2005年05月04日
イベントのお知らせ
■『あなたの診察、録音しました。
精神科医との実況生中継!』
(優月葵・著/ライブドアパブリッシング刊/4月26日発売)
刊行記念イベントのお知らせ
下記のように、刊行記念イベントを行います。
会場では著作を販売すると同時に、著者サインも用意しています。
精神医療を学ぶ方、診察をめぐる疑問をぶつけたい方、著者の話を聞きたい方も、
こぞって足をお運びください。
◎タイトル:『精神科の患者よ、集まれ! 医者のダメぶりブチまけナイト!』
◎日時:5月18日(水)夜7〜10時(開場:夕方6時)
◎場所:「Naked Loft/ネイキッドロフト」TEL:03-3205-1556
(西武新宿駅から徒歩1分。ハローワーク新宿と職安通りを隔てて道向かい)
http://www.loft-prj.co.jp/naked/
※上記のサイトの下のほうに地図があります
◎出演者:優月葵(著者)、今一生(エディター)、信田さよ子(カウンセラー)、元さなら(元患者の空手家)、現役の精神科医(予定)&通院患者、ほか。
◎入場料:1500円(1drink or 1food込み ※当日精算。追加オーダーは実費)
◎客席数:50(着席)〜70(立ち見を含む場合)
※前売予約は致しておりません。お早めに会場にいらしてください。
◎内容:話題の本『あなたの診察、録音しました。 精神科医との実況生中継!』の著者=優月葵を迎えて、精神医療のズサンな診療実態をみんなで大暴露しちゃおう!
通院経験者も、その友達も、興味のある方は全員集合!
◎関連WEB:出版元「ライブドアパブリッシング」(予約&購入ができます)
http://publishing.livedoor.com/
精神科医との実況生中継!』
(優月葵・著/ライブドアパブリッシング刊/4月26日発売)
刊行記念イベントのお知らせ
下記のように、刊行記念イベントを行います。
会場では著作を販売すると同時に、著者サインも用意しています。
精神医療を学ぶ方、診察をめぐる疑問をぶつけたい方、著者の話を聞きたい方も、
こぞって足をお運びください。
◎タイトル:『精神科の患者よ、集まれ! 医者のダメぶりブチまけナイト!』
◎日時:5月18日(水)夜7〜10時(開場:夕方6時)
◎場所:「Naked Loft/ネイキッドロフト」TEL:03-3205-1556
(西武新宿駅から徒歩1分。ハローワーク新宿と職安通りを隔てて道向かい)
http://www.loft-prj.co.jp/naked/
※上記のサイトの下のほうに地図があります
◎出演者:優月葵(著者)、今一生(エディター)、信田さよ子(カウンセラー)、元さなら(元患者の空手家)、現役の精神科医(予定)&通院患者、ほか。
◎入場料:1500円(1drink or 1food込み ※当日精算。追加オーダーは実費)
◎客席数:50(着席)〜70(立ち見を含む場合)
※前売予約は致しておりません。お早めに会場にいらしてください。
◎内容:話題の本『あなたの診察、録音しました。 精神科医との実況生中継!』の著者=優月葵を迎えて、精神医療のズサンな診療実態をみんなで大暴露しちゃおう!
通院経験者も、その友達も、興味のある方は全員集合!
◎関連WEB:出版元「ライブドアパブリッシング」(予約&購入ができます)
http://publishing.livedoor.com/
2005年04月03日
このブログが出版されます&新ブログ立ち上げのお知らせ
このブログが大幅加筆・修正され、書籍化されます。
4月末日、ライブドアパブリッシングより発売。
「あなたの診察、録音しました。精神科医との実況生中継!」
著者・優月葵
魂込めて書きました。
期待してね!
それから、本を出版することで、生活保護の生活から脱却する過程を書いたブログを新しく立ち上げます。
タイトルは「脱・生活保護日記」。
引き続き主治医との問診も記録します。
それはコチラ→http://blog.livedoor.jp/aap_aoi_yoshi23/
今後ともよろしくお願いしますm(__)m
4月末日、ライブドアパブリッシングより発売。
「あなたの診察、録音しました。精神科医との実況生中継!」
著者・優月葵
魂込めて書きました。
期待してね!
それから、本を出版することで、生活保護の生活から脱却する過程を書いたブログを新しく立ち上げます。
タイトルは「脱・生活保護日記」。
引き続き主治医との問診も記録します。
それはコチラ→http://blog.livedoor.jp/aap_aoi_yoshi23/
今後ともよろしくお願いしますm(__)m
2005年03月26日
2005年2月22日
2005年2月22日(火)。
先週末、日帰りで沼津まで行ってきた。
川口能活選手がジュビロ磐田への移籍後、初のお披露目試合に出るので、わざわざS席のチケットを取った。
コンサドーレとの試合だった。
鬱友Mくんも静岡に住んでいてジュビロの根っからのファンだというので、誘って現地で落ち合った。
2年ぶりくらいに会ったMくんは、最近鬱はひどいそうだが、顔色はよく、元気そうに見えた。
近況を報告しあった。Mくんは精神安定剤でかなり気分がよくなるとのこと。眠剤もよく効いて、効きすぎたときは午前中いっぱい眠いとも言っていた。
ここ数日は仕事も休みがちだそうだが、この日もかなりムリして出てきてくれたんじゃないだろうか。
Mくんの住む街から沼津へは電車で2時間くらいだそうだ。私が沼津に出るよりも時間がかかる。
ジュビロの試合だし、私に会おうと思って頑張って来てくれたんだろう。懐かしい、嬉しい再会だった。
それにしても、この日は寒かった。1日中、雨が降ったりやんだり。試合中はかなり本降りになった。
私は早く行っていい席を取りたかったので、キックオフ3時間前にはスタジアムに着いていた。
入場者はおよそ5000人だという話だったが、比較的すんなりとハーフライン近くの席が確保できた。
インナー、長袖Tシャツ、プルオーバー、ロングのダウンジャケット、それにスタジアムで買った厚手のジュビロポンチョ(カッパ)、5枚着込んでも寒くて寒くて震えがくる。
特に下半身が寒い。やっぱりジーンズ1枚ではダメだった。スパッツくらい履いてくるんだった。
Mくんは3枚しか着込んできてなかったので、あまりの寒さに悶絶していた。油断したな、Mくん。野外をなめちゃアカンよ。
試合の内容はというと、1-0でジュビロの勝ち。ほとんどジュビロが押していた試合だった。
川口さまも仕事をするシーンはほとんどなかった。1度だけ、シュートを打たれて、両手で弾いた後、ボールがフリーになってあわやというシーンがあったが、それもすぐに片手でゴールからかき出し、観客はどよめいた。
私たちは寒さで思考回路もほとんど活動できず、試合に集中できない状態だったが、このシーンには湧いた。
川口さまは後半20分くらいで佐藤洋平と交代した。
私はね! 川口さまを観にきたの! 途中交代させるなっての!
と怒ってたらMくんに「テストマッチですからね。仕方ないですよ」となだめられた。
試合後、沼津の駅前のやきとり屋でMくんと軽く飲んだ。
Mくんの仕事の話などを聞いた。私はさして話すことがないような生活を送っているので、もっぱら聞き役だった。
「Mくんもジムに通いなよ。すごく健康的になるよ」と言ったら「仕事結構つらいから終わってからっていうのもしんどいし、土日も疲れてそんな気になれないし」と諦めたような顔で言った。
以前の私がそんな感じだったなぁ。運動嫌いだし、疲れるし、家から出る気しないし・・・。
でもダイエットのため、清水から飛び降りる覚悟で通ってみたら、これが結構楽しくなってきたんだよね。
Mくんも覚悟決めて通ってみたら、運動することの楽しさ、精神的な落ち込みが軽くなることなどをカラダで実感できると思うんだけどな。
まぁ、ムリにとは言えない。
Mくんは帰りは新幹線で帰るそうで、駅前でお別れした。
「ヤマハスタジアムにも来て下さいね。チケットはご希望の日を取れるようにしておきますね」と言ってくれた。
Mくんはお父さんの仕事の関係で、たまにジュビロ戦のチケットがもらえるそうだ。
磐田はちょっと遠いけど、頑張って行くよ。また会おうね、Mくん。
ウチの最寄り駅に着くまで、雨はしとしと降っていた。
駅前から出るバスを30分待っていたら、この日は土日なので最終バスがもうとっくに終わっていた。
気付かなくて30分待っちゃったよ・・・。そんな時間があったら歩いて帰れたのに・・・。
もうすっかり疲れていたので、タクシーに乗って帰った。私にとって「タクシーに乗る」ということはかなりの贅沢だ。普段はチャリで行動しているせいか。
タクシー代はたかだか840円程度なのだが。
今日の診療は1時間半待ち。本を読んで時間をつぶした。
私「おはようございます」
K「おはようございます。(血液)検査の結果ですけど、貧血はないですね。腎機能、肝障害についてですけど、これも異常は認められません。それから・・・中性脂肪がかなり高いです」
私「(検査結果をのぞきこんで)あ〜かなり高いですね」
K「219かな?(中性脂肪の値)これはちょっと高いんですね。通常が100から150くらい」
私「それ(中性脂肪)は・・・どういうものなんでしょうか? 甘いものを食べたりとかそういうことですか?」
K「そうですね。あと油っこいものだとかね」
私「あまり油物はとらないんですが・・・」
K「でもまあ、こういう値が出ていますからね」
私「やっぱり野菜が足らないということでしょうか?」
K「野菜だけとは限りませんけどね。まあ、摂ったに越したことはないです」
私「お薬は効いているんですけど、やはり朝一度起きてしまうんですね。早朝覚醒というのはどうして起こるものなんでしょうか?」
K「それは・・・そういう睡眠パターンができてしまってるということが考えられます。何時頃起きられます?」
私「(朝)6時くらい」
K「6時じゃ早い?」
私「ちょっと早いですね」
K「起きる時間は?」
私「いつも11時か12時くらい」
K「お昼前ね。寝るのは?」
私「(深夜)2時、3時くらい」
K「起きてしまったとき、トイレとかは行かれます?」
私「はい、たまに」
K「(起きてしまった後)眠れるんでしょ?」
私「そうですね。眠りは浅いですけど」
K「眠れていると思うよ。このくらいの時間だったら・・・うん。これだけ眠れればいいんじゃないかしら?」
私「はい、わかりました」
K「昼間のお薬の方は(出さなくて)大丈夫ですか?」
私「はい、大丈夫です」
K「わかりました」
私「あの、待ち時間に受けられるデイケアっていうのはないんですか?」
K「ここでですか? 週1回? あ、2回か」
私「はい」
K「うーん、どうでしょうかね」
私「HPでこちらにデイケアがあることを知ったんですけど」
K「デイケアはありますけど、やっぱり週2〜3回くらいは来ていただきたいんですよ」
私「そうなんですか。待ち時間にちょこっとできるプログラムとかはないんですね?」
K「そういうのはないわね」
私「そうですか」
K「お薬は今のままで出しておきます」
私「はい」
K「ここに来るのは月に1回くらいでいいかしら? そしたら薬もちょっと変えなきゃならないんだけど」
私「えっ、1ヶ月に1度でいいんですか?」
K「(私の状態をみて)大丈夫だと思いますけど。とりあえずは2週間に1回にしておきましょうか」
私「はい、わかりました。ありがとうございました」
1ヶ月に1度の来院で済むらしい。私の状態がかなりいいことを先生は察知したんだろう。他にも患者がいっぱいいるから、比較的軽度の私はそんなに頻繁に来院しなくていいのか。
この病院にチャリで通うには、狭い歩道のない道を走るため、かなりストレスを感じる。来院回数が少なくなるのは私としても嬉しい。
早朝覚醒を訴えるが取りあってもらえない。寝すぎだと思われているんだろう。自分でもそう思う。それでも朝方目が醒めてしまうのはつらい。
「おクスリは今までと同じでいきましょう」と言い切った先生にも少し信頼が持てる。何しろI医師は「同じでいいですかね?」と私に聞いてくる始末だったんだから。
今日は先日の血液検査の結果が出ていた。
気になるのは中性脂肪値の高さだった。
通常100〜150mg/dlくらいの値に対して、私の値は200を超えていた。
「中性脂肪値が高い人の食生活プラン」というパンフレットをもらって読んでみた。
心当たりあるなぁ。野菜摂ってないもんなぁ。炭水化物大好きだしなぁ。
そういえば、10年ほど前、まだOLをやっていた頃の健康診断でも、中性脂肪値は際立って高かった。
その頃よりはるかに貧弱な食生活をしているんだから、値が高くなるのは当然だろう。
自炊するということはつらくて、今でも考えられないので、貧弱な食生活はこの先も続く。これはもう仕方ない。
知り合いのPさんがつい最近、軽い心筋梗塞を患ったらしい。
胸がなんだか痛くて、チャリで病院へ行ったら緊急入院だったそうだ。
Pさんとは友達の紹介で知り合った。
以前ウルフルズのライブがCSで放送されたため、誰かCSを録画できる環境にある人〜! このライブ放送、録画してくれ〜! 頼む〜! と友人のBBSで叫びまくっていたら、友人HちゃんがあらゆるツテをたどってPさんに頼んでくれた。それからのおつきあい。
Pさんは私と年代はほぼ一緒の男性で、歌って踊れるプログラマーだ。彼のライフワークは「アイドル」で、HPでは評論家顔負けのほどの文章を綴っている。あまりにマニア過ぎて意味がわからない部分もある。
お見舞いに行こうとHちゃんが誘ってくれたが、その日はジュビロの試合と重なったので、申し訳ないけど断ってしまった。
HちゃんにPさんの容態を聞いたら、軽い心筋梗塞とはいえ、今後薬も継続的にのまなければならないし、定期的に病院で検査もしなければならないらしい。
自分と同じ年代の人が、早くもそんな病気にかかっていると、自分も不安になる。
私の病気とPさんの病気を比べたら、Pさんには失礼かもしれないけれど、彼の心筋梗塞、私の鬱病、私たちは一生モノの病気を抱えてしまったのかもしれない。
私の鬱状態はかなりよくなってきている。しかし不眠ばかりは治らない。
いつかクスリなしでも眠れる日がやってくる・・・と思ってから、もう何年もたつ。
このまま一生、自然に眠気が訪れることはないかもしれない。眠剤に一生頼らなければいけないかもしれない。
それでもいいや、と最近開き直ってきた。
眠れないことを除けば、私のカラダは確実によくなってきている。ジムにも仕事のように毎日通い詰めているし。
もう健常者と変わりはない、と自信を持って思えるようになってきた。
自分にこんなにも自信がついてきたのは、やっぱりジム通いのおかげだろう。
最近では体力がかなりついてきて、ちょっとやそっとの運動では疲れない。
ウォーキングマシンはランニングマシンと化して、毎日4キロほど走っている。
インストラクターさんのS先生にも「すごいですね! 最近走ってますね。かなり体力ついてきたんですね」と言われて嬉しい。
エアロビは相変わらずアタフタだ。どうも「ダンスする」という能力が欠如しているらしいことにやっと気付いた。
それでもいい。自己流でも踊っていれば楽しいもん。
もうすっかりジムにハマっている。
春がもうすぐそこに迫っているように、私の鬱にもようやく夜明けが見えてきた。
I医師に通っていた頃の引きこもり、何事にもやる気がなかった私はもういない。
病院を替わったのもよかったかもしれないけれど、毎日自分に何かを課すということが自分の励みになっている。それもイヤな仕事とかストレスの感じるものではない、「運動する」というごくごく基本的で、しかも体力がついてきていることが如実にわかる方法で、私のカラダはガラッと変わった。
ジムの20万歩キャンペーンは無事達成できた。このキャンペーンはやってよかったと思う。毎日どれだけ運動したか、万歩計を見ては達成感を感じ、今では万歩計をつけないことがなんだか不満に感じる。
これからはもっともっと体力をつけて、1日10キロくらい走れるようになりたい。
そしたらマラソン大会にも出場しよう。
ウルフルズのライブ、川口さんの試合にもどんどん出かけよう。
クスリなんかで精神状態を上げるよりは、こういう心躍るものの方がはるかにカラダにいいことが私にはわかってきたから。
カラダで感じる。
私にとっては、それが何よりも鬱にとっての特効薬だった。
先週末、日帰りで沼津まで行ってきた。
川口能活選手がジュビロ磐田への移籍後、初のお披露目試合に出るので、わざわざS席のチケットを取った。
コンサドーレとの試合だった。
鬱友Mくんも静岡に住んでいてジュビロの根っからのファンだというので、誘って現地で落ち合った。
2年ぶりくらいに会ったMくんは、最近鬱はひどいそうだが、顔色はよく、元気そうに見えた。
近況を報告しあった。Mくんは精神安定剤でかなり気分がよくなるとのこと。眠剤もよく効いて、効きすぎたときは午前中いっぱい眠いとも言っていた。
ここ数日は仕事も休みがちだそうだが、この日もかなりムリして出てきてくれたんじゃないだろうか。
Mくんの住む街から沼津へは電車で2時間くらいだそうだ。私が沼津に出るよりも時間がかかる。
ジュビロの試合だし、私に会おうと思って頑張って来てくれたんだろう。懐かしい、嬉しい再会だった。
それにしても、この日は寒かった。1日中、雨が降ったりやんだり。試合中はかなり本降りになった。
私は早く行っていい席を取りたかったので、キックオフ3時間前にはスタジアムに着いていた。
入場者はおよそ5000人だという話だったが、比較的すんなりとハーフライン近くの席が確保できた。
インナー、長袖Tシャツ、プルオーバー、ロングのダウンジャケット、それにスタジアムで買った厚手のジュビロポンチョ(カッパ)、5枚着込んでも寒くて寒くて震えがくる。
特に下半身が寒い。やっぱりジーンズ1枚ではダメだった。スパッツくらい履いてくるんだった。
Mくんは3枚しか着込んできてなかったので、あまりの寒さに悶絶していた。油断したな、Mくん。野外をなめちゃアカンよ。
試合の内容はというと、1-0でジュビロの勝ち。ほとんどジュビロが押していた試合だった。
川口さまも仕事をするシーンはほとんどなかった。1度だけ、シュートを打たれて、両手で弾いた後、ボールがフリーになってあわやというシーンがあったが、それもすぐに片手でゴールからかき出し、観客はどよめいた。
私たちは寒さで思考回路もほとんど活動できず、試合に集中できない状態だったが、このシーンには湧いた。
川口さまは後半20分くらいで佐藤洋平と交代した。
私はね! 川口さまを観にきたの! 途中交代させるなっての!
と怒ってたらMくんに「テストマッチですからね。仕方ないですよ」となだめられた。
試合後、沼津の駅前のやきとり屋でMくんと軽く飲んだ。
Mくんの仕事の話などを聞いた。私はさして話すことがないような生活を送っているので、もっぱら聞き役だった。
「Mくんもジムに通いなよ。すごく健康的になるよ」と言ったら「仕事結構つらいから終わってからっていうのもしんどいし、土日も疲れてそんな気になれないし」と諦めたような顔で言った。
以前の私がそんな感じだったなぁ。運動嫌いだし、疲れるし、家から出る気しないし・・・。
でもダイエットのため、清水から飛び降りる覚悟で通ってみたら、これが結構楽しくなってきたんだよね。
Mくんも覚悟決めて通ってみたら、運動することの楽しさ、精神的な落ち込みが軽くなることなどをカラダで実感できると思うんだけどな。
まぁ、ムリにとは言えない。
Mくんは帰りは新幹線で帰るそうで、駅前でお別れした。
「ヤマハスタジアムにも来て下さいね。チケットはご希望の日を取れるようにしておきますね」と言ってくれた。
Mくんはお父さんの仕事の関係で、たまにジュビロ戦のチケットがもらえるそうだ。
磐田はちょっと遠いけど、頑張って行くよ。また会おうね、Mくん。
ウチの最寄り駅に着くまで、雨はしとしと降っていた。
駅前から出るバスを30分待っていたら、この日は土日なので最終バスがもうとっくに終わっていた。
気付かなくて30分待っちゃったよ・・・。そんな時間があったら歩いて帰れたのに・・・。
もうすっかり疲れていたので、タクシーに乗って帰った。私にとって「タクシーに乗る」ということはかなりの贅沢だ。普段はチャリで行動しているせいか。
タクシー代はたかだか840円程度なのだが。
今日の診療は1時間半待ち。本を読んで時間をつぶした。
私「おはようございます」
K「おはようございます。(血液)検査の結果ですけど、貧血はないですね。腎機能、肝障害についてですけど、これも異常は認められません。それから・・・中性脂肪がかなり高いです」
私「(検査結果をのぞきこんで)あ〜かなり高いですね」
K「219かな?(中性脂肪の値)これはちょっと高いんですね。通常が100から150くらい」
私「それ(中性脂肪)は・・・どういうものなんでしょうか? 甘いものを食べたりとかそういうことですか?」
K「そうですね。あと油っこいものだとかね」
私「あまり油物はとらないんですが・・・」
K「でもまあ、こういう値が出ていますからね」
私「やっぱり野菜が足らないということでしょうか?」
K「野菜だけとは限りませんけどね。まあ、摂ったに越したことはないです」
私「お薬は効いているんですけど、やはり朝一度起きてしまうんですね。早朝覚醒というのはどうして起こるものなんでしょうか?」
K「それは・・・そういう睡眠パターンができてしまってるということが考えられます。何時頃起きられます?」
私「(朝)6時くらい」
K「6時じゃ早い?」
私「ちょっと早いですね」
K「起きる時間は?」
私「いつも11時か12時くらい」
K「お昼前ね。寝るのは?」
私「(深夜)2時、3時くらい」
K「起きてしまったとき、トイレとかは行かれます?」
私「はい、たまに」
K「(起きてしまった後)眠れるんでしょ?」
私「そうですね。眠りは浅いですけど」
K「眠れていると思うよ。このくらいの時間だったら・・・うん。これだけ眠れればいいんじゃないかしら?」
私「はい、わかりました」
K「昼間のお薬の方は(出さなくて)大丈夫ですか?」
私「はい、大丈夫です」
K「わかりました」
私「あの、待ち時間に受けられるデイケアっていうのはないんですか?」
K「ここでですか? 週1回? あ、2回か」
私「はい」
K「うーん、どうでしょうかね」
私「HPでこちらにデイケアがあることを知ったんですけど」
K「デイケアはありますけど、やっぱり週2〜3回くらいは来ていただきたいんですよ」
私「そうなんですか。待ち時間にちょこっとできるプログラムとかはないんですね?」
K「そういうのはないわね」
私「そうですか」
K「お薬は今のままで出しておきます」
私「はい」
K「ここに来るのは月に1回くらいでいいかしら? そしたら薬もちょっと変えなきゃならないんだけど」
私「えっ、1ヶ月に1度でいいんですか?」
K「(私の状態をみて)大丈夫だと思いますけど。とりあえずは2週間に1回にしておきましょうか」
私「はい、わかりました。ありがとうございました」
1ヶ月に1度の来院で済むらしい。私の状態がかなりいいことを先生は察知したんだろう。他にも患者がいっぱいいるから、比較的軽度の私はそんなに頻繁に来院しなくていいのか。
この病院にチャリで通うには、狭い歩道のない道を走るため、かなりストレスを感じる。来院回数が少なくなるのは私としても嬉しい。
早朝覚醒を訴えるが取りあってもらえない。寝すぎだと思われているんだろう。自分でもそう思う。それでも朝方目が醒めてしまうのはつらい。
「おクスリは今までと同じでいきましょう」と言い切った先生にも少し信頼が持てる。何しろI医師は「同じでいいですかね?」と私に聞いてくる始末だったんだから。
今日は先日の血液検査の結果が出ていた。
気になるのは中性脂肪値の高さだった。
通常100〜150mg/dlくらいの値に対して、私の値は200を超えていた。
「中性脂肪値が高い人の食生活プラン」というパンフレットをもらって読んでみた。
心当たりあるなぁ。野菜摂ってないもんなぁ。炭水化物大好きだしなぁ。
そういえば、10年ほど前、まだOLをやっていた頃の健康診断でも、中性脂肪値は際立って高かった。
その頃よりはるかに貧弱な食生活をしているんだから、値が高くなるのは当然だろう。
自炊するということはつらくて、今でも考えられないので、貧弱な食生活はこの先も続く。これはもう仕方ない。
知り合いのPさんがつい最近、軽い心筋梗塞を患ったらしい。
胸がなんだか痛くて、チャリで病院へ行ったら緊急入院だったそうだ。
Pさんとは友達の紹介で知り合った。
以前ウルフルズのライブがCSで放送されたため、誰かCSを録画できる環境にある人〜! このライブ放送、録画してくれ〜! 頼む〜! と友人のBBSで叫びまくっていたら、友人HちゃんがあらゆるツテをたどってPさんに頼んでくれた。それからのおつきあい。
Pさんは私と年代はほぼ一緒の男性で、歌って踊れるプログラマーだ。彼のライフワークは「アイドル」で、HPでは評論家顔負けのほどの文章を綴っている。あまりにマニア過ぎて意味がわからない部分もある。
お見舞いに行こうとHちゃんが誘ってくれたが、その日はジュビロの試合と重なったので、申し訳ないけど断ってしまった。
HちゃんにPさんの容態を聞いたら、軽い心筋梗塞とはいえ、今後薬も継続的にのまなければならないし、定期的に病院で検査もしなければならないらしい。
自分と同じ年代の人が、早くもそんな病気にかかっていると、自分も不安になる。
私の病気とPさんの病気を比べたら、Pさんには失礼かもしれないけれど、彼の心筋梗塞、私の鬱病、私たちは一生モノの病気を抱えてしまったのかもしれない。
私の鬱状態はかなりよくなってきている。しかし不眠ばかりは治らない。
いつかクスリなしでも眠れる日がやってくる・・・と思ってから、もう何年もたつ。
このまま一生、自然に眠気が訪れることはないかもしれない。眠剤に一生頼らなければいけないかもしれない。
それでもいいや、と最近開き直ってきた。
眠れないことを除けば、私のカラダは確実によくなってきている。ジムにも仕事のように毎日通い詰めているし。
もう健常者と変わりはない、と自信を持って思えるようになってきた。
自分にこんなにも自信がついてきたのは、やっぱりジム通いのおかげだろう。
最近では体力がかなりついてきて、ちょっとやそっとの運動では疲れない。
ウォーキングマシンはランニングマシンと化して、毎日4キロほど走っている。
インストラクターさんのS先生にも「すごいですね! 最近走ってますね。かなり体力ついてきたんですね」と言われて嬉しい。
エアロビは相変わらずアタフタだ。どうも「ダンスする」という能力が欠如しているらしいことにやっと気付いた。
それでもいい。自己流でも踊っていれば楽しいもん。
もうすっかりジムにハマっている。
春がもうすぐそこに迫っているように、私の鬱にもようやく夜明けが見えてきた。
I医師に通っていた頃の引きこもり、何事にもやる気がなかった私はもういない。
病院を替わったのもよかったかもしれないけれど、毎日自分に何かを課すということが自分の励みになっている。それもイヤな仕事とかストレスの感じるものではない、「運動する」というごくごく基本的で、しかも体力がついてきていることが如実にわかる方法で、私のカラダはガラッと変わった。
ジムの20万歩キャンペーンは無事達成できた。このキャンペーンはやってよかったと思う。毎日どれだけ運動したか、万歩計を見ては達成感を感じ、今では万歩計をつけないことがなんだか不満に感じる。
これからはもっともっと体力をつけて、1日10キロくらい走れるようになりたい。
そしたらマラソン大会にも出場しよう。
ウルフルズのライブ、川口さんの試合にもどんどん出かけよう。
クスリなんかで精神状態を上げるよりは、こういう心躍るものの方がはるかにカラダにいいことが私にはわかってきたから。
カラダで感じる。
私にとっては、それが何よりも鬱にとっての特効薬だった。
2005年03月25日
2005年2月8日
2005年2月8日(火)。
朝から冷たい雨が降っている。
天気予報では、今日の最高気温は4度だとか。
こんな日はウチから一歩も出ずにごろごろしていたいところだが、K先生の診療は火曜のみだ。今日を逃がしたらまずい。
雨の中、歩いて病院まで行った。吐く息は白かった。
私「おはようございます」
K「おはようございます。調子はいかがですか?」
私「はい、調子はいいです。寝つきもよくなったんですけど、やっぱり朝4時5時くらいに目が一度覚めてしまって」
K「それでまた寝るの?」
私「しばらくじっとしてたらまた眠れるんですが、ちょっと眠りは浅い状態で」
K「まあ、その辺はね。仕方ないですね。気分的にはかなりよくなった?」
私「そうですね。毎日ジムにも通ってますし」
K「ああ、そうおっしゃってたもんね」
私「はい。運動してると気を紛らすことができるというか」
K「ええ、だいぶ違いますよね」
私「そうですね。今日は血液検査をお願いできますか?」
K「ええ、いいですよ。血液検査っていうと何が心配です?」
私「いえ、心配というか・・・。友人に勧められたので」
K「肝障害とか腎機能とか、あとコレステロールも測りますか?」
私「はい」
K「(カルテに書き込んでいる)はい、じゃ血液はあちらで(と隣の小部屋を指して)採血お願いしま〜す」
私「ありがとうございました」
看護士さんに採血してもらう。
「これで血液がサラサラとかドロドロとかもわかるんですか?」と聞くと看護士さんは「わかりますよ。野菜を摂らないとね。血液固まっちゃいますよね」といわれてドキリ。
実は食生活の中で生野菜はほとんど摂っていない。包丁を持つ気になれないからだ。野菜はトマトを洗って丸かじりにするとか、味噌汁の中になめこを入れたりとか、それぐらい。
あとは野菜ジュースとビタミンサプリメントでなんとかしているつもりなのだが、血液検査でどうでるかわからない。ちょっと不安。
チューブで上腕部を縛っても、血管がなかなか浮き出てこない。
「私、血管出ないんですよね」と言ったが、看護士さんは手際よく注射針を刺した。
刺した瞬間は見たくないので顔をそむけたら「見るの怖い?」と看護士さんに笑われてしまった。
注射器いっぱいに血液を取った。なんとなく色がどす黒く思えたのは気のせいか。
聞かなかったが、多分次の診療、2週間後には結果は出ているだろうと思う。
今日は10時半に病院に着いて、1時間半待たされ12時の診療。
最近はジムに通うため、決まった時間に起きている。そのためか朝早く起きるのがあんまり苦にならない。
以前はなかなかベッドから起きられず、夕方までうだうだしてるような状態だったのに。
カラダはどんどん健康的になってきている。
同じくジム通いを始めた鬱友Yさんに「最近リスカしてる? 多分してないと思うんだけど」とメールしたら「切りたい衝動はあるけど抑えてる。切ってない。こんな自分が不思議」と返事が来た。
おお、やっぱりなぁ。Yさんも精神が健康になってきてるんだなぁ。自分のことのように嬉しかった。
今日の診療も3分間だった。
病院にはもう何も期待してないので、別に構わない。
なるべく早く行ったつもりでも、ものすごく待たされるので、早くジムに行きたくて先生との会話はなおざりになる。
今日はデイケアについて聞こうと思っていたし、ちょっと風邪気味なので薬を調合してほしいというはずだったのを忘れた。
ちゃんとテープに録音できているか不安で、つい意識がテレコの方へ行ってしまう。
テレコは縦15センチ、横20センチくらいの小さなバッグに入れている。
バッグの底にはスーパーの袋を丸めて入れてあり、その上に財布、携帯電話をなるべく平らになるよう入れて、テレコはその上に乗っけて、音を拾いやすく工夫しているが、なかなかうまくいかない。雑音ばかりを拾ってしまう。
病院からジムまでは歩いて30分くらいかかるけど、せっかく外に出てきたんだからジムにも行こう。
雨の中をてくてく歩く。
20万歩キャンペーンは、昨日の時点で15万歩を達成した。
いやでもたいしたことはないのだ。エアロビを45分やるだけで1万歩は超えるんだから。
5万歩、10万歩、15万歩と達成して、それぞれクジを引いたが、いずれもはずれでアミノサプリを3本もらっただけ。
1本130円として3本で390円。
キャンペーン参加費525円の元は取れなかった。
20万歩達成すれば抽選で旅行券やビデオカメラが当たるけど、絶対外れるだろうしなぁ。
まあ、それでも達成感を持ってやれてるのでよしとしよう。
昨日ジムでマシンプログラムをこなしてると、「エアロビおやじ」が声をかけてきた。
エアロビおやじとは、年の頃60くらい。
少し薄くなった頭に鉢巻を巻きつけ、ときおりハッピやら派手なレオタードやらを着込んでいる。
ジム仲間のNさん(50代、女性)から聞いた話では、おやじは弁当を持ってきて、1日中ジムにいるらしい。昔は教師でテニス部の顧問をしており、足腰は丈夫だそうな。
このおやじは「初級エアロビ」「中級エアロビ」「走らないエアロビ」「ジャザサイズ」といったダンスメニューには必ず参加していて、いつもインストラクターのすぐ後ろの位置を陣取り、はつらつと踊っている。
そのおやじが私に声をかけてきた。
どうも私の動きがあまりに鈍いので、気になっていたらしい。
「リズムにのってね、こうこうこうよ」とマシンに乗った私の前で踊り始めた。
あのー。今私はマシンに集中したいんですけどー。
それに決して私にリズム感が欠けているとは思ってない。もう少し時間をかけてやれば、ステップは覚えられるという感触はある。
毎回毎回ステップは違うのだ。繰り返し同じステップをもう少し練習できれば、私にだってできるはずなのだ。
おやじは親切で言ってくれてるんだろうけど、今はマシンに集中したい。話し掛けてくるから何回やったかわからなくなったじゃないか。
