2006年03月30日

ハイ、コレ。

3/21、福岡でハイコレ69っちうイベントに呼んでいただいて、ドグラマグラで参加。持ち時間各出演者30分のところ、われわれは開場と同時に演奏開始、計60分やってよし、とのこと。へいようがす、ぐりんぐりりん。次々に入ってくるお客さんが次第にヒートアップ、しまいにゃうよんうよん踊る踊る。それにしても、もう10年からやってるこのバンドですが、あんなに沢山のお客さんの目の前で演ることって滅多にありゃしませんよああた。いつもは小さいハコで数名のお客さんの前でぐりんぐりんですから。ありがたいありがたい、すりすり。んでついつい興が乗っていつもよりロックな演奏だったみたい。どうやらお客さん喜んでくれたみたいなので、気を良くして、それならまた福岡でやりたいな、っと。画策しよう。

そうそう出番が最初だと後ゆっくり見られるからいいなあ。オークボTは楽しかった。そしてドラびでお。強烈。批判精神満載のパフォーマンス。

ドグラマグラ、次は、今週土曜日、4/1。遠賀川駅前マーフィーズカフェにて。ぐりんぐりん。
  

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2006年03月22日

不思議な旅

芝居ユニット「アリノネ」による「新しい天使 〜月に一番近い丘まで〜」が終わった。

不思議な、旅。

21歳の時に出会った「釜ヶ崎」。何万という日雇い労働者が生活の拠点にしている街、日本で最大のドヤ(簡易宿泊所・「ヤド」の符丁)街。そして年間数百名の路上死・行路病死者を出す街。

新今宮の駅を降りて道を渡り、釜に入る。すえた臭い。行き交う労働者たち。道の両側の屋台。日雇い労働者のなけなしの懐から金をむしり取るヤクザの路上バクチ。街の角々を見張る監視カメラ。乱闘服の機動隊。眼光鋭い私服刑事たち。100円お好み焼き屋台、ホルモン焼き。「ションベンガード」。「市厚相」、「センター」。西成警察署。「ふるさと」「希望の家」、キリスト教協友会(通称「釜キリ」)。街頭テレビのある、三角公園。日雇い労働組合、「釜共」、「人民パトロール」、越冬闘争、バス勝利号、対市行政交渉。センター情宣。尋ね人の張り紙、朝5時にあかりがともる赤提灯…。

日本が決して「平和」でも「豊か」でもないことを知った。無数の名も無い労働者たちの使い捨ての上に成り立った経済であることを知った。彼らが正当に人間らしく扱われることを求めて闘う姿も見た。そしてそれを封殺するために振るわれる暴力を身と心の痛みをもって、知った。

ぼくにとってそれは世界が全く様相を変える出来事だった。同時にそれは、ぼく自身を全く変える出来事だった。

世界とキミとは一対一だ

戦前、戦中は軍隊によって、戦後は経済によってアジアを踏みにじってきた日本の姿について、知ったのもそのころだ。そして韓国の現代史について学んだのも、光州事件について、民主化闘争について、そして世界の至るところで続いている抑圧や虐殺について知り始めたのも。そうした人々の経験を通じて世界を見、聴くことが始まった。

ずうっと遠くで、小さく揺れているニンゲンの、その瞳孔を使って、見るのさ

音楽で、何ができるのか。
音楽に、何ができるのか。
音楽って、何だ。

人が無残にも殺され、死んでいく世界の中で、もし「音楽」という行為をすることに意味があるとすれば、一体それは何だ。

それを考え始めた。

その直前までぼくはアメリカにいて、クラシック音楽の勉強に没頭していた。しかし帰国直後のこうした出会いが、ぼくを違う旅に押し出したのだった。

そのころに大学にやってきたテント芝居に出会った。「驪団」が最初だった。そして「風の旅団」。見慣れた風景の中に忽然と立ち現れるテント。異形の役者たち。叫ぶような台詞まわし。天皇制批判、アジア、日本の最下層社会…。世界の闇を切開し、その傷に手をつっこんで血だらけの臓物をつかみ出し、観客になげつけるような物語。世界をひっくり返して見せて大笑いし、地下に蠢く無告の民たちと手をつなぎ、肩を組んで放たれる歌と音楽。埃とアブラと酒の、汗の、芝居の、テントのニオイ。見世物小屋のような異空間。闇を照らし、空を焼く炎、押し寄せる水。

