2016年02月29日
『ゼロの使い魔』のシリーズ再開と21巻読了を祝して
1 ヤマグチノボル(筆者)について
2 『ゼロの使い魔』(作品)について
3 『ゼロの使い魔』21(復活した最新刊)の感想と評価
4 『ゼロの使い魔』。そのシリーズ完結を託されたのは誰なのか?
5 最後に(改めて)まとめ
の五点について綴ってみたい。
・ヤマグチノボルについて
MF文庫Jと言えばヤマグチノボル先生。
「ヤマグチノボルの前にMF文庫J無く、ヤマグチノボルの後にMF文庫J有り」
正に、そんな認識じゃないかと。えぇ。その通りだと思いますよ。
緑の背表紙。創刊当時では後発レーベル。そんなMF文庫Jは、新人賞から大ヒット作が生まれ、看板若手作家が出たと言うより、ヤマグチノボルと『ゼロの使い魔』シリーズが築き上げた王朝といった感じかと。新人賞作家の活躍はもっと後のことで、レーベルへの貢献度とPRにおけるゼロ魔の功績は多大なものがある。
なので、初ヤマグチノボルが『つっぱれ有栖川』だった人は、まずいないでしょう。(単巻だしね)
http://www.kadokawa.co.jp/lnovel/bk_detail.php?pcd=200203000739
いたら、相当に珍しい方で、普通は『ゼロの使い魔』から遡及的に読んだというパターンかと。初のオリジナル作品なんですけどね。
普通はノベライズから入ったか、『ゼロの使い魔』のはず。
そんな、ヤマグチノボル先生も初期の作風は「切ない」「現代」が舞台という感じでした。
「ファンタジー」「王道」「ラブコメ」「ツンデレ」などというキーワードが並ぶイメージではない。
試しにということで、久しぶりに、個人的にヤマグチノボル最高傑作だと思う、スニーカー文庫の方の『グリーングリーンを』読み返してみました。
以下に冒頭の1ページを記してみることにする。
以上です。
まず、気がつくのは、最初の二行が詩的なこと。特に『朝の七時半。』の体言止めが絶妙に
利かせてあって、歌の歌詞かと思うほど。
これが、『文字盤を眺めると、朝の七時半』か『文字盤を眺めると、朝の七時半だった』と書かれていたら何でも無いです。これは書き手のヤマグチ先生が明確な意思を持って書いた一文だとはっきりわかる書き出し。
映像化しながら読むと、デジタル時計を映しながら始まり、恐らく布団じゃなくてベッドから少年が目覚めて、文字盤をアップで映すということになるでしょうか。
続く、『小学校の〜買い換える気にすらならない。』
この部分は、主人公の現在の状況を明確に示している箇所。具体的にはお古の時計を未だに使っていて、どうやら男子校にいるらしい、ということを示唆している。
驚かされるのは
まさか。まさかの押入れ。十中八九、ベッドだと思って読んでいた大半の読者は度肝を抜かれる。「押入れかよ!」って具合に。
それも1頁目にして。スゲー。もう、引きつけられてます。作者の手の中で転がされる読み手。
というわけで、起床の映像に続いて主人公の状況を把握した読者は、次でまた映像を頭の中で描くわけだけど、それがいきなりベッドではなく押入れという奇想に驚きつつ、それを連想する。不意打ちに「やられた!」と思いつつね。男子高校生が押入れ!から起き出す。「うわー。冴えねぇ〜。完全に薄暗い青春だな」とか思いながら読むわけだ。
次に注目なのが、「欠伸を一つ、かました。」の部分。
『欠伸をした』でも『大きく欠伸をして伸びをした』でもない。
『欠伸を一つ』だけ『かました』んです。
ここに主人公の性格が集約されていると言えます。青春飢餓の男子高校生。その欝屈した感じと、故に平気で欠伸をかましちゃうのが。
そもそも、朝の起床から始めるラノベなんて退屈極まりない書き出しなんです。普通は。
それが、この後の女子の転入と共学化、ボーイ・ミーツ・ガールへと華麗に発展し、僅か20頁足らずで読者をグイグイ引き込む。
いやぁ〜、名人芸!
この後で話は冒頭でアラームが鳴ったことと、腕時計が「明確な意味を持った小道具だった」ことが分かる仕掛けになっているので、気になった人は読むべし。
因みに文庫解説は、今ほど有名になる前の虚淵玄。
ヤマグチノボルと同学年でもあり、個性が出まくりの解説文は爆笑(?)必至。
で。結論は、MF文庫Jより小さい角川文庫と(多分)同じ、文庫見開きで42(縦)×34(横)の「弁当箱」あるいは「キャンバス」に、自覚的にヤマグチノボルは、文庫サイズを意識した上で文章を綴っていたということだ。これはこの後での、『ゼロの使い魔』21巻にも繋がる話なのだ!
実は、官能ライトノベル(?)の美少女文庫でも出していたり、HExAGON管理人でテキストサイトの雄でもあったのは、知ってる人は知ってる話。
特に、テキストサイトでの活動は作家志望者の投稿時代に相当する修行時代であり、現代の「なろう系」だったり「Web作家」の先がけと言ってもいい。テーブルトークRPGじゃない辺りが、90年代〜00年代初頭のネット史を回顧する形で懐かしい。
ブログなんて無くて、自作小説(二次創作含む)やイラストを個人サイトにUPしてた。そんな時代。「ブログ」じゃなくて「日記」でしたから。
そんなMF文庫Jの大看板作家であったヤマグチノボル氏が病でこの世を去る。
ヤマグチノボル永眠。
この悲報と共に、代表作も未完のままかと思われていましたが、昨年度、再開がMF文庫Jより発表。生きておられたら44才になる、今年、2016年の2月に発売とあい成ったのでした。
・『ゼロの使い魔』について
ライトノベル界ではファンタジーが衰退し冬の時代。
けれど、意欲的な挑戦したファンタジー路線は大ヒット。これが、MF文庫Jの大躍進に繋がって、ファンタジーというジャンルそのものの復興にも繋がった。
(現代の戦記もの&異世界転生の潮流は、ゼロ魔から始まる。スレイヤーズ時代のRPG的冒険譚に学園もの要素を持ち込み、キャッチーさを生んだ)
けれど、多くのファンタジーものと決定的に違うのは学園ものの枠にとらわれない作品だということ。学園に安住して、ファンタジーバトルに終始するわけでもなく、アドベンチャーに飛び出したりもする。つまり、それだけスケールが大きい。ここら辺が、学園ものと戦記ものブリッジする形で『ゼロの使い魔』が魅力な理由かと。
勿論、主人公(サイト)とヒロイン(ルイズ)のラブロマンス(コメディ含む)の距離や心情の深化や進展も、大いに盛り上げる要因ではあります。
そもそも、ビター&スイートなラブロマンスはヤマグチ先生が得意とするところでもありますしね。
ハリー・ポッターの影響を感じる魔法学校もの、時にシリアス、時に戦記もの、時に冒険小説、時にラブコメ・・・。
それでいて、明確にエンターテイメントのファンタジーを貫いている。それだけ読み易いですし、当時は複雑化が否めないファンタジーそのものが、ジャンルとして枯れていた。そこを、ヒロインと下僕(使い魔)になった主人公で読ませてしまうのが、『ゼロの使い魔』でありました。
そのヒロインであるルイズは、「ツンデレ」の代名詞というくらいの存在で、そのキャラクター類型では殿堂入りして名誉称号を得てもいいレベルかと。
ということは、深堀出来るファンタジーというジャンルを選択し、感情移入出来て(読者が)見守れる主人公とヒロインの掘り下げとキャラ立ちがしっかりとしている。
この段階で、世界観とキャラクターの点でかなり強固の作品と言えるわけだ。
そこに、読みやすさ、リーダビリティが加わる。
これで売れなかったら嘘だ!
・『ゼロの使い魔』21の感想と評価
一読して、まず感じたのは、とてつもなく明確なプロットを築き上げたのだなということ。
ここまで、無駄な描写のないライトノベルというのも、相当に珍しいと思う。
大抵は、「ここは楽をしたな」とか「描写が足りてないんだよな。背景を頑張ってないマンガみたいな感じで」とか「台詞のやりとりが冗長だしスベってる・・・」という部分が有るものです。
それが全く無くて、全く無駄のない文章が、40(縦)×34(横)のMF文庫Jサイズに完璧に収まっている。
試しに引用してみる。例えばアクションシーンなどは、こんな感じ。
「映像化を念頭に置いて書く」を自負されていたヤマグチ先生らしい、イメージの湧くプロットで、さらにそれを発展させた21巻目だと思います。相当、細かいアクションをプロットに書き込んだ跡が見える。
例1は、上から声が降ってきてカメラのアングルを切り替えると、天井からつり下がる照明にルイズがという画。その後で、どうやったかの説明。
うーん。練り込まれとる。アニメであれ実写映像であれ、コンテが直ぐに書けそうな親切な描写です。それでいて、高低差とアングルを自覚的に演出プランとして使ってる。これを4行でやってしまうんだから恐ろしい。無駄が無い。
例2も、まず四方にキャラクターが走る画からスタートし、擬音。その後で地面が陥没する視覚に訴える描写。
書き手は、相当に映像や文章構成能力に長けてる人でしょう。じゃないと、こうは書けないので。
今度は例3。
門に着くまでの出来事として設定説明をしつつ、退屈にならないように台詞も交えて、会話が終わったタイミングで『市壁の門の前までたどり着くと、“人形”はサラサラと崩れ、もとの砂に戻った。』と映像が目に浮かぶ動きを描写しつつ、『精霊との契約はここまでらしい。』は会話もここまでを意味し、次の展開に移ることを示唆している。
これを、しっかりと「40(縦)×34(横)の弁当箱」=MF文庫J文庫見開きサイズに収めているんだから、舌を巻くってもんです。
また、硬くなり過ぎないように、所々に肩の力を抜いてある箇所はあるものの、それは「スカスカ」を意味しないし、むしろ、きっちりとした描写を盛り込んでおいて、エンタメらしい台詞回しやシーンを挿入するのは、それだけ技術力が高いという証拠。
因みに、敢えて作った隙はこんなところ。
この手の「軽さ」の部分は極僅かなのが、逆に敢えてそうしてることが良く分かる。
というか、実にゼロ魔らしい文章じゃないか。サイトらしいとも言うが。
小難しい捏ね繰り回した表現を避けつつ、文庫頁内に綺麗にまとめる。
これが確かな筆力というやつでしょう。
特に、『ルイズはくぬっ、と胸の谷間を作ろうとした。』には爆笑。
くぬっを会話文にしないで、一文の中に擬音を混ぜ込むのは思わず唸った。必死に胸を寄せる時に思わず出た、何気ない声。この三文字で笑えるのは単純に凄い。
さて。肝心の中身(ストーリー)の詳細は、まだ読んでない人も多いと思うので敢えて詳しくは書かない。
ただ、パーティを分割してのアクションやストーリー進行は、SFファンタジーである『スター・ウォーズ』を連想させる上手い見せ方だし、FF10の聖ベベル宮突入を思わせる奪還は話を大いに盛り上げる。
そもそも、砂漠の街そのものが『スター・ウォーズ』の惑星タトゥイーンを思わせるし、作中では北アフリカっぽくもあるけれど、恐らくはトルコがモデルかと。イスタンブールさを感じます。
初めての訪れた街の景色を、最初にキャラクターの見た情報として描写するのは、親切かつ映像的な書きすすめ方で、とても良かったです。まず街の情景を、というのは映画を思わせます。建物に入った時も同じ。まず視覚情報から書き出す。
唯一の欠点は、隙がなさ過ぎる故に予め決まった展開通りに進む、ということくらい。
そのおかげで、「次の展開の予測がつかないでハラハラする!」というドキドキは読んでいて感じません。
後は、冒頭はさすがに大役ということで、ぎこちなかったかなと。2章からはイキイキしてきて、その途中からはもう大丈夫なんですが、1章はちょっと硬い。
けれど、代筆で書き上げたプレッシャーを考えれば、余計なことは出来ないので致し方ないと思います。手を加えてオリジナルにしてしまうのは無理ですし、そもそも、シリーズ完結目前なので今さら風呂敷を広げる状況じゃない。むしろ、畳みに入っているわけで。
創作として、終盤でふくざつ〜な(複雑)ことは、やらない方がいいんです。とにかく、ややこしくして驚きを、は良くない。ある程度、ゴールが見えてベタに着地させる方が絶対にいい。つまり、広げ方より畳み方。
それでも、伏線はしっかり張ってますし、最終巻まで読んだら、21巻の構成は正しかったという思いを抱くかもしれませんし。こればっかりは、最終巻までを通して見て見ないと適切な評価は出来ないかと。
以上のことから、再開された『ゼロの使い魔』、その21巻は「超高純度なプロット」を堪能すべき一冊かと。そう思う。
とにかく、才人とルイズの主人公とヒロインが別々に動いているので、ボーイ・ミーツ・ガールに至らせるにはそれぞれのパートを書き出すしかない。それでいて、どちらも複数から成るパーティで行動しているので、動かしたり登場するキャラクターが多い。これらの書き分けと有機的な物語への関与のさせ方は、相当に骨が折れる。
それを、シーンごとに何人出して、どう活躍させかを綿密にプロットに書き込んだことでしょう。だから情報が散漫にならないで、高密度で話が展開する。これは、ヤマグチノボル先生が冒険小説を愛読していたから出来たことで、三人称使いが上手いということでもある。過去に書かれた、才人を取り合うヒロインたちの掛け合いシーンなどを思い出しても、その辺のものとはレベルが違いましたからね。おまけに笑えるし。
これが死を覚悟した一人の作家が残したものかと思うと、自身の手で完結させたかったであろう思いは脇に置くとして、凄まじいものを感じます。
もう、比類なきお手本であり、体調的に執筆がダメでもプロットだけは完璧に仕上げきるという意地か執念を感じられずにはいられない。
きっと何度もブラッシュアップし、代筆さんが困らないように詳細な設計図の如きプロットを仕上げたはずです。
その分、シーンと三人称の対象は頻繁に代わり、シーンごとの尺そのものは短い。
本来は、救出劇だったり、アクションも濃密にやれば450頁は超える大作になったでしょう。あるいは、21巻の内容だけで上下巻。
けれど、読み進めやすさと完結を無駄に引っ張らないように、徹底的にシェイプアップしたプロットを選択。そのため長さに対し、サクサク読めるし色々な登場人物が総登場し、入れ替わり立ち替わりで結末まで進む群像劇になっている。まるで、スティーブンソンの小説を読んでる気分でした。同じ四十代で旅立ったのも・・・。
夏目漱石も、スティーブンソンを高く評価してましたね。「読みやすい」って言って。
http://sociologyofyouthculture.blogspot.jp/2014_05_01_archive.html
とかく、『宝島』などの冒険小説で英文学者からは低く見られがちですが、作家人気が高いのもスティーブンソンの特徴です。
児童小説として、少年少女に人気。それはヤマグチノボルという人と、『ゼロの使い魔』も同じでしょう。
一般受けするライトでエンタメな内容。けれど、学園生活から冒険活劇まで内包。それでいて、狙ってやる「読みやすい」筆力。ほら。どう考えても、スティーブンソンだよ。
・『ゼロの使い魔』。そのシリーズ完結を託されたのは誰なのか?