しばらく「はあ・・・はあ・・・」と言いながらおやじの踊る姿を見ていたが、私は忙しいんだ。とっととマシン終わらせて、家帰って風呂入って、17時からは安藤優子さんのスーパーニュースをしっかり観たいんだよ。
マシンの上でいつまでもじっとしているわけにもいかない。他にも待ってる人がいるんだから。
それに口で教えてくれても、自分が動いて体感しなきゃ、踊りなんて覚えられるはずがない。
もう16時を廻っていた。いい加減マシンこなして帰りたかったので「すいません。今度時間あるとき教えて下さい。今日あんまり時間ないんで」と言ったらおやじは引き下がっていった。
おやじが声かけてくるくらい、私の動きは鈍いのか。ちょっとショックだった。
今日もプログラムをこなして、最後ストレッチをやってたとき、館内に流れているFM放送がふと気にかかった。
グラスハープのイントロ。このハープの音色はあれ・・・? と思ったらやっぱりウルフルズの歌だった。
2月末に発売されるアルバムに入る曲なので、まだあまりなじみがないメロディだ。だからメロディや声に反応したのではなかった。
トータス松本の吹くハープの音色まで、私は耳で感じ取れるようになっていた。
ラフだけど、温かく深い音色と表現したらいいんだろうか。
すごいなぁ。10年近くもファンやってると、ハープだけでトータスの音とわかるようになってくるのか。嬉しくなってきた。
家に帰ってきて風呂入ってスーパーニュースを観た。
安藤優子さんの「ん、はい!」という気合のこもった声を聴いてると、私も今日も頑張ったという気になる。
今日のニュースは明日のW杯最終予選サッカー、日本対北朝鮮の話題一色だった。
このチケットはオークションで入手しようと思ったけど、あまりに高額になってしまったので降りた。さすがに万単位は出せない。
ニュースではペアチケットが7万で取引されたとのことだった。
ちっきしょー、ナマで観たかったなぁ。
明日はテレビの前で応援する。3-0で日本が勝つと思うよ。
朝から冷たい雨が降っている。
天気予報では、今日の最高気温は4度だとか。
こんな日はウチから一歩も出ずにごろごろしていたいところだが、K先生の診療は火曜のみだ。今日を逃がしたらまずい。
雨の中、歩いて病院まで行った。吐く息は白かった。
私「おはようございます」
K「おはようございます。調子はいかがですか?」
私「はい、調子はいいです。寝つきもよくなったんですけど、やっぱり朝4時5時くらいに目が一度覚めてしまって」
K「それでまた寝るの?」
私「しばらくじっとしてたらまた眠れるんですが、ちょっと眠りは浅い状態で」
K「まあ、その辺はね。仕方ないですね。気分的にはかなりよくなった?」
私「そうですね。毎日ジムにも通ってますし」
K「ああ、そうおっしゃってたもんね」
私「はい。運動してると気を紛らすことができるというか」
K「ええ、だいぶ違いますよね」
私「そうですね。今日は血液検査をお願いできますか?」
K「ええ、いいですよ。血液検査っていうと何が心配です?」
私「いえ、心配というか・・・。友人に勧められたので」
K「肝障害とか腎機能とか、あとコレステロールも測りますか?」
私「はい」
K「(カルテに書き込んでいる)はい、じゃ血液はあちらで(と隣の小部屋を指して)採血お願いしま〜す」
私「ありがとうございました」
看護士さんに採血してもらう。
「これで血液がサラサラとかドロドロとかもわかるんですか?」と聞くと看護士さんは「わかりますよ。野菜を摂らないとね。血液固まっちゃいますよね」といわれてドキリ。
実は食生活の中で生野菜はほとんど摂っていない。包丁を持つ気になれないからだ。野菜はトマトを洗って丸かじりにするとか、味噌汁の中になめこを入れたりとか、それぐらい。
あとは野菜ジュースとビタミンサプリメントでなんとかしているつもりなのだが、血液検査でどうでるかわからない。ちょっと不安。
チューブで上腕部を縛っても、血管がなかなか浮き出てこない。
「私、血管出ないんですよね」と言ったが、看護士さんは手際よく注射針を刺した。
刺した瞬間は見たくないので顔をそむけたら「見るの怖い?」と看護士さんに笑われてしまった。
注射器いっぱいに血液を取った。なんとなく色がどす黒く思えたのは気のせいか。
聞かなかったが、多分次の診療、2週間後には結果は出ているだろうと思う。
今日は10時半に病院に着いて、1時間半待たされ12時の診療。
最近はジムに通うため、決まった時間に起きている。そのためか朝早く起きるのがあんまり苦にならない。
以前はなかなかベッドから起きられず、夕方までうだうだしてるような状態だったのに。
カラダはどんどん健康的になってきている。
同じくジム通いを始めた鬱友Yさんに「最近リスカしてる? 多分してないと思うんだけど」とメールしたら「切りたい衝動はあるけど抑えてる。切ってない。こんな自分が不思議」と返事が来た。
おお、やっぱりなぁ。Yさんも精神が健康になってきてるんだなぁ。自分のことのように嬉しかった。
今日の診療も3分間だった。
病院にはもう何も期待してないので、別に構わない。
なるべく早く行ったつもりでも、ものすごく待たされるので、早くジムに行きたくて先生との会話はなおざりになる。
今日はデイケアについて聞こうと思っていたし、ちょっと風邪気味なので薬を調合してほしいというはずだったのを忘れた。
ちゃんとテープに録音できているか不安で、つい意識がテレコの方へ行ってしまう。
テレコは縦15センチ、横20センチくらいの小さなバッグに入れている。
バッグの底にはスーパーの袋を丸めて入れてあり、その上に財布、携帯電話をなるべく平らになるよう入れて、テレコはその上に乗っけて、音を拾いやすく工夫しているが、なかなかうまくいかない。雑音ばかりを拾ってしまう。
病院からジムまでは歩いて30分くらいかかるけど、せっかく外に出てきたんだからジムにも行こう。
雨の中をてくてく歩く。
20万歩キャンペーンは、昨日の時点で15万歩を達成した。
いやでもたいしたことはないのだ。エアロビを45分やるだけで1万歩は超えるんだから。
5万歩、10万歩、15万歩と達成して、それぞれクジを引いたが、いずれもはずれでアミノサプリを3本もらっただけ。
1本130円として3本で390円。
キャンペーン参加費525円の元は取れなかった。
20万歩達成すれば抽選で旅行券やビデオカメラが当たるけど、絶対外れるだろうしなぁ。
まあ、それでも達成感を持ってやれてるのでよしとしよう。
昨日ジムでマシンプログラムをこなしてると、「エアロビおやじ」が声をかけてきた。
エアロビおやじとは、年の頃60くらい。
少し薄くなった頭に鉢巻を巻きつけ、ときおりハッピやら派手なレオタードやらを着込んでいる。
ジム仲間のNさん(50代、女性)から聞いた話では、おやじは弁当を持ってきて、1日中ジムにいるらしい。昔は教師でテニス部の顧問をしており、足腰は丈夫だそうな。
このおやじは「初級エアロビ」「中級エアロビ」「走らないエアロビ」「ジャザサイズ」といったダンスメニューには必ず参加していて、いつもインストラクターのすぐ後ろの位置を陣取り、はつらつと踊っている。
そのおやじが私に声をかけてきた。
どうも私の動きがあまりに鈍いので、気になっていたらしい。
「リズムにのってね、こうこうこうよ」とマシンに乗った私の前で踊り始めた。
あのー。今私はマシンに集中したいんですけどー。
それに決して私にリズム感が欠けているとは思ってない。もう少し時間をかけてやれば、ステップは覚えられるという感触はある。
毎回毎回ステップは違うのだ。繰り返し同じステップをもう少し練習できれば、私にだってできるはずなのだ。
おやじは親切で言ってくれてるんだろうけど、今はマシンに集中したい。話し掛けてくるから何回やったかわからなくなったじゃないか。
しばらく「はあ・・・はあ・・・」と言いながらおやじの踊る姿を見ていたが、私は忙しいんだ。とっととマシン終わらせて、家帰って風呂入って、17時からは安藤優子さんのスーパーニュースをしっかり観たいんだよ。
マシンの上でいつまでもじっとしているわけにもいかない。他にも待ってる人がいるんだから。
それに口で教えてくれても、自分が動いて体感しなきゃ、踊りなんて覚えられるはずがない。
もう16時を廻っていた。いい加減マシンこなして帰りたかったので「すいません。今度時間あるとき教えて下さい。今日あんまり時間ないんで」と言ったらおやじは引き下がっていった。
おやじが声かけてくるくらい、私の動きは鈍いのか。ちょっとショックだった。
今日もプログラムをこなして、最後ストレッチをやってたとき、館内に流れているFM放送がふと気にかかった。
グラスハープのイントロ。このハープの音色はあれ・・・? と思ったらやっぱりウルフルズの歌だった。
2月末に発売されるアルバムに入る曲なので、まだあまりなじみがないメロディだ。だからメロディや声に反応したのではなかった。
トータス松本の吹くハープの音色まで、私は耳で感じ取れるようになっていた。
ラフだけど、温かく深い音色と表現したらいいんだろうか。
すごいなぁ。10年近くもファンやってると、ハープだけでトータスの音とわかるようになってくるのか。嬉しくなってきた。
家に帰ってきて風呂入ってスーパーニュースを観た。
安藤優子さんの「ん、はい!」という気合のこもった声を聴いてると、私も今日も頑張ったという気になる。
今日のニュースは明日のW杯最終予選サッカー、日本対北朝鮮の話題一色だった。
このチケットはオークションで入手しようと思ったけど、あまりに高額になってしまったので降りた。さすがに万単位は出せない。
ニュースではペアチケットが7万で取引されたとのことだった。
ちっきしょー、ナマで観たかったなぁ。
明日はテレビの前で応援する。3-0で日本が勝つと思うよ。
2005年03月24日
2005年2月3日
2005年2月3日(木)。
市の生活福祉課から連絡があった。
転院するにあたって、32条の患者票がまだ以前通っていたIクリニックにあるので、それを取ってきて市役所に提出してほしいという内容だった。
またIクリニックに行かなきゃならないのか。転院すると言ったときに、どうして患者票も一緒に渡してくれなかったのか。まったく二度手間じゃないか。
ああ、面倒くせー。
福祉課担当のWさんは「みんなIクリニックやめちゃうんだよね・・・。どうして?」と聞いてきたので、思わず、うはははは〜と笑いが漏れてしまった。
失笑しながら「だってヤブですもん!」と答えた。
Wさんの話では、Iクリニックに通うほとんどの人が3ヶ月程度で転院してしまうという。
やっぱり・・・。Iクリニックがおかしいと思うのは、私一人ではなかったんだ! なんだかヘンだけど、勝利感を味わった。
Wさんは「みんな最初はIクリニックに行くんだけどね・・・」と言うので「有名な先生ですからね」と答えると「そうなの?」と言う。
「テレビとかに出てらっしゃいますよ」と言うと「そうなんだ・・・」と感心したんだか呆れたんだかわからないような声を漏らした。
「やっぱりみんなやめちゃいますか〜」と聞くと「なんだかあの先生は話を聞いてくれないらしいね」と言う。
なんだ、知ってんじゃん!
「そうですねー。話も聞いてくれないし、クスリはどんどん増やされちゃうし」
思わずグチが出てしまう。
それにしても、たいていの人は3ヶ月でI先生に愛想を尽かすのか。4年近くも通った私はバカでした。
それだけ通っても名前すら覚えてもらえなかったしね。
ああ、しかし笑えたなー。
早速、友人であり、この原稿を添削してくれているC氏に電話を入れ、この話をしたら、彼も爆笑した。
「いや、その話、ホント笑える。原稿に書いといて」と言われた。
「Iクリニックつぶれるんじゃないのかなー」と聞くと「いや、つぶれはしないね。なぜなら新しい患者はいくらでも来るから。病院の規模を大きくすることを考えなければ、古い患者はどんどんいなくなっても新しい患者で病院はもつよ」と言う。
しかし患者が逃げていくだけの病院のくせして、テレビや雑誌に出て、偉そうにコメントしてるのはどういうわけだ?
テレビ局、雑誌社はどういう基準で医者を選んでるんだ?
何の知識もなく、最初に病院に通うとしたら、近場にテレビにも出ている有名な先生がいれば、誰でもそこに通うだろう。
実情も知らずにI先生を使うメディアにも問題ありだ。
毎年調子が悪くなる2月がやってきて、しかも大寒波を伴っているので、調子が上がらない。ジムも休んでいる。
熱はないが、ヘンな咳が出て、ちょっと風邪をひいてしまったようだ。
昨日は夕方によろよろと起き出して、近所のドラッグストアで風邪薬を買ってきた。
のんだら少し咳がおさまった。
ジムに通えない自分を責めてしまうが、友人たちは「風邪ひいてるんだから、休んでもいいんじゃない?」とか「具合悪いときにムリするとよくないよ」と温かい言葉をかけてくれる。
みんなありがとう。風邪が治るまで布団にくるまってることにします。
ああでも、32条の手続きに近々行かなければならない。転院するのは面倒くさいな。
2005年1月25日
2005年1月25日(火)。
ここ1週間ほど気分が落ち込んでいる。寒くなったせいもある。
あまりに鬱が激しく、外に出る気力が全然わかなかったので、先週は「寝逃げ週間」と題して、自分に1週間ごろごろすることを許した。ジムにも行かず、ひたすらベッドに横たわってふとんに丸まり、テレビを観ていた。
観たいテレビがないときは、眠っていた。
その結果、またクスリの耐性ができてしまった。
夜眠るときのクスリ6錠、これにプラスして保存していた安定剤、ルジオミール25mg4錠ほどのむ。それでやっと眠りをとっていた。
いつの間に、こんなにクスリをのまなきゃ眠れなくなったんだろう・・・。
昔はベッドに横たわったら、バタンキューだったのに。
すっかりクスリ漬けになった自分を情けなく思った。
今日の診療記録は録音を失敗していた。
思い出せる限りの記録。
K「どんな調子ですか?」
私「ここのところ、ちょっと調子が落ちてきまして・・・。夜もあんまり眠れないんです。早朝覚醒することもあります」
K「いつも何時頃寝ていますか?
私「2時か3時です」
K「寝つきはどうですか?」
私「悪いですね」
K「レボトミン25mgでも相当キツイ薬なんですけどね。眠れなきゃ仕方ないですね。それじゃもう少し薬を増やしましょう」
私「I先生には『もうこれ以上薬は出せない』って言われてたんですけど・・・」
K「(反応なし)昼間は何されてますか?」
私「スポーツジムに通っています。私、いつも脈拍が速いんです。100以上はあるんです。これって薬のせいですか?」
K「うーん、あまり関係ないと思いますけどね」
私「こちらでは血液検査は行っていますか?」
K「やってますよ。何か心配なことでも?」
私「私の友人が精神科にかかってるんですけど、そこの病院は血液検査で薬がからだに合っているかどうかを確認しているって話なんですけど」
K「血液検査で肝臓障害とかは調べますけどね。今日やっていきますか?」
私「いえ、次回にします」
K「わかりました」
私「いつもこんなに(病院は)混むんですか?」
K「今日は特別患者さんが多かったですね」
私「2時間待ったんですけど・・・。こんなに待つとは思わなかったので」
K「お待たせしてごめんなさいね。でもいつもこんな調子なんですよ。1時間は待ってもらいますね」
私「初診のときは30分程度の待ち時間だったので、そんなもんだと思ってきました」
K「初診のときはね。再診のときはどうしても待ってもらうことになります」
私「わかりました」
その通り、11時に病院にやってきて診察は13時だった。待たされるのもたまらない。
デイケアもある病院なのだが、待ち時間にデイケアに参加したくてもできない。ただひたすら待つのみ。
よく調べてないけど、多分デイケアは午後にあるんだろうと思う。今度聞いてみよう。
待ち時間が長いと、とっととジムに通いたくてうずうずする。
前日からジム通いが復活して、今日も13時台のプログラムに参加したいので、焦っていた。
だから血液検査も次回にしてもらった。一刻も早くジムに行きたかったから。
私が焦っていたのもあって、診療はわずか5分程度だった。
それにしても「もうこれ以上は出せない」と言われたクスリがまた増えた!
どういうことじゃい!
K先生自ら、今私がのんでいる眠剤の一種、レボトミン25mgでも多いと言ってるのに、レボトミンはその倍の50mgに増やされた。
眠れなきゃ、どんどんクスリ増やしていくんですか? 5分間診療で? これじゃあI先生よりタチ悪いよ・・・。
この病院もダメかもしれない。がっくりと気落ちした。
診療が終わった時点で、もうプログラム参加はムリだったので、市役所へ行った。
生活保護受給者で、通院している人は用紙に記入して、病院の判子をもらえば、病院までの交通費が支払われる。
私は主にチャリで通っているが、バス代として用紙に記入して市役所に届け出る(月ごとに)。
今日はその用紙を市役所へ持っていった。
あーはいはいはいの担当Tさんは、本日もあーはいはいはい、はいはいはい、と用紙を受け取った。
「少しふっくらしてきた? 前はすごくやせてたもんね」と顔をあわせるといつも同じことを聞く。
どーせデブですよ。隣の部屋に住んでいるおばちゃんにも「アンタ最近また太った?」とつい先日、尋ねられた。
どいつもこいつもデリカシーないんだから!
Tさんには「10キロ太りましたから」と憮然として答えた。
でもね、ジム通いでようやく1キロやせたのよ!
これは私の希望的観測だが、1キロやせたらもっと弾みがついて、どんどんやせていくような気がする!
市役所を後にしてジムへ向かった。
今日はプログラムをこなせなかったので、エアロバイク、ウォーキングマシン各30分ずつ、マシンを3ローテーション軽くこなして帰ってきた。
しかしウォーキングマシンが本当につらいのよ。
「寝逃げ週間」前は毎日のようにジムに通っていたので、かなり体力を取り戻し、ウォーキングは時速6.8キロ、約3.4キロメートルを歩いていた。
それが、昨日試してみたところ、とても時速6.8キロでは歩けず、6.5キロに減らした。
それでも今日はキツかった。
ウォーキングは胸をはって、前後に手を振りながら歩くのが基本(多分)だと思うが、今日は最後の方はバテバテ、足は上がらず、苦しくてあごが前に出てしまう形になった。
なんとか体勢を元に戻そうと思っても、すぐにヘタレ体勢になってしまう。
それでもなんとか30分こなした。
今は太ももあたりがなんとなくこわばっている感じがする。もむとちょっと痛い。
ストレッチを短時間(7〜8分程度)で終わらせてしまうからだろうか?
200万歩キャンペーンはどうにか5万歩は達成した。
5万歩達成のくじを引いてみたら、ハズレだった。アミノサプリを1本もらえただけだった。
実はこのキャンペーン、525円を払って参加している。キャンペーンなら無料でいいじゃないねぇ?
最低でも500円分は元をとらないと損なので、また足しげくジムに通おうと思っている。
大嫌いな2月がやって来る。このまま乗り切れるだろうか? ちょっと不安。
2005年03月22日
2005年1月12日
2005年1月12日(水)。
F病院にI先生からの紹介状を持って初診を受けた。
F病院は古いレンガ作りの、どことなく薄暗い建物。入院設備もある大きな精神科だ。
自宅から自転車で7〜8分の距離だが、歩道がない狭い、しかも交通量の多い道を通っていかなければならない。これはかなり苦痛だ。
診察の前に精神科通院歴、現在のんでいる薬、自分の性格(明るいとか話し好きとか10くらいある項目に丸をつける)などを紙に記入させられた。
F病院は30人くらいが来院していた。これは待たされるかも、と思っていたら、30分くらいで名前を呼ばれた。
4人くらい先生が常駐しているからだろうか。
診察してくれたのは50歳代の白髪混じりの髪の毛を肩でばっさり切っているK先生という女医さんだった。
私「Aです。よろしくお願いします」
K「はい。よろしくお願いします。(さっき私が書き込んだ紙をみながら)病院を3回変わってよくならないということですか?」
私「はい」
K「どんな症状ですか?」
私「毎月2月になると必ず具合が悪くなるのですが、7〜8年前の2月、インフルエンザにかかったんですね。4日間寝込みまして、熱も下がって会社に行こうとしたら、もう行く気がなくなってしまっていて・・・」
K「仕事はどんなお仕事でしたか?」
私「入力業務です。半年間かけて入力したデータを上司のミスで吹っ飛ばされて『ああ、もうこのデータはいいや』っていわれて、私のやってきたことは何だったんだろうってすごく無気力になって」
K「そんなにどうでもいい資料だったんですか?」
私「いえ、わからないです」
K「そうですか。それで?」
私「もう会社へ行く気力がなくなったというか・・・。それから半年くらい、休みがちながらだましだまし仕事を続けていたんですが、もう耐えられなくなって、会社を辞めざるをえなくなりました」
K「その後の生活はどうしてました?」
私「会社から傷病手当金を受けて、貯金も使って、何年かは家にこもっていたんですが、お金が底をついたとき、水商売を始めたんです。そこでまた神経をすり減らしてしまって・・・。しゃべらなきゃいけなかったり、営業電話をしなきゃならなかったりで」
K「最初に行ったSクリニックはどれくらい通いましたか?」
私「あんまりよく覚えてないんですけど・・・」
K「だいたいで構いません」
私「2年くらいだったと思います」
K「この病院に行ったきっかけは?」
私「駅の広告を見て行きました」
K「Sクリニックから次のKクリニックに転院したのは?」
私「Sクリニックでは感情的になって、泣いたりすることがよくあったんです。そのとき先生に困った顔をされて。Kクリニックにはアダルトチルドレンの自助グループがあると聞いたので転院しました。結局自助グループに参加することはなかったんですが」
K「Sクリニックで病名は何といわれましたか?」
私「自律神経失調症だといわれました」
K「薬は出ましたよね? 何が出てましたか?」
私「睡眠薬はサイレースとハルシオン、安定剤は何だったか忘れました」
K「Kクリニックにはどれぐらい通われましたか?」
私「これもあんまり覚えていないんですが・・・。2年くらい」
K「KクリニックからIクリニックに変わったのは? 何か問題があったからですか?」
私「いえ、Kクリニックでは院長先生が大変親切にみてくれたんですが、通うのがちょっと遠いということでIクリニックを紹介されました。I先生は院長先生のお弟子さんらしくて」
K「Iクリニックには4年くらい通われてますよね。(紹介状を見て)病名はうつ状態と。Iクリニックからこちらに転院したのは?」
私「I先生は話を全然聞いてくれなくて、薬ばっかり増やされるんです。診療はいつも3分です。これじゃ悪くなるばっかりだと思って転院しました」
K「昼間の薬は今出ていないんですね」
私「規則的な生活をしていないんで、薬が余ってしまうんですね。それでオーバードーズをしてしまったりするので、昼間の薬は止めていただきました」
K「いっぱいのんじゃうんですね、あなたが」
私「はい」
K「どういう気持ちで薬いっぱいのんじゃうのかな?」
私「寝て現実から逃げたいというか」
K「死んじゃいたいって気持ちがある?」
私「以前はありましたが、今はそういう気持ちはないですね」
K「今一番困っていることは何です?」
私「眠れないことですかね。薬をもう少し減らしていきたいんですけど」
この後先生に家族構成を聞かれる。15年ほど前に離婚した両親、離れて暮らす弟、家族全員バラバラに住んでいることを伝える。
K「ご両親の離婚はどういうことがきっかけだったんですか?」
私「もともと夫婦仲はよくなかったんです。直接の理由は父の暴力です」
K「お母さんは今どうしてらっしゃる?」
私「2年くらい前から音信不通です。今どうしているかもわかりません」
K「それは・・・心配ですよね」
私「心配は全然してません」
K「(苦笑して)そうですか。生活保護はいつ頃から?」
私「1年半前くらいです」
今まで大きな病気やケガがなかったかと聞かれる。
10代の頃、乗っていたバイクの事故で右足を骨折したことを告げる。
先日アパートの階段から落ちて、頭を打ったことも話した。
「意識がなくなったことはありませんね」と聞かれたので「はい」と答えた。
アレルギーに関することも聞かれる。ペニシリンアレルギーであることを告げる。
テープの感度が非常に悪い。テープ起こしするにも声が拾えない。
K「どういう話を聞いてもらいたいなぁって思ってらっしゃるのかしら?」
私「もうだいぶ自分の中では整理がついてるんですが、両親の仲が悪く、母の怒りのほこ先が私に向いて、虐待という形になったんですね。I先生にはそれを吐き出す作業が必要だと言われました。でもI先生はあんまり話を聞いて下さいませんでした。私は文章を書くんですが、母とのことを文章にしてI先生に見ていただいたことはあります。ただ、虐待の事実を書いていくというのは、とても苦しいことなので、あまり書けないんです」
K「そういう虐待の話を聞いてもらいたい?」
私「そうですね・・・」
K「あなたが病院に『こうしてもらいたい』っていうのがよく見えてこないんですね。I先生のところではどういうところが不満でした?」
私「薬をどんどん増やされちゃうんですよね。これじゃいけないと思って」
K「それはあなたがそのとき状態がよくなかったり、そういうことで増やされていったんじゃないですか?」
私「それはそうですけれども・・・」
K「そういう不満を(I先生には)言えなかった?」
私「はい、言えなかったです」
K「そこは混んでました?」
私「いえ」
K「そうですか・・・。お話伺ってきましたけれども、私の目から診て(状態が)よくなってると思うんですよね。今までの病院になかったものをここに求めて来てらっしゃると思うんだけど、ここがダメなら今度は別の病院って感じじゃ、よくならないと思うんですよね。患者さんに『調子がよくなってきたからこの薬はいらない』と言われれば薬は減らしますしね。先ほどアダルトチルドレンだっておっしゃってたけど、それはどのように考えてらっしゃるの?」
私「今でも苦しいです」
K「それを解決しなきゃ、病気は治らないと考えてる?」
私「それはありますね」
K「それはどういうふうに解決できるんだろう?」
私「I先生がおっしゃったように吐き出していかなければならないと思います」
K「ここはメンタルクリニックではなく精神科です。分裂病とか鬱病とか(病状が)重い患者さんが来てるんです。カウンセリングはあんまりしないんですよ。だからそういうことを期待されてるんだったら、あなたを失望させる結果に終わってしまうと思うんだけど。患者さんが多いから、3分診療になってしまうこともあるかと思います。他にも先生がいるから、私では合わないなと感じたら別の先生にかかっても構いませんし。どの医者がいいのか難しいとこなんだけども、曜日によって先生が変わるし、それはお考えになって下さい」
私「はい、わかりました」
K「お薬、7日に出てますけど、今日はどうしますか?」
私「できればいただきたいんですけど」
K「いっぺんにのんでしまうようなことはありませんね?」
私「はい、大丈夫です」
今まで服用している薬の確認をして、調剤してもらう。
音がよく拾えなかったので、聞き取れる限り、覚えている限りの診療実況だ。
正直言って、この病院にもあまり期待できないかもしれない。あからさまに「3分間診療もありえます」って言ってるもん。
他に常駐している先生はどうかわからないけど、F病院に対しての印象は今まで通ってきたどの病院よりも一番悪い。
瀟洒なビルの中にある小奇麗な心療内科と違い、F病院は、ホームレスか? と疑いたくなるくらい、薄汚れた服を着て無精ひげをはやした男が待合室をうろうろしている。
唯一いいと思えるのは、喫煙室があることだけくらいか。
この喫煙室でも妙な視線を送ってくる男もいた。
「誰かに話しかけたい」という気持ちがありありと見えるので「話しかけないでビーム」を発して隅っこでこそこそとタバコを吸った。
他の病院に行こうか考えるけど、もうどこに行っても同じなのかなという開き直りがある。
ジムに行って、からだは健康になりつつあるし、不眠の薬をもらうだけに病院通うだけでもいいか、と考えている。
クスリは病院から100メートルほど離れた薬局でもらう。この薬局は住宅街の中にあり、明らかにF病院専用の薬局と思われる。
クスリが出るまで待合室に座っていたら、隣にいた50過ぎくらいの男にいきなり「名前と電話番号教えて」と言われた。
びっくりして「なんでですか?」と聞いたら「友達になりたいから」だって。
「イヤです」とぴしゃりと答えた。
なぜ見ず知らずのアンタに名前や電話番号を教えなきゃいけない?
人に尋ねるときは自分から名乗れ。
ナンパにしてはあまりにも直球過ぎる。
精神科ご用達の薬局だから、おかしなのも紛れ込んでいるんだろう。つくづくイヤになった。
32条の届出とか、役所にまた転院することを告げるのはとても面倒なので、曜日を変えて、先生を変えて、我慢しながらこの病院にもう少し通ってみよう。
また直球ナンパされたら、病院を変えたいという気持ちがある。
それくらいF病院は気味の悪いところだった。
2005年03月21日
2005年1月7日
2005年1月7日(金)。
新年が明けた。何もしない正月だった。どこにも出かけず、ただ餅食ってテレビ観て、ひたすら寝ていた。筋トレもほとんどしなかった。なんか面倒だったから。
年賀状もウルフルズとBaby Booのファンクラブからしか来なかった。引っ越してから誰にも住所を教えてないから当然なんだけど。
年賀状、暑中見舞い、旅行に行ったときにハガキを書く、など筆まめだった私が、鬱になってから書くのが億劫になり、ここ数年年賀状は書いていない。
数年こちらから送っていないにも関わらず、毎年毎年子供の成長写真ハガキを送りつけてくるいわゆる「勝ち犬」組の年賀状を受け取るのはウザい。
親しい友人には携帯番号もメールアドレスも教えてあるし、あえて住所を教えなくても連絡が取れる。
というわけで、関係が遠くなった友人には引っ越したことを知らせるまでもないと思って、誰にも教えなかった。
ちょっと淋しい正月だったかな。
4日からジムが始まったので、今のところ、毎日通い続けている。寝正月がたたったのか、通い始めてから3週間くらいたつけれど、今でも体重は落ちていない。
今日の診療は録音する意味すらなかった。「あけましておめでとうございます」と挨拶した後、「転院したいんですが」と切り出したら、特に理由を聞かれるまでもなく、「ああ、そうですか」とI先生は紹介状を書いてくれた。
この病院から転院する人は多いのかもしれない。だから当たり前のように受け止めているんだろうか。
患者同士仲良くなることもなかったから、I先生に対する他の患者の評価がどうだったかはわからないけれど。
客一人逃げるんだから、「どうしてですか?」くらい聞いてもいいんじゃないのかな。
私が水商売やってたときのことを考えたら、客から「もうこれからは別の店へ行くよ」なんて言われた日にゃ、「どうして? ウチの店のどこが悪い? 私の何が気に食わないの?」とパニクるとこなんだけどな。
Iクリニックでは、初診が平成12年の10月。4年ほど通ったことになる。それなのに、今日最後の診療でも「お名前は?」と聞かれた。
4年通っていた患者の名前すら覚えられないのか。覚えられないほど患者数が多いのか? それほど患者数いるとは思えないけどね。
ともかくこんな病院とはおさらばだ。新しい病院、先生に期待しよう。
紹介状と薬の処方箋をさらさらと書かれ、渡された。「お世話になりました」と頭を下げて病院を後にした。
結局病気は治らず、薬だけ増やされて、無意味な4年間だったなぁ。
病院の後はジムへ行った。今日はエアロビのプログラムがある。
今、私の通っているジムでは「20万歩キャンペーン」というのをやっていて、万歩計で1日1日の運動量を計り、5万歩達成ごとに何か景品がもらえるらしい。2月末までに見事20万歩達成できれば、抽選で海外旅行やビデオカメラなどが当たる。
もし20万歩達成できて、海外旅行が当たってしまった場合、生活保護者は旅行に行けるんだろうか。
友人は「まさか当たった分を換金せよとまでは言わないだろうし、前例がないからいいですよって言われるんじゃないかな」と言うが、果たしてそうだろうか。
「スポーツジム通ってるほど元気なら働け」っていわれるのがオチじゃない? と聞くと、からだの治療のためにジムに通っているのは当然のこと。非難するお役人がいたら
「生活保護法を読め。この法律は国民に生活の最低保証を約束してるのであって、趣味に金を使うなってことではない。むしろ個人の趣味なり治療なりを約束することで『文化的生活の最低基準を満たす』ために生活保護という制度があるんだよ。覚えておけ!」
と言えるんだよ、と言われた。
うーん、そうなのかな。でもやっぱり「海外旅行はちょっとね」って言われるような気がするな。
まあ、当たったときに考えよう。
エアロビやるだけで1万歩は超えるので、張り切ってプログラムに参加したが、相変わらずキビキビと踊れない。
踊る場所を他の参加者と譲り合っているうちに、なぜかインストラクターさんのすぐ後ろの目立つポジションについてしまって、とほほ〜な気分だった。
正面の鏡にインストラクターさんのキレがいい動きと私のアタフタした動きが写っている。なんとも情けない。
今日初めてエアロビを踊るという人ですら、私よりは踊れていた。なぜなんだろう。全然わからない。
確かに昔から、運動会でフォークダンスを覚えるときも最後まで飲み込みが遅かった。
社交ダンスをかじっていた母も「ウチの家系は踊り覚えるのって苦手なのよねぇ。一度覚えると忘れないんだけどね」と言っていた。
家系の問題なのか?
