谷本仰

日々の思いや、ライブのことなど

通算16作目となるほぼ月刊CDR・谷本仰SoloS、2022年6月号リリースいたしました。以下収録曲紹介。

1 雨をふりそそぎ:聖歌570番。

  雨を降り注ぎ 恵み給うと 神は愛をもて 誓い給えり
  夕立のごと 天(あま)つ恵みを イエスよ今ここに 注ぎ給えや

  雨を降り注ぎ 強き音もて 眠る民の目を 覚まし給えや
  夕立のごと 天つ恵みを イエスよ今ここに 注ぎ給えや

  雨を降り注ぎ 神の言葉の 変わりなきことを 示し給えや
  夕立のごと 天つ恵みを イエスよ今ここに 注ぎ給えや

  雨を降り注ぎ ひとりびとりに 奇(く)しき汝(な)が業(わざ)を 見させ給えや
  夕立のごと 天つ恵みを イエスよ今ここに 注ぎ給えや

2、3、4 ヴァイオリンとアナログシンセ1、2、3:ヴァイオリンを弾きながら、同時にシンセサイザーも演奏。赤外線センサーも使って。2分前後の短い即興演奏を3つ続けて。

5 ステンレスボウルズ:大小二つのステンレスボウルをこすり合わせたり、押しつけたり。あはは、おもろい音やなぁ。完全に生の音。ノーエフェクト。

6 ああ主のひとみ:讃美歌243番。
  
  ああ主のひとみ まなざしよ
  きよきみまえを 去りゆきし
  富める若人 見つめつつ
  なげくはたれぞ 主ならずや

  ああ主のひとみ まなざしよ
  三たびわが主を いなみたる
  よわきペトロを かえりみて
  ゆるすはたれぞ 主ならずや

  ああ主のひとみ まなざしよ
  うたがいまどう トマスにも
  み傷しめして 「信ぜよ」と
  宣らすはたれぞ 主ならずや

  きのうもきょうも かわりなく
  血しおしたたる み手をのべ
  「友よ、かえれ」と まねきつつ
  待てるはたれぞ 主ならずや 

7 Por una cabeza 首の差で:アルゼンチンタンゴ。1935年、カルロス・ガルデル作曲。競馬になぞらえて人生や恋を語る。例によって歌メロのみ。

8 さとうきび畑:今年2022年5月15日のソロライブでの21分に及ぶ演奏のライブ録音。この日は沖縄の「本土復帰」から50年の日。ざわわ、ざわわ、ざわわ。到底きれいに美しく演奏などできなかった。ノイズと、いつ果てるともしれない繰り返し。21分でも足りない歌。沖縄の5月、そして6月。祈り。

9 雨だれダンス:即興曲。

というわけで、全9曲。お楽しみいただければ幸いです。

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ライブスケジュール更新いたしました。諸々変更もあるかもしれませんが、どうぞ宜しくお願いいたします。

6/4(土)希望のまち「みんなのにわづくり」ライブパフォーマンス
小倉北区神岳「希望のまち」予定地
15時半〜16時、観覧無料
出演:黒田征太郎(絵)と子どもたち×谷本仰(演奏)

6/5(日)ソロ
SINGS〜Hallelujahライブin小倉
【西小倉ケイトミュージック】093-561-8314
福岡県北九州市小倉北区大門2-3-6 葭本(ヨシモト)ビル1F
開場16:30/開演17:00、2500円(要オーダー)
※限定15席です。ご予約下さい。(満席になり次第、締め切らせていただきます。ご了承ください。)
出演
佐伯雅啓(from広島)ギター、三線
小林宏志(from岡山)ギター
谷本仰(小倉)ヴァイオリン
秋元多恵子(小倉)ピアノ
※レナードコーエンの「Hallelujah(ハレルヤ)」をテーマに、めくるめく「歌」「詩」「唄」の饗宴! お見逃しなく!!!

6/11(土)〜12(日)ライブサウンドインスタレーション
教会で古本市
【南小倉バプテスト教会】093-571-5072
北九州市小倉北区弁天町11-19
6/11(土)午前11時〜午後6時
6/12(日)午後2時〜午後6時
なんでも一冊50円(カンパ上乗せ大歓迎)
※古本大募集!どんなものでもOK。できるだけきれいなものをお願いいたします。6/1以降に着くように宅配、郵送、持ち込みをお願いいたします。
  
6/16(木)・17(金)生笑一座
愛知公演

6/18(土)色音(即興描画:うどのあすか)
【ココクル平野】
北九州市八幡東区平野1-3-2
大人1500円、小学生以下500円、未就学児無料
限定20席
予約tanise@har.bbiq.jp/080-1711-5074

6/23(木)ソロ
かんかん村

6/26(日)トリオ・ロス・ファンダンゴス
ミロンガ
【ティエンポ】092-762-4100
福岡市中央区大名1-15-11 Daimyo11511ビル3F
18時オープン 2800円(T.I.会員2300円)ワンフードチケット(500円)

7/7(木)トリオ・ロス・ファンダンゴス
Rhythm 2周年ライブ
【熊本Rhythm】

7/9(土)宅嶋淳トリオ
【Voodoo Lounge】

7/18(月)トリオ・ロス・ファンダンゴス
【みどりのねこ】
14時半開場、15時開演
3000円(ドリンク付き)

7/19(火)ナカタニタツヤ×河端一×谷本仰
【デルソルカフェ】093-662-2013
北九州市八幡東区前田3-10-26

7/31(日)トリオ・ロス・ファンダンゴス
ミロンガ
【ティエンポ】092-762-4100
福岡市中央区大名1-15-11 Daimyo11511ビル3F
18時オープン 2800円(T.I.会員2300円)ワンフードチケット(500円)

通算15枚目となる谷本仰ほぼ月刊ソロCDR、最新5月号リリース!
今作に入っているのはこんな曲や音たち。

1 んちゃかんどんど:今月のエレクトリックヴァイオリン即興曲。何か東アジアのノリ。ノリって朝鮮半島の言葉では「遊び」の意味で、英語ならグルーヴ。そういうことだあ。

2 アルミボトル:今月のモノオトその1。アルミボトルにコンタクトマイク、エフェクト、即興演奏。

3 みかんの花咲く丘:みかんの花ってこの頃。1946。
 
 みかんの花が 咲いている 思い出の道 丘の道
 はるかに見える 青い海 お船がとおく 霞(かす)んでる

 黒い煙を はきながら お船はどこへ 行くのでしょう
 波に揺られて 島のかげ 汽笛がぼうと 鳴りました

 何時か来た丘 母さんと 一緒に眺めた あの島よ
 今日もひとりで 見ていると やさしい母さん 思われる

4 ゴム風船:今月のモノオトその2。風船ふくらまして、濡らした手指でこすって。色んな音がして面白い、でしょ?

