2015年09月19日

ここの声 (2015年9月19日に)

ここ!

歌い踊る
食い飲み眠り 
目覚める

何食わぬ顔で
裾の塵 パッパッと払い
また立ち上がる

たったひとりのわれ ら
ただひとつのからだ ども 
ひっさげて

ここ ここ ここ

魚みたいに
口開けて
口々に歌おう

別のここ
よそのここ
ちがったここ
知らないここ
かなたのここ

まっすぐなここ
かくばったここ
まるいここ
おもいここ
かるいここ
ぶあついここ
ぺらっぺらのここ
かっこいいここ
ぶかっこなここ
まじめなここ
ふざけてるここ
ふつうのここ
へんなここ

こことここ 
とこことこ 
ことここと 

交わって生まれるものたち
叫びあい 呼び交わし 
包囲している天

この地に この空に
あまねく 産声を放っている

負けるな 負けるな

昨日どころか 昔から
未来どころか 明日を貫いて

おぎゃーーーー!
おぎゃーーーー!

ここの歌が
聞こえるか  

Posted by aogoomuzik at 19:45Comments(0)TrackBack(0)  | 雑記

平和物語

「平和物語」

あれほど高い平和の
訴えはもしかすると剣を隠し
侵略を隠蔽する仮面なのかもしれない

平和は軍縮のための円卓の上で
しおれていく−花のようなものかもしれない

もしかすると平和は
盗み食いした食べ物を
吐き出しながら育つ傷みなのかもしれない

平和の国はまだどこにもない
夢の国なのかもしれない

いや、平和はまったく知られることのない
山村で野草の花として咲き
農夫の夕食の場で
咲く
子供たちの祝いの話のような喜びなのかもしれない

山の奥の日当たりのよい
井戸端で交わされるささやかいなのかもしれない
下の村の祝いの席で広がる
笑いの声のようなものかもしれない

(金明植詩集「光の中へ」より)

*****

「平和」と聞くと、理想的で、夢想的で、非現実的で、キレイゴトで、そのくせ手垢にまみれていて、お題目のようで説教くさく、教科書どおりの言葉、と感じるかもしれない。でも平和ってのは、目の前で(たとえそれが何千キロ離れていようが、何年、何十年前のことであろうが)殺し殺されていく人間たちの現実の、歴史の、只中で叫ぶ絶叫でもあると思う。そういう意味では平和はそんなにピースフルな事じゃない。押しつぶされそうになりながらも絶望に抗う歌。戦地で爆撃の合間に路上で遊ぶ子どもたちの声。憎悪や報復の中で傷ついた者が静かに流す涙。それはいのちがけのコトバ、身体。絶望の只中に、それでもどっこい生きている希望。

*****

2010年3月23日、自分がここでこんな風に書いているのを偶然、読み返した。「ホシハ チカニ オドル」が生み出されようとしていた頃。そして5年半が経過し、殺し殺されていく人間たちの現実は、ますます身近になっている。遠い外国でのことだけではない。国内の至るところで、人間を押し潰して生き血を搾り取るような所業が行われつつある。

「平和に生きる権利」は「静かに暮らし生きる権利」のことであるだけではなく、希望の闘いを生き続ける権利のことなのかもしれない。

今、国会前では「憲法守れ」「民主主義ってなんだ?コレダ!」「安倍はヤメロ」のコールが続く。でも、デモ、実はそれだけじゃないのだ、きっと。「平和」や「希望」や「いのち」が目覚めつつあるのだ。身体をもって復活しようとしているのだ。

*****

生きたいと願う生を生きることを「あばれる」と表現し、そのための「あばれる力」の獲得や奪還の必要性を語ったのは「現代暴力論」の栗原康。

平井玄は「暴力と音」の中でこう語っている。

「何一つ語られていない。この世界は、まず第一に巨大な暴力そのものによって成り立っていることを。さらに、そうした暴力の途方もない隠蔽を通じてこの世界は辛うじて維持されてきたのだということを。この世界の『平和』とは暴力的制圧のことである…。」

「私の『暴力への衝動」という傷の根はこの二五年の間、一度として枯れ果ててしまったことなどないのだということ。心身に書き込まれたこの怒りをどこへどう向けるべきなのか―。実に一万日もの間、愚直にも私はただこのことだけを考え続けてきたと言ってもいいのかもしれない。未だ地球上のどこにも現れてはいない、全世界を作り変える『希望としての暴力』への欲求。自らの思惟と行動の幹を滋養してくれる根源の問いとして、それはあったと思う。いわば『メシアとしての暴力』。ほとんど神学的とも言えるような無謀でしかも無力な問いかけの声。…だが、この問いかけは座礁する。座礁し続ける。遂にこの瞬間に至るまで絶え間なく座礁し続けたと見做さなければならないだろう。それは一種の思想的な自己流刑だったのか。…」