まぁ、下世話なんですが気になるものです。やっぱり。
先入観を取り払った状態で読むべく、ここ、一ヶ月くらいはMF文庫Jの公式サイトの新刊情報などには一切近寄らずに発売日に買って読み始めた次第。
読了後、ライトノベル名物、「作者あとがき」を勇気をもって捲る。
しかし、あとがきは前編集長で執筆者名は明かされず。表紙や著者近影も「ヤマグチノボル」とだけある。きっと完結大円団を見るまでは伏せておくのでしょう。
でも、気になるのが人情。
個人的は、「盟友」桑島(由一)さんかと予想したんですが、ブランクも長いですし違うかなと。
(僕としては、『屍者の帝国』を『ゼロの使い魔』に、ヤマグチノボルを伊藤計劃に、円城塔を桑島由一に見立ててしまうので。どうしてもね・・・。)
じゃあ、MF文庫Jで誰がいるのか?
この大役を務め切る人で、ファンタジー・冒険・ラブコメ・戦記が書ける・・・。
多分。恐らくですけど、『魔弾の王と戦姫』川口士さんかな?
そう予想してみました。実年齢2歳後輩なので、あるんじゃないかと。それも含めて。
大穴なら、先にも述べた虚淵玄氏。虚淵の書き繋ぐゼロの使い魔というのも、相当に刺激的で、また伝説(?)あるいは功績が増えますな。でも、可能性ゼロじゃないと思うのですが。
本命予想の川口さんかどうかは別にして、他人の大人気シリーズ作の完結を任されるというのは、これはもう凄い重圧です。自分の作品ではないので勝手が分からない。それでいて、ファンを失望させてはいけない。これをやりきったその方は、作家仲間からは激賞されるのは確か。何せ、最終版の超人気シリーズ完結の代筆なんですから。
・最後に(改めて)まとめ
ヤマグチノボル先生ほど、作品・作風は別にして、作者本人が同業者から愛された人もいないのではないかと思う。
何といっても、すんげぇイケメンなわけで。清潔感のある、都会的な感じの。
絶対に北関東人だとは誰も思うまい(爆)
まぁ、東京生活が長いからなわけですが。ようは、クドカンを見て東北人と思わない感覚と一緒ってことで。
さてさて。
やはり、一流の作家は「持ってるな」という気がします。
人徳だったり、熱心なファンだったり。色々と。死んで星になるんじゃなくて、ストーリーになってしまうんだなと。
僕は、ヤマグチノボルという作家は星じゃなくて、ヤマグチノボルという物語の主人公であり、物語になったんだと思っています。
以上。
1 ヤマグチノボル(筆者)について
2 『ゼロの使い魔』(作品)について
3 『ゼロの使い魔』21(復活した最新刊)の感想と評価
4 『ゼロの使い魔』。そのシリーズ完結を託されたのは誰なのか?
5 最後に(改めて)まとめ
の五点について綴ってみたい。
・ヤマグチノボルについて
MF文庫Jと言えばヤマグチノボル先生。
「ヤマグチノボルの前にMF文庫J無く、ヤマグチノボルの後にMF文庫J有り」
正に、そんな認識じゃないかと。えぇ。その通りだと思いますよ。
緑の背表紙。創刊当時では後発レーベル。そんなMF文庫Jは、新人賞から大ヒット作が生まれ、看板若手作家が出たと言うより、ヤマグチノボルと『ゼロの使い魔』シリーズが築き上げた王朝といった感じかと。新人賞作家の活躍はもっと後のことで、レーベルへの貢献度とPRにおけるゼロ魔の功績は多大なものがある。
なので、初ヤマグチノボルが『つっぱれ有栖川』だった人は、まずいないでしょう。(単巻だしね)
http://www.kadokawa.co.jp/lnovel/bk_detail.php?pcd=200203000739
いたら、相当に珍しい方で、普通は『ゼロの使い魔』から遡及的に読んだというパターンかと。初のオリジナル作品なんですけどね。
普通はノベライズから入ったか、『ゼロの使い魔』のはず。
そんな、ヤマグチノボル先生も初期の作風は「切ない」「現代」が舞台という感じでした。
「ファンタジー」「王道」「ラブコメ」「ツンデレ」などというキーワードが並ぶイメージではない。
試しにということで、久しぶりに、個人的にヤマグチノボル最高傑作だと思う、スニーカー文庫の方の『グリーングリーンを』読み返してみました。
以下に冒頭の1ページを記してみることにする。
『左の手首に巻いた腕時計が、調子っぱずれの『グリーン グリーン』のメロディを奏でて、僕は目を覚ました。擦り傷だらけのデジタルの文字盤を眺める。朝の七時半。
小学校の時に買ったこの腕時計のアラーム音は、誰もが合唱コンクールで一度は歌う『グリーン グリーン』の曲なのだった。実家の近くにあった時計屋が限定で作った「世界の名曲アラームシリーズ」の一品。はっきり言って、高校生が使うものじゃない。
なんで小学校の頃に買ってもらった時計を未だに使っているのかと言うと、この学園にいる限り、身なりに気を使う必要がないからだ。なんちゅうか、異性の目が無いと時計を買い換える気にすらならない。
この腕時計が、時間通りにアラームを鳴らすのは珍しい。随分使いこまれたこの時計は半分壊れていて、設定した時間でもないのにアラーム音を鳴らしまくるからだ。
僕は押入れからのっそり這い出てくると、欠伸を一つ、かました。
このオンボロ木造の寮に暮らす生徒たちは、大体押入れをベッドとして使っている。』
以上です。
まず、気がつくのは、最初の二行が詩的なこと。特に『朝の七時半。』の体言止めが絶妙に
利かせてあって、歌の歌詞かと思うほど。
これが、『文字盤を眺めると、朝の七時半』か『文字盤を眺めると、朝の七時半だった』と書かれていたら何でも無いです。これは書き手のヤマグチ先生が明確な意思を持って書いた一文だとはっきりわかる書き出し。
映像化しながら読むと、デジタル時計を映しながら始まり、恐らく布団じゃなくてベッドから少年が目覚めて、文字盤をアップで映すということになるでしょうか。
続く、『小学校の〜買い換える気にすらならない。』
この部分は、主人公の現在の状況を明確に示している箇所。具体的にはお古の時計を未だに使っていて、どうやら男子校にいるらしい、ということを示唆している。
驚かされるのは
『僕は押入れからのっそり這い出てくると、欠伸を一つ、かました。』の一文。
まさか。まさかの押入れ。十中八九、ベッドだと思って読んでいた大半の読者は度肝を抜かれる。「押入れかよ!」って具合に。
それも1頁目にして。スゲー。もう、引きつけられてます。作者の手の中で転がされる読み手。
というわけで、起床の映像に続いて主人公の状況を把握した読者は、次でまた映像を頭の中で描くわけだけど、それがいきなりベッドではなく押入れという奇想に驚きつつ、それを連想する。不意打ちに「やられた!」と思いつつね。男子高校生が押入れ!から起き出す。「うわー。冴えねぇ〜。完全に薄暗い青春だな」とか思いながら読むわけだ。
次に注目なのが、「欠伸を一つ、かました。」の部分。
『欠伸をした』でも『大きく欠伸をして伸びをした』でもない。
『欠伸を一つ』だけ『かました』んです。
ここに主人公の性格が集約されていると言えます。青春飢餓の男子高校生。その欝屈した感じと、故に平気で欠伸をかましちゃうのが。
そもそも、朝の起床から始めるラノベなんて退屈極まりない書き出しなんです。普通は。
それが、この後の女子の転入と共学化、ボーイ・ミーツ・ガールへと華麗に発展し、僅か20頁足らずで読者をグイグイ引き込む。
いやぁ〜、名人芸!
この後で話は冒頭でアラームが鳴ったことと、腕時計が「明確な意味を持った小道具だった」ことが分かる仕掛けになっているので、気になった人は読むべし。
因みに文庫解説は、今ほど有名になる前の虚淵玄。
ヤマグチノボルと同学年でもあり、個性が出まくりの解説文は爆笑(?)必至。
で。結論は、MF文庫Jより小さい角川文庫と(多分)同じ、文庫見開きで42(縦)×34(横)の「弁当箱」あるいは「キャンバス」に、自覚的にヤマグチノボルは、文庫サイズを意識した上で文章を綴っていたということだ。これはこの後での、『ゼロの使い魔』21巻にも繋がる話なのだ!
実は、官能ライトノベル(?)の美少女文庫でも出していたり、HExAGON管理人でテキストサイトの雄でもあったのは、知ってる人は知ってる話。
特に、テキストサイトでの活動は作家志望者の投稿時代に相当する修行時代であり、現代の「なろう系」だったり「Web作家」の先がけと言ってもいい。テーブルトークRPGじゃない辺りが、90年代〜00年代初頭のネット史を回顧する形で懐かしい。
ブログなんて無くて、自作小説(二次創作含む)やイラストを個人サイトにUPしてた。そんな時代。「ブログ」じゃなくて「日記」でしたから。
そんなMF文庫Jの大看板作家であったヤマグチノボル氏が病でこの世を去る。
ヤマグチノボル永眠。
この悲報と共に、代表作も未完のままかと思われていましたが、昨年度、再開がMF文庫Jより発表。生きておられたら44才になる、今年、2016年の2月に発売とあい成ったのでした。
・『ゼロの使い魔』について
ライトノベル界ではファンタジーが衰退し冬の時代。
けれど、意欲的な挑戦したファンタジー路線は大ヒット。これが、MF文庫Jの大躍進に繋がって、ファンタジーというジャンルそのものの復興にも繋がった。
(現代の戦記もの&異世界転生の潮流は、ゼロ魔から始まる。スレイヤーズ時代のRPG的冒険譚に学園もの要素を持ち込み、キャッチーさを生んだ)
けれど、多くのファンタジーものと決定的に違うのは学園ものの枠にとらわれない作品だということ。学園に安住して、ファンタジーバトルに終始するわけでもなく、アドベンチャーに飛び出したりもする。つまり、それだけスケールが大きい。ここら辺が、学園ものと戦記ものブリッジする形で『ゼロの使い魔』が魅力な理由かと。
勿論、主人公(サイト)とヒロイン(ルイズ)のラブロマンス(コメディ含む)の距離や心情の深化や進展も、大いに盛り上げる要因ではあります。
そもそも、ビター&スイートなラブロマンスはヤマグチ先生が得意とするところでもありますしね。
ハリー・ポッターの影響を感じる魔法学校もの、時にシリアス、時に戦記もの、時に冒険小説、時にラブコメ・・・。
それでいて、明確にエンターテイメントのファンタジーを貫いている。それだけ読み易いですし、当時は複雑化が否めないファンタジーそのものが、ジャンルとして枯れていた。そこを、ヒロインと下僕(使い魔)になった主人公で読ませてしまうのが、『ゼロの使い魔』でありました。
そのヒロインであるルイズは、「ツンデレ」の代名詞というくらいの存在で、そのキャラクター類型では殿堂入りして名誉称号を得てもいいレベルかと。
ということは、深堀出来るファンタジーというジャンルを選択し、感情移入出来て(読者が)見守れる主人公とヒロインの掘り下げとキャラ立ちがしっかりとしている。
この段階で、世界観とキャラクターの点でかなり強固の作品と言えるわけだ。
そこに、読みやすさ、リーダビリティが加わる。
これで売れなかったら嘘だ!
