2008年06月30日

らららセッション!080628

6/27、月例「らららセッション」、南小倉バプテスト教会。「らららセッション」はここでだいたい毎月第4土曜日に開催されている音楽療法的なアプローチによる即興的な音遊びセッション。おとなと子どもが入り混じり、さまざまな楽器の音を使って自己表現やコミュニケーションを楽しむ。その中で自分自身やお互いの存在や変化を体験する。

当日のプログラムは以下の通り。

.魯鵐疋船礇ぅ爐鮖箸辰董颪澆鵑覆芭悗砲覆辰謄船礇ぅ爐硫擦鮟臠屬鵬鵑靴討い。鮗由に方向転換する。鵐ャッチボールをするようにチャイムの音を自由にやりとりする。輪の中に数人ずつ座って目を閉じ、周りのチャイムの音のやりとりを聴いてみる。※まるで天国にいるみたいな気持ちがした、と後でこの体験の感想が語られる。響きに包まれる体験がそんな風な表現になったのかもしれない。輪をおとなと子どもの二重にし、それぞれにキャッチをしてみる。輪の内と外を入れ替える。外側の輪の人たちはキャッチをしながら一定方向に回ってみる。

波の音のするオーシャンドラムを使って。駑悗砲覆辰董音が途切れないように楽器自体を手渡していく。鬟ニにあたった人は楽器を持って、輪の中の誰かに手渡しに行く。受け取ってもらったらオニ交代。鵐ニ以外は目を閉じてオーシャンドラムの音が自分の前に留まったら目を開けて楽器を受け取って交代。オーシャンドラムの数を二個に増やしたり一個に減らしたりしながら。※目を開けてオーシャンドラムが目の前に差し出されていることに気づき、これを受け取ろうとするときの参加者の顔がおとなも子どもも本当に嬉しそう。自分が受け取るときにも何かすてきなプレゼントをもらうような気持ちになる。

1の音に耳を澄ます。雨の音になってみる。饒襪魍けて、それぞれに気に入った雨の音探し。その後、それぞれに発表、実際に全員でその窓のところに行き、耳を傾けてみる。鬟魯鵐疋疋薀爐鮖箸辰同の音を作ってみる。輪になってひとりずつ輪の真ん中で演奏。みんなで耳を澄ます。鸛完で一斉に雨の音を出してみる。目を閉じて。
※先月のセッション時から、次回は雨が降ったらいいなあ、と思っていた。ちょうどこの時間帯に雨がちょうどいい具合に降ってくれ、雨の音がしっかり聞こえる最高の状況だった。子どももおとなも自分の好きな雨の音を色んな雨の音の中から選び出して楽しむのは、文字通り「聴き分ける」楽しさ。そして何と言ってもこの日のハイライトはそれぞれが自分が聴いたばかりの雨の音をハンドドラムで出してみるというプログラム。小さな雨粒が葉っぱに落ちるようなかすかな音をみごとにそれぞれが表現。輪の中の一粒一粒の音にみんなで耳を傾ける。静かな小さな音の中に、世界が広がっているのを感じることができた。開いた窓からはホンモノの雨の音。自分の周りにはそれと本当にそっくりな雨の音。目を閉じてその中にいると、歌川広重の浮世絵を思い出した。

い澆鵑覆蚤腓な音でハンドドラムを叩く。最終的には三三七拍子。

楽しかった!耳を傾けること、小さな音を楽しむこと。それはこんなに深みのある、豊かなことなのだ。雨、いいなあ。
  

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2008年06月25日

つれづれライブ日記2008・6/21〜24

6/21、トリオ・ロス・ファンダンゴス、福岡小戸・Cafeアリワ。ノーPA、完全生のファンダンゴス。1年に1回あるかないかの貴重なライブ。自分たちの直接出している音が全て。研ぎ澄まされ、いつにも増してうねるファンダンゴス、エネルギー大放出。マイクから解放されて可動範囲最大限に使いますとも。大入り満員のお客さんも大揺れ、えらい盛り上がりよう。CD不足、すんまっしぇーん。

6/22、トリオ・ロス・ファンダンゴス、福岡天神・ティエンポ。毎月恒例のミロンガライブ。えらく肩の力の抜けた演奏。途中タンゴダンスレッスン生のTさんのハッピーバースデイコーナーもあり盛り上がる。おお、とっても久しぶりのレファシもやりました。エンリケ噺はなーしよ。

