2008年08月30日

埼玉神奈川日記

水曜日に浦和へ。日本バプテスト連盟の靖国神社問題特別委員会の座談会参加中にペシャワール会メンバー伊藤さんの遺体確認の報。町村官房長官は早速「だから対テロのための給油活動は必要だ」と言う。ただただ彼の死を悼み、落ちくぼんだ目で座り込んでいる多くの現地の人々の在り方と、会ったこともない青年の死を国家にこんなにまで露骨に素早く直接に結びつけようとする姿勢は決定的に異質であって、互いに衝突しあっている。まさに「ヤスクニ問題」。
昨日は、川崎の昭和音楽大学で始まった第8回日本音楽療法学会講習会・学術大会へ。最初の講義、西村ユミさんによる「看護実践における患者理解と課題」が特に面白かった。ポンティの現象学(身体論)の応用。「私にとっての他者にとっての他者としての私」という表現がおもしろい。他者の前での「私」の身体のありようそのものがすでに一つの他者理解だという考え方。他者を対象化し主体と客体を二項対立構造化していては「理解」も関わりもできない、という話。「弔いの現象学」、「レクイエムの身体論」なんてのも可能かもしれない。
90分の講義が4コマ。最後の「ホスピス緩和ケアと音楽療法」では死に行く人の傍らでの歌のデモンストレーションがあった。乱れる呼吸に合わせて歌う歌は、「音楽」として成り立たなくなる瀬戸際に立たされる、しかしまるで患者さん自身が歌っているように感じられる、という。息を合わせることは一緒に旅をすることなんだ。時にはギリギリの瀬戸際まで。
それにしてもよく降ること。よく光り、よく鳴ること。
そして今日は山下恵子さんのケースをビデオで見る。歌が生まれる瞬間。セラピストとクライアントの立場が完全に逆転する瞬間。元気でますわ。
で明日は、帰る。帰るぞー。  

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2008年08月27日

つれづれライブ日記2008・8/26

ソロ、福岡・四次元。昨日までの劇伴セッティングから歪み系抜いてペダル位置変えて。即興曲と「紫」を経て装いも新たな「オリーブ」。唐突なインプロがはさまって、じぶんがびっくり。わはは。

ループを使うと、いわば退屈な音楽になる。繰り返し繰り返しの、同じ話みたいなもの。思い出話はその代表かもしれない。でも繰り返し繰り返し訪れる思い出や物語には、こみあげる切なさがある。音楽における繰り返しが切ないのは、そういうことと関係があるような気がする。記憶。哀しみ。傷。生きてきた、ということ。心拍も、呼吸も、歩くということも、そういえば繰り返しだ。

バイオリンの曲でラ・フォリアというのがある。徹底的に同じテーマの変奏の繰り返し。まるで阿呆の一つ覚えのように、ということでこの曲名、「愚かであること」。でも、これ好きだったなあ昔から。バッハの無伴奏のシャコンヌ。これもいわば人力ループ。ぐるぐると同じモチーフの変奏が繰り返されるうちにとてつもなく切なくなってくる。GOD SPEED YOU BLACK EMPEROR の曲もそうだ。ピアソラの「家族」もぐるぐる系。しかも「新婚旅行」ではそれがアレンジを変えて繰り返しのようにして配置されていて。

思い出話みたいな音楽、か。回想音楽?でもいい落語なんて何回聴いても面白いし、いい映画だってそう。演奏だってきっとそうだろう。同じだけれど毎回新しい。そんな風でいけたら、ね。精進します。  
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つれづれライブ日記2008・8/25

いよいよの千秋楽。そしてこの最終日でさらにある部分にアレンジを加えての演奏。カーテンコール後の演奏に拍手喝采をいただいて光栄の限り。
本番中は「どうせエビスはまれびとよ!」の絶叫、そして最後の深々とした「レクイエム」にぐっとくる。みんないい歌を、ありがとう。
そして終演後の打ち上げでのウミビトの歌、最高。力が抜けて伸び伸びしていて、なんだかきらきらしてて。本番より良かったぐらい。わはは。
宴もそろそろオヒラキが近づいたころ、少しだけ水上ステージへ。楽士舞台にしばらく座っていると、ふと、なんだか哀しみみたいなものがこみ上げてきた。紫川の畔の、あちこちで出会ってきたホームレスたちの生や、死。劇そのものだけではなく、そういうものたちとも多少なりとも響き合いながら音楽を作ったつもり。みんな、どうだった?そう訊ねたい思いになって少し、涙が出た。  
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2008年08月25日