アタフタエアロビが終わった後、インストラクターさんに「全然ダメです。踊れません」と泣きを入れたら「そんなことないですよ〜。大丈夫ですよ〜。頑張りましょう」とにっこりと言われてしまい、ああ、こんな私でも大丈夫なのかしらん? と少し安堵する。
そういえばインストラクターさんも、からだの動きをわかりやすく口で説明するのに、頭を使っているんだろうか?
例えば筋トレのとき「仰向けになって、両足を90度天井に向けて、足の間に鉛筆をはさんでいる感じで、天井に円を描いてみましょう」とか。
こういうの考えるの、なかなか大変なんだろうな。
ウォーキングマシン30分と他の各マシンのローテーションをこなす。
いつも3回、ローテーションしているが、今日は2回目だったか3回目だったか、やっているうちにわからなくなってしまったので、念のためもう一回りした。ひょっとしたら4回やったかも。
とりあえず一通り終わった。たいてい午後待機している女性インストラクターのS先生に「今日はあがりますね」と声をかける。
S先生は身長が170センチくらいある。小柄な私は見上げてしまう。先生は大学時代まで背が伸びていたと話していた。私は小学校で成長止まったのに。
S先生は肌は浅黒くてそばかすが散りばめられているが、なかなかの美形さんだ。30代だと思うけど、ひょっとしたら40過ぎてるかもしれない。年齢不詳だ。田中美佐子にちょっと雰囲気が似ている。
S先生に「どうですか? 少しやせましたか?」と聞かれたが、全然だ。
ジムの説明会のときに「食事をしてから運動するようにして下さい。夜食はとらないように」と食生活に注意を受けたが、どうしても起きてすぐは食欲が起きない。
ジムから帰ってきた後、17時頃食事をとる。すると夜12時くらいにはまたおなかがすいてしまって、また軽く何か食べてしまう。
S先生は「ダメですよ〜。夜食はとらないように。カロリーになっちゃいますから。運動量がもったいないですよ。なかなか眠れないというのであれば、温めた牛乳を眠る前に飲むといいですよ」と言っていたが、私は牛乳ダメなの。
そういったら先生はますます困った顔をして「それじゃスープとかでおなか満たすようにして下さいね」とアドバイスしてくれた。
鬱だかなんだかわからないが、引きこもりがちの友人、出版プロダクション社長Zさんは「俺は体育会系の女は苦手なんだよ。だからジムとか行く気しないんだよ。病院にはちょっとかわいい看護士さんがいるから行く気になるんだけどね」と話していた。
男性はそういう理由ででかける楽しみを見出しているのか。なるほどなぁ。
S先生目当てでジムに通って来ている男性も多いのかもしれないな、と思った。
今日は結局、12000歩ほど運動した。
ここのところ4日間続けてジムに通い、3〜4時間ほど運動しているので、少し足に疲れが来ている感じがするが、夜はクスリをのみながらだがしっかり眠れている。
ハルシオンだけのまないようにしているが、寝つきはいい。以前のように明け方まで眠れず、悶々とすることはなくなった。
やっぱり適度な運動はからだにいい。
最近めっきり寒くなって、外に出るのはちょっとつらいけど、ジム通いは頑張って続けたいと思っている。
家に帰ってきてから、市の生活福祉課に転院する旨の電話を入れる。担当Tさんは「あーはいはいはい。で、どこに転院するんですか? いつから? あーはいはいはい」と言った感じで、今年も相変わらずやる気が感じられない。
「はい」は1回でええんじゃっ!
今週末は3連休となるので、平日会員の私はジムに通えない。
3日も空くとからだがなまるなぁ・・・と思ってる自分にびっくりした。
引きこもりだった自分が「からだがなまる」という感覚をいつのまにか考えられるようになっていることは、すごく新鮮だった。
鬱友Yさんもジムへの入会手続きを済ませたそうだ。
「どっちが先にやせるか競争しようね」と言って、お互いを励ましあっている。
2004年12月27日
2004年12月27日(月)。
2004年もあとわずか。
午前中、病院に行く前に、郵便局や銀行回りをしていたらどこも長蛇の列で、並んでるだけで1時間半がたってしまった。
今月中ごろから、スポーツジム通いをしている。平日午後会員なので、平日の13時〜18時までトレーニングできる。
病院に行ったら、ここでも4人ほど人が待っており(いつもならほとんど待ち時間ないのに)13時からのジャザサイズ(ジャズとエアロビを組み合わせたようなもの)のレッスンに間に合わない!
私の場合、1分で終わりますから、先に診察してもらっていいでしょうか? と待っている人たちに言いたかったが、さすがにそれは言えない。
I「この前はちょっと気分が落ちてる感じでしたけど、いかがですか?」
私「ジムに入ったんで・・・。昼前には起きて行くようにしているんですけど」
I「ほう。毎日?」
私「はい、行ってますね」
I「すごい!」
私「はい」
I「からだのキレはいいですか?」
私「いえ、全然ダメです」
I「睡眠はどうですか?」
私「ええ、ジムに通った日は眠れるんですけど」
I「ああ、やっぱりねぇ」
私「はい。でもやっぱり薬はちょっとのまなければダメですけど。ジムが休みの日・・・、私、土日は行ってないので、土日とか祝日が入っちゃうと、そういう日は眠れませんね」
I「そっかそっか。からだ使うことによって、よくなってきてるんですねぇ」
私「はい。からだ使った後は気持ちいいです」
I「(運動は)すべてにいい影響を及ぼすんですね」
私「はい」
I「じゃ、お薬変えないでいいですか?」
私「はい。ありがとうございました」
今日の診療はほんの1分くらいだった。ジムに間に合わないし、I先生には愛想つかしてるし、クスリもらえればそれでよい。
病院出てダッシュでジムへ行ったら、ジャザサイズのプログラムにはなんとか間に合った。
エアロビクス、ジャザサイズ、筋トレ、ストレッチなどのプログラムを毎日ひとつは受けるようにしている。
今日はジャザサイズ45分が終わった後、簡単エアロビ45分のプログラムも受けた。
私は「踊り」と名がつくものは苦手なのだ。ライブでは踊るけど。自己流でね。
何しろ、フリが覚えられない。足をインストラクターに合わせていたら、今度は手がおろそかになる。まわりの20人くらいの人たちと一瞬ズレたタイミングで踊っている。恥ずかしい。なんでみんな、そんなに簡単そうに踊れているんだ!?
私とどっこいどっこいの踊り方をしていたのは、70歳を過ぎていると思われるおじいちゃんだけだった。悲しかった。途中で足もついていけなくなった。息が上がる。もうやめてそそくさと退場しようかなぁ・・・と思ったけど、頑張って最後までやり通した。
通い続けていれば、私も一人前に踊れるようになるんだろうか?
プログラムが終わった後、インストラクターにダイエットメニューを2100円払って作ってもらったので、そのメニューを黙々とこなす。
マシンのバーを腕で開くとか、マシンで足の上げ下げをしたり、おなかがへこむよう、からだを90度に曲げるマシンなどを各20回ほどやる。
一通り終わったら、エアロバイクで30分走る。エアロバイクはいい。目の前にテレビがあったり、雑誌を読みながらやれるので、あっという間に30分はたつ。
それに比べて、苦しいのはウォーキングマシンだ。これも30分、約3キロ歩く。
ウォーキングマシンはテレビもないし、雑誌を読みながらやるなんて、とんでもないし(意外にバランスが難しい)ただ窓の外を眺めながら歩く。窓の外は車道、それをはさむマンション、それくらいしか見えない。退屈だ。
先日は、原チャリ兄さんが、同じく原チャリのおまわりに捕まる決定的瞬間を目撃した。
どう考えても、原チャリ兄さんは右折をしただけであったのに・・・。右折禁止の場所でもないし・・・。
おまわりのノルマ達成のために難癖つけられてとっ捕まったんだろう。見ていてかわいそうだった。まぁ、ただひたすら歩いている私に刺激を与えてくれたけど。
汗をかいて風呂に入った後は気持ちいい。
すかっとする!
最初のうちは筋肉痛に苦しめられたけど、からだもようやく慣れてきた。
鬱メル友Yさんとの関係は復活した。お互いの誤解が解け、ぼちぼちとメールのやりとりをしている。彼女も来年はジム通いを目指すと言っている。
そうだ!
みんなジムへ行け!
からだを動かすって今までの私には考えられなったけど、からだがある程度の疲労を覚えると、かったるいんだけど、気持ちいい。これが達成感というものなのかな?
その割に体重は落ちてないんだけど・・・。
半年計画で10キロ体重を落とすことを目標にしている。目標ができたら後は勢いだ。ほっとけば夕方まで寝ていた私が、お昼には起きてジム通いをしている。惰眠を貪っていた頃に比べると、朝(いや、昼)起きるのはつらいし、最近寒くなってきたし、今日はジム休んじゃおうかなぁ・・・と思うことはあっても、会費を払っているんだから、と自分に言い聞かせ、毎日でかけている。ある意味、仕事してるみたいだな。
この日記をブログにアップしてから、多くの人たちが読んでくれているらしい。とても嬉しい。友人のBBSにURLを書き込んでいたら、見ず知らずの人が私にレスをつけてくれた。励みになる。こつこつと続けていたことがムダではなかったと思える。
どうか、私に直接メール下さいな。
別の友人からは「精神科医なんて、どこもヤブばっかりだよ」と言われた。
それを言っちゃ、身も蓋もないでしょう!
確かにヤブの精神科医は多いかもしれない。でも鬱友M君は、聞くかぎりとてもいい医者にかかっているようだし、第一、そんな大きなこと言えるほど、あなたは精神科について知ってるの? と聞いてみた。
そしたら「自分も鬱だと診断されました」と返事が来た。あのさー、一億総鬱っていわれている現代社会かもしれないけど、私みたいに7年間も鬱の苦しみを味わってるのかね? そうじゃないでしょう。
自殺を何度も考えて、何度も実行して、死にきれなかった苦しみ。そこまであなたは追い込まれたことある? わからないでしょう。
ただ「鬱っぽい人」から「精神科医なんてみんなヤブ」という言葉が吐かれるのは、とても不遜なことだと思う。
この日記を読んでいる人たちに、こんな精神科医じゃダメだよ、いい先生を見つけてね!
とメッセージを込めてこの日記を書き続けているのだ。
批判とか意見はあるだろうけど、最初から投げ出したように「みんなヤブ」発言はやめてほしい。
鬱の人みんな、いい先生をみつけようと必死なんだから。その必死さをわかってほしい。
2005年03月20日
2004年12月の日記
2004年12月13日(月)。
ここのところ調子が下がっている。とにかく動くのがイヤで、歩いて5分ほどのスーパーに買出しに行くのも面倒だ。
風呂に入るのも面倒。2〜3日に1回しか入らない。
ジムに入ろうとしていた高揚とした気分はどこにいっちゃったのか。今はただ、部屋でじっとしていたい。
今日病院に行ったら、また先生に「名前忘れちゃった・・・」と言われた。名前も覚えてもらえないほど、とるに足らない患者なんだな、私は。
I「調子はいかがですか?」
私「ちょっとつらいですね・・・」
I「一時上がってきたかと思ったんですが・・・。また少し?」
私「はい、下がってます」
I「そうですか」
私「ここ3日くらいODしてるんですね。それまでは普通に眠れていたんですけど。でもここ3日はどうしても眠れなくて」
I「ほう」
私「外に出るのもつらくて・・・。今日も出てくるのがつらかったんですけど・・・」
I「なるほどね・・・。そっかー・・・。私の目からみて、よくなっていると思うので、一時的なものじゃないかと思うんですけどね。そのうちまたよくなってくると思うんですけどね」
私「はい」
I「薬はこのままでよろしいですか?」
私「はい」
I「ODしてるってことは、薬増やした方がいいのかな?」
私「いえ、このままで(いいです)」
I「ODっていうのは、どの程度のODなんですか?」
私「ルジオミールでしたっけ? 25ミリを4錠くらい」
I「今は昼間(の薬)出してないですもんね?」
私「はい。前にもらって残っていたものを(のんでます)」
I「うーん、昼間出していたものをのんでるんだから、それはODじゃないですよ」
私「そうなんですか? 規定の眠剤にプラスしてのんでるんですけど」
I「ああ、じゃODか。でも内容的に言うと、眠剤が増えてるわけじゃないですから」
私「じゃ、このままのんでいても大丈夫だっていうことですか?」
I「大丈夫です。んー、だからルジオミールをおのみになっているってことは、眠剤と一緒じゃなくても元々昼間のんでいた薬ですからね。大丈夫だと思いますよ」
私「わかりました。ありがとうございました」
ODしても大丈夫だって!
言い切っちゃっていいのかよ!?
先生に認められたらますますODが進むぞ。しかもさらにクスリを増やすか?
と聞いてきた。もうイヤだ。絶対おかしいよ、この先生。
外に出るのが億劫だということもあるけれど、私はこの先生に会いたくないんだ。 だから憂鬱なんだ。今日やっとわかった。来年になったら速攻転院だ!
49歳の男友達に何度か電話をかけていたが、やっとつながった。
彼は出版プロダクションの社長をしているが、最近自宅に引きこもってしまい、ひとつ大きな仕事を失ったと言っていた。
引きこもって何をしているの?
と聞くと「タバコ吸ったり、テレビゲームしたり、エロ動画ダウンロードしたり、横になってたり・・・」とまるで私の生活パターンと一緒の生活をしている(私はエロ動画はダウンロードしないが)。
彼は病院にも行ったのだが、軽い精神安定剤を1日1錠処方されたそうだ。「効いていると思う?」と聞いたら「よくわかんない」と返事が返ってきた。
「病院では、鬱病じゃないかもしれないって言われたんだよ。俺もそう思うんだよな。ただのなまけ病なのかなって思うよ」と言っていたが、「明日大きな仕事の取引がある。起きなきゃ。でも朝になるとダメだ〜、起きられない〜。バックレちゃえ〜」と思ったということは、やっぱり鬱病なんじゃないのかな?
鬱メル友Yさんから何度も謝りのメールが入ってくる。「子供がいない人には私の気持ちはわからない」と言われたことに、私は腹を立てた。メールにもそう書いて送った。正確には彼女は「子供がいればわかる感覚だと思う」と書いてきたのだが、私には「子供がいない人にはわからない」と受け取れた。だから私はそう受け取ったんだよとメールをしたのだが、彼女は私が何に腹を立てているのか、説明してもわからないらしい。
子供云々の件はもういいにしても、一生懸命かみくだいて説明したところで、理解してもらえず、ただただ謝りのメールが来ることに今度は腹を立てている。
共通の友人のBBSでは、私が許してくれない、食も喉が通らない、アルコールに頼ってばっかりいると書き込まれていた。
ますますイヤになった。BBSに書き込むことで、私の目に触れるであろう、そういう計算も見え隠れする。
許す、許さないの問題ではなく、もう彼女とは縁を断ちたい。私に依存されても困る。
今の私は、友達に支えられ、それを心から感謝して、依存しすぎないよう適度な距離をおいてつきあっている。
Yさんにも「適度な距離を置く」ということを学習してほしいと思っている。
ここのところ調子が下がっている。とにかく動くのがイヤで、歩いて5分ほどのスーパーに買出しに行くのも面倒だ。
風呂に入るのも面倒。2〜3日に1回しか入らない。
ジムに入ろうとしていた高揚とした気分はどこにいっちゃったのか。今はただ、部屋でじっとしていたい。
今日病院に行ったら、また先生に「名前忘れちゃった・・・」と言われた。名前も覚えてもらえないほど、とるに足らない患者なんだな、私は。
I「調子はいかがですか?」
私「ちょっとつらいですね・・・」
I「一時上がってきたかと思ったんですが・・・。また少し?」
私「はい、下がってます」
I「そうですか」
私「ここ3日くらいODしてるんですね。それまでは普通に眠れていたんですけど。でもここ3日はどうしても眠れなくて」
I「ほう」
私「外に出るのもつらくて・・・。今日も出てくるのがつらかったんですけど・・・」
I「なるほどね・・・。そっかー・・・。私の目からみて、よくなっていると思うので、一時的なものじゃないかと思うんですけどね。そのうちまたよくなってくると思うんですけどね」
私「はい」
I「薬はこのままでよろしいですか?」
私「はい」
I「ODしてるってことは、薬増やした方がいいのかな?」
私「いえ、このままで(いいです)」
I「ODっていうのは、どの程度のODなんですか?」
私「ルジオミールでしたっけ? 25ミリを4錠くらい」
I「今は昼間(の薬)出してないですもんね?」
私「はい。前にもらって残っていたものを(のんでます)」
I「うーん、昼間出していたものをのんでるんだから、それはODじゃないですよ」
私「そうなんですか? 規定の眠剤にプラスしてのんでるんですけど」
I「ああ、じゃODか。でも内容的に言うと、眠剤が増えてるわけじゃないですから」
私「じゃ、このままのんでいても大丈夫だっていうことですか?」
I「大丈夫です。んー、だからルジオミールをおのみになっているってことは、眠剤と一緒じゃなくても元々昼間のんでいた薬ですからね。大丈夫だと思いますよ」
私「わかりました。ありがとうございました」
ODしても大丈夫だって!
言い切っちゃっていいのかよ!?
先生に認められたらますますODが進むぞ。しかもさらにクスリを増やすか?
と聞いてきた。もうイヤだ。絶対おかしいよ、この先生。
外に出るのが億劫だということもあるけれど、私はこの先生に会いたくないんだ。 だから憂鬱なんだ。今日やっとわかった。来年になったら速攻転院だ!
49歳の男友達に何度か電話をかけていたが、やっとつながった。
彼は出版プロダクションの社長をしているが、最近自宅に引きこもってしまい、ひとつ大きな仕事を失ったと言っていた。
引きこもって何をしているの?
と聞くと「タバコ吸ったり、テレビゲームしたり、エロ動画ダウンロードしたり、横になってたり・・・」とまるで私の生活パターンと一緒の生活をしている(私はエロ動画はダウンロードしないが)。
彼は病院にも行ったのだが、軽い精神安定剤を1日1錠処方されたそうだ。「効いていると思う?」と聞いたら「よくわかんない」と返事が返ってきた。
「病院では、鬱病じゃないかもしれないって言われたんだよ。俺もそう思うんだよな。ただのなまけ病なのかなって思うよ」と言っていたが、「明日大きな仕事の取引がある。起きなきゃ。でも朝になるとダメだ〜、起きられない〜。バックレちゃえ〜」と思ったということは、やっぱり鬱病なんじゃないのかな?
鬱メル友Yさんから何度も謝りのメールが入ってくる。「子供がいない人には私の気持ちはわからない」と言われたことに、私は腹を立てた。メールにもそう書いて送った。正確には彼女は「子供がいればわかる感覚だと思う」と書いてきたのだが、私には「子供がいない人にはわからない」と受け取れた。だから私はそう受け取ったんだよとメールをしたのだが、彼女は私が何に腹を立てているのか、説明してもわからないらしい。
子供云々の件はもういいにしても、一生懸命かみくだいて説明したところで、理解してもらえず、ただただ謝りのメールが来ることに今度は腹を立てている。
共通の友人のBBSでは、私が許してくれない、食も喉が通らない、アルコールに頼ってばっかりいると書き込まれていた。
ますますイヤになった。BBSに書き込むことで、私の目に触れるであろう、そういう計算も見え隠れする。
許す、許さないの問題ではなく、もう彼女とは縁を断ちたい。私に依存されても困る。
今の私は、友達に支えられ、それを心から感謝して、依存しすぎないよう適度な距離をおいてつきあっている。
Yさんにも「適度な距離を置く」ということを学習してほしいと思っている。
2004年11月の日記
2004年11月2日(火)
今日病院に行かないと、明日は祭日だし、あさっても病院が休みだし、連休になってしまう。ふらふらした足どりで病院にやって来た。
実はまたODをやらかした。今度はいっぺんに多くの量をのむわけではない。1日ずつ少しだけ(規定の眠剤にプラス安定剤10〜20錠くらい)多めにしてのんでみた。
そうしたら5日目くらいでテキメンに副作用が表われてきた。前回同様、手足が利かない、舌がもつれる。激しい脱力感。
前回ほどひどくはなかったけれど、やはり手足が不自由になるのはつらい。
I「どうですか? 調子は」
私「ODばっかりやって、ダウンしてます。手足がきかなくって、舌のもつれますね」
I「そうですか・・・」
私「階段の上り下りができないんですね」
I「どういう気持ちでODをされるんですか?」
私「ただずっと眠っていたい・・・現実逃避ですね」
I「ろれつが回らないって言うのは副作用ですからねぇ・・・。どうしますか。昼間の薬(安定剤)はですね、今レボトミンというのが出てるんですが、これをを少し増やしましょうか?」
私「かえって・・・。薬を減らした方がいいと思います」
I「そうですか」
私「昼間の薬はもういらないんで(きっぱり)」
I「いらないですか?(驚いたように)」
私「はい。夜眠るときの薬だけ(下さい)」
I「わかりました。くれぐれも注意して下さいね」
私「はい」
I「一時期よりずいぶんよくなったのに・・・」
私「そうですね」
I「だんだん寒くなってきましたからね。そういうのも関係するのかな・・・」
私「はい(もうやる気なし)」
I「じゃ最近は昼間は・・・(どうされてますか)」
私「ひたすら横になっています」
I「外出もできない?」
私「はい。階段があるところが怖いんですよ。手足に力入らないんで。急な階段だと転げ落ちちゃうんですね」
I「お買い物とかはどうしてますか?」
私「まとめて買ってきたものがあるんで・・・」
I「ODのときは眠る薬をいっぺんにのんじゃう?」
私「いえ、昼間のお薬を一気に10錠くらいのんじゃいますね」
I「ああ、そうか・・・。かえって量を増やすとよくないんですね」
私「(ようやく気付いてくれたかという感じ)はい」
I「いや、薬を減らすのはえらいですよ。なかなかできることじゃありませんよ」
私「はあ、そうですか・・・」
I「今は例えていうと、台風が来ている感じなので、とにかく安静にして下さい」
私「じゃ、一過性のものなんですね?」
I「はい。なんとかしのいでいて下さい」
私「はい、わかりました」
だーかーらー!
ODやってるヤツにクスリ増やしてどうすんだっての!
ODやる私も悪いが、クスリをぽんぽん出す先生にも問題アリだぞ。
ようやく何のクスリを何錠のんでいるのか聞いてくれた。それに対するコメントはないぞ。私にクスリを出しすぎたことには言及しないのか?
いや、確かにODする私が悪い。悪いが、クスリさえ出せば問題はクリアになると先生は思っているのか?
思っているんだろう。今まで何年、何錠のクスリをのんできたことか。どれも何にも役には立たず、OD要員として山と積もっているクスリはどうしたらええんじゃっ! クスリをやめることはえらいことでも何でもない。ただ今までがクスリに依存していただけのことだ。
ちょっと救いだったのが、日ごろの買い物について先生が聞いてきたことだった。 そうです。買い物には困ってます。今日も病院の帰り、買いだめしておくかと思ったけど、アパートの階段を登るのが怖くて、必要最低限のものしか買えなかった。
灯油売りの車がアパートの前を通りかかった。購入したいが、一度登った階段をまだ下って登るのはかなり大変だ。腕をぶんぶん振り回して灯油売りに気付いてもらう。灯油カンを下持ってきて、といわれたのにろれつの回らない口で、足が不自由なこと、上まで登ってカンを持っていってほしいことを伝えた。灯油売りのあんちゃんはちょっとイヤな顔をした。
ごめんなさい!
本当に申し訳ない!
何度も頭をぺこぺこ下げた。3カン買った。やっとしばらくは灯油を買わなくてすみそうだ。
気付けばもう11月。私の大嫌いな、また調子が悪くなる季節が近づいてきた。
今年はこんな調子で乗り切れるんだろうか? 乗り切る前に転院だな。しかし適当だと思われる病院がまだみつからない。近くにでかい精神科があるので、そこに行ってみようか、でも午前中だけ受付なので、寝過ごす可能性もあり、いまだ悩んでいる。
そして二度と、もう二度とODしないと思う。手足がきかず、右方向へ右方向へ傾いてしまうからだ。普通に歩けるってことがどんなに素晴らしいことか、身をもって知った。
神様、もう二度とODしません!
あっこれこの間も祈ったな。
2004年11月15日(月)
今日もまた先生に「お名前は?」と聞かれた。心底イヤになった。この先生は患者に何の興味もないのだ。
最近ちょっとしたことでもイライラすることが多い。原因は?
お金がないからだ。ここのところファンヒーターやテレビがイカれて、新規購入に出費が重なった。つらい。年越せるのか?
お金がないと人間心も貧しくなる。
I「いかがですか?」
私「夜寝るときにですね、まだプチODっていうか、安定剤を2〜3錠のんで眠るような感じですね」
I「ま、ちょこっとはしょうがないですね」
私「気分的にも・・・最近ちょっとしたことでもイライラしちゃいます」
I「昼間の薬(安定剤)なしでやってるから仕方ないですよ。薬を減らしただけえらいと思いますよ」
私「そうですか・・・ちょっと困ったことがあったんですけど」
I「はい」
私「メール友達にやはり鬱で、アル中、リスカ、ODの三重苦のひとがいるんですね」
I「うわー」
私「で、メールでやりとりを結構してたんですけど、あまりにも私のメールの内容を読んでないんですね、向こうが。さすがにイヤんなっちゃって、このままじゃあなたとメールを続ける意味がないみたいなことを書いて送ったんです。そしたらなんか、『私を捨てるの? 見捨てるの!? 同じ鬱なのにどうして私を見捨てるの?』ってメールがバンバン来て・・・。もうなんていったらいいのか、依存されちゃってるんですね。以前母のときもそうだったんですけど、同じ鬱病だからわかってくれるみたいな・・・甘えみたいなものがあって、私の鬱をこじらせちゃうというか・・・。なんでこう依存してくるのかなぁと思うんですけど」
I「そういう人たちはそれに限らず、生涯ずっと誰かに何かに依存して生きてるんです。そうしないと自分自身が保てないんです」
私「それは私もやっぱりそうなんでしょうか?」
I「そうです。だからそういう方っていうのはきちっとつきあいを切った方がいいかと思います」
私「どんなになっちゃうんでしょうか、つきあい続けると」
I「相手があなたのことを支配しようとしてくるので、情状的にドロドロになっちゃいますよね」
私「はい」
I「気持ちの上で自分も傷つけられる、早いうつにおつきあいはやめた方がいいですね。お友達とお付き合いしていく上では、ご自分にもそういう(依存的な)部分があるということは、あたまの隅の少し置いておいて下さい」
私「はい、わかりました」
今回、鬱メル友とのイザコザで「依存されること」のしんどさがよくわかった。
「鬱の私を拾ってくれてのはあなたでしょ」「その私を捨てるんですか」
「自分がよくなったら他人のことは知らんぷり?」
「今私を捨てたら、あなた鬼ですよ」
・・等々。いい加減にしてくれよ! というメールが30本ほど来たのでウザくなって受信拒否した。
だいたい最初から彼女を救おうとか、そんな不遜な気持ちでメールを始めたのではない。知人のBBSを介して知り合い、同病相憐れむというかそんな感じでメール交換が始まった。
彼女には一度も会ったことがない。本名さえ知らない。
私は去る者は追わない。いつまでも執着して追いかけるのはみっともない。それだったら孤独を選ぶ。
彼氏と別れるときは、後を追わなくてすむように、いつもわざと修羅場に持ち込んで別れた。「別れても友達だよ」なんて別れ方はできない。ぐちゃぐちゃにして、もう顔向けもできなくして、後を追うことが自分でも哀れに思うような別れ方にしむけてきた。
私にも依存心はある。それは人一倍ある。自分でも感じる。だから依存を断ち切ろうと今努力している。
そのためにはやはり同病の人とつきあうのはよくないのかもしれない。
メル友の彼女には悪いが、私はつきあいを絶つことは何とも思わない。彼女がどのように生きようか、自殺しようが、もうどうでもいい。彼女にもどうか孤独に慣れてくれ、と言いたい。
これも引きこもりの一種なのかな。他人とのつきあいがどうでもいいと感じるのは。彼女とはちょっとディープに入り込んでしまった。もうこういうつきあいはやめたい。
2004年11月23日(火)。
M君からメールが来た。
M君とは4年ほど前、ある作家のファンサイトのチャットで知り合った。
当時東京の大学に通っていたM君は鬱になりかけていて、非常につらい日々を過ごしていたらしい。
相談を持ちかけられて、アドバイスというほどのことでもないが「学生だったら必ず学校にスクールカウンセラーがいるはずだから、まずはそこに相談してみたら?」と答えたら、早速彼は相談に行き、ちょっと気分が軽くなったそうだ。
その後、いろいろあり「ある作家」とは縁遠くなり、自然そこで知り合った友達ともそれっきりの状態が続いていた私に、M君は久しぶりにメールをくれた。「あのときは親身になって相談にのってくれてありがとう。今はおかげでなんとかやってます。あのときのお礼をぜひ言いたくてメールしました」と。
嬉しかった。私は何もしていないのに。
M君は大学卒業後、郷里に戻り公務員になっているそうだ。今でもまだ病気は完治していなく、病院通いは続けているという。
M君の主治医はどんな感じなのかな?