6/24、Duo w/深水郁、博多リバーサイド。面白いこと、新しいこと、もっと、もっと。新曲も2曲。おおそうだ、ご自身ビオラ、チェロを弾くというお客さんたちから「あんなに楽器を叩きまくって大丈夫かなと心配になりました」とショウジキな感想をいただく。すんまっしぇーん。次回リバーサイドは9月22日の予定だけれど。
  
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2008年06月24日

何もかも冷たいのは熱い人が逝ったからか

スーパーは冷蔵庫の中みたいで冷たくて今日は入りたくなかった
しかし外の空気もいつでも滲み溢れそうな雨を含んでずっしりと重く夜が更けるにつれ暗くどこもかしこもただ冷たくて
困る

熱く大きなひとが
いってしまったという
ひとりで
誰も知らぬ間に

知らせを受けて
ぼんやりとボタンを押すと鳴り出したのは不思議にもさっきからそこに入れていたトム・コラの死を悼む音たち
それらだけがあたたかかった

そして"There will be a Happy Meeting"
楽しそうに踊る本人のチェロの音が
やっぱり笑って手を振っているようで

困るんだよなあ
困る

あなたがいないと
ますます
冷たくて

困るんだ  
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2008年06月18日

つれづれライブ日記2008・6/14〜17

6/14、ソロ、マーフィーズカフェ。店はこのライブを最後に諸事情あって暫くライブを休むという。ああ困るなあ、まったく。やりたいことがそのまま気持ちよくできるスペースが減る。それは芸人にとっちゃあ職場が無くなることよジッサイ。とほほ、死活問題。この日は小さなアコースティックアンプだけでやってみる。静かに。諸事情に殊更配慮したというわけではなく、静かになっていってる今のソロの流れで。新曲2曲。インプロやってたら宮沢賢治現わる。終ってから店のRitaちゃんが、「映画の音楽みたい」と言う。なるほど、そういえばそんなことを時々感想として聞くなあ。元々芝居やら色音の音楽から始まったソロだから、どこかそういう映像や物語みたいなものを喚起するのかもしれない。映画、かぁ。ええやん。

6/17、ソロ、南小倉バプテスト教会。自主保育グループかんかん村の春のコンサート。学齢前のチビちゃんたちがずらっと目の前に並んで座る。その後ろに保護者、そのほかのお客さんたち。で、ソロ。静かなインプロ「風の歌」あたりで、「静かすぎるよぅ」なんて声が飛んだりして。静かな音。「聴くということ」。チビどもには難しいんだね、やっぱり。ヤツラは聴くより発する方が得意。何もかも一方的に受けるしかない時期を脱して、自分で動いたり発したりすることが楽しくて仕方ない時期だもんな。でも、ええやん静かな音も、聴くことも、オモロイねんで!楽しかったのは即興歌「ある朝起きたら」。子どもたちもいちいちコトバに反応してのけぞったり大笑いしたりして。わはは、楽しかった。

次のソロは、7/8、天神gigi、投げ銭ライブ!  
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2008年06月14日

「闇」  (改)

「闇」:門の中で音が発せられることを示す字。門は神を祭る戸棚の両開きの扉の形。そこに神への祈りの文である祝詞(「言」)をおいて神意を問う。「言」は「辛」(入れ墨用の太い針の形)と「サイ」(「口」に似た、祝詞を入れる器の形)とを組み合わせた形で、自分の言葉に偽りがあったなら入れ墨の処罰を受けますと、神に誓って約束することを示す字。これを神棚の前において祈ると、これに対して、夜中に祝詞を入れた器(サイ)が音を出して神意が示されると考えられていた。「言」の元の字の「サイ」の中に神の応答を表す「一」を加えて、「音」の元の字の形になる。神棚の前の「サイ」の中から、夜中に神の声、神の訪れの音がすることを表現したのが「闇」の字である。神意は夜中にかすかな物音で暗示されるので、「闇」(暗)は「やみ、くらい」の意味に用いる。(白川静「常用字解」より。一部要約)

「言」は人間の、自分自身の存在を賭した、神への語りかけ。
そして「音」はそれに対する神の応答の、かすかな物音。
それが夜の静けさの中で聞こえてくる。
それが「闇」。

「闇」は元々「くらやみ」のことではなかった。それは人を恐怖に陥れる底知れぬ絶望のことでも、人を引きずりこみ出口のない孤独の迷路に閉じ込める魔物の棲み処でもなかった。「人の叫びや歌や祈りは届き、聴かれている」「応答がある」「人は孤独や絶望のうちに放置されない」「人の苦しみや悩みには意味が与えられる」…。「闇」は人間がずっとずっと昔からそう信じてきたことを示している。