平和よ、あばれたいのか。
平和よ、生きたいのか。
平和よ、自由がほしいのか。

平和は、殺戮と収奪と抑圧の道具に、拘束具に、手錠に、足かせに、理由に、言い訳にされ、牢獄に閉じ込められてきた

われわれもだ

獄中仲間だ、兄弟だ、姉妹だ。

出たい
どうにかこの壁の細いひびからでも
漏れ出したい
この壁の向こうへと、外へと
壁に咲く花のように

なあ、おい、平和よ

みんなの声が、きこえる
ここでも、叫んでる
歌ってる

姉妹たち
兄弟たち
平和たちの

歌が咲いている

  
Posted by aogoomuzik at 19:44Comments(0)TrackBack(0) 雑記 

2015年09月16日

善き力にわれ囲まれ(2015/8/2 南小倉バプテスト教会週報)

●今週の一言  讃美歌「善き力にわれ囲まれ」

 善き力にわれ囲まれ 守り慰められて
 世に悩み共にわかち 新しい日を望もう
 過ぎた日々の悩み重く なおのしかかる時も
 さわぎ立つ心しずめ み旨に従いゆく
 善き力に守られつつ 来るべき時を待とう
 夜も朝もいつも神は われらと共にいます

 たとい主から差し出される 杯は苦くても
 恐れず感謝をこめて 愛する手から受けよう
 輝かせよ主のともし火 われらの闇の中に
 望みを主の手にゆだね 来るべき朝を待とう
 善き力に守られつつ 来るべき時を待とう
 夜も朝もいつも神は われらと共にいます
   
 「この詞は、ボンヘッファーが処刑される前年に獄中で書かれました。彼はドイツ敗戦間際の一九四五年四月九日、バイエルンのフロッセンブルクで、ヒットラーの特別命令で国家反逆罪の名のもとに絞首刑にされました。一九四四年一二月二八日、ベルリンのナチの秘密警察の獄房より婚約者にあてた手紙に、この詞は同封されていました。
 『私があなたにクリスマスにこの手紙を書くことができ、あなたを通じて両親や兄弟たちに挨拶を送り感謝できるのを喜んでいます。きっと私たちの家は静かな時を迎えていることでしょう。私のまわりが静かになればなるほど、あなた方との結びつきがより深まることを実感できるのです。それは、あたかも孤独のなかで、魂が日常生活ではほとんど感ずることができないような感覚を育てていくようなものです。それで私は一瞬たりとも、独りぼっちであったり、とり残されていると感ずることはありません。あなた、両親、戦場にいる友人や学生たちはいつも現実として私の前にいるのです。あなたがたの祈りと良き心遣い、聖書の言葉、昔行った語らい、音楽、本は前にもまして、命と現実性をもってくるのです。そして、その大きな見ることのできない世界に私は住み、その世界の存在をなんの疑いもなく認めるのです。…ここに、この数日、夜の間に浮かんだ詩を記しておきます。この詩は、あなたと両親、兄弟たちへのクリスマスの挨拶です。』」
(以上日本基督教団讃美歌委員会編「讃美歌21略解」より)

 アーメン。われらは未だ明けぬ夜を生きている。信仰はしかし、夜明けが来ることを、それが闇の只中にすでに始まっていることを知っている。信仰は、この世界が来るべき世界にやがて呑みこまれることを、からし種に乗っ取られる畑のようにそうなることを、知っている。朝は、来る。神、われらと共にいます。インマヌエル、アーメン。
  
Posted by aogoomuzik at 12:24Comments(0)TrackBack(0) 南小倉バプテスト教会「今週の一言」 

2015年09月11日

戦争に備えるよりも (2015年9月11日に。)

あの装備や技術のすべてが、災害時等の人命救助のため、被災地復興支援のためのものであったなら。災害が起きたときに、自衛隊は今とは比べ物にならないほどの活躍ができるだろう。戦闘のための組織と装備であれだけのことをするのだから。
この国は戦後これまで一度も他国からの武力攻撃を受けていない。しかしこの国は何度自然災害に遭ってきただろうか。その都度、自衛隊は出動してきた。そして最も過酷な現場を担ってきた。だからこそ。
全ての武器・兵器を、人命救助のための装備に。すべての組織的戦闘の訓練を、災害対応の訓練に。そうなればもっともっと、自衛隊はいのちのために働くことができる。どれほどそうした備えを、この国は必要としていることか。
そうなれば日本はほんとうに軍も軍備も保有しない、と胸を張って、心から、言える。日本国憲法を、世界の夢を体現することができる。他国において甚大な災害等が起きたとき、どの国よりも進んだ技術と装備をもって現地に入り、人々を助けることができる。自分たちが災害に遭って苦しんだときに助けてくれた国に対して、感謝しこそすれ、誰がテロを起こそうとするだろうか。
装備や技術の開発や革新、充実、整備、増強は常に必要だ。災害救助を想定した出動態勢の整備が要るだろう。隊員の育成も必要だ。テロや攻撃におびえて、「あってはなならない」戦争のために備えるより、これからも必ず起きる災害に国規模で備えるほうが遥かに理にかなっているではないか。
沢山の人が生活を、大切な人を失って途方に暮れている。そんな今だからこそ、忸怩たる思いがする。
夢だろうか。世迷言だろうか。戯言だろうか。
ひとりだろうか。


