脅しを見過ごしていないか。傷ついた者たちを、そしてお互いに励まし勇気づけあう「良質な言葉」を大切にしているか。
 アメリカでは今、安全ピンをブローチのように衣服につける人が増えているという。それは社会を覆いつつある人間への憎悪や嫌悪、暴力、排除への否、そして差別にさらされている人々への連帯と「安全」を無言で示すサインとして、EU離脱の国民投票後にヘイトクライムが増加したイギリスで、一人のアメリカ人女性が提言した運動。
 小さくても、人間らしさを示す具体的な発言や行動、姿勢や態度が、そして未来への信頼が、希望が、今、世界中で必要とされているのだ。負けてたまるか。
  
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2016年10月28日

いのちのうたデュオ、西南学院大学クリスマスコンサート!

あらためて、一緒にやりはじめて23年かそこら経つこのデュオが今、面白い。10/22の久しぶりのライブ以来、その感覚が日増しに強くなる。もっと、もっと。そしてこのタイミングで西南学院大学クリスマスコンサート、とても楽しみ。

追いやられし者らの
闇、穿ち照らす
あの産声
つきあがれ
アンテナの如く天にむかって

だから、希望を。
いのちのうたを。

12/2、西南学院大学クリスマスコンサート。歌・ヴァイオリン谷本仰、ピアノ中島由紀子。18時開演、入場無料、震災支援募金あり。161026xmas  
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2016年10月26日

初・糸島 Green chord 20161024

このところデュオをやる機会が増えたギター波多江崇之さんとのインプロデュオ、初めての糸島Green chordにて。波多江さんはこの場所でつい先だって新しいCDの録音を終えたばかり。会心の出来だと言う。楽しみだ。
たしかにええ感じの空間、やわらかい響き。開演前に食べたかったカレーが売り切れてて残念。あ、ドリアもおいしかったけど。
この夜も、自分も思いもよらなかった演奏、聴いたことのない音と出会って笑ったり驚いたり。まあ、逆にこれをやったら面白いかも、と事前に考えたことがやってみてそうでもなかったり。こればっかりはやってみないとしかたがないのでしかたがない。
一部の途中、店主のこどもがジャンベを叩き始めてそれが結構面白かったのも面白かった。どうやら自由にやってるらしい、それなら今だ!とわかって狙いすまして入ってきた感じ。そしてすっと出て行ったのがまた粋。やりはじめると終わらない終われない、音を途切れさせることができない、聴いてない、関係ない、そういうのが即興においてはしばしばありがちだけど、彼は違ったねえ、見習わなくちゃねえ、なんて笑ったりした休憩時間をはさんで二部は色んな展開がさらにめまぐるしく入れ替わって楽しい。
また来たい糸島Green chord。ソロもさせてもらえるかなあ。あ、次はカレー食おう。
スピード上がりつつあるこのデュオ、そして新しいことも考え中。
次回は11/10、中洲リバーサイドにて。
  
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2016年10月25日

久しぶりの「いのちのうたデュオ」20161022

何年ぶりかの、いのちのうたデュオライブ。学校や市民センターや、そういうところにあちこち招かれてのコンサートは色々やっているのだけれど、自分たちで主催してのライブハウス公演が、ほんとうに久しぶり。

このデュオがスタートしたのはたぶん1993年かそのころだからもう23年もやってることになる。歳もとるはずだなあ。中島由紀子曰く、「23年の間に3回か4回かしかライブやってないと思う…。」そんなことないやろ…、いやひょっとするとそうかもしれない。

「いのちのうた」というのも、ある小学校に招かれたときにそこの教員だったKさんがつけてくれたコンサートのタイトル「いのちのうたコンサート」からとった。のだと思う。それももう随分前、いつだったか。

もっと自由に。「メッセージ」よりも演奏そのものをもっと。それは「人権」「平和」「いのち」などのテーマが設定されているコンサートに招かれて、より、自分たちが主体になって、やりたいからやるライブでそれを試してみたかった、というのもあって。

当日は意外に沢山のお客さんがおいでくださってありがたい。…珍しいからね。

リハなし。マイクは立てたけれど遠くに一本だけ。歌も結局生。

自由な音。即興的で意外な展開。息。合わせる緊張感、合う面白さ。シンプルであることへの決意、スキマを生かす対話。そこに満ち、漲るもの。この間繰り返してきたソロや即興演奏でのアプローチが、これまで繰り返してきた歌たちを異化し、はっとさせられる瞬間。まったく新しい表情の、曲たち。

そうそう、立ってやったのも珍しい。このデュオでは初めてかもしれない。かつてカホンをよく使っていたのもあって、座って、がいつのまにか当たり前になっていたのだけれど、今回は。身体も、もっと自由に。踊るように、歌。

23年やってきて、新しくなれるのはうれしいこと。前進しているということ。生きてるってこと。

この夜のライブに立ち会ってくださったみなさん、どうもありがとうございました。

また自分たちのライブをせねば。4-5年に1回とかではなく、ね。近いうちに、あちこち。新しくなったこのデュオの演奏に触れて楽しんでもらえたらうれしい。どうぞお楽しみに。ほんまかいな。

