2005年08月16日

石は叫ぶ

福岡の筑豊には炭坑にまつわる石碑がたくさんある。そして多くは炭鉱の会社が自分の都合のよいコトバを残すために建てたもの。強制連行・強制労働の挙句、殺されていった朝鮮の人たちのコトバなどは、残らない。だから権力者たちの立てた石碑に彫りこまれたコトバがいつしか「正史」になっていく。その影に全く別の物語を閉じ込めたまま。

やはり筑豊にある日向墓地。そんな風にして死んでいった朝鮮人労働者たちが人知れず葬られたところ。仲間の朝鮮人たちはそこらに転がっていた石を墓石にして殺された友人たちを葬った。それが墓石であることなどつゆ知らぬ日本人たちが後にそれを拾い「手ごろな石」として自分のペットの墓標にしていく。朝鮮人たちが石に込めた思い。それをつゆ知らぬ日本人によってその同じ石が犬や猫たちの墓標に転化されていく。ゴロン、ゴロン。悲しい音をたてながら石たちは、転がっていく。

人は自分の有限性を知っている。自分が死ぬこと、過ぎ去ること。自分が物事を忘れること。自分がきっと忘れられること。知りたくなくても、ほんとは知っている。だから、石を刻む。忘れてくれるな!そう叫びながら。

権力者は石にしがみつく。沈み往く身を石が浮かばせてくれることを滑稽にも念じつつ。
殺されゆく者たちは石に祈りを込める。静かに、しかしずっとずっと、叫びが響き続けるように。

石はメディア。石は通信手段。石は楽器。
石は、唄う。石は、囁く。石は、呟く。石は、黙る。石は、転がる。
石は、うそぶく。
石は、叫ぶ。

大槻オサムの言葉050812の響きとして)


Posted by aogoomuzik at 17:51│Comments(0)TrackBack(0) 雑記 

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