5 朝露(アチミスル):金敏基(キム・ミンギ)、1970。韓国の反軍政民主化運動の中で歌われるようになり、発表当初は健全歌謡とされていたにもかかわらず、1975発禁処分。光州の五月を心に留めながら、ラストの「金冠のイエス」と共に。
 
 夜明け前に 草場に宿る
 真珠よりきれいな 朝露のように
 私の心 哀しみ宿れば 
 朝 丘に登り そっとほほえんでみる
 太陽は墓場を紅く照らし 
 真昼の暑さ 試練の時か
 私は行く あの荒野(あらの)へ
 哀しみのりこえ 私は行く

6〜8 今月の生即興1、2、3。例によって短い自由即興を間髪入れず連続一発録り。

9 金冠のイエス:作詞・金芝河(キム・ジハ)、作曲・金敏基(キム・ミンギ)、1977。今作最後の曲は、祈り。
 金芝河はこのリリース直前の5月8日、天に召された。そんなことになるとは3月の録音時には思いもせず。そしてこの曲を最後に置いてのリリース発表と同時に、彼の訃報に接したのだった。不思議にも、呼ばれるようにしてここに。
 
 凍てつくあの空 凍てつくあの荒野
 太陽も光を失い ああ真っ暗なあの貧困の街
 どこから来たのか やつれはてた人びと
 何を求めてさまようのか あの目 あのひからびた手
 ※くりかえし
  おお主よ 今はここに おお主よ 今はここに
  おお主よ 今はここに ここにわれらと共に
  おお主よ 今はここに おお主よ 今はここに
  おお主よ 今はここに われらと共にいませ
 
 ああ 街よ 孤独の街よ
 拒絶された手の ああ真っ暗な屈辱の街
 どこにあるのか 天国はどこに
 死のむこうの青い森に ああ そこにあるのか
 ※くりかえし
 
というわけで全9曲の2022年春シリーズ三部作完結編の5月号。お楽しみいただけたらうれしいです。

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お待たせしました!4月号ができました!収録されているのはこういう曲や音たち。イースター・復活祭関連の讃美歌3曲収録。

1 今月の即興演奏:エレクトリックヴァイオリン、エフェクト、アナログシンセサイザー。

2 主は生きたもう:イースター・復活祭の讃美歌。12世紀にはすでにドイツで歌われていたとされる。「現在伝わっている最古のドイツ語宗教民謡」(「讃美歌21略解」より)。
  
  主はいきたもう 死ははや敗れて
  いのちのかどは 今しもひらかる ハレルヤ(讃美歌156)

3 ボウル1:今作のモノオトはステンレスボウル。弓で弾いたり、指で叩いたりの自由即興。様々な倍音、色んな響き。「ボウル1〜4」はいずれもエフェクト類は使わず、マイクで録った生の音。

4 ボウル2:小さな泡立て器を使って。

5 ボウル3:ボウルに炭酸水を注いでから、あれこれ。シュワシュワ言ってるのはそのせいです。面白いことに、炭酸水を入れると打音がミュートされて鈍い音に。後半はボウルの中の炭酸水を揺らしながら叩いたり弾いたり。

6 ロンドンデリーの歌:アイルランド民謡。以下の歌詞の讃美歌「この世の波風騒ぎ」にもなっている。
  この世の波風さわぎ 誘いしげき時も
  悲しみ嘆きの嵐 胸にすさぶ時にも
  御前に集い祈れば 悩み去り憂きは消ゆ
  いざ共に讃え歌わん 恵み深き主のみ名

7 Lord of dance:讃美歌21・290番「おどり出る姿で」。19世紀のイギリス・シェーカー教徒の歌が元になっている。原詞の直訳は以下。

  わたしは世界が始まったあの朝、踊った
  そしてわたしは月や星や太陽の中で踊った
  そしてわたしは天から降りてきて地上で踊った
  ベツレヘムでわたしは生れた
   ※くりかえし
   だから踊れ、あなたがたがどこにいようとも
   わたしは踊りの主、と彼は言った
   そしてわたしはあなたがたみんなを導く、あなたがたがどこにいようとも
   そしてわたしはみんなを踊りの中へと導く、と彼は言った
 
  律法学者やパリサイ派の人々のためにわたしは踊った
  でも彼らは踊らず、わたしに従いもしなかった
  わたしは漁師たちのために踊った、ヤコブとヨハネのために
  彼らはわたしと一緒に来た、そして踊りは続いていった
   ※くりかえし
  
  わたしは安息日にも踊って、歩けない者を癒した
  聖なる人々はそれは恥ずべきことだと言った
  彼らはわたしを鞭打ち、裸にして、高く吊るした
  そしてそこ、十字架の上にそのままにして死なせた
   ※くりかえし
  
  わたしは金曜日に踊った、空が暗黒に変わったとき
  悪魔を背中に乗せて踊るのは大変だ
  彼らはわたしの身体を葬り、わたしが去ってしまったと思った
  でもわたしは踊りそのもの、わたしは進み続ける 
   ※くりかえし

  彼らはわたしを切り倒した そしてわたしは高く跳びあがった
  わたしはいのち 決して決して死なないいのち
  わたしはあなたがたの中で生きる、あなたがたがわたしのうちに生きるなら
  わたしは踊りの主 と彼は言った 
   ※くりかえし

8 夜明けの星が:イースターのこどもさんびか。
  
  よあけのほしが ひかるころ
  マリヤは はかへ いきました

  みつかい はかで つげました
  「主イエスは ここにはおりません」

  よろこびあふれ でしたちは
  主イエスのかおを おがみます

  「おおしくゆけ」と キリストは
  しずかにつよく いわれます
   
9 ボウル4:最後にもう一度ステンレスボウル。こちらは普通の水を入れて、あれこれ。5の「ボウル3」より響きがストレート。弓で弾いて揺らして、泡立て器で鳴らして、弓で弾いて揺らして。

というわけで全9「曲」収録の4月号。イースター特別号です!お楽しみいただければ幸いです。

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お待たせしました!ほぼ月刊CDR最新3月号、できました!色々あって遅くなりました、すみません。まあ、ほぼ月刊ですから。すみません。入っているのはこんな曲たち。

1. あいたたた:エレクトリックヴァイオリン即興。コロナの影響で外に出られなくなったり、ようやく明けたと思ったら腰をやってしまったり、の後の、今回録音全27曲の一曲目がこれ。

2. ジャンベにマレット:ジャンベの打面にマレット2本を置いて弓で弾いたり、ふちで弾ませたり。

3. ヘラ1:お好み焼きのヘラを二枚使って。かつてドンキホーテで購入。良い音のするやつを選ぼうととっかえひっかえ鳴らしてたら後ろを店員さんがうろうろし始めて笑った。

4. ヘラ2:弓で弾いたらこんな。これもそのままの生音録音。重ね録りなどもナシ。

5. 世界はすてき:What a wonderful world。ルイ・アームストロング。間奏部分はボブ・ディランの「風に吹かれて」。戦争反対。谷本仰訳詞は以下。

 緑の樹々 赤いバラ 
 咲くのはきみとぼくのため 
 だから思うのさ 世界はすてき
 青い空に浮かぶ 白い雲 
 まばゆい陽の光 漆黒の夜 
 だから思うのさ 世界はすてき
  虹の光が空に映えて 行きかう人々の顔を七色に染める
  みんな手を握り合い こんにちは 
  だけどほんとは言ってるのさ ”I love you”
 赤ん坊が泣く 泣いて育っていく 
 ぼくなんかよりずっと多くを学ぶだろう
 だから思うのさ 世界はすてき
  爆弾と涙の雨ふりやまず 身体も心も引き裂かれしまま 
  それでも世界がすてきだとすれば 
  それはきみとぼくが夢を捨てぬから
 赤ん坊が泣く 泣いて育っていく 
 ぼくなんかよりずっとずっと多くを学ぶだろう
 だから思うのさ 世界はすてき 
 だから思うのさ 世界はすてき

