谷本仰

日々の思いや、ライブのことなど

もうすっかり春です。5月27日ライブ情報更新しました(5/13)。宜しくお願いいたします。

5/13(土)色音:即興描画・うどのあすか、即興演奏・谷本仰
【北九州門司港・ZATTA ZISSE】
北九州市門司区東港町4-68(門司メディカルセンター海側)
14:00〜15:30
大人1500円、小学生以下500円、未就学児無料
・無料駐車場10台、付近有料Pあり
・JR門司港駅より徒歩12分
・西鉄バス70番72番「東本町二丁目」74番「レトロ東本町1丁目」最寄り
ご予約制(お支払いは当日会場で承ります。)
ご予約:
・メール ironeiro@gmail.com ・電話 080-1711-5074(タニセ)
※お名前、連絡先電話番号、小学生以下のお子さん同伴の際は年齢を教えて下さい。

5/14(日)トリオ・ロス・ファンダンゴス
ミロンガ
【福岡天神ティエンポ】092-762-4110
福岡市中央区大名1-15-11 Daimyo11511ビル 3F
開場: 18:00 ライブ20時ごろ
チャージ ¥2,800 (T.I. 会員 ¥2,300)
※ ワンドリンクチケット込み

5/15(月)谷本仰×Mad Disc a.k.a十三
UTERO 13th Anniversary Live
【福岡UTERO】092-534-5222
福岡市中央区清川2-6-34-2F
[携帯]090-4341-9962
[メール]harajiri@utero.jp
[ホームページ] http://utero.jp/
OP/19:00 ST/19:30
前売¥2000/当日¥2500(+1drink order)
【CAST】谷本仰×Mad Disc / tofu on fire / 倉地久美夫 / 安増BIG FOLK

5/19(金)吉田野乃子ソロツアー
【北九州八幡・デルソルカフェ】093-662-2013
福岡県北九州市八幡東区前田3-10-26
20時開演、2500円(別途要オーダー)
出演:吉田野乃子as、HTKtrio 波多江崇行g、コーチb、武井庸郎ds、&谷本仰vn他、万華鏡樹里butoh

5/21(日)谷本仰×Mad Disc a.k.a十三
【北九州八幡・デルソルカフェ】093-662-2013
福岡県北九州市八幡東区前田3-10-26
19時半開演(19時開場)2500円(別途要オーダー)

5/27(土)ソロ
ティエンポ設立26周年Special Pachanga
【福岡天神・ティエンポ】092-762-4110
福岡市中央区大名1-15-11 Daimyo11511ビル 3F
開場: 19:00
前売: \2,500 (T.I. 会員 \2,000)
※ 入場時別途1ドリンク要購入

5/28(日)初夏の教会コンサート
【南小倉バプテスト教会】093-571-5072
福岡県北九州市小倉北区弁天町11-19
15時〜、入場無料、自由献金カンパ歓迎
出演:南小倉バプテスト教会ハンドチャイムクワイヤ、山田雄次(チェロ)、山田伴子(ピアノ)、谷本仰(歌・ヴァイオリン)、中島由紀子(ピアノ)

通算27枚目!ほぼ月刊CDR谷本仰SoloS、2023年5月号出来ました。2023年春シリーズ三部作の最後を飾る今号に入っているのはこんな曲やら音たちです。

1 We shall overcome 1:アメリカ合州国(United States of America だから「州」)の人種差別に対する公民権運動の中で繰り返し歌われた。生ヴァイオリンでほぼメロディのみ、アドリブなし。

2 今月の自由即興1:生ヴァイオリンで。1分ほど。

3 Summertime:サマータイム。曲ジョージ・ガーシュイン。生ヴァイオリンのみ。途中珍しくちょっとアドリブ。直訳は以下。
 
 時は夏 暮らしやすい頃さ
 魚は飛び跳ね 綿花は高く育つ
 父ちゃんはお金持ちだし 母ちゃんは美人
 だから、シー!かわいい赤ちゃん、泣かないで

 いずれの朝 お前さんは目を覚まし歌うだろう
 そして羽根を広げ 空へ飛び立つのさ
 だけれどその朝まで お前を傷つけるものは何もない
 父ちゃんも母ちゃんも一緒だからね

4 今月の自由即興2:エレクトリックヴァイオリンと声を使って。

5 影を慕いて:古賀政男作詞作曲、1932年。生ヴァイオリンでメロディのみ。
 
  幻の影を慕いて 雨に日に
  月にやるせぬ 我が思い
  つつめば燃ゆる 胸の火に
  身は焦れつつ 忍び泣く

  わびしさよ せめて傷心(いたみ)のなぐさめに
  ギターを取りて 爪弾けば
  どこまで時雨ゆく秋ぞ
  振音(トレモロ)寂し 身は悲し

  君故に 永き人生(ひとよ)を霜枯れて
  永遠(とわ)に春見ぬ 我が運命(さだめ)
  ながろうべきか 空蝉(うつせみ)の
  儚(はかな)き影よ 我が恋よ

6 今月の自由即興3:生ヴァイオリンで。1分ほど。

7 We shall overcome 2:こちらはエレクトリックヴァイオリンで。延々繰り返され、響く歌。

8 今月の即興演奏4:生ヴァイオリンで、2分ほど。

そんなこんなの8曲入り、5月号です。宜しければぜひ聴いてみてください。ライブ会場で手に取ってみてください。通販もいたしますのでぜひご注文ください。→コチラからどうぞ。
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制作リリース開始以来3年目に突入いたしました谷本仰のほぼ月刊CDR・SoloS、第26作となる4月号ができました。入っているのはこんな音楽たち。すべて一発録り、オーバーダビングなし。

1 ヴァイオリンと声:エレクトリックヴァイオリンと声を使った自由な即興。

2 アナログシンセサイザー:エフェクトを通したアナログシンセによる即興。かわいい音たちが、どんどん、いつのまにか。え?8分もない?ほお。

3 即興曲:エフェクターを介した不思議な響きたちが生ヴァイオリンの静かな音の背後に立ち上がっては消えていく。春よのう、期せずして。

4 空はうららに:復活祭・イースターの讃美歌。例によって生ヴァイオリン一本でメロディーのみ。
 
 1 空はうららに 風はそよぎ
   あらしは失せて かすみ立ちぬ
   こずえの緑 色をまして
   喜びの声 四方(よも)に聞こゆ

 2 花ひきつれて 春は来たり
   すみか定めつ 野辺に里に 
   すみれあらわれ 桃は笑い
   山吹なびき さゆり薫る

 3 ひばりよ、高く 雲間に舞え
   小川よ 清く 岸に歌え
   わがイェス君は 失せ品しならで
   ありしさまにて よみがえりぬ

 4 山よ、たたえよ きみの御名を
   谷もいずみも 丘もおどれ
   みよ君は活く 失せし君は
   すくいのぬしと よみがえりぬ

5 球根のなかには:これもイースター・復活祭の讃美歌。これも生ヴァイオリンで旋律のみ。
 1 球根の中には 花が秘められ、
   さなぎの中から いのちはばたく。
   寒い冬の中 春はめざめる。
   その日、その時をただ神が知る。

 2 沈黙はやがて 歌に変えられ、
   深い闇の中 夜明け近づく。
   過ぎ去った時が 未来を拓く。
   その日、その時をただ神が知る。

 3 いのちの終わりは いのちの始め。
   おそれは信仰に、死は復活に、
   ついに変えられる 永遠の朝。
   その日、その時をただ神が知る

6 明日ハ晴レカナ、曇リカナ:作詞作曲・武満徹。エレクトリックヴァイオリンのピチカートを延々ループさせて積み重ねて。
  
   昨日の悲しみ 今日の涙
   明日は晴れかな 曇りかな
   昨日の苦しみ 今日の悩み
   明日は晴れかな 曇りかな
 
7 クッキー缶1:クッキーの円筒形のカンカンにスーパーボールを入れてゆすったり、外から叩いたり、あれこれの即興演奏。色んな倍音、音色、響きが面白い。クッキー缶、侮れぬ。

8 クッキー缶2:小さな泡立て器で奏でております。

9 クッキー缶3:養生テープを貼りつけたり、はがしたりしております。

というわけで9曲入りです。演奏した本人と一緒に面白がっていただけたら嬉しいです。

通販いたします。ご注文承ります→コチラからどうぞ。
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ほぼ月刊CDR・SoloS、2023年3月号が出来ました!通算25号、ついに3年目に突入しました。2023年春シリーズ3部作の一作目でもあります。こんな曲や音が入っています。