この世界の叫びとつながることで見えてくる風景、聞こえてくる響きを、ラジオのように、霊媒のように、口寄せのように「取り次ぐ」テント芝居。このまま劇団について行ったらどうなるだろう、と思った。

思えば、あのとき既に旅が始まっていた。

世界に、この社会に、ぼくのすぐ近くで、遠くで、ココで、世界で、挙げられている叫びや祈りや、希望のための闘いとしての「歌」。それがぼくを旅に誘い、押し出し続けてきた。歌は、外から入ってきてぼくを震わせ、共鳴させ、鳴らす。ぼくの中の歌にも響き、うなりをあげる。そこに新しい音、新しいうたが生まれる。それに導かれる、旅。

拾ったのか、拾われたのか。―わたしの口、わたしのカラダ。…どうして、こう、言うことを聞かないのだろう。…―わたしの口、わたしのカラダ。…―わたしのカラダに、外側から何かが貼りついて、わたしを無理に躍らせる。…わたしの内側に、何かが入りこんで、わたしの口を無理にひらかせる。…ああ…

死んでいったホームレスのための葬儀や追悼の場での演奏を繰り返すようになった。病院の霊安室で、葬儀屋で、火葬場で、追悼式で。悔しく悲しい思いで、ヴァイオリンを弾く。それがぼくの音楽の、いつしか、中核をなすようになった。

そしておととし、「うずめ劇場」の「夜壺」公演の劇伴を坂本弘道のもとで担当した。北九州、エジプト・カイロ、東京の旅。その時に出会った役者兼トロンボーン吹きの伊牟田耕児は、あのとき「風の旅団」にいたのだった。

昨年9月、谷本仰Dialoguesで大槻オサムと共演。「死者のテガミ」という彼の脚本にぼくが音楽をつけた。そして彼が今回ぼくをこの芝居の音楽担当に誘ってくれたのだった。

そして今回。脚本は池内文平氏。気づけば、彼もまたあのとき「風の旅団」の一員としてぼくの前に姿を現していたのだった。音楽担当の相方はトロンボーンの堀江龍太郎。ヴァイオリンとトロンボーンという本来なら珍しいこの組み合わせも、「夜壺」で経験済み。これもまた不思議なツナガリ。

合わせ鏡のようにつながっている世界の虐殺の現場。舗装された道の敷石を剥がせば露出する血の記憶。軍隊という口にするのもおぞましいムシたち。殺された者たちの記憶が手渡されていくことの中にある「希望」。奪われた踊り、死、生。他者の経験、物語、視点を通じて今を、歴史を知るということ。負った傷を舐めつつ、記憶を手渡す旅に出ること。

作品に描かれるこうしたひとつひとつのコトガラが、今、すべて、腑に落ちる。ぼくにとってこの上なく透明度の高い、脚本。不思議な感覚。

アビエルトの中山さんはぼくと15年前くらいに北九州で会っている、という。ぼくはちっとも記憶がない。ホームレス問題の学習会か何かでお会いしたらしい。これもまた、不思議なツナガリ。

すべてのコトガラが、「此処」で再会を喜ぶ、そんな「邂逅」の瞬間。初めてなのに、不思議な既視感。かといってそれは曖昧なデジャヴュのような感覚ではない。はっきりとツナガリを辿ることのできる体験。

おまえの旅は、あながち間違っていない。
おまえの道は、あながち見当違いではない。
それが証拠に、ほら、みんなとこうしてまた、会えたじゃないか。

そんな風に、誰かに言ってもらったような
気がした。

「新しい天使」の第二章の終わり。

円環のように繰り返される哀しいメロディーが積み重なり
やがて轟音をなす
内戦の後をそれでも淡々と生きる人々の姿が淡い色調で
フラッシュバックのように映し出される
その中を踊りをうばわれた「ヒカリ」が悄然として
歩み去っていく

ねえ、キミたち。キミたちは、ぼいくが地べたに横になっていると、そんなところで寝るな。このナマケモノめっていうだろ?…けど、あれはちがうんだよ。地面がぼくにはりついて、はがれないんだよ。地球がね、ぼくにしがみついているんだよ。…―だからね、ぼくはこの地球をはがして、捨てて、もうひとつの、別の地球をつくろうと思っているんだ。―ここと、何もかも同じだけど、ただひとつ、ぼくのねむれる場所のある地球をさ。―夢?夢かなあ。―でも、夢でもかまわないだろ?それを見つづければいいんだから