・『ゼロの使い魔』21の感想と評価
一読して、まず感じたのは、とてつもなく明確なプロットを築き上げたのだなということ。
ここまで、無駄な描写のないライトノベルというのも、相当に珍しいと思う。
大抵は、「ここは楽をしたな」とか「描写が足りてないんだよな。背景を頑張ってないマンガみたいな感じで」とか「台詞のやりとりが冗長だしスベってる・・・」という部分が有るものです。
それが全く無くて、全く無駄のない文章が、40(縦)×34(横)のMF文庫Jサイズに完璧に収まっている。
試しに引用してみる。例えばアクションシーンなどは、こんな感じ。
『「ここよ」73頁
ルイズの声は、テュリュークのはるか頭上から響いた。
すっくと背を伸ばしたルイズが、天井からつり下がる照明の上に立っていた。
“テレポート”の魔法を使い、ルイズは一瞬で移動したのだった。』
『頭上に巨大な影が落ちる。ルイズたちはあわてて四方に散った。67頁
ズウウウウウウウウウンッ!
落下してきた巨人の足が床にめり込み、粉塵が勢いよく舞い上がる。
動きを止めた巨人の頭部めがけて、コルベールは“フレイム・ボール”を撃ち込んだ。誘導機能を持つ炎球が三発、尾を曳いて飛んでいき、直撃する。』
「映像化を念頭に置いて書く」を自負されていたヤマグチ先生らしい、イメージの湧くプロットで、さらにそれを発展させた21巻目だと思います。相当、細かいアクションをプロットに書き込んだ跡が見える。
例1は、上から声が降ってきてカメラのアングルを切り替えると、天井からつり下がる照明にルイズがという画。その後で、どうやったかの説明。
うーん。練り込まれとる。アニメであれ実写映像であれ、コンテが直ぐに書けそうな親切な描写です。それでいて、高低差とアングルを自覚的に演出プランとして使ってる。これを4行でやってしまうんだから恐ろしい。無駄が無い。
例2も、まず四方にキャラクターが走る画からスタートし、擬音。その後で地面が陥没する視覚に訴える描写。
書き手は、相当に映像や文章構成能力に長けてる人でしょう。じゃないと、こうは書けないので。
『門に着くまでのあいだ、ルクシャナはエウメネスのことを話してくれた。123頁
エルフからすれば、ここは砂漠の外れ、“大いなる意志”から見放された場所なんだそうだ。なので、罪を犯したエルフの多くは、昔からこの地に追放されてきた。
当然ながら、砂漠のエルフたちはこの街の住民を蔑み、決して交流を持とうとはしなかった。そんな孤立した場所で生き抜いていくためには、ハルケギニアの蛮人とも交流せざるを得なかった……、と、そういう事情のようだ。
「まあ、流刑の地だったのは、大昔の話ではあるんだが……、いまでも砂漠の民のほとんどは、ここに近寄ろうとしない。もちろん、純血主義の『鉄血団結党』の連中なんかは、一人もいないだろうな」
アリィーが言った。
市壁の門の前までたどり着くと、“人形”はサラサラと崩れ、もとの砂に戻った。精霊との契約はここまでらしい。』
今度は例3。
門に着くまでの出来事として設定説明をしつつ、退屈にならないように台詞も交えて、会話が終わったタイミングで『市壁の門の前までたどり着くと、“人形”はサラサラと崩れ、もとの砂に戻った。』と映像が目に浮かぶ動きを描写しつつ、『精霊との契約はここまでらしい。』は会話もここまでを意味し、次の展開に移ることを示唆している。
これを、しっかりと「40(縦)×34(横)の弁当箱」=MF文庫J文庫見開きサイズに収めているんだから、舌を巻くってもんです。
また、硬くなり過ぎないように、所々に肩の力を抜いてある箇所はあるものの、それは「スカスカ」を意味しないし、むしろ、きっちりとした描写を盛り込んでおいて、エンタメらしい台詞回しやシーンを挿入するのは、それだけ技術力が高いという証拠。
因みに、敢えて作った隙はこんなところ。
『「……サイト、だ、だめよ、お庭で首輪なんて……、もう、何を考えてるのよ……」30頁
「なんて夢を見てるんですか」
シエスタはジト目になった。』
『ルイズはくぬっ、と胸の谷間を作ろうとした。180頁
「あは、ミス・ヴァリエール、それ、わたしがいつも使っている洗濯板にそっくりですわ」
にこっと笑うシエスタに、ルイズは杖を手にして殴りかかった』
『「とても……、ステキなおっぱいだと思います」128頁
「本当……?」
「ああ、本当だ。俺が言うんだから、間違いねえ」
「でも、お医者様は、おかしな胸だって……」
「お、おかしな胸なんかじゃねえって。テファの胸は、世界に誇れるおっぱい、ナイスおっぱいだ!」
「ナイスおっぱい?」
「ああ、ナイスおっぱい」』
この手の「軽さ」の部分は極僅かなのが、逆に敢えてそうしてることが良く分かる。
というか、実にゼロ魔らしい文章じゃないか。サイトらしいとも言うが。
小難しい捏ね繰り回した表現を避けつつ、文庫頁内に綺麗にまとめる。
これが確かな筆力というやつでしょう。
特に、『ルイズはくぬっ、と胸の谷間を作ろうとした。』には爆笑。
くぬっを会話文にしないで、一文の中に擬音を混ぜ込むのは思わず唸った。必死に胸を寄せる時に思わず出た、何気ない声。この三文字で笑えるのは単純に凄い。
さて。肝心の中身(ストーリー)の詳細は、まだ読んでない人も多いと思うので敢えて詳しくは書かない。
ただ、パーティを分割してのアクションやストーリー進行は、SFファンタジーである『スター・ウォーズ』を連想させる上手い見せ方だし、FF10の聖ベベル宮突入を思わせる奪還は話を大いに盛り上げる。
そもそも、砂漠の街そのものが『スター・ウォーズ』の惑星タトゥイーンを思わせるし、作中では北アフリカっぽくもあるけれど、恐らくはトルコがモデルかと。イスタンブールさを感じます。
初めての訪れた街の景色を、最初にキャラクターの見た情報として描写するのは、親切かつ映像的な書きすすめ方で、とても良かったです。まず街の情景を、というのは映画を思わせます。建物に入った時も同じ。まず視覚情報から書き出す。
唯一の欠点は、隙がなさ過ぎる故に予め決まった展開通りに進む、ということくらい。
そのおかげで、「次の展開の予測がつかないでハラハラする!」というドキドキは読んでいて感じません。
後は、冒頭はさすがに大役ということで、ぎこちなかったかなと。2章からはイキイキしてきて、その途中からはもう大丈夫なんですが、1章はちょっと硬い。
けれど、代筆で書き上げたプレッシャーを考えれば、余計なことは出来ないので致し方ないと思います。手を加えてオリジナルにしてしまうのは無理ですし、そもそも、シリーズ完結目前なので今さら風呂敷を広げる状況じゃない。むしろ、畳みに入っているわけで。
創作として、終盤でふくざつ〜な(複雑)ことは、やらない方がいいんです。とにかく、ややこしくして驚きを、は良くない。ある程度、ゴールが見えてベタに着地させる方が絶対にいい。つまり、広げ方より畳み方。
それでも、伏線はしっかり張ってますし、最終巻まで読んだら、21巻の構成は正しかったという思いを抱くかもしれませんし。こればっかりは、最終巻までを通して見て見ないと適切な評価は出来ないかと。
以上のことから、再開された『ゼロの使い魔』、その21巻は「超高純度なプロット」を堪能すべき一冊かと。そう思う。
とにかく、才人とルイズの主人公とヒロインが別々に動いているので、ボーイ・ミーツ・ガールに至らせるにはそれぞれのパートを書き出すしかない。それでいて、どちらも複数から成るパーティで行動しているので、動かしたり登場するキャラクターが多い。これらの書き分けと有機的な物語への関与のさせ方は、相当に骨が折れる。
それを、シーンごとに何人出して、どう活躍させかを綿密にプロットに書き込んだことでしょう。だから情報が散漫にならないで、高密度で話が展開する。これは、ヤマグチノボル先生が冒険小説を愛読していたから出来たことで、三人称使いが上手いということでもある。過去に書かれた、才人を取り合うヒロインたちの掛け合いシーンなどを思い出しても、その辺のものとはレベルが違いましたからね。おまけに笑えるし。
これが死を覚悟した一人の作家が残したものかと思うと、自身の手で完結させたかったであろう思いは脇に置くとして、凄まじいものを感じます。
もう、比類なきお手本であり、体調的に執筆がダメでもプロットだけは完璧に仕上げきるという意地か執念を感じられずにはいられない。
きっと何度もブラッシュアップし、代筆さんが困らないように詳細な設計図の如きプロットを仕上げたはずです。
その分、シーンと三人称の対象は頻繁に代わり、シーンごとの尺そのものは短い。
本来は、救出劇だったり、アクションも濃密にやれば450頁は超える大作になったでしょう。あるいは、21巻の内容だけで上下巻。
けれど、読み進めやすさと完結を無駄に引っ張らないように、徹底的にシェイプアップしたプロットを選択。そのため長さに対し、サクサク読めるし色々な登場人物が総登場し、入れ替わり立ち替わりで結末まで進む群像劇になっている。まるで、スティーブンソンの小説を読んでる気分でした。同じ四十代で旅立ったのも・・・。
夏目漱石も、スティーブンソンを高く評価してましたね。「読みやすい」って言って。
http://sociologyofyouthculture.blogspot.jp/2014_05_01_archive.html
とかく、『宝島』などの冒険小説で英文学者からは低く見られがちですが、作家人気が高いのもスティーブンソンの特徴です。
児童小説として、少年少女に人気。それはヤマグチノボルという人と、『ゼロの使い魔』も同じでしょう。
一般受けするライトでエンタメな内容。けれど、学園生活から冒険活劇まで内包。それでいて、狙ってやる「読みやすい」筆力。ほら。どう考えても、スティーブンソンだよ。
・『ゼロの使い魔』。そのシリーズ完結を託されたのは誰なのか?
まぁ、下世話なんですが気になるものです。やっぱり。
先入観を取り払った状態で読むべく、ここ、一ヶ月くらいはMF文庫Jの公式サイトの新刊情報などには一切近寄らずに発売日に買って読み始めた次第。
読了後、ライトノベル名物、「作者あとがき」を勇気をもって捲る。
しかし、あとがきは前編集長で執筆者名は明かされず。表紙や著者近影も「ヤマグチノボル」とだけある。きっと完結大円団を見るまでは伏せておくのでしょう。
でも、気になるのが人情。
個人的は、「盟友」桑島(由一)さんかと予想したんですが、ブランクも長いですし違うかなと。
(僕としては、『屍者の帝国』を『ゼロの使い魔』に、ヤマグチノボルを伊藤計劃に、円城塔を桑島由一に見立ててしまうので。どうしてもね・・・。)
じゃあ、MF文庫Jで誰がいるのか?
この大役を務め切る人で、ファンタジー・冒険・ラブコメ・戦記が書ける・・・。
多分。恐らくですけど、『魔弾の王と戦姫』川口士さんかな?
そう予想してみました。実年齢2歳後輩なので、あるんじゃないかと。それも含めて。
大穴なら、先にも述べた虚淵玄氏。虚淵の書き繋ぐゼロの使い魔というのも、相当に刺激的で、また伝説(?)あるいは功績が増えますな。でも、可能性ゼロじゃないと思うのですが。
本命予想の川口さんかどうかは別にして、他人の大人気シリーズ作の完結を任されるというのは、これはもう凄い重圧です。自分の作品ではないので勝手が分からない。それでいて、ファンを失望させてはいけない。これをやりきったその方は、作家仲間からは激賞されるのは確か。何せ、最終版の超人気シリーズ完結の代筆なんですから。
・最後に(改めて)まとめ
ヤマグチノボル先生ほど、作品・作風は別にして、作者本人が同業者から愛された人もいないのではないかと思う。
何といっても、すんげぇイケメンなわけで。清潔感のある、都会的な感じの。
絶対に北関東人だとは誰も思うまい(爆)
まぁ、東京生活が長いからなわけですが。ようは、クドカンを見て東北人と思わない感覚と一緒ってことで。
さてさて。
やはり、一流の作家は「持ってるな」という気がします。
人徳だったり、熱心なファンだったり。色々と。死んで星になるんじゃなくて、ストーリーになってしまうんだなと。
僕は、ヤマグチノボルという作家は星じゃなくて、ヤマグチノボルという物語の主人公であり、物語になったんだと思っています。
以上。
2015年12月04日
007の歴史は、リアル路線への挑戦と挫折でもある。
女王陛下の007の興行的失敗により、大金を積んでもショーン・コネリーを再登板させ、監督もゴールドフィンガーのガイ・ハミルトンを起用。そして、長らくシリーズは『大人仮面ライダー』の様相を呈する。冷戦終結後のゴールデンアイで、リアル路線の試みも見られたものの、完全に軸足を移すのは、ダニエル・クレイグがボンド役を務めるまで待たなければならなかった。という背景が。
カジノロワイヤル以降、ハードボイルド路線に入ったと思われる007シリーズだが、芸術映画を自任していない以上、娯楽映画なわけだから、「楽しくない」「つまらない」と感じた本作に関しては反省してもらいたい気分。
何で、こんな微妙な作品になったかといえば、諸悪の根源はロンドン五輪になるのでは?