1 声:喉につけたコンタクトマイクで声を拾って加工して重ねてドローン即興演奏。

2 コーヒーポット1:ドリップコーヒーを淹れるための銅製の、注ぎ口の細長いポットを使った即興演奏。水を少し入れてマレットで。揺れる音、色んな音程、倍音が楽しい。

3 血しおしたたる:17世紀ドイツの讃美歌。生のヴァイオリンの音をエフェクターに通し、ペダルでコントロール。
 
 1 血しおしたたる 主のみかしら、
   とげにさされし 主のみかしら、
   なやみとはじに やつれし主を、
   われはかしこみ きみとあおぐ。

 2 主のくるしみは わがためなり、
   われは死ぬべき つみびとなり、
   かかるわが身に かわりましし
   主のみこころは いとかしこし。
 
 3 なつかしき主よ、はかり知れぬ
   十字架の愛に いかに応えん、
   この身とたまを とこしえまで
   わが主のものと なさせたまえ。

 4 主よ、主のもとに かえる日まで
   十字架のかげに 立たせたまえ、
   み顔をあおぎ み手によらば、
   いまわのいきも 安けくあらん。

4 コーヒーポット2:こちらでは小さな泡立て器やヴァイオリンの弓を使って即興。

5 アナログシンセ:何がどうなっていてどこをどうしたらどうなるのかさっぱりわからないシンセサイザーを使った演奏。

6 Go Down, Moses:黒人霊歌。アコースティックヴァイオリン一本で。日本語訳詞は以下。
 
 1 エジプトよ、イスラエルの民を放て
   虐げを受ける 民を放て
    ゆけ、モーセ、パロに語れ
    主の悩める民を放て
  
 2 かたくななパロよ、民を放て
   モーセは叫んだ、民を放て
    ゆけ、モーセ、パロに語れ
    主の悩める民を放て

 3 奴隷のかせから 民を放て
   み声に従い 民を放て
    ゆけ、モーセ、パロに語れ
    主の悩める民を放て 

7 アカシアの雨がやむ時:昨年10月号#20にアコースティックバージョンを入れたのだけれど今回はエレクトリックで。

8 ヴァイオリン即興:エレクトリックヴァイオリンで。

というわけで全8曲入り。あ、そのうち5曲が即興だ。あ、しかもヴァイオリンによる即興演奏は1曲だけだ。大変だ。どうぞ聴いてください。例によってちょっと音量的に容量オーバーでひずんでるところもありますがお許しを!

通販いたします。→ https://forms.gle/3ir6vPed6PFWP5yU6

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ああ、もう1週間前のことだ。「ブエノスアイレスのマリア」。現代タンゴを切り拓いた作曲家で希代のバンドネオン奏者アストル・ピアソラが、タンゴの現代詩人オラシオ・フェレールと共に1968年に創り上げた彼の最高傑作と言われるタンゴ組曲。先週日曜日、満員の埼玉・川口リリア音楽ホールで、バンドネオン奏者・小松亮太率いる11名編成のタンゴオルケスタ(オーケストラ)と、男女2人の歌手、そしてナレーター合わせて総勢14名のスペシャルユニットによる公演終了。その中に身を置くことができて、ありがたかった。

タンゴの化身でもあるマリアの生と死と復活の不思議な物語。歌やナレーションなどの随所に現れる世界創造やクリスマス、受難、復活などに関わる聖書的・キリスト教的な隠喩、メタファーの数々がこの作品に深遠な宗教性を帯びさせている。

しかし、この小松亮太バージョンが特別なのは、それがさらに「震災」というとてつもない出来事、そしてその記憶と、結びついているからでもある。元々2011年3月19日に最初の公演は予定されていたのが震災で中止。その決定直後に行われた、公演予定も聴衆の存在もないリハーサルでは、音楽に包まれて怖さも不安も忘れるひと時を過ごしたのだった。

震災にまつわる痛みや悲しみの記憶。それはもはやこの作品に否応なく内在化され、一体化してしまっている。あれから12年のマリア。それから12年間を生きてきた者たちによるマリア。その後2013年と翌年に「ブエノスアイレスのマリア」公演が数回繰り返されて以来久しぶりの再会。なんともいえずほっとするのは、それが単にこのとてつもない作品に一緒に挑戦してきた仲間たちであるからだけではないと思う。それはきっと、それがこのメンバーにとって震災と、そこで生まれた様々な悲しみをその胎内に宿したマリア、「震災のマリア」だからだ。本番中、やっぱり何度も涙が溢れそうになったのは、マリアを通じて改めて「震災」「3・11」とそのキズに触れていたからかもしれない。

マリアは終盤、「アレグロ・タンガービレ」で一気に走りだし、そして「受胎告知のミロンガ」で空へと舞い上がる。歌が最高潮を迎える直前の間奏の数小節は、まるで大空をみんなで飛んでいるような感覚だった。幸せだった。マリアと共に。マリアの中で。

そして最終曲「タングス・デイ」(神のタンゴ)。断片的に、この作品の記憶が再現され、やがて最後にタンゴのリズムが奏でられる中、マリアが歩み去っていく後ろ姿を見送るような気持ちになった。連呼される「マリア」の名、繰り返し打ち鳴らされる鐘は祈り、そして最後のゴングは永遠だった。

12年経った今なお、震災の映像、写真に近付くのが怖い。それは単に画像の恐ろしさだけではなく、それによって震災に連なった様々なキズの痛みが甦るからだ。しかし、「ブエノスアイレスのマリア」はそんな自分が今、震災の記憶に触れなおすことのできる道でもあったのだった。音楽に包まれ、タンゴに導かれ、仲間たちと一緒に、文字通り、守られて。

「ヌエストラ・マリア」。わたしたちみんなの、マリア。作品の中でマリアはそう呼ばれている。そこには、震災でいのちを断ち切られた者たち、そしてその後をキズと共に生き延びてきた者たちにつながる祈りがたしかに響いているのだった。そしてそれは昨日の3月11日も、公演から一週間経った今日3月12日も。そしてきっとこれからも、この胸に。

ありがとう、マリア。震災の、マリア。

                  
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小松亮太「ブエノスアイレスのマリア」
2023年3月5日 川口リリア音楽ホール

バンドネオン:小松亮太
歌:Sayaca  
歌:KaZZma
語り:アクセル・アラカキ
ヴァイオリン:近藤久美子
ヴァイオリン:谷本仰
ヴィオラ:吉田有紀子
チェロ:松本卓以
コントラバス:田中伸司
ピアノ:黒田亜樹
フルート:井上信平
ギター:鬼怒無月
パーカッション:佐竹尚史
パーカッション:真崎佳代子

主催:川口総合文化センター

(南小倉バプテスト教会2023年3月12日週報今週の一言に増補)

2021年3月から始まった月刊CDRのリリース、ついに24号、丸二年!今2月号に入っているのはこんな音楽たちです。

1. 珍島アリラン1:生ヴァイオリンで。数十曲あるといわれる「アリラン」の中で、韓国全羅南道・珍島に伝わるもの。広島原爆を生き延びて戻った韓国ハプチョンで暮らす韓国人被爆者たちのドキュメンタリー映像作品「ハプチョン」のサウンドトラック・フルバージョン。

2. 珍島アリラン2:同上。こちらはエレクトリックヴァイオリンとループを使って。

3. 心を高くあげよう:讃美歌曲圍院F郛倉バプテスト教会では毎月第一週の日曜日に歌う。生ヴァイオリンで歌の旋律のみ。
 1 こころを高くあげよう
   主のみ声にしたがい。
   ただ主のみを見あげて、
   こころを高くあげよう。
 
 2  霧のようなうれいも、
   やみのような恐れも、
   みなうしろに投げすて、
   こころを高くあげよう。
 
 3 主から受けたすべてを、
   ふたたび主にささげて、
   きよきみ名をほめつつ、
   こころを高くあげよう。
 
 4 おわりの日がきたなら、
   さばきの座を見あげて、
   わがちからのかぎりに、
   こころを高くあげよう。

4. ゴンドラの唄:1915年、吉井勇作詞。中山晋平作曲。生ヴァイオリンで歌メロのみ。
 1. いのち短し 恋せよおとめ
   朱き唇 褪せぬ間に
   熱き血潮の 冷えぬ間に
   明日の月日は ないものを

 2. いのち短し 恋せよ少女
   いざ手をとりて かの舟に
   いざ燃ゆる頬を 君が頬に
   ここには誰れも 来ぬものを

 3. いのち短し 恋せよ少女
   波に漂う 舟の様に
   君が柔手を 我が肩に
   ここには人目も 無いものを

 4. いのち短し 恋せよ少女
   黒髪の色 褪せぬ間に
   心のほのお 消えぬ間に
   今日はふたたび 来ぬものを

5. 瓶と瓶:いくつかのガラス瓶を使って。小さくぶつけ合ったり、こすり合わせたり、少し吹いてみたり。

6. 今月の自由な即興演奏1:以下3まで生ヴァイオリンで。いずれも短い即興演奏。 

7. 今月の自由な即興演奏2:タンゴの奏法の援用やら。

8. 今月の自由な即興演奏3:少しだけ曲っぽい。

9. 今月の自由な即興演奏4:エレクトリックヴァイオリンと声とエフェクト。コンタクトピエゾマイクを喉に直接貼り付けて声による身体(骨)の振動をエフェクトに通して。もはや声もヴァイオリンも渾然一体でワケがわかりません。最近お気に入りのやりかた。いいね!