と思っていろいろ聞いてみた。
すると・・・。M君の返事を読んで、私は目ん玉が飛び出るくらいに驚いてしまった。
まずM君の主治医は投薬はするものの、期限を決めており(M君の場合は2年だそうだ)状態をみながら徐々にクスリを減らしていくという療法を取っているそうだ。それも彼にきちんと告知して。
さらにM君のご両親、そして職場にも、鬱病は気分的な問題ではないこと、れっきとした病気であることを説明し、周囲の理解も得られるように骨を折ってくれているそうだ。そのおかげでM君もだいぶ仕事がやりやすくなったそうだ。
そして極めつけは「何か変調があったらいつでも連絡してきて下さい」と言ってくれているという。M君もその言葉でだいぶ救われて今では安心して仕事を続けているとメールには綴られていた。
何ということ! こんなに親切な医者がいるの!? 私はホントにぶったまげた。
私の主治医は「いつでも連絡して下さい」なんて口が裂けても言わないだろう。何しろ患者の名前すら覚えてない医者だ。
その一言が鬱患者にはどんなに心強く思えるだろう。これが精神科医の本来あるべき姿なのか? ヤブ医者に当たってしまったため、「患者を思いやる精神科医」なんていないものだと私はすでに諦めていた。
M君はいい医者にかかって本当によかった。きっと病気も遠からず回復に向かうことだろう。それに比べて私は・・・。どんどん悪くなる一方だ。
病院、精神科医選びは本当に大切。そして難しい。いい医者を見つけるにはどうしたらいいんだろう? その術すら現在皆無と言っていいだろう。病院を5ツ星ランキングで評価している本も出回っているというけれど。
私はもう近々転院をしなければならない。今の先生に頼っていたらこの先どうなるかわからない。
でもどこの病院がいいか見極められない。どうしたらいいんだろう。ネットで検索をしたりしているが、今ひとつピンと来る病院がない。
今の病院を紹介してくれた横浜の病院に戻るか。そこは院長先生が診てくれて、院長先生だからといってえらぶることもなく、大変親切にやさしく診療してくれた。今かかっている私の病院はその横浜の院長先生の弟子だというけれど、患者の名前も覚えられない医師なんてもう信用できない。
私もグズグズしていないで、重い腰をあげるときが来たようだ。
2004年11月30日(火)。
最近健忘が激しい。
楽しみにしていたはずのBaby Booのライブもすっかり忘れていてチケットを無駄にした。
クスリが切れてるのに病院に行くのすら忘れていた。
しっかりしろ、自分!
と言いたくなる。ホント、ヘコむよ。
I「どうですか? 調子は」
私「気分は落ち着いてるんですけど、健忘はすごく激しいんですね。ライブに行く予定があったのにすっかり忘れていたりとか、昨日も病院に来る予定だったのにすっかり忘れてまして、薬ももうないってわかっていたのに・・・。そういうど忘れみたいのが結構激しいです」
I「それも一種の症状なんですね」
私「それは鬱の症状? 薬の副作用ではなくて?」
I「今出ている薬がちょっと強めなんで、それもあると思いますが、ただ(鬱の)症状はよくなってきていますからね」
私「そうですか」
I「そっか・・・。もう少しですよね。もうちょっとでもっとよくなると思います」
私「やっぱりちょっと眠れないんで・・・。貯めてある安定剤を足してのんじゃったりするんですけど・・・」
I「(苦笑)多少はしょうがないですよね。以前に比べるとかなり薬は軽くなってきてますから。これでなんとかやりくりしていってほしいですね」
私「はい」
I「もうちょっとじゃないかな・・・」
私「それでもオーバードーズはオーバードーズですよね」
I「まあ、そうですね」
私「まだ薬に依存してるなぁって」
I「そうですね・・・・うん」
私「断ち切るにはどうしたらいいですか?」
I「まずはこれから良くなっていきますからね。今はオーバードーズでも仕方ないです。良くなってきてから薬を減らしましょう」
私「良くなってるって根拠は、やっぱり薬が減っているっていうことですか?」
I「それもそうですし、あなたの状態を最近伺っているとだいぶ良くなったみたいですからね」
私「スポーツジムにでも通おうかと思ってるんですけど」
I「おお、そういう気持ちも出てきてるわけでしょ?」
私「はい」
I「昼間からだを動かすことは、睡眠そのものにもいい影響が出てきますからね。いいことだと思いますよ。この波が続くといいですね」
私「はい、わかりました」
うーん。何をもって私の状態がよくなってきてるか、説明が曖昧だ。
年明けにはついに転院することを決意した。近くの精神科の総合病院だ。総合病院だったら血液検査やら性格テストなどもやってくれるだろう。
だから今の先生はもうどうでもいい。何も聞く気にならん。クスリだけもらえればいいんじゃ。年明けに「転院します」と言ってやろう。「患者の名前も覚えてくれない医者には信頼がおけませんから」と最後に一発見舞わせてやれるか。気がちっちゃいからいえないかもしれないけど。
メル友Yさんから「子供のいない人に私の気持ちはわからない」という内容のメールが来た。正直、頭に血が昇った。産みたくても産めない人間がいるってことに考えが及ばないのか?
もうこいつの話など聞く気はないと強く思った。
ところが鬱友M君にこの話をメールしたら「その方は、今は視野が狭くて何も見えないからこんな風に言うんだなって、気楽な気持ちで考えてみてはいかがでしょうか? 葵さんが大変なのもわかりますが」というメールが来た。
心慰められた。
M君、すごいよ。キミの鬱病はもう治ってるよ。他人のことをこんなに心配できるなんて。
M君との友情が再開して本当によかった。とても心強い仲間ができたって感じがする。だからって依存しちゃダメなんだよね。その辺はわきまえるつもり。
鬱病、持ちつ持たれつ。Yさんとの友情にはヒビが入った気がしてたけど、大きな心で受け止めるか、という気になっている。
M君、ありがとう。
今日病院に行かないと、明日は祭日だし、あさっても病院が休みだし、連休になってしまう。ふらふらした足どりで病院にやって来た。
実はまたODをやらかした。今度はいっぺんに多くの量をのむわけではない。1日ずつ少しだけ(規定の眠剤にプラス安定剤10〜20錠くらい)多めにしてのんでみた。
そうしたら5日目くらいでテキメンに副作用が表われてきた。前回同様、手足が利かない、舌がもつれる。激しい脱力感。
前回ほどひどくはなかったけれど、やはり手足が不自由になるのはつらい。
I「どうですか? 調子は」
私「ODばっかりやって、ダウンしてます。手足がきかなくって、舌のもつれますね」
I「そうですか・・・」
私「階段の上り下りができないんですね」
I「どういう気持ちでODをされるんですか?」
私「ただずっと眠っていたい・・・現実逃避ですね」
I「ろれつが回らないって言うのは副作用ですからねぇ・・・。どうしますか。昼間の薬(安定剤)はですね、今レボトミンというのが出てるんですが、これをを少し増やしましょうか?」
私「かえって・・・。薬を減らした方がいいと思います」
I「そうですか」
私「昼間の薬はもういらないんで(きっぱり)」
I「いらないですか?(驚いたように)」
私「はい。夜眠るときの薬だけ(下さい)」
I「わかりました。くれぐれも注意して下さいね」
私「はい」
I「一時期よりずいぶんよくなったのに・・・」
私「そうですね」
I「だんだん寒くなってきましたからね。そういうのも関係するのかな・・・」
私「はい(もうやる気なし)」
I「じゃ最近は昼間は・・・(どうされてますか)」
私「ひたすら横になっています」
I「外出もできない?」
私「はい。階段があるところが怖いんですよ。手足に力入らないんで。急な階段だと転げ落ちちゃうんですね」
I「お買い物とかはどうしてますか?」
私「まとめて買ってきたものがあるんで・・・」
I「ODのときは眠る薬をいっぺんにのんじゃう?」
私「いえ、昼間のお薬を一気に10錠くらいのんじゃいますね」
I「ああ、そうか・・・。かえって量を増やすとよくないんですね」
私「(ようやく気付いてくれたかという感じ)はい」
I「いや、薬を減らすのはえらいですよ。なかなかできることじゃありませんよ」
私「はあ、そうですか・・・」
I「今は例えていうと、台風が来ている感じなので、とにかく安静にして下さい」
私「じゃ、一過性のものなんですね?」
I「はい。なんとかしのいでいて下さい」
私「はい、わかりました」
だーかーらー!
ODやってるヤツにクスリ増やしてどうすんだっての!
ODやる私も悪いが、クスリをぽんぽん出す先生にも問題アリだぞ。
ようやく何のクスリを何錠のんでいるのか聞いてくれた。それに対するコメントはないぞ。私にクスリを出しすぎたことには言及しないのか?
いや、確かにODする私が悪い。悪いが、クスリさえ出せば問題はクリアになると先生は思っているのか?
思っているんだろう。今まで何年、何錠のクスリをのんできたことか。どれも何にも役には立たず、OD要員として山と積もっているクスリはどうしたらええんじゃっ! クスリをやめることはえらいことでも何でもない。ただ今までがクスリに依存していただけのことだ。
ちょっと救いだったのが、日ごろの買い物について先生が聞いてきたことだった。 そうです。買い物には困ってます。今日も病院の帰り、買いだめしておくかと思ったけど、アパートの階段を登るのが怖くて、必要最低限のものしか買えなかった。
灯油売りの車がアパートの前を通りかかった。購入したいが、一度登った階段をまだ下って登るのはかなり大変だ。腕をぶんぶん振り回して灯油売りに気付いてもらう。灯油カンを下持ってきて、といわれたのにろれつの回らない口で、足が不自由なこと、上まで登ってカンを持っていってほしいことを伝えた。灯油売りのあんちゃんはちょっとイヤな顔をした。
ごめんなさい!
本当に申し訳ない!
何度も頭をぺこぺこ下げた。3カン買った。やっとしばらくは灯油を買わなくてすみそうだ。
気付けばもう11月。私の大嫌いな、また調子が悪くなる季節が近づいてきた。
今年はこんな調子で乗り切れるんだろうか? 乗り切る前に転院だな。しかし適当だと思われる病院がまだみつからない。近くにでかい精神科があるので、そこに行ってみようか、でも午前中だけ受付なので、寝過ごす可能性もあり、いまだ悩んでいる。
そして二度と、もう二度とODしないと思う。手足がきかず、右方向へ右方向へ傾いてしまうからだ。普通に歩けるってことがどんなに素晴らしいことか、身をもって知った。
神様、もう二度とODしません!
あっこれこの間も祈ったな。
2004年11月15日(月)
今日もまた先生に「お名前は?」と聞かれた。心底イヤになった。この先生は患者に何の興味もないのだ。
最近ちょっとしたことでもイライラすることが多い。原因は?
お金がないからだ。ここのところファンヒーターやテレビがイカれて、新規購入に出費が重なった。つらい。年越せるのか?
お金がないと人間心も貧しくなる。
I「いかがですか?」
私「夜寝るときにですね、まだプチODっていうか、安定剤を2〜3錠のんで眠るような感じですね」
I「ま、ちょこっとはしょうがないですね」
私「気分的にも・・・最近ちょっとしたことでもイライラしちゃいます」
I「昼間の薬(安定剤)なしでやってるから仕方ないですよ。薬を減らしただけえらいと思いますよ」
私「そうですか・・・ちょっと困ったことがあったんですけど」
I「はい」
私「メール友達にやはり鬱で、アル中、リスカ、ODの三重苦のひとがいるんですね」
I「うわー」
私「で、メールでやりとりを結構してたんですけど、あまりにも私のメールの内容を読んでないんですね、向こうが。さすがにイヤんなっちゃって、このままじゃあなたとメールを続ける意味がないみたいなことを書いて送ったんです。そしたらなんか、『私を捨てるの? 見捨てるの!? 同じ鬱なのにどうして私を見捨てるの?』ってメールがバンバン来て・・・。もうなんていったらいいのか、依存されちゃってるんですね。以前母のときもそうだったんですけど、同じ鬱病だからわかってくれるみたいな・・・甘えみたいなものがあって、私の鬱をこじらせちゃうというか・・・。なんでこう依存してくるのかなぁと思うんですけど」
I「そういう人たちはそれに限らず、生涯ずっと誰かに何かに依存して生きてるんです。そうしないと自分自身が保てないんです」
私「それは私もやっぱりそうなんでしょうか?」
I「そうです。だからそういう方っていうのはきちっとつきあいを切った方がいいかと思います」
私「どんなになっちゃうんでしょうか、つきあい続けると」
I「相手があなたのことを支配しようとしてくるので、情状的にドロドロになっちゃいますよね」
私「はい」
I「気持ちの上で自分も傷つけられる、早いうつにおつきあいはやめた方がいいですね。お友達とお付き合いしていく上では、ご自分にもそういう(依存的な)部分があるということは、あたまの隅の少し置いておいて下さい」
私「はい、わかりました」
今回、鬱メル友とのイザコザで「依存されること」のしんどさがよくわかった。
「鬱の私を拾ってくれてのはあなたでしょ」「その私を捨てるんですか」
「自分がよくなったら他人のことは知らんぷり?」
「今私を捨てたら、あなた鬼ですよ」
・・等々。いい加減にしてくれよ! というメールが30本ほど来たのでウザくなって受信拒否した。
だいたい最初から彼女を救おうとか、そんな不遜な気持ちでメールを始めたのではない。知人のBBSを介して知り合い、同病相憐れむというかそんな感じでメール交換が始まった。
彼女には一度も会ったことがない。本名さえ知らない。
私は去る者は追わない。いつまでも執着して追いかけるのはみっともない。それだったら孤独を選ぶ。
彼氏と別れるときは、後を追わなくてすむように、いつもわざと修羅場に持ち込んで別れた。「別れても友達だよ」なんて別れ方はできない。ぐちゃぐちゃにして、もう顔向けもできなくして、後を追うことが自分でも哀れに思うような別れ方にしむけてきた。
私にも依存心はある。それは人一倍ある。自分でも感じる。だから依存を断ち切ろうと今努力している。
そのためにはやはり同病の人とつきあうのはよくないのかもしれない。
メル友の彼女には悪いが、私はつきあいを絶つことは何とも思わない。彼女がどのように生きようか、自殺しようが、もうどうでもいい。彼女にもどうか孤独に慣れてくれ、と言いたい。
これも引きこもりの一種なのかな。他人とのつきあいがどうでもいいと感じるのは。彼女とはちょっとディープに入り込んでしまった。もうこういうつきあいはやめたい。
2004年11月23日(火)。
M君からメールが来た。
M君とは4年ほど前、ある作家のファンサイトのチャットで知り合った。
当時東京の大学に通っていたM君は鬱になりかけていて、非常につらい日々を過ごしていたらしい。
相談を持ちかけられて、アドバイスというほどのことでもないが「学生だったら必ず学校にスクールカウンセラーがいるはずだから、まずはそこに相談してみたら?」と答えたら、早速彼は相談に行き、ちょっと気分が軽くなったそうだ。
その後、いろいろあり「ある作家」とは縁遠くなり、自然そこで知り合った友達ともそれっきりの状態が続いていた私に、M君は久しぶりにメールをくれた。「あのときは親身になって相談にのってくれてありがとう。今はおかげでなんとかやってます。あのときのお礼をぜひ言いたくてメールしました」と。
嬉しかった。私は何もしていないのに。
M君は大学卒業後、郷里に戻り公務員になっているそうだ。今でもまだ病気は完治していなく、病院通いは続けているという。
M君の主治医はどんな感じなのかな?
と思っていろいろ聞いてみた。
すると・・・。M君の返事を読んで、私は目ん玉が飛び出るくらいに驚いてしまった。
まずM君の主治医は投薬はするものの、期限を決めており(M君の場合は2年だそうだ)状態をみながら徐々にクスリを減らしていくという療法を取っているそうだ。それも彼にきちんと告知して。
さらにM君のご両親、そして職場にも、鬱病は気分的な問題ではないこと、れっきとした病気であることを説明し、周囲の理解も得られるように骨を折ってくれているそうだ。そのおかげでM君もだいぶ仕事がやりやすくなったそうだ。
そして極めつけは「何か変調があったらいつでも連絡してきて下さい」と言ってくれているという。M君もその言葉でだいぶ救われて今では安心して仕事を続けているとメールには綴られていた。
何ということ! こんなに親切な医者がいるの!? 私はホントにぶったまげた。
私の主治医は「いつでも連絡して下さい」なんて口が裂けても言わないだろう。何しろ患者の名前すら覚えてない医者だ。
その一言が鬱患者にはどんなに心強く思えるだろう。これが精神科医の本来あるべき姿なのか? ヤブ医者に当たってしまったため、「患者を思いやる精神科医」なんていないものだと私はすでに諦めていた。
M君はいい医者にかかって本当によかった。きっと病気も遠からず回復に向かうことだろう。それに比べて私は・・・。どんどん悪くなる一方だ。
病院、精神科医選びは本当に大切。そして難しい。いい医者を見つけるにはどうしたらいいんだろう? その術すら現在皆無と言っていいだろう。病院を5ツ星ランキングで評価している本も出回っているというけれど。
私はもう近々転院をしなければならない。今の先生に頼っていたらこの先どうなるかわからない。
でもどこの病院がいいか見極められない。どうしたらいいんだろう。ネットで検索をしたりしているが、今ひとつピンと来る病院がない。
今の病院を紹介してくれた横浜の病院に戻るか。そこは院長先生が診てくれて、院長先生だからといってえらぶることもなく、大変親切にやさしく診療してくれた。今かかっている私の病院はその横浜の院長先生の弟子だというけれど、患者の名前も覚えられない医師なんてもう信用できない。
私もグズグズしていないで、重い腰をあげるときが来たようだ。
2004年11月30日(火)。
最近健忘が激しい。
楽しみにしていたはずのBaby Booのライブもすっかり忘れていてチケットを無駄にした。
クスリが切れてるのに病院に行くのすら忘れていた。
しっかりしろ、自分!
と言いたくなる。ホント、ヘコむよ。
I「どうですか? 調子は」
私「気分は落ち着いてるんですけど、健忘はすごく激しいんですね。ライブに行く予定があったのにすっかり忘れていたりとか、昨日も病院に来る予定だったのにすっかり忘れてまして、薬ももうないってわかっていたのに・・・。そういうど忘れみたいのが結構激しいです」
I「それも一種の症状なんですね」
私「それは鬱の症状? 薬の副作用ではなくて?」
I「今出ている薬がちょっと強めなんで、それもあると思いますが、ただ(鬱の)症状はよくなってきていますからね」
私「そうですか」
I「そっか・・・。もう少しですよね。もうちょっとでもっとよくなると思います」
私「やっぱりちょっと眠れないんで・・・。貯めてある安定剤を足してのんじゃったりするんですけど・・・」
I「(苦笑)多少はしょうがないですよね。以前に比べるとかなり薬は軽くなってきてますから。これでなんとかやりくりしていってほしいですね」
私「はい」
I「もうちょっとじゃないかな・・・」
私「それでもオーバードーズはオーバードーズですよね」
I「まあ、そうですね」
私「まだ薬に依存してるなぁって」
I「そうですね・・・・うん」
私「断ち切るにはどうしたらいいですか?」
I「まずはこれから良くなっていきますからね。今はオーバードーズでも仕方ないです。良くなってきてから薬を減らしましょう」
私「良くなってるって根拠は、やっぱり薬が減っているっていうことですか?」
I「それもそうですし、あなたの状態を最近伺っているとだいぶ良くなったみたいですからね」
私「スポーツジムにでも通おうかと思ってるんですけど」
I「おお、そういう気持ちも出てきてるわけでしょ?」
私「はい」
I「昼間からだを動かすことは、睡眠そのものにもいい影響が出てきますからね。いいことだと思いますよ。この波が続くといいですね」
私「はい、わかりました」
うーん。何をもって私の状態がよくなってきてるか、説明が曖昧だ。
年明けにはついに転院することを決意した。近くの精神科の総合病院だ。総合病院だったら血液検査やら性格テストなどもやってくれるだろう。
だから今の先生はもうどうでもいい。何も聞く気にならん。クスリだけもらえればいいんじゃ。年明けに「転院します」と言ってやろう。「患者の名前も覚えてくれない医者には信頼がおけませんから」と最後に一発見舞わせてやれるか。気がちっちゃいからいえないかもしれないけど。
メル友Yさんから「子供のいない人に私の気持ちはわからない」という内容のメールが来た。正直、頭に血が昇った。産みたくても産めない人間がいるってことに考えが及ばないのか?
もうこいつの話など聞く気はないと強く思った。
ところが鬱友M君にこの話をメールしたら「その方は、今は視野が狭くて何も見えないからこんな風に言うんだなって、気楽な気持ちで考えてみてはいかがでしょうか? 葵さんが大変なのもわかりますが」というメールが来た。
心慰められた。
M君、すごいよ。キミの鬱病はもう治ってるよ。他人のことをこんなに心配できるなんて。
M君との友情が再開して本当によかった。とても心強い仲間ができたって感じがする。だからって依存しちゃダメなんだよね。その辺はわきまえるつもり。
鬱病、持ちつ持たれつ。Yさんとの友情にはヒビが入った気がしてたけど、大きな心で受け止めるか、という気になっている。
M君、ありがとう。
2005年03月18日
2004年10月の日記
2004年10月6日(水)。
まったく寒暖の差が激しくて、体調も壊しそう。
庭からキンモクセイの香りが漂ってくる。
いい香りに誘われて庭に降り何本か折って、家に飾った。家中がキンモクセイの香り。
花を飾るってことは、私の中に何か余裕ができてきたのかな?
私「こんにちは」
I「こんにちは。その後睡眠はどうですか?」
私「最初のうちは(薬を減らして)やっぱりダメだったんですね。それでODとかしてなんとか眠っている状態だったんですけど、ここんとこちょっと歩いてるんですね。1時間くらい。そしたらまあなんとなく眠れるようにはなりましたね」
I「ああ、そうですか・・・。やっぱりからだを動かすことが一番いいんですよね」
私「そうですね」
I「心なしかお顔の方の色もいいようですけど」
私「そうですね。少しやせたんですね」
I「あ、そうですか。運動のおかげですかね」
私「ヘルシア茶を飲んでいるんで(笑)」
I「(笑)ああ、なるほど」
私「気候がいいし、外にも出やすくなりましたし」
I「そうですね。今いい時期ですからね」
私「寒くなるとちょっと調子を崩すっていうか。昨日、おとといとちょっと寒かったじゃないですか。そうすると(気分が)ちょっと落ちてくるかな、って感じですね」
I「もうちょっとこう様子をみて、薬は減らす方向で行ってみましょう。今急激に減らして眠れなくなるのも困りますからね」
私「はい」
I「だいぶ(薬は)減りましたね」
私「はい・・・。あの実は今おつきあいしている人ができまして」
I「ほう、そうなんですか」
私「前の彼氏に『お前は依存心が強い』っていわれてふられちゃったんですね。どうしても父親の愛情を受けなかった、というのもあって、おつきあいするときもどうしていいかわからなくなっちゃうっていうのがあるんですね。自分でも気をつけてはいるんですが、どうしても愛情を求めちゃうっていう部分がありまして」
I「おつきあいされている男性はおいくつくらいですか?」
私「13歳年下なんです」
I「ほう。社会人ですか?」
私「大学院生です」
I「一般的に言えるのが、男性を父親として見てしまうということですよね」
私「私、つきあうの年下ばっかりなんです」
I「ほうううう」
私「ファザコンだとは思うんですけど」
I「それじゃ普通は逆ですよね」
私「そうなんです。そこがちょっと自分でも不思議なんですけど。先生だったらどう分析なさいますか?」
I「あはははは! そうですね・・・。自分が愛されたい、だから相手を愛したい、相手のために何かしてあげたい、というのが年下に向って向いていくのかもしれませんよね(ここらへんテープの感度の悪さで相当聴こえにくかったが、先生の言った要点はこんなこと)」
I先生が書いた本を紹介された。貸し出しはできないが、図書館でも借りて下さいと言っていた。買えといわないところがちょっと好感持てたか。
最近の私は彼氏ができたせいか、よく出歩くし、ヘルシア茶のおかげか少しやせてきたし、割と世の中ハッピーだ。
鬱友Yさんは毎晩のように飲みながらメールをしてきて「死にたい・・・消えたい・・・」といっているのに。私は申し訳ないけど、その「消えたい」という気持ちが全然理解できない。「死にたい」と思ったことはあるけれど。
年下ばかり好きになるのは、自分が愛されたい裏返し。坊やの面倒をみることで自己満足に浸っているんだろう。多分そうだ。でもその過度な面倒のみすぎが相手にうざったがられる。今までは常にそうだった。
元彼にいわれた「お前は依存心が強すぎる」という言葉は心の傷になってしまって消えない。ならばもう二度と同じ轍を踏まないよう、まずは相手の気持ちを考えてから行動に移そう。
恋をする乙女(!?)の胸中は揺れる。
最近は少量の眠剤で4〜5時間程度だが睡眠が摂れるようになってきた。このまま少しずつでも減らそう。
ODもあまりしていないので、今日は先生に「ODをし続ける患者についてどう感じますか?」という質問ができなかった。またOD地獄に陥ったときに聞いてみよう(あんまりODはしたくないけど)。
彼とは2004年9月にいわゆる出会い系で知り合った。ピアノとサックスと弓道が趣味、23歳の大学院生と聞いて、興味を持った。私も昔弓道をさわりだけちょっとやってたことがあったから。共通の話題ができるな、と思った。何度かメール交わしたり、チャットしたりした。久しぶりに若い男の子としゃべるのは楽しいなぁと思った(私、オヤジ化してる)
ある日「ウチのビデオ壊れちゃってさ。配線難しくてテレビが今みえないのよ」という話から彼が私の家に来ることになって、そのままお泊りしていった。それで何となくつきあうようになった。
彼氏とはそういう安易な出会い。
彼は背が低い。身長153センチの私と目線がほとんど一緒だ。それでもバスケをしていたという。身長が低くてもできるポジション、ガードだったそうだ。
目が大きくて、まつげが長い。誰に似ているっていうのはないけど、割と整った顔立ちだ。
彼氏にこの通院日記をみせてみた。「面白い」と言ってくれた。
「私があなたにしてあげられることって何?」と聞いたら「ちゃんと眠ること。アホな精神科医にかかるのはやめて、まともな病院にかかること」と言われて、涙が滲んだ。
今日の日記はのろけになってしまった。わはは。
それにしても、録音状態が悪いので、先生の声がほとんど拾えない。もともとボソボソとしゃべる人なのでなおさらだ。錆びきった脳みそで、必死に先生の言ったことを覚えて帰ってくる。
2004年10月11日(月)。
一週間ほど前にODした。
レキソタン5mg×20錠、ルジミオール25mg×40錠くらいのんだ。
いつもより多少多めにのんだものの、なかなか眠れず安定剤を少しずつのんでいった。
何回目かのODでやっと眠りについた。
とにかくもう、何も考えたくなかった。
彼氏には「あなたとつきあっていてもプラスにならないから」とメール1本で別れを一方的に押し付けられ、どういう意味なのか聞くこともなく(怖くて聞けなかった)寝逃げしちゃお〜っと! と安易にODに走った。
夢はみなかった。ただやたらうめき声は出していたように思う。家族の迷惑になる・・・と思ったが、私はひとり暮らしだった。
それがひとり暮らしの女がODをやるっていうことだ。
なぜこんなところで家族を気遣うような考えを持ったんだろう。
気付いたら腰がものすごく痛かった。手足は麻痺し、起き上がるのに30分くらいかかった。
ベッドから転げ落ち、トイレまで這いずっていく。その度に手に力が入らないから、転ぶ。その様はまさしくヘビ女だっただろう。
2時間かけてトイレに辿りついた。いつもなら3秒なのに。
用を足しながら考えた。私の手足は一生このままなんだろうか?
それはイヤだ。どうしよう。誰にも言えない。ODした私が悪いんだから。
立ち上がると頭がふらつき思いっきり転ぶ。
尾骶骨をしたたかに打った。顔から落ちて、メガネが壊れた。もう制御不能。やっとのことで寝床についた。
それからしばらく眠った。起きたときは翌日の昼間だった。相変わらず手足は不自由だ。
携帯でメールを打っても、携帯を買い換えたこともあって、うまく打てない。意味不明のメールを友達に送ってしまった。
次の日。やっと手足は動くようになった。それでも柱や家具につかまりながらの歩行。まだまだ普通に歩けない。いつになったらこの震えが止まるんだろう?
もうとほほだった。
神様、ODなんてもうやりません!
こんなに苦しいとは思わなかったです! お願い助けて!
5日目、家の中は自由に歩けるようになったけど、アパートの階段の上り下りが自信ない。それでもゴミを捨てないとならないので、おそるおそる階段を降りた。最後の段差のところでつまづいて、前のめりに倒れて右側頭葉、右肩をまともにコンクリートにぶつけてしまった。
あまりの痛みに泣いた。しかし泣いてても始まらないので、頭を打ったから、とりあえず救急車を呼んだ。
いつ死んでもいいなんて思っていたけど、実際死にそうな場面に出くわすと、やっぱり自分のからだが大切だと思う。いとおしく思う。
病院ではレントゲンを撮った後、約2時間放置状態。私は頭打ったのに、他のとても健康的な人々のところへ先生や看護士さんがいれかわり立ちかわり来る。
2時間待った後、あまりにも対応がずさんなので、首をコルセットで固定されていたが、顔をやや上げ、必死で「すいませ〜ん、すいませ〜ん」と先生を呼んだ。
やっと来てくれた先生は、レントゲン写真をみて、「骨折はしてません。ただ打撲がひどいので、今晩はすごく痛むかも知れません。痛み止めのクスリと湿布を処方します」とのこと。2時間待たされてこれだけの結果か!
帰り道はタクシーで帰る。運転手が道を間違えて大幅に回り道をしてしまう。崖くずれがあったらしい。
運転手は知ってて、わざとこの道を選んだのだ。まったくもってイヤになる。
「知っていたら最初からいいなさいよ! え? 聞いてんの? 運転手さん!」
と毒づく。よっぽどメーター倒せといいたかったが、黙っていた。
ただもう疲れきっていた。もうODなんてしない!
絶対にしない!
次の日はケンタッキーフライドチキンで急な階段を昇って、持っていたトレイから飲み物を落としてしまった。もう階段がこわい。自転車もフラフラして乗れなかった。
もうODしてから1週間くらいたつのに。
口のもつれもひどい。「かきくけこ」がまともに言えない。「かっくきっけ」となってしまう。
ホントにもう辞めます、ODは。二度とやりません。だから許して下さい、神様。私を健康体に戻して下さい。
2004年10月20日(水)。
台風が近づいてきていて、朝からイヤな天気だ。空は黒い雲に覆われている。こんな日は病院にも行きたくない。ただでさえ、ここのところ落ち込み感が続いているのに。先生を前にして何をしゃべったらいいのかわからない。
それでもからだにムチ打って、病院へやってきた。
私「こんにちは」
I「あの・・・失礼ですが、お名前は・・・?」
私「(大きく脱力)Aです」
I「失礼しました(カルテを持ってくる)調子はどうですか?」
私「ものすごーく悪いです。毎日ODしてます」
I「ODって?」
私「(かなり驚いて)オーバードーズのことです」
I「ああ! じゃ、薬が必要になっちゃってる状況なんですね」
私「そうですね」
I「何のためにオーバードーズしてるんですか?」
私「眠るためです。何にも考えたくない」
I「ああ・・・。じゃ、昼間の薬をもっとこう・・・強くしましょうか?」
私「(かなりあきれて)そういうので解決になるのかなぁ・・・っていうのがありますけど」
I「それはどういう意味で?」
私「そもそも・・・薬を変えるとかそういう以前に・・・なんていうのかなぁ・・・取り除いておかなければならないものがあるように思うんですが」
I「それはこの前に書いたものをみせていただいたように、お母様に対する怒りをですね、外に発散しなければならないと思うんですよ」
私「はい。ただ今はうまく言葉に出せないんで・・・」
I「なんとか薬で調子をあげてですね、ご自分がラクなとき、また文章にして持ってきていただけたらな、と思ってるんですよ」
私「はい・・・」
I「じゃ、薬はいじらないでいいですか?」
私「はい・・・」
I「なんとかこの方向で、継続してやるようにしましょうよ」
私「はい、わかりました」
I「お母様から連絡は?」
私「全然ありません」
I「そうですか」
なんなんだ!
このずさんすぎる診療は!
私が何年この病院に通っていると思ってるんだ!
患者の顔と名前くらい覚えろや!
名前を聞かれたときには情けないのを通り越して悲しくなってきていた。
それに何?
医者のくせしてODの意味すら知らないのか?
無知にも程がある。私は悲しいの通り越してもはや笑いたくなってきたよ。
こんな先生じゃダメだ・・・。治るものも治らない。もっとひどくされてしまう。 私がなぜODするのかに深く言及せず、すぐに新しいクスリを出そうとするのには、本当に絶句した。なんとかこの気持ちを言葉に出せないか、と考え「クスリがどうこう以前に、取り除かないとならないものがある」と切り出したら、まただよ、母とのことを書いてこいって!
私は今や母のことなんてどーでもいい。今ある苦しみは彼氏にあっという間にふられたこと、その喪失感、焦燥感ははかりしれないものがある。
もう先生にはそんな話をする気にもなれなかった。
ODって何?