ピアノのあるところならどこででもできます。古今東西のいい歌あれこれ、ますます自由なやりとりでお届けします。どうぞ宜しくお願いいたします。

次回の「いのちのうたデュオ」コンサートは12/2(金)、西南学院大学公開演奏会クリスマスコンサート。西南学院大学チャペルにて。17時半開場、18時開演。入場無料。デルソルの夜を経たこのデュオがどう出るか、楽しみ。  
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2016年10月12日

「9」Live

10/9、旧・門司服装文化学院。

写真家・亀山ののこさんの写真集「9」の写真たちのスライドショー上映に演奏をつける。
写真たちとの対話。
時に楽譜のように見えてくる写真たち。
マイルス・デイヴィスの「死刑台のエレベーター」をふと思い出したり。

こどもたちや母たちや、水俣、広島、沖縄、福島の風景や人びとの姿。
日本国憲法第9条と重ねあわされる、やさしい写真たち。

しかしそのフレームの外には、正視できないほどの惨状が広がっている。
次々に映し出されたやさしい光景の中にさえ、痛みは影を落としている。

即興演奏につなぐように「ホシハ チカニ オドル」のテーマも使う。「雨の歌」も。

つながり、ひびくこと。
わすれないこと。
ともに生きること。
ともに傷つき、死ぬこと。

********

古い学校の、木のにおい。やわらかい光、響き。
時の流れの刻印された建具、ガラス、道具たち。

みんな安心してそこに居合わせていた。

これが、もうなくなってしまうのだという。
いとおしむような、時間。

記憶の喪失。

古いものに包まれて安心するのは
歳をとって新しくなることがむずかしくなるのは

忘れること、忘れられることが
かなしくて、身に迫るからか

********

上映ライブの後、みんなの前で亀山ののこさんと言葉を交わす時間。

手渡し、手渡されることの大切さ。
知ることの力、責任。
選ばれたかのようにそこに立ち会ってしまうこと。

まだまだあったはずだけれどそんなことが話題に。

********

オシマイ

「つぎ」はあるか
生きるなら
そして終わりが始まりなら
ある、だろう。

*******

終演後ばたばた片付けて新幹線で博多へ、そして天神へ。ティエンポでのミロンガライブ。

おもしろいことに、これまでにないダイナミクスのトリオ・ロス・ファンダンゴス。いつもより各々がふと後ろへ下がる感じを意識して立体的な構造を作っていく。起伏を引き算で作る試みが何の打ち合わせもなく。

そう、どんどん新しくなっていこう。
前へ、前へ。

*******

もしかすると
それは古いものをすてることではないかもしれない。
忘れることでも。

種が芽を出すように。
やがて育つ木の枝や葉や実のひとつひとつ
細胞のひとつひとつの中に
種は生きる
生きる

記憶され再生されて

悲しみも、傷も
懐かしいものも
生きるということの
新しいことの
これから始まることの
そのなかに
そのように

いのちは、きっと。

だから、きっと。

VIVA! VIVA!
生きろ、生きろ!  
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2016年08月31日

通る音、昔の音

弓を弦に強く当てて、えぐりこむように、弾く。「弦の中で弾きなさい。」そう子どものころ教わった弾き方。
弓を弦に強く当てないで、ふわっと、弓を走らせて弾くと弦の振幅が大きくなり、やわらかく、ふくよかで深みのある響きになるが、それに比べると弦の振動は小さくなり、レンジも狭くなる。でも強く、輪郭のはっきりした、通る音。
必然的に弓の張りは強く。
昔のレコードなどの歌手の声、ヴァイオリン弾きの音がああいう少しレンジを狭めたような声、音なのは、なぜだろう、と前から思ってきた。マイクの性能もあって、広い帯域、レンジの広い音を拾って記録したり、再生したりできなかったせいでもあるかもしれない。録音も再生も中域に固まり集まった特性。それに合わせた声、音。あるいはそこだけが残ったのかもしれない。
あるいは街の雑音騒音ノイズの中で生音で通る音、声であったからかもしれない。
そうであるなら、コルネットヴァイオリンはむしろ有効だったことになる。街の喧騒の中でも通る音。音量は小さくても。デカロが時々使ってる。
「あかーーいい りんごおに くちびいいるよおせえてええええ…。」レコード針から出るノイズの中から立ち上がる声。
かつて街を行き交っていた物売りの声も、きっと。
うるさい安居酒屋や街の食堂の店員さんは、高級レストランのウェイターのようなやわらかくふくよかな声で接客しない。
市場の八百屋さん、魚屋さんの声。
みんなそうだ、そういえば。
ミロンガ…。それ以前の「ファンダンゴ」…。ブエノスアイレスの裏通り…。
通る音…。
昔の、音…。

  
Posted by aogoomuzik at 22:25Comments(0)TrackBack(0)雑記 

CD「トリオ・ロス・ファンダンゴス6」レビュー!