というわけで今号は全9曲収録。楽しんでいただければ幸いです。
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通算23枚目となる月刊ソロCDRの最新作、2023年1月号リリース!入っているのはこんな曲たちです。

1 ガンクドラム即興演奏:ガスボンベを使って製作された打楽器による即興。打音にリアルタイムでエフェクトをかけて変調させながら演奏。ライブサウンドインスタレーション的に。

2 ラジオのように:オリジナルバージョンは、ブリジット・フォンテーヌとアート・アンサンブル・オブ・シカゴによる前衛フリージャズシャンソン作品(1969)。ルーパーやエフェクトを多用して演奏しようかと思ったけれど、やーめた、と生のヴァイオリン一本で。

3 いかなればきみはかく:讃美歌曲58。歌詞は四番まであります。

 いかなればきみはかく われを愛したもうや
 知るをえず 知るはただ 罪にそみし来し方

 いかにしてみすくいに われを入れたまいしか
 知るをえず 知るはただ 主の悩みと苦しみ

 いずこまでみ手をもて 主は導きたもうや
 知るをえず 知るはただ 常に近くいます主

 いずれの日さかえもて 地にあらわれたもうや
 知るを得ず 知るはただ 備えよとのみことば

4 遠くへ行きたい:中村八大作曲、永六輔作詞とくれば「上を向いて歩こう」のふたり。1962年。

 知らない街を 歩いてみたい 
 どこか遠くへ 行きたい
 
 知らない海を ながめていたい 
 どこか遠くへ 行きたい
 
 遠い街 遠い海 
 夢はるか ひとり旅
 
 愛する人と めぐり逢いたい 
 どこか遠くへ 行きたい
 
 愛し合い 信じ合い 
 いつの日か 幸せを
 
 愛する人と めぐり逢いたい 
 どこか遠くへ 行きたい

5 即興(Live!):2022年11月22日、デルソルカフェでのライブ録音。ピアノ・キーボードの武田理沙さんとご一緒したライブイベントの際の24分超のヴァイオリン(エレクトリック&アコースティック)完全即興演奏。武田理沙さんのすばらしい演奏の露払いとなったこれをマスター大庭さんが録音してくださっていて、面白かったので今号に入れることにしました。どうでしょう!

そんなこんなで1月号は5曲入り。宜しければぜひお聴きください。
通販いたします。お申込みは通販メールフォームで→コチラ
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SoloS・12月号はクリスマス特別号。クリスマスの讃美歌たくさん入れました。

1 荒野の果てに:元は16世紀フランス民衆歌。繰り返される「グロリア インエクセルシス デオ」は「いと高き所では神に栄光があるように」の意。天使の一群が野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いたちにイエスの誕生を告げた際に語った言葉として聖書に記されている。エレクトリックヴァイオリンで展開。日本語訳詞は以下(訳・由木康)。
 
 1 あら野の果てに 夕日は落ちて
   たえなる調べ 天(あめ)よりひびく
   ※グロ―リア、イン エクセルシス デオ
    グロ―リア、イン エクセルシス デオ

 2 羊を守る 野辺のまきびと
   天なる歌を 喜び聞きぬ
   ※(くりかえし)

 3 み歌を聞きて 羊飼いらは
   まぶねに伏せる み子を拝みぬ
   ※(くりかえし)

 4 今日しもみ子は 生まれ給いぬ
   よろずの民よ いさみて歌え
   ※(くりかえし)

2 この日ひとと:14世紀ドイツカロルにさかのぼる、クリスマス讃美歌。生のヴァイオリンで。日本語訳詞は以下。
 1 この日ひとと なりしみ子を 
   声も高く歌いまつらん、よろこびもて
   ※イデオ・オ・オ イデオ・オ・オ
    イデオ・グロリア インエクセルシス デオ

 2 かみのみ子は み座を下り   
   人のすがたをとりたまえり、へりくだりて
   ※(くりかえし)

 3 知恵に富める 博士たちも
   み子の前に 来たりささぐ、宝の箱
   ※(くりかえし)

 4 低き者も高き者も 
   天使たちとともにうたえ、声も高く
   ※(くりかえし)

3 マリアは歩みぬ:これも中世末期ドイツカロル。生のヴァイオリンのみ。繰り返される「キリエ・エリソン」は「主よあわれみたまえ」の意。「いばら」はイエスが最期を遂げる十字架上でその頭にかぶせられた荊の冠を想起させる。

 1 マリヤはあゆみぬ キリエ・エレイソン
   茂る森かげの いばらのこみちを
   キリエ・エレイソン

 2 胸にいだけるは キリエ・エレイソン
   まどろむおさなご 平和のイェスきみ
   キリエ・エレイソン

 3 いばらの枯れ木も キリエ・エレイソン
   血に染みしあとに 清き花咲きぬ
   キリエ・エレイソン

4 われらは来たりぬ:「三人の博士の歌」。ジョン・ホプキンス作詞作曲(1857頃)。東方から星の光に導かれて生まれたばかりのイエスを訪ねてやってきた三人の博士たちの歌。

 1(博士たち)
  われらは来たりぬ はるけき国より
  星にみちびかれ  野山越えて。
  ※あぁ、くしく輝く 星の光よ、
   われらをみちびけ み子のみもとに、

 2(第一の博士)
  わが持ち来たれる とうとき黄金を
  メシヤのかむりの 飾りとなさん。
  ※(くりかえし)
 
 3(第二の博士)
  わが持ち来たれる 乳香ささげて、
  いと高きみ神   共にたたえん。
  ※(くりかえし)

 4(第三の博士)
  わが持ち来たれる 没薬ささげて、
  みくるしみの日に そなえまつらん。
  ※(くりかえし)

 5(会衆一同)
  よろずを統べます メシヤは生まれぬ。
  ハレルヤハレルヤ たたえまつらん
  ※(くりかえし)
     
5 即興歌:エレクトリックヴァイオリンで。

6 生活の柄:詞・山之口獏、曲・高田渡。沖縄出身の詩人・山之口獏が東京に移り住んだものの、食えずに野宿・ホームレス生活を余儀なくされたときのことを歌っている。

 1 歩き疲れては夜空と陸との 隙間にもぐりこんで
   草に埋もれては寝たのです 所構わず寝たのです
   ※歩き疲れては 草に埋もれて寝たのです
    歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです

 2 近頃は眠れない 陸(おか)をひいては眠れない
   夜空の下では眠れない 揺り動かされては眠れない 
   ※(くりかえし)

 3 そんなぼくの生活の柄が 夏向きなのでしょうか
   寝たかと思うと 寝たかと思うと またも冷気にからかわれて
   秋は 秋からは 浮浪者のままでは眠れない
   秋は 秋からは 浮浪者のままでは眠れない

7 荒野の果てに:1の別バージョン。エレクトリックヴァイオリンと声。
  
そんなこんなの全7曲入りのクリスマス特別号。どうぞ宜しくお願いいたします!
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出来ました!11月号のソロ作品集CDR、入っているのはこんな音楽たちです。すべて一発録り、オーバーダビング・編集なし。

1 即興曲1:エレクトリックヴァイオリンでゆるゆる、どこともつかないどこかの音楽。

2 Song for Che:曲・チャーリー・ヘイデン(1969)、チェ・ゲバラのための歌。生のヴァイオリンと空気入れの管。

3 悲しきミロンガ:アルゼンチンタンゴ。死んでしまった恋人を思う哀切の歌。

4 即興曲2:エレクトリックヴァイオリン。冒頭、ひとつのリズムパターンがどんどん勝手にずれて移り変わっていって、たのしい。

5 赤色エレジー:あがた森魚作詞・歌、八洲秀章作曲(1972)。原曲はもっと長い。生のヴァイオリンで。
 
 愛は愛とてなんになる
 男一郎 まこととて
 幸子の幸はどこにある
 男一郎 ままよとて
 昭和余年は春も宵
 桜吹雪けば情も舞う

 寂しかったわ どうしたの
 お母様の夢見たね
 お布団もひとつほしいよね
 いえいえ こうしていられたら

 あなたの口からさよならは
 いえないことと思ってた
 はだか電灯 舞踏会
 踊りし日々は走馬灯

 幸子の幸はどこにある
 愛は愛とてなんになる
 男一郎 まこととて
 幸子の幸はどこにある
 男一郎 ままよとて
 幸子と一郎の物語
 お涙頂戴ありがとう

6 オーシャンドラムの響鳴:通常は波の音を出して演奏する海太鼓を、ここでは共鳴体として使い、声で響かせている。音がわーんと膨らんだり、声以外の倍音やノイズが響いたりしているのがそれ。声そのものではなく、こっちが主役。ところどころドラム自体が強く共鳴して幾つもの異なる音を同時に発している。エフェクト不使用、そのままの音をマイクで録ったもの。