  
Posted by aogoomuzik at 13:27Comments(0)TrackBack(0) 雑記 

ソロダイヤローグス九州旅後半のこと

8/27 佐世保の南国食堂地球屋へ。オープニングアクトは重松壮一郎さんのオルガンと片田尚孝さんのチェロがとろけとけておきつななこさんの歌がたゆたう。どんどん入ってくるお客さんに椅子を足して足して満員の二階、感謝感激。でこの日は1セットで演奏。お客さんも、オープニングアクトのメンバーたちも、笑ってた。最後にやった4人の即興セッションには田中隆比古さん飛び入る。最後は案の定お祭りみたいに。
ライブ後打ち上げでもよく喋った。店主の自宅でとれた枝豆がうまかった。開けっ放しのドアから入ってくる夜風が気持ちいい。外のような内、内のような外。相互に流れ込みあう、間(あわい)が好きだ。
お店から30分ほどの世知原の店主宅に泊めてもらう。最近引っ越したという古民家、土地数千坪。あけっぱなしの窓から涼しい風が行き交う。子猫のAjicoが枕元で丸くなってくれた。

8/28 ガラス風鈴の音で目を覚ます。少しゆっくりして街へおりていくと、家々が箱か金庫みたいに、閉ざし、閉ざされて見えた。
1時間半ほどで大村ロニースコッツへ。オープニングの東シナ海バンドがもうリハを終えたとこ。藤山俊子ピアノ、大久保エイジ・ラップスチール、廣瀬成秀ドラムス。出会ってかれこれ25年になる友人たち。
20数年前、エイジのやってたバンドで一時期演奏していた時に初めてつけたヴァイオリン用ピックアップは今もケースの中に眠ってる。藤山俊子ともその頃に出会い、ぼくを音楽療法を引き合わせてくれた。娘さんはぼくと同じ名前。開演時にびっちり満員になった店内にはおれなくなって外で彼女たちのやさしい演奏を聴きながら、なんだか涙が出そうになっちゃったのだった。
最後には東シナ海バンドと共演。みんな大喜び。マスター松村さんにも気にいってもらえたようで何より。トリオ・ロス・ファンダンゴスでもできればいいなあ、ここで。

8/29 泊めてもらった友人Hさん夫婦と久しぶりにゆっくりしゃべって、ゆっくり出発。そういえば嬉野温泉のタダ券を地球屋店主にもらってたぞ…雨の中、露天風呂でちょっとひと息。
佐賀のとねりこカフェ、商店街の感じが変わってたけれど、お店そのものは数年前にデュオダイヤローグスでお邪魔したときと変わらない。店の前にチラシが貼ってあるのがなんとなくほっとする。どの会場でもそうだった。
この日もまたまた大入り満員、すげー。三日ぶりに休憩を挟む形に戻す。なんと佐世保に続き大村にも来てくれてたお客さん二人、三度現る!どうしたことだ!ありがたいじゃないか!やっぱりみんなとっても喜んでくれて、夢のよう。CDも今ツアー最多売り上げ。ありがたいことです。開演前のシシリアンライスもうまかった!

帰りは一週間ぶりに高速で。下の道だけで移動した一週間、いろんなものが見えた。いろんなことを考え、知り、思った。でも、高速道路に乗ると、もう帰るということだけが目的。旅は終わったのだった。

宮崎ひむか村宝箱でのライブ実現に尽力くださったOさんが、当夜のことを書いてくださっている(→コチラ)。

あのヨル、近づく嵐の気配の中で、獣たちや、ひょっとするとモノノケたちと、輪になって一緒に踊り奏でていたのかもしれない。負けるな、負けるな!いのち丸出しで。そのさまにみんながつられて笑っちゃう、そんなソロになっていたのだったら、ええじゃないか。確かにそういえば今回のツアーでは行く先々でお客さんの笑ってる顔が印象的だったなあ。

各地のみなさん、ありがとうございました。また来ます。どうぞ宜しくお願いいたします。

あ、そんなこんなの九州くるりソロ旅ご報告ライブ、北九州でやります。2015年9月18日、八幡デルソルにて。19時半開演、投げ銭制です!宜しければぜひどうぞ!  
Posted by aogoomuzik at 00:50Comments(2)TrackBack(0) ライブ | 雑記