2005年08月26日

ひさかたの

独房90「北大阪ユングゾリステン」の合宿。琵琶湖畔。ぼくが初代のメンバーのひとりとして関わった前身の「茨木室内合奏団」の発足が30年前。今回は25回目の定期演奏会のためのリハーサル。17、8年ぶりの参加。

ひっさしぶりのクラシック。初めてやるエルガー「序奏とアレグロ」。難曲。

タンゴやら即興やらロックやらばっかり弾いてるもんだからすでに勝手が全く違う。しかもアタシが在籍してたときとは比べ物にならないほどレベルが高くなってて。しぇえええええええっ。うひょええええええっ。

譜面読むのに四苦八苦してるアタシなんてもうリハーサルに参加できるレベルに達するだけでも五苦十苦。うんこやオレはうんこやウンコの中の虫やその虫のうんこや以下略略略以下

ということでアタシはしばしば「独房入り」。つまりひとりで特訓。リハーサル終了後みんなが部屋に引き上げてからもひとり譜面とニラメッコ。メトロノームはぼくのトモダチさっ。泣いてなんかいないやいっ。
夕焼け




で三日間朝から晩までずっと弾き続け。久しぶりこんなの。

それにしてもみんなよおやる。音大芸大生たちを核に、留学決定してる子や芸大浪人やら。高校生だってすごい。中学生も小学生もバリバリ。恐ろしい集団。でもみんないいやつばっかり。ごめんよこんなのが先輩でさ。うんこやあああああ以下略。

本番は12月29日。大阪で。
ぶひぶひ。

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ところで、次回ダイヤローグの9月3日が、なんと折口信夫の命日(1953)であり、広島から戦後初めて広島を取材したイギリス人記者バーチェットが"No more Hiroshima"と世界に向けて打電した日(1945)でもある、と大槻オサムが知らせてくれた。

流れってこわいねえ。「怖いくらいの偶然の重なりに唖然」と彼もいう。

いや、こうなってはもはや必然。ん。


  

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2005年08月21日

とにかくワハハ〜だ

どおも九重の飯田高原で自遊本舗でライブしてきました。いや楽しかったねえ。これはギタリスト原田敏夫のわはは写真。わははやホンマ。




ところで「国際情勢解説者」田中宇さんのHPにアルカイダに関する最新の分析が公表されている(情報提供「非戦音楽人会議」ソウルフラワーユニオン中川敬)。アルカイダなんて実在しない、というハナシ。

そうそう。アメリカが適度な緊張を維持し、自らの世界戦略を有利にすすめる手段としてこれを利用している、というハナシはずっと囁かれていること。大きな声にはならないけれど、耳を澄ませば確かに、囁きは聞えてくる。テロが起きるぞ、怖いぞ危ないぞ、アメリカだけが頼りだぞ…と言い続けるために、ということ。恐怖を操ることができれば、なんだってできるわけだ。打出の小槌としての恐怖、テロ。ドラエモンのポケットとしての恐怖、テロ。

あんまり怖がってばかりじゃ、騙されてることになるんだよなあ。怖い映画だってみんなマジメに作ってるんだし、ね。お化け屋敷だって昼の光や灯りですべてを煌々と照らされたり、舞台裏の機械仕掛けや着替えたりメイクしたりしてるバイトの人たちの姿を見られたりすればもうオワリ。


みんなさて、自遊本舗のライブはこんな感じ。大胆にもステージからお客さん撮ってみた。わははみんな笑ってら。楽しそうだこと。




ライブ後、ひとり夜中に耶馬渓を抜けて帰ってきたのだけれど、途中で真っ暗な木々の谷間で車を止めてちょっと外に出てみた。散々バックミラーを見たらいかんよ、気をつけて、なんて脅かされてたんだけれど。でも川の音、虫の声、木々の間から見える空がうっすらと月に照らされていて。肌触りの柔らかい静かな夜。怖いとは全然思わなかった。もっとその暗い中に静かに留まっていたいと思うほどだった。

困るのはホントはそんなに怖くない世の中に、コワイと思わせようとするヤツラがいるってことかもしれない。

いっそそういう連中が一番嫌がることをすればいい。
電気つけちゃえ。カーテンを開け、窓を開け、壁に天井に穴を開けちゃえ。舞台裏を覗いちゃえ。こっちが逆立ちして相手をひっくりかえしてしまえ。

そして、笑ってやろう。


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で、これはトリオ・ロス・ファンダンゴスの新しいCDに入れる悪友たちの笑い声録り。