6. 浜辺の歌〜ひと度は死にし身も:あれから11年目の「3.11」が巡ってきた。「浜辺の歌」につないだ讃美歌は2番の歌詞をイメージしながら。惨憺たる光景の中にイエスの足跡、そして傷痕。
 
 あした浜辺を さまよえば 昔のことぞ しのばるる
 風の音よ 雲のさまよ 寄する波も 貝の色も
 
 主の受けぬこころみも 主の知らぬ悲しみも 
 うつし世にあらじかし いずこにもみ跡見ゆ
 昼となく夜となく 主の愛に守られて 
 いつか主に結ばれつ 世には無き交わりよ
 
 風の音よ 雲のさまよ 寄する波も 貝の色も

7. 別れのブルース:ブルースの女王・淡谷のり子の名曲。窓を開ければ〜。

8. パンを裂こう共に:黒人霊歌。原題”Let us break bread together"。訳詞(一番)は以下。
 
 パンを裂こう共にひざまづいて
 パンを裂こう共にひざまづいて
 ひざをつき 上る太陽に顔を向けて
 おお主よ わたしを憐れんでください
 
9. Uno(ウノ):タンゴ。失恋でボロボロになった男の歌。やっぱり。

というわけで全9曲。気がつけばエフェクター使用は一曲のみ。歌モノは例によってほぼ歌のメロディ−のみ。
今回も録音はデルソルカフェの大庭謙仁さん。いつもありがとうございます。

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昨年3月からスタートしたほぼ月刊CDR「谷本仰SoloS」の新作、通算12作目となる2022年2月号リリースいたしました!今作でぐるっと一年間。聴いて応援してくださったみなさんありがとうございます!そんなわけで今作に入っているのはこんな演奏たち。

1 オルゴール1:曲はチャップリンの”Eternally”。映画ライムライトの主題曲。人形の中から取り出した2個のオルゴールをエフェクトで変調。途中でゼンマイを巻く音、外を通り過ぎる車の音。

2 オルゴール2:さらにノイズ化する名曲。

3 やっぱり春は眠い:エレクトリックヴァイオリンによる即興。9分30秒。

4 ぱらぱらおちる:小さい頃から好きだったこどもさんびか。ピチカート。歌詞は以下。

 1.ぱらぱら落ちる雨よ雨よ ぱらぱらぱらとなぜ落ちる
   乾いた土をやわらかにして きれいな花を咲かすため 

 2.ちらちら落ちる雪よ雪よ ちらちらちらとなぜ落ちる
   葉のない枝にあたたかそうな 真綿の服を着せるため

 3.きらきらひかる星よ星よ きらきらきらとなぜひかる
   旅する人が暗い夜にも 迷わず道をを行けるため

 4.ちゅんちゅん歌う鳥よ鳥よ ちゅんちゅんちゅんとなぜ歌う
   きれいな歌で世界の人に み神の愛を知らすため

5 美しき天然:1902年生まれのこの歌が日本初のワルツ。弾きながらつい練り歩きたくなる。1番の歌詞は以下。
  
   空にさえずる 鳥の声 峯より落つる 滝の音
   大波小波 鞳鞳(とうとう)と 響き絶えせぬ 海の音
   聞けや人々 面白き 此の天然の 音楽を
   調べ自在に 弾き給う 神の御手の 尊しや

6〜10 二月は逃げる1〜5:生ヴァイオリンの自由即興演奏集。それぞれ50秒、51秒、53秒、59秒、1分12秒。並びも録音順。この5曲がこの日の全29曲録音の最後の演奏。

以上全10曲。気がつけばほぼ月刊史上最多収録曲数の2月号。どうぞ聴いてください。定期購聴大歓迎。いっぺん試しに聴いてみよか、も大大歓迎。

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新年あけましておめでとうございます!
1月号・新作ソロCDRできました!入っているのはこんな曲やモノオトたち。

1 ミルクパン1号と泡立て器:小さな片手鍋と小さな泡立て器を使った自由即興演奏。エフェクター多用。いろんな音。ヴァイオリンでなくてもいいのです。

2 ミルクパン2号と泡立て器:1とは違う鍋。1号より安物だけれど、元々こっちを台所で鳴らして面白かったのが事の始まり。やっぱりエフェクターでズタズタ。途中、ひゅわーんと鳴るのは弓で鍋を弾いてる音。

3 翼小唄:生ヴァイオリン一本で。つまりジミ・ヘンドリックスの”Little wing”なんですが、こんな感じなのでこう呼びならわしております。頭の中で尺八が吹きすさぶのだった。

4 主われを愛す:1月号唯一の讃美歌。一番はこんな歌詞。
   主われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ 
   わが主イエス わが主イエス わが主イエス われを愛す
  大阪弁バージョンはたしかこんな。
   イエスさんわてをすいたはる イエスさんつよいさかいに
   わてよわあても こわいことあらへん 
   わてのイエスさん わてのイエスさん わてのイエスさん わてをすいたはる 

5 あたた、あたたた:エレクトリックヴァイオリンの自由即興演奏。まあ結局、鍋でもヴァイオリンでもこうなってしまうわけです。

6 盆天盆天盆天盆:即興演奏曲。昔々ある所で、天が大きなお盆だと考えていた人々が新年の新月の夜「盆天祭」を催し夜通し踊った。その音楽をエレクトロ弦楽ソロで再現した貴重な演奏。ホント。

7 きらきら星:もとは18世紀のシャンソンなんだって。知らんかった!それをかのモーツァルトが変奏曲にしたんだって。へぇええ。6歳の時に最初に習った曲を即興変奏アンサンブル。

というわけで今号は全7曲。全部一発その場録り。なかなか楽しい音や曲満載。楽しんでお聴きいただければ幸いです。

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今年3月から始まった谷本仰のソロCDR月刊リリース、ついに第10号となりました。今12月号は一曲を除き、すべてクリスマス関連讃美歌の特別版!収録曲は以下。

1. オープニング「全部消えた」:11月5日デルソルカフェソロライブの一曲目即興演奏のライブ録音。開場後お客さんの入場と共に演奏開始、定刻に少し挨拶してそのままライブに突入。これはその部分からの音。演奏後につけた曲名は「全部消えた」。二日前にうかっとメールソフトのデータを全部消してしまったので。演奏の中身や形とは無関係のタイトル。ソロのライブ録音を音源化したのは初。

2. だから今日希望がある:タンゴの讃美歌。作詞フェデリコ・パグーラ、作曲オメロ・ペレラ。1979年、軍政下のアルゼンチンで生まれた抵抗の闘いの讃美歌。アルゼンチンタンゴと讃美歌の融合はこの作品が初めて、と言われている。歌詞は以下。訳詞:松本敏之(1998)

 1. 主が貧しい馬小屋で お生まれになられたから
   この世界のただ中で 栄光示されたから
   主が暗い夜を照らし 沈黙破られたから
   固い心解き放ち 愛の種まかれたから
 (くりかえし)
  だから今日、希望がある
  だから恐れずたたかう
  貧しい者の 未来を信じて 歩み始める
  だから今日、希望がある
  だから恐れずに生きる
  貧しい者の 未来を信じて

 2. 主がおごる者をちらし 高ぶる者を低くし
   小さく貧しい者を 引き上げ、ほめられたから
   主が私たちのために その罪と咎を背負い
   苦しみと痛みを受け 十字架で死なれたから
 (くりかえし)