007作品の舞台を無理やりイギリス本土にしようとした気がして、そうだとすれば大人の事情やら思惑が絡んでろくなことにならなかった典型例かと。本作は五輪と同じ年に公開されたのだが、劇場で見たら怒り狂っていたと思う。ホントにツタヤの半額レンタル日のDVDで済ませて良かった。
シリーズX周年記念作品!とか言って力むと傑作か失敗のいずれかだが、残念ながら後者・・・。
よくよく考えれば、007オクトパシーで列車の上でのアクションが娯楽映画としてのものだったのに対し、007スカイフォールの冒頭ではボンドが撃たれてしまうという展開が、現代のリアリズム路線007を物語っている。
007カジノロワイヤルでボンドが拘束されて拷問されるシーンに観客はショックと衝撃を受けたわけだが、3作目では狙撃にミスで痛い目に遭わされるのはボンドの方で、もう驚かないし当然のようになっている。見る方もこれはボンドが撃たれるなと、思いつつ眺めている。危なっかしい狙撃手が標準を合わせていても「こりゃ。ボンドの方に当たるな」と思ったらその通りに。そう感じるんだから、もう、リアリズム路線を受け入れた証拠だろう。
公開当時も、「スパイが時代遅れになった複雑な世界環境の変化を描く」みたいな大上段に構えて豪語していたので大変期待していたのだが・・・
にしては、映画の展開に粗が多いのでは?
(敵が)射撃対決に勝ったもののあっさり捕縛される〜それは女上司への復讐のための潜入〜最後はスコットランドへボンドと女上司を追跡。
この辺の流れに、口をパクパクさせながら見る羽目に(泣)
冷めてしまったのは、元諜報員シルヴァ(敵役)がマザコン野郎で私的な恨みのために粘着ストーキングしてくることと、軍艦らしき島での射撃対決とその後の流れ。
ボンドを生かして返した上で、彼の生家で対決するってどうよ?
いきなり、管理人が出て来る展開も意味不明だし、わざわざ最終対決する場としてはどうかね。おまけに女上司のM同伴で。
(因みに射撃対決も、黄金銃を持つ男でやってる)
結局の所、何が退屈だったかと自問自答した結果、派手なアクションが無くて悪役に凄みを感じないことに辿り着く。
組織や職務への批判ではなく、「グレート・マザー」への私怨は頂けない!
こういう変態が、自分から寄って来るせいで世界を股に駆ける展開にもならない。
さて、女上司Mとの緊張感ある関係がウリのダニエル版007シリーズだが、今作で退場するわけだが、どうも007ワールド・ノット・イナフにおいて、ソフィー・マルソーも絡めた関係に比べれば、スカイフォールは明確に劣る。
上司とのドライな関係性をリアル路線として描くにしては、かなり残念な出来。これもマザコン野郎が絡んで、確執を念入りに描かせてくれないせいだろう。
見る前は、現代の複雑化した情報社会と国際情勢を折り込むんで来ると思い(だってそう宣伝してたじゃん。組織・国より個だとか言って)、「目に見えない敵」に期待を高ぶらせていたら、悪役は元同僚の先輩で、女上司Mを逆恨みしているマザコン気味と知り失望。
いくらなんでも、肩すかし過ぎる。
報復のため、一大組織を作り上げて英国および諜報機関に世界規模で混乱に陥れる様な仕返しを画策して、これに対処するボンドの構図なら胸躍ったのだが。英国諜報部を凌ぐ近代的組織を作り上げロンドンで大規模テロを狙っているくらいのスケールだと信じてたら、
敢えてボス自ら捕まりました。これは潜入です。スパイ不用を謳いながら、最後は直接的手段? ええぇ(萎)
組織や上司との対立。孤独なボンド。この手のことは、007消されたライセンスでやっているわけで、組織に対する報復よりM個人への執着と復讐に勤しむ悪役に、謳い文句のダイナズム溢れる暴れっぷりを期待していただけに、ロンドン地下鉄の追いかけっこでボスが直接敵地に乗り込んで来るのは、リアル路線との乖離を感じる。スコットランドまで執拗に追いかけて来るのも、ね。ロンドンでドンパチやらずに、ストーキングしてきたお陰でテンポが悪くなりました。
そもそも、監督に007シリーズへの造形と愛は存在するのか疑問。大いに。
シリーズの伝統という手枷足枷の上で、シニカルに皮肉ってみせてこそ、だろうに。
単なる英国失墜を、ボンドに仮託して批判的に作ったというなら、臍曲がりもいいところ。
まぁ、何て言いますか、今作のDVDパッケージは暗いし恐ろしく地味。監督の写実的・絵画的な、即物的な作風から、晩年の芥川作品のようで。007ボンドの老いや衰えを指摘するのは勝手だが他人まで憂鬱にさせるなよと言いたくなるのに似ている。
個人的には、硬派なボンド映画を見るなら、これじゃなくて『女王陛下の007』を見るよ、ということに尽きる。
少なくとも、「(シリアスでハードボイルドな現代的な作風で評価を得たけれど)、この監督に胸躍るアクションは撮れなかったね」と後世語られることと思う。
仮に好意的に見るにしても、前2作と本筋的4作への流れや出来から翻って、スカイフォールは王道展開の4作目に向かうために創造的破壊の壊される役を担ったんだと解釈する他ない。この作品単体を取り出しただけでは、極めて不出来。
従来の男性M、マネー・ペニー、Qというおなじみのキャラクターを出した上で、どういう仕上がりになるかでダニエル版のシリーズ評価が決まるだろう。
追記
・・・まぁ、こういう作風に走らせた点で、ロジャー・ムーア版の影響は大きいということか。有り難いのか、有り難くないのか(爆)
エンタメ路線、大人仮面ライダーはロジャー・ムーアの功罪であり、『女王陛下の007』がウケなかった帰結ですからね。
というわけで、最新作『007 スペクター』は観に行く気になれません。スカイフォールと監督が同じなので、ハズレを引くんじゃないかと思ってしまって。
リアル、シリアス、エンタメ、アクションの四要素のバランスは本当に難しい。シリーズ24作目ながらまだまだ葛藤し続けることでしょう。『007 スペクター』観とけば良かったと悔しがらせて欲しいものです。ホント頼むよ。観なくて良かったでは寂しい。こういうのは裏切られた方がいいんだから。
とかなんとか言いながら、中英接近で、現実世界のパワーバランスを盛り込めそうじゃないですか。25作目は落ち目の英国と昇竜中国を意識した作品でいいんじゃないか?
女王陛下の007の興行的失敗により、大金を積んでもショーン・コネリーを再登板させ、監督もゴールドフィンガーのガイ・ハミルトンを起用。そして、長らくシリーズは『大人仮面ライダー』の様相を呈する。冷戦終結後のゴールデンアイで、リアル路線の試みも見られたものの、完全に軸足を移すのは、ダニエル・クレイグがボンド役を務めるまで待たなければならなかった。という背景が。
カジノロワイヤル以降、ハードボイルド路線に入ったと思われる007シリーズだが、芸術映画を自任していない以上、娯楽映画なわけだから、「楽しくない」「つまらない」と感じた本作に関しては反省してもらいたい気分。
何で、こんな微妙な作品になったかといえば、諸悪の根源はロンドン五輪になるのでは?
007作品の舞台を無理やりイギリス本土にしようとした気がして、そうだとすれば大人の事情やら思惑が絡んでろくなことにならなかった典型例かと。本作は五輪と同じ年に公開されたのだが、劇場で見たら怒り狂っていたと思う。ホントにツタヤの半額レンタル日のDVDで済ませて良かった。
シリーズX周年記念作品!とか言って力むと傑作か失敗のいずれかだが、残念ながら後者・・・。
よくよく考えれば、007オクトパシーで列車の上でのアクションが娯楽映画としてのものだったのに対し、007スカイフォールの冒頭ではボンドが撃たれてしまうという展開が、現代のリアリズム路線007を物語っている。
007カジノロワイヤルでボンドが拘束されて拷問されるシーンに観客はショックと衝撃を受けたわけだが、3作目では狙撃にミスで痛い目に遭わされるのはボンドの方で、もう驚かないし当然のようになっている。見る方もこれはボンドが撃たれるなと、思いつつ眺めている。危なっかしい狙撃手が標準を合わせていても「こりゃ。ボンドの方に当たるな」と思ったらその通りに。そう感じるんだから、もう、リアリズム路線を受け入れた証拠だろう。
公開当時も、「スパイが時代遅れになった複雑な世界環境の変化を描く」みたいな大上段に構えて豪語していたので大変期待していたのだが・・・
にしては、映画の展開に粗が多いのでは?
(敵が)射撃対決に勝ったもののあっさり捕縛される〜それは女上司への復讐のための潜入〜最後はスコットランドへボンドと女上司を追跡。
この辺の流れに、口をパクパクさせながら見る羽目に(泣)
冷めてしまったのは、元諜報員シルヴァ(敵役)がマザコン野郎で私的な恨みのために粘着ストーキングしてくることと、軍艦らしき島での射撃対決とその後の流れ。
ボンドを生かして返した上で、彼の生家で対決するってどうよ?
いきなり、管理人が出て来る展開も意味不明だし、わざわざ最終対決する場としてはどうかね。おまけに女上司のM同伴で。
(因みに射撃対決も、黄金銃を持つ男でやってる)
結局の所、何が退屈だったかと自問自答した結果、派手なアクションが無くて悪役に凄みを感じないことに辿り着く。
組織や職務への批判ではなく、「グレート・マザー」への私怨は頂けない!
こういう変態が、自分から寄って来るせいで世界を股に駆ける展開にもならない。
さて、女上司Mとの緊張感ある関係がウリのダニエル版007シリーズだが、今作で退場するわけだが、どうも007ワールド・ノット・イナフにおいて、ソフィー・マルソーも絡めた関係に比べれば、スカイフォールは明確に劣る。
上司とのドライな関係性をリアル路線として描くにしては、かなり残念な出来。これもマザコン野郎が絡んで、確執を念入りに描かせてくれないせいだろう。
見る前は、現代の複雑化した情報社会と国際情勢を折り込むんで来ると思い(だってそう宣伝してたじゃん。組織・国より個だとか言って)、「目に見えない敵」に期待を高ぶらせていたら、悪役は元同僚の先輩で、女上司Mを逆恨みしているマザコン気味と知り失望。
いくらなんでも、肩すかし過ぎる。
報復のため、一大組織を作り上げて英国および諜報機関に世界規模で混乱に陥れる様な仕返しを画策して、これに対処するボンドの構図なら胸躍ったのだが。英国諜報部を凌ぐ近代的組織を作り上げロンドンで大規模テロを狙っているくらいのスケールだと信じてたら、
敢えてボス自ら捕まりました。これは潜入です。スパイ不用を謳いながら、最後は直接的手段? ええぇ(萎)
組織や上司との対立。孤独なボンド。この手のことは、007消されたライセンスでやっているわけで、組織に対する報復よりM個人への執着と復讐に勤しむ悪役に、謳い文句のダイナズム溢れる暴れっぷりを期待していただけに、ロンドン地下鉄の追いかけっこでボスが直接敵地に乗り込んで来るのは、リアル路線との乖離を感じる。スコットランドまで執拗に追いかけて来るのも、ね。ロンドンでドンパチやらずに、ストーキングしてきたお陰でテンポが悪くなりました。
そもそも、監督に007シリーズへの造形と愛は存在するのか疑問。大いに。
シリーズの伝統という手枷足枷の上で、シニカルに皮肉ってみせてこそ、だろうに。
単なる英国失墜を、ボンドに仮託して批判的に作ったというなら、臍曲がりもいいところ。
まぁ、何て言いますか、今作のDVDパッケージは暗いし恐ろしく地味。監督の写実的・絵画的な、即物的な作風から、晩年の芥川作品のようで。007ボンドの老いや衰えを指摘するのは勝手だが他人まで憂鬱にさせるなよと言いたくなるのに似ている。
個人的には、硬派なボンド映画を見るなら、これじゃなくて『女王陛下の007』を見るよ、ということに尽きる。
少なくとも、「(シリアスでハードボイルドな現代的な作風で評価を得たけれど)、この監督に胸躍るアクションは撮れなかったね」と後世語られることと思う。
仮に好意的に見るにしても、前2作と本筋的4作への流れや出来から翻って、スカイフォールは王道展開の4作目に向かうために創造的破壊の壊される役を担ったんだと解釈する他ない。この作品単体を取り出しただけでは、極めて不出来。
従来の男性M、マネー・ペニー、Qというおなじみのキャラクターを出した上で、どういう仕上がりになるかでダニエル版のシリーズ評価が決まるだろう。
追記
・・・まぁ、こういう作風に走らせた点で、ロジャー・ムーア版の影響は大きいということか。有り難いのか、有り難くないのか(爆)
エンタメ路線、大人仮面ライダーはロジャー・ムーアの功罪であり、『女王陛下の007』がウケなかった帰結ですからね。
というわけで、最新作『007 スペクター』は観に行く気になれません。スカイフォールと監督が同じなので、ハズレを引くんじゃないかと思ってしまって。
リアル、シリアス、エンタメ、アクションの四要素のバランスは本当に難しい。シリーズ24作目ながらまだまだ葛藤し続けることでしょう。『007 スペクター』観とけば良かったと悔しがらせて欲しいものです。ホント頼むよ。観なくて良かったでは寂しい。こういうのは裏切られた方がいいんだから。
とかなんとか言いながら、中英接近で、現実世界のパワーバランスを盛り込めそうじゃないですか。25作目は落ち目の英国と昇竜中国を意識した作品でいいんじゃないか?