7 ガリラヤの風かおるあたり:讃美歌228。エレクトリックヴァイオリンで。

 1 ガリラヤの風 かおるあたり、
   「あまつ御国は 近づけり」と、
   のたまいてより いく千歳ぞ、
   きたらせたまえ、 主よ、 み国を。

 2 たたかいの日に いこいの夜に、
   みくにをしたう あつきいのり、
   ささげられしは いく千度ぞ、
   きたらせたまえ、 主よ、み国を。

 3 憎み、あらそい、 あとを絶ちて、
   愛と平和は 四方にあふれ、
   みむねの成るは いずれの日ぞ、
   きたらせたまえ、 主よ、み国を。 

そんなこんなで、即興やらジャズやらタンゴやら歌謡曲やら声やら讃美歌やらの7曲。
宜しければ買ってください、聴いてください。1000円。
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通算20枚目の月刊ソロCDR・2022年10月号完成!こんな曲やら音やら演奏が入っています!即興演奏多め、歌謡曲、讃美歌、タンゴなど全10曲。1000円!

1 アカシアの雨がやむとき:1960年、作詞・水木かおる、作曲・藤原秀行、歌・西田佐和子。例によって歌メロのみ。アドリブなし!
 
 1 アカシアの雨にうたれて
   このまま死んでしまいたい
   夜が明ける 日がのぼる
   朝の光のその中で
   冷たくなったわたしを見つけて
   あの人は
   涙を流してくれるでしょうか

 2 アカシアの雨に泣いてる
   切ない胸はわかるまい
   思い出のペンダント
   白い真珠のこの肌で
   淋しく今日もあたためてるのに
   あの人は
   冷たい瞳(め)をして どこかへ消えた

 3 アカシアの雨がやむとき
   青空さして鳩がとぶ
   むらさきの羽の色
   それはベンチの片隅で
   冷たくなったわたしのぬけがら
   あの人を
   さがして遙かに 飛び立つ影よ

2 自由な即興1:弦を指で弾く音にエフェクトをかけながら。以下今作も即興演奏含め収録曲は全てリアルタイム一発録り。オーバーダビングや編集は行わず、これが録音時に鳴っている音そのまま。今作の即興演奏はすべてエレクトリックヴァイオリンによる。

3 自由な即興2:これも弓は使わず。最近ライブサウンドインスタレーションに興味が湧いて何回かやってみて楽しかった影響が。そのことについてはこちらを。

4 みどりも深き:讃美歌。イエスの若き日々の生活に思いを馳せる讃美歌。
 1 緑も深き 若葉の里 
   ナザレの村よ 汝が巷を
   こころ清らに 行きかいつつ
   育ちたまいし 人を知るや

 2 その頭には かむりもなく
   その衣には かざりもなく
   まずしく低き 木工として
   主は若き日を 過ぎたまえり

 3 人の子イエスよ 君の御名を
   みつかいたちの 誉むる時に
   めぐみににおい 愛にかおる
   み足のあとを 我はたどらん

5 自由な即興3:エレクトリックヴァイオリンとアンプの間に生まれるフィードバックノイズをコントロールしたものにエフェクトをかけて。と書くとなんか料理みたい。

6 自由な即興4:これも弓を使わず。やっているうちにいつのまにかテーマのようなものが現れて繰り返されている。

7 Seu Nome E Jesus Cristo(その名はイエス・キリスト):ブラジルの讃美歌。作者不詳。日本語訳詞・松本敏之牧師。後半終わり近く、録音したデルソルカフェの隣の国道をバイクが通り過ぎていく音が入っている。通り過ぎていくんだよなあ。

 1 その名はイエス・キリスト
   飢えのため叫んでいる
   私たちはその前を
   足早に通り過ぎる
   その名はイエス・キリスト
   道端で眠っている
   私たちはかたわらを
   教会へと急ぎ行く

   ※繰り返し
   私たちのすぐそばに
   おられるのに気づかない
   私たちのただ中に
   おられるのにわからない 

 2 その名はイエス・キリスト
   家もなく仕事もない
   私たちはあざ笑う
   「ばかなやつ、働けよ」と
   その名はイエス・キリスト
   力の王であるより
   貧しさに身をおかれて
   人からしりぞけられる
   ※ くりかえし

 3 その名はイエス・キリスト
   平和と愛を求めて
   正義を説き始めると
   捕らえられ、黙らされる
   その名はイエス・キリスト
   牢屋の中に入れられ
   しいたげられる姿は
   私たちには見えない
   ※ くりかえし
    
8 自由な即興5:やっと弓で弾いている。ひとりのアンサンブルの移ろい。でも最後はやっぱりピチカート。

9 自由な即興6:今号最短の演奏。終わりの音は何度聴いても笑ってしまう。あ、やっと全部弓での演奏!

10 Nunca tuvo novio(恋人もなく):最後にタンゴをば、ひとつ。1930年、アグスティン・バルディ作曲、エンリケ・カディカモ作詞。生涯恋人がいないまま歳をとってしまった女性を哀れむ歌。そうなる前に恋をした方がいい、俺と付き合え、みたいな含意?それぞれの人生じゃないか、ほっとけよ、ひどい、と思うのだけれど、曲はこの上なく美しい。

そんなこんなの10月号。よろしければぜひ聴いてください。
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●今週の一言
 いよいよ安倍元首相の国葬が今週の火曜日に執り行われる運びとなっている。憂鬱だ。悲しい。悔しい。腹立たしい。
 それは、余りにも多くの人々の思いが完全に無視されていることによる。民主主義を守るため、などと首相は言うが、民主主義とは数の力にモノを言わせることではないはずだ。それは人々の声を大事にすることであるはずだ。人を無視しないことであるはずだ。それなのに。
 そして、これは先週も書いたことだが、こうした異論反論が多数挙げられているにもかかわらず、この行事を「国の葬儀」と名づけ、反対の思いを持った人々さえもその中に無理やり巻き込んでしまうことも、腹立たしい。この国の国籍を持つ者たち、あるいは日本人と呼ばれる人々は、イヤダと言っても無理やりこの行事の推進者としてひとくくりにされてしまう。
おまけにここには莫大な国費が投入されることになる。それは税金であって、日々苦しくなっていく生活の中でこの国に生きるみんながそれでもこの社会を共に維持していくために、と喘ぎながら納めているお金だ。それが、内閣の一存で、しかもこの大きな反対の声の中で、あっという間に使われてしまうのだ
政府は普段から、社会保障や教育にもっと予算を割くべきだという議論に対して、「財源が…」と言い、そこに力を注ぐことについてあれほど消極的であるのに。この国葬となればこれほど早く、これ
ほど強硬に事を進める。
これも繰り返しになるが、安倍元首相の政策や業績や人となりや、統一協会とのつながりなどについて、問題にしているのではない。誰であれ、国葬には反対なのだ。その意味においては、よその国の事だけれど、英国での前国王の国葬についても同じ思いだ。
誰も家族が引き取りに来ないホームレスの葬儀を、何度執り行ってきたことか。支援者が数名でお骨上げをした夕方の斎場でのあの寂しさ、切なさを思い出している。人間のいのちを国家が価値づけし、一方では無理やりに国葬をし、一方では無縁の死として顧みない。それでいいのか。
葬り、伴いは、家族機能の最たるもの。そしてその家族がいないなら、その機能をみんなで担う。それが抱樸の目指してきたこと。だから生前からみんなで懸命に関係を結び、思い出を紡ぎ積み上げる。そしてたとえ家族が来なくても、みんなで泣き笑いしながら故人を偲び、それぞれの胸にその人をよみがえらせ、受け入れてまた生きていく。それが抱樸の葬儀であり、追悼であり、偲ぶ会だ。
国葬はそれとあまりにも違うではないか。あまりにも無理やり、「国」というカテゴリー、枠組み、物語の中に故人自身を含め、みんなを押し込めてしまうのだ。ひとつひとつの関係性や出会いは全く大切にされない。そんな事が政府の一存でまかり通る国は、人権やいのちや人間の尊厳を結局は大事にしない国だ。
どうしたらいいだろうか。わたしたちは、わたしは、どう生きようか。教会は何を大事にし、何を目指すべきだろうか。火曜日だけのことではなく、問われている。

今年の4月の古着屋ブルーミーデイズでの初めての試みと、それに続く6月の教会古本市でのライブサウンドインスタレーションを振り返りながら。ちょっと間が空いてしまいましたが。