月刊ラティーナ8月号にCD「6」のレビューが掲載されました。なんだかうれしい。(画像をクリックすると拡大表示されます)

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Posted by aogoomuzik at 15:52Comments(0)TrackBack(0)雑記 | 音源

2016年08月29日

長崎 Dialogue 

8/21、長崎のOHANA CAFEにてドラムスの長沢哲さんのソロ演奏に触れる。響きの中から別の声が次々に立ち上がり、歌い踊る。楽しくて思わず身を乗り出した。

長沢さん宅に泊めていただいて翌日、朝から昼過ぎまで、ご家族とのおしゃべりが楽しくて尽きない。お昼はご家族が経営している「雪の浦手作りハム」の工場・カフェへ。おいしいハムやソーセージをいただきながら長沢さんとまた話、話、話。色んな気づきやアイデアや思いつきがことばと共にどんどん出てくる。対話は、創造的。

…ひょっとして倍音が豊かに響いたり、音と音がぶつかり合ったり重なりあったりして、その間から別の声が立ち現れるような演奏は、いわば異界の声、死者の声、この世のモノならぬモノの声を現出させるものとして受け止められてきたのではないか。だからそこには宗教性や呪術性、厳かさのようなものが伴ってきたのではないか。合唱、声明、鐘、おりん…。

…昔の録音の歌謡曲の歌手の声の音の独特のレンジの狭いあの響きは、機材のせいもあるだろうけれど、音や声が通りにくい環境の中で、たとえば野外や人びとのさんざめきの中で、それでも声を通すために彼ら彼女らが身につけた発声法によるのではなかったか。街の喧騒の中でお店の売り子さんたちも、いらっしゃいませえええ、とわざと声帯を狭めて発声している。いしやーきいもおおおおーとか、ご不要になりました、古新聞古雑誌などございましたらおきがるに、…なんていうのも、決してふくよかでゆたかでやわらかな声なんか使わない。きっとそんなことしてたら商売にならないねえ。あはは。ヴァイオリンもきっとそうだったのだろうなあ。そしてまたそういうのがぶつかりあうと強い響きの「別の声」が立ち現れてくる…。ブルガリアンヴォイスとか…。

夕方、大村ロニースコッツへ。マスターが店の外に出てきてくれて手を広げてまっとったああああ!と歓迎してくれる。ちょうど一年前にソロCDを携えて九州ツアーをしたときに初めて演奏させていただいたこの店。ほんとうにありがたく、うれしい。前回のライブで出会ったお客さんが何人もまたおいでくださって、ありがたい限り。

前半・谷本仰ソロに続いて、後半は前夜とうってかわって小さなセットの長沢さんとデュオ。ふたりでそこに現れる響きそのものに深い関心を寄せながら。小音量ながらダイナミックで、ウタやオドリがあり、たのしくておごそかで、ゆらぎがあって。瞬間瞬間の響きを共に慈しむような。あっという間。

朝から言葉をやりとりしたこともこの演奏につながる大きな要素だったと思う。そういえば、2005年から翌年にかけて繰り返した「谷本仰DIALOGUES」ではまさにこれを目指したのだった。このデュオはおもしろいことになる、ような気がする。もうなってるけれど、さらに。ツアーもしたいねえ!と調子に乗って盛り上がった終演後。

さあ、どうなる?どうする?あれやこれやすでにアイデアがもくもく。今後が楽しみ、乞うご期待。

********

たとえばこんなのもある。ノルウェイのStrifenjunkoというデュオ。youtube だとこんな演奏も。

お、こんなのも。Sheriffs of nothingness というノルウェイのヴァイオリンとヴィオラのデュオ。おもしろい。  
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2016年08月20日

「生きるに値しないいのち」について ぁ20160821

●今週の一言 「生きるに値しないいのち」について ぁ 20160821)
 かつてホームレス支援活動の中で、当事者たちへのアンケート調査の結果、私たちはある重要なデータに直面した。それは、支援を受ける前よりも支援を受けた後のほうが自己有用感が下がる、というものだった。助けを受ける側ばかりに身を置くと、人間は自分が必要な存在だと感じにくくなる、ということが示されていたのだ。
 困窮し孤立状態にあった人が、支援を受けて、今度は誰かを助ける側に回ること。互いに助け助けられ合う関係性を構築していくこと。そのことの重要性が、抱樸の運動の中で意識されはじめたのは、それからのことだ。
 ありがとうと言われ、自分が誰かの役に立ったと知る。端的にいえば、そのときに、私たちは自分の存在の意義を見出すのだ。
 先に紹介したウィンダーらの研究によれば、障がい児が生まれることによって、人類の祖先の集団にはやさしさや共感性が育まれ、それによって集団そのものの生存が図られた。障がいや弱さをもって生まれた者たちこそが、人間を人間へと、人類を互いに助けあう者へと進化させてくれた。人間の社会をはぐくんでくれた。そうであるならむしろ「ありがとう」こそ、彼ら彼女らには相応しいといえないだろうか。
 イエスは「あなたがたは地の塩、世の光!」と言った。この言葉は、イエスを最後に見捨て裏切って逃げた弟子たちに向けられていた、と聖書は語る。弱さを抱えた彼らこそが、この世界を照らし、味付けしているのだ、とイエスは言ったことにならないか。
 いや、これはもともと弟子たちにではなく、名もない、ガリラヤの農民たちに向けられた言ではなかったか。収奪と抑圧の中で極貧の生活を強いられ、いのちの瀬戸際に追い詰められながら必死で生きていた人々に、イエスは、あなたたちのおかげで世界は明るいのだ、この世は味があるのだ、ありがとう、と言っていたのかもしれない。みんな嬉しかっただろう。香油を注がれて感謝したイエス。苦しい日常を生き抜いてきた女性に水を求めたイエス。そこに今日わたしたちが「福音」と呼んでいるものの核心、原型があったのではないか。
 これが、人を元気にする。やる気にさせる。生きる気を起させる。もう一度立ち上がらせる。弱さをもった者たち、助けを必要とする者たちに贈られる心からの「ありがとう」こそが。それによって、今日も人間は人間になる。わたしたちはもはや見えなくなり触ることさえできなくなった死者たちにさえ感謝するではないか。ほんとうにいるのかどうかさえしばしば怪しくなる「神」に、そして無力にも十字架の上で殺されて果てたイエスに、「ありがとう」と言うではないか。そんなことをするのは人間だけだ。そのとき、わたしたちは死者たちを、神を、イエスを、力づけてさえいるのだろう。
 生きるに値しないいのちなど、ない!わたしちはそう宣言し、感謝して共に生きる。それがわれわれの人間宣言であり、それが際限なき弱肉強食が渦巻く現代社会におけるわれわれの抵抗と闘いの宣言であり、信仰宣言だ。アーメン。(おわり)  
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「生きるに値しないいのち」について  20160814