つれづれライブ日記2008・8/24

入場者数411!これまでの4公演ですでに1400人を超える人達が来てくれたことになる。すごいなあ。ありがたいこと。
楽士たちの演奏、この日はさらにパワーをあげて。ぐいぐい煽り立て、後ろから押していくイメージで。時には完全にライブの感覚で。
PAスタッフにお願いをして、遠くから響く感じよりも、舞台や客席全体を包む感じの音にパワーアップしてもらった尺八・山崎箜山さんの音に客席から拍手が起きる。フクヤマワタルさんは今回楽隊からひとり、芝居への乱入をするのだけれど、毎回オオウケ。昨夜はついにメークまで。客席へのサービスもすばらしい。アジのパーカッション、本当に彼の人柄そのままのまっすぐでやさしい音がさらにやわらかく自由になって全体を支えてる。一昨日から音響効果の部分で使い始めたボンゴもええ感じ。
昨夜は単にパワーを上げるだけではなく、音数の少ないところも更に静けさを強調してみる。またより有機的に芝居と絡むように調整。非常にダイナミックになった紫の楽隊。
川面を渡る風は、昨夜から秋のそれに変わった。季節の移り変わりの瞬間にはっきりと立ち会った感慨を、終演後しみじみ楽士たちが口にしていた。
そして今夜、芝居の中でいのちを輝かせるものとして生まれ育ってきたあの音楽たちの最後の晴れ舞台。ありがとう、歌たち。今日も、よろしく。
水上野外劇「紫MURASAKI まれびとエビス 紫川物語」、いよいよ今夜、千秋楽。沢山のお客さんに、見届けてほしい。
  
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2008年08月24日

つれづれライブ日記2008・8/23

ひょえー、雨で中止となった昨日の今日。なんと400人以上のお客さんが詰めかけて大入り満員札止め。すばらしい。
開演直後、そんなワレワレのすぐ横のイントレに蝉が。ジーーーーーーーーーーーー…。ワレワレの幕開け演奏の間そこで鳴いていてくれた。すばらしい。野外劇ならではの、文字通りの飛び入り。
ワレワレ楽士もきっかけもばっちりで実にスムーズな音入れ。時折ぐぐっと芝居を前に押し出したりして。すでにさすがの職人集団。終演後ペーター曰く「音楽はほとんど完璧だったヨ」。
でもこのままの路線で明日も行ってしまうと、きっとオモシロクナイ。生演奏なんだから、ナマミの人間が生きてやってることが感じられる音楽でないと、ね。
同じことの繰り返しなど、本来あるはずがない。昨日と今日の自分は違う。お客さんも違う。空気も風も、川の流れも、違う。世界も、違う。だからいつも、「今」の音を。
本来明日が千秋楽。しかし月曜日の追加公演はすでに決まった。だから土日月はいわば3夜連続公演で明日は中日。序破急でいえば「破」。打ち破る、べし。  
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2008年08月22日

つれづれライブ日記2008・8/21

さて、プレビュー公演が終わっていよいよ本公演開始。お、芝居がすでに変わってきている。特に前半から中盤にかけてのスピードがぐぐっと上がって緊迫感が増した感じ。やっぱり始まったゾ。いいぞいいぞォ。楽隊の演奏は曲や音入れのタイミングもばっちり。劇と一体になりました。しかも演奏のグルーヴもよりダイナミックになってきましたよ。
演奏として生き生きしてないと、折角生演奏してるんだから、勿体無い。昨夜の演奏中はバンドとして楽しい瞬間が何度もあって、えかったですわ。
ラスト近くの歌もよくなってきてる。そしてこの場面、きっともっと良くなる。こちらのアレンジもプレビュー見て変更。必要なことは「今」やらなくちゃ、あっという間に終わってしまう。劇も人生もきっとそうだ。なんて。
そうそう、本番中のあるセリフがぐさっと胸に突き刺さり、涙が出そうになった。切り捨てられる「他者」「外部者」。いざとなれば突出してくるウチとソトの境界線。排除される者たちの存在。それが絶叫とともにクローズアップされた瞬間。そのセリフに、ぼくはやさしさを感じた。死んでいったまれびとたちも「そうだ」と静かに頷いたかもしれない。
おお、昨夜もアクシデントあり。途中若干1名ステージから転げ落ちそうになりましたが、お客さんは芝居に集中していて誰も気づかなかった模様。良かった。いや、ひょっとして誰かが川に落ちても誰も気づかないのか。こりゃアブナイ。気をつけよう。さて、今日は中日。雨が心配だなあ。でも演奏、ぜひやりたいもんです。
そうそう、昨夜意識してやり始めたことを、今夜はより徹底してやってみたいと思ってます。ぐぐっと、押していく音楽を。カクゴッ!  
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2008年08月21日