人間が「言」を失うとき、「音」も失われる。しかし「言」が全く失われることが、あるだろうか。「音」が在るのなら、「言」はある。「闇」はそう物語る。

************

シ!
耳を澄ませ
音がする

おまえの言のこだまではない
おまえの言の残響でもない

シ!
耳を澄ませ
音がする


 しかし
 私は渇いていた
 
 眼球の奥に
 逆さ磔にされた
 惨憺たる光景に
 凝視されながら
 私の言はもはや
 枯れ果てていた

 
 音よ

 あなたが 言 なのか
 私への

 祈り
 なのか

コノ言ニ偽リアラバ、コノ身引キ裂カレルベシ

 闇よ
 痛みのしるしとともに
 私の前に置かれた
 あなたが言なのか
 全ての沈黙を破る
 言葉にあらわせない切なる呻きの歌なのか
 
サア、オマエノ番ダ
応エヨ
オマエノ音ヲ以ッテ


シ!
静かな、細い、音がする。


(2008/06/14)  
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2008年06月10日

つれづれライブ日記2008・6/7

トリオ・ロス・ファンダンゴス、小倉南区・東谷、チャリティーガーデンコンサート。去年はすごい風でステージの後ろのカーテンは飛ぶは他の出演者の譜面は飛ぶは、寒くてお客さん震えてるわでえらいことだったのだけれども、今回は実に快適な野外コンサート日和。今回は少しゆっくり目に時間をもらったのだけれども、何せ我々の後ろはみんなが楽しみにしている花火。ピシッとおわらニャーなりません。ザクザクザクっと演奏を進める。MCもぎゅぎゅっと凝縮して。そしてピシッと時間内に終る!よっしゃ!花火や!ところが、お客さんおさまらず、結局そこからアンコールを2回。花火の時間を押して、なお。わはは、どないなってまんねん。終演後沢山の方から「楽しかった!」の声。PAさんもすんごい喜んでくれて。嬉しいことです。ありがたい、ありがたい。トリオ・ロス・ファンダンゴス、なかなかヨロシおまっせ。次回は6/21、福岡は小戸・カフェ「アリワ」。ノーPAでやる数少ない会場。生のファンダンゴス、ご覧に入れまする。  
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2008年06月09日

つれづれライブ日記2008・6/6

色音(うどのあすか:即興絵画)、福岡・箱崎「もも庵」。我々の背景は大きな窓。暮れ泥み、黒々と沈んでいく箱崎宮の木々をバックに。集まってくださったのはまさに「えらばれしモノたち」。うどのあすかのスペースを囲み見守る。セッティング段階で、電源問題などあってこの間ソロの時に使ってきたエフェクターとペダルを一つずつ外す。やることがはっきりして、スピードがあがる。そぎ落として、可能性が広がる。
うどのあすかは挨拶もせず、いきなり始める。おっとと慌ててチャイムの音で応えて、開始。立ち上がりは非常に静か。空調の音が気になって消してもらったら暑くてうどの汗だく。窓開ければよかった。
最前列で店主・小山田さんの娘さんのMちゃん(5年生)が食い入るように見ている。前後半ともそれぞれ40分強のライブの間中ずっと。終演後、こんなことは初めてでした、と小山田さん。ほほほ、サスガ色音。Mちゃん、ありがとね!
色と音がぴったり合うところ、そうでないところ。イメージのフォーカスが合いやすいところ、そうでないところ。動きが速いところ遅いところ。大きいところ小さいところ。対話的であるところ、そうでないところ。色音の、濃淡、リズム。そうやって、とどまることをせず、目撃者たちの眼前でどんどん変わって行く色音はいわばライブ・アニメーション。
観る者たちはそれぞれに自分の記憶や経験、思いを色音に響き合わせながら内面でそれぞれの物語を綴る。それぞれの色音がそこには生まれているはずだ。
今後は更に、色や音のイメージが集中し、一点に収斂するような場面や、喜怒哀楽、ユーモア、孤独、暗さ、明るさ、色や形や音が与えるイメージなどを意識的に使って、そこに立ち会った者たちがみんなで普遍的な感覚を共有する場面も増えてくるかもしれない。
今回は曲は使わず終始完全即興。以前よりも演奏自体の感覚が軽く感じる。この間のソロライブの影響もあるかもしれない。
車に荷物を積み込んで走り出そうとする我々を見送りつつMちゃんが一言、「楽しかったよ!」くぅー!ニクイねえ、まったく。