2015年06月22日
つい先日、大御所のクリストファー・リーが亡くなられた。
悪役の華。花形の悪役。そういう言葉の似合う御仁であった。
(キャリア終盤のリーが妙にカストロ議長に似ていると思うのは僕だけだろうか?)
クリストファー・リーといえば、ハマー・フィルム・プロダクション版『吸血鬼ドラキュラ』で、ドラキュラといえば(特に戦後では)クリストファー・リーという感じの当り役。スター・ウォーズなどにも悪役で足跡を残しているが、ダースベイダーの威光を凌駕しているとはいえないし、多くの人にとっては未だに代表的な役柄はドラキュラの方だと思う。
この作品の歴史的意義は、ユニバーサル怪奇映画が本場ヨーロッパから、モンスターを逆輸入する形で最初に吸血鬼映画で成功を収めたわけだが、今度は本場の英国が吸血鬼ドラキュラ映画を作ったという点にある。
原作はアイルランド人の作家、ブラム・ストーカーだったり、なにかと英国に所縁のあるのにこれまで映画においては米国に先を越されていたのは不本意な展開なのだが、見事に戦後の吸血鬼シリーズといえば、クリストファー・リー版のドラキュラで、対してメジャーな制作会社でも国でもない英国が一時的に栄光に浴したという意味で、大変意義があるといえるだろう。
(リーそのものに関しては、ハマー・フィルム・プロダクション版において、二大モンスターの人造人間と吸血鬼を演じたという功績が挙げられる)
クリストファー・リーの吸血鬼ドラキュラの魅力は、カラー作品ならではの、リーの血走った眼と血まみれの牙。若き日のリーの迫力ある顔のビジュアルが、狂気と残虐性を張りつかせていて、彼固有のドラキュライメージを提示してみせたと言えよう。
が、これを代表作にしてしまうと、捻りがなさ過ぎる。
彼の芝居で、余り注目されないものを代表作として掘り起こしてみたい。
良い意味でも悪意味でも、「ドラキュラ俳優」を見られていた彼が新境地を開拓したという意味で、殺し屋スカラマンガを演じた『007 黄金銃を持つ男』。
ちょっと下りに入った人という扱いだったリーが、その長身痩躯を活かして、ドラキュラのイメージを払拭しつつ黄金のライターが必殺の武器になる新たな悪役を演じ切った。
これがあって、後に『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』シリーズへの出演に繋がる。
作品そのものは余り評価されているとは言い難いが、悪役の存在感では物足りない007シリーズ作品が多い中、危険な匂いを放ち、ボンドと直接対決で果たし合いをする黄金銃を持つリーは大変な魅力を放っている。宿敵である首領ブロフェルド役が固定でない中、シリーズ中で最大の好敵手なのは、スカラマンガで間違いないだろう。
吸血鬼ドラキュラ伯爵の雰囲気を残しつつも、危険なワイルドさを放つ様はリー固有のもの。因みに憧れの伯爵様の「お胸」が拝めるのも魅力かもしれない(笑)
怪奇派の芝居としては、代表作に『白い肌に狂う鞭』を挙げたい。
女の白い肌にムチの痕を刻まねば気が済まない変態紳士役で出演。これまた、ドラキュラとは違うが妖しい狂気を発散しまくっている。怪奇映画や怪奇派の演技をしているクリストファー・リーが好きな人はこっちを薦める。『007 黄金銃を持つ男』より圧倒的に若いし、貴族的なセクシーさに狂気が混じっていて、魅力が良く出ている。
因みに、間接的にハマー・フィルム・プロダクション版『吸血鬼ドラキュラ』の御世話になった日本人は実は大変多い。というのも、この作品は『仮面ライダー』(TV・特撮版)に多大な影響を与えていて、仮面ライダーは当初こそ「怪奇アクションの傑作」と自負していたくらいである。ショッカー、ゲルショッカーの怪人が人知れずに人を襲うシーンや、より直接的な影響を感じるのは、『仮面ライダーV3』のキバ男爵が絡むエピソード。女性が怪人に血を吸われるシーンなどは、怪奇作品としての影響を強く感じる。
(仮面ライダーのモスキラスも同様で、血を吸う怪人はたいてい「若い」女性を好み、吸血鬼っぽい甘美な匂いを発散させる)
というわけで、妙に官能的でエロッチックな所が、珠に昭和仮面ライダーシリーズにあるよなぁと漠然と思われている方は、ハマー・フィルム・プロダクション版『吸血鬼ドラキュラ』も御覧あれ。
悪役の華。花形の悪役。そういう言葉の似合う御仁であった。
(キャリア終盤のリーが妙にカストロ議長に似ていると思うのは僕だけだろうか?)
クリストファー・リーといえば、ハマー・フィルム・プロダクション版『吸血鬼ドラキュラ』で、ドラキュラといえば(特に戦後では)クリストファー・リーという感じの当り役。スター・ウォーズなどにも悪役で足跡を残しているが、ダースベイダーの威光を凌駕しているとはいえないし、多くの人にとっては未だに代表的な役柄はドラキュラの方だと思う。
この作品の歴史的意義は、ユニバーサル怪奇映画が本場ヨーロッパから、モンスターを逆輸入する形で最初に吸血鬼映画で成功を収めたわけだが、今度は本場の英国が吸血鬼ドラキュラ映画を作ったという点にある。
原作はアイルランド人の作家、ブラム・ストーカーだったり、なにかと英国に所縁のあるのにこれまで映画においては米国に先を越されていたのは不本意な展開なのだが、見事に戦後の吸血鬼シリーズといえば、クリストファー・リー版のドラキュラで、対してメジャーな制作会社でも国でもない英国が一時的に栄光に浴したという意味で、大変意義があるといえるだろう。
(リーそのものに関しては、ハマー・フィルム・プロダクション版において、二大モンスターの人造人間と吸血鬼を演じたという功績が挙げられる)
クリストファー・リーの吸血鬼ドラキュラの魅力は、カラー作品ならではの、リーの血走った眼と血まみれの牙。若き日のリーの迫力ある顔のビジュアルが、狂気と残虐性を張りつかせていて、彼固有のドラキュライメージを提示してみせたと言えよう。
が、これを代表作にしてしまうと、捻りがなさ過ぎる。
彼の芝居で、余り注目されないものを代表作として掘り起こしてみたい。
良い意味でも悪意味でも、「ドラキュラ俳優」を見られていた彼が新境地を開拓したという意味で、殺し屋スカラマンガを演じた『007 黄金銃を持つ男』。
ちょっと下りに入った人という扱いだったリーが、その長身痩躯を活かして、ドラキュラのイメージを払拭しつつ黄金のライターが必殺の武器になる新たな悪役を演じ切った。
これがあって、後に『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』シリーズへの出演に繋がる。
作品そのものは余り評価されているとは言い難いが、悪役の存在感では物足りない007シリーズ作品が多い中、危険な匂いを放ち、ボンドと直接対決で果たし合いをする黄金銃を持つリーは大変な魅力を放っている。宿敵である首領ブロフェルド役が固定でない中、シリーズ中で最大の好敵手なのは、スカラマンガで間違いないだろう。
吸血鬼ドラキュラ伯爵の雰囲気を残しつつも、危険なワイルドさを放つ様はリー固有のもの。因みに憧れの伯爵様の「お胸」が拝めるのも魅力かもしれない(笑)
怪奇派の芝居としては、代表作に『白い肌に狂う鞭』を挙げたい。
女の白い肌にムチの痕を刻まねば気が済まない変態紳士役で出演。これまた、ドラキュラとは違うが妖しい狂気を発散しまくっている。怪奇映画や怪奇派の演技をしているクリストファー・リーが好きな人はこっちを薦める。『007 黄金銃を持つ男』より圧倒的に若いし、貴族的なセクシーさに狂気が混じっていて、魅力が良く出ている。
因みに、間接的にハマー・フィルム・プロダクション版『吸血鬼ドラキュラ』の御世話になった日本人は実は大変多い。というのも、この作品は『仮面ライダー』(TV・特撮版)に多大な影響を与えていて、仮面ライダーは当初こそ「怪奇アクションの傑作」と自負していたくらいである。ショッカー、ゲルショッカーの怪人が人知れずに人を襲うシーンや、より直接的な影響を感じるのは、『仮面ライダーV3』のキバ男爵が絡むエピソード。女性が怪人に血を吸われるシーンなどは、怪奇作品としての影響を強く感じる。
(仮面ライダーのモスキラスも同様で、血を吸う怪人はたいてい「若い」女性を好み、吸血鬼っぽい甘美な匂いを発散させる)
というわけで、妙に官能的でエロッチックな所が、珠に昭和仮面ライダーシリーズにあるよなぁと漠然と思われている方は、ハマー・フィルム・プロダクション版『吸血鬼ドラキュラ』も御覧あれ。
2015年06月21日
今季、ダントツで楽しいアニメといえば『SHOW BY ROCK!!』です。
バンド活動を題材にしているものの、高校の軽音楽部を扱ったりしない、職業としてバンドで生きていく姿を描く。
とはいえ、インディーズバンドがいかに売れて頂点に登りつめるかという話なので、バンドにありがちな事がちらほら。(一例として、ライブハウスの壁の落書き。バンド活動あるあるです)
その作中のミュージックビデオ風演奏映像で、「これは秀逸だ!」というものを紹介したい。
『徒然なる操り霧幻庵』というバンドのものなのですが、どうでしょうか。
インパクトあるでしょ。
まず、目につくのが、ギターというか三味線の速弾き。(14〜17秒のシーン)
「速っ!!!」というのが、まず感想として浮かびます。
これは、メタラー歓喜でしょうか。
メンバーの衣装も感動。
http://showbyrock-anime.com/character/tsurezure/
21世紀に、時代劇以外で虚無僧の格好をおがめると思っていませんでしたので。
着てる衣装は袈裟。マイクスタンドは尺八と芸が細かい。
ですが。ですがです。
真骨頂はドラム。
上で紹介したMV風演奏映像は、ドラムをやる人間には、たまらない映像化かと思います。
というのも、アニメであれ実写であれメインはヴォーカルの歌唱か、ギター演奏を写す画が大半。まぁ、とにかくドラムの扱いは地味なりがち。ライブ映像でも、正面から収めたアングルばかりという感じでは?
対して、SHOW BY ROCK!!はといえば、ドラマーの手元をしっかり映している。これは、凄く「分かってる!」というこだわり。
(超絶メタラー並みの、三味線の速弾きも撥の手元をアップで撮っているのも同じ)
ライブの映像化の場合、メインは演奏そのものより「顔」が映っていればいい、ということにとかくなるのだが、奏者は腕に自信がある程、演奏そのものをメインでと考えるもの。
そういう心理を、大変良く汲みとって作った気がして、好感持てますね。
ドラムを演奏する場合は、他の楽器とは違って、巨大ロボットの操縦コクピットの如き、ドラムセットに埋る感覚なのですが、それを良く分かってるなという映像の作りです。
その、コクピット内部で、どのようにロボットを・・・じゃなくて、ドラムを操るのかを見せた感じでしょうか。
こういう演奏者目線は、ギターのリフが、「見せ場」なのか「自慰」なのかで解釈が別れる点なのですが、やってる本人は最高に気持ちいいわけで(笑)
さてさて。この映像が新鮮に感じる点は、他に何かと言えば、ドラム(太鼓)中心な事でしょうか。
イントロが明けて、3Dに切り替わった時の最初の映像が、ドラム奏者からというのが、それをよく物語っています。
「徒然なる操り霧幻庵」という名のオリタンタルバンドの、中心人物でドラマーであるダル太夫をセンターポジションに置いて、ギターとベースの二人は左右に配置。ドラムの正面を空けておくのは珍しい。映像では、普通見つけにくいのがドラムの宿命なのに!
ドラマーが一番目立っているなんて、X JAPAN(Yoshiki)ぐらいで、異例中の異例なのが本来なんですけど、徒然なる操り霧幻庵はドラマーは大変優遇されています。
この辺は、主人公バンドのドラマーと比べると一目瞭然(笑)
この3Dの演奏シーンの映像がこんなにも心地良いのは、鼓を叩く時の3Dアニメの動きが、バスドラムを足で操る動きを連想するからなんです。その規則性やら、メカニカルな正確な動きが上手く表現されていて実にいい!