●今週の一言 「「生きるに値しないいのち」について  (20160814)
 人間は、共に生きることを選びとって、人間になった。人間とは、共に生きる存在。いみじくも「人・間」という呼び方にもその理解は現れている。他者の存在の前に自らを置いて生きる。他者と自分の間で、起きる対話や、交流が、人間を人間たらしめる。他者を介在して、自分の存在を確かめる。助け合って、社会を構成して生きる。その生き方へと人間は進化した。そのように最近の科学も考えるようになりつつある。
 古人類学者カレン・ローゼンバーグと生物人類学者のウェンダ・トリーバスンは、脳の肥大化と二足歩行に伴う骨盤の縮小によって人類は難産になり、「助産」を生存の方法として選びとったと考える。誕生の瞬間から、人間は他者の手を借りることになった。いや、人間は他者の助けを借りなければ生まれ出ることさえできないという弱さを選びとった。そうやって助けられながら生まれ生きることによって、人類は人類として進化した。さらにこの助産を基礎として、社会を構成していった。そのように彼女らはいう。苦しい出産、そしてそれを助ける助産という、女性たちの営為においてこそ人類は進化し、社会もできあがっていった、というこの学説は、男性中心的な、そして強者が弱者を淘汰して生き延び、それによって人間は進化したという通説を根底的に覆し、その正当性や蓋然性を問う。
 さらにイギリスの人類学者ウィンダーらは、薄い体毛、小さな顎、木登りに適さない真っ直ぐな脚や短い腕などは、人類が誕生したころの交配によって生じた障がいや「奇形」であった可能性を指摘する。こうした弱さをもった存在を守り育て、共存する中で、人類は優しさや共感性、コミュニケーション、対話の能力を生存適応のために育み、身につけていった、という。この学説もまた、従来の人類の進化論モデルを大きく転換するものだ。
 助けられながら生きること、助け合いながら生きること。そのように進化したことが、人類の繁栄をもたらした。そのような生き方を身につけることによって、人間は人間になった。そのように研究者たちも考えるようになった。強い者が生き延び、弱者は淘汰される、という進化モデルは科学的ではない、とさえ考えられるようになったのだ。
 これが人間への進化であったのなら、「生きるに値しないいのちは死ね、殺せ、安楽死させろ」などという思想や行動、制度は人間の退化を志向するものであり、人間性の廃棄だといえる。そしてその考え方は、人間を生存の危機へと追いやる、ということになる。相模原事件とそれを生んだ現代世界の在り様は、人間が人間として生存していくことができるかどうかの危機、瀬戸際にわれわれがいることを示しているのかもしれない。(い砲弔鼎)  
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「生きるに値しないいのち」について ◆20160807