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「ライブサウンドインスタレーション」。この間、やってみたかった演奏の試み。4月、小倉の古着屋さん「ブルーミーデイズ」のイベントで実現。

「インスタレーション」というのは現代アートの表現のひとつで、作品は単に鑑賞の対象として展示されるのではなく、その空間を構成したり、変容させたりする要素として配置され、人々はその作品が組み込まれた空間に身を置いたり、そこを移動したりする事で、その、作品によって変化させられている空間そのものに参加する。場や空間全体が、そこに関わる人たちの存在や行動ごとアートとなるように何かをそこにインストールする(組み込む)こと。それがインスタレーションと呼ばれる行為。そこに配置された作品だけが「作品」なのではなく、それによって変容する空間や、その体験全体が出来事、現象としてアートになる。

それを、音でするのがサウンドインスタレーション。空間に音を挿入し、設置しそれによって空間のもつ意味や質を変化させ、人々がその響きの中に身を置く時に、新しい感覚を体験することができるようにすること。

BGMと違う点は、そこに用いられる音が、始まりから終わりに向かう音楽的構造をもった時間的性質を持たないこと。音楽的構造をもった曲や演奏を鑑賞することではなく、その空間の体験が目的であるため、曲としての構造へと意識を向けさせる事は避けなければならない。むしろ永続的で、空間的性質を持つ音や響きが求められる。従って、ここにおいては既存の楽曲がそのまま使われることはない。

それを、現場でリアルタイムで行うのがライブサウンドインスタレーション。通常、サウンドインスタレーションはコンピューターやその他の音響装置によって、あらかじめプログラミング・準備された音を会場で鳴らしたり、音が鳴るものを会場に配置したりすることで行われる。これを現場で実際に音を作りながらやってみたいと考えたのだった。

コンサートやライブの場合、演奏者の演奏を聴衆が聴く、という形をとる。演奏者の主体的な表現行為を聴衆が客体的に受ける形。けれど、サウンドインスタレーションにおいては演奏者の主体性より、空間そのものが大事。聴いてもらうことより、いつのまにかその響きの中に身を置くことによる体験のほうが重要。そして音をライブで配置する者自身も、その空間の一部となる。そんな体験をしてみたかった。

午後1時から夜8時過ぎまで計7時間余り。そのうち1時間ほどのライブ演奏を2回挟んで。この時間帯だけはお客さんに実際に演奏を聴いてもらう形。その他の5時間ほどはずっと、その空間とイベントそのものと響き合う新しい音を鳴らし続けた。少し演奏しては、その音を加工し、不規則に変化しながら空間に静かに配置されていくように設定する。暫くするとまた新しい音でそれを行い、空間の響きの色合いを変える。そんな風にして。決して音が「立つ」ことのないように注意を払って。それでもお客さんは、それがライブで演奏されている事に気づくお客さんが何人もいたのだと言う。それはまだまだ音が目立ちすぎていたのかもしれないけれど。

少し前のソロライブで、開場から開演までの短い時間に、この原型となる試みをしたことがあった。今回は初めて本格的にそれをやってみた事になる。とても面白い体験だった。空間そのもの、そこで過ごす人々を包む空気、響きそのものを大切にし、それと対話的に関わる行為。いわゆる「演奏」とはまったく異なる「演奏」。

さらに、教会の古本市でもやってみた。6/11の土曜日は午前11時から夕方6時までの7時間。これは一切「ライブ演奏タイム」のない、すべてサウンドインスタレーションのみ。前回の5時間をさらに上回る長時間の試み。そして翌6/12の日曜日は2時から6時の4時間。静かな、本との語らいの空間に、訥々と、点々と、浮かび、漂い、響く音たちが時を忘れさせる効果を生んで、好評。

またやってみたい。まだ未定だけれど、次の機会が楽しみ。

9/18の南小倉バプテスト教会週報「今週の一言」に書いた文章です。

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 自民党の衆議院議員で元幹事長の二階俊博氏が9月16日金曜日、衛星放送番組収録の中で、安倍元首相の国葬に反対の声が大きくなっていることについて以下のように述べたと報じられている。「終わったら反対していた人たちも、必ず良かったと思うはず。日本人なら」「長年つとめた首相が亡くなったのだから、みんな黙って手を合わせて見送ってあげたらいい」「国葬がどうだとか、こんな時に議論すべきではない。控えるべきだ」「欠席する人は、後々、長く反省するだろう。欠席しようがしまいが、国葬には関係ない。世の中にあまり賢くないということを印象づけるだけだ。選挙で取り戻すのは大変だぞ」
 明らかな差別、暴力、言論封殺、恫喝だ。
 国葬については時事通信が9日から12日にかけて行った世論調査の結果、「反対」が51.9%で、「賛成」25.3%となったと報じられている。反対が賛成の倍。国葬は「国論を二分」などしていない。二階氏の発言には、こうした世論へのいらだちや焦りが表れている。
 国葬に反対し続ける者は日本人ではない。二階氏はそう言った事になる。そしてそれは日本人でなければならない、日本人であることこそが正しい、という考えを前提にしている。それは日本と異なる国籍を持つ者やそこにルーツを持つ人々、異文化を背景に持つ人々を見下し排除するレイシズムだ。当然、それはこうした人々に対するヘイトスピーチや排除、攻撃に直結する。それらはそこにすでに含まれている。
 これは二階氏個人だけではなく、国葬そのものの問題だ。内閣が独断で閣議決定し、勝手に執り行うことにしたそのプロセスもさながら、国葬自体がこうしたレイシズムを体現し、さまざまな意見や立場、異論や批判や反対をすべて無視し、そのすべてを国葬への賛同へと強制的に取り込むものだからだ。国葬は、二階氏などが「黙ってろ」と苛立ちまぎれに発言することがなかったとしても、それ自体が弔意と沈黙を「国」の名のもとに強いる行事なのだ。だからどんな総理大臣であったかはここでは問題ではない。それが誰のものであれ「国葬」そのものが問題なのだ。
 8月31日、こんな風にツィートした。「いやだ!幼児の一番最初の強い意思表示はここから始まる。いやだは自分らしさの始まり。いやだを奪われることは自分を取り上げられること。いやだ、と言ってはいけない雰囲気は、だから危ない。みんなで、お互いに、いやだ!を大事にしよう。おやすみなさい。明日は明日、またあした。」
 だからこそ、国葬反対。差別と抑圧と、同質化の強要と、異質や「いやだ」の排除と、レイシズムに抵抗したいからだ。それらの暴力の下で苦しんでいるみんなとつながり響きたいからだ。そんなみんなに仲間がいること、ひとりではないことを伝えたいからだ。平和を創り出したいからだ。分裂や断絶に与せず、それら乗り越え修復しながら、人間らしく、共に生きたいからだ。そして、愛と平和と共感に生きたイエスを信じるからだ。
 

2022年秋シリーズ三部作の始まり!9月ならではの曲たち。収録曲は以下。すべて一発録り、オーバーダビング、編集なし。

1 月がとっても青いから:作詞:清水みのる 作曲:陸奥明生、1955年。ヴァイオリン一本で。ちなみに今年の中秋の名月は9月10日。

 月がとっても 青いから 
 遠廻りして 帰ろ
 あのすずかけの 並木路は 
 想い出の 小径よ
 腕を優しく 組み合って 
 二人っきりで さあ帰ろう
 
 月の雫に 濡れながら 
 遠廻りして 帰ろ
 ふとゆきずりに 知り合った 
 想い出の この径
 夢をいとしく 抱きしめて 
 二人っきりで さあ帰ろう

 月もあんなに うるむから 
 遠廻りして 帰ろ
 もう今日かぎり 逢えぬとも 
 想い出は 捨てずに
 君と誓った 並木みち 
 二人っきりで さあ帰ろう
 
2 竹に雀:この曲が演奏できなければチンドン屋には入れないとか何とかいう話をどこかで聞いたことがあるようなないような。旦過市場大學堂でのライブでは向かいにその頃あった八百屋のご主人がこれを必ずリクエスト、演奏が始まると踊り出すのだった。

3〜5 自由即興演奏:生のヴァイオリンで短い即興演奏を三つ。

6 耕す者への祈り:ビクトル・ハラ作詞作曲(1969)。1973年9月11日、チリ・アジェンデ政権に対する軍事クーデターが勃発。5日後、ビクトル・ハラはチリ・スタジアムで兵士たちによって虐殺された。以下歌詞、谷本仰訳。

 立ち上がれ 山を見よ
 風と陽と水のいずるところ
 汝、幾つもの河の流れを変え、魂の飛翔の種蒔く者よ
 起きよ 汝の手を見よ
 育ち 兄弟と手をつなぐための手
 今日こそ 明日になるその日
 我らを悲惨の内に支配する者から我らを救いだしたまえ
 正義と平等の御国を来たらせ給え
 谷間の花に吹く風の如く
 わが銃の銃身を焔の如くに清めたまえ
 御心のついにこの地になさせたまえ
 闘うための 汝の力と勇気を与えたまえ
 立ち上がれ 汝の手を見よ
 育ち、兄弟と握手するその手
 共に行こう 血で結ばれて
 今、われらの死のこの時に
 アーメン、アーメン、アーメン
 