せえのっ!わっはっはっははははは!  
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2005年08月16日

大槻オサム極秘来倉

ジョン・ユンカーマン監督の「日本国憲法」を見る。ところどころに挿入されるソウルフラワーユニオン、いいねいいね。

そこで大槻オサム氏と合流。その後2人で密談、悪ダクミをエンエンと。9/3DIALOGUES#7に向けて。何人もの死者が登場することになるこの「芝居」(或いは芝居のようなもの)、大槻オサムがひとりでそれらを演じ分けることになる。

権力闘争に敗れ処刑された死者。生きた証を残したいという思い。時代の移り変わり。呼び出され、別の時代において語る死者たち。生と死。この時代とその時代。この世とあの世。人と人。死者と死者。境目がゆらぐ幽玄。

でも、ここに別の切り口、裂け目を入れたくなる。ツッコミを入れる、あるいは横槍を入れる、土台からひっくり返す、あるいはすべてを笑いトバシ、台無しにしてしまう。そして突如として我に返らされる。そんな。

きひひ。いろいろとコトバを交わすうちに、俄然面白くなってまいりました。これぞDIALOGUE。

芝居(のようなもの)にリアルタイムで即興演奏をつける、ということなのだけれども、「曲」を決めてやる場面もあるだろうし、曲を作らなくちゃいけない部分もあるだろうと思う。音楽や演奏もいわゆる「劇伴」よりももっとダイナミックに、インタラクテティヴにしたいと考えているのだけれど、さて。

しっかし。広島からはるばる打ち合わせに来てくれた大槻オサム氏。ウレシイ限り。手間隙かけてますよDIALOGUE。いやほんま。ぜひともミナサンおいでくださいましね。9/3ですよ9/3。

ちなみに彼は広島ではなく、鳥取出身だそうな。鳥取では「めいぼ」のことを「めぼいた」というそうな。大阪では「めばちこ」ね。色んな名前についてはこんな調査こんな調査結果発見。  
Posted by aogoomuzik at 20:20Comments(0)TrackBack(0) Dialogues 

石は叫ぶ

福岡の筑豊には炭坑にまつわる石碑がたくさんある。そして多くは炭鉱の会社が自分の都合のよいコトバを残すために建てたもの。強制連行・強制労働の挙句、殺されていった朝鮮の人たちのコトバなどは、残らない。だから権力者たちの立てた石碑に彫りこまれたコトバがいつしか「正史」になっていく。その影に全く別の物語を閉じ込めたまま。

やはり筑豊にある日向墓地。そんな風にして死んでいった朝鮮人労働者たちが人知れず葬られたところ。仲間の朝鮮人たちはそこらに転がっていた石を墓石にして殺された友人たちを葬った。それが墓石であることなどつゆ知らぬ日本人たちが後にそれを拾い「手ごろな石」として自分のペットの墓標にしていく。朝鮮人たちが石に込めた思い。それをつゆ知らぬ日本人によってその同じ石が犬や猫たちの墓標に転化されていく。ゴロン、ゴロン。悲しい音をたてながら石たちは、転がっていく。

人は自分の有限性を知っている。自分が死ぬこと、過ぎ去ること。自分が物事を忘れること。自分がきっと忘れられること。知りたくなくても、ほんとは知っている。だから、石を刻む。忘れてくれるな!そう叫びながら。

権力者は石にしがみつく。沈み往く身を石が浮かばせてくれることを滑稽にも念じつつ。
殺されゆく者たちは石に祈りを込める。静かに、しかしずっとずっと、叫びが響き続けるように。

石はメディア。石は通信手段。石は楽器。
石は、唄う。石は、囁く。石は、呟く。石は、黙る。石は、転がる。
石は、うそぶく。
石は、叫ぶ。

大槻オサムの言葉050812の響きとして)
  
Posted by aogoomuzik at 17:51Comments(0)TrackBack(0) 雑記 

2005年08月14日

制作協力

協力 絵土曜日、うどのあすかの制作協力。DIALOGUESの形式で。ライブと同じようにやろうと思うのだが前半で結構集中力使い果たし、後半はそれぞれにとりとめもなく遊ぶ。お客さんもいないからね。描かれたものはやがて破られ別の色がかけられ結局袋詰めにされちゃって。とりあえず終わった後開けてみた。何か残骸のような、ゴミのような、遺品のようなのがいっぱい。とりあえず取り出され並べられたそれらのモノたち。 

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とりあえず写真でも。







さて、これがどんな作品になりますのやら  
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Milonga triste 〜悲しみのミロンガ