と聞かれたときには、もう呆れてしまい、ODをやらかした後、階段から転げ落ちて頭打って病院に運ばれた、という話も話すつもりだったのに、すっかり忘れていた。
帰り、市役所により「転院したいんですけど、どうしたらいいんでしょう?」と生活福祉課の担当者に尋ねたら「それはあらかじめこっちに言ってもらわないとね。診療券っていうのを病院に渡すからね」と木で鼻をくくったような返事が来た。だからイヤなんだ、この担当は。
「ですから・・・どの病院がいいか、私じゃもうわからなくて、Tさん(福祉担当)だったらどこかいい病院ご存知ないかと思いまして・・・」というと「普通の病気じゃないからね、どこがいいかなんて私にはわからないよ」との返事。
そうですか、鬱病は「普通の病気」とは違うんですね。「普通の病気」だったらいい病院紹介してくれるんでしょうか?
そもそも「普通の病気」ってどんな病気のことでしょうか?
吹き付ける風雨の中、ひざ下までびっしょりになりながら、歩いて帰ってきた。たかが歩いて病院と市役所に行っただけなのに、泥のように疲れていた。もうODして寝てしまえ。
帰ってから安定剤を20錠くらいのんで寝た。
2005年03月17日
2004年9月の日記
2004年9月7日(火)。
ここ一週間くらい、眠れない日々が続いている。
規定量の眠剤だけではとうてい眠れない。一日おきの睡眠を取っても、なかなか眠りに入れない。規定量の眠剤にプラス安定剤を5錠ほどのむ。耐性がついてしまうから、それ以上はのめない。それでなんとか眠りを取っている。
今日は朝方になってやっと睡魔が訪れてくれた。うとうとしていると、ドアをガンガンノックされた。
やっと眠りについたのに。誰?
こんな朝早く。といっても9時過ぎてはいただろう。歓迎しない訪問者は市役所の生活福祉課の職員だったからだ。奇襲にあったのだ。
「おはようございま〜す。いやぁ、お隣に用事があったんだけどね、どうしてるかと思って顔のぞきにきました・・・」
みなまで言わせず「さっきやっと眠りについたとこなんですよね。眠らせて下さい」そう言ってドアをバタンと閉じた。これ以上起きていたら、せっかく訪れた睡魔が逃げていってしまう。睡魔を逃がさないためには必死だった。
職員からみれば「税金も払わず、市からお金もらってる身分で朝寝かよ。いい気なもんだぜ、まったく」といった感じだっただろう。
健常者に、不眠を訴えても同情はしてもらえない。
まだ病気になる前、やりたいことがいっぱいあった頃、眠っている間の時間をどんなにもったいなく感じたか。「いっそ不眠になって、睡眠時間を読書やビデオ鑑賞に明け暮れたい」本気でそう思っていた。
眠れないことがどんなにつらいか。静まり返った暗闇の中、何度も寝返りを打ち、この世の中にたったひとりで放り出されたような果てしない孤独感と戦うことがどんなにつらいことか。健康な人には思いも及ばないことだろう。かつての私がそうだったように。
「眠れないのならずっと起きてろ。そのうちイヤでも眠くなるから」
私にそう言った人もいた。その頃はまだ水商売の仕事をしていたときだ。客の顔色を伺い、何かとささいなことにも気を使わなければならないこの仕事、睡眠不足のぼーっとした頭でこなせるわけがない。ただでさえお酒が入るのだ。思考が鈍って何か失敗するかもしれない。
限界まで起きていたことも何度もあったけど、その後に訪れる睡眠はとても浅い。いや、睡眠とは言えない。半覚半醒といっていいだろう。「うつらうつら」といった状態だ。ちょっとでも物音がたつと、目はぱっちり覚める。その目覚めの悪いこと。頭には霞がかかり、全身がだるい。クスリをのんででもしっかり睡眠を取りたいと、泣きたくなりながらも思う。
「クスリなんかのむな。酒飲んでりゃ眠くなる」
そういった人もいた。悪いけど私は、酒めちゃくちゃ強いんだよ。酒の力で眠るにはボトル1本が必要だ。水商売も辞めた今、その酒代、誰が出してくれるわけ?
それにアル中になってしかも肝臓壊したら、誰が私の面倒みてくれるの?
最近の睡眠時間はバラバラだ。なるべく昼間は起きていて、夜は眠りたいと思っても、ODしてしまうと昼間になってもなかなか起きられない。
時折、隣のおばちゃんのしつこいノックで起こされることがある。たいていおかずの残り物を持って来てくれるのでありがたいのだが、「あんたは昼間でも眠ってるから、当てにならないったらありゃしない」という心無い言葉もしょっちゅう吐かれる。
好きで昼間寝てるんじゃないんです、私だって人並みの時間に睡眠取りたいんです・・・。憤っても言葉にできない。お隣との友好関係をブチ壊したくないし、眠れない私が悪いのかな・・・と自分を責めてしまう。
不眠は、普通に眠くなる人には、考えもつかない苦しみだ。私にああだこうだ言ってくるヤツに対して、お前も不眠の苦しみを一度味わってみろ!
と言いたくなる。ちょっとだけでも理解してもらいたい。
救いだったのは、友人が一時的な不眠になったとき「眠れないってことが、どんなにつらいかよーくわかったよ・・・」と言ってくれたことだった。
健常者のみなさん。不眠は苦しいものなんです。昼間寝ていても仕方ないと思って下さい。仕事しているわけじゃなし、誰にも迷惑かけてません。ゆっくり眠らせて下さい。お願いしますよ、ホント。
2004年9月8日(水)。
風が強い。ボロアパートのトタンがバタンバタン音を立てる。台風の余波なのかな?
今夜はサッカー、インド戦だ。今日はそれが楽しみでウキウキしている。
アジアNo.1、スーパーグレイトゴールキーパー川口能活さんがどれだけ守護神ぶりを見せてくれるか楽しみ、楽しみ〜。
私「こんにちは」
I「こんにちは(日記は)書かれましたか?」
私「あっ、いえ、今日は書いてこなかったんですけど」
I「あんまり根詰めると苦しくなってしまますから、自由に書けるときだけ書いて、それで吐き出すっていうくらいのペースがいいですね」
私「はい」
I「調子の上がり下がりというのはありましたか?」
私「眠れないんですよね・・・」
I「ああ、そうですか」
私「1日おきに睡眠をとっても、やっぱりダメなんですよ。それで、精神安定剤をちょっと多めにのんで、それで寝付くっていう感じなんですけど」
I「うーん」
私「結構昼間まで寝ちゃったりするんですよね、そうすると」
I「ああ」
私「それで隣に住んでいる方から『アンタは昼間寝てるからアテにならない』みたいなこといわれちゃうんですよね。不眠の人間っていうのは苦しさをなかなか他人にわかってもらえないんだなぁというか・・・」
I「そうなんですよねー」
私「それが今のところ悩みですね」
I「せっかく薬減らしてますからね・・・」
私「そうなんです。増やしたくはないんですね」
I「(カルテをみて)このぐらいの量でなんとか維持していきたいんですけどね・・・。薬の方は変わらない(量)でいいですか?」
私「はい」
(I処方箋を書いている)
私「どうすれば眠くなるんでしょうね?」
I「(大苦笑)1日おきには眠くなりますか?」
私「いえ、ぼーっとはしてくるんですが、決定的には眠れないんですね」
I「なるほど。もしかして昔からですか?」
私「いや、昔から眠りが浅いといえば浅い方だったんですけど、普通に眠れてましたし」
I「ああ。一般的に言われることが、昼寝をしない、それからだいたい眠る時間を自分で決めていただいて、その時間になったらとにかくお布団に入る、そして寝る直前はあんまりこう刺激になるようなことをしない、眠れなくても起き出してきて、本を読んだりテレビをみたりしない、まあ、やってらっしゃると思うんですけどね、それが一般的なことですね」
私「はい」
I「そうか・・・。今晩眠れないとすると、明日の晩はなんとか?」
私「そうですね、今日は眠らずに明日の夜眠ろうと思ってるんですけど。やっぱり昼夜逆転っていうのは、体力的にもしんどいものがありますし、昼間支払いとかであちこち行かなきゃならないし、やっぱり昼間起きていたいんですよね」
I「昼寝はあまりなさらないですか?」
私「昼寝自体ないですね。夜寝たらずーっと」
I「そうか、なるほど。朝寝ですね。そのままお昼くらいまでずっと寝てしまうと」
私「はい、そうですね。自然に眠くなるってことがないですから」
I「そうですか・・・。そうか・・・。状態そのものは上向いてますので、睡眠の問題もいずれ改善されてくると思うんですね」
私「その根拠はどういうところから?」
I「鬱そのものの状態がよくなってきているわけなんですよね。不眠は鬱から来るものですから、そうすると睡眠そのものも改善されてくるんです。だからこれから期待できると思うんですよね」
私「じゃ、自然に不眠がなくなってくると?」
I「鬱がよくなるに従って、睡眠も改善できると思います」
私「はい」
I「最初の頃は、もっと少ない量で眠れていましたものね」
私「はい」
I「調子の悪いときに(薬を)増やしちゃうと、後で減らしにくくなっちゃうんですよね」
私「はい。まだ(薬は)多い方ですか?」
I「多いです!」
私・I「あはははは〜」(と二人で能天気に笑っている)
私「だいぶ減ったと思ったんですけど・・・」
I「そうですね、それは事実だと思いますけれど・・・」
私「薬のんで寝ようとしても、結局眠れなくて朝になっちゃって、ああ、薬がもったいなかったなぁ・・・と思うんですけど」
I「それだったら、まあ極端な話、今日は眠れないと思ったらもう薬はのまない。それで次の日、自然な眠気にまかせる。薬そのものから抜け出していくきっかけになっていくと思うんですが」
私「はい」
I「今、生活そのものは落ち着いてますものね」
私「はい。だいぶ落ち着きました」
I「かなり気分も安定されていると思いますが」
私「はい」
I「薬はこのままでなんとかやっていって下さい」
私「はい、わかりました。ありがとうございました」
正直な話、精神安定剤をのまなくてもなんともないし(のんだところで何も変わらなかったが)私の鬱は治っている。自分でそう言い切れる。「鬱がよくなるにつれ、不眠も治ってくる」っていうけれど、不眠ばっかりはどうしても治らない。だから苦しんでいるのだ。
運動不足もあるだろう。もともとからだ動かすのが好きじゃないから、家の中でもストレッチくらいできるのに、何もしていない(だから1年で10キロ太った)。
「運動もされたらどうですか?」という言葉は、ついぞ聞かれない。どうしてこういう根本的なこと言わないのかなぁ?
運動不足は自分でも痛感している。駅まで自転車でおよそ7〜8分、それだけの距離を動くのも億劫に感じる。緩い坂があったり、歩道が狭かったりして、運転するのに少なからずストレスを感じる。もう少し涼しくなったら、歩いてみるか。歩けば駅まで20分だ。いい運動になるだろう。自然な眠りが訪れることを祈りつつ。頑張ろう。
2004年9月21日(火)。
突然電話が来て、私を中学時代から知る喫茶店のマスター(多分50代前半)と飲むことになった。
そんな子供の頃から私を知っているひとなんて、このマスターしか今やまわりにおら
んわ。
ウチからクルマで15分くらいのマスターがオーナーの紅茶専門店にやって来た。
この店は夜ショットバーになる、アンティーク調のインテリアが素敵な店だ。
私が中学時代はゼミの集中講座とかでよくその店のあたりを歩いてた。
友人が「おいしい紅茶の店があるんだよ」と教えてくれてからはや20年近くなる。
いやはや、二日酔いの上に眠い。昨夜飲み明かして寝ていない。
私「こんにちは」
I「こんにちは。調子はいかがですか?」
私「そうですね・・・。悪くはないんですけど、睡眠を1日おきにとるようになって、だいぶ眠れるようになったんですが、昨日ちょっとお酒を飲む機会がありまして、結構・・・いや、そんなに飲んではいないんですけど、その後薬をのんだら全然眠れなくって」
I「ああ・・・」
私「徹夜明けでぼーっとしてるんですけど」
I「強い薬をのんでますからね、これにお酒が加わると思わぬ弊害が出てくることもあります。十分気をつけて下さい」
私「はい」
I「1日おきの睡眠でなんとか眠れるようには?」
私「はい。なりましたね」
I「全体的には(調子は)上向いてますね」
私「あの、薬を減らしているのにも関わらず、舌のもつれがたまにあるんですね」
I「ああ・・・そうですか・・・。薬減らしましょうか?」
私「そう・・・ですね」
I「強い薬出ていますからね・・・。ここらへんで少し減らしていくっていうのはどうでしょうか?」
私「あのー、今、睡眠導入剤っていうのは何が出てるんでしょうか?」
I「ロヒプノール、アモバン、ハルシオンと3種類出てますね」
私「ちょっと寝つきがあまりよくないんで、導入剤を多めで、普通の睡眠剤を少なくするっていう形にはできますか?」
I「舌がもつれる時間帯っていうのは特にありますか?」
私「いえ、特に時間帯というのはないです」
I「昼間の薬は特に問題ないと思うんですが・・・。ハルシオンを1錠増やしてみますか?」
私「ハルシオンっていうのは・・・。かなり副作用があるように聞いているんですが、大丈夫ですか?」
I「確かに副作用といいますか、依存性はあります。その代わりキリッと効くんですよね」
私「はあ、そうですか・・・。じゃ一応それでやってみます。それで不都合が出るようだったらまた変えていただくということで」
I「わかりました」
不毛だ。あまりに不毛な会話だ。私は薬剤師と話してるんじゃない。れっきとした精神科医にかかっているのだ。お金を出して(まぁ、国の援助だけど)。
カウンセリングのカの字もない。どういうことだ、これは。適当にクスリ調合するのが精神科医の仕事なのか?
違うだろ、おい!
ふつか酔いで全然寝ていない、頭が働かず、先生のいいなりになってしまう自分も情けない。どうしてもう少し脳みそが働かないんだろう。丁々発止と先生とやりあえないんだろう。以前の私だったらもう少ししゃべれた。今はまったく言葉が出てこない。水商売をやっていてしゃべり倒していた時期だってあったのに。
カンタンに「ハルシオン増やしましょう」といわれたときは、マジ、一瞬先生に対して殺意を覚えた。首絞めたろか、おのれは!
と思った。副作用がこわいとおずおずと切り出すと「依存性がある」と説明されただけに終わった。ハルシオンは怖いんだよ。記憶吹っ飛ぶんだよ。前にハルシオンで意識ぶっ飛んだときにタバコ吸って、燃えさしを畳の上に転がして、危うく火事になるところだったんだよ!
先生、アンタ、クスリの能書きたれてるけど、自分のからだで実験したことないだろ?
製薬会社の言うなりになってるだろ?
私にハルシオン山と出して、製薬会社からいくらもらってる?
首絞めてやって、そう聞きたかった。
昼間の安定剤も、夜のハルシオンものまない。私は私の持つ力でクスリを減らしていく。1日おきの睡眠を摂ることで、こつこつと実現させている。
しかしきっかり1日おきというわけではなくて、起きて15時間くらいたつとやや眠くなってくる。15時間起きていて15時間眠る。その繰り返しで睡眠時間はめちゃくちゃになっている。
夜眠ろうと心がけてはいる。昼間眠くなっても我慢する。いくら眠くても、せめて夕方のニュースを観てから眠るように心がけている。
2005年03月16日
2004年8月の日記
2004年8月13日(金)
いよいよ明日はアテネオリンピックが開催される。
卓球の福原愛選手を追いかけたドキュメンタリー番組をぼんやり観ていた。
まだちっちゃな頃の愛ちゃんが、相手にスマッシュを決められるたびに、泣いてお母さんの元にやって来るシーンはテレビCM等でもおなじみの風景だけど、愛ちゃんのお母さんが「愛ちゃんの方が(相手選手より)ぜーんぶ上! ぜーんぶ上!」と励ましているシーンに不覚にも涙が滲み出てしまった。
私には今まで誰にも、自分自身をこれほどまでに全肯定されたことなんてなかった。
唯一の肉親である両親にも、こんなやさしい言葉をかけられることなんてなかった。
例え、テストで100点を取ろうとも、他に100点取ったコがいればさらに120点を要求してくるような無茶苦茶な親だった。
頑張っても頑張っても、ほめられることなんてなかった。
それだけやれて当然、もっともっと上を目指せるはず、という親の期待に、私は完全に萎縮させられていた。
中学1年生の頃、1学年300人近くいた生徒の中で、私は初めての中間テストで14番の成績だった。精一杯やった結果だった。比較的苦手な数学でも100点を取った。
しかし母は許さなかった。ベストテンに入れなかったというだけで、楽しみにしていたサッカーの試合を観に行くことを禁じられた。
幼い頃の私を、どうしてありのまま受け止めてくれなかったのだろう。楽しみにしていたサッカーの試合、黙って出かけてもよかったが、帰ってきたら母のヒステリックのわめき声と鉄拳が待っているのは目に見えている。
私はとても母が怖かった。少しでも母の逆鱗に触れると容赦なく鉄拳が飛んでくる。素手ならまだいい。母は自分の手が痛むのを嫌い、ふとんたたき、はたきの柄、掃除機のホースなどで私を殴った。
今現在、年老いた母は、自分が私に対してどんな仕打ちをしたか、すべて忘れてしまっている。忘れているというか、鉄拳を振るっている最中は、母も極度のヒステリック状態に陥ってるので、自分が何をしているのかわからなかったんだろう。
私は母に認められたかった。だから無理に無理を重ねて頑張った。テストの直前は覚えなければならないことが山ほどあって、「もうこれ以上頑張れないよ!」と泣き出したこともあった。
そのとき母が「よく頑張ったね」のひとことでも言ってくれれば、今の私はもう少し違っていたかもしれない。
私はまだまだ母を許せそうにない。
2004年8月25日(水)。
ここ数日、うだるような暑さがなりをひそめ始めた。
そろそろ秋の気配?
夏が過ぎていくのがちょっと淋しくもある。
今日の診療には8月13日に書いた日記をプリントアウトして先生にみてもらった。
私「おはようございます」
I「おはようございます・・・(私の持っている用紙に目を止めて)書類ですか?」
私「はい、あの、母のことをちょっと書いてみたんです。先生にみていただけたらと思って」
I「嬉しいです。これはいただいてよろしいんですか?」
私「いや、その、返していただきたいんですが・・・」
I「わかりました。その前にお薬を(と処方箋に書き入れる)」
私「はい」
I「お薬はいつもので大丈夫ですか?」
私「はい、大丈夫です」
I「調子よさそうじゃないですか?」
私「はい、ただ、昨日だけちょっと眠れなくて。今まで比較的よく眠れて、夜眠くなって朝起きるという感じだったんですけど」
I「何かありましたか?」
私「いや、特にないんですけど」
I「夜テレビとか観てますか?」
私「あはは、そういえば観てますね」
I「(原稿用紙にして3枚ほどの日記を読んでいる。ときどき深くうなずきながら)・・・大変だったんですねぇ・・・。読んでてわかります」
私「はい」
I「お母さんは小さい頃のあなたを、あなたの言葉を借りれば、全肯定しなかったっていうことが、あなたにとって苦しかったことなんですね」
私「はい」
I「それに対して、あなたが反発すれば暴力が待っている、その結果、あなたはお母さんの顔色をうかがって脅えながら暮らす、という幼少期だったんでしょうかね」
私「はい」
I「お父さんとの夫婦仲はどうでしたか?」
私「悪かったです。父は子供のことには一切無関心な人でして」
I「子育てに関しては口を出さない?」
私「そうですね、はい」
I「あなたがお母さんに怒られているときかばってくれたりしたことは?」
私「それもなかったですね。父はうるせぇ! って怒鳴るくらいでしたね」
I「ああ、そうですか・・・。お父さんとお母さんの力関係っていうのは、どういう具合でした?」
私「そうですね・・・。まあ母がほとんど引っ張っていたっていう感じですね。父はもう言うがまま、なすがままという感じだったんですけれども」
I「ほう」
私「父はほとんど毎日お酒飲んでいたんですけど、たまに暴れたりしてましたね」
I「じゃ、うちの中の一番の権力者はお母さんだったというわけですね」
私「そうですね」
I「お父さんもどっちかっていうと、お母さんに仕切られている?」
私「はい」
I「お母さんは専業主婦?」
私「そうですね、私が幼いときは専業主婦でしたが、ある程度大きくなってからはパートにも出ていました」
I「お母さん自身の生育ってどんな感じだったか、聞いたことはありますか?」
私「それがわかんないんですね・・・。その、(母は)すごい兄弟数だったんですね。話を聞く限りでは、兄弟間のイザコザはあったらしいんですけど、母とその両親の間には、特別なことはなかったらしいんです」
I「ご自分の小さい頃のことは話されたりしてましたか?」
私「母ですか? そうですね、まあちょこちょことしてましたけど・・・」
I「おじいちゃんやおばあちゃんはこんな人だったんだよ、とか・・・」
私「ああ、それは聞いたことないですね」
I「私は小さい頃こんな子だったのよ、とか」
私「母が両親について話したことは、聞いたことがないです」
I「お母さんは学校の成績に何かすごくこだわりを持ってますよね?」
私「あー、私、頭よかったんですよ、子供のとき(笑)」
I「そうですよね、これみるとね、すごい成績ですもんね」
私「そうですね・・・。これでも私、不甲斐ないと思うんですけど(笑)あのー、もう3歳くらいのときから読み書きできたんですよね。それがひらがなの、どうしても書けない文字が4つくらいあって、殴られながら覚えさせられたんですよ。それも3つか4つのときに。その点弟は放任主義で、小学校に入るまで、自分の名前しか書けなかったんですよね」
I「その差っていうのは何だったんですかねぇ?」
私「何だったんだろう・・・。私が小さい頃からそういう能力を発揮しちゃったのがいけなかったというか」
I「失礼ですがお母さんの最終学歴は?」
私「高卒です」
I「お母さんがそういう学歴とかにこだわりがあったんでしょうかね?」
私「まあ進学校といわれる高校を出てまして、その当時だから女は大学に行けなかったなんていってましたが」
I「とにかく、成績に対する異常なまでのこだわりっていうのが見えますよね。これだけのいい点数取っていれば、普通ならあっぱれ! って喜ぶべきところなんですけどねぇ」
私「一番にならなきゃ気がすまなかったみたいですね」
I「たまらないですよね・・・。そうすると、かなり小さい頃からお母さんはマンツーマンで教育をなさってたと?」
私「そうですね・・・。小さい頃からよく図書館には連れていかれました。それと・・・やっぱり叩かれながら字を覚えさせられたりとか」
I「学校に上がられてからはどうなんですか?」
私「まあ塾に行けと言われたことはないんですね。塾に行かなくてもそこそこ成績はよかったんで。小学校の頃はクラスで1〜2番でしたし。そのときは何もいわれませんでした」
I「習い事とかはどうだったんですか?」
私「ピアノをちょっとやらされてましたね。私が嫌がって辞めたんですけど。その後は弟とサッカーのクラブに入ってました」
I「(笑)しかしピアノを習うとなるとご自宅にピアノがないと」
私「そうなんです。ピアノは買えなくてオルガンでした」
I「そうですか。じゃ、あんまり習い事には熱心ではなかったんですね?」
私「そうですね」
I「むしろ学校の成績ですか」
私「はあ・・・。中学に入った頃から締め付けがいっそう厳しくなったというか・・・。やっぱり成績のことですね」
I「勉強やれ、勉強やれとか?」
私「はい」
I「中学に入るといろんなところから生徒が集まってきますから。そうそう簡単には成績も上がらないですよね」
私「はい」
I「お母さん自身に学歴コンプレックスというのはあったんでしょうかね?」
私「それはあると思います・・・。高校を卒業して、東京の方の会社にずっと勤めていたようなんですけど、そこでとても可愛がられていたらしいんですね。結婚をするんで、やむなく辞めたと、ちらっと聞いたことはあるんですけど。で、父の学歴が中卒なんですね。子供の頃から漠然とそうじゃないかなぁ・・・と思ってたんですけど、母ははっきりとは言いませんでしたね」
I「これだけ学歴にこだわるお母さんが、よくご自分より下の学歴の方と結婚することに同意したんですかね?」
私「それがわかんないんですよねぇ」
I「恋愛ですか?」
私「いえ、お見合いです」
I「それじゃますます納得いかないですね」
私「そうですね。母が言うには、母は十人兄弟の末っ子の方だったんですが、母の実家が大工なんですね。それで長男次男が家を継がずに大学へ行ったと。三男が家を継いだんです。その三男が『俺が家を継いでやったんだ』という感じだったそうで、下の方にも威張り散らしてたそうなんですよ。それに三男にお嫁さんも来て、小姑である母は実家にいづらくなったということは言ってましたね」
I「ご結婚は早い方だったんですか?」
私「いえ、遅かったと思います。27かそこらへん」
I「それは当時としては遅い方かもしれませんね」
私「そうですね。あの、何ていうかなぁ・・・。なんでもまわりのせいにするっていうか、他人のせいにするっていうか、私の友達のお母さんなんかでも、田舎から出てきて会社の寮に入ってひとり暮らしをしながら仕事を続けていたって話を聞くんですよね。でも母は当時女がひとりで家を出ることなんて出来なかった、ひとり暮らしなんかとんでもなかったっていうんです。やろうと思えば、私は出来たと思うんですね」
I「そうですよね」
私「すごくまわりの環境のせいにしているっていうか」
I「それじゃ、自分の果たせなかった希望をあなたに託すって感じですか?」
私「ああ、そうかもしれないですね」
I「あなたの人生ですのにね」
私「はい。弟は虐待はなかったって言うんです。弟はこんな目にあってないんです」
I「弟さんは叩かれたりしなかった?」
私「いえ、同じように叩かれてます。子供の頃に、もう鮮烈に印象に残っているのが、母がかんしゃくを起こして、弟の足を縛り上げて、手の甲にマッチの燃えさしを押し付けたんです。それ、私、鮮烈に覚えているんです。それをこの前母と会ったときに話したら、『そんなことしてない、覚えてない』っていうんです。弟も覚えてないんです。私はそのときの記憶がものすごくこびりついていて・・・」
I「じゃあ、弟さんも覚えてはいないけれど、虐待にはあっていますね」
私「はい。ただ精神的な圧迫は弟はなかったですね」
I「ああ、なるほどね。その都度のお母さんの感情によって、振り回されるわけですか」
私「ええ、そうですね。母はどっちかっていうと弟の方が可愛いみたいなことはいってましたから」
I「あなたに言ったんですか?」
私「言いましたね」
I「あなたはその中でよく自分を守って・・・やってきましたね」
私「守りきれなかったと思います。こんな病気になっちゃって」
I「やっぱり小さいですからね、守りきれないんですよ」
私「どこにもやっぱり行くところがなかったし、聞いてくれる人もいなかったし」
I「逃げ場がないですよね」
私「なかったです」
I「家出なんか考えたことはありますか?」
私「いや、母が怖くて出来ませんでした」
I「なるほどね、ええ」
私「高校生くらいになって、飛び出したりしたんですけれども。中学生までは、本当に従順な子供だったんで」
I「高校の頃は、いわゆるプチ家出とか?」
私「プチ家出っていうより大きな家出でしたね(笑)広島まで行っちゃったりとか」
I「それは広島に誰かお知り合いがいたとか?」
私「まあ、友達の友達というツテで」
I「帰ってきてから(お母さんは)どうでしたか?」
私「んー、あんまりよく覚えてないんですけど、大丈夫だったと思います」
I「やっぱり高校生くらいになると、お母さんの暴力はやんだと?」
私「いやー、やっぱり暴力はありましたが、高校生になって、ウチはなんだかおかしいってことに気付き始めたんですね」
I「なんだかおかしいって、自分の中に力が湧いてきたのかな?」
私「そうですね・・・」
I「多少やられても、心の面ではねかえせるって思うようになったんですかね」
私「はい。だいぶ頑張りました」
I「よく非行に走ったりしませんでしたね」
私「あの、非行に走ることが怖かったんですよ」
I「またやられちゃうから?」
私「はい。怖くてグレられなかったんですね。その頃グレてたら、今もっと違ってたのに、と思いますよ(笑)」
I「そうですよ(笑)そうか・・・。恐怖っていうのは非行や家出を押しとどめさせてしまうんですねぇ」
私「はい。恐怖そのものでしたね」
I「そうか・・・(ため息)弟さんは今どうしてらっしゃいますか?」
私「母の面倒とかよく見てるみたいです」
I「弟さんは家庭を持ってる?」
私「いえ、独身です」
I「お母さんの面倒をよく見ていると」
私「はい」
I「そうですね、こういう感じで(診療を)やっていくと、あなたのからだの中で、まだまだお母さんに対する怒り、恐怖、いろんな感情が詰まってますので、それを出さないとならないと思います。また次から次へとつらいことを思い出すかもしれませんが、こういう風に文章に書いてきてもらって、心の中の洗い出しをしましょう」
私「はい、わかりました。ありがとうございます」
ようやくカウンセリングらしいカウンセリングになってきた!
普段の6倍の長さの診療だった。普段は通常5分、今日は30分。日記を持っていってよかった。ほんの少しだけど、心の中のモヤモヤを発散できた気がする。
だけど毎回「虐待日記」を書いていかないといけないのかなぁ?
これは私にとって今はちょっとつらい。8月13日の日記が書けたのだって、卓球愛ちゃんママの全肯定発言を聞いて心の中のスイッチがポン! と入ったから書けたものだ。
今でもほとんど外出できない、友人もほとんどいない、外部からの情報はテレビのみ、という生活をしていて、心のスイッチが入ることがあるだろうか。
気分はまあまあ安定している。眠剤も自分で加減して、かなり軽くしても眠れるようになってきている。よい兆候だ。
あとは少しずつでも外出できるようになること。それが今の課題だろうか。そろそろ秋の気配だ。気候もいい。ダイエットを兼ねて散歩でもしようか。
いい診療日記が書けたあとは、なんだかそう思える。閉じた気分が少しだけ開かれてきたというところかな。
気分がいいうちに散歩がてら買い物に行ってくるか。(本当に買い物に行ったかどうか、今では覚えてないけれど)。
歩いてたった5分のスーパーに行くのも今現在は面倒くさい。それでも3日に一度、スタンプを押してくれて、貯まればいろいろな商品と取り替えてくれるので、よろよろと買出しに出かけている。
スタンプが貯まったら、体重計と取り替えてもらうんだ。
2005年03月15日
2004年7月の日記
2004年7月3日(土)
2日前の昼過ぎ、男友達と二人でバーベキューをやった。もともとアウトドア好きの私はどうしてもバーベキューがやりたくて、親友T君(35歳・独身)と彼のクルマで神奈川の山奥に行った。そこは肉や野菜をセットにして出してくれるキャンプ場があるので、下ごしらえをする必要がない。楽ちんだ。キャンプ場脇に流れる川のせせらぎを聞きながら、昼間飲んだビールがすごく回って、自然と眠くなった。たった2本飲んだだけで。
眠剤を減らしてから、睡眠時間がバラバラだ。1日眠るとその夜はクスリが効かず、一晩中起きている羽目になる。それでも我慢してODに走らないように頑張ってい る。
本来なら昨日が診察の日だったが、夕方まで起きられず、起きても頭がぼーっとしているので、病院には行けなかった。
今日も朝方眠りについた。今日は土曜日で病院は午前中しかやってないので、なん とか午前中に起き出し、かすみがかかったような頭で診察を受けてきた。とにかくだるい。頭もぼーっとしている。先生に質問するどころじゃない。ただクスリだけもらえればいいと思った。
私「こんにちは。すみません、昨日来れなくて」
I「いやいや、いいんですよ・・・。暑いですねぇ」
私「はい」
I「この前は鬱の薬を増やしたんですけど、どうですか?」
私「よくもなく、悪くもなくといったところですね」
I「全体を通していうと・・・7〜8割というところですか?」
私「7〜8割というと?」
I「一番悪いときを100%だとすると」
私「50%くらいですね」
I「そうですか・・・。やはり全体的に気力そのものが落ちているという感じです か?」
私「はい、そうですね・・・。それで昨日も来られなかったんですけど・・・。あ と、睡眠がやはり取れないんですね。2日に1日は寝てないんですよ」
I「あー、そうですか」
私「薬減らしたんで、しょうがないとは思うんですけど」
I「そうですね・・・。(薬の増量を)どうしますか?」
私「このままで行きたいと思います」
I「そうしますか」
私「それとちょっと立ちくらみがひどいんですけど」
I「ああ、そうですか・・・。薬のせいですね」
私「あ、そうなんですか? 単なる貧血じゃないんですか?」
I「そちらの方のからだの異常がなければ、ということですね」
私「はい」
I「薬減らすかな・・・。じゃ、ちょっと昼間の薬を減らしますね」
私「はい」
I「(カルテに書き込んでいる)」
私「私、よくなってきてるんでしょうか?」
I「うん、そう思いますよ」
私「はい」
I「じわりじわりとね。なぜかといいますと、不眠に関しては以前これだけの量をのんでいたところを、今は睡眠が不十分であるとはいえ、なんとかやりくりできるくらいにはよくなってきてますしね」
私「はい」
I「いいですか?」
私「はい、ありがとうございました」
「立ちくらみがひどい」という訴えに「クスリのせいですね」といわれてしまったのには驚いた。安定剤は一切のんでいないのに。「のんでいません」とも言えず、黙っていたが。私が思うに、これは栄養不良から来る貧血なのだ。ここ1年ほど面倒で面倒で仕方ないので、まともな料理を作っていない。食事はパックのごはんをチンして(米を洗って炊くのが面倒くさい)後は適当な惣菜をスーパーで買ってきたり、暑くなってからは「素冷やし中華」ばっかりですませている。これじゃ貧血も起きるんだけど、どうしても自分で料理をするのは気が遠くなるほどつらいので、貧弱な食生活をする羽目になる。せめて先生には「三食きちんと摂ってますか?」くらい聞い てほしかった。
現在の調子は一番悪いときと比べて、何割程度かという質問にも、疑問が残る。アバウト過ぎない?