7 こどもをまねく:小さいころに教会学校で歌ったこどもさんびか。
  
  こどもをまねく 友はどなた
  こどものすきな イエスさまよ
  ホサナとうたえ ホサナとうたえ
  こどものすきな イエスさまを

  こどもをまねく 王はどなた
  こどもをまもる イエスさまよ
  ホサナとうたえ ホサナとうたえ
  こどものすきな イエスさまを

  こどもをまねく 神はどなた
  こどもをすくう イエスさまよ
  ホサナとうたえ ホサナとうたえ
  こどものすきな イエスさまを

8 月がとっても青いから:エレクトリックヴァイオリン、アナログシンセサイザー、エフェクトを使って。気がつけば16分余りの大作になってしまった。

9 ニューシネマパラダイス:エンニオ・モリコーネ作。8月に旦過市場を襲った大火で焼失した映画館・小倉昭和館を思う。ヴァイオリン一本で。

10 どんだこんだどこだ:即興曲。どこともしれないどこかの歌。きっと村の老人がしゃがれ声で歌って、みんないつまでもゆるゆる踊るんだろうなあ。

以上10曲収録の9月号。どうぞ聴いてください。通販はコチラ

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夏休み明けの学校始業日はこどもたちの自死リスクが高まる事を知ってから、地域の公立小中学校の始業日に合わせて教会を開放することが始待ったのは2017年。今年で8/26で6回目。以下、その二日前からのツィート。写真は割愛。

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8月24日

「死ぬな、逃げろ。」夏休み明け始業日にこどもたちの自死が突出して増えると知って、そうツィートしたら2万リツィートされて驚いたのが5年前。以来毎年地元の小中学校の始業日には教会堂を開放して、その日学校に行くのがしんどい人たちはどうぞ、と呼びかけている。今年は8/26(金)の朝8時〜3時。

単に「逃げろ」と言うだけでなく、実際に「ここに逃げておいで」と逃げる先を示し、実際にお菓子やお昼を用意し、サポートするおとなの配置もしたのが珍しかったのかもしれない。あれからそうした具体的な取り組みが増えてきているなら嬉しい。生きる為の選択肢は一つでも多い方がいい。

大事なのは選択肢だと思う。それは幾つもあった方がいい。あれでなければコレしかない、というのはしんどい。下手をすると暴力的だ。地獄に行くのがイヤなら入信しなさい、献金しなさい、壺を買いなさいというのと同じ。生きるってもっと自由でいい。

5年前、びっくりするほど沢山のメッセージが届いた。殆どが肯定的で応援してくださるものだったけれど、考えさせられる応答もあった。大別すると3種類。多かったのは、こどもの逃げ場が必要なのはその日だけではない、というもの。

始業日が違う!というメッセージが沢山あった。ツィートを受け取った人は全国200万人以上にものぼったらしく、北九州から遠く離れた所で受け取った人も、我が事として感じたのかもしれない。まさか自分の言葉がそんな広がりを持つとは夢にも思わなかったので、驚きだった。

逃げ場がこどもたちに必要なのはその日だけではない、というのももっともなこと。毎日、必要なのだ。でもそれに対応する事は無理だった。だったらやらないのか、それとも限界もあって不十分だけれど、できる事を小さくてもやるのか。この教会は後者を選んだ。結局、何かを行うとはそういうことだ。

選択や行為には必ず限界、欠けが伴う。どんなに用意周到に計画し準備しても、不完全で限定的な事しかできない。どんな善行においてさえ間違いや人を傷つける要素が含まれている。人間はそういう「罪びと」だ。それでも踏み出す。スミマセン、と言いながら。そういうことだったのだと思う。

逃げ場が必要なのはこどもだけではない、大人も逃げたい、逃げて行っていいか。そんな応答もあった。確かに、追い詰められているのはおとなたちも同じ。そういう時代に共に生きていることを示す切実なことばたち。こどももおとなも逃げられる、みんなの逃げ場。それを作らねばと思った。

更に結局教会へと誘導しようとする汚い宗教勧誘だという意見。そんなことは考えたこともなかった。ただこどもたちに死んでほしくない、という思いしかなかった。違う、と叫びたかった。

でも、考えてみれば何より大事なのは人をキリスト教信仰に導くことで、全てはその目的の為の手段、とキリスト教会は往々にして考えてきた。キリスト教会が隠し持ってきたそのさもしい考え方、姿勢が見抜かれているのだ。そう思った。

しかし厄介なのは、人をクリスチャンに「する」のはその人の救いの為、と教会が考えがちであること。人助けさえも勧誘の手段にしたとしても、良かれて思っているのだ。でも結局目の前の人間のギリギリの必要、いのち、尊厳は二の次。キリスト教会のその構造的なホンネが問われていると感じたのだった。

シンプルでいいと思う。とにかく生きよう。そういうこと。死ぬのはとりあえず後回しにしてみない?そういうこと。明日が今日よりよくなるかどうかはわからない。知らない。もっと酷いかもしれない。それでも、そこは一緒に歩んでいくから、とりあえず生きてみないか。それ以上でもそれ以下でもなく。

自死のリスクは死にたい思いが沸き上がる短い時間を過ぎると下がるという。死んでしまいたいという思いに苛まれる人たちが生き延びるための、いのちの時間稼ぎ。それが必要。寄り添うことも、話を聴くことも、一緒にお茶することも、共に涙する事も笑うことも、歌うことも踊ることも、きっとそれだ。

みんな生き延びてね。いのちの時間稼ぎしてね。南小倉バプテスト教会は今年も少しだけでもお手伝いしたいと思います。8/26(金)朝8時〜午後3時。学校に行くのがしんどかったら、そしてそんなでもなくても何となくでも冷やかしでも立ち寄ってください。北九州市小倉北区弁天町11-19、0935715072。

8月25日

明日8/26、学校に行くのがしんどい人は、代わりに南小倉バプテスト教会でちょっとひと休みしてみませんか。朝8時から午後3時まで。誰でも自由に気軽にどうぞ。飲み物、お菓子、おにぎりもあります。何となく、興味本位、ヒマつぶしでもOK。北九州市小倉北区弁天町11-19、093-571-5072。

なぜ自分で死んではいけないのか。ごめん、その問いへの正しい答えは持ってない。ただ、嫌だ、悲しいとしか言いようがない。「お前が嫌かどうかなんて知ったことか、生きるのが辛いんだ死んだ方が楽だお前にわかってたまるか」と言われるだろう。そうだよね。ごめん、でも言わせてほしい。イヤだ。

自ら命を絶つことは絶対的に悲しいということばには、そうであるはず、そうであってほしい、という祈りが含まれている。絶対など人間には不可能だからだ。だから「死ぬな」も本当は命令ではありえないはず。きっとそれは祈りで、悲しい願い。みんな守られますように。生き延びる事ができますように。

自殺は罪だ、という考え方がある。でもそれを言うなら生きることだって罪。ただ、命が絶たれる時、神は悲しむ、と信じている。言葉を変えれば、それは絶対的に悲しいことだ、という意味。

あ、でもだからと言って、自ら命を絶った人は神によって地獄に落とされる、とは全く信じていない。とことん悲しくしんどい思いをして、生きることさえできなくなった人を地獄に落とすような神は、こっちから願い下げ。

絶対ということがどこかにきっとあると思い願うこと。それが「神を信じる」という言葉の意味だと思う。雲の上で、頭に光のわっかをかぶって、上の部分が渦巻き状になってる杖を持って白く長い衣を着て地上を見下ろしている髭の年配男性がいると思い込むことと、それはかなり違う。

8月26日

本日8/26は午後3時まで、南小倉バプテスト教会を開放しています。学校に行くのがしんどい人は立ち寄ってみてください。飲み物、お菓子、おにぎりあります。何となくでも興味本位でも冷やかしでも、どなたもどうぞ。
北九州市小倉北区弁天町11-19、0935715072。電話、メッセージもどうぞ。

お菓子、飲み物、おにぎりあります。学校行くのがしんどかったら、寄ってみてね。遊びに来てね。休みに来てね。自由に過ごしてください。3時まで。とりあえず死ぬのは後回しで。電話、メッセージもどうぞ。南小倉バプテスト教会:北九州市小倉北区弁天町11-19、0935715072。

おにぎりできました。学校行くのしんどかった人たち、何とか行けた人たち、腹減ったーの人たち、どうぞどうぞ、無料です。
南小倉バプテスト教会:北九州市小倉北区弁天町11-19、0935715072。電話やメッセージもどうぞ。