 3. 主がよみがえられたから 死を打ち破られたから
   もう何も主の御国を さえぎることはできない
 (くりかえし)

3. まぶねの中に:讃美歌。イエスの誕生から十字架の死までの生涯を歌う。エレクトリックヴァイオリンで四声をそのまま重ねていく形で。

4. Go tell it on the mountain:黒人霊歌。行って告げよ、山の上で!イエス・キリストが生まれた、と!

5. Patapan:18世紀のフランスのクリスマスカロル。「太鼓と笛でクリスマスを祝おう!」エレクト 
リックヴァイオリンで。

6. うまやの中に:13世紀のフランスのクリスマスカロル。日本語訳詞は以下。アコースティックヴァイオリンバージョン。日本語歌詞は以下。
  うまやのなかに しずかにねむりませ かがやける天使らは まぶねの主イエスをまもる
  ろばにかこまれ しずかにねむりませ かがやける天使らは まぶねの主イエスをまもる
  み母のうでに  しずかにねむりませ かがやける天使らは まぶねの主イエスをまもる
  星はきらめく  しずかにねむりませ かがやける天使らは まぶねの主イエスをまもる 
  きよいこの夜  しずかにねむりませ かがやける天使らは まぶねの主イエスをまもる
  
7. うまやの中に:6と同じ曲をエレクトリックヴァイオリンで。即興的にひとりアンサンブル。

8. ノエルノエル:18世紀フランスのクリスマスカロル。エレクトリックヴァイオリンでひとり輪唱。

9. 久しく待ちにし:讃美歌。9世紀のラテン語聖歌に由来。救いを今か、今かと待ち望むクリスマス待降節アドベントの歌。一節の日本語歌詞は以下。
  久しく待ちにし 主よとく来たりて
  み民の縄目を 解き放ちたまえ
  主よ 主よ み民を 救わせたまえや


というわけで過去最多の全9曲入り。2曲目から9曲目は録音当日の録音順そのまま。ほぼこの流れで次々に録音。ライブ音源も含め、なかなか特別な12月号!どうぞお聴きください。

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 南小倉バプテスト教会の聖書講座はシリーズ犬貌りました。今シリーズのテーマは「イエスと女性たち」。イエスと女性たちの関わりを、聖書はどう描き物語っているのかに注目していきます。
 先月の第一回では、イントロダクションとして、イエスの語る譬の中に、女性たちはどう描かれたかを見てみました。パンを作る女性、失われた銀貨を探し出す女性など、イエスの譬では、神の国や神ご自身が女性に喩えられています。また放蕩息子の譬に登場する父親は、当時の宗教者たちの「父なる神」の強く厳格な男性イメージとは正反対の、いのちに寄り沿い、その回復をひたすら喜ぶ姿で描かれています。当時この父親はジェンダーとして「女性的」とみなされた事でしょうし、それは今も変わらないと思われます。またイエスが信仰者の模範として見たのも、有り金の少額硬貨レプタを二枚ささげた貧しいやもめの女性でした。イエスは、歴史や社会の隅に追いやられている者を、世界の真ん中に置きなおし、その存在に光をあてて希望や愛を語ります。そしてそこには繰り返し女性たちの姿やイメージが重ねられています。第一回はこうした事を分かち合いました。
 そして第二回目が先週火曜日と昨夕開催。今回はイエスの母マリアに注目しました。マタイとルカ福音書に描かれたマリアのいわゆる「処女懐胎」物語が、イエスの神性・聖性を強調する為に書かれ、イエスやマリアの人間性、身体性、肉体性、具体性を削り落とそうとしていることに注目しました。それでもなお、そこには人間の具体性が現れてしまうのでした。またローマ軍が常駐するガリラヤでの女性へのローマ兵による性暴力の頻発と、まだ14歳前後であったと考えられるマリアがその被害者であった可能性を示唆する古代の文献の存在についても触れました。
 また四福音書におけるマリア像の変遷も見ていきました。マルコ福音書の、マリアを含むイエスの親族批判。それがマタイ福音書では弱められ、弟子たちの権威付けが強まります。ルカ福音書ではマリアが信仰者の理想像、進歩的で自由な女性として描かれ、マルコのイエスの親族批判はさらに弱まります。ヨハネ福音書では一女性としての彼女が強調されるのでした。
 マリアが実際にどんな女性であったのかは、よくわかりませんし、はっきりしません。手がかりがないのです。講座でみんなで考えてみました。ひょっとすると、よくわからないし、はっきりしないのがマリア自身だったのかもしれません。マリアは若くしてイエスを妊娠出産し、幼少期のイエスに困惑し、イエスの人生の最後の数年の激動に巻き込まれ翻弄され、イエスを虐殺され、イエスだけでなく初代教会の指導者となったその弟ヤコブの母としても尊敬を集める晩年を過ごしたと考えられます。きっと何が何だかよくわからなかったことでしょう。それでも彼女は生きました。彼女はイエスにまつわるすべてをありのままに受け入れて生きる中で、それらを神のみ旨として受けとめていったのかもしれません。そして彼女のその姿こそが「聖母」のイメージの原型であったのかもしれません。
 次回第三回とその次の第四回はそれぞれルカ福音書と、ヨハネ福音書に描かれたマルタとマリヤに注目します。昼の部は12/14の火曜日午前10時から、夜の部は同18日土曜日午後7時からの予定です。どうぞ皆さんご参加ください。

(南小倉バプテスト教会11/21週報今週の一言増補)

ほぼ月刊CDR・11月号、出来ました!

収録曲は以下。

1. トンテンカン:即興。エレクトリックヴァイオリンでクリップや定規を使って。なんだかどこかの工事現場みたい。建築中?それとも解体中?

2. こないだまで半そで半ズボン:即興。アコースティックヴァイオリンによる短くて速い演奏。それにしても急に寒くなってびっくりしましたよね。

3. かきくうけえこ:これもアコースティックヴァイオリンによる即興。冒頭のピチカートの倍音やサワリ、弓の木の部分で出す微音、ランダムなアルペジオと短いながら次々に音場面が展開しているのがわれながら楽しい。

4. 心を高くあげよう:讃美歌。歌詞は以下。南小倉バプテスト教会で月に一度必ず歌うのだけれど、コロナでずっと2番までしか歌っていない。

  1、こころを高くあげよう 主のみ声にしたがい、
    ただ主のみを見あげて こころを高くあげよう。

  2、霧のようなうれいも、やみのような恐れも、
    みなうしろに投げすて、こころを高くあげよう。

  3、主から受けたすべてを、ふたたび主にささげて、
    きよき み名をほめつつ、こころを高くあげよう。

  4、おわりの日がきたなら、さばきの座を見あげて、
    わがちからのかぎりに、こころを高くあげよう。

5. 砂まじりの喉:タンゴ。原題”Garganta con arena"。1993年、カチョ・カスターニャ作詞作曲。美声を誇った名歌手ロベルト・ゴジェネチェが晩年病を得て声がかすれ、音楽の表舞台から退いた事を惜しんで開催されたコンサートイベントで初演。歌え、喉に砂が混じっても!