きみは小径をやってきた
エプロンと揺れるおさげ髪
きみの黒い目は輝いていた
満月の明るさ
わたしの唇はきみのみずみずしい口に
キスしたとき きみを痛めてしまった
きみの手はわたしに罰を与えた でも
もっと打ちのめされたのはきみがいなくなったこと
アア…アイ…
わたしは帰ってきた 白い道を
わたしは帰ってきた 辿り着くこともできずに
わたしは叫んだ わたしの長い叫び声
わたしは歌った 歌っていることもわからずに

きみは黒い目を閉じた
きみの顔は白くなった
そして私たちはきみの沈黙を運んでいく
鐘の響きにつれて
月は水に落ちた
痛みがわたしの胸を打った
百本のギターの弦とともに
わたしは悔恨をかみしめた

愛してしまったことの悲しみ
小径に残るきみのささやき声
もうきみを見ることのなかった
道たちの悲しみ
墓地の静けさ
星たちの孤独
こんなに痛い思い出
エプロンと黒いおさげ髪
アア…アア…アア…アア
わたしは帰ってきた 死んだ道を
わたしは帰ってきた たどりつくこともできずに
わたしは叫んだ きみのすてきな名前
わたしは泣いた 泣いていることもわからず

曲:セバスティアン・ピアナ
詩:オメロ・マンシ

CD「トリオ・ロス・ファンダンゴス3」収録予定。
8/6以来のぼくの中のザワザワと響き合って。
  
Posted by aogoomuzik at 21:35Comments(2)TrackBack(0)

「夕凪の街」より

ぜんたいこの街の人は不自然だ 
誰もあの事を言わない
いまだにわけが わからないのだ
わかっているのは「死ねばいい」と誰かにいわれたということ
思われたのに生き延びているということ
そして一番怖いのは
あれ以来
本当にそう思われても仕方のない
人間に自分がなってしまったということに
自分でときどき気づいてしまうことだ


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そっちではない
お前の住む世界はそっちではないと誰かが言っている
8月6日
何人見殺しにしたかわからない
 
塀の下の級友に今助けを呼んでくると言ってそれっきり戻れなかった
救護所には別の生物のように真ん丸く腫れた集団が黙って座っていた
そのひとりが母だった

羽根を焼かれためじろが地べたを跳ねていた
知らぬ間に左腕をやけどし
髪留めが髪に焦げついていた
 
死体を平気でまたいで歩くようになっていた
時々踏んづけて灼けた皮膚がむけて滑った
地面が熱かった靴底が溶けてへばりついた
 
わたしは
腐ってないおばさんを冷静に選んで下駄を盗んで履く人間になっていた
 
あの橋を渡ったのは8日のことだ
お父さんも見つからない妹の翠ちゃんも見つからない鼻が変になりそうだ
川にぎっしり浮いた死体に霞姉ちゃんと瓦礫をなげつけた
なんどもなんども投げつけた

あれから十年
しあわせだと思うたび 美しいと思うたび
愛しかった都市のすべてを
人のすべてを思い出し

すべてを失った日に引きずり戻される
お前の住む世界はここではないと誰かの声がする  
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2005年08月13日

ホームレス支援夏祭

毎年恒例のホームレス支援の夏祭。工事中の勝山公園(北九州市小倉北区)にて。コップ一杯のビールで乾杯のあと、焼肉弁当をみんなで食べる。その場で肉を焼き、事前に準備したご飯や焼き野菜と一緒にパックに入れ、集まった約200名のホームレスのひとりひとりが受け取る。すべてボランティアによる仕事。

子どもたちも活躍。彼らの仕事は「カキ氷」。本番を前に気勢をあげる。

弁当を受け取って食べた後、大勢の人がカキ氷の列に並ぶ。中には9杯食べたという人も。腹こわさんように、ヒトツ。

他にも楽しいこといっぱい。カラオケ大会。豪華景品(一等カップラーメン12個セット+下着セット)が当たる抽選会。寅さん映画会。寅さんは今回は第6作。「帰るところがあるってことはよ…」のセリフが繰り返し出てきてぐっとくる。

でも、夏祭の中心は「追悼」。これまで路上などで亡くなっていき、引き取り手のなかったホームレスたちのことを心に留める。手作りの小さな「追悼碑」を並べて。この半年でまた3つ増えた。自分で人生に幕を下ろしてしまった人のも含まれている。新しく加えられた3人のことをみんなで思い起こしてから、黙祷。静かな瞬間。そしてその後、みんなで花を手向ける。蝉時雨、沈黙の列、ぼくのヴァイオリン。