今日の教会開放のBGMをあげていくよ。まずレオン・フライシャー。

2枚目。ギドン・クレメルの、ル・シネマ。

3枚目、板橋文夫「お月さま」。いいなぁ。

4枚目、近藤久美子&レオナルド・ブラーボのタンゴデュオ。楽しい。

5枚目、メリンゴの「サンタミロンガ」。ニヤニヤしちゃう。

6枚目、スライ&ファミリーストーン。いえい。

7枚目本日の最後の一枚、マーヴィン・ゲイ。”What’s going on” ほんとに。

教会開放、一応終了。でもこの日だけじゃない。こどもたちだけじゃない。いつでも誰でもほっとでき、居場所にできるところでありたい。生きることへと一緒に向かいたい。そう思う。とりあえず、生きよう。
南小倉バプテスト教会:8030856北九州市小倉北区弁天町11-19、0935715072。

始業式の日の自死リスクが高まることは事実であっても、実際にこどもたちが助けを求めて飛び込んでくる可能性は低い。でも、死なないでほしい、という呼びかけと共に具体的な逃げ場を一つの選択肢として提示することには意味があると思う。微力。でも、できること。だからやりました。だからやります。

昨年3月から毎月出しているソロCDR作品・ほぼ月刊CDR谷本仰SoloSの最新8月号、出来ました。中身はこんな感じです。今回も一切オーバーダビングや編集なし、演奏したものをそのまま録音したものがこれです。

1 八月のドローン:長い持続音が重なり合い、うねる。12分余り。

2 海:歌いながら、弾きながら、歌いながら。

3 へそがかゆい:ピチカート(指弾き)による忙しい自由即興。

4 長崎の鐘:1949、作詞サトウハチロー、作曲古関裕而。長崎原爆で被爆しながら人々の救護に奔走した医師・永井隆による同年の著書「長崎の鐘」が下敷き。生のヴァイオリンで、旋律のみ。歌詞は以下。
 
 こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ
 うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ
 なぐさめはげまし 長崎の ああ長崎の鐘が鳴る

 召されて妻は天国へ 別れてひとり旅立ちぬ
 かたみに残るロザリオの 鎖に白きわが涙
 なぐさめはげまし 長崎の ああ長崎の鐘がなる
 
 こころの罪をうちあけて 更け行く夜の月すみぬ
 貧しき家の柱にも 気高く白きマリア様
 なぐさめはげまし 長崎の ああ長崎の鐘が鳴る

5 ビードロ:机の上にずっと置いてあったビードロを使った今月のモノオト即興演奏。デルソルカフェの外の国道をバイクが通り過ぎていく音が入っている。

6 やすかれわがこころよ:讃美歌。メロディはシベリウス「フィンランディア」。
 
 やすかれ、わがこころよ、主イエスはともにいます。
 いたみも苦しみをも おおしく忍び耐えよ。
 主イエスのともにませば、たええぬ悩みはなし。

 やすかれ、わがこころよ、なみかぜ猛るときも、
 父なるあまつかみの みむねに委ねまつれ。
 み手もてみちびきたもう のぞみの岸はちかし。

 やすかれ、わがこころよ、月日のうつろいなき
 み国はやがてきたらん。うれいは永久に消えて、
 かがやくみ顔あおぐ いのちのさちをぞ受けん。

7 とつとつぽとと:静かなピチカート即興歌。

というわけで計7曲入りの8月号です。1枚1000円。よろしければどうぞお聴きください。通販は→こちら。盤面タイトルは一枚一枚手書き。

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谷本仰

1963年大阪生まれ。ヴァイオリン(アコースティック/エレクトリック)、歌、声、鳴り物、エレクトロニクスほか。即興、ロック、アルゼンチンタンゴなど多種多様なバンド・ユニットでの演奏のほか、演劇、アート、映像、ダンス等様々なフィールドの表現者とも共演。2007年からはオリジナル作品と即興を中心にしたソロライブプロジェクト"Solo Dialogues"開始。2020年コロナパンデミック下、オリジナル描画ポストカード制作開始、2021年3月より月刊CDR・SoloSリリース開始。日本音楽療法学会認定音楽療法士。認定NPO法人抱樸副理事長。日本バプテスト連盟南小倉バプテスト教会牧師。



参加・主宰ユニット:
アルゼンチンタンゴ「トリオ・ロス・ファンダンゴス」(アコーディオン:いわつなおこ、ピアノ:秋元多恵子)
即興ロック「ドグラマグラ」(ギター:宮野章、ベース:フクヤマワタル、ドラムス:白川和宏)
「いのちのうたデュオ」(ピアノ:中島由紀子)
「Duo Dialogues」(ベース:フクヤマワタル)
「色音」(即興絵画:うどのあすか)
「Tremolo Angelos」(芝居・身体表現:大槻オサム)
「Two」(Dance improvisation:若林美保、大槻オサム)
「Solo Dialogues」 (谷本仰ソロ) 
ジャズファンクロック管弦楽団「呆けすとら」
ほか。

主な活動歴 (発表音源等は別掲)

1993年「いのちのうたデュオ」、1994年「ドグラマグラ」、1997年「呆けすとら」、1999年「トリオ・ロス・ファンダンゴス」活動開始。
2004年、劇団「うずめ劇場」作品「夜壺」北九州、エジプト・カイロ、東京公演に坂本弘道(cello)、伊牟田耕児(tb)と共に劇伴参加。
2005年、連続デュオ企画「谷本仰Dialogues」。ダンス、映像、絵画、ポエトリーなど、さまざまなフィールドの共演者との対話的パフォーマンスを展開。〜#13。
2006年3月広島、10月小倉にて芝居ユニット「アリノネ」による「新しい天使〜月に一番近い丘まで〜」(池内文平作品)公演音楽監督。劇中音楽の作/編曲・演奏。
2006年、アルゼンチンブエノスアイレス公演(トリオ・ロス・ファンダンゴスのメンバーとして、ダンサー「ケンジ&リリアナ」とともに)
2007年、広島オリーブプロジェクト参加を機に、ソロライブプロジェクト"Solo Dialogues"開始。
2008年8月北九州市市制45年記念水上野外劇「紫 まれびとエビス 紫川物語」音楽監督、劇中音楽作編曲、演奏。
2010年、大槻オサムとのユニット"Tremolo Angelos"によるオリジナル演劇作品「Dialogues in the Dark 〜光/身体/闇〜」で海峡演劇祭2010参加。
2011年 「Dialogues in the Dark 〜光/身体/闇〜」を「ホシハ チカニ オドル」に改題、「3.11」を契機に全国上演運動開始。中洲ジャズ2011参加(トリオ・ロス・ファンダンゴス、ドグラマグラ)。ブエノスアイレス公演(トリオ・ロス・ファンダンゴス with ケンジ&リリアナ)。
2012年、東京タンゴ祭2012参加(トリオ・ロス・ファンダンゴス)。
2013年、小松亮太&Tokyo Tango Dectet のメンバーとして「ブエノスアイレスのマリア」公演・ライブCD参加。3度目のブエノスアイレス公演(トリオ・ロス・ファンダンゴスwith ケンジ&リリアナ)。
2014年、3月福岡SAKURA TANGO FES.出演(以後〜2017)、8月SHANGHAI TANGO FES.招聘(トリオ・ロス・ファンダンゴス)。
2015年1月奈良タンゴ祭参加(トリオ・ロス・ファンダンゴス)。3月、ソロCD「谷本仰SOLO DIALOGUES」発表。初のソロツアー(3月:岡山、西明石、神戸、名古屋、大阪、京都。9月:大分、宮崎、鹿児島、熊本、大村、佐世保、佐賀。)11月〜12月ヨーロッパ・ルクセンブルグ&ウィーン、ブエノスアイレス公演(トリオ・ロス・ファンダンゴス)。
2017年 4月小松亮太「逆境のピアソラ、覚悟のピアソラ」参加。9月、関西タンゴフェス・グランミロンガ招聘(トリオ・ロス・ファンダンゴス)。8月CD「谷本仰Solo Dialogues」発表。11-12月ブエノスアイレス公演(トリオ・ロス・ファンダンゴス)。
2018年 3月ソロツアー西日本、九州。Sakura Tango Fes. タンゴショー「TANGO:首の差で」・グランミロンガ出演(トリオ・ロス・ファンダンゴス)、4月CD「Live at Del Sol cafe」(Geoff Leigh、河端一、谷本仰)リリース、10月韓国ソウル「Romantica milonguero en Seoul」11月「日本タンゴフェスティバル」出演(共にトリオ・ロス・ファンダンゴス)
2020年 描画、ポストカード製作開始。
2021年 CDR月刊「SoloS」スタート。