そうだ
この演奏をするために
ぼくは
旅をしてきたんだ
何度も叫びながら涙しながら
そうやって歌いながら

ラスト前、やがてヒカリは踊りを取り戻し踊り狂う
「火ノ粉」もこのヒカリのダンスのために生まれたんだ、と知る。

ラスト、リヤカーを引きながら、傷をなめながら、記憶を元あった場所に返すために歩み去っていくジャクラ。それは光州でこの芝居を最初にやった池内氏たち自身の姿とも重なる。捨てられた記憶を拾い集め、死んでいった者たちの臭いを身にまとい、その記憶を様々な人々に手渡し、そして光州で公演をしたのだから。そして、その旅に連なろうとした広島の若い芝居集団「アリノネ」自身の姿にもその姿は重なる。そして、呼び寄せられてその場に居合わせ、様々なモノやコトと再会を果たしたぼく自身にも。

 「クズ屋といっても、ただのチリ、アクタを集めているわけじゃあない。―この都会ってやつはね、一夜あければすべてがゴミになるんだ。ところがそのゴミにはきのうまでの時間が宿っているんだよ。わたしは、それを拾って歩いているんだ…なんのため?リサイクルかな。捨てられた時間にだって、生き延びる権利があるだろうと思ってさ。」「拾い集めた記憶を、もとあった場所に返そうと思ってな」

終わりの曲はみんなが一緒に歌うために作った。
そして実際にヴァイオリンを弾きながら、歌わずにおれなかった。
21年前に出会ったテント芝居への敬意を込めて。
世界を照らすたいまつの火に思いを込めて。
世界を揺さぶる歌に呼び応えて。

そう、こうやって歌うために、旅をしてきたんだ。

楽日がはねて、池内文平さんとも少しゆっくり話すことができた。
ゆっくりうなづきながら、嬉しそうに、そんな、こんなを聞いてくれた。

旅は終わらない。

不思議な再会の
邂逅 の
静かな喜びを
胸に刻んで。

きみたちはたずねるだろう
なぜ私の詩は
夢について、木の葉について
故国の威容誇る火の山々について
何も言ってくれないのかと

通りを染める血を見に来るがよい
見に来るがよい
通りを染める血を
通りを染める血を
見にくるがよい
パブロ・ネルーダ「そのわけを話そう」より

打ち上げのとき、芝居の世界への案内役の役割を果たしためづまり文子がぽろぽろ涙をこぼしてた。

バカ。キズをキズのままで残しておけって言ったんだよ。

そう。今夜でなくてならないものなど、何もない。けれど、誰にでも平等に明日がやってくるわけでは、決してない。―どこかではなく、此処。いつかではなく、いま。誰かではなく、私たち。―そう、このいま、この一瞬にしかないものが、きっと、ある…。


ありがとう、アリノネ。
ありがとう、不思議な旅。

ほむら  
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2006年03月16日

アビエルトのアリノネなのね

可部線可部線の電車は単線の線路を走る。ドアは手で開ける式。閉まるときは自動。

アリノネ看板アビエルトは上八木駅のすぐ隣。ライブハウスだったり、芝居小屋だったり、カフェだったり宴会場だったり合宿所だったり工場だったりする。

アビエルト中山さん主、中山さん。







オオツキ時に妖怪、オオツキオサム。

田中亮太郎演出の先生、田中亮太郎。

水平社宣言の焼酎こんな焼酎、初めて見た。とりあえず飲んどこう。








アビエルト内稽古、打ち合わせ、飲み会。幸せですわ。二週間前の風景。



いよいよ明日、初日。千客万来。
音楽もお楽しみに。





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アリノネ公演
新しい天使〜月にいちばん近い丘まで〜
企画:田中亮太郎 脚本:池内文平
2006年3月17・18・19日 開場18:30 開演19:00
料金:前売2500円 当日3000円

出演 大槻オサム 栗九里子 小坂将之 今田珠美 田村久 めづまり文子 このしたしんや
スタッフ 演出:田中亮太郎 演出助手:大槻オサム 
音楽:谷本仰+堀江龍太郎 
映像:上杉知弘、都築右典
舞台監督:上杉知弘 制作:藤井友紀 美術:栗九里子 音響:平位康彦 照明:田中亮太郎 
裏方:片山尚樹、吉田篤洋