●今週の一言 「生きるに値しないいのち」について ◆ 20160807)
 「いのちは尊い。かけがえがない。地球より重い。いのちは大事。生きるに値しないいのちなど、ない。絶対。」
この宣言は必然的、不可避的に、宗教性を帯びている。「絶対」は「神」と言い換えうる。そしてここには同時に、人間が踏み越えてはならない一線が引かれる。殺してはならない。殺すな。
 聖書・創世記の天地創造物語において、神は人間を大切な存在として、ご自分の形に、ご自分に似せて創った、と記されている。ここには人間のいのちを絶対的に肯定する思想がある。それは如何にして生まれたのか。
 この物語が成立したのは紀元前六世紀、バビロン軍による破壊と虐殺によってユダヤの国が滅亡し、多くの人々が捕囚の民としてバビロンに連れ去られ、囚われの身となった出来事(バビロン捕囚)の最中といわれている。人間としての尊厳、いのち、存在を踏みにじられ、無視され、破壊された人々の、「人間のいのちは絶対に大事」という抵抗の叫び。それがこの物語に満ちている。
 さらに「殺してはならない」の戒めを第六戒とする「十戒」もこのバビロン捕囚の頃に成立し、残されたと考えられている(「申命記資料」)。殺される側の人びとの「殺すな!」の叫びが「宗教」となった、あるいはそれこそが宗教であった可能性が浮かび上がる。
 そしてここに描かれた「人」はバビロンによって傷つけられたユダヤ人だけのことを言っているのではなく、バビロンの兵士たちを含むすべての人間のことを言っているはずだ。兵士たちは、国家等の権力によって殺人を命じられる。それまでの日常生活で絶対の宣言であった「人間のいのちは大事」「殺すな」を踏み越えることへの許可を受け、兵士たちは殺戮に興奮し我を忘れ、時に文字通り狂ったように虐殺に走る。「絶対」を破壊し、超えてはならない一線を踏み越える万能感、あるいはある種の解放感を得るからかもしれない。
しかし人間は絶対ではない。脆く、弱い。そんな存在が「殺すこと」に耐えられるのか。人が人を殺すとき、殺される側だけでなく、殺した側もまた壊れていくのではないか。だからこそ戦闘に参加した兵士たちの多くが、病むのではないか。人間を殺すという経験は、その当事者の存在の根っこを、核心を、深く傷つけるのではないか。
 人間には共感の能力が強く備わっている。それが人間性そのものだといえるかもしれない。他者の経験を、自分の経験としても受け取る能力。他者に自分自身を鏡映しして自分自身を認識する脳やこころの働き。それが備わっている人間が人間を殺すとき、それは他者だけではなく自らを殺す経験として自分自身に受け取られる、ということではないか。他者を殺す者は、そうやって自らをも殺しているのだ。
 殺される側に立たされた者たちの中から叫びとして生まれた宗教的宣言「いのちは絶対に大事」は、殺す側の人間たちに対する愛をもって「殺すな」と叫んでいるのではないか。そこには、無条件に、敵さえも我が事として愛する宗教性が表れているのではないか。
 ここに立ち、ここからいのちを見る。これを信じる。そのときにこそ、わたしたちは絶対的に宣言しうるのではないか。生きるに値しないいのちなどない、殺していい人間なんていない、と。 (につづく)


  
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「生きるに値しないいのち」について  20160731

7月26日に相模原市で起きた、障がい者施設入所者殺害事件に関連して、7月31日、8月7日、8月14日、8月21日の4回の日曜日に発行された南小倉バプテスト教会週報「今週の一言」に「『生きるに値しないいのち』について」と題した論考を連載しました。北九州でホームレス支援に関わってきた立場から、そしてキリスト教の立場からのひとつの小論です。よろしければお読みください。

●今週の一言 「生きるに値しないいのち」について   21060731)
 神奈川県相模原市の障がい者施設で一九名もの重度の障がい者が殺される事件が起きた、と報じられている。犯行後すぐに自首して逮捕された容疑者はかねてより障がい者は安楽死させるべきだ、と主張していたといわれ、ヒトラーの思想が自分に降りて来た、というようなことも言っていたという。
 ナチス・ヒトラーはドイツ・ゲルマン民族を純化させ進化させるために、障がい者らを「劣等分子」として安楽死させるプロジェクトを一九三九年から一九四一年にかけて国家的に進め、少なくとも十二万人以上のいのちを奪った。実数はその倍以上とも言われている。いわゆる「T4作戦」、「生きるに値しないいのち」根絶政策だ。
 容疑者はこの影響を受けたといわれている。またインターネットを通じていわゆるネトウヨのまきちらす「憎悪」「ヘイト」に強く影響を受けたとも言われている。
 たしかに異常だ。しかし、他人事だろうか。
 この「民族」を、社会、とか経済、とか、国家とか人とかヨノナカとか、そういうものに置き換えると、それは一気に我々自身のこの時代、この現実そのものに重なってこないか。それらの役に立たなければ生きるに値しない、という観念は、この社会を覆っていないか。「一億総活躍」のスローガンはどうなんだ。「役に立たない者は死ね」とはっきり言う者たちの言葉はネットの世界に溢れ、近年ヘイトスピーチとして路上に溢れ出てきている。政治家たちも平然と同類のことを言うじゃないか。この自分や他者に対するきわめて暴力的・脅迫的観念は、もはや他人事ではない。そしてそれはわたしたち自身の中に、それはうごめいていないか。
 自分のいのちをそのようなモノサシでしか見られない者は、他者のいのちへのある種の憎悪や暴力、否定をその内側に抱え込んでいることになる。ネトウヨや今回の事件の犯人ほどにはっきり言い、行動に移すかどうかは別にして。そして逆もまた然り。他者のいのちを何かに役立つかどうかで価値判断する者は、自分自身のいのちへの否定を抱え込むのだ。我々自身は大丈夫か。またこの社会は。大丈夫ではないと思う。
 くしくも同じ神奈川県内で一九八三年に起きたホームレス殺害事件のことが重なる。山下公園でホームレスが殺害され、中学生を含む少年たちが逮捕された際、彼らは「横浜の地下街が汚いのは浮浪者がいるせいだ。俺たちは始末し、町の美化運動に協力してやったんだ。清掃してやったんだ」「乞食なんて生きてたって汚いだけで、しょうがないでしょ」「乞食の味方をされるなんて、考えもしなかった」「なぜこんなに騒ぐんです。乞食が減って喜んでるくせに」などと供述したと伝えられている。
 こどもはおとなを見ている。ホームレスを口では「いのちは大切」などと言いながら実際は邪魔者、ゴミ扱いし、排除している社会のありようを、じっと見ている。それを体現し、社会のために具体的で直接的な行動に移したにすぎない、と彼らは言った。少年たちは「この社会が必要としていること」「正しいこと」を遂行した、とさえ感じ、自らを英雄視していた。そのことが今回一気に思い起こされたのだ。  (△砲弔鼎)  
Posted by aogoomuzik at 23:01Comments(0)TrackBack(0)南小倉バプテスト教会「今週の一言」 