音源・映像ほか
CD
「トリオ・ロス・ファンダンゴス1」(2002)
「トリオ・ロス・ファンダンゴス2」(2003)
「トリオ・ロス・ファンダンゴス3」(2006)
「ゴーイング・ホーム」(ホームレス支援CD機2007)
「ドグラマグラ」(2009)
「トリオ・ロス・ファンダンゴス4」(2010)
「わたしのあおぞら」(ホームレス支援CD供2011)
「ホシハ チカニ オドル音楽集」(CDR、2012)
「トリオ・ロス・ファンダンゴス5」(2014)
「谷本仰SOLO DIALOGUES」(2015)
「トリオ・ロス・ファンダンゴス6」(2016)
「谷本仰SOLO DIALOGUES」(2017)
「Live at Cafe Del Sol」(2018)
「トリオ・ロス・ファンダンゴス7」「同セレクシオン」(2019)
「ほぼ月刊CDR谷本仰SoloS」(2021年3月制作リリース開始)

他。

VHSビデオ
「呆けすとらライブ!」

DVD「ドグラマグラライブ」#1、#2

通算17作目の谷本仰SoloS、最新7月号はこんな感じです。

1 ふ、ふふ、ふ:自分の声を素材に即興。ずれたり変調したりしながら、どこにも向かわないサウンド。最近ますますこういうの、好きっす。
2 9拍子のやつ:エレクトリックヴァイオリン即興曲。なにやらあれやらこれやら延々続く語りのような歌、みたいな。
3 おりんとスネアと管1:逆さにしたスネアドラムの上におりんを置いてマレットや弓で鳴らしながらドラムの横に開いている小さな穴に突っ込んだ空気入れの管を吹いて笛の音を出しながらドラムの皮を膨らませて響きや倍音を変えたりしている、のです。ジツは。全て生音、エフェクトなし、一発録りの演奏そのまま。これもどこにも向かわないサウンド。
4 生ヴァイオリン自由即興1:例によって、短いのを。
5 フロールデリノ : タンゴ。邦題「亜麻の花」。例によって、去っていった彼女を亜麻の花にたとえて。例によって歌メロだけ。
6 生ヴァイオリン自由即興2
7 小さなひつじが:イエスのたとえ話を下敷きにしたこどもさんびか。

  1 ちいさいひつじが いえをはなれ、
    ある日ひとおくへ あそびにいき、
    花さく野のはらの おもしろさに、
    かえるみちさえ わすれました。

  2 けれどもやがて よるになると、
    あたりはくらく さびしくなり、
    うちがこいしく ひつじはいま、
    声もかなしく ないています。

  3 なさけのふかい ひつじかいは、
    このこひつじの あとをたずね、
    とおくのやまやま たにそこまで、
    まいごのひつじを さがしました。

  4 とうとうやさしい ひつじかいは、
    まいごのひつじを みつけました。
    だかれてかえる このひつじは、
    よろこばしさに おどりました。
   
8 おりんとスネアと管2:3曲目のとは別の、より穴が管にぴったりのスネアドラムを使って。ガムテープで連結部の目張りをして。同じ管を使っているのに笛の音が余りしないのは目張りのせいかな。しゅーという空気音は息を管でドラムに吹き込む音。

そんなこんなの計8「曲」です。面白く聴いていただければうれしいです。

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通算16作目となるほぼ月刊CDR・谷本仰SoloS、2022年6月号リリースいたしました。以下収録曲紹介。

1 雨をふりそそぎ:聖歌570番。

  雨を降り注ぎ 恵み給うと 神は愛をもて 誓い給えり
  夕立のごと 天(あま)つ恵みを イエスよ今ここに 注ぎ給えや

  雨を降り注ぎ 強き音もて 眠る民の目を 覚まし給えや
  夕立のごと 天つ恵みを イエスよ今ここに 注ぎ給えや

  雨を降り注ぎ 神の言葉の 変わりなきことを 示し給えや
  夕立のごと 天つ恵みを イエスよ今ここに 注ぎ給えや

  雨を降り注ぎ ひとりびとりに 奇(く)しき汝(な)が業(わざ)を 見させ給えや
  夕立のごと 天つ恵みを イエスよ今ここに 注ぎ給えや

2、3、4 ヴァイオリンとアナログシンセ1、2、3:ヴァイオリンを弾きながら、同時にシンセサイザーも演奏。赤外線センサーも使って。2分前後の短い即興演奏を3つ続けて。

5 ステンレスボウルズ:大小二つのステンレスボウルをこすり合わせたり、押しつけたり。あはは、おもろい音やなぁ。完全に生の音。ノーエフェクト。

6 ああ主のひとみ:讃美歌243番。
  
  ああ主のひとみ まなざしよ
  きよきみまえを 去りゆきし
  富める若人 見つめつつ
  なげくはたれぞ 主ならずや

  ああ主のひとみ まなざしよ
  三たびわが主を いなみたる
  よわきペトロを かえりみて
  ゆるすはたれぞ 主ならずや

  ああ主のひとみ まなざしよ
  うたがいまどう トマスにも
  み傷しめして 「信ぜよ」と
  宣らすはたれぞ 主ならずや

  きのうもきょうも かわりなく
  血しおしたたる み手をのべ
  「友よ、かえれ」と まねきつつ
  待てるはたれぞ 主ならずや 

7 Por una cabeza 首の差で:アルゼンチンタンゴ。1935年、カルロス・ガルデル作曲。競馬になぞらえて人生や恋を語る。例によって歌メロのみ。

8 さとうきび畑:今年2022年5月15日のソロライブでの21分に及ぶ演奏のライブ録音。この日は沖縄の「本土復帰」から50年の日。ざわわ、ざわわ、ざわわ。到底きれいに美しく演奏などできなかった。ノイズと、いつ果てるともしれない繰り返し。21分でも足りない歌。沖縄の5月、そして6月。祈り。

9 雨だれダンス:即興曲。

というわけで、全9曲。お楽しみいただければ幸いです。

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通算15枚目となる谷本仰ほぼ月刊ソロCDR、最新5月号リリース!
今作に入っているのはこんな曲や音たち。

1 んちゃかんどんど:今月のエレクトリックヴァイオリン即興曲。何か東アジアのノリ。ノリって朝鮮半島の言葉では「遊び」の意味で、英語ならグルーヴ。そういうことだあ。

2 アルミボトル:今月のモノオトその1。アルミボトルにコンタクトマイク、エフェクト、即興演奏。

3 みかんの花咲く丘:みかんの花ってこの頃。1946。
 
 みかんの花が 咲いている 思い出の道 丘の道
 はるかに見える 青い海 お船がとおく 霞(かす)んでる

 黒い煙を はきながら お船はどこへ 行くのでしょう
 波に揺られて 島のかげ 汽笛がぼうと 鳴りました

 何時か来た丘 母さんと 一緒に眺めた あの島よ
 今日もひとりで 見ていると やさしい母さん 思われる

4 ゴム風船:今月のモノオトその2。風船ふくらまして、濡らした手指でこすって。色んな音がして面白い、でしょ?

5 朝露(アチミスル):金敏基(キム・ミンギ)、1970。韓国の反軍政民主化運動の中で歌われるようになり、発表当初は健全歌謡とされていたにもかかわらず、1975発禁処分。光州の五月を心に留めながら、ラストの「金冠のイエス」と共に。
 
 夜明け前に 草場に宿る
 真珠よりきれいな 朝露のように
 私の心 哀しみ宿れば 
 朝 丘に登り そっとほほえんでみる
 太陽は墓場を紅く照らし 
 真昼の暑さ 試練の時か
 私は行く あの荒野(あらの)へ
 哀しみのりこえ 私は行く

6〜8 今月の生即興1、2、3。例によって短い自由即興を間髪入れず連続一発録り。

9 金冠のイエス:作詞・金芝河(キム・ジハ)、作曲・金敏基(キム・ミンギ)、1977。今作最後の曲は、祈り。
 金芝河はこのリリース直前の5月8日、天に召された。そんなことになるとは3月の録音時には思いもせず。そしてこの曲を最後に置いてのリリース発表と同時に、彼の訃報に接したのだった。不思議にも、呼ばれるようにしてここに。
 
 凍てつくあの空 凍てつくあの荒野
 太陽も光を失い ああ真っ暗なあの貧困の街
 どこから来たのか やつれはてた人びと
 何を求めてさまようのか あの目 あのひからびた手
 ※くりかえし
  おお主よ 今はここに おお主よ 今はここに
  おお主よ 今はここに ここにわれらと共に
  おお主よ 今はここに おお主よ 今はここに
  おお主よ 今はここに われらと共にいませ
 
 ああ 街よ 孤独の街よ
 拒絶された手の ああ真っ暗な屈辱の街
 どこにあるのか 天国はどこに
 死のむこうの青い森に ああ そこにあるのか
 ※くりかえし
 
というわけで全9曲の2022年春シリーズ三部作完結編の5月号。お楽しみいただけたらうれしいです。

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