東京のテント劇団独火星の池内文平さんの脚本で、1980年の光州事件の記憶をモチーフに、2005年夏に韓国の光州で上演された作品を、広島の若い役者・スタッフの視点で捉え、表現する試み。

お問い合わせ:090-9460-5824(田中) 090-3372-9444(藤井)
taro_fun@n.vodafone.ne.jp




  
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2006年03月15日

Dialogues #11

そんなこんなで江島勉さんとの、Dialogue。

efbee8fa.JPG往猫亭の亭主とおかみさん、スタッフと化して大活躍。江島さん本番前どっかいっちゃっていない間に、ケイトミュージックが汚れないようにせっせと養生。そしてインパクトで大きなパネルと黒板を計4枚作る。まるで芝居の現場だこりゃ。それにしても麗しい夫婦。ありがたや。皆さん折尾観光の際は上海ノオトと往猫亭は外さずに必ず、ヒトツ。



さてやっとこさ帰って来たご本尊、なぜかお客さんたちにゆでたまごとたこ焼きを配る。なんやねんほんま。たまごとたこやき


本番前お客さん、たくさん。DIALOGUES史上最多タイ。ドグラマグラのギター宮野章、そしてアートにはうるさいすよ、と日ごろから語るドラムス白川和宏の姿も。いひひ。さすが江島勉、「北九州の誇り」(チラシより。一部折尾方面チラシはこの部分が本人により黒塗りされていたそうな。わはは。)


そして…。

十字架前半はこんなのが。イテテ。




そして後半、今度は往猫亭のひとり娘アヤコ嬢を突然呼び出し、筆を持たせる江島勉。殆ど躊躇なく描き始めるアヤコもアヤコだ。ぬぬ、2人がかりとは卑怯なり。お、今度は最前列のお客さんに何か言ってる「この後どうすればいいかねえ」「破っちゃえば?」「なるほどその手があったか」ビリビリ。ぬぬ、ますますもって許せん。

作品2で、こんなのが。






近影アヤコ画伯近影。









自分はといえば、とにかく既存のネタを使わない、ということを自分に課して。相手もそのつもりなのだろうから、こっちもその場の、流れを、音に。

途中、江島さんの、パネルをチョークか何かで擦る音の断続と、ヴァイオリンでひそかに対話。本人は気づいていなかったらしいけれど。知らずに音楽やってる江島勉。ひひひ。

後半何やら話し始める江島勉。こちらは余り付き合わず、構わず音を重ねていく。必ずしもその雰囲気や話に合わない音が、その場と軋みを立てる。みなぎるもののある時間。

時折、手を休め、パネルから離れてじっとみつめる江島勉。こちらも余り展開を早く切り替えすぎないように。しかしBGMにはなり下がらないように。

気がつくと、描き終わり、こちらに向かって江島氏、何ごとか言ってる。そろそろ終わろう、ということか。いいや、と笑って目をそらして演奏続行。そしてブルースのリフを。折尾花街ブルースバンドのヴォーカルでもある江島勉を紹介するにはそれなりの礼儀をね。オオゲサか。ほんとは思いつき。

「面白かった!またやろうよ」終わってから声をかけると、江島勉、「おう!」即答。ほお…。どうやら楽しかったらしい。
でも一時するとやっぱり思い直したのか「10年後くらいにな」だって。
生きてるかどうかわからんわい、お互い。確かに10年来の付き合いだけれど。

曰く「俺、今日の今日まで、いや、始まるまで、いややったんよ。描いてるとこ見られるっちうのがね」「出来上がったものを見てもらうんやないからねえ」「即興絵画と音楽ってもう終わっとる手法やん。それを今更…てのもあったんよ正直ね」「でもね、やってみて、よかったと今、思ってる。楽しかった」

後は…なんだったっけ。ウチアゲのおいしい泡盛か。うん。いや本番中からチビチビやってたか。「今度やるなら…」「なるほどね…」そんな話を確か、最後にしてたような、気がする。

しかし、DIALOGUES。面白いこと始めたもんだ…とつくづく。ちょっと他人事みたいに。



飛ぶアヤコそれにしてもアンタにゃ負けるわ降参。わはは。ありがとう。  
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2006年03月12日