つれづれライブ日記2008・8/20

水上野外劇 紫MURASAKI まれびとエビス 紫川物語。プレビュー公演。まずは雨天等で生演奏が不可能な場合に備えて劇中演奏レコーディング。サクサクと半分くらい録る。
そしていよいよ本番。楽士四人衆もさすがのスピード、本番はやっぱり音の出が違います。事前のリハーサルでやろうとした幾つかのことを敢えて切り捨てて臨んだのも良かった。付け加えるより削るほうがスピードがあがり、エッジが立ち、自由になることは、多い。でも箜山さん、ワタルさん、ごめんなさい。
それにしてもこの劇はスペクタクルですわ。芝居、歌、演奏、ダンス。そして街の風景の中に浮かび上がるステージ。風が吹けば旗がはためき、火の粉が舞い散る。
本番カーテンコール直前の場面で役者たちの姿にちょっとぐっと来てしまう。よくぞここまで辿り着いたなあ、みんな…。とまあなんというかオコガマシイというか誰やねんオマエは、てな感じではありますがすんません。
客席は大入り満員。笑ったりのけぞったり、興奮したり(思わずお客さんが役者にビールぶっかけちゃったり)、シンとなったり、そして温かい拍手。そして終演後その場を去りがたい風情のお客さん多数。ありがたいことです。やさしいお客さんたちに文字通り見守られての、初演。
自分の作った拙い曲やら歌やらが舞台裏のあっちこっちで役者たちが口ずさんだりしてるのも面白い。いつのまにかみんなの子になってしまってる、ウチの子たち。みんなかわいがってくれてありがとう。
高坂圭さんの作った脚本の詩に曲をつけたわけなんだけれど、これが結構楽しかった。歌は、言葉と音楽の出会うトコロ。音楽と言葉がぶつかりあい、せめぎ合い、束縛と解放が同時に起きる。それ自体が「劇」的。自分のコトバでないところもそのぶつかり合いを活性化しダイナミックなものにしたのだと思う。面白いもんです。
でも、まだまだ。本公演はいよいよ今夜から。そして後たった4日で終わってしまう。しかしそこに至るまでに、全てが大きく変わっていくだろう。音楽もきっと更に。千秋楽はどうなるだろう。そしてその後、すべてはどうなるのだろう。濃密でダイナミックな「旅」が始まった。いや、準備段階から始まっていた旅がいよいよ最終の行程に入った、というべきか。いずれにしても、楽しみだぁ。  
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2008年08月17日

迫真の対立

演劇は総合的なモノガタリだ。役者の演技。舞台美術、衣装、大道具小道具、照明、音響。脚本、演出、制作。そして、音楽。それらが互いに絡み合い、層をなし、綾をなして大きく立体的なモノガタリを構築する。
劇音楽は時に場面の下に隠された地下水脈のような「もうひとつのイミ」「文脈」を掘り下げ、汲み上げて暗示する。芝居(演技)と音楽のそれぞれが提示する2つの流れを総合する作業は、観客自身に委ねられ、モノガタリはよりダイナミックな出来事になる。
しかし音楽は直接身体に響き、人間の感覚と感情に揺さぶりをかける。しかも生演奏はそこに存在する楽士の肉体から繰り出され、その瞬間にしか存在しない音を劇の中に投入し続ける。それは有無を言わせぬ力を持つ。劇において音楽は危険な劇薬だ。
「音楽は芝居のテキだ」。アリノネ「新しい天使」広島公演の折、池内文平さんは桜井大造さんのそんな言葉を紹介してくれた。音楽は芝居を飲み込みかねない。だから芝居は音楽と仲良くせず、闘わなければならない。そんな話に、なるほど、と思った。それは厳密にいえば本当の敵対関係ではない。モノガタリを現出させるという目的をもって、互いに相対しあう、意図的な「対・立」関係だろう。
たしかに即興演奏においても互いにベッタリと寄り添い合うあり方は鬱陶しい。相手に合わせて音を出そうとすると、常に遅くなる。そしてこの一瞬は永遠の遅さとなって、表現そのものの速度や自由を損なう。それはソロの即興における自分自身との関係においてさえ、妥当する。
劇における芝居と音楽の関係にも同じことが言えるはずだ。芝居と音楽の馴れ合い、もたれあいは、緊張感を損ない、モノガタリを平面的で薄っぺらなものにしてしまうだろう。音楽に呑みこまれてたまるか、と舞台上にスックと立つ芝居は、痺れるほどカッコいい。ヘタをすると音楽をさえ呑みこんでしまいかねないそんな芝居の前で、「芝居は音楽のテキだ」と逆に肝に銘じながら、徹底的にもう一つの流れを提示し続ける音楽でなければカッコ悪い。そうやって2つのモノガタリが、観客という名の「立会人」の中で出会うとき、その衝撃は強力な磁場、渦を生み、ほんとうに総合的なモノガタリがそこに立ち現れる、はずだ。
さあ、本番まで後4日。劇中音楽は出来上がっている。しかしそれらはきっと、当日のモノガタリの中でこそ、本当に完成する。迫真のぶつかり合いが、楽しみだ。