2016年08月15日

川下直広ソロCD「漂浪者の肖像」

最新の川下直広さんのカルテットのCD「First I Love You」を入手、一曲目の"First Song”でもう、やられる。ただ、歌がそこにある。どこまでも。どこまでも。歌。わけいっても わけいっても 青い山。

そんな風に思ってたら2007年発表のソロ作品「漂浪者の肖像」をつづけて落手。2005年の北海道でのライブ。

すごい。前半5曲はソロ。息づき、漲り、弾けて飛び散り踊ったかと思えば、うをん、と立ち上がる音たち。いろんな音が同時に聞こえてくる歌。踊ってる。もちろん溢れる情念や情感は川下サンの演奏の真骨頂ではあるのだけれど、ここでは音そのものの豊かさに嬉しくなってしまう。すとんと迎える曲の終わりも、またいい。後半、渡辺勝さんの悲しい風のような歌に寄り添う音のやさしく切ないこと。最初の音なんて、フルートかと一瞬思った。しまいには「ラヂヲのように」(コントラバス・船戸博史、トランペット・関島岳郎、ドラムス・中尾勘二、ヴァイオリン・向島ゆり子、福井岳郎・チャランゴ)。もうアカン。いつまでも踊っていたい。ついていきたい。どこまでも、どこまでも。

耳福。

今頃、どうもすみません。でもしかたない、今なんだから。

川下直広「漂浪者の肖像」(SAXOPHONE VAGRANT) offnote, 2007。



  
Posted by aogoomuzik at 03:32Comments(0)TrackBack(0)音源 

キャリーケース、壊れる

キャリーケースが壊れた。エフェクターケースを箱ごとそのまま詰め込んで、その他機材を山盛りにして蓋をバン。結構重宝して、死ぬほど重いのを、あっちへゴロゴロ、こっちへゴロゴロ。ああ、ブエノスアイレスにも行ったなあ、そのときに中の仕切り板壊されたんだっけ。
前のは、かつて大阪だったかの演奏に向かおうと最寄の駅へ向かった途端に取っ手が壊れて、仕方なくタオルだか手ぬぐいだかをゆわえてそれを引っぱって。大阪で師匠のお宅に遊びに行ったら、見かねて、使ってないのがあるからどれでも持って行きなさい、といただいたのは、ブログ調べてみたら2009年の1月。そうかあ、あれから7年半かあ。ショウコ先生ありがとう。壊れるまで使いましたヨ。
あ、今回最終的に壊れたのは8/6、家に辿り着く数十メートル手前。翌日もげた車輪が路上のそこにころがってた。そしてそこはその前のが壊れた場所の手前数十メートルのところ。なんとまあほぼ同じ場所。
代わりのを仕方なく買う。2キロほど軽くなった。しかし前のとほぼ同じサイズなのに中の突起類の都合で、エフェクターケースやら機材やらが入りにくい。悪戦苦闘。ええい、と思い切ってエフェクターケースの蓋をはずしてそのまま入れてみたら、あら、いい具合。上に毛布敷いてその上にまたエフェクター類積んで、キャリーケースの仕切りやらで押さえて。エフェクターケースの蓋閉める手間も要らないし。軽いし、こりゃーいいかもしれん、しばらくこれでいくとするか。
色々と新しくなる気配の今日この頃のタイミングに、ずっと使っていたものが壊れるというシンクロニシティ。
そういうことなのかもしれない。
なるほど。はーい。  
Posted by aogoomuzik at 01:38Comments(0)TrackBack(0)雑記 

2016年08月14日

八月五日の夜だった

広島アビエルトの中に川が流れていた。小さな土手には草が繁り、小さなせせらぎの音。広島の、川のように。
皮切りは生のヴァイオリンだけで。「八月五日の夜だった」。
後半、大槻オサムと共に、即興。ひとつの流れの終わりの中に、次が孕まれ、始まっていく。音楽も、音楽とダンスの関係も。終わりの中から始まりが生まれくる。次々に。
ヴァイオリンのノイズ重なり響くなか、あの日、広島の川を無数のひとびとが埋め尽くして流れていくのを幻視した瞬間、大槻オサムが「おおお、おお!」と呻くように、呼ばわるように、声を挙げた。すとん、と腑に落ちる共振。そうだよな、とうなづく刹那。
9/20-22、「ホシハ チカニ オドル」広島公演、この同じ場所で。

11年前の2005年8月、大槻オサムとの初共演の直前、こんな文章たちを書いていた。大槻オサムとの、流れの源流。(8/16追記)  
Posted by aogoomuzik at 22:48Comments(0)TrackBack(0)ライブ 

交読宣教 平和ってなに?2016

南小倉バプテスト教会では毎年の夏の平和礼拝でこどもたちとおとなたちの合同の平和礼拝をささげます。ここ数年、7月の末に開催されるデイキャンプでわかちあわれたこどもたち、おとなたちの言葉をもとに、それらとの対話を基調とした「交読宣教」を毎年つくって読み交わすことにしています。

今年のデイキャンプのテーマは「力づけること」。エンパワメント。おたがいを力づけあうことができるわたしたちは、神さまだってはげますことができるんじゃないか。だいたんにもそんなことを考えてみました。