バンド活動を題材にしているものの、高校の軽音楽部を扱ったりしない、職業としてバンドで生きていく姿を描く。
とはいえ、インディーズバンドがいかに売れて頂点に登りつめるかという話なので、バンドにありがちな事がちらほら。(一例として、ライブハウスの壁の落書き。バンド活動あるあるです)
その作中のミュージックビデオ風演奏映像で、「これは秀逸だ!」というものを紹介したい。
『徒然なる操り霧幻庵』というバンドのものなのですが、どうでしょうか。
インパクトあるでしょ。
まず、目につくのが、ギターというか三味線の速弾き。(14〜17秒のシーン)
「速っ!!!」というのが、まず感想として浮かびます。
これは、メタラー歓喜でしょうか。
メンバーの衣装も感動。
http://showbyrock-anime.com/character/tsurezure/
21世紀に、時代劇以外で虚無僧の格好をおがめると思っていませんでしたので。
着てる衣装は袈裟。マイクスタンドは尺八と芸が細かい。
ですが。ですがです。
真骨頂はドラム。
上で紹介したMV風演奏映像は、ドラムをやる人間には、たまらない映像化かと思います。
というのも、アニメであれ実写であれメインはヴォーカルの歌唱か、ギター演奏を写す画が大半。まぁ、とにかくドラムの扱いは地味なりがち。ライブ映像でも、正面から収めたアングルばかりという感じでは?
対して、SHOW BY ROCK!!はといえば、ドラマーの手元をしっかり映している。これは、凄く「分かってる!」というこだわり。
(超絶メタラー並みの、三味線の速弾きも撥の手元をアップで撮っているのも同じ)
ライブの映像化の場合、メインは演奏そのものより「顔」が映っていればいい、ということにとかくなるのだが、奏者は腕に自信がある程、演奏そのものをメインでと考えるもの。
そういう心理を、大変良く汲みとって作った気がして、好感持てますね。
ドラムを演奏する場合は、他の楽器とは違って、巨大ロボットの操縦コクピットの如き、ドラムセットに埋る感覚なのですが、それを良く分かってるなという映像の作りです。
その、コクピット内部で、どのようにロボットを・・・じゃなくて、ドラムを操るのかを見せた感じでしょうか。
こういう演奏者目線は、ギターのリフが、「見せ場」なのか「自慰」なのかで解釈が別れる点なのですが、やってる本人は最高に気持ちいいわけで(笑)
さてさて。この映像が新鮮に感じる点は、他に何かと言えば、ドラム(太鼓)中心な事でしょうか。
イントロが明けて、3Dに切り替わった時の最初の映像が、ドラム奏者からというのが、それをよく物語っています。
「徒然なる操り霧幻庵」という名のオリタンタルバンドの、中心人物でドラマーであるダル太夫をセンターポジションに置いて、ギターとベースの二人は左右に配置。ドラムの正面を空けておくのは珍しい。映像では、普通見つけにくいのがドラムの宿命なのに!
ドラマーが一番目立っているなんて、X JAPAN(Yoshiki)ぐらいで、異例中の異例なのが本来なんですけど、徒然なる操り霧幻庵はドラマーは大変優遇されています。
この辺は、主人公バンドのドラマーと比べると一目瞭然(笑)
この3Dの演奏シーンの映像がこんなにも心地良いのは、鼓を叩く時の3Dアニメの動きが、バスドラムを足で操る動きを連想するからなんです。その規則性やら、メカニカルな正確な動きが上手く表現されていて実にいい!
2015年01月28日
イスラム過激組織に、湯川遥菜氏と後藤健二氏の二名が拘束された事件。
仮に、何か悪い方向に向かえば、サッカーのアジア杯の日に、凶報がもたらされるのかと思うと、嫌な気分でした。
その後、釈放のための巨額な身代金の要求と人質交換に発展。
結果的にこの事件が、野次馬的な関心をかきたてたのも事実かと。
ペルーにおける日本人大使館事件の頃とは、世相が変わった気もします。
湯川さんを得たら、助けに向かった後藤さんも拘束出来た。
海老で鯛が釣れた形に。
法外な身代金と3日以内という時限的心理圧迫。死んだとされる湯川。続いて要求された人質交換。古きイスラムの商慣習が垣間見えた感じがしました。
それと、公になった直後から、日本政府がどれだけ本気で対応するのかに注目してました。
やっぱり、現政府の安全保障政策ならびに中東のおける関わり方が、招いた部分があるわけで。
勿論、こちらの対応とは別に中東地域の個別的事情もあってのわけですけど。
ただねぇ、英仏の歴史的な中東のおける関わり方は明らかに失敗だったという結論で決まった感がありますね。
改めてオスマン帝国が、20世紀のソ連だった感じはしてます。
可能限り全力を尽くして欲しいわけですが、英米との対テロ行為への考え方の違い。
ディープな部分で中東に繋がりが無い。
邦人を見殺しにした場合、今後の安全保障政策への影響。
この場合、踏み込めないということですが、人質事件で政策が縛られるのも問題。
特に、そのことに絡んで首相批判を避けたい人間が「自己責任」論で切り抜けようとしていた動きは、らしいと言えばらしかった。
個人的には、無事解放されるかは別にして、最善は無理だけどそのぎりぎりの行動は取って欲しい。それが日本と政府を、国民の立場で信用出来るかどうかに関わってくるわけで。
国際的な因果関係と複雑な事情が絡まって、難しい事件だと思いつつ、はたしてこれが大企業の経営幹部が現地で拘束されて、法外な身代金を要求されたらどうだったかと。
日揮のアルジェリア人質事件のようなことなわけですけど。
大人しく払ったのか、裏で秘密裏に話をまとめたのか、死なせてしまうことになったのか。
今後、そういうこともあり得る前提で、現在的な世界史の動きの中に日本がいて、近いような遠い中東における認識が変わって行く端緒になるかもしれませんね。
まぁ、大川総裁がムハンマドの英霊を呼び出して解決してくれたら話は早いんですけどね。
こういう時こそ出番でしょ。何とかして下さいよ。言霊を呼んで。本にしてる暇ないですよね。
江原啓之でもいいです。どうですか? 江原さん!
仮に、何か悪い方向に向かえば、サッカーのアジア杯の日に、凶報がもたらされるのかと思うと、嫌な気分でした。
その後、釈放のための巨額な身代金の要求と人質交換に発展。
結果的にこの事件が、野次馬的な関心をかきたてたのも事実かと。
ペルーにおける日本人大使館事件の頃とは、世相が変わった気もします。
湯川さんを得たら、助けに向かった後藤さんも拘束出来た。
海老で鯛が釣れた形に。
法外な身代金と3日以内という時限的心理圧迫。死んだとされる湯川。続いて要求された人質交換。古きイスラムの商慣習が垣間見えた感じがしました。
それと、公になった直後から、日本政府がどれだけ本気で対応するのかに注目してました。
やっぱり、現政府の安全保障政策ならびに中東のおける関わり方が、招いた部分があるわけで。
勿論、こちらの対応とは別に中東地域の個別的事情もあってのわけですけど。
ただねぇ、英仏の歴史的な中東のおける関わり方は明らかに失敗だったという結論で決まった感がありますね。
改めてオスマン帝国が、20世紀のソ連だった感じはしてます。
可能限り全力を尽くして欲しいわけですが、英米との対テロ行為への考え方の違い。
ディープな部分で中東に繋がりが無い。
邦人を見殺しにした場合、今後の安全保障政策への影響。
この場合、踏み込めないということですが、人質事件で政策が縛られるのも問題。
特に、そのことに絡んで首相批判を避けたい人間が「自己責任」論で切り抜けようとしていた動きは、らしいと言えばらしかった。
個人的には、無事解放されるかは別にして、最善は無理だけどそのぎりぎりの行動は取って欲しい。それが日本と政府を、国民の立場で信用出来るかどうかに関わってくるわけで。
国際的な因果関係と複雑な事情が絡まって、難しい事件だと思いつつ、はたしてこれが大企業の経営幹部が現地で拘束されて、法外な身代金を要求されたらどうだったかと。
日揮のアルジェリア人質事件のようなことなわけですけど。
大人しく払ったのか、裏で秘密裏に話をまとめたのか、死なせてしまうことになったのか。
今後、そういうこともあり得る前提で、現在的な世界史の動きの中に日本がいて、近いような遠い中東における認識が変わって行く端緒になるかもしれませんね。
まぁ、大川総裁がムハンマドの英霊を呼び出して解決してくれたら話は早いんですけどね。
こういう時こそ出番でしょ。何とかして下さいよ。言霊を呼んで。本にしてる暇ないですよね。
江原啓之でもいいです。どうですか? 江原さん!
2014年09月23日
前回に続いて対ソフトバンク2連勝となった、楽天の松井裕樹だが、確実に成長していると思う。なんせ、前回は後半に失点をしてしまった。今回も、怪しかったのは1回の立ち上がりだけで快調に終盤を迎えた。
7回が限界と思ったが、星野は続投指示。よって、本人に勝ちを付けてチームの勝利を優先するなら交代のはずだが8回のマウンドへ。
案の定、不安は的中。
2ストライクまで追い込んだ鶴岡がヒットで出て、捕手がボールを反らして2塁へ。
連打で無死1・3塁と最悪の状況。犠牲フライで1点を失った。
さらに難敵・内川が打って再び1・3塁。
この段階で、投手を引っ張って裏目に出る星野采配が当ったかと思いましたよ。
しかし、今季、無安打に封じている李大浩をフライアウトにして、柳田を空振り三振!
ピンチの時こそ三振で切り抜ける高校時代そのままに無事切り抜けましたとさ。
結果的に「星野の試練」をクリアしてプロ最長イニングを経験したわけですが、この苦しい変化球が甘くなってきた8回を乗り越えたのは立派。
確実に成長してると思いました。前回(8/13日)は失点してたわけで。
パ・リーグ首位のソフトバンクを相手に、向こうは大隣だから厳しいよなと思っていたら、乏しい援護点と貧弱な今季の楽天打線なのに、よくやったよ。
ただ、救援陣に勝ちを消されたりもして、後続も不安な楽天。それなら、何とか松井裕樹を鍛えるためにとの星野采配なんだろうなと思いましたが、もし打たれたらとか優勝争いしてたら(この成績じゃ無いに決まってるが)どうだったんでしょうね。
この辺に、絶対に残りを落とせないソフトバンクと気楽に若手の鍛錬にしてしまう楽天との試合に対する温度差を感じました。今季はオリックスの優勝を期待してる身だけにね。
ただねぇ、心配なのは走者を背負った時。今日もそこから四球を出して、嫌な空気を感じた。これも力投型の打たせて抑える投球が出来ないからだろう。とにかく、ピンチでダブルプレーが極端に少なくて、球数がかさんでも何とか三振で乗り切るパターンが多い。
これは来年への課題でしょう。これしか出来ないと、苦しい思いを味あわされるはず。
とはいえ、好きな投手で期待もしてるわけで、活躍して欲しいのが親心で本音なんですけども。
追記
プロ4勝の内、先発でソフトバンクから2勝で、残りはロッテのドラフト1位・社会人の石川に投げ勝ってるのだから立派。
何より、101イニングと2/3で奪三振が116なんだから、奪三振率で考えたら驚異的。
後半戦から先発に転向してこれなんだから・・・ねぇ。スゲー。
7回が限界と思ったが、星野は続投指示。よって、本人に勝ちを付けてチームの勝利を優先するなら交代のはずだが8回のマウンドへ。
案の定、不安は的中。
2ストライクまで追い込んだ鶴岡がヒットで出て、捕手がボールを反らして2塁へ。
連打で無死1・3塁と最悪の状況。犠牲フライで1点を失った。
さらに難敵・内川が打って再び1・3塁。
この段階で、投手を引っ張って裏目に出る星野采配が当ったかと思いましたよ。
しかし、今季、無安打に封じている李大浩をフライアウトにして、柳田を空振り三振!