水上野外劇「紫MURASAKI まれびとエビス 紫川物語」  
8/20(水)〜24(日) 
北九州市庁舎向かい大芝生広場横・紫川水上ステージ特設劇場にて、毎夜7時開演
前売・予約一般2000円 学生(小〜高)1000円
当日一般3000円、学生2000円

疎外と受容。共存と排除。報復と暴力の連鎖。血と歴史と共感。友情と憧れと恋。そして哀しみ、弔い。総勢40名の出演者の芝居とダンスと美術と歌と音楽が織り成すモノガタリ。

御予約承ります。  
Posted by aogoomuzik at 03:45Comments(2)TrackBack(0) 雑記 

2008年08月13日

つれづれライブ日記2008・7/29-8/12

7/29 即興w/岩下徹、八幡・ふらて会「西風庵」。本番前本番、施設入所者対象の即興セッション。いわば特にみんな岩下徹も谷本仰も知らない方々。そしてたぶん、自分の意思で見たいと思ったわけでもない方々。そこへと切り込んでいくダンス。どんどん前へ、前へ、中へ、中へ。表現にはそれを受けた側の「解釈」がつきものだ。前衛的な表現に必ずついてまわる「難しかった」なんていうのもその一つの形だろう。しかし岩下さんのこのときのダンスの大半は「解釈」の余地を与えず、具体的な感覚を呼び起こすもの。解釈の余地無く、反応や反射を生むダンス。無表情に見える彼ら彼女たちの手が動いたり、目が動いたりするのは、そうした動きに対する反応なのかもしれない。ぼくは久しぶりに生のヴァイオリン1本で、やはりこちらも反射的なスピードを目指して。
有料ライブ本番は、一転、積極的に岩下徹+谷本仰を見に来てくださった方々を引っ張り込む感じで。感覚を全開にして体中をアンテナにする感じで行く。充実した即興ライブの時につきもののあの時間の感覚が訪れる。時間の流れが極度にゆっくりになる、あの感覚。微細な変化を意識することで、時間を非常に細かく区分して感覚しているのかもしれない。ほんまかいな。アインシュタインに聞いてみよか。今まで聴いたことのない音が生まれていく。濃密なひととき。

7/31 平和宣言メッセージ&ミニコンサート、ピアノ:吉高叶、日本バプテスト連盟少年少女大会、静岡・天城山荘。朝ごはんの前の30分間が我々の時間。うっかり時間食い込んでしまい、吉高センセイのメッセージの時間を食ってしまう。わちゃちゃ。すんまっせーん。でも今までにない軽い感じのアレンジ、ええ感じでした。

8/4 ソロ、小倉南「88Nelson」。沢山のお運び感謝。即興と曲を交互に。芝居の曲も試してみる。ええ感じやん。岩下ライブで見えたことをさらに一歩二歩前へ押し進めてみたり。7/11大阪ソロ→広島Duo旅→岩下セッション→北九州ソロと3週間ほどの流れの中で、急激に変化する音。この夜最後の曲は高岡大祐の「フラワー」。終演後は観に来てくれた水上野外劇「紫」の出演者たちとわいのわいの。

8/8 デュオw/原田敏夫(g)、ホームレス支援夏祭り、小倉勝山公園。ところが雨で中止。折角トシちゃんに来てもらったのに残念。あ〜あ。

8/12 ソロ、帆柱青少年ふれあいの家。日本キリスト教会というキリスト教の教派の九州の教会の、中高生のキャンプで講演とミニライブ。最後にアコースティックヴァイオリンで完全即興。フツウの中高生たち相手に、瞬時に生まれて響き消えていく音たちを。ふむ、やはり、ね。大阪ソロからちょうどひと月。スピードは格段に上がってる。大ちゃんありがとう。

さあて、いよいよ後は8/20水上野外劇「紫MURASAKI まれびとエビス 紫川物語」初日までライブなし。そこから怒涛の5夜連続劇伴生演奏。ひひひ、楽しみ。山崎箜山の尺八が聴く者を異界へと連れ去り、フクヤマワタルのベースがうなりをあげ、Ajiのパーカッションが「熱」を吹き込む。この4人が全力を挙げて芝居を盛り上げます。すごいことになります。もうそれはゼッタイです。ぜひおいでください。宜しければできるだけタクサンの人誘って、来てください。8/20〜24、紫川水上ステージ特設劇場にて、毎夜19時開演。  
Posted by aogoomuzik at 21:19Comments(0)TrackBack(0) ライブ