今年の平和礼拝で読み交わすのは以下、交読宣教「平和ってなに?2016」。

要領は以下のとおり。

平和ってなに? という言葉は最初のだけを司会者が、あとは全て、その日の礼拝参加者の誰かが読みます。誰でもOK。即興です。それをきっかけにその後の部分の読み交わしが始まります。

一文字あがっているところは司会者、「>」印の一字さがっているところをみんなが読みます。
太字ゴシックのところは司会者もみんなも全員で声を合わせて、大きな声で。
☆じるしの部分は参加者が順番にひとつずつ。

途中で自由に発言する部分が入るかもしれませんが、これが基本形です。実際のものの漢字部分にはすべてふりがながうってあります。

それではどうぞ。

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交読宣教「平和ってなに?2016」
20160814 南小倉バプテスト教会平和礼拝

平和(へいわ)ってなに?
 >ちからづけること
ちからづけてもらうこと
 >またたちあがるために
あるきだすために
 >まけないために
かみさまもきっとうれしい
 >イエスさまもそうだった
香油を注いでもらって
 うれしかった

教会デイキャンプで神さまをはげますてがみをかいてみたよ。☆じるしのところをじゅんばんにひとりずつ声にだしてよんでみてください。はい、どうぞ。

☆子どもが3人、ありがとう!きたえられる〜!!ひぃ〜
☆いつもいつもありがとう。
☆かみさまいつもまもってくれてありがとうございます これからもよろしくおねがいします
☆みんなのこといつもみていてくれてありがとう 目がつかれたらみどり色をみるといいよ
☆かみさまきょうもまもってくれて ありがとうございます。これからもまもってください。
☆いっつもみていてくれてありがとう。かみさまもかなしいことやくるしいことあるとおもいます。そんなときでもみていてくれてありがとう。
☆神さまが作ってくれたお花たちとってもキレイ。大好き ありがとう。お花見てると元気になるよー
☆ときどき文句ゆってごめんね でもいっしょにいてくれてありがとう。
☆いつもおねがいきいてくれてありがとう これからもおねがいします
☆夜がこわくないように 楽しい夢を見させて!
☆これからもわたしのことも みんなも みまもってください
☆なんてすてきなセカイ おつかれさまでーす。ありがと。

ありがとうって、うれしいことば
 >げんきがでる
ちからがでる
 >かみさまも、きっと。
いっしょにいてくれて
 >ありがとう
まもっていてね
 >ありがとう

☆おなかがへったらどーしますか?あれやったらカレー食べよ!つくるつくる!じゃがいもはおおきいほうがうれしいねー
☆デザートは好きですか?「果摘」クッキーシュ、とってもおいしいですよ。
☆神さまのすきなたべものはなに?
☆かみさま!こんどいっしょににごはんたべにいこうね。
☆いっしょにケーキをたべよう
☆魚と肉 野菜と果物 どれがすき?ぼくは全部好きー!!神さまは果物が好きそう!!ぶどー酒のんでるじゃん。おおきくなったら一緒にのもー!!
☆寝られんときとかあるん?あるんやったらゆっくりあったかいココアのむといいんよ。
☆お魚食べましょう お寿司もいいですね。
☆神さまへ 神さまはごはんはいつたべているのですか
☆ごはんたべた?すいようごはんにきてよ
☆おりょうりはじょうずですか じょうずならたべさせてください。
☆上手にパンをさくコツをおしえて 神様にパンさいたるでー。

へいわってなに?
 >たべること
みんなでいっしょに。
 >おなかいっぱい。
かみさまだってげんきになる。
 >だからイエスさまはいっつもみんなとたべていた。
せえの
 いただきます!
おいしい?
 >おいしいね
せえの
 ごちそうさまでした!

☆ときどき きゅうけい したくない?
☆たくさん本をよんだからいろいろなことを知っているのですか?みんながおねがいばかりするからたいへんだよね。
☆むかついたときはどうするんですか
☆かみさまの本拠地どこですか?空の空のそのまた上?いやいやワタシのそば?どこにでもいけるけど疲れないでね。
☆ないてもいいよ なきたくなるよね。
☆雨がふるときは泣いてるの?タオルかそうか?
☆かみさまはさみしくなるときはありますか 何でも相談してください。
☆ねつがでたらなんきょくのこおりでさましてね。
☆ホントはあのひとキライって思うことありますか それでも愛するって大変だろうなあ
☆かみさまはなくときは、あるの?
☆もういやだ、神さまなんてヤメテヤルーって思うことある?たまにあるよね、きっと。
☆ちょっとひるねもいいとおもうよ。
☆かみ様はおとうさんやおかあさんはいますか?いなかったらあそびにきてね。
☆いらいらしたことはありますか?
☆かみさまは何でもできるけど こまることあるの?
☆かみさまは転ぶことはありますか
☆天国のそうじって大変?みんなでやってね。
☆かみさまはわからないことがあるの?かみさまがんばってね。

へいわってなに?
 >おもいやり。
かなしい つらい しんどい 
 >くるしい いたい さびしい
そんなこのきもちをだれかが
 >じぶんのことのようにかんじてくれたら
だれだってうれしい
 >かみさまだって。