ピンチの時こそ三振で切り抜ける高校時代そのままに無事切り抜けましたとさ。
結果的に「星野の試練」をクリアしてプロ最長イニングを経験したわけですが、この苦しい変化球が甘くなってきた8回を乗り越えたのは立派。
確実に成長してると思いました。前回(8/13日)は失点してたわけで。
パ・リーグ首位のソフトバンクを相手に、向こうは大隣だから厳しいよなと思っていたら、乏しい援護点と貧弱な今季の楽天打線なのに、よくやったよ。
ただ、救援陣に勝ちを消されたりもして、後続も不安な楽天。それなら、何とか松井裕樹を鍛えるためにとの星野采配なんだろうなと思いましたが、もし打たれたらとか優勝争いしてたら(この成績じゃ無いに決まってるが)どうだったんでしょうね。
この辺に、絶対に残りを落とせないソフトバンクと気楽に若手の鍛錬にしてしまう楽天との試合に対する温度差を感じました。今季はオリックスの優勝を期待してる身だけにね。
ただねぇ、心配なのは走者を背負った時。今日もそこから四球を出して、嫌な空気を感じた。これも力投型の打たせて抑える投球が出来ないからだろう。とにかく、ピンチでダブルプレーが極端に少なくて、球数がかさんでも何とか三振で乗り切るパターンが多い。
これは来年への課題でしょう。これしか出来ないと、苦しい思いを味あわされるはず。
とはいえ、好きな投手で期待もしてるわけで、活躍して欲しいのが親心で本音なんですけども。
追記
プロ4勝の内、先発でソフトバンクから2勝で、残りはロッテのドラフト1位・社会人の石川に投げ勝ってるのだから立派。
何より、101イニングと2/3で奪三振が116なんだから、奪三振率で考えたら驚異的。
後半戦から先発に転向してこれなんだから・・・ねぇ。スゲー。
2014年09月02日
ときど著『東大卒 プロゲーマ』を8月中に読み終えた直後に、これかという感じ。
しかも、昨日、KOF98触ったんだけど。凄い久々に。
『消えた「ハイスコアガール」…スクエニ、著作権“なあなあ認識”のツケ』
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140901-00000502-biz_san-nb
http://hbol.jp/4953
問題の『ハイスコアガール』というのは
『ゲーム各社が次々と世に送り出す新作格闘ゲームに、子供から大人までが夢中になった。 そんな時代を舞台に描かれたのが、今回問題となった漫画「ハイスコアガール」。スクエニ社が発行する月刊コミック誌「月刊ビッグガンガン」で連載されているラブコメディーで、ゲームマニアの主人公が、作中で当時ブームになったさまざまな格闘ゲームをプレーすることで、物語が展開していく。』
という作品とのこと。
SNKプレイモアの器量の狭さに憤りつつある現在です。
このマンガ、『ピコピコ少年』の押切先生の作品ですよね? 絵柄的に。
その作品性から言って、相当な悪意を持って扱われているとは考えにくいんですが。
読んでないから分からないけどね。
これで文句を言われるなら、同人誌における、京×庵とかいいのかよ?
って話だし、そもそも媚を売る様な美系キャラやら萌えキャラを出したのは、アンタのとこでしょって話。(ナコルル〜庵が発端だが)
くたばったプレイモヤの遺産を引き継ぐ、SNKプレイモアがこの対応だと、どうですかね。
格闘ゲームで一時代を築いて、その終焉とも相まって(迷走連発を含む)消滅したわけですけど、その格闘ゲームを取り上げてもらって、現在のそのシリーズないし過去作品の配信で食ってる身としては、目くじらを立てる話とは思えない。
「カプコン最高。SNKクソ」って言われたわけじゃないでしょうに。
そもそも、90年代2大メジャーの一角だったSNKの作品を作中で取り上げない方が、不自然だと思うけど。
龍虎、餓狼伝説、サムスピ、ワーヒーを無視っていうのは、成り立たないかと。
作品内での改変の話が、「引用にあたらないのではないか?」という指摘があるんだが、どうだろうね。その90年代2D格闘ゲームの熱気を描く、あるいは描くことが主軸のマンガでゲームのキャラクターにまで踏む込むのは、リアリティの確保なり奥行きを与えるために止む無しでは?
ただ、記事中に
『「バーチャファイター」などのゲームが使われた「セガ」は、担当者によると、約2年前にスクエニ社が申請にやってきた。しかし、すでに連載は始まり、一部のキャラクターが無断で使用されていたため、セガ社は「厳重に抗議した」。』
とあるように、規格が通り連載されていく中で、事後的に説明に来たということはあり得ますね。
そして、悲しいことに消滅したSNKの作品だからいいやとか、後回しになった可能性は否定できない。
今もSNKが健在で影響力を持っていれば、こういう対応ではなかったかなと。
それでもSNKプレイモアがSNKの遺産を正当に継承している事実を知っていれば、これは良くない対応とも言えます。ちゃんと、入札して落札してるんだから。SNK・アルゼ戦争の果てに。
ただね、『龍虎の拳』がカプコン開発陣の怒りを買い、極限流のパロディキャラで意趣返し
をされたわけだから、SNKも著作権に関しては黒歴史を持っているわけで・・・。
また、ガンガンがスクエニの発行物だとしても、ゲーム部門とコミック部門では別だし、現場レベルでは著作権の徹底がされていたとは言えなかった可能性も、考えてみたりね。
出版社というか出版部門は、甘い部分がありますよね。他よりは。なので、同じゲームメーカーなのにスクエニの対応を杓子定規に非難する産経は分かってない感じはするんですけど。
まぁ、深刻な対立じゃなくて形式的な訴訟として和解して、スクエニも今後は、この手の作品を連載する場合は事前準備を徹底するという肥やしになればいいかなと。
90年代シーンを懐古する作品や流れが、廃れないことを祈るばかりです。はい。
しかも、昨日、KOF98触ったんだけど。凄い久々に。
『消えた「ハイスコアガール」…スクエニ、著作権“なあなあ認識”のツケ』
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140901-00000502-biz_san-nb
http://hbol.jp/4953
問題の『ハイスコアガール』というのは
『ゲーム各社が次々と世に送り出す新作格闘ゲームに、子供から大人までが夢中になった。 そんな時代を舞台に描かれたのが、今回問題となった漫画「ハイスコアガール」。スクエニ社が発行する月刊コミック誌「月刊ビッグガンガン」で連載されているラブコメディーで、ゲームマニアの主人公が、作中で当時ブームになったさまざまな格闘ゲームをプレーすることで、物語が展開していく。』
という作品とのこと。
SNKプレイモアの器量の狭さに憤りつつある現在です。
このマンガ、『ピコピコ少年』の押切先生の作品ですよね? 絵柄的に。
その作品性から言って、相当な悪意を持って扱われているとは考えにくいんですが。
読んでないから分からないけどね。
これで文句を言われるなら、同人誌における、京×庵とかいいのかよ?
って話だし、そもそも媚を売る様な美系キャラやら萌えキャラを出したのは、アンタのとこでしょって話。(ナコルル〜庵が発端だが)
くたばったプレイモヤの遺産を引き継ぐ、SNKプレイモアがこの対応だと、どうですかね。
格闘ゲームで一時代を築いて、その終焉とも相まって(迷走連発を含む)消滅したわけですけど、その格闘ゲームを取り上げてもらって、現在のそのシリーズないし過去作品の配信で食ってる身としては、目くじらを立てる話とは思えない。
「カプコン最高。SNKクソ」って言われたわけじゃないでしょうに。
そもそも、90年代2大メジャーの一角だったSNKの作品を作中で取り上げない方が、不自然だと思うけど。
龍虎、餓狼伝説、サムスピ、ワーヒーを無視っていうのは、成り立たないかと。
作品内での改変の話が、「引用にあたらないのではないか?」という指摘があるんだが、どうだろうね。その90年代2D格闘ゲームの熱気を描く、あるいは描くことが主軸のマンガでゲームのキャラクターにまで踏む込むのは、リアリティの確保なり奥行きを与えるために止む無しでは?
ただ、記事中に
『「バーチャファイター」などのゲームが使われた「セガ」は、担当者によると、約2年前にスクエニ社が申請にやってきた。しかし、すでに連載は始まり、一部のキャラクターが無断で使用されていたため、セガ社は「厳重に抗議した」。』
とあるように、規格が通り連載されていく中で、事後的に説明に来たということはあり得ますね。
そして、悲しいことに消滅したSNKの作品だからいいやとか、後回しになった可能性は否定できない。
今もSNKが健在で影響力を持っていれば、こういう対応ではなかったかなと。
それでもSNKプレイモアがSNKの遺産を正当に継承している事実を知っていれば、これは良くない対応とも言えます。ちゃんと、入札して落札してるんだから。SNK・アルゼ戦争の果てに。
ただね、『龍虎の拳』がカプコン開発陣の怒りを買い、極限流のパロディキャラで意趣返し
をされたわけだから、SNKも著作権に関しては黒歴史を持っているわけで・・・。
また、ガンガンがスクエニの発行物だとしても、ゲーム部門とコミック部門では別だし、現場レベルでは著作権の徹底がされていたとは言えなかった可能性も、考えてみたりね。
出版社というか出版部門は、甘い部分がありますよね。他よりは。なので、同じゲームメーカーなのにスクエニの対応を杓子定規に非難する産経は分かってない感じはするんですけど。
まぁ、深刻な対立じゃなくて形式的な訴訟として和解して、スクエニも今後は、この手の作品を連載する場合は事前準備を徹底するという肥やしになればいいかなと。
90年代シーンを懐古する作品や流れが、廃れないことを祈るばかりです。はい。
2014年06月29日
ブラジルVSチリ
前半は、チリがボールを奪い返せば、ブラジルは体の強さで突破しようとする。
フッキがフル出場した理由
もこれで、体格勝ちを確信した判断だったのだろう。
この意地のぶつかりあいが楽しい。チリのいいようにさせないのは流石だし、ブラジルはドリブル突破力が鍵になりそう。攻めまくれば打開出来るはず。
と、思ったら、セットプレーからダヴィド・ルイス。この形は南米らしい。型にはまらないけど、ゴールになっているという。ここからは、リードしたブラジルの戦い方が見もの。
チリは早めに追いついて心理的にもイーブンにしたい。フッキが自陣深くでしっかり守備するのが凄い。
32分にチリが隙をついて同点。スローインのボールを瞬時に奪う狙い澄ました攻撃。
これも、ボールを取る・拾うことが上手いチリの強さが出たか。
1-1で前半終了。ヒリヒリする試合で1つのミスも許されない感じ。
今日のフッキは動きが良かった。あるぞ、逆転弾。
後半、チリが相変わらずボールをキープ出来ているので、ブラジルは苦戦。よって、パスカットからのカウンターで咎める感じか。取り返してもチリのディフェンスが2人3人と潰しに行くのがチリの粘り強さ。
カウンターをものに出来なかったために、ブラジルは延長戦に持ち込まれた。
ただ、ボールを奪うチリの姿は、まるでブラジル。そこからのカウンター反撃が強い時のブラジルの姿なわけで。
さて。イエローと体力を巡る延長を考えると、吐きそう!
決勝トーナメント特有の総力戦が始まる。胃が痛い・・・。
延長はピニージャのシュートがバーに阻まれたのと、ラミレスの低いボールが、お互いゴールに一番近かった。チリは攻める体力を消耗し、カウンター警戒から引き分け狙い。ブラジルは攻勢を取ったが攻め潰せず。運命のPKへ。
PKは3-2でブラジル!!!
ピニージャのシュートが延長後半で入らず、5人目のネイマールがPKを決める。
神の存在を確信する試合。勝利の女神を手繰り寄せたか。ブラジル。
前半は、チリがボールを奪い返せば、ブラジルは体の強さで突破しようとする。
フッキがフル出場した理由
もこれで、体格勝ちを確信した判断だったのだろう。
この意地のぶつかりあいが楽しい。チリのいいようにさせないのは流石だし、ブラジルはドリブル突破力が鍵になりそう。攻めまくれば打開出来るはず。
と、思ったら、セットプレーからダヴィド・ルイス。この形は南米らしい。型にはまらないけど、ゴールになっているという。ここからは、リードしたブラジルの戦い方が見もの。
チリは早めに追いついて心理的にもイーブンにしたい。フッキが自陣深くでしっかり守備するのが凄い。
32分にチリが隙をついて同点。スローインのボールを瞬時に奪う狙い澄ました攻撃。
これも、ボールを取る・拾うことが上手いチリの強さが出たか。
1-1で前半終了。ヒリヒリする試合で1つのミスも許されない感じ。
今日のフッキは動きが良かった。あるぞ、逆転弾。
後半、チリが相変わらずボールをキープ出来ているので、ブラジルは苦戦。よって、パスカットからのカウンターで咎める感じか。取り返してもチリのディフェンスが2人3人と潰しに行くのがチリの粘り強さ。
カウンターをものに出来なかったために、ブラジルは延長戦に持ち込まれた。
ただ、ボールを奪うチリの姿は、まるでブラジル。そこからのカウンター反撃が強い時のブラジルの姿なわけで。
さて。イエローと体力を巡る延長を考えると、吐きそう!
決勝トーナメント特有の総力戦が始まる。胃が痛い・・・。
延長はピニージャのシュートがバーに阻まれたのと、ラミレスの低いボールが、お互いゴールに一番近かった。チリは攻める体力を消耗し、カウンター警戒から引き分け狙い。ブラジルは攻勢を取ったが攻め潰せず。運命のPKへ。
PKは3-2でブラジル!!!
ピニージャのシュートが延長後半で入らず、5人目のネイマールがPKを決める。
神の存在を確信する試合。勝利の女神を手繰り寄せたか。ブラジル。
ワールドカップのグループリーグの中から視聴した試合の寸評をグループごとに行ってきた企画も、今回が最後。
◎、○、△、×の四段階評価して、MVP・技能賞・敢闘賞として試合を別途評価するって言ったんだけど・・・
MVPは、Most Valuable Playerなわけだから変ですね。
試合なんだから当然、ベストバウトって言うべき。
はい。というわけで、最高の試合はグループリーグだと
ウルグアイVSイングランド戦です。
お前、プレミアリーグが好きなだけじゃねーか!と言われると思いますが、その通り。
イングランドは当たり前だけど、この試合に限ってはウルグアイも安易に倒れません!