6. ディープ・リバー:黒人霊歌。深い河(Deep river)の向こう側にホームがある。そこへ帰りたい。何もかもが平和な、そこへ。

7. ハレルヤ:Leonard Cohen, 1984。「ハレルヤ」は本来神への感謝や讃美を表す言葉。でもこの歌では人間のボロボロの現実が次々に描かれ、その都度それが繰り返される。原曲は5年の歳月をかけて作られ、歌詞は80節に及んだとか。延々、延々、えんえん、ハレルヤ。

8. ちいさな虹:即興曲。冷たい雨が降ったりやんだりの夕方、山の裾の一角だけにちいさく陽が当たってて、そこにそのひなたのサイズの虹が出てた。未完成のまますぐに消えたけど、たしかにそれは虹だった。

そんなこんなの8曲の11月号です。秋深まり、近づく冬の気配の中で楽しんでいただければ幸いです。コロナがこれからどうなるのかさっぱりわかりませんが、このCDRで谷本仰の演奏を楽しんでいただければうれしいです。ライブがまだまだ自由にできない中、お買い求めいただくと大変大変助かります。どうぞ宜しくお願いいたします!

通販承ります。→コチラ
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10月号リリースいたしました!収録曲は以下!

1 ドローン:即興演奏。自分の出している音や生み出される響きとの対話。こんなんなんぼ演ってもいいですから。今日はこれくらいにしといたろか、の16分弱。

2 ワゴムワ:即興演奏。そばぼうろのカンカンに張った輪ゴムをはじくと、あらふしぎ、どこか遠くの知らない民族の村の撥弦楽器のよう。前半はそれだけで演奏。ところであれは輪ゴム?ゴム輪?  

3 昔主イエスの蒔きたまいし:讃美歌。即興で音を重ねて、ひとりアンサンブル。イエスが蒔いたいのちの種がどんどん芽生えて育って広がって、地の果てまでその枝を張る樹になりましたとさ、というような歌詞。

4 悲しきミロンガ:タンゴ。ミロンガ。作曲セバスティアン・ピアナ、作詞オメロ・マンシ、1937年。死んでしまった恋人の不在を嘆き、呻く歌。

5 逆にこれくらいにしといたろか:生ヴァイオリンで色んな音を次々に。正味65秒。来月号まで含め、月刊CDR全録音中最短。1曲目とえらい違い。

6 昔主イエスの蒔きたまいし2:3と同じ讃美歌の別テイク。こちらは生ヴァイオリンでシンプルに。

7 ここも神の御国なれば:讃美歌。こんな有り様の世界だけれど、それでも天地は神の歌を歌い交わしていて、朝日夕陽は輝き輝いて、そよ風さえも神は共にいる、と語る。そんな歌。歌の旋律をそのまま3番まで。

8 またあした:即興曲。なんか曲終わりで暗転しそう。

そんなこんなの10月号。秋の夜長にどうぞ聴いてください。ライブはまだまだ自由にできませんので、この形で各地の皆さんに聴いていただければ嬉しいです。1000円です。お買い上げくださると大変助かります。宜しくお願いいたします!

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出来ました、ほぼ月刊CDR谷本仰SoloS#7・最新9月号!

ライブやツアー激減のこの状況を何とかせねば、と思い立って今年3月からほぼ月刊で出してきた谷本仰のソロCDR作品「谷本仰SoloS」。3〜5月号の春シリーズ、6〜8月号の夏シリーズを経て、いよいよ2021年秋シリーズ三部作に突入!今回もまた録音後のオーバーダブなど一切なし、すべて一発録音。ほぼ、無観客ライブ録音です。またまた、ええのができました!

9月号の収録曲は以下。曲名は即興演奏の場合、例によってテキトーです。だいたいは演奏とは全く関係がありません。すみません。

1. コオロギ:エレクトリックヴァイオリンによる完全即興演奏。今回の秋シリーズの全録音の最初の演奏。とにかく勝手なモノオトのよう。そういえばすでに日本でもコオロギの養殖が始まっているそうで。牛肉よりタンパク質の含有率が遥かに高いとか。ほおぉ。…秋ですなあ。

2. ヘヴィコンダーラ:エレクトリックヴァイオリンによる即興その2。上記一曲目に続いて演奏。イビツに壊れずれた音たちが次第にヘヴィにぐるぐる、なんか気持ちよおくなってくる。重いコンダーラというやつでしょうか、これが。

3. この夏は何回雨漏りしたことか:アコースティックヴァイオリンによる完全即興。弦にクリップを挟んでプリペアードにして。なんかどこかの知らない国の知らない不思議な金属打楽器のよう。ほんとによく降った夏だった。何度も雨漏り。

4. わたしの荷車の軸:アルゼンチンフォルクローレ歌手・作曲家アタウアルパ・ユパンキの曲。原題「ロス・エヘス・デ・ミ・カレータ」は邦題ではもっぱら「牛車に揺られて」と訳されているけれど直訳も歌詞も車軸とそのノイズがテーマ。ギシギシ、ギィギィ。歌詞は以下(谷本訳)。

 車軸に油を ささぬから
 おいらは ろくでなし なんだとさ
 軋む音が 愛しいのさ
 なんで油など さすものか

 あまりにも 退屈 退屈すぎて
 わだちをたどり、辿るだけ
 道をたどり、辿るだけ
 楽しみくれる人もなし

 静けさなんかほしくはない
 思うことなど、ありはしない
 遠い昔にあったこと
 今はもうない、思うことなど

 おいらの荷車の軸に 油などささないさ
  
5. 想いの届く日:不世出のアルゼンチンタンゴ歌手カルロス・ガルデルの名曲を、たったひとりで。例によってただ歌の旋律だけの、ただそれだけの演奏。夜中の三号線を走るトラックの音が横切っていく。

6. 善き力にわれ囲まれ:讃美歌。ヒットラーの暗殺計画に加わり処刑されたドイツの牧師・神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーが死の前年1944年に獄中で書いた詩に基づく歌。
 
 善き力にわれ囲まれ 守り慰められて
 世の闇共にわかち 新しい日を望もう
 過ぎた日々の悩み重く なおのしかかるときも
 さわぎたつ心しずめ み旨に従いゆく

 (繰り返し)
 善き力に守られつつ 来るべき時を待とう
 夜も朝もいつも神は われらと共にいます

 たとい主から差し出される 杯は苦くても
 恐れず感謝をこめて 愛する手から受けよう
 輝かせよ主のともし火 われらの闇の中に
 望みを主の手にゆだね 来るべき朝を待とう

 (繰り返し)

7. 丘の上に十字架立つ:讃美歌。原題は”Old rugged cross”。1912年の作品。あの古いささくれだった十字架を、わたしは何よりも愛する。そこでイエスがわたしのために苦しんだからだ。そんな歌詞。

8. ラジオノイズ〜見上げてごらん夜の星を:AMラジオを使った即興演奏から、坂本九へ。ラジオというものに、なんだかとっても憧れる。自分の中には歌も言葉もない。ただ電波を受信して、それを鳴らすだけ。そんな器になりたい。でもなれないから憧れ。

というわけで、全8曲、収録時間43分余り。録音とミックスはいつものように、大好きなデルソルカフェの大庭謙仁さん。

とにかく、ライブのように聴いていただければ幸いです。CDRはいつのまにか再生できなくなったりする可能性もあり長期保存に向きませんので、どうぞご了承ください。あれだったらパソコンとかに保存してください。でもそのまま聞けなくなってもいいんじゃないかなあ、なんて。


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”Jesus's blood never failed me”あんまり素敵で、美しくて、哀しくて、やさしくて。

