2005年08月09日

8月6日広島にて

広島200508068月6日の広島。大好きなお店Otis!で毎年この日に開催されている「爆心地ライブ」に初出演。マスター佐伯さんに声かけてもらって。自遊本舗や呆けすとらでギター弾いてる原田敏夫通称トシちゃんと唄ものアコースティックデュオで。

「爆心地ライブ」は11年前の1995年の8月6日が最初。遠藤ミチロウ氏の発案で始まったと聞く。今回もトリは彼。
軽くサウンドチェックをして、夕方、平和記念公園へ。広島は何度も来ているのに、ここに来るのは初めて。すごい人出。大掛かりなステージとコンサート会場が組まれている。慰霊碑の辺りは手を合わせる人でいっぱい。えらいさんたちの花輪がずらっと並んでいる。真ん中は「内閣総理大臣」。へいへい。

原爆ドームの方に向かって歩く。川べりに出ると川の両岸も橋の上も鈴なりの人、人、人。期待に満ちた表情で、みんな灯篭流しを見ようとして集まっているらしかった。まだ明るい夕方6時、川にひとつ、またひとつ、灯篭が流されていく。そのとき、その川面一面に真っ黒に焼け、血を流した人々の死体が浮いている光景が目の奥で重なった。ほんとうは見たことのない光景。話できいただけの、その光景。そして今目の前にある楽しく賑わうそれとは全く違う、異景。そのとき、不思議な静けさがぼくのなかにやってきた。

人、人、人。ステージ上には合唱団やオーケストラがスタンバイを始めている。辺り一面に満ちる「イベント」「お祭」の空気。 ふと「なんで夜店が並んでないのかな」と思い始める。お面や綿菓子やリンゴ飴…。改めて見回すがやはり一軒もない。そして改めて追悼の日だからか、そりゃそうか…と気づく。しかし、明るいのだ。雰囲気が。楽しいのだ。空気が。それなのに「追悼」で、夜店はなし。違和感。

若い人が多い。60年前、僕がさっき一瞬の幻のようにして見た光景を本当に目の当たりにした人々は、生き延びる苦しみを味わった人々は、今このときにどこにいるのだろう、とふと思う。思い出したくないことを必死で遠ざけながら、彼らは無口になって夕餉の食卓に向かっているのかもしれない。そんなことを思っていると、雑踏の真ん中で、また不思議な静けさがぼくを包み始める。

平和記念資料館に展示されているモノ。とくに人間がつくったり、所有していたり、身につけていたりしたモノたち。見るも無残に形を変えたそれらのモノたちが、それを作ったり、着たり、持ったりしていた人たちのコトを静かに物語る。涙があふれそうになる。

閉館を告げるアナウンスに押し出されて外に出ると、夕闇が迫る中、コンサートが始まろうとしていた。そろそろOtis!に戻らないと。でも、最後に公園の奥の韓国人被爆者追悼碑だけは見ておこうと思った。追悼の痕跡の数々。誰もいなかった。賑わう公園の中で、そこは静かだった。

さて、爆心地ライブ。初めてファンダンゴス以外の形で出るOtis!。お客さんもあったかく迎えてくれる。楽しい。でも、腹の中に、胸の奥に湧き上がるものがあった。苦くて熱いモノ。激しい風のような、怒りのような、憤りのような、カタマリのような、ザアザアと降る雨のような、吐き出したい、壊したいような、泣き出したいような。広島でこの日に唄うことの、体験。

そして、遠藤ミチロウ。突き刺さり、切り裂かれ、引きちぎられるような痛み。憤怒。慟哭。呻き。嵐のように。切り立った険しい崖のように。絶望的なやさしさが清らかで。アコースティックギター一本から発せられる爆音。繰り返される絶叫。それでも彼の唄には静けさが満ちていた。ぼくはやっと、8月6日の広島に来たのだ、と感じた。そしてやっと違和感がとれ、落ち着いたのだった。

8月6日、広島で。

写真は平和公園を後にしてOtis!に戻ろうとしているワタクシ。

Posted by aogoomuzik at 00:51│Comments(1)TrackBack(0) ライブ 

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この記事へのコメント
わしらのことも書いてくれい、とのまったくゴモットモなリクエストが佐伯ング殿から。へい、書きます。

ウパシクマは今回まったく表情を変えた「平和に生きる権利」にやられましたですよ。サンシンとジャンベとウタと、小池さんのジッツにフリーインプロなありよう。そして憲法9条のコトバの挿入。やるなあ、とぞ。


Posted by tatatanota at 2005年08月09日 18:29