「追悼集会 このいのち忘れない」の幕が掲げられ、その前に静かに並ぶ追悼碑たち。夏祭が始まってから寅さんの映画が終わってみんながまたそれぞれの「ねぐら」に帰っていった夜10時過ぎまで、広場を静かに見守ってた。  
Posted by aogoomuzik at 13:50Comments(0)TrackBack(0) 雑記 

2005年08月12日

DIALOGUE with 大槻オサム

次回9/3DIALOGUEの相手・大槻オサム氏との対話を積み重ねている。DIALOGUESは、ライブ当日に至るまでの対話においてすでに毎回、始まっているのだ。お客さんが見るのは、そのいわば最終到達点。

大槻サンはOtis!でファンダンゴスや、「風の弦デュオ」(森川良哉+谷本仰)なんかを見てくれている。「風の弦」のとき、ぼくは森川氏の友人である大槻サンのアパートに泊めてもらって初めて彼と出会い、あれやこれやしゃべって楽しかった。彼との対話が面白いということは、だから、知っていた。

広島で彼は「フン賊」といういわゆるアングラ芝居集団やってたんだけれど今は休止中。彼自身は「単独旅行舎」を立ち上げて活動中。そういえば何かいっしょにできたらいいねえ、という話になってたなあ、とダイヤローグスが何回か進んだところで思い出して対話が実現する運びに。

彼が出してきてくれたアイデアは折口信夫の「死者の書」をベースにしよう、というもの。読んだことのないソレなのだが、彼の解釈やネットで得た情報などをかき集めてみてなんとなくカンジを掴もうとしてみる。

死と生の境目が曖昧になり、個人の境目も曖昧になり、様々な時代の出来事が並列化され、死者の口寄せもまた…。それらが曼荼羅のように…。

しかしここへきてここに新しい要素がこれに加わる。それは「広島」だ。「大槻オサム」が生きてる場所としての広島。しかしそこは同時に街全体が巨大な墓なのだと彼は言う。死の場所。生の現場でありながら同時に。

一方ぼく自身も8/6の広島で、死と生がひとつの光景の中で重なりあうのを感じたし、そこにいない人々の沈黙の中に満ちる叫びを聴いた。ライブにおいても、なにやら得体のしれぬモノが自分の中に湧き上がり叫び始めるのを感じた。ぼくはある意味「口寄せ」をしたのかもしれない。少なくとも遠藤ミチロウの唄は、そうだった。「芸能」者はときにシャーマンなのだと思う。

青年期を過ごして以来、広島に棲みついた大槻オサムにとって、意外な流れではないのかもしれない。無意識のうちに広島が「死者の書」に展開したのかもしれない。そしてそれが更にまた広島へと明確に意識化されて結びついていったのかもしれない。

いずれにしても明らかにひとつの流れがある。ダイヤローグスを進める中で「大槻オサム」との対話が企画として浮上したこと。その前にすでに彼と出会っているということ。8/6広島にて爆心地ライブに参加し、さまざまな体験をしたこと。8/7のケイトミュージックのライブでさらにその体験は深まった。そして、9月3日は件の「大槻オサム」とのダイヤローグ。彼がすでに選んでいたのは「死者の書」。あるいはテーマとしての死と生。

ここ数年間の流れがここへきて一気に加速し、合流し、僕自身を巻き込みつつどこかに向かおうとしているように感じる。

こういうのには巻き込まれなくちゃね。乗ってけ乗ってけ。
どこに行くのかなんてわからない。わかってるなら面白くない。

俄然おもしろくなってきた。
9/3は、また、ぼくの最先端になりそう。

大槻オサム氏のコトバ

ぼくは「夕凪の街 桜の国」を読んだ。  
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2005年08月11日

それでいうと

パラパラ漫画からもう一度広島を、そしてテレビで見た長崎8/9を振り返ると

今年の広島と長崎ではNHKがコンサート企画開催したのだけれど、NHKが結局こんな音楽こそが被爆60周年の広島、長崎に相応しい、といってることになる。それがオカシイんんんにゃちうてんねん。

長崎でミシャマイスキーと共演した五嶋龍、楽しそうに思いっきり弾いてて見てて気持ちよかった。いいぞいいぞカッコイイ。しかし司会者は「平和への思いを込めて演奏していただきました」とノタマウ。そうかなあ。思いっきり音楽してるだけやん。それでいいやん。そしてそれならわざわざ8/9長崎でなくていい。普通のコンサートでいい。その方がすっきりするやんんんんかちうてんねん。
  
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