イギリスの路上で無名の老ホームレスの歌う讃美歌をサンプリングした曲。「イエスの血はこれまでわたしの期待を裏切ったことがない。この一事をわたしは知っている、彼はこんなにもわたしを愛してくださるからだ。」

さがさなくてもいいように、いつでも、何度でも聴けるように。

こころに
しずかに
やさしい
あめが
ふるよ

出ました!ほぼ月刊CDR谷本仰SoloS#6。夏シリーズ三部作の最終第3弾、暑さで溶けそうな8月号です。1000円です。収録曲は以下。

1. 竹田の子守唄:京都の被差別部落に伝わる歌。奉公先の家の赤ん坊をおんぶしてあやし歩く子守りの子どもの労働哀歌。

2. ぴよぴよの樹:アコースティックヴァイオリンによる短い即興。ピヨピヨ鳴る音が笛みたい。そういえば夕暮れ時に雀か何かで満ちててすごい鳴ってる街路樹!あれは集まって身を守る術らしい。下は糞だらけ。

3. 大腰筋が痛い:弦楽即興サイケデリックブルース。6月号レゲエ、7月号ファンクと来れば、8月号はブルースしかございません。車に乗り込んで最後に右脚を入れようとすると脚の付け根がイテテとなるのは、歩く機会が減って大腰筋が弱ったせい。きっとそう。

4. げこげこげげげ:エレクトリックヴァイオリンによる即興。音が楽しくて自分で聴いててもなんだか笑っちゃう。いつもそうだけど。何も決めず考えずイメージもなく一発録り。げげげ、げこげこ、げげげげ。わはは。

5. 八月五日の夜だった:1974年作品。美空ひばりの、広島原爆前夜の歌。谷本による解説はコチラ。あの夜、あの橋のたもとでこどもたちが遊んでいた。

6. 思えば昔イエスきみ:讃美歌。歌詞は以下。

 思えば昔イエスきみ おさなごをあつめ
 ともに遊ばせたまいし その日なつかしや
 「われにこよ。おさなき子」と 呼びまししきみの
 愛のみ手にいだかれて み顔あおがばや

 きみは今もみ空にて 子らを召したもう
 いざやともにゆかまほし 恋いしきみもとに
 救われし子らの家は み国にそなわり
 多くのおさなごつどいて きみをほめたたう

7. そなたもあれか:エレクトリックヴァイオリンのピチカートのみによる即興。いつしかなんだか主題みたいなのが現れて展開し、最後にちゃんと主題が再現されて終わるのが可笑しい。少しずつずれていくのも楽しいなったら。

というわけで全7曲、トータル41分ちょっと。

録音:大庭謙仁(デルソルカフェ)

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「八月五日の夜だった」(作詞・松山善三、作曲・佐藤勝。1974年。歌・美空ひばり。)

かすりの着物 赤い帯 提灯ポッカリ ぶら下げて
橋のたもとに 影法師 二つ重ねた 指切りの
八月五日の夜だった あなたはどこに あなたはどこに

女心は 綾結び ホタル一匹 闇をさく
橋のたもとの 願い事 いつかあなたの お嫁さん
八月五日の夜だった あなたはどこに あなたはどこに

三人 四人 五人の子 どんぐりまなこ 小さな手
橋のたもとで 鬼ごっこ 二人の明日を夢に見た
八月五日の夜だった あなたはどこに あなたはどこに

美空ひばりの「一本の鉛筆」が1974年にシングル盤としてリリースされた際、そのB面に収録された歌。童謡や民謡のようにさえ聞こえる素朴な旋律。広島に原爆が落とされる前夜、会って将来を約束しあった人の消息・行方は、翌日以来わからなくなってしまう。歌の主は彼をずっと探し求めているのです。
歌詞には、それ以外にも、原爆にまつわるさまざまなエピソードやイメージ、そしてメッセージが隠されているように見えます。たとえば各節で「橋のたもと」という言葉が繰り返されています。幾筋も川が走る広島の街には、数多くの橋がかかっています。原爆投下直後から、川面は、致命的な火傷を負って体内の水分が失われて水を求め、そこで亡くなった人々の身体で埋め尽くされました。そのことを想い起こさせます。
一節には「橋のたもとに影法師」と歌われます。原爆の炸裂と共に全方位に放たれた数千度の熱線を爆心地近くで直接浴びた人は一瞬にして焼け焦げて炭化し、崩れていきました。その人がいたところには影だけが文字通り痕跡として残りました。川にかかるあちこちの橋に、その場で即死した人々の影が焼きついていたはずです。この歌は広島の街全体に焼きついたこの記憶を呼び覚まします。
また、橋のたもとで鬼ごっこをしていたこどもたちは、そのまなこや小さな手は、翌朝、どうなってしまったのでしょう。広島の原爆資料館の展示物の中に、一台の焼けてぼろぼろになった三輪車があります。これに乗って遊んでいたこどもはどうなったのだろう。そのことを思うたび、胸が締め付けられます。
広島、そして長崎に、また沖縄に、いや世界中いたるところ、人間のいのちの傷痕が今も口を開いているところに、その前夜があった事も、想い起こされます。
わたしたちが大切にしてきた主の晩餐も十字架の前夜の食卓の名残を色濃く残しています。その想起から教会の礼拝は始まりました。すべての「前夜」にイエス・キリストが共におられた。そこに祈りや希望、平和、未来が示されている。そう信じて、今日もそこから、また立ち上がって共に歩み始めたいと思うのです。
 
※日本バプテスト女性連合・月刊「世の光」に2016年4月〜2018年3月までの2年間にわたって連載を担当した「地の歌・天の歌」の2017年8月号の為に書き、結局「長崎の鐘」と差し替えた為幻となった原稿を元に、2017年8月6日の南小倉バプテスト教会週報今週の一言に掲載した文を増補。