それに、何割程度かといわれても、私にはよくわからない。
診療日記をつけているのが、だんだんつらくなってきた。先生は同じことしか言わないし、私はいまだ先生に突っ込んだ質問ができない。「なぜ2〜3分で診療を終わらせるのよ?」といった不満も、口に出せないでいる。
次回は何を質問したらいいのやら、頭を悩ませている。
もういいかげん、勇気を振り絞って「診療時間が短い!」って言ってやれないかな。
こんな些細なことをうだうだ考えている自分もイヤだ。
2004年7月16日(金)。
アパートの隣の部屋のおばちゃんが育てている観葉植物のポトスを株分けしてもらって、今可愛がっている。ポトスは根がつきやすいので、おばちゃんはちょこちょこ切って鉢植えの形を整え、捨てるだけの葉っぱを私にくれる。
元々私は植物を育てるのが好きだった。
以前住んでいたマンションのベランダには、朝顔やひまわりをプランターの中で育て、部屋の中は観葉植物でいっぱいだった。
鬱になってから、全部枯らしてしまった。鬱は植物に水をやることさえ面倒くさく感じる。自分のことだけで精一杯なので、花や植物にまで気がまわらなくなる。要するに余裕がなくなるのだ。
ポトスを以前のように、植えて育ててみようと思ったのは鬱がよくなった証だろう。
もらった葉っぱは、育ちすぎて小さな鉢におさまらなくなってきたので、100円均一で買った鉢植えに植え替えた。
青々とした葉っぱが目にまぶしい。
同じくおばちゃんにもらったオリヅルランの枝を、小さな鉢植えに植えて、ポトスと一緒に窓辺に出した。これから夏の強い陽射しを浴びて、大きくなるのが楽しみ。
私「おはようございます」
I「おはようございます。いかがですか?」
私「まあ落ち着いてると思いますけど」
I「そうですか。睡眠の方はいかがですか?」
私「前よりは取れるようになりました。それでも何日かにいっぺんはずっと起きっぱなしという状態で。今朝も3時に起きてしまって」
I「そうですか・・・。それでも一時よりは眠れるようになったんですから、大丈夫です」
私「ちょっと気になることが」
I「はい、どうぞ」
私「起きてみると、昨日読んだ本の内容を忘れてしまってるんですね、これはハルシオンの影響ですか?」
I「ハルシオンに限らず、全体の眠剤のせいですね。5種類のんでますからね。徐々に減らすようにしていきましょう」
私「はい。でもだいぶ減ってますよね」
I「そうですね・・・少し減らしますか?」
私「うーん・・・。いえ、このままで」
I「はい、わかりました・・・外出とかはできてますか?」
私「いえ、あんまり」
I「そうですか」
私「暑いので・・・」
I「(苦笑)」
私「食生活のことなんですけど、今あまり外出する気にもなれないので、買い物とかほとんど行ってないんですね。麺類中心に食べてるんですね。生野菜をほとんど摂ってないんです。野菜ジュースは飲んでるんですけど。それって・・・何か影響とか出てきますか?」
I「今すぐに出てくるということはないと思いますけど。でも野菜類は摂った方がいいですよね」
私「包丁を持つ気になれないんです」
I「今は仕方ないです。気力を取り戻してからね」
私「1年くらい包丁使ってません」
I「ああ、そうですか(処方箋に書き込んで)今日はこれだけ出しましたんで」
私「はい。ありがとうございました」
今日も言えなかった。今日こそは言おうと思っていた。
「先生はいつも3分間診療で終わらせてしまうけど、短すぎやしませんか?」
待合室で待ってるときも、ずっとそのシュミレーションをしていた。最後に処方箋をもらうとき言うつもりでいたけれど、処方箋書いて、ハイサヨナラといった感じの先生には聞くタイミングを逃がしてしまった。
何しろ、カルテにちょこちょこと書き込んだらすぐに処方箋に取りかかるのだ。お互いの目を見て話す、という時間がほとんどない。早々に立ち去れと言外に言ってるのではないかと、つい気弱になってしまう。
次の診療のときには、処方箋を書き始める前に「3分間診療なのはなぜか」という問いかけをしようと思う。このままじゃクスリだけもらいに行くのとおんなじだ。カウンセリングの意味がない。
今度こそちゃんと聞かなくちゃ。自分のモヤモヤをふっきるためにも。
こうやって3分間診療で済ませてしまうI先生は、ベルトコンベアに乗せられた精神病患者を何の感情もなくさばいているような気がする。
2004年7月30日(金)。
夏だ!
毎日暑い!
こんなときはヒマ人はプールに行きたいけど、もう夏休みだから、がきんちょがいっぱいいるなと思って、足が遠のいている。
「なでしこジャパン」の試合をみていた。
私も小学生3年から卒業まで、サッカーをやっていた。小学校5年の頃、テレビで高校サッカー選手権の準決勝戦を観た。そこで北海道代表の室蘭大谷高校を初めて知った。その前日から関東地方には雪が降り、グランドには雪が残っていた。ふだん雪に慣れていたせいだろうか、北海道の選手たちの足腰は強靭に見えた。それまで優勝経験のなかった彼らは、そこで勝ち抜き、初めて決勝戦に進出できた。
とてもひたむきに見えた。キャプテンのボールさばきは実に鮮やかだった。サッカー経験のある私には、それがはっきりわかった。カッコよかったキャプテンに、私はそのとき勇気づけられた気がする。テレビの前に釘付けになってしまった。
この気持ちを忘れずに、サッカーをずっと続けていたら「なでしこジャパン」に入れたかも知れない・・・なんて思ってしまった(まあ、年齢的にムリか)。私の子供の頃はサッカーなんてマイナーなスポーツだったからなー。それでもボールを追いかけるのは楽しかった。日がとっぷり暮れるまで、ボールを追いかけた。当時は練習中の水分補給は禁じられていたので、練習後に飲む水道水が乾いた喉を潤してくれ、冷たくて気持ちよかった。
練習も楽しいけど試合も楽しかった。弱小チームにいたから、負けることが多かったけど、負けても仲間みんなで笑っていた。男の子だけのチームに女子が入ったのは私がチーム史上初めてだった。その後、他に女の子が二人入ったが、私を入れて3人だけじゃ女子チームは作れず、ずっと男子に混ざってサッカーをしていた。他の小学校には女子だけのチームもあったのに。そいつらと一度試合をしてみたかった。
試合のときは当番のお母さんたちがレモン水を作って持ってきてくれた。砂糖をふりかけたレモンの輪切りを食べた後、残ったレモン水をみんなで分け合って飲んだことを思い出す。
純粋にサッカーが好きだった。
私はポジションがディフェンスだったから、シュートを打てることはそうそうなかったけど、相手にぶつかり、ボールを思い切り蹴っ飛ばしてクリアしてやったときは本当に嬉しかった。
今でもフットサルはぜひやりたいと思っている。仲間を集めてチームを作りたい。 その前に体力作りだ。全然運動してないから、体力がすっかり落ちている。
私「こんにちは」
I「こんにちは・・・。調子はよさそうですね」
私「そう・・・ですね。まあまあ」
I「顔色みればわかりますよ」
私「あ、そうですか?」
I「このままの状態が続くといいですね」
私「そうですね・・・。あの、先生、いつも診療時間短いですよね? カウンセリングとして成り立ってるんでしょうか?」
I「成り立ってるというのはどういう意味で?」
私「ですから、今、カウンセリングを受けているんですよね?」
I「えーと、薬とカウンセリングですね。二本立てですね」
私「はい。あの、いつも診察時間が短いような気がするんですけれど」
I「あなたの場合のカウンセリングは、病気がある程度良くなって、そして前にも言いましたけど、お母さんとの関係が根底にあるんですよ。それを(あなたは)書くことがお上手ですから、書いていただいて、それで怒りを発散させる作業をやりたいと思ってるんですよ。あんまり状態が悪いときにカウンセリングを行って、ああでもない、こうでもないとやると、返って悪くなっちゃうんですよ」
私「はあ、そうですか・・・」
I「まあだいぶ良くなってきましたんで、少し余裕のあるときに、お母さんとの関係で感じたことを書き出してみていただいて、それでカウンセリングに入ろうと思っています」
私「はい、わかりました」
I「今日(薬を)2週間分出しますか?」
私「あ、(次回の診察日は)夏休みに入ってしまうと思うので、1ヶ月出していただけますか?」
I「眠剤は1ヶ月出せないんですよね」
私「あ、そうなんですか? この前は出せませんでしたっけ?」
I「いつでしたっけ? 今年?」
私「ちょっと前に1ヶ月分出していただいたと思うんですけど」
I「(カルテをみてる)今年ですか?」
私「今年だったかな・・・。ちょっと前だったと思います」
I「今年は出してないみたいですね」
私「じゃ、去年かなぁ? まだベゲタミンが出てるときに1ヶ月いただいたことがあるんですけど」
I「あ、あった。去年ですね。このときは昼間(の薬)はずっと1ヶ月出してるんですよ。ただ、眠剤は2週間しか出してないです。変則的な出し方ならできるんですけどね」
私「じゃ、安定剤を1ヶ月、眠剤を2週間という感じですか?」
I「そうですね」
私「じゃ、来週も来ないとダメですね。わかりました」
I「どれだけ出しておきますか?」
私「じゃ、2週間分で」
I「わかりました」
私「どうしても明け方起きちゃうんですよね、毎日・・・」
I「(苦笑)じゃ、前回と同じ(薬)で」
私「はい。ありがとうございました」
勇気を振りしぼって今回はやっと聞けた!
「診療時間短い」と。そしたら先生の答えは前述の通りだ。
あのね、それはね・・・。1年前にも言われたんだよ!
そのときだって「まずはクスリで治してから」といわれて、状態が落ち着いたからって、カウンセリングが始まったんじゃないか!
まだクスリで押さえろと言うんだろうか? 先生は自分の言ったことを忘れてるんだろうか?
カルテはちゃんと書き込んであって、先生はちゃんと目を通してるんだろうか?
疑問は多々あったけど、「診療時間短い」っていうだけで気力を失ってしまって、何も聞けなかった。
1年前、先生がカウンセリングを始めると言ったとき、母とのことを30分くらいに渡って聞かれた。まだ話せっていうの?
もう母のことなんか思い出したくもないのに。
だけど、母とのことを「文章に書け」といわれてしまった。私が文章にする前に、先生自身から質問などがあってもいいんじゃないの?
疑問だらけの診察だ。先生は私をあと何年病院に通わせたら、治してくれるんだろう?
眠剤が効かないというのも、苦笑されて終わってしまった。私にとって、明け方目を醒ましてしまうというのは、非常に苦痛なのに。
どうせきちんと睡眠が取れている人にはわからない苦痛なんだろうと思う。ゆっくり深く眠りたい。
2005年03月14日
2004年6月の日記
2004年6月4日(金)。
テレビはイカれる寸前。
ときどきぷつんぷつんと切れるし、新規購入にまたお金が吹っ飛びそうだ。
眠剤を先生に相談せず、少しずつ自分で減らしていこうと思った。そしたら今夜は眠れなくて、OD寸前。
本当は先生に相談しなきゃならないのに、私は先生のいうことをはなっから信用してないから。
今さらだけど、水商売やってたときの給料をバックレられたことを思い出す。約30万くらいになるだろう。そのときのお金があれば、テレビくらい買えるのに・・・。液晶プラズマだって夢じゃないのに・・・。思い出したらますます悔しくて眠れなくなってきた。
I「いかがですか?」
私「上がったり下がったりですね」
I「そうですか、ふーん」
私「今日は薬の副作用について伺いたいことがあるんですけど」
I「はい、どうぞ」
私「まず平衡感覚がなくなってるんですね。片足で立てないんですよ。だいぶ前からなんですけれども。最近では自転車にも乗れなくなっちゃいまして・・・。それはやっぱり薬のせいなのかな、と」
I「薬の影響は・・・うーん、やっぱりあるかもしれないですね。お薬ちょっと減らしましょうか?」
私「はい。あと、舌がもつれるんですね」
I「ああ、それは薬(のせい)ですね。ろれつが回らない感じですか?」
私「そうです」
I「いつ頃からですか?」
私「もうだいぶ前・・・。半年くらいでしょうか」
I「ああ、そうですか・・・」
私「無気力っていうか、目が覚めてもずっと布団の中にいたりとか、起き上がれないんです」
I「その辺が苦しいところなんですが、何が苦しいのかというと、要するに、今鬱の状態ですよね? なので今、鬱の薬を増やしているんですね。そうすると、どうしても副作用が出てしまう、そこらへんをどのくらいの線で(薬を)加減するかってことなんですね。わかりました。ちょっと減らしてみましょう」
私「あと、大人数の中にいると疲れてしまうんですよ」
I「人ごみとか?」
私「ええ、人ごみとか、大勢の人に会ったりするとその日は眠れなかったりとか」
I「それは最近ですか? ずっと前からですか?」
私「それは最近ですね」
I「ふーん・・・」
私「なんか自分の頭で考えてしゃべってるように思えないというか・・・」
I「少し眠剤を減らしても大丈夫ですか?」
私「はい」
I「量多く出てますからね」
私「それがやっぱり副作用として表われてるんですか?」
I「そうですね」
私「変えたお薬っていうのは副作用が出ないんですか?」
I「いえ、出ます。前回は(薬が)増えてたんですね。鬱の薬を一日3錠ずつお飲みになってるのを、一日6錠にしてたんですね。これをちょっと減らしましょう」
私「はい。減らしてもやっぱり副作用と言うのは出ますか?」
I「かなり楽になると思いますよ」
私「ああ、そうですか。具体的に薬の説明を受けたいんですが」
I「ちょっと待って下さいね(とカルテに記入している)逆に言えば、それだけ副作用が気になってくる、薬を減らす、これは喜ばしいことですからね」
私「手足の震えもありますね」
I「そうですか・・・。お薬の説明なんですけど、前回レボトミンという薬が一日6錠出ているのを3錠に減らしました。もう一つははベゲタミンA錠というのをなくしました。あと(眠るとき)2錠のんでいたレボトミンを1錠に減らしました。強めの薬を減らしたので、これでかなり楽になると思います」
私「ありがとうございます」
今日は「薬の副作用について」というテーマで質問してみた。
片足で立つことができないとか、ろれつがまわらないとか、からだに異常が目立ってきた。これを先生にぶつけて、先生自身の口から「薬を減らしましょうか」という言葉が聞きたかった。それでも薬を出し続けるようだったら、やっぱりおかしいと思う。
先生の口から「減らしましょう」の言葉は聞けたが、相変わらず説明が曖昧だ。薬の量を減らしたことを説明されても、それは薬局でもらう薬の説明書きを読めばわかることだ。
この薬にはこれこれこういう副作用があるというもっと具体的な説明が欲しかったが、口に出せない。強めの薬を減らしたことでかなり副作用は軽くなるということだったが、どれくらい軽くなるのか、説明がない。自分のからだで体感せよ、ということなのだろうか。私は実験動物じゃない。
今日の診察の途中におかしな患者がやって来て、待合室で「もう帰るよー!」と叫んでいる。私の診察が終わるのを待ちきれないらしい。先生が「診察中なので、もう少し待って下さい」となだめたりしているのをみて、ほとほとイヤになってしまい、早く帰りたかった。
帰ってきたら今日は福祉の人に待ち構えられていて、週1回くらい働くように」といわれてしまった。掃除もまともにできない、風呂は1ヶ月以上掃除してなくて、お湯が腐り始めている、誰かに会う予定がなければ1週間も風呂に入らないような私が、どーしたら働けるというんだ!?
・・・とただただイライラしている。
もうどうしたらいいかわからない。今日はODして寝てやる。
2004年6月8日(火)。
今日は診察記録じゃないけど、ただもうやみくもにイライラしたことをあげつらいたいと思う。
私はここ約1年の間、生活保護を受けているが、つい最近、生活保護者はNHK受信料を払わないですむことを知った。
受信料は私が以前働いていた頃から、バカ正直に払い続けていて、私の銀行口座から引き落としされるシステムになっていた。だから保護を受けた後も、勝手に私の口座から引き落とされていた。
払わなくていい、と知ったのは、隣の部屋に住むおばちゃんからの情報だった。
生活保護を受ける際に、どうしてそういう説明がないのだろう、ムダに1年間受信料を払い続けてしまったことになるじゃないか!
年金未納の通知はわんさかやってくるし、保護受ける前に、市の生活福祉課に社会保険手帳も預けてあり、私は免除されていてしかるべきなんじゃないのか?
どうして連絡がうまくいってないのか?
現在私の住んでいるアパートには給湯器がない。油物を洗うときなど、油がこびりついてうまく落ちない。これも困ったことなので、市職員に「つけてもらえないか」と相談したところ、これも保護を受ける前じゃないとつけられないそうだ。
そうだと知っていたら、保護前にダメもとでも「あれがほしい」「あれが足りない」って、言ってみるんだった!
このときはまさか、給湯器までつけてもらえるとは思ってなかったんだもん・・・。
今使っている冷蔵庫もそろそろ15〜16年になるし、ガタがきそうだ。
その話を職員にすると「冷蔵庫は安いリサイクルショップで買って下さい」とこう来たもんだ!
中古の冷蔵庫なんて、中が臭くて使えたもんじゃない。冷蔵庫くらい、生活必需品なんだから、市でお金を出すのが当然じゃないのか?
今日は、30代後半とみられる福祉担当Dさんに「秋くらいを目安にして、週1回くらい働くように」といわれてしまった。
部屋の掃除もまともにできない、風呂は1ヶ月以上掃除してなくて、お湯が腐り始めている、誰かに会う予定がなければ1週間も風呂に入らないような私が、何の仕事につけるというの?
「もともとはサービス業(水商売)してたんだし、まだ若いし、スタイルもいいんだから、何か仕事みつかるよ。ハローワークに友達がいるから、便宜を図ってあげるから」とおっしゃいますが、その前に「スタイルがいい」ってなんだよ。関係あるのかよ。セクハラだろ、おい!
Dさんは私の部屋に入り込み、なんだかさまざまなチェックを行っていた。「洗濯物たまってるねー」とか、下着だって汚れて丸めているのをみられた。見て見ぬふりしてほしかった。これでも女性ですからね。
洗濯物なんかするのは1ヶ月にいっぺんくらいですよ、ほとんどどこにも出かけないで、パジャマでテレビみてるだけなんだから。
Dさんはさらに「これがのんでいるクスリ? なんだかいっぱいない?」と余計なことにまで言及してきた。
そりゃいっぱいあります。安定剤なんかのんでないもん。のんだって効きゃしないんだから。さすがに福祉の人には「自分でも少しずつ減らしてますから・・・」と答えた。
いくら生活福祉課の人でもここまで部屋をあちこちチェックしても、私は黙っていなきゃならないんですか?
生活保護者に人権はありませんね。
たかだか月12万足らずの保護費をもらう代わりにここまでプライバシーに踏み込まれるなんて、私は今の生活がほとほとイヤになってきた。
でもイヤでも我慢しなければならない。これで食いつないでいるのだから。
まだまだ健康に働けそうにないんだから、福祉課の人の言うことを聞かなきゃならない。
それにしても、自分とそう変わらない年の男性にたまった洗濯物を見られたのは恥ずかしかったなぁ。
2004年6月18日(金)。
なぜかわからないが全然眠れないで、なんとか病院行ってきた。
とにかくここ数日、無気力な日々が続いている。食材の買い出しにも行けず、冷蔵庫の中のありあわせのものでなんとか食いつないでいる始末。まぁ、これを機会にやせればいいか。
今日も病院に行くのすらつらかった。昼過ぎまでベッドでうだうだしていて、なんとか起き出したのは夕方だった。
15時の診察のはずが、病院に行ったのは18時を過ぎていた。
I「少し睡眠薬減らしましたけど、どうですか?」
私「眠れないですね・・・。12時頃のむんですが、眠るのは明け方です」
I「ずいぶんね、調子がよくなってきたんで・・・」
私「あ、でも、最近すごく無気力なんですよ」
I「そうですか」
私「今日病院に来るのもすごくしんどくって・・・」
I「じゃ、またちょっと落ち気味という感じですか?」
私「はい・・・。買い物に外出するのもできません」
I「ああ、そうですか・・・。じゃ鬱の薬を少し増やしましょうかね」
私「はい」
I「そして・・・。眠る前の薬を元に戻しましょうか?」
私「いえ、薬は・・・。減らした方が」
I「いいですか? えらいっ! ああ嬉しい」
私「あはは」
I「それじゃこのままで行きましょう」
私「だいぶ口のもつれとかなくなってきたんで」
I「おおー、よかった、よかった。やっぱり(効果は)テキメンですよね。そしたら鬱の薬を増やすことで様子をみていきましょうか」
私「はい。鬱の薬は同じ薬が、分量が増えるんでしょうか?」
I「そうですね。1錠ずつだったのを2錠ずつにしようと思います」
私「ルジオミールですか?」
I「ルジオミールですね。あとは変わっていませんので」
私「はい、ありがとうございました」
今日はとにかくやる気がない。だから先生にぶつける質問も何も考えてなかった。
それにしても今日の診察時間はわずか1分ほどだ。たった1分のために、クスリをもらうためだけに、気力を奮い立たせてやって来たのがバカみたいだ。
気力がない、というとすぐにクスリを増やそうとする。眠剤はともかく、精神安定剤なんかのんでいない。なぜならまったく効かないからだ。人によっては「スッと気がラクになる」なんていう人もいるけど、私の場合、どのクスリをどれくらいのもうと、何も変わらない。気分がスッとするなんてとんでもない。先日はODのしすぎで足元もおぼつかなく、ゴミ捨てにアパートの階段を下りていたら、段差を踏み外して右足に派手な傷(かすり傷だが、傷口の面積が広いため派手に見える)をこしらえてしまった。
ODやめられないんです、どうしたらいいですか? とでも聞きゃよかった。
眠材はこのまま減らしたいといったら先生は感嘆したように「えらい!」といってくれた。こういう言葉が欲しい。クスリの量をいじるだけではなく、先生の心からのこういう言葉を聞きたい。そうすればもっとラクになるような気がする。
鬱メル友Yさんは「具合が悪いときこそ病院に行きたくならない?」と聞くが、私の場合そんな気持ちにまったくなれない。なぜなんだろう?
やっぱり私は主治医を信頼してないからだ。なんか愕然とした。お医者さんはみんな偉いんだ、すごいんだと、幼い子供のように思っていた私がいた。でも医者にもピンキリがあるんだ。その事実に打ちのめされた。
このままこの病院に通っていて大丈夫なんだろうか?
テレビはイカれる寸前。
ときどきぷつんぷつんと切れるし、新規購入にまたお金が吹っ飛びそうだ。
眠剤を先生に相談せず、少しずつ自分で減らしていこうと思った。そしたら今夜は眠れなくて、OD寸前。
本当は先生に相談しなきゃならないのに、私は先生のいうことをはなっから信用してないから。
今さらだけど、水商売やってたときの給料をバックレられたことを思い出す。約30万くらいになるだろう。そのときのお金があれば、テレビくらい買えるのに・・・。液晶プラズマだって夢じゃないのに・・・。思い出したらますます悔しくて眠れなくなってきた。
I「いかがですか?」
私「上がったり下がったりですね」
I「そうですか、ふーん」
私「今日は薬の副作用について伺いたいことがあるんですけど」
I「はい、どうぞ」
私「まず平衡感覚がなくなってるんですね。片足で立てないんですよ。だいぶ前からなんですけれども。最近では自転車にも乗れなくなっちゃいまして・・・。それはやっぱり薬のせいなのかな、と」
I「薬の影響は・・・うーん、やっぱりあるかもしれないですね。お薬ちょっと減らしましょうか?」
私「はい。あと、舌がもつれるんですね」
I「ああ、それは薬(のせい)ですね。ろれつが回らない感じですか?」
私「そうです」
I「いつ頃からですか?」
私「もうだいぶ前・・・。半年くらいでしょうか」
I「ああ、そうですか・・・」
私「無気力っていうか、目が覚めてもずっと布団の中にいたりとか、起き上がれないんです」
I「その辺が苦しいところなんですが、何が苦しいのかというと、要するに、今鬱の状態ですよね? なので今、鬱の薬を増やしているんですね。そうすると、どうしても副作用が出てしまう、そこらへんをどのくらいの線で(薬を)加減するかってことなんですね。わかりました。ちょっと減らしてみましょう」
私「あと、大人数の中にいると疲れてしまうんですよ」
I「人ごみとか?」
私「ええ、人ごみとか、大勢の人に会ったりするとその日は眠れなかったりとか」
I「それは最近ですか? ずっと前からですか?」
私「それは最近ですね」
I「ふーん・・・」
私「なんか自分の頭で考えてしゃべってるように思えないというか・・・」
I「少し眠剤を減らしても大丈夫ですか?」
私「はい」
I「量多く出てますからね」
私「それがやっぱり副作用として表われてるんですか?」
I「そうですね」
私「変えたお薬っていうのは副作用が出ないんですか?」
I「いえ、出ます。前回は(薬が)増えてたんですね。鬱の薬を一日3錠ずつお飲みになってるのを、一日6錠にしてたんですね。これをちょっと減らしましょう」
私「はい。減らしてもやっぱり副作用と言うのは出ますか?」
I「かなり楽になると思いますよ」
私「ああ、そうですか。具体的に薬の説明を受けたいんですが」
I「ちょっと待って下さいね(とカルテに記入している)逆に言えば、それだけ副作用が気になってくる、薬を減らす、これは喜ばしいことですからね」
私「手足の震えもありますね」
I「そうですか・・・。お薬の説明なんですけど、前回レボトミンという薬が一日6錠出ているのを3錠に減らしました。もう一つははベゲタミンA錠というのをなくしました。あと(眠るとき)2錠のんでいたレボトミンを1錠に減らしました。強めの薬を減らしたので、これでかなり楽になると思います」
私「ありがとうございます」
今日は「薬の副作用について」というテーマで質問してみた。
片足で立つことができないとか、ろれつがまわらないとか、からだに異常が目立ってきた。これを先生にぶつけて、先生自身の口から「薬を減らしましょうか」という言葉が聞きたかった。それでも薬を出し続けるようだったら、やっぱりおかしいと思う。
先生の口から「減らしましょう」の言葉は聞けたが、相変わらず説明が曖昧だ。薬の量を減らしたことを説明されても、それは薬局でもらう薬の説明書きを読めばわかることだ。
この薬にはこれこれこういう副作用があるというもっと具体的な説明が欲しかったが、口に出せない。強めの薬を減らしたことでかなり副作用は軽くなるということだったが、どれくらい軽くなるのか、説明がない。自分のからだで体感せよ、ということなのだろうか。私は実験動物じゃない。
今日の診察の途中におかしな患者がやって来て、待合室で「もう帰るよー!」と叫んでいる。私の診察が終わるのを待ちきれないらしい。先生が「診察中なので、もう少し待って下さい」となだめたりしているのをみて、ほとほとイヤになってしまい、早く帰りたかった。
帰ってきたら今日は福祉の人に待ち構えられていて、週1回くらい働くように」といわれてしまった。掃除もまともにできない、風呂は1ヶ月以上掃除してなくて、お湯が腐り始めている、誰かに会う予定がなければ1週間も風呂に入らないような私が、どーしたら働けるというんだ!?
・・・とただただイライラしている。
もうどうしたらいいかわからない。今日はODして寝てやる。
2004年6月8日(火)。
今日は診察記録じゃないけど、ただもうやみくもにイライラしたことをあげつらいたいと思う。
私はここ約1年の間、生活保護を受けているが、つい最近、生活保護者はNHK受信料を払わないですむことを知った。
受信料は私が以前働いていた頃から、バカ正直に払い続けていて、私の銀行口座から引き落としされるシステムになっていた。だから保護を受けた後も、勝手に私の口座から引き落とされていた。
払わなくていい、と知ったのは、隣の部屋に住むおばちゃんからの情報だった。
生活保護を受ける際に、どうしてそういう説明がないのだろう、ムダに1年間受信料を払い続けてしまったことになるじゃないか!
年金未納の通知はわんさかやってくるし、保護受ける前に、市の生活福祉課に社会保険手帳も預けてあり、私は免除されていてしかるべきなんじゃないのか?
どうして連絡がうまくいってないのか?
現在私の住んでいるアパートには給湯器がない。油物を洗うときなど、油がこびりついてうまく落ちない。これも困ったことなので、市職員に「つけてもらえないか」と相談したところ、これも保護を受ける前じゃないとつけられないそうだ。
そうだと知っていたら、保護前にダメもとでも「あれがほしい」「あれが足りない」って、言ってみるんだった!
このときはまさか、給湯器までつけてもらえるとは思ってなかったんだもん・・・。
今使っている冷蔵庫もそろそろ15〜16年になるし、ガタがきそうだ。
その話を職員にすると「冷蔵庫は安いリサイクルショップで買って下さい」とこう来たもんだ!
中古の冷蔵庫なんて、中が臭くて使えたもんじゃない。冷蔵庫くらい、生活必需品なんだから、市でお金を出すのが当然じゃないのか?
今日は、30代後半とみられる福祉担当Dさんに「秋くらいを目安にして、週1回くらい働くように」といわれてしまった。
部屋の掃除もまともにできない、風呂は1ヶ月以上掃除してなくて、お湯が腐り始めている、誰かに会う予定がなければ1週間も風呂に入らないような私が、何の仕事につけるというの?
「もともとはサービス業(水商売)してたんだし、まだ若いし、スタイルもいいんだから、何か仕事みつかるよ。ハローワークに友達がいるから、便宜を図ってあげるから」とおっしゃいますが、その前に「スタイルがいい」ってなんだよ。関係あるのかよ。セクハラだろ、おい!
Dさんは私の部屋に入り込み、なんだかさまざまなチェックを行っていた。「洗濯物たまってるねー」とか、下着だって汚れて丸めているのをみられた。見て見ぬふりしてほしかった。これでも女性ですからね。
洗濯物なんかするのは1ヶ月にいっぺんくらいですよ、ほとんどどこにも出かけないで、パジャマでテレビみてるだけなんだから。
Dさんはさらに「これがのんでいるクスリ? なんだかいっぱいない?」と余計なことにまで言及してきた。
そりゃいっぱいあります。安定剤なんかのんでないもん。のんだって効きゃしないんだから。さすがに福祉の人には「自分でも少しずつ減らしてますから・・・」と答えた。
いくら生活福祉課の人でもここまで部屋をあちこちチェックしても、私は黙っていなきゃならないんですか?