次回の色音はまだ未定。でも、きっと、もっと沢山の立会人を得て。ソロライブは今週土曜日、遠賀川マーフィーズカフェ。静かに、しずかーに。
  
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2008年06月05日

ハウリングの祈りを

牧師であるせいで、そしてホームレス支援に関わってきたせいで、色んな傷やら痛みやら涙やら叫びやら、生きにくさの呻きやら、そんなモノ達に次から次へと出会わされてきた。いつの間にかそういうのが残響として蓄積され、ぐるぐるまわってハウってる。がらんどうの、ココに。それがぼくという器を震わせて噴き出す。放たれる。だらしなく漏れでる。それがぼくの「歌」なのかもしれない。ぼく「の」だけれどぼく「の」ではないけれどぼくの。そういうのでなければぼく「の」音楽ではないだろう。ぼくがやる必要もない。ぼくでなくていい。ぼくでは、ない。

「オレはもうおしまいだ」と叫んでみんなが見てる前で銃で頭を撃って死んでしまった人のことを思う。彼は拳銃を使った誘拐事件を十数年前にも起こしていたという。服役を終えて出所する前に被害者に宛てて書いた謝罪の手紙には、人と人のつながりの大切さを学んだ、まじめに働いて被害の弁済をしたい、そう書いていたと報じられている。無事に出所を迎えるための方便であったのかもしれない。しかし仮にそうであったとしても、ほんの僅かでも、「からしだね一粒ほど」でも、彼の中に「もう一度人生をやり直したい。真っ当に、人間らしく生きたい、こんどこそ」とそんな思いが無かったと、言い切れるだろうか。

その手紙を書いてから、「もうオレはおしまいだ」と叫んで頭を自分で撃ち抜くまでの間、一体彼に何があったのだろう。なんでそんなことになるんやろう。なんでこんなことになったんやろう。彼自身にもわからなかったのかもしれない。パチンコ屋から奪ってきた札を雨空に投げ散らしながら、こんな風に生きたかったんじゃないんだ、と泣き叫んでいたのかもしれない。そう思う。幸い誰も傷つけていない。終わりなんかにしなくてもよかったのに。そう思うのは、ぼくがそんな風にして絶叫しのたうちまわった彼の絶望の深さを知らないからだろうか。

そんな人間でさえ、否、そんな人間だからこそ、独りぼっちではなかった。そんな人間のその隣に、ハラワタ断たれちぎられる痛みを負って呻き立つ者が、在(い)た。車のガラスが彼の頭を貫いた銃弾で砕け散ったその瞬間に、誰の目にも、カメラにも映らないけれど、彼と共に、彼を負い引き受けて、在た。

そう信じて、歌を。
そう信じて、弦を軋ませて
ハウリングの、祈りを。  
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2008年06月03日

つれづれライブ日記2008・5/31

ドグラマグラ、福岡天神・四次元。初めての店なので探し探し行ったら、昨秋に倉地・外山デュオ、|Uniq"est|と一緒に谷本・フクヤマDUOで出たトコが新しくなってたのだったのだった。トイレは真っ赤いけでこりゃー血尿が出てもワカランねえとはギタリストの便じゃなくて弁。わはは。セッティングをドラムスの前にワタクシ、両サイドにベース、ギターという形で行こうとするも、どうもやはり落ち着かず、結局いつもの半円形にさせてもらって席替えすると今度はACアダプター断線、ガムテでしのぐ。この日はPAアリ、デカイ音、ロック仕様。直接対話的で生々しかった前週TATOPANIとは対照的。でもだからこそあえて静かな部分を意識してやってみる。PAクンにもダブで勝手に楽しんでもらう。わはは、ええど。なんでもかんでも自分たちで作り込んでしまうのもいいけれど、他人の介入介在があって自分たちの演奏が変化していくのもおもろい。あ、そういえば途中でなぜかサイレンみたいな音を何度も繰り返していたワタシ。空襲警報みたいなことになっていた。何だかコワイけれど、切なく悲しい音。「音」には記憶や風景や心象を甦らせるシンボルのような力、働きがあるなあ、と改めて思う。新しいお客さんも何人か来てくださっててありがたい限り。直前まで別件でご一緒していた弁護士K先生の姿まであって。耳を塞ぎながらも身体を動かしてノッテくださってたとの目撃談アリ。マコトにもってありがたいやら申し訳ないやら。終演後はバンドとお客さん2人で軽くウチアゲ。ツマミ類が下の居酒屋から届いて、安いうまい。ええと次の予定は…。おっと7/12MURPHY'S CAFEが流れたのだった。段取りしなくちゃ、しばしお待ちを。  
Posted by aogoomuzik at 12:36Comments(2)TrackBack(0) ライブ