 オリンピックの事を考えると、いろいろ言いたくなる。なにより、そもそも、と言いたくなる。
 そもそも、東日本大震災からの復興を示すため、などと言われた。そうなのか。ほんとうか。今も故郷に帰ることができないでいる人。あの日、大切な者を失った人。あれから生活がすっかり変わってしまった人。そんな人々にとって、オリンピックって、復興って何だ。
 そもそも、福島第一原発事故は「アンダーコントロール」だと安倍前首相はオリンピックを招致するにあたって断言した。そうなのか。ほんとうか。福島第一原発は、事故の処理の完了のメドもつかず、廃炉作業の見通しもさえ立たない。汚染水は貯まる一方。恐ろしい量の放射線を出し続けているデブリは、炉内から取り出すことはおろか、人が近寄ることさえできない。今も必死で収束作業にあたり続けている人々にとって、オリンピックって何だろう。
 そもそもコロナなのだ。一年開催が延期されても、事態は好転していない。ちなみに、開会式前日の東京の新規陽性判明者数は1979名。そして東京都新型コロナウィルス感染症対策サイトによれば、その日の検査数は2430名。陽性率81.4%。検査ではほとんど陽性者を捕捉できておらず、東京に潜在的に陽性者が夥しい数で存在している事になる。数字のミスであってほしい。
 そもそも四度目の緊急事態宣言のただ中。学校行事は中止延期が今も相次いでいる。飲食店も大変な思いをし続けている。音楽家たちをはじめ、表現者たちも。楽しく自由に街で集まり、話し、飲み、歌い、踊りたい人たちも。誰もがみんな我慢している。必死で耐えている。
 そんな中、世界中から数万人もの人々がやってきて、東京が、オリンピックが巨大な感染源となって世界中に感染症が広がる可能性も指摘されている。しかしそんな考え方は「反日」だ、と前首相は呪いを吐く。
 東京のあちこちでホームレスたちが居場所を追われ、奪われている。そもそもいのちや人権より、オリンピックの方が大事か。
 そもそも、近代オリンピックの父と呼ばれるクーベルタンは強い優生思想の持ち主だった。強い男性兵士たちをスポーツ振興・教育によってエリート育成し、強い軍隊を作る事を目指したのだった。そしてだからこそ、女性がオリンピックに参加する事を嫌悪し、禁じ、徹底的に反対したのだった。そもそも、このオリンピズムこそが人間を国家の道具と見做し、優秀有能有力であることを至上価値とする思想だったのだ。
 そもそも、小山田圭吾氏のいじめに関するインタビュー記事問題での辞任、小林賢太郎氏のホロコーストをネタの一部に取り入れたコント問題での解任は一体何だったのか。いじめへの加担、ユダヤ人大虐殺をコントの題材に軽く用いる事は問題。それは当人たちも認めている。しかしいじめや、障害者差別は、自己責任、経済的有益性を最重視する社会全体の問題だ。そしてそもそもこの国の政府は、加害の歴史を無視・軽視してきたではないか。彼らの過去の発言や作品はそれらと無縁ではありえない。罪のない者から石を投げよ、というイエスの言の前に、この社会は、そしてこのわたしはどう立つのか。謝罪し、自らの過去のありようを改めて振り返って「未熟」で「愚か」だったと述懐する彼らの言葉に、思わず自分を重ねている。断罪し、レッテルを貼り、切り捨てる。それは呪いだ。誰かが、誰であれ、呪われるのを見るのは悲しい。彼らがその後どう変化し、生きてきたのかが、その人生そのものが、丁寧に受け止められるのを見たい。そもそも、祝福に出会いたいのだ。他人事ではないのだ。
 そもそもが、止まらない。そもそも、がぐるぐる。そもそも、なんやねん、オリンピック!

【南小倉バプテスト教会7/25週報・今週の一言】

 「極めて政治的な意図を感じざるを得ませんね。彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか。共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています。朝日新聞なども明確に反対を表明しました。」
 月刊Hanadaの八月号に掲載された、安倍晋三氏の発言。オリンピックが世界的な感染拡大を促進する危険性を野党が指摘している、と述べた櫻井よしこ氏に対して。
 「反日」という言葉は多くの場合、中国や韓国などにおける、日本やその政府への反感を表す言葉として用いられてきた。日本が戦争で無数のアジアの人々を傷つけ殺した歴史も、これを無視し否定する政治家たちの姿勢が今もアジアの人々に耐え難い痛みを与え続けている現実も、この言葉からは抜け落ちている。
 さらに近年、「反日」は、日本国内で政府の政治姿勢を批判する人々にも向けられ、ネット上、また街頭で撒き散らされるヘイトスピーチで多用されるようになった。安倍晋三氏はそんな言葉をそのまま使ったのだ。
 思想家の内田樹氏は、このようにして一言で自分と考えを異にする相手にレッテルを貼り、その個別の事情や思い、歴史や文脈を無視し、相手を記号化して切り捨てる態度や言説を「呪い」と表現している(「呪いの時代」)。そしてこれが目立つようになったのは1980年代半ばからだ、と指摘する。奇しくも歯止めのない弱肉強食の経済論理「新自由主義」が世界を支配し、人間が際限のない経済競争の中で「勝つ」為に役立つかどうか、という一点だけで価値判断され、尊厳といのちを踏み躙られる時代に突入すると同時。偶然の一致ではないと思う。新自由主義こそが呪いそのものなのだ。
 呪いを解くには祝福が必要、と内田氏は述べる。それは一切のレッテルや解釈を離れ、延々とただありのままに対象を叙述していくこと。時にそれはただ自然をありのままに写し取っていく言葉。時にそれは人の苦しみの生の軌跡・歴史をありのままに聴いていくこと。
 祝福は一言で済まない。時間がかかる。延々語り続け、聴き続けねばならないからだ。その為にはずっと付き合い、伴い続けなければならない。「いつまで」などと問うこともせず、オチがなくても、どこに行くのかわからなくても。それは共に生きることそのもの。愛だ。
 コロナ禍が猛威を振るう中、みんな苦しんでいる。そんな今だから、呪いではなく祝福が必要だと思う。伴い歩むことへ。互いのいのちや人生の物語を受け入れ合う関係、社会、共同体、自分自身の再構築へ。
 キリスト教は、教会、クリスチャンは、わたしたちは、本当に祝福してきたか。むしろキリスト教的な言葉や枠組みに人間を当てはめ、言葉では到底語り尽くせない人生や存在を切り捨てていないか。そうであったなら教会は呪いに加担してきたことになる。「反日」と切り捨てるあの態度は、実は、他人事ではない。
 「アーメン、アーメン。そうやね、そうやったんやね」と頷きながら傷ついた者たちの話を聴いたイエス。十字架に至るまで、そして復活して今もなお、罪を負った者たちに伴い続けるイエス。教会はそんなイエスの身体。呪いから離れよう。呪いを解こう。祝福、愛、共に生きる共同体として歩もう。こんな時代だからこそ。

【南小倉バプテスト教会7/18週報今週の一言に増補】

             

 7/8木曜日、日本バプテスト連盟ホームレス支援特別委員会主催のオンラインミーティングが開催された。テーマは「キリストの体として・・今、教会に何ができるだろう」。こんな言葉も参加呼びかけの案内には添えられていた。「こんな相談を受けたことがありませんか?・お金を貸してほしいのですが… ・三日間食べてないのですが… ・体調が悪いのだが病院に行けない… ・DVを受けて逃げてきたのですが… ・アパートを追い出された… など」。10教会から計22名が参加。
それぞれの関心事も含めた自己紹介で、楽しく予定の時間の大半が過ぎてしまう。そう、みんな自分の事を話したいし、聴いてほしい。自分もそう。コロナでその機会が本当に減ってしまっているのだし。自分を語ることって大事。
 その後フリートーク。ぼくは進行役。話題は、お金に困っている人が教会を訪ねてきて、借金を申し込まれた場合の対応について、へ。どうするのがいいのか、正しいのか。牧師がいないときの対処法は。ほんとうは何に使われるのか。その他様々なケースや思い、悩みが次々に紹介されていく。切実だ。
 訪れる一人一人の事情、状況がそれぞれ全く違うので、これが正しい、という答えはない。個々人の事情や物語もどこまでが事実かわからない。牧師も確信をもって対処できるわけではない。みんな迷いながら、わからないながら、対応せざるをえない。むしろそんな事を真っ直ぐに語り合って共有することが大事なのかもしれない。そんな風に思うのだった。
 そんな中で奥田牧師は、イエスが何十年も病気で横たわったままの人に敢えて「治りたいのか」と問うたエピソードを紹介しながら、一人一人の「本当の願い」がイエスにとって大事だった、ということを示した。確かにこれは当たり前の事のようで、実は当たり前ではない。長らく苦しい状況が続くと、それを生き抜くことだけで精一杯になり、ほんとうはどう生きたいのか、どうなりたいのかがわからなくなることがあるもの。借したお金は実はお酒に消えたかもしれない。パチンコで無くなるかもしれない。実は、と話してくれた深刻な事情にさえ、嘘が含まれているかもしれない。でもほんとは、どう生きたかったのか。そんな自分になりたかったのか。本当はどう生きたいのか。人が癒されて立ち上がるには、実はこの問いが必要なのだ。
 でも、ひとりで考え込んでも、答えが出るとは限らない。むしろそれでは余計にわからなくなったり、迷路に迷い込んでしまうことが多い。この問いは確かに、たったひとりのその人への問い。でも大切な問いであればあるほど、答えはたったひとりでは出せなかったりする。誰かが一緒にいること。誰かと共に在ること。他者との関わり、つながり、出会い。その中でこそ、人はこの問いに真に向き合える。イエスに問われる、とはそういうことでもある。
 人間には他者が必要。自分の本当の願いを知る為に。自分自身になる為に。生きる為に。実はそれこそが人間の本当の願いかもしれない。教会はどう応えるか。イエスから問われているその人に、教会はどう寄り添えるか、つながれるか、一緒に歩めるか。どう共にその問いに関わることができるか。教会自身もその問いを自分自身にどう受け止めるか。そこが問題。
 とても良いオンラインミーティングだった。あっという間に時間が来て、延長しても時間が足りず、来月にもパート2を開催することに。直接会えなくても、こうして大切な事を一緒に考えることができる。その意味ではいい時代になったといえるかもしれない。みんなでまた正直に、具体的に、共に生きることを考えていきたいと思う。