生活保護者に人権はありませんね。
たかだか月12万足らずの保護費をもらう代わりにここまでプライバシーに踏み込まれるなんて、私は今の生活がほとほとイヤになってきた。
でもイヤでも我慢しなければならない。これで食いつないでいるのだから。
まだまだ健康に働けそうにないんだから、福祉課の人の言うことを聞かなきゃならない。
それにしても、自分とそう変わらない年の男性にたまった洗濯物を見られたのは恥ずかしかったなぁ。
2004年6月18日(金)。
なぜかわからないが全然眠れないで、なんとか病院行ってきた。
とにかくここ数日、無気力な日々が続いている。食材の買い出しにも行けず、冷蔵庫の中のありあわせのものでなんとか食いつないでいる始末。まぁ、これを機会にやせればいいか。
今日も病院に行くのすらつらかった。昼過ぎまでベッドでうだうだしていて、なんとか起き出したのは夕方だった。
15時の診察のはずが、病院に行ったのは18時を過ぎていた。
I「少し睡眠薬減らしましたけど、どうですか?」
私「眠れないですね・・・。12時頃のむんですが、眠るのは明け方です」
I「ずいぶんね、調子がよくなってきたんで・・・」
私「あ、でも、最近すごく無気力なんですよ」
I「そうですか」
私「今日病院に来るのもすごくしんどくって・・・」
I「じゃ、またちょっと落ち気味という感じですか?」
私「はい・・・。買い物に外出するのもできません」
I「ああ、そうですか・・・。じゃ鬱の薬を少し増やしましょうかね」
私「はい」
I「そして・・・。眠る前の薬を元に戻しましょうか?」
私「いえ、薬は・・・。減らした方が」
I「いいですか? えらいっ! ああ嬉しい」
私「あはは」
I「それじゃこのままで行きましょう」
私「だいぶ口のもつれとかなくなってきたんで」
I「おおー、よかった、よかった。やっぱり(効果は)テキメンですよね。そしたら鬱の薬を増やすことで様子をみていきましょうか」
私「はい。鬱の薬は同じ薬が、分量が増えるんでしょうか?」
I「そうですね。1錠ずつだったのを2錠ずつにしようと思います」
私「ルジオミールですか?」
I「ルジオミールですね。あとは変わっていませんので」
私「はい、ありがとうございました」
今日はとにかくやる気がない。だから先生にぶつける質問も何も考えてなかった。
それにしても今日の診察時間はわずか1分ほどだ。たった1分のために、クスリをもらうためだけに、気力を奮い立たせてやって来たのがバカみたいだ。
気力がない、というとすぐにクスリを増やそうとする。眠剤はともかく、精神安定剤なんかのんでいない。なぜならまったく効かないからだ。人によっては「スッと気がラクになる」なんていう人もいるけど、私の場合、どのクスリをどれくらいのもうと、何も変わらない。気分がスッとするなんてとんでもない。先日はODのしすぎで足元もおぼつかなく、ゴミ捨てにアパートの階段を下りていたら、段差を踏み外して右足に派手な傷(かすり傷だが、傷口の面積が広いため派手に見える)をこしらえてしまった。
ODやめられないんです、どうしたらいいですか? とでも聞きゃよかった。
眠材はこのまま減らしたいといったら先生は感嘆したように「えらい!」といってくれた。こういう言葉が欲しい。クスリの量をいじるだけではなく、先生の心からのこういう言葉を聞きたい。そうすればもっとラクになるような気がする。
鬱メル友Yさんは「具合が悪いときこそ病院に行きたくならない?」と聞くが、私の場合そんな気持ちにまったくなれない。なぜなんだろう?
やっぱり私は主治医を信頼してないからだ。なんか愕然とした。お医者さんはみんな偉いんだ、すごいんだと、幼い子供のように思っていた私がいた。でも医者にもピンキリがあるんだ。その事実に打ちのめされた。
このままこの病院に通っていて大丈夫なんだろうか?
2005年03月10日
2004年5月の日記
2004年5月7日(金)。
ここ1年くらいで20キロ近く太ったことが判明して、とほほ〜。
食べて寝てを繰り返しているし(当時はおなかがちょっとでもすくと何か食べていたので、1日5食くらいだった)外出もほとんどしない。部屋の中でできる軽いストレッチも運動嫌いの私はやる気がおきない。
太るのは当然だ。
プールはたまに行っている。ほとんど水中歩いてるだけだけど。
それだけでも気持ちいいね!
私「こんにちは・・・。すみません、時間通りに来られなくて」
I「いえいえ、構いませんよ。どうですか?調子は」
私「ちょっとここ2〜3日くらい(気分が)落ちてるっていうか・・・」
I「ほう」
私「特に理由はないんですけど・・・」
I「なるほどね。ここのところずっと上がり調子でしたよね?」
私「はい。それと過食がひどくなりました」
I「そうですか・・・。鬱が出るときと過食が出るときっていうのは、交互に出るんですよ」
私「そうなんですか?」
I「はい。過食が出るときには鬱は出ない、だいたい交互にして出るんですね」
私「はい」
I「やっぱり調子や気力とかがわいてきませんか?」
私「はい。何もする気が起きないっていうか」
I「・・・(カルテに書き込んでいる)」
私「それと、眠剤がどうしても3時間程度で目が覚めちゃうんです。どうしてこんなに効かなくなっちゃったんでしょう?」
I「やっぱり慣れちゃったんでしょうね」
私「相当強い薬いただいてますよね。それでも3時間で目が覚めちゃって」
I「強い薬ですからね・・・。これ以上は出せませんしね。昼間のお薬をちょっと変えてみましょう」
私「はい」
I「これだけのんでるのにねぇ・・・」
私「これだけのんでて、後遺症っていうのは出るんでしょうか?」
I「すぐには出ないと思いますよ。だから調子がよくなっていったら、少しずつ減らしましょう」
私「はい」
I「ちょっと一時的に足踏み状態ってところですかね、今は」
私「はい」
I「また調子が上がってくると思いますので、それまでちょっと待っていただけますか?」
私「はい」
I「とにかくこの間は無理せず、鬱が抜けていくのをゆっくり待って下さい」
私「はい、わかりました」
I「じゃ、鬱の薬を少し増やしましたんで」
私「はい、ありがとうございました」
私はベゲタミンA、ハルシオン、ネルロレン、アモバン、ロヒプノールを眠剤としてのんでいる。これだけのんでて後遺症が出ないなんてことはないだろう。後遺症について言葉を濁した先生に不信感を持った。
眠剤がこれ以上出せないんだったら、精神安定剤を増やす。これじゃイタチごっこだ。先生はただ、クスリを出して儲けることしか考えてないんだろうか?
診療は相変わらず3分診療。こちらから質問するなりなんなり、アクションを起こさないとならないのに、そんな気分になれない。センセー、ただおクスリだけちょうだい!
といった感じである。I先生は人あたりがよく、やさしい感じなので、「どうしてこんなにクスリ漬けになっちゃったんだよぉ!」と怒ることもなかなかできない。私は気が弱い。毎回こんな診療だったら、ただクスリもらうためだけに病院通ってもいいと思う。
2004年5月21日(金)。
テープレコーダーの録音に失敗した。
バッグの中に隠し持っていて録音しているので、こういうこともある。
診察の内容はというと、私が「夢の中で母親に殴る、蹴るなどの虐待を受けていて、現実の私とは違い、夢の中の私は、明らかに母親に殺意を持ってやり返している。夢から覚めると、イヤな夢をみたという気持ちでいっぱいでやり切れない。このトラウマを一気に消し去るには何か方法はないのですか?」と先生に問いかけると、先生は同情したように私に微笑みかけ「ないんですよ。フラッシュバックのようにパッパッと何かの折に出てきちゃうんですよね。それを解決するには吐き出すしかないんです」と答えた。
「吐き出すというのは具体的にどういう行為か?」と聞くと先生は「私に向って言葉にして吐き出したり、あなたは文章がお得意ですから、その気持ちを文章にしてみるとかですね」と言う。
「子供の頃のつらい思い出をなぞることはしたくないんです」と答えた。
ここのところ、気分が安定してないと言うと、また精神安定剤を増やされた。気分が落ち着かないのには何か心当たりがあるか、などとまったく聞かずに簡単にクスリを増やす。なぜなんだろう? クスリを出すことで儲けを考えているのか、とまたも先生に対して不信感を抱く。
私は千葉県に住んでいる、Yさんという女性のメル友がいる。彼女は私とほぼ同年代で、旦那と子供が3人いる。彼女も仕事や人間関係の問題で生きづらさを感じており、現在心療内科に通っている。彼女からの最近のメールによると、彼女の主治医は彼女に対して、毎回同じことしか言わないらしい。「仕事のストレスですね」と・・・。
でも彼女は経済上の問題から仕事をすぐに辞めることはできない。彼女もどんどんとクスリを増やされて、不安がっている。さらに主治医から「別の精神科医を紹介する」とまで言われたそうだ!
それってどういうこと?
自分の力量ではもうお手上げなのでクスリ漬けにしたあげく、他の精神科医にたらい回しにしようとしているのか?
まったくもって、この国の精神科医はどうなっているんだろう?
クスリはバンバン出す、その効果、後遺症についてはほとんど教えてもらえず、たった3分ほどの診療でクスリ代込みで3000円〜4000円ほどをボッタくるのだ。絶対におかしい。どこか間違っている。そう思っても、病院に頼らざるを得ない私たちはとても弱い立場にある。
こういう小さな声を少しずつ集めたら、大きな声になるだろう。この日記をみてくれた人たちで「今の精神科はおかしい!」ってみんな声を大にして叫べば、精神科は変わっていくだろうか?
そう信じたい。
ここ1年くらいで20キロ近く太ったことが判明して、とほほ〜。
食べて寝てを繰り返しているし(当時はおなかがちょっとでもすくと何か食べていたので、1日5食くらいだった)外出もほとんどしない。部屋の中でできる軽いストレッチも運動嫌いの私はやる気がおきない。
太るのは当然だ。
プールはたまに行っている。ほとんど水中歩いてるだけだけど。
それだけでも気持ちいいね!
私「こんにちは・・・。すみません、時間通りに来られなくて」
I「いえいえ、構いませんよ。どうですか?調子は」
私「ちょっとここ2〜3日くらい(気分が)落ちてるっていうか・・・」
I「ほう」
私「特に理由はないんですけど・・・」
I「なるほどね。ここのところずっと上がり調子でしたよね?」
私「はい。それと過食がひどくなりました」
I「そうですか・・・。鬱が出るときと過食が出るときっていうのは、交互に出るんですよ」
私「そうなんですか?」
I「はい。過食が出るときには鬱は出ない、だいたい交互にして出るんですね」
私「はい」
I「やっぱり調子や気力とかがわいてきませんか?」
私「はい。何もする気が起きないっていうか」
I「・・・(カルテに書き込んでいる)」
私「それと、眠剤がどうしても3時間程度で目が覚めちゃうんです。どうしてこんなに効かなくなっちゃったんでしょう?」
I「やっぱり慣れちゃったんでしょうね」
私「相当強い薬いただいてますよね。それでも3時間で目が覚めちゃって」
I「強い薬ですからね・・・。これ以上は出せませんしね。昼間のお薬をちょっと変えてみましょう」
私「はい」
I「これだけのんでるのにねぇ・・・」
私「これだけのんでて、後遺症っていうのは出るんでしょうか?」
I「すぐには出ないと思いますよ。だから調子がよくなっていったら、少しずつ減らしましょう」
私「はい」
I「ちょっと一時的に足踏み状態ってところですかね、今は」
私「はい」
I「また調子が上がってくると思いますので、それまでちょっと待っていただけますか?」
私「はい」
I「とにかくこの間は無理せず、鬱が抜けていくのをゆっくり待って下さい」
私「はい、わかりました」
I「じゃ、鬱の薬を少し増やしましたんで」
私「はい、ありがとうございました」
私はベゲタミンA、ハルシオン、ネルロレン、アモバン、ロヒプノールを眠剤としてのんでいる。これだけのんでて後遺症が出ないなんてことはないだろう。後遺症について言葉を濁した先生に不信感を持った。
眠剤がこれ以上出せないんだったら、精神安定剤を増やす。これじゃイタチごっこだ。先生はただ、クスリを出して儲けることしか考えてないんだろうか?
診療は相変わらず3分診療。こちらから質問するなりなんなり、アクションを起こさないとならないのに、そんな気分になれない。センセー、ただおクスリだけちょうだい!
といった感じである。I先生は人あたりがよく、やさしい感じなので、「どうしてこんなにクスリ漬けになっちゃったんだよぉ!」と怒ることもなかなかできない。私は気が弱い。毎回こんな診療だったら、ただクスリもらうためだけに病院通ってもいいと思う。
2004年5月21日(金)。
テープレコーダーの録音に失敗した。
バッグの中に隠し持っていて録音しているので、こういうこともある。
診察の内容はというと、私が「夢の中で母親に殴る、蹴るなどの虐待を受けていて、現実の私とは違い、夢の中の私は、明らかに母親に殺意を持ってやり返している。夢から覚めると、イヤな夢をみたという気持ちでいっぱいでやり切れない。このトラウマを一気に消し去るには何か方法はないのですか?」と先生に問いかけると、先生は同情したように私に微笑みかけ「ないんですよ。フラッシュバックのようにパッパッと何かの折に出てきちゃうんですよね。それを解決するには吐き出すしかないんです」と答えた。
「吐き出すというのは具体的にどういう行為か?」と聞くと先生は「私に向って言葉にして吐き出したり、あなたは文章がお得意ですから、その気持ちを文章にしてみるとかですね」と言う。
「子供の頃のつらい思い出をなぞることはしたくないんです」と答えた。
ここのところ、気分が安定してないと言うと、また精神安定剤を増やされた。気分が落ち着かないのには何か心当たりがあるか、などとまったく聞かずに簡単にクスリを増やす。なぜなんだろう? クスリを出すことで儲けを考えているのか、とまたも先生に対して不信感を抱く。
私は千葉県に住んでいる、Yさんという女性のメル友がいる。彼女は私とほぼ同年代で、旦那と子供が3人いる。彼女も仕事や人間関係の問題で生きづらさを感じており、現在心療内科に通っている。彼女からの最近のメールによると、彼女の主治医は彼女に対して、毎回同じことしか言わないらしい。「仕事のストレスですね」と・・・。
でも彼女は経済上の問題から仕事をすぐに辞めることはできない。彼女もどんどんとクスリを増やされて、不安がっている。さらに主治医から「別の精神科医を紹介する」とまで言われたそうだ!
それってどういうこと?
自分の力量ではもうお手上げなのでクスリ漬けにしたあげく、他の精神科医にたらい回しにしようとしているのか?
まったくもって、この国の精神科医はどうなっているんだろう?
クスリはバンバン出す、その効果、後遺症についてはほとんど教えてもらえず、たった3分ほどの診療でクスリ代込みで3000円〜4000円ほどをボッタくるのだ。絶対におかしい。どこか間違っている。そう思っても、病院に頼らざるを得ない私たちはとても弱い立場にある。
こういう小さな声を少しずつ集めたら、大きな声になるだろう。この日記をみてくれた人たちで「今の精神科はおかしい!」ってみんな声を大にして叫べば、精神科は変わっていくだろうか?
そう信じたい。
2005年03月09日
2004年4月の日記
2004年4月9日(金)。
私は最近、フジテレビ深夜にやっている「24」にハマっていて毎日睡眠不足の日々を送っている。
今日はもう24時間以上寝てない。
生活保護費が3〜4000円ダウンした。
普段保護費は銀行振込になっているけど、そういう通知が役所から文書で来ていた。
この不況で福祉費に回すお金はないってことか。
世の中値上げばっかりだっていうのにねぇ。
生活キビシー。
この日私は昨夜寝ていないので、15時の診療予定を9時半に変えてもらった。早く病院は済ませてとっとと眠りたいからだ。
私「すいません、時間早目に来てしまって」
I「いえいえ。暖かくなってきましたね。調子はどうですか?」
私「まあ・・・。変わらずといったところです。ちょっと最近夜型になっちゃいまして」
I「ほう」
私「昼間起きているのがつらくて・・・。それで今日も寝ないでここに来たんですが」
I「やっぱり昼間でも寝ないと、体力が続きませんものね」
私「はい」
I「夜は何をしてらっしゃるんですか?」
私「はい、深夜映画にハマってしまいまして・・・」
I「ああ、そうですか。テレビをみる力は戻って来たんですね。ふーん、いいことですよ」
私「はあ、そうですか」
I「いや、元気が出てきた、そのことはいいことですからね」
私「はい」
I「ビデオをいろいろとみてらっしゃるんですか?」
私「いえ、(ドラマの)続き物でして・・・。(I笑顔)前からみてるんで、毎回みてないと訳わかんなくなっちゃうんですよね(笑)」
I「外出はどうですか? されていますか?」
私「そうですね、最近は夜型になってしまってからはあんまり出なくなったんですが、今ちょっと歩いて30分くらい図書館に出かけたんですが」
I「じゃ、本も? 読めるようになりましたか?」
私「はい、読めるようになりました」
I「ああ、じゃよかったですねぇ」
私「はい」
I「じゃあ、最近は明け方に眠るような感じですか?」
私「はい。今日も薬はのんだんですが、頭がぼーっとするだけで眠くならないんです」
I「今回は胃薬は出しておきます?」
私「あ、胃薬はまだ大丈夫です」
I「だいぶ向上してきてると思います。あとはもう少し様子をみてですね」
私「具体的な期間として、先生はどのようにお考えですか?」
I「うーん、今は5割くらいかな?」
私「5割くらい治ってきているということですか?」
I「後は夏頃までによくなっていくっていう感じですかね。気候にも左右されますからね」
私「冬になっちゃうのがこわいんです・・・」
I「そうですよね・・・。じゃあ、外に出るのはお買い物のときくらい?」
私「そうですね。でも最近はともだちに会いに横浜に出たりとか」
I「そのおともだちはあなたに危害を与える人ではないですね?」
私「はい」
I「そうですか」
私「最近交友関係が面倒くさい、と思えてしまって・・・。やはり鬱病のともだちと毎日メール交換してるんですが、かなり彼女は調子悪いみたいなんですね。そういうメールを受け取ると自分も(気持ちが)落ちてきちゃう、という感じがあります」
I「なるべく関わらない方がいいんですけどね」
私「でも友達なんで、無下にはできない・・・」
I「毎日メールとか来るんですか?」
私「はい、多いときは1日に3〜4通ほど」
I「その人はかなり落ち込んでいる様子?」
私「はい、彼女の場合は子供さんも旦那さんもいる方で、家族を巻き込んで大変なことになっているんで、私なんかが何をいっていいのか、困っているんですが」
I「ああ、なるほどねぇ。その方とはどうやって知り合ったんですか?」
私「友達のHPのBBSで知り合って、まだ一度もお会いしてないんですけど」
I「いわゆるメル友ですか?」
私「はい。メールのやりとりだけは3ヶ月くらい続いてるんですね」
I「BBSって何ですか?」
私「あ、掲示板です」
I「あ、そうかそうか・・・。異性の方でこういう方はいますか?」
私「いないですね」
I「友達関係そのものが、あなたにとって負担になってしまうのはよくないので、その辺はよく考えてみて下さい」
私「はい、わかりました」
今日は「母のことを文章にしろ」とはいわれなかった。
言われていたら「母とのつらい思い出をもう一度なぞるようなことはしたくない」とはっきり言うつもりでいたのだが。
「あとどれくらいでよくなるか?」という具体的な問いかけができた。夏頃までには、という話だったが、私は冬になると調子悪くなるのだ。夏までに完全回復するんだろうか?
来年の冬は体調よく迎えられるんだろうか?
一抹の不安。
テレコに雑音が混じって、先生の声がよく聴き取れない。テープ起こしに何時間もかかってしまう。たかだか5分程度の会話なんだから、自分の頭で覚えていればいいものを、帰ってから考えてみると、思い出せないことが多い。先生の言うことを真面目に聞いてないのか、眠剤ののみ過ぎで記憶力が落ちているせいか?
後者だとしたら恐ろしい。
2004年4月23日(金)。
明日はウルフルズツアーファイナルで、武道館まで行ってくる。
ファイナル!
久しぶりの武道館!
楽しみでたまらないんだけど、武道館に行くには遠すぎる。
確か九段下で降りればいいんだよねぇ?
地下鉄の地図とにらめっこ。
このライブは何回目になるだろう。多分20回くらいは行っているだろう。同じツアーに何回行っても楽しい。ウルフルズには客との一体感があって、日ごろのストレスを発散させてくれる。
今回はウルフル友達のMちゃんがパスということで、ひとりで行かなくてはならない。ちょっと淋しいけど。
まぁ、行ったら行ったでひとりでもバカみたいに盛り上がるんだろうけど。
私「遅くなっちゃってすみません」
I「いえいえ・・・。陽気が暑いようですね」
私「そうですね」
I「調子はいかがですか?」
私「ここんとこだいぶ良かったんですけど、今日はちょっとひどくて」
I「ああ、そうですか・・・」
私「どーんと落ちた感じですね」
I「基本的に上向きになってるので、大丈夫ですよ」
私「はい」
I「やがてだんだん上がってきますから、心配することはないと思いますよ」
私「はい」
I「気候も良くなってきてますからね」
私「はい」
I「今日は朝何時くらい起きられました?」
私「そうですね、今朝は5時半くらいに目が覚めてしまって」
I「ほう・・・。いつもこんな調子ですか?」
私「そうですね」
I「それでも以前はもっと眠れなかったですよね? 今は少し良くなったんじゃないですか?」
私「はい、そうですね」
I「全体的には調子は上向いていると思います」
私「はい」
I「深夜映画はみてますか?」
私「ああ、それはもう終わったんで・・・。最近は昼型になってます」
I「そうですか。外出は? お買い物とか?」
私「はい、それとプールにたまーに行くようになりました」
I「ああ、そうですか! 健康にはいいですよね」
私「はい」
I「からだを動かすことはお好きですか?」
私「いえ、嫌いなんですけど、太ってきちゃってるんで」
I「ダイエット?」
私「はい、そうですね」
I「近くに(プールは)あるんですか?」
私「いえ、近くはないんですけど、隣町まで」
I「そうですか。頑張ってますね。お友達に会うことはありますか?」
私「いえ、ほとんどないですね」
I「メル友とはどうですか?」
私「ああ、それは・・・。毎日メールしてますけど・・・。彼女の方も落ち着いたみたいで」
I「ああ、そうですか。その方と会ったことは?」
私「まだないんです」
I「じゃ、メール上でのおつきあい?」
私「はい」
I「その方は鬱っぽいんですか?」
私「はい、鬱ですね」
I「他人とおつきあいがないことで、寂しさを感じることはありますか?」
私「いえ、ないですね」
I「横浜あたりに出られることはありますか?」
私「いえ、最近はないですね」
I「だいたい床に着くのは何時くらいですか?」
私「12時くらいですかね?」
I「12時から朝6時までとして、だいたい6時間は眠れてますね。大丈夫でしょう」
私「はい」
I「じゃ、お薬2週間分出しておきます。また2週間後にいらして下さい」
私「はい、ありがとうございました」
今日の調子は非常に悪かった。朝5時半に目が覚めたと思ったら、7時過ぎには近所の一戸建ての工事が始まり、工事の騒音で全然眠れない。午前中に騒音がおさまり、ウトウトしていたら起きられず、15時の診療予約時間を寝過ごした。夕方になって目が覚めるが、なんだかからだが重くて、いっそのこと病院へ行くのをやめとうか、とも思ったが、からだにムチ打って行ってきた。
そんな状態だったので、質問らしい質問は何ひとつできていない。先生の質問もいつもと変わらない。私の状態が上向いているなら、なぜもっと薬を軽いものにするとかしないのだろう。精神安定剤は全然のんでないし(これは先生には黙っている。もう良くなったね、働きなさいといわれるのを怖がっているからだ)。
なぜ別の病院にかえないのかというと、ひとことで言うと「面倒くさい」からだ。私は精神保健衛生法32条を受けている。転院するとなると、また役所に行って用紙を書いて手続きをしなければならない。保健所にも行かなくてはならない。役所と保健所は1キロ近く離れている。両方行かなきゃいけないのが面倒だし、他のいい病院を探すのも面倒。働くのも面倒。何もかもが面倒で仕方ない。
私は最近、フジテレビ深夜にやっている「24」にハマっていて毎日睡眠不足の日々を送っている。
今日はもう24時間以上寝てない。
生活保護費が3〜4000円ダウンした。
普段保護費は銀行振込になっているけど、そういう通知が役所から文書で来ていた。
この不況で福祉費に回すお金はないってことか。
世の中値上げばっかりだっていうのにねぇ。
生活キビシー。
この日私は昨夜寝ていないので、15時の診療予定を9時半に変えてもらった。早く病院は済ませてとっとと眠りたいからだ。
私「すいません、時間早目に来てしまって」
I「いえいえ。暖かくなってきましたね。調子はどうですか?」
私「まあ・・・。変わらずといったところです。ちょっと最近夜型になっちゃいまして」
I「ほう」
私「昼間起きているのがつらくて・・・。それで今日も寝ないでここに来たんですが」
I「やっぱり昼間でも寝ないと、体力が続きませんものね」
私「はい」
I「夜は何をしてらっしゃるんですか?」
私「はい、深夜映画にハマってしまいまして・・・」
I「ああ、そうですか。テレビをみる力は戻って来たんですね。ふーん、いいことですよ」
私「はあ、そうですか」
I「いや、元気が出てきた、そのことはいいことですからね」
私「はい」
I「ビデオをいろいろとみてらっしゃるんですか?」
私「いえ、(ドラマの)続き物でして・・・。(I笑顔)前からみてるんで、毎回みてないと訳わかんなくなっちゃうんですよね(笑)」
I「外出はどうですか? されていますか?」
私「そうですね、最近は夜型になってしまってからはあんまり出なくなったんですが、今ちょっと歩いて30分くらい図書館に出かけたんですが」
I「じゃ、本も? 読めるようになりましたか?」
私「はい、読めるようになりました」
I「ああ、じゃよかったですねぇ」
私「はい」
I「じゃあ、最近は明け方に眠るような感じですか?」
私「はい。今日も薬はのんだんですが、頭がぼーっとするだけで眠くならないんです」
I「今回は胃薬は出しておきます?」
私「あ、胃薬はまだ大丈夫です」
I「だいぶ向上してきてると思います。あとはもう少し様子をみてですね」
私「具体的な期間として、先生はどのようにお考えですか?」
I「うーん、今は5割くらいかな?」
私「5割くらい治ってきているということですか?」
I「後は夏頃までによくなっていくっていう感じですかね。気候にも左右されますからね」
私「冬になっちゃうのがこわいんです・・・」
I「そうですよね・・・。じゃあ、外に出るのはお買い物のときくらい?」
私「そうですね。でも最近はともだちに会いに横浜に出たりとか」
I「そのおともだちはあなたに危害を与える人ではないですね?」
私「はい」
I「そうですか」
私「最近交友関係が面倒くさい、と思えてしまって・・・。やはり鬱病のともだちと毎日メール交換してるんですが、かなり彼女は調子悪いみたいなんですね。そういうメールを受け取ると自分も(気持ちが)落ちてきちゃう、という感じがあります」
I「なるべく関わらない方がいいんですけどね」
私「でも友達なんで、無下にはできない・・・」
I「毎日メールとか来るんですか?」
私「はい、多いときは1日に3〜4通ほど」
I「その人はかなり落ち込んでいる様子?」
私「はい、彼女の場合は子供さんも旦那さんもいる方で、家族を巻き込んで大変なことになっているんで、私なんかが何をいっていいのか、困っているんですが」
I「ああ、なるほどねぇ。その方とはどうやって知り合ったんですか?」
私「友達のHPのBBSで知り合って、まだ一度もお会いしてないんですけど」
I「いわゆるメル友ですか?」
私「はい。メールのやりとりだけは3ヶ月くらい続いてるんですね」
I「BBSって何ですか?」
私「あ、掲示板です」
I「あ、そうかそうか・・・。異性の方でこういう方はいますか?」
私「いないですね」
I「友達関係そのものが、あなたにとって負担になってしまうのはよくないので、その辺はよく考えてみて下さい」
私「はい、わかりました」
今日は「母のことを文章にしろ」とはいわれなかった。
言われていたら「母とのつらい思い出をもう一度なぞるようなことはしたくない」とはっきり言うつもりでいたのだが。
「あとどれくらいでよくなるか?」という具体的な問いかけができた。夏頃までには、という話だったが、私は冬になると調子悪くなるのだ。夏までに完全回復するんだろうか?
来年の冬は体調よく迎えられるんだろうか?
一抹の不安。
テレコに雑音が混じって、先生の声がよく聴き取れない。テープ起こしに何時間もかかってしまう。たかだか5分程度の会話なんだから、自分の頭で覚えていればいいものを、帰ってから考えてみると、思い出せないことが多い。先生の言うことを真面目に聞いてないのか、眠剤ののみ過ぎで記憶力が落ちているせいか?
後者だとしたら恐ろしい。
2004年4月23日(金)。
明日はウルフルズツアーファイナルで、武道館まで行ってくる。
ファイナル!
久しぶりの武道館!
楽しみでたまらないんだけど、武道館に行くには遠すぎる。
確か九段下で降りればいいんだよねぇ?