☆上を向いて歩こうとか歌うからきいとくれ
☆うたえば元気になるかもさあいっしょにうたおう
☆おどってみる?まさかおどったことないなんてことはないよね。
☆いっしょにうたお!げんきでるかも!
☆こわいときは大きな声でうたおう

へいわってなに?
 >いっしょにうたって、おどること
こわいとき ふあんなとき ちからがひつようなとき
 >いっしょにうたっておどる
ちからがでる
 >まけないぞってきもちになる
だれだって
 >かみさまだって

☆たまには相談してね ききます。
☆ひとりでなんでもできると他のひとが助けてくれませんよね。しんどいときは「たすけて!」っていってください。だいじょうぶ、一人じゃないですから。
☆うれしいときやたのしいときはかみさまのことわすれてる。こんどたのしいときもおぼえておくからね。
☆いっしょに笑おう
☆おうえんしてます がんばってね
☆これからもがんばってね ずっとおうえんしているよ アッパレ!
☆かみさま がんばれ
☆へんがおするよ 笑ってね
☆フレーフレーかみさま
☆かみさまファイト
☆だいじょうぶだよっていってあげるよ
☆どこがこそばい?なんにもしないから言ってみて。
☆へんがお笑うかな にらめっこめっちゃつよかったりして
☆わらってよ げんきになるよ 
☆みずあそびとかダジャレ言ったり、もしもひとりでさみしかったら一緒にあそぼう
☆きれいな花を大事にしようとおもいます 見てげんきになっておくれ
☆神さまがんばれ
☆いつか遊ぼう
☆だいじょうぶ きっとなんとかなるなる
☆これからもがんばってください
☆らぶ
☆ベンキョーしてんの?水ようゼミで一緒にベンキョーしよ
☆ずっとえがおでいてください
☆これからも ひとつ、よろしくです
☆これからもかみさまのしごとをがんばってください
☆笑
☆とってもうれしいきもち
☆よしよし

へいわってなに?
 >ひとりぼっちじゃないってこと。
いっしょにいるってこと
 >なぐさめてもらうこと
わらわせてもらうこと
 >おうえんしてもらうこと
イエスさまは「かみさまはいっしょにいる」っていった
 >かみさまもそれがうれしい
きっとそう
 >だれだってひとりぼっちはいやだ

☆神さまの好きなことってなに?!
☆ポケモンGOっちあぶないよねー神さまももしかしてやってるの?
☆神さまどこにすんでますか。
☆かみさまは見えないけどどこのだれとくらしているんですか?
☆かみさまはどこにいるんですか なんのどうぶつがすきなんですか ぼくはトラがすき。
☆おとうさんやおかあさんはいるんですか
☆かみさまは せかいはすきですか
☆かみさまはどこにすんでいるんですか
☆かみさまは雨はどうやってふらせていますか
☆何人でくらしていますか。
☆かみさまのほんとうのなまえはなんていうんですか
☆毎日どんな生活をしているんですか
☆かみさまはどこにすんでいるんですか 天国にすんでるんですか
☆神さまはこんな(お城みたいな)家に住んでるの?

へいわってなに?
 >りかいすること
じぶんじゃないひとのことを
 >りかいしたいとおもうこと
ぜんぶはわからなくても
 >すこしでも
だってだれでもわかってもらえたらうれしい
 >かみさまだってきっと。

平和ってなに? 
>「せんそうがおきない」。
せんそうが起きるとたくさんのいのちが殺される。
>神さまが、大切に創ったいのちが殺される。

平和ってなに?
 >「殺人がおきない」。
殺していいいのちなんて、ない。
>みんなイエスさまに愛されたいのち。
いきるに値しないいのちなんて、ない。
 >いのちは、だいじ。
どんないのちも
 ぜったいに!

平和ってなに?
 >「おだやか」。
軍隊や基地や、兵器や武器に
 >ひとをころすくんれんをつんだへいしたちに
せいかつや、いのちを
 >こわされずにいきること
しずかに、ともに
 >ただそれだけのこと
  
平和ってなに?
国などにめいれいされたひとたちに
 >だれもなぐられたり
おさえつけられたり
 >とおせんぼされたりしないこと
じゆうにのびのび、いきること
 >いやなことはいやっていえる
ただそれだけのこと
 >ただそれだけのこと

平和ってなに?
 >「自然がある」
戦争は自然を壊す。
 >戦争はいやだ!平和がいい!神様が創った自然が言ってる。
ジュゴンもサンゴも、ノグチゲラも。
 >オリーブも。

平和ってなに?
>「せんそうがおわって全員生きている」
そうだ、戦争は終わる。戦争は終わらせることができる。
 >そうだ、みんなで生きることはできる。
平和って、そんな未来のこと。
 >そうだ、戦争が終わって、みんな笑って生きている未来のこと。

平和ってなに?
 >ちからづけあう
ありがとうっていってもらう
 >いっしょにたべる
おもいやり
 >うたっておどる
いっしょにいきる
 >りかいする
いのちがだいじ
 >どんないのちも
おだやかで
 >じゆう
しぜんがだいじにされる
 >せんそうはおわる
平和はきっとくる
 >だからまけない
だから、さあいこう!
 >へいわをつくりだそう
ともに
 >てをつないで
せえの!
 アーメン!

  
Posted by aogoomuzik at 00:50Comments(0)TrackBack(0)教会