(南小倉バプテスト教会2021/7/11週報今週の一言)

出ました!ほぼ月刊CDR谷本仰SoloS#5。7月号です。夏シリーズ三部作の第2弾。1000円です。収録曲は以下。

1. 日暮れて四方は暗く:讃美歌。夕暮れの歌。そしてやっぱり葬式で歌う歌。ここでは和声をそのままに。順番はソプラノ→アルト→ベース→テノール。音楽療法士の資格を得るために通った福岡教育大学で和声学だったかの授業で聞いた「テノールは永遠性を表現するのです」が忘れられない。

2. 麻婆豆腐、単品で:アコースティックヴァイオリンの短い即興。近所の中国料理店「旺角」(と書いて「ワンチョ」と読む)の麻婆豆腐は、「単品」で頼むと土鍋でグッツグツのバッチバチのアッツアツで出てくる。「ランチ」だと皿で出てきてこの感じがないので、こっちの方が、うまいし楽しい。そういうこと!

3. 星めぐりの歌:ドローンの即興演奏から、宮沢賢治へ。16分余り。ライブだったら絶対曲名言わずに始めるなあ、これは。うん、7月、七夕だもんね。

4. 日暮れて四方は暗く2:こちらは即興的に音を重ねたバージョン。そうこうするうち、やっぱりなんだか呼吸するような感じになっていくのでした。

5. レボルーションソング・革命歌:ミャンマーのクーデター軍政に対する市民の不服従運動(CDM)の中で今、歌われている歌。

6. ゆるゆる:10分近い即興サイケデリック弦楽ファンク。色んなゆるゆるがノリで集まってきて重なって膨らんで、気がつけば大変な事に。ゆるゆるだけに手がつけられない。やがて街路に、世界に、空に、海に、すべての片隅に、こころに、ゆるゆるは溢れるのであった。今にみてろ。ゆるゆるやぞ。知らんど。

以上6曲、43分弱。うーむ、いいのができたなあ。名作。

録音:大庭謙仁(デルソルカフェ)

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先日行った下到津のインド・ネパール系のカレー屋さん「ナマステブッダ」。前にも一度訪れたことがあって、その時の、なんというか、味も値段も店の感じも気取らない感じがよかったので。
キマカレーを注文。チキンティッカがついてるBセット。サラダ、スープ、ラッシーがバイキングでついてて、ナンかご飯かが選べる。ここはやはりナン。なんといっても。なんちゃって。で850円、税込み。うむ。やっぱり気取ってない。
注文した後もメニューを往生際悪く眺めているうちに、どうしてもガマンができなくなり、サラダとラッシーを取りにいくと見せておいて、厨房の入り口から中のコックさんに、まだ注文変えてもいいですか?と声をかける。インド人なのかネパール人なのか、はたまたそう見せておいてスリランカの人か、そのあたりはわからないけれど、イイデスヨ!と笑顔で頷いてくれたので「じゃ、マトンに変えてください!」彼の目が一瞬「ほお、マトンにしてきよったか」とでもいうようににやりと光った、気がした。
壁のテレビにはずっとインドのポピュラーミュージックPVが流れている。極彩色の衣装の、夥しい人々が踊る踊る踊る。間違ってもインド伝統音楽とか、クラシックとか、ジャズとかはここにはない。土埃舞う、汗ばむ、めくるめくその感じが、いい。
ナンが出てきた。でかい。これまで数々のナンを見て来た中でも屈指のでかさ。なんだこれは。なんなんだ。舟。そう、舟だ。これに乗り込んでカレーの海へと漕ぎ出せということなのか。よろしい、そうしよう。
そしてやってきたマトンカレー。うまい。濃いい。体温が上がる、ような気がする。ナンをちぎっては浸してほおばり、ほおばってはナンをちぎり。みるみる舟がこの身体に内在化されていく。そうだ、わたしは舟になるのだ。カレーの海原を越えていくのだ。
一緒に行ったムスメのチキンカレーにもナンを浸させてもらう。口に入れると、あれっ!?今口にカレーを入れたよね?と感じるほど、あっさり。濃厚な純米無濾過生原酒飲んだ後で、間違って上善如水を口に含んでしまった感じ?たとえれば?わかりにくい?わかるよねわかるひとには。マトンからの落差のせいだ。慌ててマトンに駆け戻る。きっと不安だったのだと思う。早く帰らないと。こどものころに自転車にのっていつのまにか見知らぬところに来てしまっていて、夕暮れていく中を泣きそうになりながら走って帰ったあの日を思い出した。マトンに帰り着く。ただいま!瞬時に世界がまた汗ばむ感じに。オマエはこっちの世界の人間なんだよ、という声が小さな銀色の器の中から囁いた気がした。にやりとまた、さっきのコックさんと同じ目が笑った気がした。
だんだんと少なくなっていくカレー。小さくなっていく舟。姿をはっきりと現す肉片たち。いやいや、わからんと思って、違う肉入れとんちゃう?とかそんな不埒な事を考えながら、口に放り込む。噛む。ぶわっと来ましたよ、羊さんが。まごう事なき、羊さんがそこに立って、こっちを見つめて、めえ、言うとりました。ヒツレイいたしました。そりゃそうだよね。
そんなわけで、舟が完全に内在化されると同時に、カレーもきれいにわたしの内なる海となりました。どっちが余ることも、足りなくなることもなく。ああ、すばらしきひととき。
ナマステブッダ。他にも気になるメニューがいっぱい。また来るぜ。
写真、ナシ!
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駐車場があるのを知らずに、別のコインパーキングにとめたのだけれどそれが到津市場の入り口のまん前。通るでしょうそりゃ。そしてそのすばらしい趣きにやられて帰りも通る。惣菜屋さんでコロッケ買い食い。しかたありませんよそりゃ。
*******
不思議なことにこう書いているうちに、鼻腔内に、あのマトンの香りが明らかによみがえってきたのだった。恐るべしマトンカレー。恐るべしナマステブッダ。なんなんだ一体。

(2021/3/30記)

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