地下鉄の地図とにらめっこ。
このライブは何回目になるだろう。多分20回くらいは行っているだろう。同じツアーに何回行っても楽しい。ウルフルズには客との一体感があって、日ごろのストレスを発散させてくれる。
今回はウルフル友達のMちゃんがパスということで、ひとりで行かなくてはならない。ちょっと淋しいけど。
まぁ、行ったら行ったでひとりでもバカみたいに盛り上がるんだろうけど。
私「遅くなっちゃってすみません」
I「いえいえ・・・。陽気が暑いようですね」
私「そうですね」
I「調子はいかがですか?」
私「ここんとこだいぶ良かったんですけど、今日はちょっとひどくて」
I「ああ、そうですか・・・」
私「どーんと落ちた感じですね」
I「基本的に上向きになってるので、大丈夫ですよ」
私「はい」
I「やがてだんだん上がってきますから、心配することはないと思いますよ」
私「はい」
I「気候も良くなってきてますからね」
私「はい」
I「今日は朝何時くらい起きられました?」
私「そうですね、今朝は5時半くらいに目が覚めてしまって」
I「ほう・・・。いつもこんな調子ですか?」
私「そうですね」
I「それでも以前はもっと眠れなかったですよね? 今は少し良くなったんじゃないですか?」
私「はい、そうですね」
I「全体的には調子は上向いていると思います」
私「はい」
I「深夜映画はみてますか?」
私「ああ、それはもう終わったんで・・・。最近は昼型になってます」
I「そうですか。外出は? お買い物とか?」
私「はい、それとプールにたまーに行くようになりました」
I「ああ、そうですか! 健康にはいいですよね」
私「はい」
I「からだを動かすことはお好きですか?」
私「いえ、嫌いなんですけど、太ってきちゃってるんで」
I「ダイエット?」
私「はい、そうですね」
I「近くに(プールは)あるんですか?」
私「いえ、近くはないんですけど、隣町まで」
I「そうですか。頑張ってますね。お友達に会うことはありますか?」
私「いえ、ほとんどないですね」
I「メル友とはどうですか?」
私「ああ、それは・・・。毎日メールしてますけど・・・。彼女の方も落ち着いたみたいで」
I「ああ、そうですか。その方と会ったことは?」
私「まだないんです」
I「じゃ、メール上でのおつきあい?」
私「はい」
I「その方は鬱っぽいんですか?」
私「はい、鬱ですね」
I「他人とおつきあいがないことで、寂しさを感じることはありますか?」
私「いえ、ないですね」
I「横浜あたりに出られることはありますか?」
私「いえ、最近はないですね」
I「だいたい床に着くのは何時くらいですか?」
私「12時くらいですかね?」
I「12時から朝6時までとして、だいたい6時間は眠れてますね。大丈夫でしょう」
私「はい」
I「じゃ、お薬2週間分出しておきます。また2週間後にいらして下さい」
私「はい、ありがとうございました」
今日の調子は非常に悪かった。朝5時半に目が覚めたと思ったら、7時過ぎには近所の一戸建ての工事が始まり、工事の騒音で全然眠れない。午前中に騒音がおさまり、ウトウトしていたら起きられず、15時の診療予約時間を寝過ごした。夕方になって目が覚めるが、なんだかからだが重くて、いっそのこと病院へ行くのをやめとうか、とも思ったが、からだにムチ打って行ってきた。
そんな状態だったので、質問らしい質問は何ひとつできていない。先生の質問もいつもと変わらない。私の状態が上向いているなら、なぜもっと薬を軽いものにするとかしないのだろう。精神安定剤は全然のんでないし(これは先生には黙っている。もう良くなったね、働きなさいといわれるのを怖がっているからだ)。
なぜ別の病院にかえないのかというと、ひとことで言うと「面倒くさい」からだ。私は精神保健衛生法32条を受けている。転院するとなると、また役所に行って用紙を書いて手続きをしなければならない。保健所にも行かなくてはならない。役所と保健所は1キロ近く離れている。両方行かなきゃいけないのが面倒だし、他のいい病院を探すのも面倒。働くのも面倒。何もかもが面倒で仕方ない。
2004年3月の日記
2004年3月12日(金)。
ここ最近、胃が痛い。
今日は病院で胃薬をもらってこよう。
I「その後どうですか?」
私「調子は落ち着いてるんですけれども、明け方4時とか5時に目が覚めてしまうんです」
I「ああ、そうか・・・。それはつらいですねぇ。眠剤はギリギリいっぱいまで出しているんですけど、まだ弱いですかね? 昼寝はしますか?」
私「ええ、2〜3時間たつと眠くなってまた寝てしまいます」
I「あ、いったん目が覚めて、また眠れますか? それなら大丈夫です。もっと健康度が上がってくると夜眠れるようになりますので、心配ないです」
私「そうですか」
I「少し外には出られるようになりましたか?」
私「いや、まだだめです」
I「なるほどね」
私「あと、先週から胃もたれが激しくて、ここ2〜3日は胃が痛い状態なんですね」
I「前に潰瘍とかになったことはありますか?」
私「あ、ポリープになったことがあります」
I「ああ、内科に行った方がいいですよ」
私「胃カメラこわいんですよね」
I「念のために調べてもらった方がいいですよ。何かあると困りますから。私の方で適当な胃薬を出すこともできますが、やはり専門医に調べてもらった方がいいと思いますよ」
私「はい」
I「気分的には落ち着いていますか?」
私「はい、そうですね」
I「お話するのはお隣の人?」
私「そうですね」
I「陽気がもっとよくなるともっともっと(気分が)上がってくると思いますんでね」
私「はい」
I「それじゃお買い物くらいしか(外に出ない)?」
私「はい」
I「テレビなんかはみていますか?」
私「はい、テレビは毎日みています」
I「ああ、テレビはみられるんですか。それはずいぶんよくなりましたね」
私「はい」
I「お母さんはあれからずっと音信不通ですか?」
私「はい、音信不通です」
I「毎日淋しくはないですか?」
私「はい、大丈夫です」
I「状態はずいぶんよくなってますから、後は時間の問題ですから、少し待って下さい」
私「はい」
結局この日は「内科に行け」といわれただけで、胃薬は処方されなかった。
2004年3月26日(金)。
だいぶ春めいてきた。少しは気分も上昇すればいいんだけど、不眠ばかりは治らない。
春はやたらと眠いというけど。
I「だいぶいいみたいですね」
私「はい。でもやっぱりお薬が・・・。朝早く目が覚めてしまうんですけど」
I「(苦笑)そうですか・・・。こんなにのんでるのになぁ」
私「ええ、だいたい(夜)12時くらいにのむんですね。早いときは3時くらいに起きてしまったりするんです」
I「うわぁ、3時間ですか」
私「はい」
I「(クスリは)これ以上増やせないですからねぇ」
私「はい」
I「病気そのものがよくなってきますと、眠れるようになってきますから、もうしばらく辛抱じゃないでしょうか」
私「はい」
I「外出できるようになってきました?」
私「はい、昨日からなるべく外に出ようと思って1時間くらい歩いたんですけど」
I「ああ、それはよかったですね」
私「そうすると、昨日はよく眠れたんですけど」
I「なるほど。そうかそうか」
私「運動不足ですかね」
I「うーん、そうかもしれませんね。これから暖かくなってきますから、もう少しそういった方面も考えるといいかもしれませんね」
私「はい」
I「ようやく春の訪れとともに調子は上向いてきそうですね」
私「はい」
I「他に何かお困りな点はありますか?」
私「ちょっと肥満気味っていうのが・・・」
I「それはさっきの方法で(歩くこと)ですぐに解消されますね」
私「はい」
I「もう少しエネルギーがたまってきたら、お母さんにあててですね、ご自分の心の中で整理されて、お手紙が書けるようになるといいですね」
私「はい」
I「胃の具合はどうですか?」
私「ええ、まあだいぶ良くなったんですけど、まだ少し胃がもたれることがありまして、できれば胃腸薬をいただきたいんですが」
I「内科の方では?」
私「行ってないです」
I「あ、行ってないんですか」
私「はい」
I「胃腸薬・・・。何がいいかな・・・(メモみたいなものを机の一角から取り出して眺める)お隣の方とはおつきあいされてますか?」
私「ええ、毎日のように話しています」
I「ああ、そうですか。(家を)行ったり来たり?」
私「はい、そうです」
I「危険な人ではなさそうですか?」
私「はい」
I「お母さんとは全然? その後?」
私「ないです」
I「福祉の人は来ますか?」
私「いや、来ないですね」
I「来ないですか。そうですか」
私「連絡も来ないですね」
I「お金は銀行振込?」
私「はい」
I「じゃ、会わなくても?」
私「はい」
I「もう少しでかなり良くなってくると思いますので、あと少しの辛抱ですからね」
私「はい、わかりました」
確かに私の心の調子はよくなってきてると感じるけれども、I先生が何をもって「あと少しでよくなる」というのか、その根拠がわからない。それを説明してくれるのが医者じゃないのか?
私に対する質問も、前回、前々回ともに変わらない内容だ。「お母さんとはどうか」「お隣さんとのつきあいはどうか」。
中でも一番聞かれてイヤなことが「母とのことを文章にしたらいいんじゃないか」という問いかけ。これは毎回言われる。
母とのことを書くエネルギーなど、今の私にはない。
いつも同じ質問じゃないか、なぜ3分程度の診療で済ませてしまうのか、聞きたかったけど聞く勇気がなかった。
私は精神保健衛生法の32条を受けているから、いくら病院に行っても診察代、クスリ代はタダで自分の腹は痛まないけど、たった3分間の診療でお金を取られていたら、と考えると憤りのやり場がない。だからってどうすればいいのかわからない。先生に「これだけの診療でこんなにお金取るんですか?」とはさすがに聞けないし。
ここ最近、胃が痛い。
今日は病院で胃薬をもらってこよう。
I「その後どうですか?」
私「調子は落ち着いてるんですけれども、明け方4時とか5時に目が覚めてしまうんです」
I「ああ、そうか・・・。それはつらいですねぇ。眠剤はギリギリいっぱいまで出しているんですけど、まだ弱いですかね? 昼寝はしますか?」
私「ええ、2〜3時間たつと眠くなってまた寝てしまいます」
I「あ、いったん目が覚めて、また眠れますか? それなら大丈夫です。もっと健康度が上がってくると夜眠れるようになりますので、心配ないです」
私「そうですか」
I「少し外には出られるようになりましたか?」
私「いや、まだだめです」
I「なるほどね」
私「あと、先週から胃もたれが激しくて、ここ2〜3日は胃が痛い状態なんですね」
I「前に潰瘍とかになったことはありますか?」
私「あ、ポリープになったことがあります」
I「ああ、内科に行った方がいいですよ」
私「胃カメラこわいんですよね」
I「念のために調べてもらった方がいいですよ。何かあると困りますから。私の方で適当な胃薬を出すこともできますが、やはり専門医に調べてもらった方がいいと思いますよ」
私「はい」
I「気分的には落ち着いていますか?」
私「はい、そうですね」
I「お話するのはお隣の人?」
私「そうですね」
I「陽気がもっとよくなるともっともっと(気分が)上がってくると思いますんでね」
私「はい」
I「それじゃお買い物くらいしか(外に出ない)?」
私「はい」
I「テレビなんかはみていますか?」
私「はい、テレビは毎日みています」
I「ああ、テレビはみられるんですか。それはずいぶんよくなりましたね」
私「はい」
I「お母さんはあれからずっと音信不通ですか?」
私「はい、音信不通です」
I「毎日淋しくはないですか?」
私「はい、大丈夫です」
I「状態はずいぶんよくなってますから、後は時間の問題ですから、少し待って下さい」
私「はい」
結局この日は「内科に行け」といわれただけで、胃薬は処方されなかった。
2004年3月26日(金)。
だいぶ春めいてきた。少しは気分も上昇すればいいんだけど、不眠ばかりは治らない。
春はやたらと眠いというけど。
I「だいぶいいみたいですね」
私「はい。でもやっぱりお薬が・・・。朝早く目が覚めてしまうんですけど」
I「(苦笑)そうですか・・・。こんなにのんでるのになぁ」
私「ええ、だいたい(夜)12時くらいにのむんですね。早いときは3時くらいに起きてしまったりするんです」
I「うわぁ、3時間ですか」
私「はい」
I「(クスリは)これ以上増やせないですからねぇ」
私「はい」
I「病気そのものがよくなってきますと、眠れるようになってきますから、もうしばらく辛抱じゃないでしょうか」
私「はい」
I「外出できるようになってきました?」
私「はい、昨日からなるべく外に出ようと思って1時間くらい歩いたんですけど」
I「ああ、それはよかったですね」
私「そうすると、昨日はよく眠れたんですけど」
I「なるほど。そうかそうか」
私「運動不足ですかね」
I「うーん、そうかもしれませんね。これから暖かくなってきますから、もう少しそういった方面も考えるといいかもしれませんね」
私「はい」
I「ようやく春の訪れとともに調子は上向いてきそうですね」
私「はい」
I「他に何かお困りな点はありますか?」
私「ちょっと肥満気味っていうのが・・・」
I「それはさっきの方法で(歩くこと)ですぐに解消されますね」
私「はい」
I「もう少しエネルギーがたまってきたら、お母さんにあててですね、ご自分の心の中で整理されて、お手紙が書けるようになるといいですね」
私「はい」
I「胃の具合はどうですか?」
私「ええ、まあだいぶ良くなったんですけど、まだ少し胃がもたれることがありまして、できれば胃腸薬をいただきたいんですが」
I「内科の方では?」
私「行ってないです」
I「あ、行ってないんですか」
私「はい」
I「胃腸薬・・・。何がいいかな・・・(メモみたいなものを机の一角から取り出して眺める)お隣の方とはおつきあいされてますか?」
私「ええ、毎日のように話しています」
I「ああ、そうですか。(家を)行ったり来たり?」
私「はい、そうです」
I「危険な人ではなさそうですか?」
私「はい」
I「お母さんとは全然? その後?」
私「ないです」
I「福祉の人は来ますか?」
私「いや、来ないですね」
I「来ないですか。そうですか」
私「連絡も来ないですね」
I「お金は銀行振込?」
私「はい」
I「じゃ、会わなくても?」
私「はい」
I「もう少しでかなり良くなってくると思いますので、あと少しの辛抱ですからね」
私「はい、わかりました」
確かに私の心の調子はよくなってきてると感じるけれども、I先生が何をもって「あと少しでよくなる」というのか、その根拠がわからない。それを説明してくれるのが医者じゃないのか?
私に対する質問も、前回、前々回ともに変わらない内容だ。「お母さんとはどうか」「お隣さんとのつきあいはどうか」。
中でも一番聞かれてイヤなことが「母とのことを文章にしたらいいんじゃないか」という問いかけ。これは毎回言われる。
母とのことを書くエネルギーなど、今の私にはない。
いつも同じ質問じゃないか、なぜ3分程度の診療で済ませてしまうのか、聞きたかったけど聞く勇気がなかった。
私は精神保健衛生法の32条を受けているから、いくら病院に行っても診察代、クスリ代はタダで自分の腹は痛まないけど、たった3分間の診療でお金を取られていたら、と考えると憤りのやり場がない。だからってどうすればいいのかわからない。先生に「これだけの診療でこんなにお金取るんですか?」とはさすがに聞けないし。
2005年03月08日
2004年2月の日記
2004年2月13日(金)。
この日記を書くようすすめてくれた友人がライブハウスの仕事を請け負っていて、アーティストを集めたいとのことなので、日ごろのお礼も兼ねて、知り合いのインディーズミュージシャンを何人か紹介した。
これぐらいのことだけど、鬱が軽くなったときだからできたことなんだろうか?
私にとっては2月は最も鬱がひどくなる時期なのに。
この友人には書いた原稿を添削してもらったり、鬱の症状を訴えてはアドバイスをもらい、日ごろ何かとお世話になっている。
少しでも彼の役に立ちたいと思ったのかな。
I「どうですか? 調子の方は」
私「ここ1週間くらいは調子はいいです」
I「そうですか」
私「気温が暖かいせいもあって」
I「気温暖かいですからね。それじゃ少し外の出る機会も?」
私「ええ、昨日も散歩にでかけまして」
I「それはいいですね。暖かくなると調子も上向いてきますからね。イヤな2月の時期も乗り越えられそうですね」
私「ちょっと薬の件でお聞きしたいんですけど、過食止めの薬が出てますよね? あれはもうのんでないんで出していただかなくていいんですが」
I「それじゃ止めておきましょう。安定剤の方は?」
私「のんでます」
I「調子の方は徐々に上がってきますから、落ち着いたらお母様とのことを文章に書き留める作業を行うといいですね」
私「母にも一度電話をしたんですが、転居してました」
I「それじゃ居所がわからない?」
私「まあ、そうですね」
I「ええっ! しかし・・・。ちょっと常識的には信じられないですね」
私「はい」
I「そういう行き当たりばったりな行動を取る方だったんですか?」
私「ええ、前にマンション問題のことでもめたとき、引っ越すことになるだろうけど、行き先はあんたには教えないといわれました」
I「そうなると、あなたの気持ちを直接お母様に告げるということがなかなかできなくなるのでやはり文章で残しておいた方がいいかもしれませんね」
私「はい」
I「マンション問題とはどういうことだったんでしたっけ?」
私「騒音です。上の階の人の騒音で悩んでまして。母は分譲でマンションを買ったのですが、引っ越したということは、マンションを手放したということだと思います」
I「そうですか・・・。今特におつきあいされている方はいらっしゃいますか?」
私「隣の部屋の方と仲良くさせてもらってます」
I「女性ですか?」
私「はい」
I「お隣もひとりですか?」
私「そうです」
I「同じくらいの年代の方ですか?」
私「いえ、65〜66才の母と同じくらいの年代の方です。おかず分けていただいたりとか」
I「その方はあなたを傷つけるとかなさらないですよね? 今のあなたにとって、心を傷つけられるようなことをされるのは大変ですからね」
私「はい」
I「もうちょっとで調子も上がってくると思いますので、次は2週間後いらして下さい」
2004年2月27日(金)。
ウルフルズのライブに行ったけど、日ごろの体力不足がたたって、全然踊れなかった・・・。
ちょっと飛び跳ねるくらいで、はぁはぁいってるし。
私が29歳の頃、ウルフルズは「ガッツだぜ!」がヒットした。「ガッツだぜ! パワフル魂〜♪」その歌詞を聴いて、なんてうさんくさいバンドなんだ・・・と思っていた。歌のタイトルも珍妙だし。ところがそれから半年ほどたって、友人のクルマの中、北海道へのキャンプ旅行に男二人、私ひとりで行ったときのこと、ウルフルズの「バンザイ」というアルバムを聴く機会があり、えっ、何? こんな楽しいいい歌歌っているの?
と感じた。
メロディはノリノリで踊れそうだし、このアルバムは完成度が非常に高いと感じた。アーティストの魂がこもってる感じがした。
魂揺さぶる男、ボーカルのトータス松本、笑うギタリスト、ウルフルケイスケ、筋肉隆々のドラマー、サンコンJr.、ぼーっとしながら毒舌を発するベーシスト、ジョン・B・チョッパーの4人組で結成されている。
みんな大阪にいた時代、バイト仲間で結成されたバンドだ。
アルバム「バンザイ」の中には、仕事に追われてあたふたする男の「てんてこMy Mind」とか「泣きたくないのに」という題名とは裏腹に、泣ける曲とかが入っている。
中でも「ダメなものはダメ」という曲の歌の合間に「松本くん(ボーカルのトータス松本のこと)は人の和というのをわかってないからダメなんだ〜」というセリフがあり、これには爆笑して、それ以来ウルフルズの熱狂的ファンになった。
ウルフルズのライブは楽しい。ウルフルズが「俺たちは〜?」と聞くとお客は「ウルフルズ〜!」と答え、「キミたちは〜?」「お客〜!」「ここは〜?」「○○〜!」(ライブ会場の地名が入る)。「あーい言葉はカモン!」「AAP!」(アホアホパワー。ウルフルズのスローガン)というコール&レスポンスがバカバカしいが面白い。やってて楽しい。すかっとする。
それにしても寒いので、外出もしたくない。
図書館もプールもウチからは遠い。
図書館へは歩いて30分くらい、プールは電車で一駅乗らなければならない。
活字も今は読むのがつらい。
以前は1日に文庫本を1冊くらいはサクッと読めていた。今はまったく読む気になれない。鬱が激しくなってからは、新聞もろくに読めなくなった。
唯一これだけは、と思っているゴスペルも、歌っててなんか楽しくない。
テレビドラマの白い巨塔をみて、「アメージンググレース」という曲に心奪われて、この曲をゴスペルで歌ってみたい! と思った。
それでネットで、近くにあるゴスペルグループを探し出して通い始めたのはいいけれど、知らない曲ばかりやるので、すぐ飽きてきた。
「確かな積み上げ」となるものが、私にはひとつもない。
ただ、食べて、テレビみて、眠るだけの毎日だ。
生活保護を受けるまでは、今までの生活を維持するためにとにかく金策に走り回った。毎日お金のことを心配してギスギスしていた。
OL辞めて4年ほど、貯金と勤めていた会社から給付される「傷病手当金」で暮らしていた。私は大手電気メーカーの派遣会社から系列会社にオペレータとして派遣されたので、その企業の保険証が使えた。
ボーナスがない分、派遣社員は手取りがよく、月給30万くらいもらっていた。
医者から診断書をもらい、就業中病気にかかったことが証明されれば「傷病手当金」というのは手取りの8割くらいの金額を2年くらいもらえる。それは大手企業の福利厚生の良さだ。月にして24万くらいはもらえていた。
私は上司のミスから鬱病が発病した。傷病手当金をもらうのは当然だろう。
100万ほどあった貯金が底をついたとき、手軽に勤められる水商売を3年くらいやった。(と当時は水商売をなめていた)。
地元のクラブ系の店を6ヶ所くらい転々とした。転々としたのは、給料がもらえなくなったり、ママとケンカして辞めたり、そんなところだ。どの店でも日曜・祝日以外は毎日出勤していた。このときの給料も月手取りで30万くらいだったろう。
以前住んでいた広いマンション、クルマなどの快適な生活を泣く泣く捨てて、生活保護に頼ったのは、もう鬱病と金策に疲れ果てていたからだ。
毎日ODを繰り返して、首吊り自殺未遂も起こし、そんな私の状態を見るに見かねた友人が、私の住んでいた地域の民生委員さんに連絡を取ってくれた。民生委員のおばちゃんは、すぐさま役所の福祉課の人と一緒に来てくれ、生活保護の手続きは私の自宅で行われた。それは2003年7月のことだった。
生活保護を受けるとなると、私の住んでいいる市は家賃が46000円以内のところを探さなければならない。とにかくどんなにボロくても、荷物が多いので広い部屋を、と希望していたら、運良く2軒目の不動産屋で家賃45000円、2DKのアパートがみつかった。
築40年以上だけどね。相当ボロくてすきま風が身にしみるけどね。
生活保護を受けてホッとした。営業電話で疲れたり、酔っ払いの相手をするつらい水商売生活に終止符が打てた。
あのままムリして水商売を続けていたら、肝臓も壊していただろうし、神経もいつもピリピリさせていただろう。水商売をやってたときは、ストレスがたまり、ほとんど食事ができなくなり、体重は37キロまで落ちた。拒食症一歩手前だったのだ。
今はごはんがおいしく食べられる。食べ過ぎて体脂肪31%というデブになってしまったけれど、拒食症で死ぬよりマシだ。
I「いかがですか?」
私「だいぶいいです」
I「あー、よかった」
私「よく眠れてます」
I「そうですか」
私「生活福祉課の方から先生のところに問い合わせが来たりとかってあるんですか?」
I「今回は特にないと思いますよ。例えばちゃんと通ってますか? とか聞いてくることもありますけどね」
私「生活福祉課の方が全然うちに来ないんで」
I「今よりもっと(あなたが)悪い状態のときにはちょっと人に会いたくない状態ですよ、といってあるんで」
私「そうですか」
I「薬が効きすぎているってことはないですか?」
私「今のでちょうどいいくらいです」
I「そうですか。じゃあ前と変わらないのを出しておきましょう」
私「はい」
I「じゃあ少し外を散歩したりとかすることは?」
私「あ、それはまだできないです」
I「でもお顔の色が明るくなってきましたね。笑顔もみえるし。お買い物になんかは出ることはありますか?」
私「用事のついでに買いこんでくるといった感じです」
I「お隣の方とはいかがですか?」
私「仲良くさせてもらっています。昨日もおかず分けていただいて」
I「ああ、そうですか。お母様から何か連絡は?」
私「いえ、ないです」
I「じゃあ、誰かと親しく話をしたりとかいうことは?」
私「いや、ないですね。お隣さんとぐらいしか」
I「淋しくはないですか?」
私「そうですね」
I「毎日どう過ごされてますか? テレビをみるとか」
私「ああ、毎日テレビばっかりみています」
I「あ、テレビはみれるようになったんですね」
私「はい」
I「いつも2月はこんな感じですか?」
私「はい。でも今年は結構(鬱が)軽くてすみました」
I「毎年2月になると?」
私「毎年寒くなってくると調子が悪くて」
I「それはつらいですね」
私「はい」
I「じゃあ、これからだんだんと気分が上がってくると思いますけど、お母様とのことを文章にする作業が出来てくるといいですね。無理にやろうとするとかえってマイナスですから、無理はなさらないように」
虐待を母から受けたことを思い出すのはつらい。
自然に文章に書けるよう、それまでまったりと過ごして行きたいと思った。
この日記を書くようすすめてくれた友人がライブハウスの仕事を請け負っていて、アーティストを集めたいとのことなので、日ごろのお礼も兼ねて、知り合いのインディーズミュージシャンを何人か紹介した。
これぐらいのことだけど、鬱が軽くなったときだからできたことなんだろうか?
私にとっては2月は最も鬱がひどくなる時期なのに。
この友人には書いた原稿を添削してもらったり、鬱の症状を訴えてはアドバイスをもらい、日ごろ何かとお世話になっている。
少しでも彼の役に立ちたいと思ったのかな。
I「どうですか? 調子の方は」
私「ここ1週間くらいは調子はいいです」
I「そうですか」
私「気温が暖かいせいもあって」
I「気温暖かいですからね。それじゃ少し外の出る機会も?」
私「ええ、昨日も散歩にでかけまして」
I「それはいいですね。暖かくなると調子も上向いてきますからね。イヤな2月の時期も乗り越えられそうですね」
私「ちょっと薬の件でお聞きしたいんですけど、過食止めの薬が出てますよね? あれはもうのんでないんで出していただかなくていいんですが」
I「それじゃ止めておきましょう。安定剤の方は?」
私「のんでます」
I「調子の方は徐々に上がってきますから、落ち着いたらお母様とのことを文章に書き留める作業を行うといいですね」
私「母にも一度電話をしたんですが、転居してました」
I「それじゃ居所がわからない?」
私「まあ、そうですね」
I「ええっ! しかし・・・。ちょっと常識的には信じられないですね」
私「はい」
I「そういう行き当たりばったりな行動を取る方だったんですか?」
私「ええ、前にマンション問題のことでもめたとき、引っ越すことになるだろうけど、行き先はあんたには教えないといわれました」
I「そうなると、あなたの気持ちを直接お母様に告げるということがなかなかできなくなるのでやはり文章で残しておいた方がいいかもしれませんね」
私「はい」
I「マンション問題とはどういうことだったんでしたっけ?」
私「騒音です。上の階の人の騒音で悩んでまして。母は分譲でマンションを買ったのですが、引っ越したということは、マンションを手放したということだと思います」
I「そうですか・・・。今特におつきあいされている方はいらっしゃいますか?」
私「隣の部屋の方と仲良くさせてもらってます」
I「女性ですか?」
私「はい」
I「お隣もひとりですか?」
私「そうです」
I「同じくらいの年代の方ですか?」
私「いえ、65〜66才の母と同じくらいの年代の方です。おかず分けていただいたりとか」
I「その方はあなたを傷つけるとかなさらないですよね? 今のあなたにとって、心を傷つけられるようなことをされるのは大変ですからね」
私「はい」
I「もうちょっとで調子も上がってくると思いますので、次は2週間後いらして下さい」
2004年2月27日(金)。
ウルフルズのライブに行ったけど、日ごろの体力不足がたたって、全然踊れなかった・・・。
ちょっと飛び跳ねるくらいで、はぁはぁいってるし。
私が29歳の頃、ウルフルズは「ガッツだぜ!」がヒットした。「ガッツだぜ! パワフル魂〜♪」その歌詞を聴いて、なんてうさんくさいバンドなんだ・・・と思っていた。歌のタイトルも珍妙だし。ところがそれから半年ほどたって、友人のクルマの中、北海道へのキャンプ旅行に男二人、私ひとりで行ったときのこと、ウルフルズの「バンザイ」というアルバムを聴く機会があり、えっ、何? こんな楽しいいい歌歌っているの?
と感じた。
メロディはノリノリで踊れそうだし、このアルバムは完成度が非常に高いと感じた。アーティストの魂がこもってる感じがした。
魂揺さぶる男、ボーカルのトータス松本、笑うギタリスト、ウルフルケイスケ、筋肉隆々のドラマー、サンコンJr.、ぼーっとしながら毒舌を発するベーシスト、ジョン・B・チョッパーの4人組で結成されている。
みんな大阪にいた時代、バイト仲間で結成されたバンドだ。
アルバム「バンザイ」の中には、仕事に追われてあたふたする男の「てんてこMy Mind」とか「泣きたくないのに」という題名とは裏腹に、泣ける曲とかが入っている。
中でも「ダメなものはダメ」という曲の歌の合間に「松本くん(ボーカルのトータス松本のこと)は人の和というのをわかってないからダメなんだ〜」というセリフがあり、これには爆笑して、それ以来ウルフルズの熱狂的ファンになった。
ウルフルズのライブは楽しい。ウルフルズが「俺たちは〜?」と聞くとお客は「ウルフルズ〜!」と答え、「キミたちは〜?」「お客〜!」「ここは〜?」「○○〜!」(ライブ会場の地名が入る)。「あーい言葉はカモン!」「AAP!」(アホアホパワー。ウルフルズのスローガン)というコール&レスポンスがバカバカしいが面白い。やってて楽しい。すかっとする。
それにしても寒いので、外出もしたくない。
図書館もプールもウチからは遠い。
図書館へは歩いて30分くらい、プールは電車で一駅乗らなければならない。
活字も今は読むのがつらい。
以前は1日に文庫本を1冊くらいはサクッと読めていた。今はまったく読む気になれない。鬱が激しくなってからは、新聞もろくに読めなくなった。
唯一これだけは、と思っているゴスペルも、歌っててなんか楽しくない。
テレビドラマの白い巨塔をみて、「アメージンググレース」という曲に心奪われて、この曲をゴスペルで歌ってみたい! と思った。
それでネットで、近くにあるゴスペルグループを探し出して通い始めたのはいいけれど、知らない曲ばかりやるので、すぐ飽きてきた。
「確かな積み上げ」となるものが、私にはひとつもない。
ただ、食べて、テレビみて、眠るだけの毎日だ。
生活保護を受けるまでは、今までの生活を維持するためにとにかく金策に走り回った。毎日お金のことを心配してギスギスしていた。
OL辞めて4年ほど、貯金と勤めていた会社から給付される「傷病手当金」で暮らしていた。私は大手電気メーカーの派遣会社から系列会社にオペレータとして派遣されたので、その企業の保険証が使えた。
ボーナスがない分、派遣社員は手取りがよく、月給30万くらいもらっていた。
医者から診断書をもらい、就業中病気にかかったことが証明されれば「傷病手当金」というのは手取りの8割くらいの金額を2年くらいもらえる。それは大手企業の福利厚生の良さだ。月にして24万くらいはもらえていた。
私は上司のミスから鬱病が発病した。傷病手当金をもらうのは当然だろう。
100万ほどあった貯金が底をついたとき、手軽に勤められる水商売を3年くらいやった。(と当時は水商売をなめていた)。
地元のクラブ系の店を6ヶ所くらい転々とした。転々としたのは、給料がもらえなくなったり、ママとケンカして辞めたり、そんなところだ。どの店でも日曜・祝日以外は毎日出勤していた。このときの給料も月手取りで30万くらいだったろう。
以前住んでいた広いマンション、クルマなどの快適な生活を泣く泣く捨てて、生活保護に頼ったのは、もう鬱病と金策に疲れ果てていたからだ。
毎日ODを繰り返して、首吊り自殺未遂も起こし、そんな私の状態を見るに見かねた友人が、私の住んでいた地域の民生委員さんに連絡を取ってくれた。民生委員のおばちゃんは、すぐさま役所の福祉課の人と一緒に来てくれ、生活保護の手続きは私の自宅で行われた。それは2003年7月のことだった。
生活保護を受けるとなると、私の住んでいいる市は家賃が46000円以内のところを探さなければならない。とにかくどんなにボロくても、荷物が多いので広い部屋を、と希望していたら、運良く2軒目の不動産屋で家賃45000円、2DKのアパートがみつかった。
築40年以上だけどね。相当ボロくてすきま風が身にしみるけどね。
生活保護を受けてホッとした。営業電話で疲れたり、酔っ払いの相手をするつらい水商売生活に終止符が打てた。
あのままムリして水商売を続けていたら、肝臓も壊していただろうし、神経もいつもピリピリさせていただろう。水商売をやってたときは、ストレスがたまり、ほとんど食事ができなくなり、体重は37キロまで落ちた。拒食症一歩手前だったのだ。
今はごはんがおいしく食べられる。食べ過ぎて体脂肪31%というデブになってしまったけれど、拒食症で死ぬよりマシだ。
I「いかがですか?」
私「だいぶいいです」
I「あー、よかった」
私「よく眠れてます」
I「そうですか」
私「生活福祉課の方から先生のところに問い合わせが来たりとかってあるんですか?」
I「今回は特にないと思いますよ。例えばちゃんと通ってますか? とか聞いてくることもありますけどね」
私「生活福祉課の方が全然うちに来ないんで」
I「今よりもっと(あなたが)悪い状態のときにはちょっと人に会いたくない状態ですよ、といってあるんで」
私「そうですか」
I「薬が効きすぎているってことはないですか?」
私「今のでちょうどいいくらいです」
I「そうですか。じゃあ前と変わらないのを出しておきましょう」
私「はい」
I「じゃあ少し外を散歩したりとかすることは?」
私「あ、それはまだできないです」
I「でもお顔の色が明るくなってきましたね。笑顔もみえるし。お買い物になんかは出ることはありますか?」
私「用事のついでに買いこんでくるといった感じです」
I「お隣の方とはいかがですか?」
私「仲良くさせてもらっています。昨日もおかず分けていただいて」
I「ああ、そうですか。お母様から何か連絡は?」
私「いえ、ないです」
I「じゃあ、誰かと親しく話をしたりとかいうことは?」
私「いや、ないですね。お隣さんとぐらいしか」
I「淋しくはないですか?」
私「そうですね」
I「毎日どう過ごされてますか? テレビをみるとか」
私「ああ、毎日テレビばっかりみています」
I「あ、テレビはみれるようになったんですね」
私「はい」
I「いつも2月はこんな感じですか?」
私「はい。でも今年は結構(鬱が)軽くてすみました」
I「毎年2月になると?」
私「毎年寒くなってくると調子が悪くて」
I「それはつらいですね」
私「はい」
I「じゃあ、これからだんだんと気分が上がってくると思いますけど、お母様とのことを文章にする作業が出来てくるといいですね。無理にやろうとするとかえってマイナスですから、無理はなさらないように」
虐待を母から受けたことを思い出すのはつらい。
自然に文章に書けるよう、それまでまったりと過ごして行きたいと思った。