倒されたアピールも、ほとんど無くてお互いが速く攻めまくる。
ちょっと、南米開催かつ現代では珍しいのだけど、逆に斬新。凄い男らしい試合。
状況も状況でして。
イングランドはイタリアに敗北。ウルグアイもコスタリカに敗北。
脱落しないために、お互いが必勝を求められている。
こういう追い込まれた状況も、消化試合じゃないので熱くて燃える。
試合の勝因敗因と寸評は以下の通り。
・ウルグアイVSイングランド(互角の形勢の好試合)◎敢闘賞
序盤から互いにスピードに溢れ激しく攻め合うサッカーで見応え充分。両者ともプレミアらしい、ファールを貰うよりもガツンと前に攻める。
前半終了間際に、スアレスがヘッドで叩き込み1-0。
後半は、ついにルーニーが同点弾を決めて振り出しに戻す。運動量も落ちずに攻め続ける両チームだったが、キーパーから一人を介して、頭で最前線に送られたボールにスアレスが走り込んで強烈なシュートを決める。これで勝ち越し、ウルグアイが踏みとどまった。
注目のフォルランはベンチを温めることになったが、スアレスひとりでも問題ないと思わせる働きぶりでイングランドを降した。次もスアレスは速くて怖い存在になりそう。
どちらも勝ちたい一心で激しい試合になり、よくかみ合った好試合だった。
ウルグアイは堅守速攻タイプと言われるが、速攻のスピードと正確性がずば抜けている。
イングランドはストライカーが少しレベル負けしていたのが、斬り合い勝負の敗因か。
改めてまとめると・・・
ベストバウト
ウルグアイVSイングランド
技能賞
オランダVSチリ
イタリアVSコスタリカ
フランスVSホンジュラス
フランスVSエクアドル
敢闘賞
ウルグアイVSイタリア
ベストバウトは、スアレスの2点目が鮮やか過ぎたのと、激しい斬り合いで大満足なのが理由。
試合における技能賞は、まぁ上手い試合運びをしたことが理由で、凄いテクニックを選手がみせたとかじゃないです。
オランダVSチリは、最後はきっちり勝つオランダを評価。前半の両チームも良さを殺し合う展開がミスを許さない感じでグッド。
フランスは、特にエクアドルの引き分けに持ち込めるぐらい高い試合運び。コスタリカはイタリアを完封した。
敢闘賞はウルグアイが昔のアルゼンチンみたいで良かった。固くないけど粘り強く守って、最後は勝つ。
引き分けで良しのイタリアを崩した頑張りに拍手。
◎、○、△、×の四段階評価して、MVP・技能賞・敢闘賞として試合を別途評価するって言ったんだけど・・・
MVPは、Most Valuable Playerなわけだから変ですね。
試合なんだから当然、ベストバウトって言うべき。
はい。というわけで、最高の試合はグループリーグだと
ウルグアイVSイングランド戦です。
お前、プレミアリーグが好きなだけじゃねーか!と言われると思いますが、その通り。
イングランドは当たり前だけど、この試合に限ってはウルグアイも安易に倒れません!
倒されたアピールも、ほとんど無くてお互いが速く攻めまくる。
ちょっと、南米開催かつ現代では珍しいのだけど、逆に斬新。凄い男らしい試合。
状況も状況でして。
イングランドはイタリアに敗北。ウルグアイもコスタリカに敗北。
脱落しないために、お互いが必勝を求められている。
こういう追い込まれた状況も、消化試合じゃないので熱くて燃える。
試合の勝因敗因と寸評は以下の通り。
・ウルグアイVSイングランド(互角の形勢の好試合)◎敢闘賞
序盤から互いにスピードに溢れ激しく攻め合うサッカーで見応え充分。両者ともプレミアらしい、ファールを貰うよりもガツンと前に攻める。
前半終了間際に、スアレスがヘッドで叩き込み1-0。
後半は、ついにルーニーが同点弾を決めて振り出しに戻す。運動量も落ちずに攻め続ける両チームだったが、キーパーから一人を介して、頭で最前線に送られたボールにスアレスが走り込んで強烈なシュートを決める。これで勝ち越し、ウルグアイが踏みとどまった。
注目のフォルランはベンチを温めることになったが、スアレスひとりでも問題ないと思わせる働きぶりでイングランドを降した。次もスアレスは速くて怖い存在になりそう。
どちらも勝ちたい一心で激しい試合になり、よくかみ合った好試合だった。
ウルグアイは堅守速攻タイプと言われるが、速攻のスピードと正確性がずば抜けている。
イングランドはストライカーが少しレベル負けしていたのが、斬り合い勝負の敗因か。
改めてまとめると・・・
ベストバウト
ウルグアイVSイングランド
技能賞
オランダVSチリ
イタリアVSコスタリカ
フランスVSホンジュラス
フランスVSエクアドル
敢闘賞
ウルグアイVSイタリア
ベストバウトは、スアレスの2点目が鮮やか過ぎたのと、激しい斬り合いで大満足なのが理由。
試合における技能賞は、まぁ上手い試合運びをしたことが理由で、凄いテクニックを選手がみせたとかじゃないです。
オランダVSチリは、最後はきっちり勝つオランダを評価。前半の両チームも良さを殺し合う展開がミスを許さない感じでグッド。
フランスは、特にエクアドルの引き分けに持ち込めるぐらい高い試合運び。コスタリカはイタリアを完封した。
敢闘賞はウルグアイが昔のアルゼンチンみたいで良かった。固くないけど粘り強く守って、最後は勝つ。
引き分けで良しのイタリアを崩した頑張りに拍手。
・オランダVSオーストラリア(互いに攻め続ける好試合)◎
前半は双方互角で、お互いに1点を取り合った。ボールも持つオーストラリアに対して、オランダはカウンター狙いだが決まらず。ロッベンとケーヒルという、両国のストライカー同士が魅せた。
後半にハンドからPKを得たオーストラリアがきっちり決める。直後にオランダはファンペルシーが取り返した。さらにデパイがミドルシュートを決めて3-2と勝ち越す。
最後までお互いが攻め続け持ち味が出た試合だった。最終的には個人技に秀でたオランダが僅かに上回ったか。
・オランダVSチリ(変幻自在のオランダ)◎
前半はお互いが相手の良さを消して五分で終わる。この辺の、相手の理想形を許さない技術は感心した。
後半は、交代出場のフェルがセットプレーで得点。この後、オランダは攻撃を押さえて再び前半のような守りきるサッカーへ切り替える。多少のチャンスはあったが、チリの攻撃を跳ねかえすオランダ。さらに終了間際にはロッベンが走り込んできて決めるかと思えたが、デパイにパスを出す。これを詰めておりしっかり得点にする。これで2-0。
引き分けを念頭に置いたオランダが1-0とし、さらには守り勝つスタイルも示す中での2点目とあって、ファンペルシーを欠く不安を取り除く形で強さを見せた。1-0の接戦を制しても見事だったが追加点を入れるあたり、オランダに死角をないと感じた。無敗で1次リーグを制したオランダは優勝の本命といっていい。チリは決勝トーナメントでブラジルと当ったらメキシコ並みに苦しめる存在のはず。
特にオランダの強さは自在性であり、守る試合も攻める試合運びも可能で、熾烈な決勝トーナメントではこの切り替えの柔軟さが鍵になるのは間違いない。
・スペインVSオランダ○
前半はスペインが優勢でオランダは手が出せない。その少ない好機をファンペルシーがヘッドで跳び込む。「空飛ぶオランダ人」で1-1の五分。
後半は、ロッベンの上手さが炸裂。ドリブルにおける急加速と急ブレーキを使い分ける自在性は、ちょっとこの人しか出来ない持ち味。
終わってみれば4点を積み上げて、点数を上げるべき選手が活躍し攻撃陣好調をアピール。パスサッカーを咎められたのは、CL準決のバイエルンに続く形で、このスタイルも時代遅れになる予感も。有効な攻略法と結論づけるのは早いだろうが、負けたスペインは2点くらい取れたはずで決定力にも問題あり。
相手が上手かったとはいえ、カシージャスは衰えたと言われるかも。
・スペインVSチリ○
開始こそ、チリに決定機を2つ作られたが、徐々に盛り返す。しかし、14分の大チャンスをものに出来ず逆に20分にバルガスに決められる。
ゴールネットを一度しか揺らせずに、前半終了間際の43分にチリに追加点を入れられるスペイン。パスをカットされたり繋がらず、精彩を欠く。
早いショートのパス回しは出来ても、ボールをキープ出来たのはチリの方だった。確実な決定機は前後半で2回だけ。ゴールが遠かった。スペインはリードされた後半、攻めるしかないため間隔が広く、シュートも遠目からが目立つ印象。
・スペインVSオーストラリア(目的意識を共有出来ない大勝)△
攻めの精度を欠き、オーストラリアが広くボールを回し寸断されていたスペインだったが、36分にビジャがゴールを決めると、この辺りから動きが目に見えて良くなる。早いボール回しで相手を翻弄するシーンが多くなる。逆にオーストラリアは選手間が空き過ぎたり、雑なプレーが目立つようになった前半だった。
後半23分にイニエスタからトーレスにボールが繋がりゴール。試合が硬直していただけに多少盛り上がり始めた。それでも、両軍ともに消化不良だったが、スペインは淡泊だったしオーストラリアはケーヒルを欠いて攻撃の迫力不足を露呈した。スペインのサバサバした選手と出て活躍したい選手との温度差が激しく一体感が無かったのも印象的。
前半は双方互角で、お互いに1点を取り合った。ボールも持つオーストラリアに対して、オランダはカウンター狙いだが決まらず。ロッベンとケーヒルという、両国のストライカー同士が魅せた。
後半にハンドからPKを得たオーストラリアがきっちり決める。直後にオランダはファンペルシーが取り返した。さらにデパイがミドルシュートを決めて3-2と勝ち越す。
最後までお互いが攻め続け持ち味が出た試合だった。最終的には個人技に秀でたオランダが僅かに上回ったか。
・オランダVSチリ(変幻自在のオランダ)◎
前半はお互いが相手の良さを消して五分で終わる。この辺の、相手の理想形を許さない技術は感心した。
後半は、交代出場のフェルがセットプレーで得点。この後、オランダは攻撃を押さえて再び前半のような守りきるサッカーへ切り替える。多少のチャンスはあったが、チリの攻撃を跳ねかえすオランダ。さらに終了間際にはロッベンが走り込んできて決めるかと思えたが、デパイにパスを出す。これを詰めておりしっかり得点にする。これで2-0。
引き分けを念頭に置いたオランダが1-0とし、さらには守り勝つスタイルも示す中での2点目とあって、ファンペルシーを欠く不安を取り除く形で強さを見せた。1-0の接戦を制しても見事だったが追加点を入れるあたり、オランダに死角をないと感じた。無敗で1次リーグを制したオランダは優勝の本命といっていい。チリは決勝トーナメントでブラジルと当ったらメキシコ並みに苦しめる存在のはず。
特にオランダの強さは自在性であり、守る試合も攻める試合運びも可能で、熾烈な決勝トーナメントではこの切り替えの柔軟さが鍵になるのは間違いない。
・スペインVSオランダ○
前半はスペインが優勢でオランダは手が出せない。その少ない好機をファンペルシーがヘッドで跳び込む。「空飛ぶオランダ人」で1-1の五分。
後半は、ロッベンの上手さが炸裂。ドリブルにおける急加速と急ブレーキを使い分ける自在性は、ちょっとこの人しか出来ない持ち味。
終わってみれば4点を積み上げて、点数を上げるべき選手が活躍し攻撃陣好調をアピール。パスサッカーを咎められたのは、CL準決のバイエルンに続く形で、このスタイルも時代遅れになる予感も。有効な攻略法と結論づけるのは早いだろうが、負けたスペインは2点くらい取れたはずで決定力にも問題あり。
相手が上手かったとはいえ、カシージャスは衰えたと言われるかも。
・スペインVSチリ○
開始こそ、チリに決定機を2つ作られたが、徐々に盛り返す。しかし、14分の大チャンスをものに出来ず逆に20分にバルガスに決められる。
ゴールネットを一度しか揺らせずに、前半終了間際の43分にチリに追加点を入れられるスペイン。パスをカットされたり繋がらず、精彩を欠く。
早いショートのパス回しは出来ても、ボールをキープ出来たのはチリの方だった。確実な決定機は前後半で2回だけ。ゴールが遠かった。スペインはリードされた後半、攻めるしかないため間隔が広く、シュートも遠目からが目立つ印象。
・スペインVSオーストラリア(目的意識を共有出来ない大勝)△
攻めの精度を欠き、オーストラリアが広くボールを回し寸断されていたスペインだったが、36分にビジャがゴールを決めると、この辺りから動きが目に見えて良くなる。早いボール回しで相手を翻弄するシーンが多くなる。逆にオーストラリアは選手間が空き過ぎたり、雑なプレーが目立つようになった前半だった。
後半23分にイニエスタからトーレスにボールが繋がりゴール。試合が硬直していただけに多少盛り上がり始めた。それでも、両軍ともに消化不良だったが、スペインは淡泊だったしオーストラリアはケーヒルを欠いて攻撃の迫力不足を露呈した。スペインのサバサバした選手と出て活躍したい選手との温度差が激しく一体感が無かったのも印象的。