残像と残響の火花

DIALOGUES#11。現代絵画の江島勉氏との即興的な対話。いよいよ今夜19時、西小倉ケイトミュージックにて。

すでに不穏な空気にピリピリとしたものがミナギッテゐる。手加減など、お互いにあるはずもない。あるのはただ、2人の間に生まれる「ナガレ」だけだ。一瞬の、二度とない、稲光のような。音と絵の間に散る火花は網膜に焼きつき、鼓膜に痺れを残す、か。

宜しければぜひ、お立会いください。


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谷本仰DIALOGUES#11 w/江島勉(即興絵画)
3月12日(日)
【西小倉ケイトミュージック】093-561-8314
北九州市小倉北区大門2-3-6 葭本(ヨシモト)ビル1F
JR西小倉駅下車徒歩2分
18時半開場、19時開演、2000円+ドリンク代
  
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2006年03月05日

ナンボかけてるのかなコレに

d5da0f8f.JPG基礎いわゆるホームレスの追い出し看板。今までに数々見てきた紙製のモノたあわけがチガウ。金属製、土台はちゃんとコンクリート製で地中に埋めてある。どこに発注して、幾らかけてるんだろうねえこれに。市のまちづくり整備課に聞いてみたいもの。で、彼らが出て行った後、こいつを一体誰に読ませようってのかねえ。道行く人?年度末で予算が余ったか?それともちゃんと回収してまたリサイクルするのかな。せんやろうね。何しとんねん一体、ジッサイ。

  
Posted by aogoomuzik at 03:01Comments(0)TrackBack(0) 雑記 

2006年03月01日

上海ノオトにて

折尾で開かれた音楽療法の勉強会に出席して、帰りに上海ノオトに寄る。マスターは江島勉、前衛の絵描きで3/12のDIALOGUES#11のお相手。

江島さんと初めて出会ってからもう10年以上になる。「ドグラマグラ」の名付け親でもあって。活動を開始したドグラは当時年に3、4回というペースでライブをさせてもらった。20人も入れば満員の店で、ドグラマグラはかれこれもう10年以上も演奏していることになる。

ダイヤローグスに誘ったとき、最初は断られた。「俺はね、もうしまえちょるんよ。終わっとる。できんよ」。粘って、何度目かにやっと「うん、じゃ、やろか」と言ってニヤリと笑った。「俺はいっぺんたにもっちゃんとは喧嘩せんといけんとおもっとった」とも。

店には彼が描いた絵がかかっていたり、無造作に壁に立てかけてあったり。カウンターの端の壁には最近の絵がかかっていた。鉛色の背景に水平に断続的に描かれた白い線から絵の具が滴る。ところどころのオレンジがかった金色がまるでトタン板の錆のように荒涼としている。ビョオオッという風の音が聴こえる、絵。

曰く「これはもう大体できたやつ。もう手を加えることはないやろね」
時間をかけて、少しずつ仕上がったらしい絵。描かない時間もまた、描いてる時間。「ライブでもきっと描かない時間があると思うんよ。どうせ呑みながら描くやろうしね。じっと暫く眺めてる時間がある。それも含めて、ね」

「ひとりで店にいるとき、誰もこんときは、ガンガンにロックかけながら描いたり踊ったりするんよね。外で以前描いたときも、ラジカセでロック鳴らしてた。クラシックなんか聴かんよ。ストーンズとかね。で、うわぁぁっと描く。ふふふ」

「自分の中で大きな流れはある。でもそれぞれの絵を描くときは何も考えない。最初の手から後は勢いで流れていく。そう、即興。だからどこにも行かんことになってしまうこともあるんやけどね。」

暗い店の中にはレコードの「織江の唄」が針のノイズとともに大音量で響いている。その下で途切れがちに続く対話。隙間はすべて山崎ハコの声が埋めている。俯き、あらぬ方をそれぞれに見やる沈黙の時間も含めて、真剣勝負のDialogue。

研ぎ澄まされ、ミナギルものがありそうな、#11。

乞う、ご期待。

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谷本仰DIALOGUES#11 w/江島勉(即興絵画)
3月12日(日)
【西小倉ケイトミュージック】093-561-8314
北九州市小倉北区大門2-3-6 葭本(ヨシモト)ビル1F
JR西小倉駅下車徒歩2分
18時半開場、19時開演、2000円+ドリンク代
  
Posted by aogoomuzik at 23:59Comments(3)TrackBack(1) Dialogues